本町通り・宮本通り
この地の元メインストリート。





大神宮へ向かう大神宮の参道的通り。
本町通りというだけに…この通りから船橋は生まれた。船橋の地名も。
この本町通りを中心に、大神宮の門前町として繁栄し、そして江戸~成田間の宿場町や、
海に面していたので漁師町ともなって栄えていった。とのこと。
本町通りこそ船橋。
もちろんかつての船橋の街の広がりの中心は船橋駅ではなく、大神宮だ…。船橋駅ないですから。
宿場町(宿泊の町)だったころ、船橋は船橋宿と呼ばれていた模様。
多くの旅館が存在していたようだ。商店が軒を連ね、大いに賑わっていたとも。
昔は東京から成田へ日帰りで行けなかった…
東京から成田へ行くのに通る道であった「成田街道」の東京と成田の中間点のここは宿場町に適していた。
本町通りが元成田街道です。
かつては本町通りは成田街道の一区間だった。
古くから発展している通りはやっぱり街道。
成田街道の他にも船橋には主要な道路(街道)がなぜか集結しており、交通ターミナルポイントだった。
もう船橋が宿泊の町(今でいったらホテル街?)である必要性はない…
ちなみに成田街道以外にも江戸方面から成田へ向かう通りはいくつかあったようだ。
今でもこの本町通りはもちろん、非常に発展しています。基本的には昔から「商店街」の通りです。
でこの本町通り、東の突き当たりの緑の中に大神宮の鳥居が見えるのが特徴的。京成高架で見えにくくなったが…。
大神宮に向かって進んでいく感じ。
現在、正面に駅が見える船橋駅前通りのような通りはメイン通り感満点ですが…
かつては駅に当たるのが大神宮ですから…
こういう通りはメイン通り感満点の通りだった…。
そんな通り…。
現在の中心は大神宮ではなく、船橋駅ですから…
現在の本町通りの中心は、大神宮(東端)ではなく、スクランブル交差点だ。
そこが1番駅に近いからそうなったと。
普段は人通りもその付近が最も多い。
大神宮は本町通りのちょうど突き当たりと。
これは…大昔あえて正面に見えるようにしたのだろう。
あと道路が完全にまっすぐですが…
それも大昔(江戸時代よりは以前)の人々が都市計画によって直線に整えたんでしょう。
街のメイン通りなんでそうしてまあ当然。
あと終点から突然うねってるし、突き当たりがちょうど大神宮というのも不自然すぎますから…。
あと本町通りというと海老川。
この川が本町通りを(大神宮の手前を)横切って流れていたことで、船橋の地名が生まれた…。
海老川は船橋市街を流れる唯一の川…。
船橋では最も有名な川だ。
海老川沿いには河口からどこまでも庭のような美しい散歩道の遊歩道が続いている。
また海老川に架かる橋にはいちいち異なった石像が取り付けられていていちいち橋が凝っている…。
千葉街道の橋は船橋橋、本町通りの橋は海老川橋、御殿通りの橋は八千代橋。
船橋橋…船橋の橋…船「橋」の橋はいまや橋ではない…。
船橋だったらそれでも面白かったかも。
で、本町通りの海老川橋は船橋地名発祥の地で、
やっぱりオーソドックスな橋名なだけに海老川の橋の中でも代表的な橋。(船橋橋もオーソドックス?)
かつての英雄が海老川を渡れなくて困っていると地元民たちが船を並べて橋にして反対岸へ送ったという…。言い伝えだが
海老川橋には彫刻の船が食い込んでいる…
そんなデザイン。船がついてる橋。
この橋も船橋と言える。
ここは船橋。船橋の。いやここが船橋。
地名の由来を伝えるデザインであえて船橋って感じの橋にしたのだろう。
海老川の橋はデザインが面白いですが…この橋はやっぱ特に面白いデザインにしてあります。
海老川橋は別名「長寿の橋」ともいいます。この橋だけ別名まである。
江戸時代(慶応元年)~平成目前まで生きていた江戸時代生まれ最後の生存者の人の手形もあるのでそう呼ばれる。
鹿児島出身の人で、船橋と何の関係もないみたいですがなぜ船橋に手形なんて…??
慶応元年というと本町通りの船橋一の老舗、稲荷屋(日本料理店)の創業年と同じ…。たまたまなのか?
ちなみに稲荷屋の建物は現在は普通のビルです。一応歴史ありげな装飾はされてますが…。
…海老川遊歩道を歩きながら橋を見ていくのもいい…。
川沿いは戸建て住宅などがとにかく建ち並ぶ閑静な町中で穏やかなムードも漂ってる…。
海老川遊歩道は北口側市場通りの先からは雰囲気が変わる。ここからは良く知れた桜の名所“海老川ジョギングロード”。
桜の時期には毎年多くの露店が立ち並ぶ。
柵がなくて危険だが、川縁の斜面に行ってしまえる。
この川縁の斜面には桜の時期、ベンチやテーブルが設置されたりする。ちょっと怖い…
桜並木を抜けると海老川遊歩道はようやく終わります。
こっちから海の方へ歩く人の方が多いかも。
あと海老川から枝分かれして流れてる支流の川沿いにもいちいち遊歩道が整備されてて…遊歩道を巡っていくのも面白い。
いつ整備したんでしょう?船橋市街付近の川沿いが面白い。
で、…さあ、本町通り現在はどんなとこかというと、
駅前通りよりか大きなビルが建ち並んでおり、駅前通りと違ってスッキリと整備されています。
歴史ある通りで、発展しているだけに、きっちり整備されています。
電柱も地中化され、美しい景観の街並みとなっている。
14階建てくらいのマンションがやけに多い。
様変わりしたようだ…。
でもちゃんとどのビルも低層階は店舗で、結構な商店街の通りとなっています。
ビルの上は大抵マンションなどとなっているが、あくまで「商店街である」通りなのだ。
代表的なベッドタウンだからといえよそこの維持を忘れてはいない。
もとの船橋のメイン商店街だと。伝えられているか?
よく見ると結構…というかここもだいぶ過密な商店街です。
モダンにスッキリ整備されてて、ビルも高いから感じにくいが…。
あと高いビルにまみれて所々に3階建ての低い商店長屋のような建物が建っているのが目につきます。
商店街を形作るいかにも商店の建物といった感じで良い。この商店街の独自的な建物??
…でマンション中途半端な14階建てばかりなんで不思議に思い、調べてみると、
マンションというのは15階建て以上になるとマンションに設置しなくてはならない設備(防災関連のものなど)が増え、
建設コストが増大するし設置するスペースを確保しなくてはならなくなったりするなどするため、
それを回避するために14階建てにとどめてるとかなんとか。
15階建てよりか大幅に建設費が安く、自由度が高い。ということか。
ギリギリラインなんでほんとはもうちょっと行っちゃいたいとこなんでしょうか?
15~19階建てとかのマンションってあまり聞かない…。
次ランクは20階建てか?
14階建ての次ランクからが高層マンションって感じ。
そういえばマンションの階数って結構決まってる…。
実際には15階建て以上…というのではなく、高さ31m以上だ…。
ぎりぎり30m以内になるのが14階建てと…。
30m以内で15階建てというのもあるにはあります…。
15階建てというマンションでもそれは恐らく31mは越えてないと思います。
マンションやビルなどの階数が切りのいい階数じゃないのにも事情があるんですね…。
でも本当にその数字はどっから出てきたんだ…てような階数のマンションとかビルは多い。
しかしそれはさておき…気になるとこですが、本町通り、そんな歴史の古い通りでありながら、歴史を感じるような古い建物は…
あまり見られない…
が、海老川の方にビルではない、古びたいかにも由緒ありげな木造家屋の商店が通りを挟んで向かい合って2件残っています。
北は森田呉服店、南の看板のある方は広瀬直船堂和菓子店。
ともに創業は江戸時代。
建物は江戸時代ではないようだが、大正7年や昭和初期と、戦前から存在するものとのこと。
昔は同じような木造家屋の商店だけが建ち並んでいたようだ。
森田呉服店、広瀬直船堂も1件のごく普通の本町通りの商店だったのであろう。
周辺が様変わりし、のちにここまで浮いた存在になろうとは…。
非常に昔の…その今と全く違い、木造家屋の商店が建ち並んでいたころの本町通りの過去の写真に写ってる森田呉服店、広瀬直船堂を見ると…
やはり不思議な感覚…。
どう比較しても同じあの建物なのに…
全然目立った存在ではないのだから…
あの目立ってる建物が…
同じ場所に建っているというのに…。
広瀬直船堂は創業安政年間とされてますが、それなら稲荷屋より古い…でも稲荷屋が船橋一の老舗と言われている…。
創業年がはっきりしていないからか?
しかしこんな時代まで建物ごと生き残ってしまうともういつまででもそのままでいないとあれですね…。
目の前にライバル店?もあるわけだし…。
森田呉服店の両脇には古いレンガの壁があります。何でしょう…
このレンガの壁は裏の御殿通り沿いの奥野呉服店脇まで続いています。
奥野呉服店もまた古い木造家屋だ。
森田呉服店と関係しているかどうかは不明。
奥野呉服店は森田呉服店の真後ろ…ではなかったです。
レンガの壁がどう続いているのか?壁でどの範囲が囲われているかは不明。
道がない奥まったとこって未知なるエリアだったりするんですよね…。
他人の敷地の中にまさかの建物とかがあったりすることがある…。
ほかにも本町通り~御殿通り間の真ん中には印象的な建物があります。
三角屋根のレトロな西洋風の建物とか…。
どうやってその建物まで行けるのか分からない…。
こういうところは道路から見えない(地主の人とか以外は見えない)ので、古い建物とかが隠されていたりする…。
同じ敷地に2つ建物があると、奥の建物の方は隠された存在となる。
地主の人からしたらみっともないものを隠せて好都合か…?もったえないか…?なんともないか。
しかし…話を戻しますが、森田呉服店、広瀬直船堂の2店はだいぶインパクトがあります。
周辺はビルだらけでビルの合間にぽつりと建っているわけですから。
歴史の古い商店街であることを伝える貴重な商店だ。
この場所にこんな商店があるのを見ると、この通りが歴史ある商店街なんだ。って思える。だからこんな発展してるんだって思える。
何も知らない人はこの2店さえなかったらここの歴史が深いのかなんて思うことなどないだろう。
ちなみにこの2店以外にも西の方に藤代酒店という古い木造の商店が残っています。
東の方のと比べると小さくて大して目立たない。
本町通りの木造の商店はこれら3店のようだが、密かにビルっぽく見える店の建物の裏が古びた家だったりもします…
現在の街の景観に合わせているような建物も見られる…。やっぱ歴史ある通り?
でもやっぱ名残がこれだけなのは寂しい…。
凄い変貌ぶりですが、こうなったのも仕方ないのか?
…藤代酒店から更に西へ行くと角のちょっとしたスペースに西向地蔵堂というとこがあります。
ここ大きなビルのふもとだしミニチュアに見える…。
西向地蔵堂がちょうど本町通りの西端。本町通りの終点。
ここにある数体の西向き地蔵(西向きの地蔵)は見るに船橋の番人。
東京側から本町通り(船橋)に訪れる人々を見張っている。みたいだ。
西向地蔵の先から歩道や街灯、そして建物がしょぼくなります。
まあキレイな景観ですが本町通りまでと比べたら…
西向地蔵先からは、最近よくありげな石畳のブロックの歩道です。
そして今まで完璧に直線だった道が若干ですが、S字にウネります。
このウネりはひょっとしたらかつて船橋にやってきた敵の勢いを抑えるもの、
すなわち船橋を守るためのものとして街の入り口前の道をこうあえて曲げた(クランクさせた)のかもしれない。
少なくとも船橋・本町通りの入り口がこの場所であったということは正しいだろう。
現在だってスクランブル交差点大神宮側よりかこっち側は商店街が短く、ここが入り口ですから…。
ウネり後もしばらくは多少本町通りの余韻が残っており、
まだ駅から近い方なんでデカいマンションが並んでいたりはしますが、本町通りではありません。
よく本町通りとも言われますが「海神共栄会」です。
実際本町通りは西向地蔵~海老川間のようだ。
本町通りとして整備され、扱われているのはその区間だ。はっきりした境界線がある。
毎年7月下旬に行われる“ふなばし市民まつり”の歩行者天国区間はまとまった商店街となっているその西向地蔵~大神宮間。
海老川~大神宮間は宮本通り。
船橋市民まつりは4日間に及び、フリーマーケット、パレード、花火などが開催される。
メインの日は駅前通り、中央通りも歩行者天国。
船橋は夜遅くまで丸1日人で埋め尽くされる。
年1度でもいつもと違った繁華街の様子を見れるのは面白い。
船橋市民まつりは2002年まで産業まつりといいました。
そっちの方がピンとくる…。
2003年からシンプルな名前に改名されてしまった…。
こんな話に…
で、本町通りの余韻、海神共栄会の商店街に入ってから木造家屋の商店は2件ほどあります。
ていうか海神共栄会なんて知っている人ほとんどいないでしょう…海神共栄会なんてどこにも書かれてませんし…。
存在を潜めてる商店会がたまにある…
山口横丁、駅前通りなどの名も街中に書いてないんで、わからないが、そこは知名度がある…
というか海神共栄会、海神と名乗っときながら大部分は海神ではなく、まだ本町です。
海神共栄会には本町通り延長線上の通り沿いのみでなく、周辺路地も含まれます。
ちなみに西向地蔵尊の場所は、元は処刑場とのこと。
処刑者の供養のために、作られた場所とか…。
処刑場が街の入り口にあったのにも理由ありげです。
当時こういう施設がこういう場所にあることは多かったようです。
こういう、付近に嫌がられるような施設は…
町外れに追いやられたとか…
町と町の境界線の、両者の町のどちらにも属さない場所に置かれたとか…
船橋もここがまさにその場所…。
であったんでしょう。
追いやられた…といった理由があるほか…
“街で悪事をするとこうなる”と、入り口でこういう場所を見せつけ、悪人を怖がらせ、街を守るといった意味合いもあるとか。
それであえて処刑場を街の入り口に…と。
そうなるとやっぱりここは本町通り(船橋)の入り口です。
きっぱり区分けされてた感じか…?
そういう地点…結構な大事な場所であったことでしょう。
普通にここに西向地蔵を設置したことには街を守る意味合いもあるとか…。
旧三田浜地区の本海川がここまで続いていて、ここに川が通っていたとの噂もあります。
川が本町通りをここで分断していた…となると、
入り口の内と外できっぱり街区分けされていた確率が高まります…が川のせいでここまでともなっていたのか…?
ともかく西向地蔵尊は船橋の入り口。
家の玄関のセキュリティが大切なように、「入り口」は大切。
…本町通り西側はこんな感じですね…。
東側の方も色々面白味があります。
というか東側の方が面白いです。
話が戻りますが…
船の橋「船橋」のあった海老川の先からは地名が本町ではなく、宮本になってます。
海老川が本町と宮本の境界線。
そのためか本町通りの宮本区間は「宮下サービスセンター」や「宮本通り」と呼びます。
そう、実はその区間は本町通りじゃない。
通りのあちこちに宮下サービスセンターって看板あるんですが…宮下サービスセンターってどこ?って長年思ってた…w
この通りの商店街自体のことだったんですね…。なかなかわからなかった。
サービスセンターって…、、商店街がサービスセンター?
宮下サービスセンターじゃ通りっぽくないんで当サイトでは宮本通りで行きます。
まあ宮本通りも本町通りでもいいかもしれません…。
でも宮本通りに入ると本町通りとは歩道や街灯などのデザインが変わります。
アーケードもまだ残されています。宮本通りはアーケード商店街。
よく見ると本町通り区間と様相が違ってるんですよね…。やっぱり違う通り。
本町通りとして整備されていないから(本町通りの整備区域外だから)昔のままなのであろう。
ここは大神宮の門前町の雰囲気が濃い…。
でも船橋駅から遠いので寂れてる。
かつては船橋駅前のような場所だった場所だろうが…。
見た目はかなりの商店街的な感じなんですがシャッター街化している。
かつてはアーケードがこの宮本通り区域だけでなく、そのまま本町通りにも及んでいたようだ。
アーケードが付いていたっぽい建物が見られる…。
どの辺までで途切れはどれくらいだったかとかは謎。
駅前通りのアーケードと繋がってた時期もあったりして…。
なんて思ってたら…
なんと本町通りは全域アーケード街であったことが判明!判明しました。
平成初期のころまで…と、割と最近までアーケード街だった…!
西向地蔵から大神宮まで、ほぼ途切れなく、歩道にアーケードが架かっていた…!
ですから、本当に駅前通りのアーケードとも繋がっていて、一体となっていた…!
なんと船橋駅から大神宮まで…天候関係なしで行けた。
雨でも大神宮まで傘は不要。
さらに言うと北口ヨーカドー裏のレランドセンタービルから大神宮まで傘不要ですよ…。
あまりにも衝撃的でしょう?そうでしょう?
あと注目すべき点は…アーケード商店街の長さが半端ない…。
本町通りの端から端までですよ…。
なんと小岩フラワーロードよりも長いです。
県内でこれ以上に長いアーケード商店街はなかったんじゃないか…?
そんな自慢のアーケードだったのに…
全然知られてないのが残念でならない…。
どうして知られていなかったのか…?
というかもはや日本有数クラスの長さだったのではないか…?
アーケード商店街と認定されていなかったりでもしたのだろうか…?
ほとんど途切れはなかったというわけだが…?
あそこからあそこまでとなると、アーケードは全長882mほどです…。
駅前通り~大神宮までだと912mほど…にもなる。
一続きの全蓋式アーケード商店街で日本一長いとこが、960mとなってますから大差ない…。
それに当時はどうだったか分からない…。
まあ本町通りにあったアーケードは大通りなんで、歩道だけの片屋根式アーケードだったわけですが…
全蓋式アーケード商店街の情報しか出てこないので、片屋根式アーケード商店街の日本一とかはどうなのかよく分からないわけだが…。
なぜ片屋根式は無視させるんでしょうね…?
全蓋式より長い片屋根式アーケード商店街は国内にあるのだろうか…?
当時の本町通りより長い片屋根式アーケード商店街は今のところほかに知りません…。
片屋根式の方が全蓋式よりも長い場合が多いだろうか…?どうなのか?
しかしあの通り全域にアーケードを被せる…なんてよくそんな壮大なこと実行しましたよね…。そういう時代だったんでしょうが…
アーケードのころも本町通りと宮本通りとで、一続きでありながら、別の区間として扱われたことでしょう…?
実際のとこは宮本通りは、本町通りではない、別の商店街…となってますから…。
本町通り区間だけの長さでもかなりのもの…。
でも実際まだ続いてるのだが、一緒と見なして扱いたいとこ…。一緒と見なすこともできるでしょう。
アーケードがあったころは本町通りも駅前通りと雰囲気が一緒だった…。
アーケードの下はショッピングモールみたいで…看板がたくさん垂れ下がっていた…。駅前通りのように…
駅前通りの感じが交差点すぎても大神宮までずっとですよ…。
もったいない…。惜しい…。
南口は本当に商店街の街だった…。
どこまでもとにかく繁華街だった…。
撤去されたのは残念な限りだ…。
今はないものはない…
信じたくないが、そういうことで話を進めます。本町通りを語ります…。
そうしないわけにいかない…。
本町通りを「何気に過密な商店街」…と最初の方で言いましたが…
元アーケード商店街なだけのことあります。
だからでもあった…。
でも今もアーケードのある駅前通りと比較するとだいぶ寂しい感じがしますが…
こっちの通りもアーケードがあったら大差ないでしょう…。
そのくらいアーケードは雰囲気を変え、イメージで重要な役割を担っていた…。
ということだろう。
あと本町通りに同じような感じの3階建てのとてもシンプルな似た外観の長屋商店のビルが多い謎も解けました。
そのいくつもある似たようなビルは皆…
本町通りの道幅拡大のための建物セットバックの時に…
拡幅された新らたな本町通りの道路ライン沿いに建設されたビルとのこと。
やっぱり同時期に一斉に建てられた同類のビルだったようだ…。
このビルには…セットバックのために解体されてしまった建物で営業していた商店が入居したようだ…。
立ち退き商店民達の救済のために建てたビルだった感じ…?
代わりの場所としてこのビルを用意した感じ…?
そういう約束みたいな…?
そういう事業みたいな…?
今はこのビル群は…シンプルで非常にしょぼいビルに見えるが…
当時は違ったのだろうか…?
当時の写真を見るに…木造の民家のような商店の建物しかない中にまみれてビルが建ってる感じで…だいぶ浮いてる。
ビル自体珍しかった。
あれではビルというだけで豪華な感じだったことでしょう。
しょぼい建物なんかでない。あんなのが当時は豪華な建物だった。
だから拒否されずにスムーズに、1つビルに移転?していけたんじゃないか…。
ということだ。
そんなビル。
このビルが豪華なビルなんて信じられない。
こんなのデザインするような時代があったんですね…。
このビルはテナントビルのような感じではなくて…長屋だ。
長くて道路に面した1階部分に店舗を軒並み並べてる感じ。
木造家屋群の商店街を1つの大きなコンクリートの建物に変貌させた感じ。
そんなでも当時なら豪華で本格的な感じの商店街になり、喜ばしかったということ…。
今なら木造1件屋の方がまだましに思える気が…。
現在はしょぼいですが…商店街だ。といった雰囲気を醸し出せている。そういう面ではいい感じの存在。
あとこの系統のビルが特にアーケードが取り付けられてたような風貌なんですね…。
このことに関してさらに詳しい情報を得ました。
どうやら昭和35~40年にかけて、本町通りの街並み改革が行われたようだ。
道路を拡幅するため、本町通り沿いにあったほとんどの建物がこの時取り壊された。
そして道幅の広くなった本町通り沿いには新たに建物が建てられた。
この時新たに本町通り沿いに建てられた建物は統一して同じ形の建物だった模様。
四角いコンクリート造の3階建て。1階部は店舗。
通りの両側全域をその建物にする。みたいな感じ。
それで本町通りはそのコンクリートの全く同じような建物がただただ並ぶ街並みに。
同じ四角い建物が壁のように本町通りの端から端までずっと続いていくその光景は独特だった。凄い統一性。
とにかく長い1つの同じ建物のようにも見えたでしょう。
もはや本町通りの長さと同じ長さの1つの建物で本町通りを賄う。かのような感じだった。通りの両側に建てるから建物は2つか。
その建物にアーケードが取り付けられていた。
本町通りのアーケードはこの時に出現したようだ。
この道路を拡幅してコンクリートの建物が続く街並みにした時に、歩道も作られ、歩道上にアーケードが作られた。
歩道と一緒にアーケードが。
コンクリートの建物はほとんど途切れていないですから、アーケードもほとんど途切れておらず、ずっと続いていた。
この街並み改革により、昭和40年には本町通りは四角いコンクリート造3階建てアーケード付きの建物がどこまでも続く街並みの商店街となった…。
この時の街並みの本町通りに行ってみたい…。
言わば道路拡幅で建物を全部壊すのを機に商店街の店を全部新しいコンクリートの建物に移した…という感じ。
当時では立派なコンクリートの建物が続く通りに変貌。
何かこうしたのには耐火化の目的もあった模様。
船橋市街では大規模な火災が何度かあったようで、そのことから木造家屋ばかりだったこの通りの建物を、
全部燃えないコンクリートの建物にしてしまおう。としてそれでこうしたとか。
通り沿いの建物を一気に全部耐火建物にする。なんていう事業は国内でも例を見なく、国内初の試みが行われんだとか。
そんな商店街でもあった。さすが本町通り。
その後年月を経て、そのコンクリート造の3階建て長屋の建物群は少しずつ取り壊されていった模様。
コンクリートの建物の時代が来て、何が耐火建築?って感じになっていって、時とともに全然凄くなくなってしまった。
それがその建物の取り壊され方が面白く、部分的に取り壊されていった模様。
部分的に切り離して取り壊せるように作られていたみたい。将来性を考えてだか…?
コンクリートの建物は長屋のような建物なわけですが、商店の入る1区画ごとに?切り離せる。部分的に解体して建物を短くできる。
繋がっている同じ建物ながら、部分部分で建物の所有者が違っている。ような感じ?
所有者の都合でその所有者の所有する建物の区域だけの解体してその土地を自由に使える?
建物の切り裂いて解体された場所には自由にその時代さながらな建物が建っていった。
解体してその土地を自由に使えるから、解体してみんな独自なビルに建て直していった感じ?
どんどんあちこちが解体され、そこに違う建物が建っていき…
その四角いコンクリートの建物は少なくなっていって、現在に至る。という感じか。
この四角いコンクリートの建物は現在も残っていますから…部分的な解体が現在でも時折見られます。
今の人は何も知らないんで非常に不思議に思うでしょう。
不思議な解体のされ方です。見物w
でも自分みたいにそんな街並みを気にしながら歩いてる人はいないんで、部分的に解体されたことなんか気付かない人がほとんどだろう。
その解体なんかすぐ終わってしまうし、解体後無理やり解体されたような風貌にはならない。きれいに部分的に解体され、自然と建物が短くなる。
まさか部分的に解体されたんで思わない…。
かつては本町通りの建物全部これだったんですからね…どれだけ切り離しまくってきたか想像できる…。
この解体のされ方は本町通りが発展していった歴史を知らない今の人には衝撃的。
もう本町通りの伝統のようなもの。こんな解体をやるのも伝統。歴史がある。
なんという商店街。
このコンクリートの建物が消滅するのはいつの日か?
もともとは通り沿い全部あの建物だったんですからね…驚き。誰も信じられないほど。
改革が行われる直前、木造の商店が建ち並ぶ最後の本町通りは…商店の看板になってる街灯?がとにかく並んでいる街並みだったみたいだ…。
夜はネオン街に変貌してたみたい…。
その最後の本町通りの姿を端から端まで描いた絵が残されているとのこと…。
その看板群が設置されたのは昭和31年みたいなんで…その看板街灯は単命だったみたいだ…。
アーケードが撤去されたのは平成5年みたい。
その年から昭和35年以来となる本町通りの街並み改革が始まったようだ。
この時に街路樹が植えられ、歩道の舗装も変わり、街灯も取り替えられた。色々なモニュメントのようなものなども設置された。
それで通りの景観を一新させた。それで現在の姿に。
アーケードも撤去された。1番大きかったのはアーケード撤去でしょう。
その時にここどこ?って思えるくらいまた本町通りは変貌したのかと。相当な変貌だったでしょう。
さらにこの改革の時、決まりとして建物は道路から2m以上離して建てないといけなくしたとか。
道路に直接面して建物を建ててはいけなくなったということ。
今時の街並みに変えるためにそんな…。
アーケードは建物にくっついてるものですから、道路に面してないとアーケードは残せない。
なんでいずれ全部なくなるわけだし、街路樹を植え、歩道、街灯なども一新したので、そうするために一気に邪魔なアーケードを撤去したのだろう。
アーケード商店街の賑やかな雰囲気の魅力を捨てたということ。
この時、「この通り沿いに新たに建設する建物の1階部はテナントスペース(店舗)にしなくてはならない」という決まりもできたとか。
これは嬉しい決まり。そう決めないといつか商店街の通りじゃなくなってしまいますからね…。
でもなぜか1階部に店がないただのマンションが建設されたりもする。
決まりを守っていない不正マンション!訴えたくなる。
本町通りの街並みをだめにしてることわかってる?
これで本町通りはスッキリした景観になり、「魅力ある街並みになった」とか評判が良いようですが、
商店街らしい…船橋らしい…アーケードの続く街ではなくなってしまって…個人的にはあまりにも残念な限りだ…。
この時、本町通りはまたその姿を変えた。
ここは街の中心的通りですから、常に立派な景観を保っていかなくてはならない。見っとも無い景観ではいけない。
時代の移り変わりとともに、その時代に見合った街並みに変化させていく必要がある。
平成5年の街並み改革も、時代にそぐわしくない街並みとなってきたから行ったのだろう。
これも時代の流れ…。
かつて重要視していたものとはいったいなんだったのか…?
道路に面して建物を建てたりし、賑やかな街並みを創出してきていたかつての昭和の街づくり方針…
その街づくりのやり方は間違いだったということなのか…?
今壊して違った形の街に作り直してるということは、そういうことでしょう?
国はそんな過ちを犯していた。それによって嫌らしさが生じてしまっていると…。
かつての街づくり方針を好む人は「そのままにしてほしい」と反発します。そもそも街づくり方針が変わっていなければそんなことはないわけです…。
もう何がどうあれ非常に発展している通り。ビルが建ち並んでいて商店街の街並みの迫力が凄い。
この本町通りは…昔からのメイン通りということでか船橋のイベントは駅前よりかこの通りを中心に行われることが多い。
イベントの多い通りでもあります。
とりあえず船橋といえばこの通りということを覚えておこう。
駅前通りにシフトしているので、そっちがメインかと勘違いしがち…。
一体となって買い物サービスを提供していたり…
街灯にスピーカーが設置されていて、通り全体にアナウンスやBGMが流せるようになっていたり…
正確に通りの区間が定まっていたり…
それに船橋のメインイベント会場だったり…
と…そういうとこが“サポートされた商店街”であることを実感できる…。
そう思うと本町通りは衰退の心配が多少和らぎます…。
アナウンスは駅前通りまで聞こえたりするが…
駅前通りが本町通りかと勘違いされないか少々心配だ…。
何かイベントでは毎度本町通りと宮本通りは一体になって開催されます。
で、会場は“本町通り”と一括しないで…
わざわざ「本町・宮本通り」とか表記しているんですね…。
宮本通りの存在は地元の人でも知らない人が多いので…
ややこしいんです…。
本町・宮本通りだと「宮本通り」の方が目に飛び込んでくる…。
本町通りの方がメインだから先に本町を持ってきてるんでしょうから正しい表記なんですが…。

船橋市街地の中心は本町通りですね。今も。
船橋市街の全体を見るとやっぱその辺りが市街地内のちょうど真ん中…。
北口側の市街は少しだけですから…。
これはかつて本町通りが街のメイン通りで、街の中心だった名残であろう…。
何もなかった地にいきなり船橋駅があそこにできたとしたら、湊町の辺りが発展しているはずもない…。
でも今は活気の湧き出ているポイント(人の入場ゲートみたいなもの〈バランスの中心〉)は本町通りではなくて船橋駅になってますから…
駅から離れた市街地が劣化してしまうと…。
まあともかく本町通りは今も船橋の市街地の中心。
本町通りは船橋の都心部。…
ちなみに…国内に「本町通り」という通りはよくあり、本町通りは船橋同様にどこも街の始まりとなった歴史の古い昔の中心街のように思える。
そもそも「本町」という地名は「本当のその町」。それを意味する地名。
船橋であった船橋は本町。
船橋の本町は“船橋中心部の地名”なんで、船橋本町を知らない人はあまりいない…と思います。
地名とは別に船橋市内のもとから船橋だった場所を“船橋本町”と言うことがあります。
船橋本町は地名が本町のとこですが。そこがだいたいそこなんで。
「元町」というのもある。こっちの地名の方がよりマジだったり。
船橋市は船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村の5つの町村が合併して昭和12年に誕生した。 このうちの船橋町だった場所がほぼ船橋本町。
船橋町の場所意外はもともとは船橋ではなかった。
市の名前になってるその地名のもともとの場所?っていうのがその市で最も繁栄してる場所。ほとんどの場合。
さらにずっと昔に遡ると「船橋」は市町村名ではなかった。
船橋町が誕生したのは明治22年。海神村、九日市村、五日市村が合併して誕生した。
この合併前は船橋の中心部は九日市村だった。
船橋の市街地のほとんどを占めてたのが九日市。
このころまではちゃんとした船橋の地名はなかった。
それまで「船橋」は街の呼び名のようなものであったようだ。
まあそういうのはたいてい地名になるんでしょう…。
というかまあその地名となる以前からほとんど地名みたいなものだったんでしょう。
大昔から船橋とは呼ばれていた。
あと言いたいのが…
本町通りの西側の入口付近に新しい未完成の計画道路が北へ2本、本町通り?から分かれて伸びてますが…
この1つめの計画道路前が西向地蔵尊で、本町通り終点の場所です…。
本町通りよりはしょぼい石畳の歩道は2つめの計画道路前までで終わります…。そこからの歩道の舗装は何でもないコンクリート。
つまり石畳の歩道の区間は2つの計画道路の間…。
この区間は現代に順応して延長された、本町通り拡大区間では…?!
そう思えたり…。
自分的にはそう思ってます。
あくまで今もその区間は本町通りとはされてませんが。
この本町通り拡大区間的な区間も…本町通り同様、まだ電線が地中化されています。
それは石畳の拡大区間までです。
…本町通りとの共通点は、この無電柱ということくらい。
ところで本町通りは昔成田街道の1区間だったわけです。
成田街道というのは街道ですから、広域で見て主要な道路だった。
船橋に主要な道路である成田街道が通っていて、そこが繁栄していた。そこが本町通り。
現在も本町通り区間を含むこの元成田街道の道は、どこまでもまっすぐ続いていて主要な道路っぽいですが…
国道ではないのであまり知れていません。そうなってしまっている。何の街道でもなくなってるし。
よく知れた主要な道路は千葉街道の方に完全にシフトしてしまった。
かつては成田街道のほかにも、船橋のこの付近には御成街道、行徳街道、上総街道と、3つの街道が通っていたとのこと。
最初の方で主要な道路(街道)がなぜか集結しており…と言いましたが、詳しく言うと集結していた街道は4つ。
御成街道は旧東金街道で…成田街道と完全に被っている。
本町通りの入口(西向地蔵)の場所が起点で、成田街道を進んでいきます。
現在の成田街道入口のT字路のとこから成田街道から枝分かれ?します。御成街道はそのまま直進。
序盤は成田街道=御成街道。ですが、別の街道。
成田へ向かう場合、東金へ向かう場合とでどっちの場合も同じとこを通るわけです…。どっちの街道でもある。
だからこういう場合、通る人が多く、被ってる通りの区間はよりいっそうの発展を期待できる…と。
本町通りは成田街道であり、御成街道でもある通りだった…。
行徳街道は…
現在の本町通りの千葉街道と合流するY字路よりも手前(正確にはJR少し手前あたり)から、
成田街道(現本町通り)から枝分かれして、海の方へ向かっていっていたようだ。
道路標識に「行徳 原木」と書かれてる方へ行ったとこが旧行徳街道だ…。
ずっとまっすぐ続いてはいない。旧行徳街道の道はほとんどなくなっている…
そんな道路があった…といった感じ。
この行徳街道も、成田街道と被ってます。
行徳街道はその分かれ道からではなく、本町通りの入口あたりからそうだったという可能性も。
だとすると本町通り~現JR線手前の分かれ道までの区間は成田街道と被ってた。ということに。
とにかく行徳街道の起点も本町通りだった…。
上総街道だが…
これは成田街道などとは被っていなかった模様。
上総街道とは、旧千葉街道のようだ。
現在の千葉街道にあたるのが上総街道。
かつては本町通りの1本海側を平行には通っていなかったようだ…。
現在の本町通りの終点、大神宮前の交差点を少し南(大神宮下方面)に行った辺りから上総街道で、
現在の千葉街道の1本内陸側を通ってる通りが、かつての上総街道だったようだ。
その1本内陸側を通ってる通りは、現在でも本町通り側から来て大神宮西ゲート前交差点を直進した通りと言えますし、
船橋競馬場駅を過ぎた地点から千葉街道と合流するんで、不自然はないですよね…。
上総街道は船橋からで、船橋~都心の間の区間はなかった模様。
現在の千葉街道は…きっぱりした海岸沿いの道路を整備するとともに、
都心とをより短距離で結ぶために現在のような形状にしたのか…?(できるだけ海岸沿いを通ると短距離)
現在、本町通りのサブ大通りのような位置づけの“千葉街道”はかつては、1本南に通ってはいなかった…となると…
本町通りはよほど主要な通りであった…ということが伺える。
千葉街道+本町通りで一体化したら…と考えると理解できるでしょう…。
広域で見ると現在では千葉街道の方が主要ですね。国道ですから…。
大体こんな感じ。
御成街道、行徳街道、上総街道は起点が船橋?
船橋は4つもの街道が集結する地点だった。
そんな地点は首都圏でもほとんどなかった…とのこと。
首都圏有数の交通の要所だった。
それも大昔の船橋の特徴でしょう。(交通の要所=人の集まる場所)
それがあったからここまで発展した。
発展していたから街道が集まった…てのもあるでしょうが…
それでよりいっそう…て感じか?
昔は鉄道がありませんでしたから、「街道」が現在でいう「鉄道路線」のような感じだった…と見れるだろうか…?
で、街道の途中にある宿場町…というのが、現在の駅…と見れるだろうか…?
「街道」=「路線」。「宿場」=「駅」。と。
成田街道で船橋宿の次の宿場町は大和田宿。反対、東京方面の次の宿場町は八幡宿。であった。
たとえると… 成田街道線の船橋駅の両隣の駅は、八幡、大和田。
といった感じ。 「鉄道」と「駅」…これは必須なんですね…。
それがあると、発展してるとこと、そうでないとこの差が大きくなって、街のバランスが悪くなる…
てのがある気がしますが…。。 それは人類ではしょうがないものなんでしょうか??
船橋宿は成田街道最大の宿場町で…首都圏有数の都会だったとか。
それだけに…なんですね…。
今と同じです…。
現在まで余韻が残った感じだったと…。
成田街道=御成街道=行徳街道。みたいな感じですから、そんなに街道が集結してる。って感じには一見は見えない…。
千葉街道のみならず、1本駅寄りの本町通りも街道であった…。と思っておこう。
実際、区間的に2つの路線が平行して走ってる路線ってのもありますね…。
そういうのちょっと無意味な感じしますが、ビッグターミナル駅付近なんて大体そんな感じでしょう?
成田街道はさらに昔は成田街道ではなく、佐倉街道といった…とのこと。
成田街道と呼ばれるようになってからも、佐倉とも言った…。
成田(佐倉)街道といったように表記されている場合もある…。
もとは東京と佐倉を結ぶ街道であったが、延長されて成田街道となった…とのことですから。
成田街道と佐倉街道は別物…とも見てとれるだろうか…?実際同じですが。
佐倉に行くために通る通行人もいたわけでしょうから…
その通行人は佐倉街道を通る通行人…といった感じで…。
あとから作られた佐倉~成田間は佐倉街道とは言いにくいですね…。
佐倉街道と呼ばれる街道はここだけじゃないようで、そう呼ぶとややこしかったりもするようです。
街道…ではなく、成田道、行徳道などのように、呼ばれていることもあります…。
まあ街道というのは過去のもの。
現在も○○街道と呼ばれる大通りがありますが、あくまで国道の愛称のようなものだったり…。
正式には国道○○号といいますね…。単に番号だと覚えにくい…
同じ名称でも、かつてのその街道と、現在のその街道とでは、若干区間やルートが異なったりします。
かつての街道のとこを旧○○街道…とそう呼べます。
ここでもそう呼んでましたと。
現在の成田街道はまた特殊なんです。
本町通りの通りをとにかくまっすぐ行ったあのT字路のとこが成田街道の起点…となってる場合ありますが、
あのT字路の旧成田街道とは反対方面も成田街道だったりします。
そのまま佐倉まで成田街道。
現在の成田街道は、東京と成田ではなくて、佐倉と成田を結んでいたり…。
昔と結ばれ方が違い、変に大回りなんで、たまたま結ばれただけっぽく、成田~佐倉間の移動でそこを通る人は少ないだろう…。
どうしてこうなったのか…?
こういう現在の街道の例はほかにあるのか…?
T字路の先は同じ国道でもありません。

宮本通りアーケード撤去履歴
場所撤去
詳細
海老川~京成高架間南側の一部分2011 クレアホームズ船橋の開発で商店長屋のビルの一部が解体され、
解体された部分に密着していたアーケードも一緒に解体された。
海老川~京成高架間北側2012 閉店した店の建物が解体され、
その建物に面していたアーケードごと解体された。
その建物に面していた部分のみならず、
隣のビルの前の部分まで巻き添えになって解体された。
これで宮本通り海老川~京成高架間北側のアーケードは消滅。
海老川~京成高架間南側の大部分2014 リビオ船橋本町通りの開発で商店長屋が解体され、
そこに接していたアーケードも一緒に解体された。
解体されなかったその長屋の隣のビルの前のアーケードまでもが巻き添えになり、
解体されてしまった。一気に商店街っぽさが薄れた。
京成高架~大神宮間の南側の大部分2015 エクセレントシティ船橋宮本(仮称)の開発で商店長屋が解体され、
そこに接していたアーケードも一緒に解体された。
この区間は不死身かと思っていたが…そんなことはなかった…。
この区間までもが見るに絶えない有様に。。
長い間、内側から変な解体のしかたしていたので、
また部分的に解体するのか…と思いきや、、全部壊された。
必ず建物に接している部分のアーケードを切り裂いて撤去したのちに、建物を壊す。



◆本町通り◆
西側の本町通り入り口より。
写真左端のとこが西向地蔵尊。
かつてアーケード街だった雰囲気が…。
◆本町通り◆
スクランブル交差点より大神宮とは逆方面。
◆本町通り◆
右の3階部まで西洋風で、4階以降が普通のマンションの大きなビルは…
2000年に竣工した再開発ビル「ライブ2000」。マンション名は「パークスクエア」。
右の歩道に建ってるのは…アーケードではないです。
市民まつりの時に使用した、仮設で設置された足場。
◆本町通り◆
「クレアシティ船橋本町」が建設中。
似たようなシンプル3階建て連棟ビルが目立つ。
◆本町通り◆
奥のかなり高い建物はパークタワー船橋。
本町通り沿いに建っている建物であり、駅前通り沿いに建ってる建物でもある。
2つ存在するような錯覚に陥ることも。
◆本町通り◆
コンクリートのビル街の中に取り残された木造家屋商店が両側に。
昭和36年以前の本町通り改革以前の…かつての本町通りの遺構。
右が広瀬直船堂、左が森田呉服店。
広瀬直船堂の木の看板にはあべこべで「廣瀬直船堂」と書いています。
◆本町通り◆
森田呉服店脇には建物に負けず劣らず年季の入った感じの、
何か迫力のあるレンガの壁が。
◆宮本通り◆
海老川を渡るとそこは宮本通り。
当然歩道にアーケードが出現する。
◆宮本通り◆
かつては本町通りも、西向地蔵からこんな感じだった。
いいサンプル。
◆宮本通り◆
京成高架(かつては踏切)を過ぎたこと。
目の前に大神宮が…。
大きなマンションの壁にアーケードが付いているのはどういうことか…?
あんなのが昔からっ…てことは…?
◆宮本通り◆
そして突き当たったとこがちょうど大神宮。
アーケード商店街と、大神宮のコラボが、いかにも門前町って感じで良い…。
提灯が出てる時期で、また良い…。
船橋駅前より、この風景が1番船橋らしい風景だったり。
この正面に見える大神宮の景観は、大昔から変わっていない…。
◆宮本通り◆
大神宮側から見た本町通り入り口。
本町通り終点でありながら、大変繁栄していて…
ここからこんな商店街であることをアピールできて良い…。宮本通りか。
◆宮本通り◆
京成線の車内より。
踏切だったころは…
こんな通りの真上から宮本通りと大神宮を眺めることなんて無理だった…。
◆宮本通り◆
宮本通り歩道側の風景。
アーケード…歩道のタイル…生垣の鉢植?…街頭…
この整備された商店街の通りの感じがたまらなくいい。
ここにもこういったとこがある。
正面は大神宮。
◆宮本通り◆
歩道側の風景。
ここのアーケード、独特なんですよね。
なんというかアーケードを支える柱が90度曲がってアーケードの横に付いている。
いつの時代に設計したものなんでしょう?
◆本町通り◆
本町通りの夜景。
夜は駅前通りと比較すると人気がない…。
駅前通りと比較しなければ、だいぶ明るい。
◆本町通り◆
夕暮れの本町通り。
すっきりした街並みのビル街。
そのはるか先が赤く輝いている。
左歩道の手前から2番の街灯が切れているのが微妙に気になったり。



ストリートビュー : 本町通り
↑道路をクリックしてとにかくまっすぐ進んでいってみてください。
ずっといくと宮本通り区間のアーケード商店街になり、大神宮の鳥居が見えてきます。

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