◆ 言動講座 ◆

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言動講座最善の言動法について言動学言動考察

良い言動とは何で、それをできるようにするためにはどうしたら良いのか?その答えを示す。

人は皆、良い言動をしていない。
その自覚はないかもしれないが、それが現実。
では、良い言動とは何で、それをできるようにするためにはどうしたら良いのか?
それはまず悪い点を知り、それを悪いと認識することに始まる。
皆悪いことに気づいていないから、悪い言動をしてしまう。
悪いとわかっていて悪いことをすることもあるが、気づいていない場合と比較すると圧倒的に少ない。
悪い考え(悪い点、言動)に気づき、それとは別の良い考えを認識ことで、良い言動をするようになる。
注意!良い言動、悪い言動などと言っているが、良い悪いの基準は曖昧。
実際はこの世に良い悪いと断言して言えることは何もない。
強く言っておく。
ここで言うところの良し悪しは「あくまで管理人の持論として」の良し悪し。



悪い点(21)それに対する助言(良い考え)
自分の考えを押し付ける 非常にありきたりなこと。
これには苦しめられる。
人はそれぞれ別のやりたいこと、別の幸福がある。
押し付けられたら不愉快だし面白くない。
これは絶対にしないことを意識した方が良い。
自分の考えを押し付けない。
自分の思うあらゆること、自分のしているあらゆること、自分のしたいあらゆること、
自分の趣味、自分の好きなもの、自分の嫌いなもの
自分の感じることを強制的に共感させようとしない。
共感するものと思い込まない。
共感しないことを認める。
人はそれぞれ違う。
よくわかっていないのにどうこう言う 失礼なことになり兼ねない。
よくわかっていないのだから、間違いだらけかもしれないわけだ。
せめてそれで決めつけて堂々とどうこう言うのはよすべき。
よくわからないなら、決めつけて堂々とどうこう言わない。
言葉の意味を変えて自己流に解釈する 言葉を言葉通りに捉えず、一部嘘と見なす。
言葉が真実であったとしたらならどう?
言葉を発した相手に「「非常に」」悪いことをし兼ねない。
真実なのに、真実と認めず、それをやり続けていたら、
相手は間違ったことを思われ間違ったこと言われ続けるだけになる。
真実は互いに悲惨。
だから、人の言うことは基本信じるべき。
言葉の意味を変えて自己流に解釈しない。
言葉の意味を取り違える よく言葉から全く無関係なことを読み取ってしまう。
全く同じ1つの言葉でも人によって真逆の意味に捉え合ったりする。
そうしていると見たりそうしていないものと見たり、
信じているものと見られることがあれば信じていないものと見られることもあったり…
人は「こうであるべき」という持論に反することに敏感で、
そこに意識を強く向けることで悪い方向に持っていってしまうのか?
本当に人間は難しい。
同じ言葉で言い表す「感覚」でも何をもってその感覚を感じているかが違ったりもする。
人間と絡むと、思っていた展開とは全く違う展開になる。
言葉の意味を取り違えない。言葉は複数の意味に取れることを自覚する。
自分がそうだと他人もそうだと思い込む その思い込みは、自分の中での定義となる。
その定義は他人には当てはまらないことがある。
それで矛盾が生じて対立し憎み合う。
自分にとっては絶対なことも、他人にとっては絶対ではない場合があります。
自分が「それとこれとは絶対結び付く」と思っても他人の理論的にはとても結び付くようなことではなかったりします。
思いもよらないことだったりします。
決めつける前によく考えてください。厄介になる。
自分がそうだからといって他人もそうとは限らない。
同じ「人」と言えよ、脳の作りが全く違うこともあります。
何に価値を感じるか?何をしたいか?どう考えるか?どう見るか?
どういう願望があるか?どう思いたいか?何が理解できるか?何が理解できないか?
何が苦か?何が損で何が特か?何を重要視しているか?何に目をつけるか?
どこをどう見るか?何が絶対か?何に関心を持つか?どう思いたいか?何を信じているか?どんな心か?
何に幸せを感じるか?何をどう感じるか?感覚をどう感じるか?人それぞれ。
何をどうするのが良いかも人によって違う。
そんなで他人のことは自分には何もわからない。
即ち自分がそうなら他人もそうだと思い込んではいけない。
「自分は嫌な人達とは違って良い行いをしてる」
と思い込む
ほぼ誰しもそう思っている。
だがそれは違う。
どんな人でも、誰かから見ると違う。
そんなで自分自身の行いは良い、即ち皆「自分自身と同じようにすることが良いことだ」と思う。
人を皆自分と同じにしなくてもいい。そうさせなくていい。
自分自身こそが最高の人間ではない。
理解してほしい。
「自分は嫌な人達とは違って良い行いをしてる」と思い込まない。
「自分自身と同じようにすることが良いことだ」と思い込まない。
「自分は悪くない」ものとする 人は皆そうする。
そうする気質がある。
自分の悪さは自分にはわからない。
皆、自分のことはほとんど誤解している。
こう言っても皆、自分自身が誤解しているとはまさか思わない。
正しいと思って、わかっていると思って、その思いに基づいて言動している。
だから、良いことをしていると信じている。
いかなる場合も、誤解し良くないことをしているかもしれない。
深く追求するか、否定派と話し合えばわかる。
いつも身近にいる人は、その人のことを絶対わかっているということはない。
むしろ絶対わかっていると思い込んでしまいがちなので要注意。
いかなる場合も悪いのは自分だと捉えられる解釈がある。「自分は悪くない」ものとしない。
確かな証拠がないのに堂々と否定する 否定は「自分の認識が間違っているかもしれない」ことを眼中に入れた上でするべき。
間違えていて、凄く失礼なことをし兼ねない。
確かな証拠がないのに堂々と否定しない。
知っていることを教えてくる 知らないものだと決めつけた感じでそうしてくる。
相手の立場になって考えてみてください。
知ってること考えたとのあることしか言われないとナメられているような気しかしない。
いや、間違いなくナメられている(馬鹿にされている)と思う。
「それもこれもすでに知っていて考えた上で言動していた」場合、
当然、教えたことを受け入れることにはならない。これも忘れてはならないこと。
なのに「受け入れないから頭おかしい」だとか思い、争いを起こすのはめちゃくちゃ。
相手のことをわかっていないのにあからさまに発言するその人の方が酷い。おかしい。
ひたすら人を馬鹿にしているだけ。
「教える」ことは、「知っているかもしれない」ことを意識した上でするべき。
そうしないと嫌がられ兼ねない。
人は知らず知らず、頻繁に爆弾発言している。
心配、不安で逃げる 心配、不安だとか、こうだろうああだろうと思ったりで何もせず逃げる。
良くない。
何でも「現実の結果」を見て判断するべき。
本当に心配すべきことなのか、確認する。
確認して得られた情報が、現実の結果。
心配、不安により、何もせず逃げない。
認識は思うこと信じること印象しだい 悪いと思われていると、そのものの認識を悪い方向へ持っていき、より悪いと思う。
良いと思われていたら良い解釈へ結び付け良いように思う。
悪いと思っていたら全てが悪く見える、良いと思っていたら全てが良く見える。
悪い人と思っていたら悪いことはその人がしたこととする、良い人と思っていたら良いことはその人がしたこととする。
そしてかってに確信を強めていく。
悪い人だと思う人が良いことをしたと言っても、信じない。
良い人だと思う人が悪いことをしたと言っても、信じない。
そういうもの。
結局思うこと信じること印象しだい。
できない人と思っていたら、何も知らない人と思っていたら、普通と違う人と思っていたら…それもこれも同じ。
そう思われていたらそれ相応の解釈をされる。
そんなでずっとその人の思っている形はそのまま。
人のその「思うこと信じること印象」を変えさせて真実を理解させるのは難しい。
本当に人間は厄介。
そういうように思っていると、そういうことを考えて不確かなことはそういうことにしてしまう。
悪い人(悪いと思われている人)はその人自身のあらゆることを「悪さの原因」とされ、あらゆることが悪いことにされる。
どこもかしこも何もかも悪く、良いことはない。
「この人はこういうやつだ」と一度思うと、誤解でもその人はいつまでもその通りに見える。
何でも信じていれば、全く違っていても、信じる通りに思える。
これには驚き。
現実の結果を自分で見て判断してほしい。
特に感情で動く人は、結果で判断しない。
曖昧な思考でいつまでも曖昧なまま。
よほどのことがないと認定しない。
なんとなく信じたことをいつまでも信じ続ける。
言行は真実か、対等か、馬鹿にしていないか、メリットがあるか、間違っていたらどう思われるか、
自分自身の願望が出ていないか、そういうことに照らし合わせてからするべき。
人の心が読めないのは誰?
認識は「思うこと信じること印象」で決めない。認識は現実の結果を見て決める。
「個人的に矛盾してる思うこと=100%嘘」とする 間違っています。
矛盾しない解釈を貴方が見いだせていないだけかもしれません。
それは十分ありえることです。
何せ「考えられること」はいくらでもあります。
真実の場合、相手からすると、まず信じてもらえないのではどうしようもない。
「個人的に矛盾してる思うこと=100%嘘」とはならない。そう認識しない。
80%本当と認識するべき。
何でも100%はない。
了承を得ずに相手のことを他人が決める それはいけない。
皆それぞれ別の考えのもとで動いているのだから、そうして相手から良かったと思われることなどほぼないだろう。
人は自分の思い通りには動かないもの。
思い通りに動かすことを望んでいては誰も幸福になれない。
何でも人どう捉えられるか?どう思われるか?どういう意味だと思われるか?どう考えられるか?未知数。
だから、その行為は恐ろしい行為。
了承を得ずに相手のことを他人が決めない。
人のことがわからない 人はそれぞれ違うので、いろいろ解釈も違う。
人による人の言葉の解釈は、よく間違ったかってな解釈になる。(誤解する)
自分の思ったこと以外の解釈があること、自分の解釈が間違いかもしれないことを視野に入れるべき。
自分には人(相手)のことがわからないことを自覚する。
「頭が悪い」と、自分自身ではなく
相手が頭が悪いものかと思い込んだりする
はっきり判断ができず、単純に自分の思ったこと信じることに任せる。
自分は悪いと思っていないがために人に当たる。
過去を忘れ、過去を適当に良いように変えてしまったりもする。
「確かな記憶や確かな証拠がないながら過去のことに関する発言をする」のが当たり前になっており、
間違いを真実と思い込む。
いろいろなことにおいてそう。間違いを真実と思い込む。
ある意味怖い。「頭が悪いことは罪」とも言える。
頭が悪いなら、特に相手を悪いと思い込むことをしないように気をつける。
知識が薄く視野が狭い人は、
自分ではなく相手の方の知識が薄いものと思い込む
で知識が薄いから誤解している、正しいのは自分の方と認識する。
誤解しているその人は、丸っきり自分の方なわけだが。
何となく馬鹿にされているような人は、特にそう思い込まれやすい。
馬鹿にされている人の言動は認められない。
いろいろわかること、できることを知らなくて、それは違うと思い、自分のその人に対して思うことを曲げず、惜し通す。
話し合わないからには、何でも自分の思いのまま。
本当、人は嫌な気質ばかり。
知識が薄く視野が狭いなら、特に知識が薄いのは相手の方だと思い込まないように注意する。
それは自分の方かもしれない。
常識外のことを信じない 常識外のことなど誰も信じないもの。
人は普通しか受けれないもの。
常識外、想定外、規格外、例外…そういものは基本、「ない」ものと見なされる。
「確実に嘘」と認識し、それをベースとした考えを固める。
常識外の人がいた場合、常識外のことが実際にあった場合、ともかく受け入れない認めない。
常識外の存在は悲惨。救いようのない存在になってしまう。
常識外のこともそれなりに信じてみる。
言うことを受け入れず馬鹿にする 真実だったとしたらどうですか?酷く失礼なことになり兼ねない。
「疑わしい信じられない理解しがたい本当だという証拠がない」
「証拠がないので事実かどうか誰も分からずどうもならない」そういった考えも良くない。
「本当」と言ってもわかってもらえない、
受け入れて(信じて)もらえないそんな人だらけの世界では、言葉の存在意義なし。
せっかく言葉があるのに、これはないでしょう。
本当なら笑えるような話ではなくても、人は信じず、平気であざ笑い馬鹿にし冷たい目線で見たりする…。
よくそんなことができるもの。
人間というのは信じられないような生物。
わかってないのにわかっている素振りをしているわかっていると思い込んでいる
無意識に逆のことを思っているなどと認識し受け入れないのも酷い。
人に他人のことはわからない。その人をわかるのはその人自身だけ。
その人自身が自身に対して言うことを否定し、他人の方がその人をわかるなどと認識するのは、ありえないに近い。
どんなことでもあからさまに言うことを受け入れず馬鹿にしない。
間違えている で間違えた言動をする。
間違えて(誤解して)いても、その人は「正しいと思っているから」そういう言動をするわけなので、
その人はこう言っても戸惑い、なかなか受け入れない。
誤解されるとこちらが誤解しているものかと思われたりする。
誤解しているのはそちらだというのに。
人は自分の出した答え以外の答えはないものと見る。
誤解だらけで本当に面倒。
1つ間違われると全くもって的外れな思考をされてしまう。
どんな言動も、間違えていないかどうか、よく考えてみるべき。
ほかに誰もしないことをしている=常識知らずの馬鹿とみる 一体なぜそうなるのか?
皆常識に洗脳された凡人。
常識知らずではなくても、常識外れなことをあえてすることがあります。
意図した独自のやり方というがあります。
そう思われるから、常識外のことをすることを躊躇うことになる。
つまらない、変わらない、進歩しない…
常識洗脳は、良くない。
ほかに誰もしないことをしている=常識知らずの馬鹿とみない。その認識は理に適っていない。
相手がわかっているはずのことを
自分の口からオウム返しするように言い聞かせる
謎の行為。
これをする人はあまり多くはないかもしれない。
自分が言い聞かせて教えたということにでもしたいのか?
何なのか?
相手側からしたら、ただ不快で逆に気力をなくさせるだけ。
相手がわかっているとわかったなら、そのことを受け入れる。

人間は(本講座の内容に基づいた考えでは)愚かと言える。
いくらでも「悪い点(とした点)」がある。
↑悪い点、良い考えは認識できただろうか?
全て助言の通りにすれば良い。
そうすればあなたは良い言動をする人間、即ち良い人間
全ての人がこれらの「悪い点」を全て持っている(当てはまる)とは限らない。
ごく稀だと思うが「ほとんど当てはまらない」という人もいるかもしれない。
当てはまる悪い点が少ない人ほど優秀。
管理人はほぼ何も当てはまらない。(閲覧者は「お前全部当てはまる」みたく思っているかもしれないが酷い誤解)
考えてみればわかるだろうが、当然。
何せ良し悪しを定めた伝える側の人間。
改めて言うが、良し悪しは全て個人が個人の中でそう定めたことにすぎない。
ここで言うところの良し悪しもそう。
良いも悪いもない。良し悪しに絶対はない。
だから、本講座の内容をあからさまに絶対的な否定のしかたをするのはおかしいですし、同様に肯定するのもおかしい。
否定も肯定もあくまで「あなた個人の見解」だということを忘れずに。

※誰しもこうするべきああするべきと思うこと(持論)がある。
そういうこと(持論)は全てあくまで個人的な指針、個人的な答え。
(実際には)良いも悪いもない。
だから、自分自身が良いと思うことを押し付けたりしない。
考えや想いが異なっても良い。
相手を幸福にしたいなら、自分の考えに基づいて相手の行動を封じたりするのではなく、相手の考えや想いを理解してそれに沿うようにするべき。
自分は相手とはまた別。
それぞれ自分らしく自分自身の考えに基づいていく。
で相手とは違う自分の考えを隠すことはしない、言う。
考えが一致しないことはだめなことではない。
相手に何か気づかせることがあるかもしれない。
ないならそれでいい。
これなら怒りや憎しみが芽生えず、争いも起こらない。
その上参考として人の意見も聞ける。
否定して妨げたり望んでいることに対して逆行するようなことをさせたら、不幸にさせる。その人だけでなく皆不幸。
何せ嫌なら、その人も周りを嫌にする態度をとって(対抗して)くるもの。
「幸福にするために妨げる」ような人がいるが、それで幸福にはならない。
そういう人は、相手の考えに対してそれはおかしい間違い
どうしてそうしないそういうことが思いつかないorそういうことを知らない意味不明馬鹿などと認識するため、妨げをする。
たいていは、おかしくも何でもない。その人と話し合えばわかる。
その認識のしかたは最低。
思いついているかもしれない知っているかもしれない、でも根底に自分とは全く違う考えがあったり自分に何か決定的な間違いがある“かも”しれない、
“考えられること”は自分の思考できる範囲外にもあるんだと認識するべき。
おかしいと思うことは、そう認識した上で、疑問として思った通りに言う。
言ってはいけないということはない。言う方が良い。
思いもよらないような回答が返ってくれば、自分自身が成長できる。
相手の方が間違っていたなら、良い指摘になり、相手を成長させられる。
その人の考え、自分のわかっていなかったことがわかる。
互いにこの思想を理解していると尚更良い。



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