■ 4才 ■ |
■ ■ ■ 食べ放題…極楽の地 ■ ■ ■ | ||
白のエサはドライフード一択だった。 それの入ったどデカい袋が廊下に置かれていた。 茶のいたころから同じものであったと思った。
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■ ■ ■ うちに金魚 ■ ■ ■ | |
リビングの壁の棚の上に水槽があった。 わりと本格的な普通サイズ?の水槽であった。
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■ ■ ■ 祖母に教わったカブト ■ ■ ■ |
園で文化勲章を作ったあたりから…だったか?もっと前からだったか… あれを非常に好むようになっていた。 最初に覚えたのが「桃」、その次が「文化勲章」であったと記憶しているので… やはり園でやったそのあたりからか。 そんな中、ある日また祖母の家に来ていた。 そのあれ(折り紙)があり、それをリビングでやっていた。 そうしたら祖母が…何かの折り方を教えてきた。 それはこれまで、知らなかったものだった。 三角にする→左右の角を上の角へ→逆さにし元左右の角を良い具合いに広げる→ 元上の角の手前の面を良い具合いに広げる→広げたところの根元を丸める要領で内側を外側へ→ 元上の角の奥の面を内側に入れ込む→仕上げに広げた元左右の角の内側を少し折り返して見栄えを良くする (文字だけで解説するのは厳しい…) 意図も簡単にでき、祖母に称賛された。 作れる。 実物のそのものの存在はこの時すでに知っていた。 折り紙で知ったわけではないので、折り紙のイメージにはなっていない。 これにてそれの作り方を覚え、それも自分の「作り方を知っているもの」のレパートリーの中に加わった。 その後も祖母のいる場面でそれを作るシチュエーションがあり、作れること覚えていることを喜ばれた。 カブトの作り方を教わり、それを覚えた… 自分のレパートリーが増えてよかった…そんな思い出。 作れるものが増えるとできることが増え、より面白くなる。 この次に作れるようになるものはというと…? |
■ ■ ■ 白の友達 ■ ■ ■ |
うちの庭でよく見知らぬ猫を見かけた。 やつらは野良猫。 その野良猫たちの中に…かなり体格が良く、丸々としている茶色の猫がいた。 やつも時折姿を見せていた。 見た目が一際印象的なので、覚えてしまっていた。 ある時、親がその猫のことを「文太」と呼んだ。 豚のような体型をしているため、そう呼んでいたという。 とっさに出た名前を自ら気に入り、それを正規の名としてしまった。 面白い名。より興味を引く存在に。 彼はたまに現れ、裏のアパートの方へ行っていた。 彼らは外によく出ていた白ともよく交流していた。言わば白の仲間たち…。 皆白との仲は良好だった。(白と対決したりしていた覚えはない) うちの庭によく白の友達がやってきていた… 白にも仲間がいる… |
■ ■ ■ 「アリ」という生物 ■ ■ ■ |
親がたまに庭で何かしていることがあった。 草むしりとか。 そういう時、自分も何かしているそれを見にwそちらへ行っていた。 あるそんな時。 ‥:∵.…∴・. :¨..∴. .∵..¨ .‥・.∴∵….:… 親が地面に無数に群がっている小さな黒い生物↑を指し… 「これ、アリって言うんだ」と、自分にその生物の名を教えてきた。 …アリ。 アリの名前を知り、これ以来自分は“よく見かけるこの生物”を「アリ」と呼ぶようになった…。 見かけると「アリがいる!」などと反応してしまうことがアルようになった…。 アリを覚えた…それだけのそんな記憶。一応これも思い出。 今や何か笑えるような話。。。 アリを知らなかったわけです。 でも思ってみると、この時は「記憶」が本格的に始まってまだ1年と少し。 「人生経験1年」では「常識」を覚えきっていなくても無理ない……。 |
■ ■ ■ エーン・エン・エン♪という歌 ■ ■ ■ |
クリーニング屋の祖母の家にて。 自分は玄関のレジのカウンターの上で号泣していた。 それがなぜだったのか、なぜそこの場所にいたのかは忘れた。 レジには誰もおらず、1人… 誰も来ないのでまたあれだった…。 … そこへ、台所の方から祖母がやってきた…。 そのまま泣いていたら、祖母はこう言った。 「歌上手だね。」 ww 何やら、泣いている声が歌に聞こえた模様。 「エーン、エン、エン♪」と。。 歌じゃない!とよりいっそう本気モードで泣いてみるも… いつまでもその姿勢を変えず、祖母は「歌が上手!」と言い続けていた。。w そんなであやしがなく嫌らしく、泣くことに拍車をかけるも相変わらず。。 果たして、本気で言っていたのか? それとも冗談言って和ませるつもりか何かだったのか? どうだったのか…? これは可笑しい。 本気の方だったとしたら尚更。。 ちなみに、密かに自分でも歌っぽく思えていたので… その発言にはさほど衝撃は受けなかった…。 自分の心を読まれた?かのような不思議な感じがあった…。 泣き声を歌かと思われ、嫌らしかった… 変だった…不思議だった…そんな思い出。 |
■ ■ ■ 野良猫、来客 ■ ■ ■ |
ある日、親が「余所の猫が入ってくるぅ・・・」などと言っていた。 何やら、家の中で白以外の猫を見かける模様。 そんな衝撃的なことが…あるというのか?! でも本当のよう。 どこから入ってくるのか? それからもたびたび家に見知らぬ猫が進入してきていたようで、それを親が目撃していた。 「うちの(食べ放題にしてる)エサを食べていた!」とか「目が合った途端に逃げた!」とか 「1匹じゃなくて何匹もいた!」とか「白が連れてきてた!」とか… 何やら白が「うちは食べ放題なんだ!いいだろう!」と近所の野良猫に自慢し、連れてきているようだ。 うちはそんな猫にとって素晴らしい、自慢できる家…。 こちらとしても何か自慢気になる、嬉しい…。 そのうち自分も見た。見慣れない猫が廊下にいるのを。。 もちろん衝撃的! 人間に気付かれると向こうも非常に驚き、とっさに出て行く。 気付いていないふりをしていた方が、良かったのか…。そうすればゆっくり食事していられた。 ともかくこれは凄いこと。 自分も白も野良猫も嬉しい… |
■ ■ ■ 姉に教わった二艘船 ■ ■ ■ |
ある日… 兄と祖母の家の2階に来ていた…。 2階には姉がいる…。 2階にも折り紙があり、それをした。 姉が何かの作り方を教えてきた。 内側を包み込むような真ん中が開くような感じの形になり→ 給水塔のような形になり→少々格好悪い形に。 終いに膨らませるような感じにする。 「(膨らませる)この部分は難しいからやってあげる」だとか言われた。 兄には難しいでしょうが、自分には決して難しくなかった。 その必要はない。 普通“子供には難しい”と思うかもしれない。それは必然的なことだった。 それで姉はこれを「ニソーブネ」と言っていた。 これがニソーブネ。 |
■ ■ ■ 白の恋人 ■ ■ ■ |
近所に白の友達がたくさんいたわけだが…その中でも一際親しい友達がいた。 その友達というのは… 3件隣の家の子。 「家の子」つまり飼い猫だ。 野良猫とは違う。 しかし白にとっては野良猫らと同じ近所の友達。 白はたびたびこの子に会いに、その家の庭まで行っていた。 |
■ ■ ■ 自分に見合った迷路のおもちゃ ■ ■ ■ |
この年も秋田へ。 秋田に行く…その途中、一旦高速道路を出ていた。 車は一般道を進んでいく。 …久々に一般道。 多少現実帰りしたような…なんともいえない感じ。 まだ到着しないのか…? まだだろう。気が早い…。 こんなに明るいうちに到着なんて、ない。 そんな時… 「ちょっと休憩」という感じのノリで車を止め、通りかかったところにあったとある店に立ち寄った。 何か古い店だった。 …なぜこの店に立ち寄ったんだったか?? その店にはおもちゃがたくさん売っていた。 自分らからしたら少し面白い店。 おもちゃの専門店ではなかった気がする。 それで大人らがこの店で何か用を済ませてきて、そのあと… 兄のと1つずつ、おもちゃを入手した。 それが買ってもらった… のではなく、「子供だから」と特別にもらえたんだったような… そんなだった気が。 はっきりと思い出せなくなってしまった。 そのおもちゃはというと、コンパクトな四角いボード上が迷路になっていて、その迷路の線が立体で、 本体を傾けながら迷路上にある小さな鉄の玉を転がしてその玉をゴールへ導かせるという迷路のおもちゃだった。 裏面、横面も一体的に迷路。 密閉された透明なケースに入っており、玉を取り出すことはできず、不正はできい。 兄のと自分のは色違いの同じ物だった。 迷路の土台(ボード)の色が兄のは緑で自分のはピンクだった。■ ■ どちらも鮮やかな蛍光色。 その後車内でそれ(迷路)をやっていた。 …大人にやらせてもだめなほどの高難度だった。 迷路が難しいだけでなく、玉を誘導するのも至難の技だった。 玉を上手く誘導してすきまに通すテクニックも必要とした。 全体的にコンパクトなので繊細さも要した。 確か兄は行き止まりにハマって抜け出せなくなっていた。 通り道の真ん中に出口があり、そこへ行かせようとすると玉が勢い余って通り過ぎてしまい、抜け出せなくなっている。。 兄もそれを見た母も「これはもうだめ」的なことを言っていた。 それはないだろう。 “そこにハマったら2度と脱け出せない(詰む)”なんてそんな酷いおもちゃ、売り出さないはず。 でも確か抜け出せないままあきらめてしまっていた。 こういうのは兄は苦手な感じだった。 自分的には簡単すぎなくて良かった…程良い難易度だった。誰も知るよしもない。 そう簡単にクリアできず、やりごたえがあり楽しめるものだった。 …炎天下●の暑い日だったと思った。 秋田に行く途中立ち寄った店で迷路のおもちゃをもらえた… 簡単すぎず程良い難易度だった… 良かった…そんな思い出。 …続きはまたいつか。 |
■ ■ ■ まさかの川遊び ■ ■ ■ | ||
覚悟を要する話。 秋田に行く途中…だったか? いた時…だったか?
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■ ■ ■ 雄大な自然広がる地で目にした奇妙なもの… ■ ■ ■ | |
秋田家にいた時のこと…。 ちょっと散歩しに家を出て母・兄と裏の方へ行った。 秋田の一家達のいる空間を抜け出せ、開放された気分…。 うちの人だけ。緊迫しないでいれる。気持ちのいい開放感。 裏へ行く道は緩やかな上り坂になっている。 坂の両側は墓地になっている。 そんな墓地の中の坂道をしばらく上っていくと正面に大きな寺院が見えてくる。 この寺院の手前にちょっとした公園がある。 公園にはブランコなどの遊具が。 この時、ここまで歩いてきてこの公園に立ち寄った。
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■ ■ ■ 地獄の地獄へ ■ ■ ■ | |
秋田にいた時…。 家にいても別にあれだ…つまらない…という感じになり?車で外出した。 徒歩圏内にはあまり何もないので、必然的に車。 …どこへ行くのか? 「地獄!」「地獄だよ!」「地獄!」「地獄!」… ? 父はとにかく「地獄」とそう言っていた…。 …「地獄」というのは悪人が死後に行く恐ろしい場所。 死後の世界。 架空のイメージの世界。 地獄などこの世にあるはずがない。 地獄とは、なんのことか? 一体、なんのことか…? はっきり言ってほしい! なのに父は「地獄」としか言わない…、、 地獄ではどんなところなのかわからない!嫌らしい。 愛称か略称か何かだろう。 ちゃんと言わないと、何なのかわからない! そこは何なのか?! 地獄々々と聞き、密かにそんなふうに思っていた…。 車は地獄に向かっていく…。 でも「地獄」をイメージしてみると、どんな場所か非常に気になり楽しみになる…。 でも本当に地獄のはずがない。 でも地獄のようなのか…? そうなのかも。 ある意味それなりには期待も持てる。 怖そうだから、また何か怖いもの見たさで興奮してくるものがある…。 … しばらく走り、地獄付近に到着。 車を降りた。
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■ ■ ■ 心地良い、うちの掃除機の風 ■ ■ ■ |
うちには掃除機があった。 当然ながら。 赤い掃除機だった。 ある時、掃除機の起動中に本体の後方から「生ぬるい風」が出ていることに気付いた。 この風は“何の意味”があるのか? ほのかに暖かい風… 「ストーブ」のようで心地良い… 香りも何か、良い…。 この風は掃除機から出る排気物のようなもので、体に悪い?とは思った。 何となく思ったことだが、そうかもしれない。 あまり長時間あたっているとだめそうな気がしてしまうものの、この風を(密かに)好んだ。 ストーブ代わりになる。 しかし大人はストーブの代わりだとかそんなことはさせない。 身体に良くない風なのだろうか?それはある?? …自分からして「最初のうちの掃除機」はこれだったので、自分の中で「うちの掃除機」というと永久にこれのイメージ。 車同様、初代は赤…。 もともとの、本来のものはこれ。 うちは赤い掃除機だった… 掃除機から出る風を(多少良からぬ印象を持ちつつも)好んだ…そんな思い出。 |
■ ■ ■ 覚えたかった…難しいとされる鶴 ■ ■ ■ |
母はよくツルを折って見せていた。 「センバヅルオッタ」などと言いながら。 一応作り方を教えている感じではあったが、 「難しいからできなくてもいい」という感じで説明が大ざっぱであった印象。 確かに完成までの過程が長く、複雑なところも多く、難しいと思った。 でも“こういうのこそ作ってみたい”。 後々記憶を頼りに折ってみたりしていた。 でわりと完成間近なところまでいけていた。 そのうち!一応完成させられた。 しかし…何かが違っているように思えた。 近いけど、こうではない。 正式な形ではない… |
■ ■ ■ 折り紙の氷 ■ ■ ■ |
母は鶴を折って見せることがあったわけだが… その様子はよく兄も見ていた。 それで兄はある時、母に「氷を作って」と言っていた。 “氷”とは何のこと? 兄は母にとにかく鶴を折らせた。 …兄は鶴を折るのを途中で止めさせ、「氷!」だとか言っていた。 何やら、この部分が氷な模様。 完成が迫ってきたころの長いレモンのような形になる部分…。 ?…自分も、氷に見えると思った。 なるほど、という感じ。 カクカクして丸みのない形状になっているところが、どことなく「氷」を連想させる…。 (意識して見たからこそ、そう見えた) でも氷って、氷の形って、何なのだそれは?という感じ。 自分は氷に見えたが、確実に言われなければ「氷」とは思わないし、 言ったとしても並たいていの人は氷に見えないでしょう。疑問を浮かべるのみ。 …兄は鶴を作る過程のこの状態のものを完成品と見なし、このままの状態で取っておいていた。 兄オリジナル?の「氷」というもの…。 オリジナルといっても鶴の途中の形。 鶴はオリジナルではない。鶴を折れる人なら誰もが折っており目にしている形で、オリジナル色?は薄い…。 鶴を折る途中の工程上のとある部分を、兄が「氷」という折り紙のオリジナルのものとしていた… それらしく見えず、オリジナル色も薄く… それで個人的な主観はさておき微妙だと思った…そんな思い出。 しかし、よくもあれが氷に見えたもの。 |
■ ■ ■ 激しいのに激しくない…震度3 ■ ■ ■ | |
リビングに皆いる…テレビがついている… いつもと変わらぬある夜のことだった……。 突然「家」が振動し出した…!(()) 「逃げないと」だとか(母が)言ったこともあって恐怖を覚え、母、兄と家から逃げ出した。 自分は2人を抜かし、先頭をきって外に出た。
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■ ■ ■ 密かに注目していた、ザウスのCM ■ ■ ■ |
高層ビルの上層階の窓から真下の正面にまっすぐ伸びる大通りを眺めていて… その大通りの遠いところに矢印↓が出て「ここまで」と言い… ザウス(屋内型人工スキー場)では眺めている地点からその地点まで滑り下りることができることを説明。 驚くほど高くて長いこと、即ちその凄さを理解できる…。 …このTVCMが何かいつも目に付いていた。 ある程度“凄い”と思えて。 あと何かこのザウスという施設が、うちの近くに出現したとある建物に妙に似てると思っていた。 というか、「まったく同じ」に見えていた。 なんと、名称も同じ。 だが「こんなにも近くにある場所がテレビに映ることなどほぼない」というように思い、 それでも“別の場所”なのだと思っていた。 別の場所なのに一見全く同じだから、またインパクトが強かった…。 周りの人は特にこのCMには興味を示していなかった。 密かに「自分」だけ興味を示していた。 自分の中で密かに注目してしまっているCMであった…。 注目するようなCMではないかもしれないので、恥を恐れ、「密かに」自分の中だけで…。 自分には何かを決定付けるような権力がない。 そういう権力を与えてもらえない。。 ザウスのCMが目に付いていた… 密かに注目しているCMだった… 注目するようなCMでなかったとしら、 そんなCMに注目している自分はイかれてる、ということになる…そのため何か微妙な心境になっていた… 疑問もあった…そんな思い出。 そのうち、気づいた。 いつしか、それなりに気づいていた。 …CMなどで見たそのザウスとうちの近くのザウスが「本当に同一」だということに。 しかし、「全く同じ」なのになぜ別物だと思ったか? なぜ曖昧な気づき方をしていったか? もしかすると、これも子供特有の何かかもしれない…。 確認したみたところ、ザウスが開業したのは自分が4才の時であったことがわかった。 CMがやっていたのもそのころということ。 そんな前であったとは驚き。 調べようのない記憶であった場合、「6才辺りの記憶」として認定してしまっていたことでしょう… |
■ ■ ■ 白、壁の中に閉じ込められる! ■ ■ ■ | |||||||||||
ある日の夜…。
リビングにいた時だった…
「アーオ」「アーオ!」
どこからか白の鳴き声が聞こえてきた。
「アーオ!」「アーオ」
ずっと鳴いている。
玄関の方から聞こえる。
白はそちらの方にいる。
外にいるのか?
家に入れようとして玄関まで行き、戸を開ける…も、白の姿が見当たらない…。
本当に見当たらない…。
おかしい。
これは…!いつものように帰宅し外で戸を開けてもらえるのを待っているわけではない…。。
非常事態か!
白は一体、、どこにいるのか?!
鳴き声によく耳を傾けると…
玄関の外…ではなく、玄関のすぐ横の壁の中から声が聞こえる、、、壁の…中!
間違いなく、そこだった…。
白は壁の中にいる!
壁の中に閉じ込められている!
壁を叩くと「助けて」と言わんばかりに鳴き喚く…。
そこの壁は床に近い下の方のみ木製の板でできていたのだが、その板の継ぎ目の僅かなすきまを覗いてみると…
!?
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■ ■ ■ 作りたかった…立体感ある高度な船 ■ ■ ■ |
母や祖母は「船」(折り紙)を作って見せることもあった。 立体感があり、これは作ってみたかった。 シンプルな船だが、二艘船↑のような謎の船ではない…。 普通にこちらの方が良い… …でも子供には難しい模様。 「クルッとひっくり返すのが難しい」だとか言っていた。 鶴同様“難しいからまだこれは作れなくてもいい”という感じだった。 確かにテクニックを要する特殊な感じで難しく、最初はできなかった…。 “二艘船ならこれに比べれば簡単”だとか。 子供に薦められるのはそれの方。 船は立体感あったりでわりと良いと思い、特に作ってみたかった… だが「子供は作れない」とされ、残念感があった…そんな思い出。 |
■ ■ ■ うちのトイレ ■ ■ ■ |
時折トイレに時間がかかり、長時間そこにいることがあったわけだが… その時のその間、よくトイレの中を眺めていた。 …そんな変なことではない。 うちのトイレは広くていろいろなものがあり、普通にあちこち眺めたくなるような感じだった。 壁にはいろいろな童話の布絵がいくつも張られていた…。 横は物置台のような台になっており、そこには芝生のマットが敷かれていた…。 芝生といっても偽物なので肌触りはあまりよくない。 その上にはまたいろいろな小物が飾りとして置かれていた。 確か鶴の形をしたカゴなどがあった。 台の横面には煉瓦の壁紙が張られていた。 本物の煉瓦ではないので、凹凸はなく肌触りもサラサラ。 芝生といい、こういうリアルさに欠ける作り物は見るに何か微妙な心境にさせられた。 ケーヨーホームかどこかで買ってきたものだったのだろう。 あと便器の後ろの壁には何か、独特なガクに埋め込まれたロマンチックな雰囲気の浜辺の写真?がかけられていた。 気づいた時からもともとこのような様相だったのでこれが普通?で、 当時は「いろいろなものがある」ということに対してはあまり何とも思っていなかった。 目に入ってはいたわけだが。 トイレとあって、あまり良い印象もなかった。 トイレの中を眺めていた… いろいろなものがあり、見ていると飽きなくて良かった…そんな記憶。これも思い出。 |
■ ■ ■ ハワイにいるのはムーシャtとスズキt ■ ■ ■ |
あるトイレに長居していた時のこと。 なんとなく便器の後ろにある浜辺の写真を眺めていた。 これに特に興味はなく、いままで気にしたことはなかった…。 がしかし、この時はなんとなく眺めていた。 ハワイの浜辺の写真。 いやハワイかどうかはわからないが、なんとなくこの写真の場所は…そこだと思っていた。 親が以前1度ハワイに行ったと言っており、うちはそこと関係性が深いような気がしていた。 そんなでなんとなく…。 この写真、よく見ると手前に人が写っていた。 2人写っている。 夕闇に包まれた2人のシルエット。 シルエットなのでわかり難かった。 ロマンチックな夕暮れのハワイのビーチにいる2人…。 …この2人は… なんとなく… 幼稚園の「ムーシャtとスズキtなのではないか?」と思った。 意識して眺めてみると気付くことがあったりする…。 その後はそれをよく眺めるようになった。 そのうち、「本当にそうなんだ」と思い込みだしていた…。 ハワイにいる2人は彼ら。 凶悪コンビ。凶悪どうし相性が良いようなイメージがあるし。 トイレに飾ってあった写真に写っている人はムーシャtとスズキtであった… (ありえない、おそらく本当は見ず知らずの若い男女) 自分の中でわりと強くそう思った…(ありえない) そういう発見なんかをしていた… それで多少暇を潰せていた…そんな記憶。これも思い出。 あれはハワイに行った時に記念に購入したものだった?なんて思ったりする。 そのような話を聞いたことはなかったので、それはないとは思うが…。 もしもそのお土産だったとしたら「ハワイ」というのは合っていた可能性大。 |
■ ■ ■ 3才だったから3の形 ■ ■ ■ |
トイレにいた時のこと。 またなんとなくあのハワイの写真を眺めていた。 この写真のガクは木製で両端がシャレた形をしていた。 3○E←このような形。 真ん中の○の部分が写真。 でその両端の部分を見てふと…思った。 こう思った… 「数字の3←に似てる…」 これを見て数字の3を連想する人など自分くらいだろう。 「3」←のような形に形作られていたわけだが… この部分がこのような形をしている要因は…何か? なぜこのような形をしているのか…? というとそれは…… 「自分が以前3才だったから」…だと思った。 時は過ぎ、もう今や3才ではなくなりましたが… 前は3才だった。 自分は当初、「3才」だった。 3才で生まれたわけではない。ということはわかっていますが、 最初自分の才を覚えた時が3才で、「自分は3才」と覚えた…。 だからあくまで「自分の中で」ですが、 3という数字は自分の数字という感じで、3のイメージは自分のイメージだった。 3はそういうちょっといろいろある特別な数字。 誰も知るよしもないがそうなんです。 ハワイの写真の端の部分はそんな特別な3に似ている形。 自分が3才だったから3のような形なんだ…。 何気なく本気でそう思い込み始めた。 写真の2人のことといい、3の形のことといい… 実際のところ、そんなはずない。 これはどう見ても身近な人の手作りなどではなく、どこかの店で売られていた商品。 身近な人が写っているはずないし、3才“だった”からだとか訳が分からない。。 考えてみれば「そんなはずない」ということがわかる。 しかし、深くは考えなかった。 結構本気っぽくそう思っていた。 いくらなんでもナイ。。。 でもそんなだった…。 本気ということはないながら、なぜか本気に限りなく近いところまでいっていた印象。 なんとなくそう思いながらいつも見ているうちに、なんとなくそう見るような感じにもなっていった…。 ハワイの写真の両端の部分が数字の3に似ていると思った… 似ている理由は「自分がこの前まで3才だったから」なのかと思った… 自分の中でわりと強くそう思った…(ありえない) そういう発見なんかをしていた… それで多少暇を潰せていた…いい気になれていた…そんな記憶。これも思い出。 中学生辺りの時、これらのことをふと思い出して“変なこと思ってた、自分は変だった…。”とそう思った。 幼い子供特有のおかしな気質。 面白いような怖いような。。 思ってみると、自分にもそれがあった。 思い当たることはこれだけですが。 …誰も知るよしもない話。 |
■ ■ ■ 見知らぬ子供 ■ ■ ■ |
昼間に親とうちの庭の車の前で日向ぼっこしながらたむろしていた… そんな中だった。 隣の病院脇の道路の電柱の影から見知らぬ子供が現れた。 子供にも関わらず、1人だった。 そばにいたうちの親も気付き、その子供に声をかけた。「いくつ?」と。 するとその子供は指を4本立て、質問に答えた。 自分は「同じだ。」と心の中でつぶやいた。 その後親がすぐに同じ年齢だということを伝えた。(代弁?) … やはり何か気を遣いあれだった… それからどうなったかは記憶にない… 結局は何も言葉を交わさなかった。 彼は自分と同様、何も言わなかった。 問いかけた言葉を受け止めてくれていたものの、言葉で反応を返してはこなかった…。 自分も他人とはそんなだった。 で何か尚更恥じらわしい感じだった。 家族と接する場合は全く違いましたが。。 同様な者がいることがわかったので、安心感を得た。 子供なのでそれでも違和感がなかった… 今思うと自分もあのような感じで子供のころは違和感がなかったんだ、とそう思える。 自分も当時、ああいった場面では指で教えていた。 “良い手法”と思っていた。 …思いがけず良い経験をさせてくれた。よくよく思うとそう。 しかしなぜ単独だったのか… なぜうちの前に… 親はどこにいたのか…? 無事帰れたのか…? 誰だったのか…? 何だったのか…? 今どうしているのか…? そんなことはもう2度とわからない。。。 庭で子供に遭遇した… 思えば安心感を得たりすることができて良かった…そんな記憶。これも思い出。 5才、7才の時などにも同期の見知らぬ子供と奇遇にも巡り会ったことがあった…。 |
■ ■ ■ 祖母に教わった凧 ■ ■ ■ |
ある日、家に祖母が来ていた。 親らがおらず、2人だけになっていた。 そんな中、自分はリビングのテーブル上で折り紙をしていた。 そこで、また祖母が何かの作り方を伝授してきた。 …カブトではない…。 文化勲章?かと思いきや違う…。 どんどん小さく包み込んでいく… 1段階、2段階…。 とここで、そこを広げていく。 包み込むのはやめてしまうのか… … 何かに見える…気がした。 そうここまでで、これで完成。 1か所は広げず、そのまま。 |
■ ■ ■ 嫌な改まった写真撮影 ■ ■ ■ |
ある夜、本町通りにあるビルの2階に行った。 兄とKZ君もいた。 ・・・何やら写真撮影をする模様。 自分ら3人が撮影対象者だったようだ…。 部屋の奥で写真を撮っていく…。 自分はここで写真を撮られるのが嫌だった…。 まず撮られたくなかった。 2人も同様な感じだった気がするがそのわりにはわりとすんなり終わり、ついに自分の番…。 自分は嫌で、拒否り続けた… … また次の時に…となった。 良かった。 改まってモデルのように写真を撮られそうになり、嫌だった… とりあえず、撮られなくて良かった…そんな思い出。 こういうことが何度かあったが、何か? この時も七五三…かと思ったが、どうか? 3人は学年がバラバラだ… でも合わせられなくはない。 しかし今思うと“良かった”とは思えない。 大人視点になってみるとあれだ… |
■ ■ ■ 子供は素早い、自分も該当、Let's アピール ■ ■ ■ |
近頃、自分は子供!子供は俊敏!素早く走っているところを見てほしい!的なことを思うようになっていた。 自分は衝撃的に速い。 走っているところを見てほしい。 珍しくそのようなことを思った。 それで外を歩いている時、良い場面でちょっと駆け足wをしてみたりしていた。 ほら速い。凄い!そう思った?あえて自分の走りを見せびらかす…。 園でそちらの人達の前で走る競争とは別。 知らない人に見せたい。そういうあれ。 あの子供誰?凄い!みたく思われるのが理想…。 「今自分はこういう時期なんだ。4才。それが自分のこういうふうに思う時期。」 そんなふうに思い納得し、いい気になっていたり。。 …何か“一時”だった。 見せたくなくなったわけではないが、わざわざ面倒になって、忘れて。 …こんなカッコつけるようなこともあった。 この「走っているところを見せたい!」時期?は“ごく僅かな期間”で終了。 結局、見てくれていた人がいたかどうか?不明、もしいたとしてもどのように思われていたか?不明… 他人の目にとまるようなものではなかったかもしれない…わからないが… 特に自分の走りに目を惹き付けられているような人も見つけられなかった… 子供であること、速いことを見知らぬ人にアピールしたくて、道端で一瞬カッコよく走ったりwしていた… そんな時がやってきていい気になった… でも目を引かれているような人は見当たらず、アピールできていたかどうかわからず終い… そんなだから結局は微妙だった…そんな思い出。 …これも誰も何も知るよしもないこと。 |
■ ■ ■ ある意味嫌らしい生年月日、言うのは気まずい ■ ■ ■ |
当時湯槽には3人で入っていたのだが… ある日、湯槽の中で「自分のセーネンガッピを覚えよう」という話になった… で親は必ず覚えるよう、何度も何度も自分の生年月日を言い聞かせてくる…。 この時、すでにそれは何気なく分かっていたのだが。。 家族皆の生年月日も何気なく覚えていた。 でもとりあえず言われるがままにしていた…。 で「口で言ってみな」「言うまでやめない」というふうになった…。。 すでに覚えていたわけだが、口で言うのは恥ずかしく、なかなか最後まではっきりと言う勇気がなかった…。 でも言わないからには安心してもらえない…。 親からしたら、自分が覚えているかどうか定かでないわけですから…。 ヘーセー〇年でも△年でもどちらでも良いと言っていて選択を強いられていたことにより、言いにくいというのもあった…。 「好みを選ぶ=個性を見せる」ということ…。 個性を見せるとなると恥ずかしさ倍増…。 当時自分は「〇年生まれの頑固親爺とはお前のことだ!」などとも言われており… 〇年というのは嫌だった… でもそれでも、せがまれるのでようやく自分はそれを普通に言った。 言わざるをえない…。 やはり「△年」の方にした。 なるべく〇年と言ってほしそうだったところ、それを押し切って△年と言ったので… 微妙に気まずげな感じだった…。 なのに、親は繰り返し言うように促してきた…。 (精一杯の想いで)せっかく言ったというのに。。 半泣きしながらもなんとか何度か言ったら… とりあえず終わりにしてくれていた…。 それでも〇年とは言うのは嫌だった。 嫌らしくもなかなか満足してもらえなかった…。 生年月日を言わされ、気まずかった… 何度も言わされ、派手めに気まずかった…そんな思い出。 今もその「頑固親爺」のイメージがやはり頭に残っており、〇年と言うのはあれだ。 言われるのもあれ。 密かにずっとそんな気持ちであった。 あと〇年と言うと…もう何か必ずと言っていいほど歳を勘違いされるのだが、、そこも嫌らしい。 〇年と言うと誰しもが今の元号の年と同じ歳かと思う。 たとえば今がH16年なら16歳、20年なら20歳というように。。〇年を0年かと思って。 数字でないため、皆そう勘違いする。 人の歳は(今は基本)0歳からですが、元号は1年からです。 元号の年-1、誕生日前ならば-2が正解ですが。 2歳上に見られることもしばしば… そこもまた〇年の嫌らしいところ。 ともかく〇年は嫌らしい。 さらに嫌らしい要因としてもう1つ「体に悪そう」…というのもあった。 〇年生まれだとそのうち癌になりそうで嫌だった。。 こんなことを思う人はほかにいるのか? |
■ ■ ■ 注目していた、虹色の光の壁 ■ ■ ■ | ||
東武2階のデッキに面したところの、広告スペース?のガラス張りの空間内に、 色々な色が縦に分断されている虹色の光のアート?のようなものがあった。 簡単に言うと、ちょっとした虹色の光の壁。
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■ ■ ■ 焦げたクリスマスツリー型ケーキ ■ ■ ■ |
親がケーキ教室に行っていた。
“同級生の友達の誘いで嫌々ながら入った”というようなことを聞いた気がする。
そこに1度車で連れていかされたことがあった。
閑静な住宅街の中だった。
教室の中では皆クリスマスツリー型のケーキ(平面的なもの)を作らされていた。▲
うちの親も作る。
“面白い、これはいい”と思い、早く作ってほしかった…。
親を誘った友達の人もおり、暖かい視線で見てくれていた。
ケーキは(当然)台の上で作っていたのだが…
身長からして台の上が見えず、どのように作っているのかあまり分からなかった。。
そこで台の上に乗せてもらった…。
こちらとしては少し恥ずかしいが、小さかったためあまりおかしいようには見られなかった。
で様子を見ていたが、親のは何か失敗作のようだった…。
かなりコゲていた…。▲
自らも「失敗」と言っていた…。
そんなながらもクリームを塗り、一応完成させた。▲
完成品を味見させてくれた…
コゲた味がした…
あまり食べると体に悪そうな感じだった。。
ケーキなので当然、美味しいことは美味しいものの、「ケーキにしては」酷めの味だった…。
あの味は、忘れられない…
忘れられなくなった…。
未だ思い出すだけで、あの風味が感じられてくる…そんな気がする。
その後車に戻った。
乗ってきた車は白い車だったと思った。
クリスマスツリー型のケーキ作りの様子を見た…
面白くて良かった…
味も良かった(が悪い意味で忘れられない味だった)…そんな思い出。
…思ってみると、結構普通の出来事?
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■ ■ ■ ホットカーペットとコタツとストーブ ■ ■ ■ |
冬になると、ホットカーペットとコタツとストーブを出していた。 ホットカーペットの上にコタツ…ホットカーペットとコタツはセットで点けていた。 そんなで何か両者はセットで売られていた2つで1つのような物かと思っていた。 (そうでないことに気付いたのは小学校高学年頃) ホットカーペット、コタツに加え、ストーブも同時に点けるのが日常だった。 コタツやストーブの前で過ごす時間が印象的だった。 特にストーブの前の陣地は強烈に暖かく、争奪し合いになっていた。 1人で独占しているのがベストだが、誰かに割り込んで来られる。 それで少々気分損ねたりということも。 父だけは直で強烈に暖かいのが嫌いで、争奪に参加していなかった。 自分が1人で独占していたり割り込んだりするとやけに怒られた。 「自分の場合だけ」のように思える感じだった。 何があれだったのか?不平等? 主に兄が自分に対して冷酷だった印象。 そういう気がするだけで、自分が悪いのか?と思っていたが…本当にそうだったのか? 参加しない父はストーブ等の強奪を可笑しげに見ていた。 さらに「このカーペットは物凄く電気食う。」「これやってこれは…」などと文句も言っていた。 それを聞くと「ちょっとまずい?」と思っていた。 自分がそんなふうに思っていたとは、まさか誰も思っていなかったことだろう。 エネルギーが…電気代が…そういうのは自分は父同様に気になってしまっていた。密かに。 でも自分もとにかく暖かさ(熱)を好んだ。 父は雪国出身。暑いのは大の苦手だが寒いのは得意!と名乗っていた…。 それもあって尚更ホットカーペット+コタツ+ストーブに文句を言っていたのだろう。 母・兄は父の忠告を聞こうともしていなかった。そういうもの。 とにかく冬にコタツの中やストーブの前で過ごしていた時が心地良く、印象的だった… 嫌なことがありつつも良かった…そんな思い出。 こういった冬の一時もまたこのころのイメージを象徴する要素の1つ。 当時暖房はなかった。今はそれがある。 …皆記憶も何も新陳代謝させていて、もう直の暖かさを忘れてしまっている… |
■ ■ ■ ひんやり、さわやか、面白い…緑色の箱のような機械 ■ ■ ■ |
ストーブの上に謎めいた物が置いてあった。 その「物」とは緑色の箱 ■ のようなもので、プラスチックでできていた。 電源が入っている時は上から白い煙が吹き出ていた。 白い煙に触れてみるとひんやりしてさわやかで、気持ちよかった。 その緑の箱の中には水が入っていた。 それで箱自体がいつも湿っていた印象。 白い煙は吸ってもさわやかだった。(心配なので意図して吸ったことはないが、吸ってしまったことはある) あのウォーターな風味?が印象に残っている…。 あのさわやかさ…あの風味…… 思い出す…。 この箱のような形の機械、どういった役割を持つ機械なのかよくわからず、自分の中では「謎の機械」であった。 なんなのか?煙はなんなのか?なぜストーブの上に置いてあるのか? 意味があるはずだが、謎。 でも何か面白かった。 わからないのでともかく「煙が出ている面白い機械」という感じだった。 煙が出てくる左端の斜面になった溝?の部分を「地獄」と見立て、 そこにウルトラマンなどの人形を突っ込ませたりしていた。 このウルトラマンは霧の中に勇敢に入っていく!的な感じ。 霧に飲まれ、大ピンチになりながらも何かのために霧の源へ突き進む! 煙が出てくる面白い物だった。 決して子供のおもちゃなどではないのだろうが、子供はどうしても釘付けになってしまうような物であった。 なんでも「楽しいもの」にすることができた子供のころは楽しかった…。 まだ4才程…非常に若かったので、あせる気持ちもさほどなく、気も楽だった。 「遊んでいる時間がもったいない」とかならなかった。 …この機械の詳細を知るのは数年後のこと。 ストーブの上に謎の緑の長方体の機械があった… 機械から出てくる白い煙で遊んだりでき、面白い感じのものだった… 面白かった…そんな思い出。 数年後、それのことをふと思い出して、懐かしく思った。 長いこと見かけていない… なぜ使わなくなってしまったか…? まだあるとしたら、また出してほしい…そう思った。 もちろん本来の役割を果たしてほしいから…ではないが。 … ストーブは空気を悪くするから、そこに置いていたのだろう。 思ってみると、あのさわやかさ…まさに「空気が清浄されてる感」あった。 なぜ気づかなかったか…… |
■ ■ ■ 禁断の…恐怖の…赤い泥棒マークに切り替わるボタン ■ ■ ■ | ||
祖母の家のリビングの押入横の柱に何か装置が取り付けてあった。 誰かが玄関に来ると音が鳴るのだが… その音はその装置から鳴っていた。 でその装置には隣り合わせで2つのボタンがあった。 左側の方のボタンを押すと…赤い泥棒マークのランプ●が点灯する。 普段点灯しているのは右の緑の普通の来客マークのランプ●。 最初左のボタンを押し、泥棒マークの方●にしてみた時… ヤバそうでうるさいサイレンのような音が鳴った…。 親などに「そこは押しちゃいけない」と言われた。。 緑の来客マークの方●にすると修まった。 何やら「そこを押してランプをそれにすると泥棒が入ってくる」のだとか…そう説明された…。
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■ ■ ■ ウザったく嫌らしいファミコンとやら ■ ■ ■ |
「ゲームやらないねえ」だとか言われていた。度々親に。 今の子供は皆やっている模様。 よく耳にする「ファミコン」というやつ。 そういう何か「今時の子供に流行っている人気のもの」というのはどうもウザったかった。 そんなものは自分は知らない!好きなんかでない!全然関係ない! 「子供は皆好き」というのは間違い!子供でも好きではない場合がある!勘違いしない! 今時の子供に流行っているというそのフレーズがまた嫌らしい…そういうとあえてやりたくない感じ。 …嫌らしかった。ファミコンとやら。 そもそもうちにない! でも自分らはそんな嫌らしくウザったいもの全く欲しくなんてない! … そんな中… ある夜、親がそのウザったい流行りものの1であるファミコンをどこかで購入してきて家に持ってきた。! 新品であった。 、、、、、、 正式にはスーパーファミコンという模様。 それもかなり“聞き覚え”がある…。 …なぜにこんなにもウザったい欲しくないものを買ってきてしまったか? 自分らもこれを持っている子供の一員になってしまうではないか。。 嫌らしいやつの一員になってしまう。 なぜ買ってきてしまったのか?嫌らしい。 やらないと世間に乗り遅れる?だからウザったい一員になるのがいいこと? それはあくまで個人としての見解。 そうは言えない見解もあるでしょう… … でもいざ手元にあると目新しくて興味を引く、、 少し触れるだけ。興味があるわけではない。勘違いしないこと。 自分は布団の上で1人で本体のあちこちをいじっていた。 ボタンを押してみたり、ソフトを差す場所に指を入れてみたり。 ここをこうするとこうなる…。 本体の裏側を見ていたら…?密かに何かよくわからない部分があった。 !それを発見した。 ここも見るに何か「ソフトを差す場所」…のよう。 表側にもあるわけだ…ソフトを差す場所が2つ?! こちらの場所の方が小さい。 ここには通常のソフトは入らない。 この場所は何なのか?一体? やはり何か秘密が…? 裏に謎めいた部分があることを兄にも教えた。 兄もよくわからないようだった… 疑問を浮かべていた感じ。 …これは発見として置いておき、その後もほかの箇所をいじっていた。 いじっていたら… 表側の通常のソフトを入れる部分のフタが、、、開かなくなってしまった。 ・・・壊れた?! そう思い、かなりあせった。 まずい、どうしたら、、 何と言われるか…? 兄らは仏壇の部屋にいた。 兄らが来たら異変に気付いてしまう。 まずい。来ないうちになんとかできるなら…。 気付かれないうちになんとか直さないと。。 いろいろ触っていたら……開いた! フタがまた開くようになった。 一安心ww そう、そうだった。 ここのバーを上げると開かなくなる。 いろいろいじり、先程その仕組みを把握したのだが、 またいろいろやっているうちにわからなくなり、壊れたものかと思ってしまった。。 自分で「自分、何やってるんだ?」と思った。。 壊れていない。これはこういう仕様のもの。自分は何も危害与えていない…。 怒られることもない…。 めでたし。 そういう感じであった。 まさかこんなことがあったなんて、誰も知るよしもない…w 今ここに書いてしまったので、これを読んだ人がこれから知ることになるか。。 親がスーパーファミコンをかってにどこからか購入してきた… いらないのになぜ…嫌らしかった…そんな思い出。 でもその日、少々気になり触れていたらそのスーパーファミコンを壊してしまった… かと思いきや勘違いだったりした… 謎の秘密を見つけてしまったりもした… なんともなかったり発見したりで良かった…そんな思い出でもある。 このスーパーファミコンは意図して購入したものだったのか?どうなのか? 「ピコやテレビ子をやっていたので、これも好きな可能性高いと思い、意図して購入した」という可能性がある…。 それに「皆持っているから、やっているから。子供に常識的なことをさせるため、 ほかの子供に乗り遅れないようにさせるためにやらせたいとも思っており、 どうあれ買ってみようと思っていた」というのもありそうだったので、 意図して買ったのなら、それもあってのことだったのだろう。 どのようにして入手したのかは、よくわからなかった。 ちなみに 正式にはスーパーファミコン←これは間違い。 スーパーファミコンとは別にファミコンがある。 この時、ファミコンはスーパーファミコンの略称だと思っていた。 両者が別物だということをまだ知らなかった… |
■ ■ ■ 怖い…悪魔の店 ■ ■ ■ | |
このころ、AN公園に毎日のように行っていたわけです。
公園内にかなり怖い場所が2か所存在していたわけです。
あとそれに…公園南側のFB幼稚園のバスの停まる道路の向かい側の大通り寄りの方に、、
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■ ■ ■ 悪魔の店、覗き見 ■ ■ ■ |
例の悪魔の店だが、怖いながらもその店内が気になっていた。 で実は1度、公園を抜け出し1人で戸を開け… その向こうを見たことがあった。 入ってはいません! 左にレジや調理台があり、右側にはテーブルや座席があったと思った。 和風な料理の店?そういった感じであった。 内装もダークで色彩豊かだった印象。 やはり怖い。 こういった雰囲気の演出にこだわった店なのでしょう。 子供から見ると怖いが、これが味。 すぐに気まずい感じがしたので、ほんの少し覗き見ただけ。 気になっていた悪魔の店の店内をおそるおそる、覗き見た… 気まずい感じだった… だが内部の様子を知れ、収穫を得た…そんなである意味良い気持ちだった…そんな思い出。 親が今度入る?的な感じで入口前に提示されているこの店のメニューを見たりしていたことも。 入っても、神社のように祟られることはないのか? 普通に子供が足を踏み入れてはまずい気も。 この怖さからはそういった雰囲気も感じとれる…。 |
■ ■ ■ 何となく怖い…怪しい店 ■ ■ ■ |
AN公園前の悪魔の店と同じ並びに、少し怪しい感じの店がもう1軒あった。 怪しいとはいっても、だいぶあの店とはタイプが違う。 駄菓子屋隣のマンションの1階部分。 カクテルバー?のような店であった。 ガラス張りで、外から店内の様子が見えていた。 青い照明の光が店内を包み込んでいた。 心安らぐBGMが聞こえてきそう…。 怪しさのある店で、どことなく、怖い雰囲気であった…。 子供が近寄ってはいけないような雰囲気だから、うっかり近寄ってしまわわないか不安で怖い。 そういう感じ…。 独特な怖さであり、命を脅かされるようなそういう類の怖さは薄め。 公園前に怪しげな店があった… そこがまた密かに何か怖かった…そんな思い出。 この店まだある?かと思いきや、ない。 いつのまにか「トネ接骨院」になっている…。 日常の風景に溶け込んでおり、あまり目につかずにいた。 |
■ ■ ■ 格好良い人の出る好みの映画 ■ ■ ■ | ||
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■ ■ ■ オレ,ボク選択 ■ ■ ■ |
自分は自分のことをなんとも言っていなかった。 一人称の話。 なんと言ったら良いのか迷い自分を指す言葉が使えず、不便であった。 ある時、それに気付いていた親から「一人称はこう言いなさい」的な指示をされた。 「自分のことはボクっていう。オレっていう。ボクかオレ。」「ボクっていう。」 曖昧…2択。 “オレ”というのは何か、リーダーのようで格好良い…。 自分は「“オレ”の方にしてみたい」と思った。 …しかし!だった。 親は“ボク”の方を推し薦めているかのような感じであった。。 というか、どう考えても“ボクが良い。それにしな。”的な感じ。 オレにしたい…だがおそらくボクを薦めている…。 親は“ボク”が無難だと思っているのだろう。 どうすれば良いのか?! この感じでは「オレにしたい」などという意志表明は無理。 しかも何か、選択を迫られると、どちらを選ぶのかで個性が出る… その「個性」を表わにするとなると決意がいり、気が引ける…。 そんなで悩まされ、自分の呼び方(一人称)が決まらなかった…。 その後も何度も「ボクオレって言いなさい」と、そのことに関して触れられたりした…。 どうしてもそういうわけであれで、この件は保留にさせていた…。 ボクは、何かウザった感がある。 兄も同様に自分を差す言葉を言えず、 親は自分に…というか、毎度自分らに対し、そのことを言っていた。 冷蔵庫裏のふすまの前でしつこくせがまれていたあの時が最も印象的…。 どうなるのか…? これでは…親元にいる限り、永久に言えないのではないか? そうだろう…。 考えてみればわかる。 言えるようになる機会が訪れる見込みがない。 そのような機会は想像できない。 言えるようになる理由がない、理屈がない。 …いい。 未来は想像しない。自分は“大きい人”にならない。未来は来ない。 オレと言ってみたいがボクが無難とそちらを推される… それで自分をなんと呼んだら良いのかわからなかった… 兄と同様、一人称は言わないようにしている人になっていた… 言えるようになるとも思えなかった… それでもやり過ごせていた… この件には微妙な心境にさせられた… 微妙な感じだった…そんな思い出。 どうなるのか?この感じだと2度と言える時が来そうにない…と。 その後、悲劇が起こる……。 |
■ ■ ■ 電車で行く、コンタクトの病院 ■ ■ ■ | ||
親が「コンタクトの病院に行く」だとかそのようなことを言い、共にそこへ行くことがあった。 結構な頻度で定期的に行くようになっていた。 あくまで親の用事であり、自分らには関係ないので“どうしよう”的な感じがあったが、 まだ“留守番”はしたことがなかったので、やむなく自分らも行っていた…という感じ。 そこが割合い遠く、電車で行っていた。 まあ“電車で行く場所”としての距離は並み。 どこへ行く時も“結構長く乗ってる……”的な感覚があった。。 ここへ行く時に限っては特に長く乗ってる…という感じではなかった。 並みな程度の体感時間で到着していた。 いつもの駅から普通に電車に乗車し…途中から「地下」に潜っていた。 何度も行っていたので、確かに記憶している。
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■ ■ ■ 発見!面白い時計 ■ ■ ■ | |
ある日またコンタクトの病院に行った。その帰り…。 何だったか…? 何だったか? 忘れたが、、帰り道に駅の近くまで戻ってきて…その辺で兄と2人だけになっていた。
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■ ■ ■ ザクロ町 ■ ■ ■ |
コンタクトの病院に行く時の話。 電車で行っていたわけだが、途中何か印象的な名称の駅があった。 印象的なので、その駅名をいつのまにか覚えていた。 その駅は…「バクロチョー」という駅。 「ザクロ?w」みたいな感じで面白かった。 自分は「ザクロ」という果物の名前を知っていた。 でもザクロチョーではない。バクロチョーだ…。 「バクロチョー」と言うと、親も同様に「面白い名!?」的な反応をし、自分だけそう思うわけではないんだ…と、多少思えた。 ザクロは親が見せてきて知ったもの…親も敏感で反応が大きかったとか、 またあまり考えず適当に良い感じに反応したとか、そういった可能性もあるのだが。。 ともかく、個人的にバクロチョーは変で印象的な駅名であった。 ちなみにバクロチョーは地下に潜った後の駅(地下駅)で、この駅のもう2,3駅先がコンタクトの病院の最寄り駅であった。 このザクロいやバクロチョーに差し掛かると「もうすぐ」。 そのこともいつかしか覚えた。 でも“覚えた途中駅”はそこのみであった。 現在地、駅などに特に興味があったわけでもないので…。 そんなだとそんなもの。 ザクロのような駅名の駅があった… その駅名が面白かった…覚えた…そんな思い出。 あくまで「個人的に」面白かった…という感じ。 今思うと“何が面白いんだ?”という感じ。。 何か不思議。 ザクロは当時思っていた以上にマイナーな果物だとわかるし、思い返してみるといろいろ何か不思議。 「馬喰町=バクロチョー」だと知ったのはかなり成長してから。 あと当時、何気なく耳にするキンシチョーなんかも変だと思ってた。 キンシって「禁止」ではないとすると、それ意外に何かある?と。 |
■ ■ ■ 魅惑のタワー型建物 ■ ■ ■ |
当時、「タワー形状の建造物▲」に魅了されていた。 見映えが美しい。 割合いろいろ惹かれているものがあったわけだが、それもその1つ。 東京タワー、マリンタワー、ランドマークタワー等。 そのくらいしか知らなかった。。 ピラミッドに魅了されていたのは「それがあってのこと」だったようにも思える。。 そこまで情報社会でなかったこともあり、こういった建物の多くは実際に見てその存在を知り、魅了されていた。 そこに実際にも行くことがあった。 東京タワーは特に定期的に行っているような感じがするほど頻繁に行っていた印象。 TDL等には及ばずも、よく行く娯楽地の1つであった印象。 「自分が」惹かれていたからだったのか?それもあっただろう。 TDL等は「兄が」惹かれていたからよく行っていた感じであったが、それに対し、そこは「自分」。 自分が惹かれていたから、そういう感じ。 なのでそこは何というか自分の支配下!的なそういう感じであった…。 良い感じ。 でも兄も多少はそこに惹かれていた感じだし、自分も多少はTDL等に惹かれていたので、 どこに行くにせよ、互いに不愉快になったりはせず、良かった。 でタワー型建物の「外見」は好みだった…わけであるが、そこに「上る」のは逆。 上るのが苦手だというのは自分だけではないでしょう。 その要因はごく普通。2重の恐怖。 しかし、上らされてしまうこともあった。 特に怖いのはエレベーター乗車時。 展望台まで来てしまうと、一安心だった…。達成感もあり。 だが下りる時にまたエレベーターに乗車しないといけないわけだ。 避けられない恐怖が待っている… 今は安全帯にいるだけ… 例えると、台風の目の中のような場所… そこにいる時は、そういう感じ。 だから展望台にいる時は何か今は平気ながら、気持ちが落ち着かず、何とも言えない雰囲気が漂っていた…。 毎度“無理に来させられ、来てしまったから来れた”的な流れ。 この怖さではもう来れそうにない。 もう来れないので今だけ。今は貴重… 恐怖が待ち受けていて落ち着かない上に、そういった想いもあり、 何か異世界にいるような地球上ではない惑星にいるようなもうそういったような非常に独特な雰囲気が漂っていた…。 もう「展望台自体」がそういった雰囲気…。 このようにいろいろあり、展望台にいる時はそんな気持ちだったと…。 タワー型建造物に魅了されていた… 東京タワーのリピーターになっていた… 展望台にいる時は達成感と安心感と待ち受ける恐怖と もう来れないかもしれないという想いとで凄い独特な気持ちだった…そんな思い出。 |
■ ■ ■ 絵に描くのも絵になる、東京タワーの絵 ![]() |
国旗、太陽系、マリオなどと、興味深いものは総じてよく絵に描いていたが、タワー型建物を絵に描くことも当然、あった。 見ればどのような外観だかわかるから、描ける。 当然…かと思いきや、ほかの人はそうではない。 |
■ ■ ■ 知らないが存在する東京タワーの階段、行くことのなかった階段 ![]() |
ある時、親が「東京タワーは階段でも上れる」だとか言っていた。 … (エレベーターはあれだが)階段とらあらば、気安く上れそう。 その前に、階段などどこにあるのか?? 外側から見た感じ、階段などない…ような。 透けている建物なので、外側から見てなければ「ない」ということ。 でもよく見るとどこかにあるのだろうか? 次は「意識して」見てみて階段を探してみよう。 そう思った。 早く探したい…。 それから、階段が雑誌に載っていたりTVに映っていたりしているのを実際に見た。 どうやら本当に、本当のよう。 例の四角い建物~展望台の間に屋内部分はないので、外からもその階段が見えているはず。 意識せずに見ている分には気付かない…ということは、 タワーの中に上手く溶け込んでいる感じで、さほど外観の見栄えに悪影響を与えていないということ。 階段「ある」と。 どこにあるのか知りたいし、その階段とやらで上ってみたい。 親は「今度階段で上る?」的なことも言っていた。 これは喜ばしい。 でも「疲れる」「大変」などとも言っており、上ると言いつつも、やっぱりその気なげな雰囲気も感じとれた。 どちらなのか…? 確かに「あの高さ」まで階段で上るのは、かなり時間がかかる…即ち大変だろう。 でも自分は階段で疲れたことなどない。 …上りたい。 良いことに“階段で上る人”もわりといるようだし。 「そこから上る人は特別」でもなさそう。 だから良さげな感じ。 例のタワーに「階段がある」ということを知った… 今度(上る時)は階段?!良い情報を得た…それは良かった… しかし、親が期待持たせておきながらその気になってくれず、それで嫌らしかった…とそんな思い出。 … …残念ながら、結局階段で上ることはなかった。 どこに階段があるのか? どこから階段が伸びているのか? そこはどんなところなのか…? いまだ(2009年?時点)謎のまま。 「階段を見よう」としつつも、いつもそれを忘れ、今に至るまで「意識して階段を探してみた」ことがない。。 大人になるまで忘れ続けた。 大人になるまで←当時の感覚からしたら、恐ろしく長い時間(想像できない異次元の長さ)。 どこにあるのか? これから「見つけようとする」場面を想像すると、何か高揚する。 親は今、別の建物に階段で上った時の記憶と混同し、 このタワーにかつて階段で上ってことがあったものだと錯覚していたりしていて驚き。 |
■ ■ ■ 発見!最高の泳ぎ方 ![]() |
いつかスイミングスクールに通っていた兄は、少し泳げ、潜れたが…自分は無理。 無理であった。 「これまでは」の話。 “泳ぐ”のはおそらく、できるようになった! 「簡単に泳げる方法」を見つけたのだ! 並大抵の人は「手を大きく回して」泳いでいる。 そうでない。 「スッスッと指先で前をエアでつつくようにして」泳ぐ。 オリジナルの泳ぎ方。 「この泳ぎ方」が格好イイと思い、泳げる!!と思った。 で浴槽の中で実際にやってみた。 そうしたら、本当に泳げた…ような気がした。 泳げる! 浴槽なんかの小さな空間で試しただけでは当然、確信は持てないが…。。 “何となく”泳げた気がした。本当に泳げる“気がする”。という程度…。 そのうちもう1つ、簡単に泳げる泳ぎ方を発見! それは「手の平を広げ、その手を水平に回す」泳ぎ方。 まあこれより、あのつつくような泳ぎ方の方が見栄えが良いので、おすすめはあちら。 これも簡単に泳げる…というか、そんな気がするという感じ。 どちらの泳ぎ方も、あくまでそういった感じ。 だが兄に自分は「泳げる!」と言ってしまった。 で自分のそれら泳ぎ方を(エアで)教えたが、“よくわからない”ような感じであった…。 格好イイ泳ぎ方でもあるでしょう?それもわからない? 水上でやって見せないとだめか? 嫌な感じ……。 簡単に泳げる最高の泳ぎ方を発見した… 密かに凄い発見をし、喜ばしかった… だが人に説明しても理解してはもらえない泳ぎ方のようで、それは嫌らしかった…そんな思い出。 |
■ ■ ■ 最高の泳ぎ方、最高ではなかった・・・ ![]() | |
ある日、KZkらとどこかのプールに行った。 プールに行ったことは何度もあったので、特に「特別な日」などというような印象はなし。 日常の1コマ的な感じ。 着替えのロッカー?にいろいろ入れ、プールサイドに来た。 この時、KZkと2人きりであったような気がした。 カラフルな舗装のプールサイド…。 ハシゴで上る台のようなものや、貸し出しのサーフボードなんかが目に入ってきた。 プール内にはサーフボードを持っている人が、わりと多くいる…。 あのサーフボード、使ってみたい。そう思った。 ミサイルのような形をしており、格好いい。 あれがあれば泳げない人でも泳げるのだろうか? おそらく、そうだ! かなり、泳げるのだろう! サーフボードを持ち、あの「簡単に泳げる泳ぎ方」をやれば、完璧だろう! サーフボード+あの泳ぎ方!絶対に泳げる!自信ある! これで泳げること、証明できる! で自分もサーフボードを取ってきた。 サーフボードを持ち、プールの中に突入した。 皆、見てる?見てるのか?見てろ!! 自分は得意げに、その思い描いた通りのことをやった! 、、、、、、
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■ ■ ■ 良い、東京タワーの模型 ![]() |
ある日、また例のタワーに行った。 その帰り際。 2,3階あたりにあったお土産売り場に立ち寄った。 そこには、例のタワーの模型が売っていた。 結構な大きさ。 1mくらい、ある? ここにしか売っていないのだろうか? 何か、そんな印象。 リアルな感じ、スペシャルな感じ…。 「この模型、欲しい。」そう思ってしまった。 色違い(バリエーション)が数種類あった。 それも何か、たまらない感じ…。 自分は「金」のが1番欲しい、とそう思った。 ▲▲▲▲▲ ↑金 例の如く、特に何も意思表示はしていなかったが… 「欲しいだろう」と思われ、本当にそれを買ってもらえるかのような流れに。 金のか!? それに視線を寄せる。 …それはだめ的な感じであった。 …そこまで上手くはいかない。 思ってみると、なぜだったのか? 考えられることは…値段が高かった? 素材からして、それだけ高くてもおかしくなさげな感じではあった。 高そうな風貌であった。 そういう風貌なのが、良いところだったのだが。 結局、購入したのは赤白(実物と同じ色)のものだった。 それになってしまった。 それもいい。 でも金があったのだ。それ方が。。 テンション下がる。 気分損ねた。 その後、階段で下に下りた。 テンション低かった。 金がだめだった理由として、「買い手の親がそれよりも赤が良かったから」というのも微妙に考えられる。 「王道のもの」を好むタイプだから。 … その例のタワーの模型は、確か父が組み立て、しばらくテレビの横のスピーカーの上に飾っていた。 で、そのうち(どうしてか)てっぺんのアンテナ部分が折れた。 父が接着剤でくっつけるも、また折れ… またくっつけるもまた折れ… それを繰り返しているうちに、“もういいや”という感じになり、本体ごと捨てられた……。 でもあの模型は記憶に残っている…。 某震災で「実物」が本当に同じような折れ方をし、衝撃的。。 模型も実物も、折れやすい部分は同じ。。 同じ形をしているわけだから、特段おかしなことではないか。 思ってみると、あれが飾られたいた期間は、「少しの間」だけ。 当時の「自分の」感覚としては、そうでもないが。 東京タワー内で売っていた東京タワーの模型を見て、それを「欲しい」と思う感情を持った… 上手いこと手に入れることができた、良かった… しかし、欲しい色のではなく、それは多少残念であった… アンテナがどうしても折れる…嫌らしかった…そんな思い出。 |