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霊
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存在しない。
その一言に尽きる。
霊が存在しないことが科学的に明確となるのは2200年頃。
信じる気持ちが生み出すものにすぎないため、それからは霊を見たという人は極端に少なくなる。
魂なるものも存在しない。
最もそれらしいものはというと、
脳
。
脳が意識、即ち魂的なもの(魂と呼んでおく)を作り出している。
脳の機能が、ある程度停止した時点で、その人の魂はなくなる。
基本、脳が機能停止するのは、肉体の死よりも少しだけ先。
肉体よりも、魂の方が先に死ぬ。
即ち魂が残り、霊化のようなことは起こり得ない。
霊は人間の意識が作り出す幻想。思い込み。
脳に問題が発生すると心(=性格=内面=魂)が変わることがあるのは、脳の一部が壊れて形が変わることによる。
脳の内部構造の形が変わると、心も変わる。
言わば脳は魂。魂は脳。
脳は固形のもの。即ち魂は固形のもの。
幽体離脱は、それを意識していることにより見る夢。
幽体離脱中に見たものと現実が明確に一致したというような話は、全て作り話。
そんなで、死後の世界がなければ、何かを引き継いで生まれ変わることもない。
だから、生きている今は、生きている間の時間は尊い。
何かできるのは、感じとれるのは、現実に影響を与えられるのは、その時間内だけ。
その時間外はないわけだ。
他人の命も同じ。
生ある一定の時間外にこちらが何か伝えたり感じさせたりできるようなことはない。
普通に、それが真実。
ここまで我が人類全体に根強く広まった幻想もそうそうない。
もはや壮大な文化を生み出している。霊は幻想が生み出した文化。
そういう意味で、真相がどうであれ、見過ごせないもの。
ちなみに霊が存在するように仕込んだ架空世界(霊有世界)は、この世界の人々に人気となる。
霊有世界が初めて作られるのは2500年頃。
※真実を知っても、人間はなぜか多少霊に対する恐怖を感じてしまう…
霊という「恐怖を実体化したもの」を思い浮かべることは、人間の防衛本能なのか?
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過去仮説
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★ 死者の魂説 ★
提唱者: -
正しさ:☆☆☆☆☆
提唱年: -
面白さ:★★★★☆
自然と皆が皆、この説を信じ続けるようになった。
宗教の枠内での概念などではなく、この霊の概念は「一般的」に定着した。
基本、人はこう考えるような心を持っているのだろう。
信じている上、ほとんどの人が霊体験をしたことがあるなどと言う。
それ(霊)に出会ったことがあるなどと言う人も少なくない。
ありえないこと。全て勘違い。
いると思っている(信じている)ことにより、それにこじつける。
で上手くこじつけられると、確信を高める。
そうして信じることを本当だと信じ続ける、そういう気質が人間にはある。(詳細⇒
認識は思うこと信じること印象しだい
)
それの存在を信じ、否定しない人がいるのは、人間の気質によるもの。
知的水準が低い者ほど、正しい認識ができず、信じる傾向にある。
勘違いのほか、作り話であることも多い。
「いない」が正しいわけだ。
否定する人の方が正解を認識している。即ち優秀。
21世紀を生きていた筆者は、それに出会ったり明確な霊体験をしたことなどなかった。
当然といえば当然である。
それが現れることがなければ、それを感じることもない。即ちいない。
…そう正解を導き出せていた。
これでもかというほど、あらゆる場所で、あらゆる死生観が考えられた。
人の想像力は面白い。
しかし、死後に行く場所はない。それが現実。
とはいえ、提唱者や信じる者をあからさまに馬鹿者とは言わない。
「信じる」ことにより、心の安堵を保つことができるのなら、それで良いだろう。
それがその人の心に良い場合、それが良い。
間違いとわかっていて、方便のつもりで提唱されたケースも多い。
「間違いを信じる」ことが良い場合もある。
必ずしも真実の通りに思っていないといけないわけではない。
ただ、間違いは変に信じると無意味な行為、卑劣な行為に走りやすいので注意が必要。
内容
人の体には肉体とは別に魂が存在する。
肉体が死を迎えても、魂は残る。
残った魂は死んだ肉体から抜け出し、あちこち行ける。
その魂が
霊
である。
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