悪い点(31) | それに対する助言(良い考え)
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自分の考えを押し付ける |
非常にありきたりなこと。
これには苦しめられる。
人はそれぞれ別のやりたいこと、別の幸福がある。
押し付けられたら不愉快だし面白くない。
これは絶対にしないことを意識した方が良い。
自分の考えを押し付けない。
自分の思うあらゆること、自分のしているあらゆること、自分のしたいあらゆること、
自分の趣味、自分の好きなもの、自分の嫌いなもの
自分の感じることを強制的に共感させようとしない。
共感するものと思い込まない。
共感しないことを認める。
人はそれぞれ違う。
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よくわかっていないのにどうこう言う |
失礼なことになり兼ねない。
よくわかっていないのだから、間違いだらけかもしれないわけだ。
せめてそれで決めつけて堂々とどうこう言うのはよすべき。
よくわからないなら、決めつけて堂々とどうこう言わない。
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言葉の意味を変えて自己流に解釈する |
言葉を言葉通りに捉えず、一部嘘と見なす。
言葉が真実であったとしたらならどう?
言葉を発した相手に「「非常に」」悪いことをし兼ねない。
真実なのに、真実と認めず、それをやり続けていたら、
相手は間違ったことを思われ間違ったこと言われ続けるだけになる。
真実は互いに悲惨。
だから、人の言うことは基本信じるべき。
言葉の意味を変えて自己流に解釈しない。
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言葉の意味を取り違える |
よく言葉から全く無関係なことを読み取ってしまう。
全く同じ1つの言葉でも人によって真逆の意味に捉え合ったりする。
そうしていると見たりそうしていないものと見たり、
信じているものと見られることがあれば信じていないものと見られることもあったり…
人は「こうであるべき」という持論に反することに敏感で、
そこに意識を強く向けることで悪い方向に持っていってしまうのか?
本当に人間は難しい。
同じ言葉で言い表す「感覚」でも何をもってその感覚を感じているかが違ったりもする。
人間と絡むと、思っていた展開とは全く違う展開になる。
言葉の意味を取り違えない。言葉は複数の意味に取れることを自覚する。
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自分がそうだと他人もそうだと思い込む |
その思い込みは、自分の中での定義となる。
その定義は他人には当てはまらないことがある。
それで矛盾が生じて対立し憎み合う。
自分にとっては絶対なことも、他人にとっては絶対ではない場合があります。
自分が「それとこれとは絶対結び付く」と思っても他人の理論的にはとても結び付くようなことではなかったりします。
思いもよらないことだったりします。
決めつける前によく考えてください。厄介になる。
自分がそうだからといって他人もそうとは限らない。
同じ「人」と言えよ、脳の作りが全く違うこともあります。
何に価値を感じるか?何をしたいか?どう考えるか?どう見るか?
どういう願望があるか?どう思いたいか?何が理解できるか?何が理解できないか?
何が苦か?何が損で何が特か?何を重要視しているか?何に目をつけるか?
どこをどう見るか?何が絶対か?何に関心を持つか?どう思いたいか?何を信じているか?どんな心か?
何に幸せを感じるか?何をどう感じるか?感覚をどう感じるか?人それぞれ。
何をどうするのが良いかも人によって違う。
そんなで他人のことは自分には何もわからない。
即ち自分がそうなら他人もそうだと思い込んではいけない。
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「自分は嫌な人達とは違って良い行いをしてる」 と思い込む |
ほぼ誰しもそう思っている。
だがそれは違う。
どんな人でも、誰かから見ると違う。
そんなで自分自身の行いは良い、即ち皆「自分自身と同じようにすることが良いことだ」と思う。
人を皆自分と同じにしなくてもいい。そうさせなくていい。
自分自身こそが最高の人間ではない。
理解してほしい。
「自分は嫌な人達とは違って良い行いをしてる」と思い込まない。
「自分自身と同じようにすることが良いことだ」と思い込まない。
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「自分は悪くない」ものとする |
人は皆そうする。
そうする気質がある。
自分の悪さは自分にはわからない。
皆、自分のことはほとんど誤解している。
こう言っても皆、自分自身が誤解しているとはまさか思わない。
正しいと思って、わかっていると思って、その思いに基づいて言動している。
だから、良いことをしていると信じている。
いかなる場合も、誤解し良くないことをしているかもしれない。
深く追求するか、否定派と話し合えばわかる。
いつも身近にいる人は、その人のことを絶対わかっているということはない。
むしろ絶対わかっていると思い込んでしまいがちなので要注意。
いかなる場合も悪いのは自分だと捉えられる解釈がある。「自分は悪くない」ものとしない。
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確かな証拠がないのに堂々と否定する |
否定は「自分の認識が間違っているかもしれない」ことを眼中に入れた上でするべき。
間違えていて、凄く失礼なことをし兼ねない。
確かな証拠がないのに堂々と否定しない。
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知っていることを教えてくる |
知らないものだと決めつけた感じでそうしてくる。
相手の立場になって考えてみてください。
知ってること考えたとのあることしか言われないとナメられているような気しかしない。
いや、間違いなくナメられている(馬鹿にされている)と思う。
「それもこれもすでに知っていて考えた上で言動していた」場合、
当然、教えたことを受け入れることにはならない。これも忘れてはならないこと。
なのに「受け入れないから頭おかしい」だとか思い、争いを起こすのはめちゃくちゃ。
相手のことをわかっていないのにあからさまに発言するその人の方が酷い。おかしい。
ひたすら人を馬鹿にしているだけ。
「教える」ことは、「知っているかもしれない」ことを意識した上でするべき。
そうしないと嫌がられ兼ねない。
人は知らず知らず、頻繁に爆弾発言している。
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心配、不安で逃げる |
心配、不安だとか、こうだろうああだろうと思ったりで何もせず逃げる。
良くない。
何でも「現実の結果」を見て判断するべき。
本当に心配すべきことなのか、確認する。
確認して得られた情報が、現実の結果。
心配、不安により、何もせず逃げない。
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認識は思うこと信じること印象しだい |
悪いと思われていると、そのものの認識を悪い方向へ持っていき、より悪いと思う。
良いと思われていたら良い解釈へ結び付け良いように思う。
悪いと思っていたら全てが悪く見える、良いと思っていたら全てが良く見える。
悪い人と思っていたら悪いことはその人がしたこととする、良い人と思っていたら良いことはその人がしたこととする。
そしてかってに確信を強めていく。
悪い人だと思う人が良いことをしたと言っても、信じない。
良い人だと思う人が悪いことをしたと言っても、信じない。
そういうもの。
結局思うこと信じること印象しだい。
できない人と思っていたら、何も知らない人と思っていたら、普通と違う人と思っていたら…それもこれも同じ。
そう思われていたらそれ相応の解釈をされる。
そんなでずっとその人の思っている形はそのまま。
人のその「思うこと信じること印象」を変えさせて真実を理解させるのは難しい。
本当に人間は厄介。
そういうように思っていると、そういうことを考えて不確かなことはそういうことにしてしまう。
悪い人(悪いと思われている人)はその人自身のあらゆることを「悪さの原因」とされ、あらゆることが悪いことにされる。
どこもかしこも何もかも悪く、良いことはない。
「この人はこういうやつだ」と一度思うと、誤解でもその人はいつまでもその通りに見える。
何でも信じていれば、全く違っていても、信じる通りに思える。
これには驚き。
現実の結果を自分で見て判断してほしい。
特に感情で動く人は、結果で判断しない。
曖昧な思考でいつまでも曖昧なまま。
よほどのことがないと認定しない。
なんとなく信じたことをいつまでも信じ続ける。
言行は真実か、対等か、馬鹿にしていないか、メリットがあるか、間違っていたらどう思われるか、
自分自身の願望が出ていないか、そういうことに照らし合わせてからするべき。
人の心が読めないのは誰?
認識は「思うこと信じること印象」で決めない。認識は現実の結果を見て決める。
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「個人的に矛盾してる思うこと=100%嘘」とする |
間違っています。
矛盾しない解釈を貴方が見いだせていないだけかもしれません。
それは十分ありえることです。
何せ「考えられること」はいくらでもあります。
真実の場合、相手からすると、まず信じてもらえないのではどうしようもない。
「個人的に矛盾してる思うこと=100%嘘」とはならない。そう認識しない。
80%本当と認識するべき。
何でも100%はない。
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了承を得ずに相手のことを他人が決める |
それはいけない。
皆それぞれ別の考えのもとで動いているのだから、そうして相手から良かったと思われることなどほぼないだろう。
人は自分の思い通りには動かないもの。
思い通りに動かすことを望んでいては誰も幸福になれない。
何でも人どう捉えられるか?どう思われるか?どういう意味だと思われるか?どう考えられるか?未知数。
だから、その行為は恐ろしい行為。
了承を得ずに相手のことを他人が決めない。
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人のことがわからない |
人はそれぞれ違うので、いろいろ解釈も違う。
人による人の言葉の解釈は、よく間違ったかってな解釈になる。(誤解する)
自分の思ったこと以外の解釈があること、自分の解釈が間違いかもしれないことを視野に入れるべき。
自分には人(相手)のことがわからないことを自覚する。
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「頭が悪い」と、自分自身ではなく 相手が頭が悪いものかと思い込んだりする |
はっきり判断ができず、単純に自分の思ったこと信じることに任せる。
自分は悪いと思っていないがために人に当たる。
過去を忘れ、過去を適当に良いように変えてしまったりもする。
「確かな記憶や確かな証拠がないながら過去のことに関する発言をする」のが当たり前になっており、
間違いを真実と思い込む。
いろいろなことにおいてそう。間違いを真実と思い込む。
ある意味怖い。「頭が悪いことは罪」とも言える。
頭が悪いなら、特に相手を悪いと思い込むことをしないように気をつける。
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知識が薄く視野が狭い人は、 自分ではなく相手の方の知識が薄いものと思い込む |
で知識が薄いから誤解している、正しいのは自分の方と認識する。
誤解しているその人は、丸っきり自分の方なわけだが。
何となく馬鹿にされているような人は、特にそう思い込まれやすい。
馬鹿にされている人の言動は認められない。
いろいろわかること、できることを知らなくて、それは違うと思い、自分のその人に対して思うことを曲げず、惜し通す。
話し合わないからには、何でも自分の思いのまま。
本当、人は嫌な気質ばかり。
知識が薄く視野が狭いなら、特に知識が薄いのは相手の方だと思い込まないように注意する。
それは自分の方かもしれない。
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常識外のことを信じない |
常識外のことなど誰も信じないもの。
人は普通しか受けれないもの。
常識外、想定外、規格外、例外…そういものは基本、「ない」ものと見なされる。
「確実に嘘」と認識し、それをベースとした考えを固める。
常識外の人がいた場合、常識外のことが実際にあった場合、ともかく受け入れない認めない。
常識外の存在は悲惨。救いようのない存在になってしまう。
常識外のこともそれなりに信じてみる。
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言うことを受け入れず馬鹿にする |
真実だったとしたらどうですか?酷く失礼なことになり兼ねない。
「疑わしい信じられない理解しがたい本当だという証拠がない」
「証拠がないので事実かどうか誰も分からずどうもならない」そういった考えも良くない。
「本当」と言ってもわかってもらえない、
受け入れて(信じて)もらえないそんな人だらけの世界では、言葉の存在意義なし。
せっかく言葉があるのに、これはないでしょう。
本当なら笑えるような話ではなくても、人は信じず、平気であざ笑い馬鹿にし冷たい目線で見たりする…。
よくそんなことができるもの。
人間というのは信じられないような生物。
わかってないのにわかっている素振りをしているわかっていると思い込んでいる
無意識に逆のことを思っているなどと認識し受け入れないのも酷い。
人に他人のことはわからない。その人をわかるのはその人自身だけ。
その人自身が自身に対して言うことを否定し、他人の方がその人をわかるなどと認識するのは、ありえないに近い。
どんなことでもあからさまに言うことを受け入れず馬鹿にしない。
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間違えている |
で間違えた言動をする。
間違えて(誤解して)いても、その人は「正しいと思っているから」そういう言動をするわけなので、
その人はこう言っても戸惑い、なかなか受け入れない。
誤解されるとこちらが誤解しているものかと思われたりする。
誤解しているのはそちらだというのに。
人は自分の出した答え以外の答えはないものと見る。
誤解だらけで本当に面倒。
1つ間違われると全くもって的外れな思考をされてしまう。
どんな言動も、間違えていないかどうか、よく考えてみるべき。
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ほかに誰もしないことをしている=常識知らずの馬鹿とみる |
一体なぜそうなるのか?
皆常識に洗脳された凡人。
常識知らずではなくても、常識外れなことをあえてすることがあります。
意図した独自のやり方というがあります。
そう思われるから、常識外のことをすることを躊躇うことになる。
つまらない、変わらない、進歩しない…
常識洗脳は、良くない。
ほかに誰もしないことをしている=常識知らずの馬鹿とみない。その認識は理に適っていない。
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相手がわかっているはずのことを 自分の口からオウム返しするように言い聞かせる |
謎の行為。
これをする人はあまり多くはないかもしれない。
自分が言い聞かせて教えたということにでもしたいのか?
何なのか?
相手側からしたら、ただ不快で逆に気力をなくさせるだけ。
相手がわかっているとわかったなら、そのことを受け入れる。
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「社会上での結果が全て」と認識している  |
それがない人は、その人の何を見ることもなく「無駄に生きてきた無の人間」と認識する。
逆に社会での、公認の、結果を出したことがある、学歴のある職歴のあるとされる人はそう言うだけで、
その人の何を見ることもなく素質からして有能で何もかもできると思い込む。
…必ずしもそうとは限らない。
皆そういう認識を持っているから、学歴、職歴(社会上での結果)があってもだめな人、
逆にそれがなくても有能は人は、人から適切な扱われ方をされず、悲惨な目に遭う。
本当、わかってほしい。
「社会上での結果が全て」ではない。そういう考えに基づく言動は、人を苦しめることがある。
「例外もある」ということを必ず、視野に入れる。
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怖い、心配などと感じ、人の行動を止める  |
その人を不幸にさせてしまう可能性大な行為。
愛は人を不幸にもする。気づいてほしい。
愛(思いやり)を持たれると、相手側はある意味一溜りもない。裏目に出ることもかなり多い。
全ての生物は常にいつ死ぬか分からないもの。
絶対安全な状態などない。
絶対安全を求めてもきりがない。
あとその人のことをわかるのはその人自身。
その人が良いと思って行動に出るなら普通、平気。
人の行動を止めるとその人を不幸にさせてしまう可能性大。
平気な可能性大だということを視野に入れた上で対応する。
年齢で人を見る  |
必ずしも年相応、年齢さながら、その年齢の常識が当てはまるものとは限らない。
良くも悪くも年齢通りでない人は、人から適切な扱われ方をされず、悲惨な目に遭う。
わかってほしい。
個人差があることはわかるだろう。
「年齢で人を見るものだ」という考えに基づく言動は、人を苦しめることがある。
「年齢通りでない人もいる」ということを、視野に入れる。
年齢を理由に良くないことを言ったりするのは危険。
空振り発言だったら特に、相手は胸を痛める。
また年齢のことは1番触れてほしくないことかもしれない。
男だろうから、気安く触れたっていいだろ!的な考えもだめ。
| 1つ気に障る発言、悪いと思う発言を見聞きしただけで、 その人の全てを悪く見る  |
その発言をした人間そのものを憎み、関係ないことまで悪く見る視点で見て全て悪くこじつけ悪く思う。
「良し悪し」は「言葉の内容自体」ではなく、
「言葉を発した人間自体の良し悪しに等しい」という考えなのかもしれないが…その考えは信じられない。
適切な認識ができない考えだと思う。
良いことに気づけなくてもったいない。
その人の方が悪く見られ兼ねない。
1つの悪い点を見つけただけでその全てを悪く見ない。
それは適切な認識ができない見方であり、良くない。
また発言者はそんなつもりではなく、自分が想定外の捉え方をしたのかもしれない。
発言は相手にどう捉えられるか?どう思われるか?どういう意味だと思われるか?どう考えられるか?未知数。
どんな発言であっても発言は危険を伴う。
相手もそのことを視野に入れてほしいもの。
どんな発言でもそれはしっかり考えた上での発言、自分の捉え方が相手にとって想定外のものなのかもしれない
自分の誤解かもしれないということを視野に入れる。
| 理屈を無視してどうこうさせようとする  |
馬鹿でない人の行動には理屈があります。
その人の理屈を無視し、人に単純にどうしろこうしろ言い続けていても
たいてい的外れでその人には何も良いことがない。
何も変わらない。人に迷惑をかけ嫌がられるのみ。
馬鹿で、自分自身の行動に理屈、理由、理論がない人はそう。
それで理屈がある人を否定する。
相手本人は、どうすることでどうななのか?何がどうなのか?
本人なのでわかっています。
1番わかるのは本人。
理論上そうなることはそうなるのだからそうなります。
納得しないというのならそうならない理論を述べてほしい。
それがないというなら酷いだけ。
理屈を無視してどうこうさせようとしない。
理屈が理解できないのなら、その人に対してはどうもせず、その人自身に任せる。
| 人の行動を妨げ、自分が人を動かそうとする  |
愛、法律、責任などがあることにより、人は人をそうする。
妨げられる側の人は、動かそうとする人に動かされないといけなくなる。
でその人は行動するために、動かす人を納得させないといけい。
納得させるためにどうこうしないといけない。
行動、考えの正しさを証明できることをやって見せないといけない。
そうしないといけなくなる。
動かそうとする人がいる、そんな状況下でなければそういったことは不要なわけだ。
そんな過程を踏み、手間、時間を費やさなければならないというのは、良くないこと。
人に動かされないといけないがために、それが壁となり、
ずっと何もできずにいて「不幸な人生」で終わってしまうことも多々ある。
それは誰にとっても馬鹿らしいことであったりする。たいていはそう。
人のためだと信じていながら、実は自分のためであったりする。
本当にその人のためなのか、何がその人のためなのか、よく考えてみてほしい。
あと法律、責任があってもある程度はなんとかできる。
だいたいはその人の考えしだい。
極力、人の行動を妨げ、自分が人を動かそうとしない。それは誰にとっても馬鹿らしいことであったりする。
人の人生を奪ってしまったり、とんでもないことに繋がり兼ねない。そのことも視野にいれておく。
そうしてとんでもないことをしてしまった場合、そのことを自覚して反省する。
| 人のせいにする  |
それは何というか、微妙なこと。
たいてい、元をたどっていくと色々な人に責任があるし、誰に責任があるかは見方によっても変わる。
誰にも責任がないとも見れる。全員に責任があるとも見れる。
よくわからない「曖昧」なもの。
そんなで「誰のせい」だとかそういうことは考えなくていい。
曖昧だから、特定して断定してコイツのせい、アイツのせいみたく思うのは間違い。
その人に失礼なだけ。
たいてい誰のせいなのかは曖昧。だから誰のせいだとか思うのは間違い。そういうことは考えない。
| 人をかってに色々なこと(病気・障害等)に当てはめ、 それ相応にどうこうする  |
違っていたら、その人はどう思うのか考えてみたことはありますか?
自分の行動がどんなものだということになるか考えてみたことはありますか?
無意味なだけでなく、その人に痛烈に嫌な想いをさせるだろう。
前例のある、人が定めた概念…そういうものがあると、厄介で苦しむ。間違われる人からすると、そう。
人に相手のことはわからない。1番わかるのはその人自身。
かってに決めつけない。「かってに」していると自覚する。
人をかってに病気・障害等に当てはめ、それ相応にどうこうするのは爆弾行為。
認識を固めるのは、その人と話しをして、よく考えてから。
| 気安く発言しない  |
人に悪いことを気安く発言するのは、それは言うまでもなく、あれ。
ただ、人や自分のために良いことも、なかなか発言しなかったりする。
まあ良いと思う発言も相手からしてみたら悪い発言である可能性があるし、良い悪いを兼ね備える発言であったりする。
気安く発言できないのもわかる。発言は難しい。
けど何も伝えない何も見せないでは何も変わらない。
可能性を少しでも広げるために、色々なことを伝えると良い。
行動もそう。何もしないでは何も変わらない。
動きを起こせば何かがある。
あからさまに悪いことでなければ、活発に言動しても良い。
そうしないと相手と自分、互いになかなか高みへ進めない。
| 人の言葉を見て、人を中傷するつもり あるいは何も考えずに発言していると認識する  |
言葉を発するのは怖い。他人の感情を動かすことになるから。
心で言う(思う)のとそれとは全然違う。
人はそれぞれ捉え方が違うから、自分では良いことだと捉えていても、相手は良くないと捉えているかもしれない。
相手のことは相手にしかわからないので、
どんな言葉でも投じる時は「良いと思われる(肯定的に見られる)ことを信じて一か八か懸ける」感じ。
「必ず良い結果になる言葉」というのはない。
相手にその言葉に対してどう思うか予め聞いてから言うなら話は別だが、そう聞いた時点で言ったようなもので…??
否定的に見られてしまった場合、「中傷するつもり、何も考えずに発言している」みたく誤認されがち。
↑で言ったようにように一か八か懸けて…空振りだったケースなのかもしれないわけ。
本当にそういうつもり、そういうふうに発言している人もいるが、そうでない人もいるわけ。
人の言葉を見て、人を中傷するつもりあるいは何も考えていないように見えたとしても、そうでない場合がある。
それを視野に入れる。決めつけない。
適当に書いている感じではなかったら違うだろう。確実にではないが、文面である程度見極めることはできる。
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