旧三田浜
かつてのレジャーランド、なんと水上家屋!?





ちなみに、市役所やパークハウスプレシア裏に山谷澪という澪があります。
澪というのは昔海辺に掘られた船の通れる水路のようなもの。
現在は千葉街道手前で行き止まってますが、かつてはその先のどこかにあった水域まで続いていてそこと結ばれていたとも。
山谷澪は別名本海川ともいいます。
で現在の残る山谷澪(本海川)の西際には…掘っ立て小屋民家(バラック)が立ち並んでいます。
この掘っ立て小屋民家群……オンボロです。
本当にオンボロなんです。
恐怖を感じるほどの貫禄…。
酷い家屋なんて、なんとすっ倒れて完全に倒壊してます…。。
それがそのまま…。
あまりに古びて自然崩壊している民家群の有り様は目にした者に強烈な胸騒ぎを与える…。
本当に古びていて植物の虜…。
中を見るのが恐ろしい…。
ああなるまでにはどれだけの年月がかかる…?
今じゃありえない手作り風掘っ立て小屋とはいえよ、特に何があったわけでもなく、自然にああなるなんて…掘っ立て小屋のもろさが伝わります…。
1件2件じゃなくてズラっと並んでいるのが凄い…。
そんなのが並んでちゃ…。
長い年月をかけ、蓄積してきたゴミや、取り付いていき枯れていった植物、過去のガラクタ…
過去が敷き詰まっているこんな「過去の塊」ともなるともう取り壊すのが惜しい…。
てか普通に驚くべきものなんでもう惜しい…。
これをまた作り上げるためには数十年は必要となるわけですから…。
お化け屋敷でもなきゃこんなもの作ったってしょうがないですが…。
倒壊家屋が放置されているってこと自体異常。
大震災で突然倒壊とかではなく、少しずつ傾いていっていつのまにかあの有り様になっていてそのまま…って成り立ちだからなんです…。
崩壊家屋に住むことなどできないので、崩壊家屋には何か生き物が住んでいたとしてももちろん人間は誰も住んでいないわけだが…
崩壊家屋の元住人は崩壊しかけたために立ち去ったのか…?崩壊してない家屋には誰か住んでるし…
でもそれともとっくの昔にこんなもろい民家なんか捨ててどこかへ立ち去ったいったのか…?
それとも家とともに高齢化していって家とともに倒れていったか…??
もう所有者が誰なのか全くわからなくない状態となっているようだ。
所有者の住人はもうその家屋のように寿命を終え、命を失っていそうだ…。
所有者の現在の有り様を物語っているような気がしてしまう…。寂しい…
まだ住んでいる家屋もなんとか持ってるが、高齢になっている住人が命を失ったら家屋も崩壊しそう…。
小屋群は山谷澪と山谷澪沿い?の道路とのすきまのスペースに立ち並んでいるのだが、
その山谷澪沿い(小屋沿い)の道路に面して入口(玄関)が作られている。(そこ以外に入口作りようがない)
山谷澪沿い道路がオンボロ小屋群の立ち並んでいる通り。
この通りはなぜか小屋の並ぶ川と反対側にも古びた家屋が多い…。
スズキストアーとか書かれたスーパーマーケットの廃墟とか印象的…。ここで親の買い物に付き合ったことがあったような…?
ここは…忘れられた街…!?
そんなように見えてくる…。
しかし山谷澪家屋群は本当に鳥肌もの。もの凄い。
想像を上回る現実らしからないダイナミックな大胆さ…。
これ以上に驚くべき町並みを見たことがない…。
特に気にする通行人がいないのがまた奇妙…。
川のすぐ対岸には、現代の近未来的でピンピンな超高層タワーマンションがそびえ建っており、周辺にオフィスビル群も見えるわけだが…
ここには水辺に荒れ果てたちっぽけな超オンボロ民家群…。
時代が異なっているかのようであまりの噛み合わなさに「近代的なそこ」と「オンボロなここ」、どちらかが幻のように思えてしまう…。
ともかく異様な光景だ…。
この異様さがまた印象的…。
過去と未来が融合したような光景は船橋ではあちこちでたまに見られるが、ここは特に強烈…。
でただオンボロなのが凄みなのではない。
裏の山谷澪対岸には未舗装だが歩行者専用の散歩道が整備されている。
川べりに桜の木も植樹されています。
この散歩道の川の対岸には掘っ建て小屋群が建ち並んでいるわけだが…
この散歩道(川側)…から見ると…反対(道路側)からだとわからないが、
どの小屋も川べりの斜面に立っており、木の柱で水平に小屋を支えています。なんと独特な建築…
まるでどこかの国の水上家屋のよう…。。
オンボロな上、作りがアンバランス…見るからに倒壊寸前…
持ってるのが不思議なくらい…。(まあ倒壊済みなのもあるが…)
なのにまだ住んでいる人いるようです…あんなちょっとした風で崩壊して川に転落してしまいそうなほどもろそうな家屋に…。
さらに多くの民家に川に面して不安定でオンボロで複雑で混沌としたベランダが付いているが、これが桟橋のように見えたりもし、
かつてやはりここは船の通り道で、ここの民家と船との直接の交流があったように思えてしまったりも…。
川べりのテラスなんてリゾートっぽいか?
それに…不安定な足場にもういつの時代からかわからないがやたらと並べられた花壇…吊られた洗濯物…
川と家屋の間のスペースを庭のように利用しており、そこにある栽培風景…
玄関とは反対のこちら側はあちら側よりか生活感を感じる…水と共に生きてきた住人たちの…。
民家自体のオンボロ手作り感…混沌とした密集感がまたなんともいえない…。
強風や地震などで崩れずに耐えてきたのが奇跡的なように見える…。
道路側が玄関なんで裏である水辺側はプライベートな方。
窓の外が水辺で開放的でいいかもしれない…。
テラスもある…。
自分ならテラス部に足を踏み入れる勇気はないが…。
この民家で過ごすのは怖くないだろうか…?
以外と見た目以上にはしっかりしているが…。
昔から住み続けていたんならここで過ごすのは当たり前で何でもないか…?
でもやっぱそのままでは危険な状態…。柱の浸食が…。
不要な民家とはいっても住んでいるからにはそれを気にしないのは…。
しかしオンボロであってこの異国臭…なんとも印象深い…。
昔この小屋郡がぴんぴんだったころ、ここがどんなだったのか…気になる…?
よくよく見ると凄いとこだ。
ここも船橋か……船橋。
どうやらこの掘っ立て小屋群は戦後、不法占領して立てられていったとか。
住まいを作るにはここは適していたのだろうか…?
斜面のこんな、土地といえないような土地なので、誰の土地でもなかった…?
長い月日が流れ、次第に過去がわからなくなっていったか…。
対岸の散歩道、未舗装で柵もなくあまり手の行き届いていない自然な感じだが、それが現在なのにここはあえてさながらで違和感ない…。
ちなみに掘っ立て小屋群、斜面の水平に支える柱が浸食して次々と川べりにずり落ちていっているようで、
あなたがこれを読んでいる時にはオンボロも限度に達し、ほとんど消滅してしまっている可能性が。
例え手つかずだとしても川に流されどっかへ行ってしまったりもする…。
たぶんそのうち全部がなくなり、川べり(澪か)のモダンな山谷澪親水遊歩道が整備されることであろう。なんとモダンに…(あくまで予想)
そうなると山谷澪沿い道路が本当に山谷澪沿い道路となり、道路の澪と反対側の建物が水辺の建物となる。
現在は道路澪側に家屋があるので、水辺だということは普通に見たらわからなと思うが、
この家屋撤去・家屋跡の遊歩道整備により澪沿いの開放的な通りへと変貌を遂げる。
予想ではあるが、そうなってしまう確率は非常に高い…。
というかすでに現在の澪終点の方には遊歩道のようなスペースが整備されている…。
オンボロ小屋で寸断されて途中で途切れているように見えるので、本当にそのように計画しているっぽい気が…。
続きの遊歩道も作ろうとしてるような気が…。
この現存遊歩道の場所にもかつては同じような掘っ立て小屋が建っていたのだろうか…。
川沿いというか川べりの低地沿い。
よく見ると異様な民家群、やっぱなくなると寂しいんで、遊歩道はできなくていいからなるべくいつまでも残っていてほしい…。
危険なんで生き残っていようが本当はすぐにでも解体しなけれならないんでしょうが…。
東日本大震災ではすぐそばの湊町観測所で震度5弱を観測したようですが、道路側から見たところ何事もなし。
案外揺れで建物は崩れない。これが崩れないなら崩れる建物なんかまずない。これ以上に貧弱そうな建物は見たことがありませんから…w
しかし驚きましたね…意識してここの民家群を見てみた時は…。
地図で改めて見てなんとなく思い出して気になっていたが、よくよく見たらまさかここまで…。。
こんなとこのこんなのの噂なんて聞かないんで、まず実際に見て初めてこの凄みを発見したのだから…。こんな身近なとこで…
当初はネットでも一切情報はなく、凄いと思うのは自分だけなのかと思ってもいたが、
そのうちこの山谷澪沿い家屋群を取り上げた記事などが出現し、今更になってネットでここの情報が増えていった…。
ここに誰も注目しないというのはおかしかった…。
知られていないからこそ発見した人は驚くものであった。
やはり凄いと思うのは自分だけではなかった…。
ていうか特に興味深くなかったころはこんな超オンボロ水上家屋?見ても特に何とも感じていなかった…。不思議…
小さいころはここよく通ってたんですがね…。ここの家屋もちゃんと目に入っていた。いつも見ていたのを覚えている。
でもこれ見ても「ただの家」って感じなだけだった…。不思議。
山口横丁なんかもどう見たって商店街の通りなのに、なんにも意識せずにありのままに歩いていた子供のころは
単に明るい雰囲気の裏道としか感じてなかった…。しかし意識して街並みを良く見てみたら…「商店街」だということを発見したり…
意識して眺めてみないとわからないために、身近な場所でも改めて散策すると色々な発見があって不思議な感じを味わえる…。
でも1度意識してしまったらもうありのままだったころに戻れない…。
ありのままに感じることはできない…。
ありのままのころに感じていたことは大切…。
ありのままに感じていたことが真実のような印象になる…。
ありのままでもよい…。いつまでもありのままでもつまらないが…。
それでだが…山谷澪の掘っ建て小屋群の対岸~市役所間のあたりは昭和(前半)のころ「三田浜楽園」という遊園地!であったとのこと。
動物園、野球場、海水プール、ラジウム温泉、ボート、遊技場、釣り施設、割烹温泉旅館などがあったらしい…。
東京近郊(東京湾岸ウォーターフロント)の観光スポットの1つだったとか。。!
一体どのあたりに動物園とかあったのだろうか…?想像つかない…。
三田浜楽園の敷地であった場所の大部分はパークハウスプレシア&パークハウスプレシアタワーの敷地だと思うが、そこだけではないだろう…。
海辺だけに敷地の大半が池やプールなどの水域だったようにも見える…。
近隣の湾岸にはかつて船橋ヘルスセンターや谷津遊園などの遊園地もあったはずだが、
三田浜楽園はそれらよりも先にできており、東京ベイウォーターフロント娯楽施設の先駆け。
現在千葉の東京ベイウォーターフロントに遊園地は舞浜にしかありませんが、他に京葉線各駅周辺にはその他の様々な娯楽地が存在していますね…。
…その後三田浜楽園は経営難により規模が縮小していって遊園地とは言えなくなっていったみたい。
すぐ隣に船橋ヘルスセンターができた影響が響いたか?
ヘルスセンター開業前に遊園地なくなっていたかもしれないが…。
ちなみに三田浜楽園はまだ壊滅していません。
フライングオープンしたかつてからの三田浜楽園の施設の割烹旅館が大正時代から2件生き残っています。
いや1件は2006年に解体された。「三田浜楽園」という旅館であった。三田浜楽園の三田浜楽園…ややこしい。
生き残っているのは三田浜楽園隣であった「割烹旅館 玉川」という旅館。
昔から船橋を代表する割烹旅館のようで地元では結構知名度はある気がします。天然温泉もあるとか…
当時からの歴史を感じる木造の立派な楼閣風の建物で、かなりの迫力。“玉川”のネオンサインがシンボル。
3棟からなっているが、どの棟も雰囲気は一緒。
ここ、昔は海辺だったかもしれないが、現在はビルの建ち並ぶビルに囲まれた一角に1つ建っている感じ。なんで余計に浮いてて印象的。
コンクリートのビルの建ち並ぶ一角に1つ古い木造建築物が…
今時のオフィス街に和の楼閣なんかが紛れてるんですから…。
特別な存在感が強い…。この特別感…未来都市に和風の家屋が存在してるようなもの…。
現実だが現実味がない…。おとぎの世界的…
辺りは様変わりし、取り残されてる感じだが、それでもここだけはずっと同じ場所で営業し続けてきた…。何か根性を感じる…
今は海辺でもないしここが海辺だったなんて誰も思ってもいない…。
三田浜楽園周辺が普通に船橋市街地になってるとか当時としては驚きかもしれない…。
ちなみに同じような楼閣風の建物は千葉街道の向かい側路地にもあります。詳細は本町二丁目の項にて。
遊園地なくともここを三田浜楽園と言えるのか…?
山谷澪終点付近に三田浜楽園の看板が掲げられていた気がするが、今でも三田浜楽園なのか?楽園?
三田浜楽園なくなったとするならそれはいつごろか…?
割烹三田浜楽園がなくなった時点で三田浜楽園の名はこの地域からほぼ消えたが。
ちなみに割烹三田浜楽園の建物は最後は隣の玉川と比較するとさほど風情のある外観ではなかった。かつては玉川と似たようなものだったのか?
で…オンボロ掘っ建て小屋群は三田浜楽園に面していたのか?
三田浜楽園がよく見える目立った存在であった可能性も…。
そういう存在だったからこそ建ち並んだのか?三田浜楽園との関係性はあるのか…?
オンボロ掘っ建て小屋群も当時はオンボロではなかっただろうから単に異国情緒漂う味のある民家群だったか。
怖くていやな印象なんてもたらしてなかったことだろう。
あれの目の前が遊園地とか…もう更に想像つかない…。
現在三田浜楽園跡地は超高層マンションなど…小屋群目の前の散歩道はかなりひっそりとしている…。
小屋群の手作り感は当時は大した味ではなかっただろうか?普通にそういう建築がされてたころなわけだが。
ちなみに…三田浜楽園のできる前は…ここは「三田浜塩田」という塩の採れる浜辺の塩田だったとのこと。
三田浜楽園は浜辺を埋め立てて作られた場所のようだ…。となるとやっぱもとは千葉街道が海岸線と…。
ここは三田浜という“地名”だったのでしょうか?
今は湊町ですが。
いや三田浜って浜か?元は浜辺の名前?東京の三田がどうのとかっていうが…
三田浜というのは湊町2丁目だけでなく、千葉街道向かい側本町2丁目の船橋新地のあたりも三田浜と呼ばれていたようだ。
新地のエリア内にも三田浜薬局、明治牛乳三田浜販売所、三田浜鍼灸治療室といった店や、三田浜町会など三田浜の文字が見受けられる…。
三田浜と呼ばれていたことは確かでもそれが地名なのか何なのか…?



◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
青いバラック小屋が並んでいる。
だいぶ解体されてしまったものの、まだ結構残ってるんで、見ておくなら今のうち。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
この建物は外壁が木の板でできている部分が。結構迫力がある。
この写真だとわかりにくいが、この建物もかなり傾いている。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
空き地になっている部分が多くなってきている。
いちいち「立入り禁止」などの看板が立てられている。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
わりと家っぽさのある家屋。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
火事にでも遭ったのか?と思わせられるくらいの荒れ果て様。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
オンボオバラック群のバックに近代的な超高層マンションが…。
◆オンボロ小屋の立ち並ぶ通り◆
1番河口寄りの端に立っている小さな民家。



ストリートビュー : オンボロード
かってに新しい写真に切り替わってしまったらタイムマシンで古い写真に戻しましょう。
2014年時点だとオンボロ小屋がだいぶ撤去されてきてしまっている…。

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