気付いた時。自分は……
と本来なら話始めるべきですが、最初はちょっと「記憶」とは関係のないプロローグのようなものを書きます。
64年まで続いた…本当に長かった1つの時代が…その時代が終わり、新たな時代が始まろうとしている時に…
「自分」も始まろうとしていた…“みたい”だ。
そして都合よく新年を迎えると同時に自分の始まる新時代に切り替わった…。
だがまだこの世界に自分の姿はない…。
そして前の時代からの冬が終わり、新時代になって最初の春の訪れとともに自分は姿を現した。
事実上新年の数日後から新時代となっているが…
「始まりは春」。ある意味新時代の始まった日に生まれた。
言い替えると「新たな時代の幕開けとともに生まれた」と言える。言ってしまえる…。
これ書いてて「この上ないほど理想的な日に自分は生まれていた」…ということに改めて気付かされた…w
そしてゲームソフト、同○生…など、本当に理想的に恵まれた時期で生を受けることとなる…。
違う年に生まれていたらどうだったか?…もはやそんなこと考えられない。
いい時期に生まれるといいこともあるのか…?(そういうの信じませんが)
もしや自分に合わせて、新時代となった?自分の時代?自分は神?
だとしたらこの時代は自分が生み出した時代…ということになる。
となるとこの時代が終わるのは…自分が死ぬ時?
なんてことはないと思いますね…。
何馬鹿げた妄想してるんでしょう…。。
にしてもその新時代が「自分の時代」ってな「イメージ」はある…。
以上プロローグ。
新時代や旧時代というのが何のことかはわかりましたか?
この小説内では都合上、このような謎解きが必要なようなシークレットな書き方?をすることもよくあります。ご了承ください。
あとここでは自分のことを「自分」←と記述します。主人公「自分」。
自分ですから。
とここからが話の本番。↑まではまだ前フリですよ。
これから…
とても信じがたいような話をしていきます。
十分に覚悟しておいてください。
自分は世の中にほかに存在しないほど(つまり世界一?)衝撃的な人間です。そう思います。期待していいです。
全てが事実です。「事実を話しているだけ」です。そこを覚えておこう。
恥じを感じるようなとこも多いですが、自分のために書いたものでもあるので気にしないこと…。
でも感動的な話でもある…かもしれないので、引かないでほしい。
少し読み続けていけばハマっていくことでしょう。おそらくw
「少し読んだだけでやめる」というのが1番あれかもしれない。
本人だからわかる自分のすべてです。本人にしかわかりません。
自分の過去のほとんど全てをここで明かします!
本人の本当のことは本人にしかわかりません。
…思えばこのような話は今までにほとんど人に話したことがなかった。
自分ではずっとわかっていたことなんだが…。誰も知らないのか…。
身近な人達もが誰も知らないなんて不思議な感じ。
どんな小説になることか?w
…では始めに…まず…
…
気付いた時…自分は「3才」だった…。
自分とは何か?
この世は何なのか?
なぜ生きているのか?
生きているとは何か?
なぜこの世があるのか?
この世はどうして生まれたのか?
この世はどのように生まれたのか?
どのようなきっかけでこの世は生まれたのか…?
家族の人達は何なのか?
なぜこの家族の輪の中に自分がいるのか?
自分がいてもいいのか?
迷惑じゃないだろうか?
母はなぜ自分を生かしているのか?
母はなぜ自分を見捨てないのか?
迷惑だったら捨てたっていいのに。
かってにこの家族の中に自分は入り込んでしまっただけ…
それなのに…
こんなこの家族の邪魔をしたくない。
こんな大変なんだから…
なんだから…
小さくて何もしてあげられないんだから…
捨てたっていいのに…
本当にそもそも…
なぜ自分は存在するのか…?
どうして誕生してしまったのか…?
この命は自分に託されたもの…
どうして自分に託したのだ…?
自分はここにいる…
この世界にいる…
この世界の…この家族の1人としてここに…
命を託されてここにいる…
自分は幸せなのか…?
幸運の持ち主なのか…?
世界が見える、聞こえる、臭う、感じる…
みんな同じ…?
みんな同じ自分どうし…?
自分…?
みんな自分を持ってる…?
…
なんてまだ思っていた…。
そう心で思っていた。このころは。
どことなく、そう思っていて、そういう感情を抱いていたそのころを確かに覚えている。
そんな言葉を並べてこんな風に言葉で言い表そう(表現しよう)となんで思わなかったが、
確かに今言葉で言うとまさにそのような感情を抱いていた。この言葉の通りだ。
自分の存在に気付いたのが3才の時だった。
なぜ3才だったのか…?
それは…ある程度人並みに知恵がついた時が3才の時点だったから…なのだろうか…?その説が有力か?
自分の年齢を初めて知った時が3才で、その時3才と覚えたから…というのもあるかもしれない…。
自分の存在に気付くとふと、こんな想いに悩まされるようになった。
自分は3才から悩んでいた。
(この第一章は「3才の章」です)
みんな同じ…
みんな同じ自分どうし…
自分どうし…
みんな自分を持ってる…
って分かっていても…やっぱり自分は自分だから特別…ってな感情を持っていた。
自分…って1人しかいないじゃないですか。
自分は自分しかいない…。
自分というのは自分だけのもの…。
そういうことを考えて意識してしまえるような頭脳を持っていたためか、やろうとすると何でもあまりにも理想通りいろいろできた…
まだ小さいわけだし、末子なので、「まだ何もできない」そう思われがちで、
生まれつきもともとそういうキャラで、できてしまうと非常に驚かれてしまう…。
人が驚くようなことが…
驚くべきことが…
自分は意図も簡単にできる…。
やっぱり自分とは特別…
この世に1人しかいない…
この世に自分1人しかいない「通常の人間じゃない人物」かも…宇宙人とかありえるかも…
的なこと思っていた…。
そんなことあるわけはないと分かっていながらも、何かそういうような思いを消すことはできなかった。
それで自分は…何でも本気ではやったりせず、自分の力を隠していた…。
なにせ本気でやったら驚かれてしまい、みんなが驚くと自分でも“普通じゃない”って…驚いてしまうから…。
必然的にそうするようになっていた。
体温計る時とかひやひやでしたね…。
自分という特別な自分…普通の人間じゃないんじゃないか…だったら普通の温度じゃないんじゃないか…
正体がバレるんじゃないか…とそういった気持ちだった…。
ほんとに体温2℃とかだったことがあって、それでよりいっそう特別な人間と思う感情が増したりも…。
体温計が壊れてたらしいが…。
そのほか、耳鳴りなどなど体のあれこれも自分だけなんじゃないか?と不安を抱いていた。
自分は自分の存在に気付いた1番最初から、その力を隠しながら生きていた。
ここだけの話です。
具体的なことを言いますと…
着○えとかもこのころから簡単にできたんだが、あえてできないフリをしたりしていた。
○イ○なんかも1人で行けるのに声かけされた時じゃないと行くのを忘れてて行かないフリをしていた。
○○物とかも全部食べれる時は食べれたのに、あえて必ず少し残すようにしていた。
わざと残したと思われないように上手く考えながら調整していた。
ほかの普通の3才児はできないフリをしてるわけでもないのにそういうことができないのは、
「まだ小さい」わけだからで、成長してくればできるようになるもの…
ですが、自分の場合はそんなで空気読んであえてやらないようにしていたので、
「やれるようになるタイミング」を見つけなければならなかった…。
だが子供の成長というのは予想外にも緩やかだったので、そのタイミングをなかなか見つけることができなかった。
いつまでもそういうキャラで定着してしまっていて困ったものだった…。
やりたい気持ちを抑え、やれないフリをしていた…。
あと自分ではそれほど分からないながら…このころから親からいつも「よくしゃべる」とか言われていた…。
でもなんです…
言葉で言えることと言えないことがあった。
ちょっといままで言わなかったようなことを言うと、不思議がられるし…
聞いてるのが家族であろうとも何か恥ずかしい…。
言いたい言葉を押さえながらいろいろ話しかけていたという感じ…。
家では違うんですが、外では“ほかの子供とは違って大人しい”と思われたくて、
あえてなるべく話さないでいるような場面も結構あった…。
大まかに言うと、演じるような、あえてわざとできないと見せかけるようにするようなことをずっとしていた…。
それらに限った話ではないです…。
3才の時点で確かにすでにそんなだった。
「できないフリ」をしているのが自然だった…。
自然に(普通に)見える程度の力に抑えていたわけだから。
そのくらいのレベルだと思われてたし、この歳では普通はそんなもんだから。そうしてる状態が自然。
自分は不自然にならないようにあえて自然を作っていた…。
でもそんなではその後どうなると思います?…
そのことは一旦置いておきましょう…。
このように人格形成されたのは記憶にない0~2才の時なのだろうか…?
生まれ持っていた人格なのだろうか…?
才能は生まれ持った素質…。
3才になった時点ではすでにこうだったわけだが…。
自然になるように空気読んでわざと演じてたことを、一体いつまで演じ続けていればいいのか?
同じように繰り返される毎日で、自然にやめられるとあるタイミングなんてやってこない…。
悩みを抱えていた…
そのころは自然でも、しだいに自然ではなくなっていくのは当然…
なんだが、それが自然になってしまって…
こんな3才児…ほかにいるんでしょうか?どうなんでしょう?世界のどこにもいないかもしれないですね。。
まあ「この時」は自然でした。
この時こそが自然で、普通でした。
普通を演じてたんだから当然。そういうこと。
何か「できないこと」があって落ち込む…悩む…とか、そういう話ならよく聞きますが…
自分にはそういうことは一切なかったw
その逆のケースなんか聞いたことない。。
できすぎてしまって悩んでたわけです。
こんな子供どこにもいないですから…自分は特別な存在。
普通考えられないような常識外のケース。
ともかく自分はいかなる時もまあ一見普通だった。
3才らしからず、あまりに何でも上手くできすぎて実は普通じゃないとこを、
ちゃんとわざとできないふりしてたんだから、普通だと思われていた。と思う。
そんな中で過ごしていた…。
……
しかしこのころは…まだ小さいのでどこも行ってなかった…
家の暖かさを感じられた…。
周りにいる人は家族だけだった…。
そんなだった…そんなころ。
(自分が存在・自分のデフォルト)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
でも実は一応塾みたいなとこ(幼児教室?)に通わされていた。周1回程度でしたが。
そのことをここで話します。
幼○園入った時にはそこにはすでに行ってなかったので…
行ってたのは3才以前の時…ということ。
調べてみたら未就園児の幼児教室ということなんで、間違いない。
ぴ○ち○○ってとこでした。
そこは現ロフトの、西武パーキングビル(西武別館)の上だった。
徒歩3分くらいか。
行く時は家から裏道の方通って、トンネル抜けてってました。
(この前、トンネル内の壁がペンキで白く塗られた。あまりに汚かったからだろうか?落書きとかかなりありました。
少し明るい雰囲気になってしまった。あとこのトンネル内右側の隅の溝が埋められた。なぜか右側だけ…)
そこのビルの1階のその付近はペットショップで、まずペットショップに入っていき、
そこを抜けたとこにエレベーターがあって、そこからエレベーターで上にいっていた。
階段もあったが、エレベーターでいっていた。
3階辺りだった。
最初のころはそのペットショップの正面の入り口のとこから堂々とビル内に入ってたわけだが…
そのうち裏側の倉庫のところから入れることを知り、そこからビルに入るようになった。
そこから入るとすぐエレベーターのとこだった。
でもそこは何か関係者以外の人が通ってはいけなそうな雰囲気があったので、気楽には通れず、ちょっと心して通ってく感じだった。
(→がエレベーター。中央左にある扉から出入りしていた。当時は開けてあることが多かったが、
自分らがここから出入りしていたからか…そういうことはなくなった。
この薄汚さが歴史を感じさせ、思い出が刻まれてるな…という感じがしていい。ある意味悪くない。)
正面から入っていた時は…
何かいつもビルの基礎のコンクリートのちょっと高いとこを歩けそうで渡ってみたくて、ちょっと危険ながらそこを通ったりしていた…
最後は行き止まって抱かれて下に下りてた…。
少し手間をかけてしまっていた…。
やけに最近のことのように感じるんですが、ここに行く時とかのこの関連の記憶は全部3才以前なんですよね…
信じられない…。
これは…3才時点でもう自分の基礎ができあがっていた…ということなんでしょう…。
感覚が変わっていないので、最近の記憶と同化する…。
あからさまに「あの時は馬鹿だった」みたいに思うこと、ないですからね…。
このころの自分も自分として認められる。なんともなく。
で、そこでは母とそのまま最後まで一緒に過ごしていた。と思った。
遊びのようなことをしていた。と思った。
それでそのまま母と帰っていた…。
そう、親から離れてはいなかった…。
まだこの歳なんでね…。
そこはまだ入園前の自分のような本当に小さい子供らの集う場所のような感じだった。と思った。
同じくらいの子供が同じように来ていたわけだが…
気を遣ってしまうんですね…同じくらいって。何かそんなだった…。
帰りは親どうしが話しながらエレベーター辺りまで来て、別れたあと、いつも下のペットショップに寄っていた。
あのころは1階の方にも爬虫類とか魚のコーナーがあった。
爬虫類のコーナーのとこは気持ち悪くて通れなかった。。
(↑の場所は今の2階の爬虫類、魚等のコーナー)
犬猫のとことのギャップが大きくて天国と地獄のようだった…。一続きの同じ部屋でありながら、雰囲気もかなり違った…
|
現在はその天国(犬猫)のとこと地獄(爬虫類)のとこを分別してそれぞれを増床した感じ…。
で、帰りはJRの薄汚い高架下を通っていたんだが、いつも高架下を遊びながら通り抜けていた。
その高架下のトンネル内の壁際の斜面になってるとこを歩いてみたりするのが楽しみだった…。
バランス崩すんで少しの間しか歩けないが、歩ける…!
最初はちゃんとそこのトンネルを通って帰っていたが…
そのうち別の高架下の怪しい通り道を見つけ、そこを通って帰ることもあるようになった。
かなり薄汚く、薄暗く、寂れた雰囲気で、不吉で…スリルがあった。
そこを母と「おばけの道」とか呼んでいた。
面白いけど怖い…微妙なんで、そこは通る時と通らない時とがあった……。
現在はその通り道は通行止めにされている…。
やっぱり危なかったんでしょうか?
霊や犯罪者が現れ、やられてしまう人がいたんだろうか…?恐ろしや。。(なわけない)
○よち○○終了前…だったか後だったかといったころにすでに通行止めにされてました…。
何というか、殺人事件の現場…みたいな雰囲気でした…w雰囲気。
通り道…というか寂れた駐輪場のような場所だった…。
暗闇から何かデてきそうだった…。
(交通量が多いので、煤だらけで薄汚い高架下。昼間でも暗い。例の道はこの→側)
|
兄にそのおばけの道のことを話したら…
兄は知りたい行きたいと興味を示し…
西武に行く時とか…
それで結構怖いと思ってたようでしたが…
兄と本当にあそこを通ったことはなかった気がします。
怖いからと母に拒否されて…なかなか突入しなかった…。
で…そういうこととかは覚えてるんですが…
具体的にそこの教室で何をしていたか?どんな部屋だったか?とかが…
記憶にないんです…。
その教室に行くまでの道のりと、教室を出た直後からどうしてたかはこのように余裕で覚えてるんですがね…
なぜ肝心なとこを…w
この年齢ではこういうこともあるんですね…。
入り口の扉までは確かに映像で?覚えてるんですよね…w
これはどういうことか…?
6才の時思い出してみた時はすでに今と同じで映像の記憶は入り口前からしかなかった…。
何かめばえと似たような感じだった。
親は親で交流があってそこがまた良いとこだったのか?
帰りとかにいつも話してましたから…。
特に何も思わず通っていた。
何も経験がなかったので、純粋だった…。
兄はそこには来たことがなかった。
兄はもう年齢対象外だし、別のスイミングスクールとかに行ってましたから…。
それもあってか、○よ○ゃんは兄は知らない自分だけの(自分らしい)イメージのとこ?となっていた。
原点だったから?てのもあるか?
卒業の時は何か達成感があった感じ…。その時のその時だけですが。
その後西武別館のあのビルは非常に思い出深い場所になった。
今でもあのビルにいると安心しますね…。
小さい時から知っているとこというのは、どことなく安心する…。
増して「通ってた」とこ…です…。
あの教室はいつのまにかとっくの昔になくなってしまっているみたいですが…。それでも心には残ってますから…
自分にとってあそこが“安心する場所”なんてこと誰も分かってないんですよね…
あそこがそこに存在したことはもう、母すら忘れてる感じ。
でもはっきり覚えている。確かにあそこはそこに存在していた…。
ぴよ○○○に行っていた…
まだ純粋だった…
ペットショップの爬虫類ゾーンは…嫌だった…
おばけの道は…怖かった…
行き・帰りに様々なことがあった…というそんな記憶。もう、思い出です。
ちなみにそこ、そのビルの3階よりも上…だと思っていたが、確認してみたところ、3階よりも上はどの階も本当に単なる駐車場wだ…。
そんなとこにあの教室があった…なんてわけないので、あそこはおそらく2階だったのだろう…。やっぱりそうだった気がする。
2階ならあそこ(あの教室)があったとこは…ロフト2階の爬虫類とか売ってるペットショップのとこがそうだった…てことになる…?
いや違うか。奥に部屋があったのか。
確か窓がない廊下を少し歩いたとこにあった。
それで確か右側のドアを開けたとこの部屋だった。
まだあるのか?
あったらフロアマップに載ってないので隠し部屋だ…。
どうだったか?気になってしかたがない。
エレベーターのとこはそのまま。
記憶上のその場所の景色とまったく同じなので、間違いない。
物凄く懐かしい感じ。
2階のそれらしいとこは、長らく同じ設計の場所?がさらに上の階にもあって、
「ほんとのあの場所」はそこではない…のかと思っていた。
よく確認してみたところ、そこがまさにそこだったと。
2階のあそこは本当のあそこだった…。
階段やエレベーターのあるまさにそれらしい場所。
階段はここまでで、この上までは続いていないので…やっぱりこの場所がその場所だ。
しかしなぜこのような記憶違いが起こってしまったのか?
エレベーターに乗ってくくらいでしたから…その時の時点で3階より上だと勘違いしていた?
2階なら階段で行くのが自然ですよね…。
思ってみると…なぜ毎度エレベーターなんかでいってたんでしょう?
まあそこのエレベーターも思い出深くなった。w
(○○○ゃ○までの道則)
そういった感じ。どうでしょう?
次の章へと繋げるため、ここでこの話をしました。
でここからは…
このころの…3才のころの思い出を挙げていきます。
3才の時は自分は3才って自分の歳をちゃんと覚えてて、そう自覚しきってた感じなので…
その時が3才だった…てすぐ分かるんです…。
長いのである程度飛ばして読んでいいです。
最後のここ←まで飛ばしても問題ない。その間はちょっと目を通すくらいでも結構。
記憶とは…全て思い出。記憶も思い出も全て過去。過去=記憶=思い出。
ではこのころの思い出の数々…時系列的に話していきますかね…
まずはこれ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
最初の方で言ったこととかの元ネタです。
ある時、親に自分の年齢を教えられた。
「あんたは3才」とのこと。
そんな気はしていた。
見知らぬ人に年を聞かれることがあったが…
そういう時、「3才」と言えばいいわけですね。
自分の年を言えないとそういう時にあれなので教えようとしてきたのか?そういうのもあったのかもしれない。
でも自分の年を自分でわかってるからといって…そう易々とそういう場面を乗り切れる…わけではない。
見知らぬ人と言葉を交わすのは…何か勇気がいりますから。自分の場合、そうだった。
そういうことを母はわかっていて…「そういう時は指でやればいい」と併せて教わった。
「それがいい」とか。
人差し指と中指と薬指でやるより、親指と人差し指と中指でやる方が楽だ…。
これで、何も言わなくてもその場を乗り切れると。
それから、そういう場面に遭遇すると自分で指でやったりしていた…。
結構指でやることに親近感が芽生えていた…。
口で言えそうな時は言っていた気がする。
で今になってわかりましたが…
年聞かれるのって、このころだけだったんですよね…。
小さい子供が答えられそうなことってそれくらいしかないですから…w
「いくつ?」とかそういうことをよく聞かれていたと…。
またよく聞かれるようになるのは超高齢になった時か…?
その時は「いくつ?」なんて幼稚な聞かれ方はしないんでしょうね…。
自分は3才と教えられた…3才だった…
見知らぬ人に年をよく聞かれていた…
指で3とやっていた…そんな記憶。これも、思い出。
こんなことがありました。
それでイメージが…
(手で3)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
うちは…○○○○で、自分らは毎○毎○○○の前で「○行」をさせられていた。
気づいた時には自分もすでに○行をやっていた。
毎日やってるので、やはりいつのまにか何も見なくてもそれなりに○えられるようになっていた。
○行すると○○が○く。○いが○う。そう言い○かされていた。
○行をする時は数珠をする。
自分のは赤…とは違う微妙なオレンジのような色の数珠だった。
(微妙な色でしょう。)
兄のは白…だったか?
父のは青紫っぽいのだった。
「右が3つ」←これも毎度毎度言っていた。
何というか、数珠には先に柔らかい丸いの?がついてるヒモが付いていた。
このヒモは右左で本数が違った。
片方が3つで、もう片方は2つ。
数珠のしかた。
捻って罰点×にし、右がヒモ3つの方、左がヒモ2つの方。となるようにして中指に掛ける。
そして○を○わせる。
ちなみに数珠は広げると人みたいに見えた。
右の3つが頭と両手、左の2つが2本の足、罰点がヘソ…と…。
自分が「人みたい」とか言っても、
周りにはほんとに分かってもらえてるのかよく分からない的な反応しかされず、すっきりしなかった…。
×にすることを「ヘソを作る」とか大人が言ってることがあり、「ヘソ」とはほんとに言っていた。
ほんとにそう?ってことはわかってる?みたいに希望を持てて、多少何か良かった。
でも個人的に、ヘソは作らない方が人っぽくていいと思ったりも。
(人に見えますよね?絶対。)
…で数珠をしたら最初にほんの少し○目をしたあと、向きを変え、○行に移○する。
「東を○く」とか散々言っていた。
何回も言う必要などないというのに。
とにかく隣の病院の方を向けばいい。東なんて覚える必要はなかった。
○○と関係ない方向(そっぽ)向いてやるのっておかしな感じ。見慣れれば別にそんなことなくなるんですが。
東を○○て行う長い長い○行を終えると、また元の○○の方向を向き、1分程度○目をし、終了。
○○の扉を閉める。
夜の時は最後の○目を終える時、とあるセリフを言わされていた。
幼児口調でゆっくりと…「○○様、○休○○○い!明日○○○○○○願○○○す!」。
朝と夜とで違うのは…確かそこだけだった。
今思うと笑える。
笑えるようなものだなんて全然わからないで言っていた。
自分や兄の場合、記憶が始まる前からずっとやらされてたわけですからね…
そういうものだと思ってしまっていて…わからなかった…。
○○○様○○る○に○まれて、○○○として○まれて○○た達は○せ。この上ない。
○………ごい!○…………○らしい!
などと記憶が始まったこのころの時点で○い○かせられていた。
最初からそんなですから、自分らは○○されていた。無理ない。
このころは○に○って○きるしかなかったわけだし。
○目や○行をすると○いんだ。○いが○うんだ。まあとそう○じてあげていた。
固く○じ、自分は○いってつもりでいた…。
毎○毎○○○されてましたが、“○いことをしている”と気高く思える気持ちにより、苦痛はなかった…。
面倒だと思わない自分は○い…みたいな…。
今のように“僅かな時間も無駄にするわけにはいかない!”とあせりにあせるような気持ちはなかったし…
当時、○○と○行をどう区別するのかよくわからなかった。
フ○○ン、ホケ○○ー、コー○○ルフ、ブ○○ー、○ジン○とか、そういうのも何なのでしょう?説明してもらったことがない。
○が平然と発している○○の言葉…。
○○○にしか通用しない独自の言葉です。そういう用語こそ教えてくれないとわからない…
一般人が知るようなものではないし、学校で教わるようなものでもないわけです。
なぜか?○○知らないわけがない一般常識のようなことや、疾うの昔にすでに教わったことばかり○○○○ようとする。
笑えるようなことだが、空しくて笑えもしない。
ちなみに木製の○○だった。
中にある巻物の縦書きのサインのような、文字のように見える3つの柱のようなもの?の真ん中のの「つ」のところを見て○える。
その「つ」のところが○○○様の「目」のようなイメージだった…。
あと中には金色の鶴の置物が2つあって、それも気になっていた…。金ぴかでキレイ…。
鶴は○○のマークでもあるんで、○○らしかった…。
?今気づいた。このころ、鶴は○○のマークだと思ってたが…違うかも。
○○と鶴は関係ないかもしれない。
ずっと思っていたことなので、すぐには受け入れられないが。。
こういうの置物以外の何かで鶴を見かけることなんかない……。
あと○○上には何か水を入れるシャレたカップのようなものとか、日付けなどの書かれた紙が入っている黒い置物?とかも置かれていた。
何だろう?という感じ。
…まだまだいろいろありますが、細かい話はここではしないこととします。長くなるので分けて話す。
○○や○行に関しての基本的なことはこんな感じ。
自分の数珠…ですが、微妙な色…ながらも、何か愛着が湧いてきていた。“自分の”です。
家族それぞれの数珠の色は、それぞれの印象に見合ってる…みたいにも思えていた…。
父は○の言いなりになってやっていただけという感じ。
○が物凄い!○念を持って○仰していた。超○○家。
うちは○○○○で毎日○行をさせられていた…
○○になれる○○らしいものがある○だった…
○○ていた…
自分の数珠は微妙な色だがよかった…等々そんな○○関連の記憶。これも思い出。
いきなりつまらない話でしたね。
(いいように思う人はいないので↑ほぼ読めないようにした。ご想像にお任せします。)
ずっと親達の○う通りなのだと思っていた。だから最高に○っていた。
それは自発的に本気で○っていなかったからだった。
どうにもできないようなことがあっていざその自発的に本気で○○て○たら、こういうものなんだ…ということわかってしまった。
親が「自分が小学校を卒業するまでに○○○ように○ら○かったら○める。○○が○○ない○○○○なんて○○ない」
と一度言っていたのだが、その言葉がその後常に自分の頭の中にあった。(衝撃を受けたので忘れられなくて)
疾うに卒業しているがどうして○○に○○○いないのか?どういうことなのか?
自○の○来○姿を忘れ、「もう何もしない」と断言したりするまでになってしまったり…
こっちからすると「!?w」なんですが。。
(真ん中のがかつてのその自分の。これ、ずっっと捨てられたと思っていたんですが…あった。信じられない…
どこ探してもなかったのに、最近当然出現した。これ明らかにあのころのあれですよ。触った感じとかでわかる。自分には。)
(○行と○壇)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兄はヨーカドー7階のスイミングスクールに行っていた。
いつもその話は聞くが、兄がスイミングスクールのプールにいるところを見たことがなかった。
話を聞いて兄がプールにいるところをいつも想像してただけ。それだけ。
自分はわからない…。。
しかしある時、1度プールの様子を見に行った。
上から窓からプールの様子を眺められる場所があり、そこからプールを眺めた…。
広くてかなりの迫力だった…。
ヨーカドーにこんなとこが…。。
…
でも兄を見つけることはできなかった…。
この時は…兄が4才だった…気がするので、自分は2才…か3才だ…。?
とりあえず3才だったということで…。
兄はスイミングスクールに行っていた…
スイミングスクールにいる兄を見たことはなく、その話を時折耳にするだけだった…
が、ある時スイミングスクールのプールにいる兄を見にいった…
兄はいなかった?が例のヨーカドーのスイミングスクールのプールを見れた…
少しは収穫だった…そんな記憶。これも思い出。
プールの様子を見たのはこの1度だけであった……。
(兄のスイミングスクール)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
↑の続き。
でも“兄の迎えに付き添う”ことは多かった。
でもその時はプールのとこまでは行かない。
プールのある7階までは行くが、7階のその辺で兄を待っていた。
兄もまだ4才だから1人で行って帰ってこれない。
早く迎えに来てしまい、兄が来るまで階段とかで遊んでることが多かった…。
7階のガチャ×2で売ってた中に恐竜に入っているベタベタしたボールが壁にくっついて面白く、
それを買ってその時それでよく、投げて遊んでいた…。
そのボールを「ベタベタボール」と、かってに言っていた。
デパートの中でそんなの投げて遊んでちゃマズいでしょうが…
階段は人けがないので、大丈夫だった…w
でも高いとこにくっついてしまい、なかなか取れなくなってしまうことが多々あった…。
照明の上とかにくっついて本当に取れなくなってしまい、
ヨーカドーの係員を呼んでしまったこともあった…。係員に遊んでいたことがバレることになりながら…、、
そんなでそのボール、いつもすぐに失くしてしまい、いつも新たに買っていた…。
ボールの中の恐竜を取り出してみたこともあった…。
柔らかいので、ボールに指を突っ込めばなんとか取り出せた…。
でも強引だったので、ボールはぐちゃぐちゃになってしまい、兄に怒られた。
ベタベタボールは兄やKZ君も同様に好きだった…。
兄を迎えによくエレベーターでヨーカドーの7階に行っていた…
ベタベタボールが面白かった…そんな記憶。これも思い出。
兄はスイミングスクールでのことをよく話していた。
ランクがあって、泳げる人が何とか…
水に浮ける人が何とか…
水の中に潜れる人は何とか…
全く泳げない人が何とか…
とか何とか言っていた…
兄は下から2番目のランクとか…
潜れるから最低ランクではないとか…
あとサウナがとてつもないとかも聞いたことあった…。
熱くて自分じゃとてもいられないとか…。そんなのわからない…。
サウナ…どんななのか…?なぜプールにそんなとこがあるのか…?
サウナに行ってみたかった…。
自分は水に潜るのが絶対的にだめなのでスイミングスクールにはいかなかった。
(面白いべたべたボール)
このころも色々な思い出があった…
もうこうなったら3才の記憶全部挙げてしまいます。
飛ばさないで読むのなら…末永くお付き合いください…。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
家族で車で地元の運動公園に行った…。
運動公園内を色々歩き回って遊んだ…。
長らく遊んでいた…。
そんな中…道が作られていない坂道…というか天然の崖を家族で登った。
なんでそんなとこ登ろうとしたのか…?
回り道すれば崖の上へは行けたが…。?
でも面白い。
家で1番小さかった自分は小さいからといって「登れる?まだ登れる?」ととにかく気を遣われられていた。
それが何か嫌らしかった…。
それでも家族4人は急斜な茂みの中を突き進み…
ついに登り切った!
自分も登りきれた。
崖を登り切った先(崖の上)の場所は…
…
駐車場であった。
…すぐそこにはうちの赤い車が止まっていた。
戻ってきたんだ…。
本当に“崖を登り切った地点がゴール”って感じだった…。上手いこと…
やりきった先に待ち構えるものはゴール…。そういうものだということを自分はこの時に学んだ…
そして車に乗り、うちに帰った。
疲れた体を車の中ですぐに休めることができた…。
その後「偉い凄い!」とか繰り返し言われた。
別に山登り、大変じゃなかったんで…偉くも凄くもないと思うんですが…。。
大変だったとかってに思われて嫌らしい…。。
「何でもなかった」とか言っても聞かない…。。
これ、親たちは登り切った先は駐車場と分かっていて、ショートカットのつもりで崖を登ったのだろうか…?
そうかもしれない…。
とそれと子供との遊びってのもあってのことだろう…。ちょっと危ないと思いましたが…
「登ろう」と言ったのは父だと思う。
で、この記憶には…赤い車が登場しているので、3才より前であることは間違いなし。
まだ親元から離れたこともなかった。
運動公園で山登りをした…
何だかんだでみんなで楽しめた…
達成感があった…楽しかった…そんな思い出。
かってに大変だったと思われてたのは嫌らしかった…。
誉められても嬉しくない…。
その後しばらくの間、父が「山登りしたまた山登りしよう」とかこの時のことを蒸し返すようなことをよく言っていた…。
結構なネタになってたと…。
(運動公園で山登り)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
パズルを買ってきて、父にやらせていた。
そのころは茶を飼ったころで、猫に対する熱意?が増していて、缶に入った2匹の猫の写真のパズルにしていた。
自分も非常にやってみたかったのだが、小さいからとかってに“無理扱い”されて少ししかやらせてもらえなかった…。
まあやらせてもらえてても簡単にやれちゃったら超人と思われてしまい、
キャラ崩壊してしまうので、どうせやるのはほどほどにして、父に任せてましたがね…。
3才相応でいないと。
大人と引け目をとらないくらないの能力を発揮してしまったら超人になってしまう。普通の人じゃなくなる。自分でも怖い。
それからずいぶん経って…パズルはだいたいできてきた。見てるのでも面白い。
しかしここにきて、父は何か、非常に難航しだしていた!
ここまでできたというのに…
上の方が似たような感じで、難しいようで、父は投げ出しそうになっていた…
黄色い草の塊?が遠くまで満遍なく敷き詰められてるだけのとこ…確かにどこも色が同じで目印になるものが何もなく、難しそう。
難しいということは理解できた。
自分としてはここまでで終わりにしてしまうのなんて嫌だった…。
まあ父はしぶしぶながらやってくれ、何日もかかって…ようやく完成させた。
“やっぱりできるのに…”て思った。
何諦めようとしてたんでしょう…。
完成したそのパズルはがくに入れられ、テレビの上に飾られた…。
テレビ見てる時に何気なく目に入ってくるためか、すぐにパズルの猫の写真に慣れ親しんでいった。
見慣れると見えなくなる?んですよね…。
そこにあるのが当たり前になって、毎日目に入っていながらも存在を忘れる。
自分でやったわけではないが…パズルが面白かった…そんな思い出。
茶がいたころですから…この記憶は3才で間違いない。
このころのうちが1番うちらしかった。
でそのパズルですが…ありました。
中3の時までは…確かにありました。
しかし、気付いたらなくなっていた。
なぜ捨ててしまったのか…。
いつの間にかなくなっていた…それだけなんで捨てた理由も、
いつごろ捨てられたかも、誰が何のために捨てたかも、まったく不明…。
家にとにかく捨てるのが好きな人物がいるので、こんなこと全然珍しいことでもないわけですが。
思い出深いものを捨てられると、その切なさに心が張り裂けそうになりますね。
それがわからない人はわからない。だからこういうことが…
(猫のパズル)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兄が何か幼稚園で作ったものを持ち帰ってきた。
紙のお皿に何か面白いのもの?がたくさんくっつけてあった。
真ん中には兄の顔写真が貼ってあった。w
みんな作ったんでしょう。
これを兄が作ったと。
自分はこの面白いもの?何なのか?って疑問に思った。
インテリジェントなこの形!かなり気になるものだった。
で親に聞いた。
「マカロニ」というものらしい。
変な名前だ。そんなものがあったのか?信じがたい…。
知らないんだwという感じで面白がられてるような雰囲気を感じたが、ほんとにまかろになんてそんなもの知らない!
しかもこれ、食べれるwとか。信じがたい…
食べ物をこんなふうに、のりでくっつけたりしていいものか?
それに悪くならないのか?食べ物じゃ、そのうち腐ってきてやばいことになるんじゃ?
この食べ物は特殊で、“飾り”としても使えるのだろうか?
にしてもいいのか?って感じでしたね。どうしても…。
とにかく何それ?って感じだった。マカロニ…。
ちなみに母は喜んで兄のそれを飾ったりしていたw
兄が幼稚園で作った作品を持ち帰ってきた…
マカロニはその形が興味深かった…
知らない特殊な食べ物が存在していた…知らなかった…そんな記憶。これも思い出。
(ありましたがいつのまにかマカロニも写真も全部剥がれて、この土台だけになってる…w)
というかマカロニってほんとに常識的に誰でも知ってるものですね…今の自分ならわかる…ww
兄が年中の時なんで、この記憶が3才の時のものということは確実。
(兄が幼稚園で作ってきた…自写真の飾り)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
茶は人懐こい猫だ。と言われていた。
自分はほかの飼い猫をそこまで知らなかったので、ピンとこなかった…。
でもこの上なくいい個体だな。とは思っていた。
まあそう自分家の子が1番だ。と皆思うものです。がそうですらないくらいに…w
確かにね…自ら人に寄っていく猫だった気がする。
茶は他になく人懐こい猫とのこと。だった…そんな記憶。
あとちょっとした話。
自分らがお風呂に入るといつもそこに茶がやってきていた。
それに関してどうしてだろう?とみんな不思議そうにしていた。
そんなに不思議がることでもなかったんですよね…。
猫を飼うのが初めてだったので、そういう感じだった。 |  |
(茶は良い個体)
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秋田に行く途中…。
車を止めて何かビニールハウスに立ち寄った。
ビニールハウスの中はいちご畑になっていた。
そこで…いちご狩りをした。
ビニールハウス内にはうちの家族4人以外は誰もいなくて、貸し切り状態だった。
みんな単独でいちご狩りをしている…。
面白くて良い娯楽…。
自分は凄い!大きいいちごを見つけると、そのたびにそれを取って母に見せにいっていた。
やっぱり母の側にいるのがよかった。安心できた。安らいだ。
あのころ。
なんでか?父ではない。母しかいなかった。それが自分でも何か疑問だった。本当。
自分は自分。自分はこの家にいる…。
気づいたらこの家にいた…。
こんなことができたのはこのころだったからこそ…。
秋田に行く途中、寄り道をしてビニールハウスの中でいちご狩りをした…
いい娯楽になってよかった…そんな思い出。
でもみんなその後すぐこの時のことは忘れてしまったようで、覚えてるのは自分だけみたい…。
(途中でいちご狩り)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋田に行っていたある日…
車で動物園へ行った。
動物園入口の辺りは工事中みたいで…
巨大な穴があった。
その穴の縁を歩いていって、穴の向こう側へ行った。
穴の向こう側に動物園の入場ゲートがあった。
しかし何か凄い迫力でしたね…。その穴。
何かの発掘現場みたいだった…。
何の工事をしていたのか…?工事だったのか?
そして動物園に入園した。
1番印象的だったのはこの場面だ…。
人が群がっている中を、少しずつ進んでいく…。
左側にはガラス張りの個室が並んでいる…。
それぞれの個室にはそれぞれの動物がいた…。そういうものですね。
個室を見ながら少しずつ進んでいく…。
少しずつ、進んでいく…。
…
次の個室にいるのは…?なんか凄そうだ…。
人並みに乗って進んでいき、そして…その個室の前に来た…
…そこには巨大なヘビがいた…!w
ヘビを見たのはこの時が生涯で始めてだった…。
実物は怖いんだと聞いてはいたものの…
やはりその迫力にビビる…。本物。
ついに本物を見た。
父や母は「これがヘビ」とか何度も言ってきて、見ておくように推し進めてきた…。自分にだけ。
ちゃんと見ていた。
そうヘビはよく知っていたものの、実物を見たことがなかった。
ようやく実物を見れ…驚きつつ、それ相応に感動もしていた。多少それもあった。
しかし凄い迫力でしたね…
これは忘れられない。ほんとにそういう感じであった。本当に驚くとは。
その動物園でのことはそれ以外には何も覚えてません。
秋田の動物園でヘビを見た…ついに見た…ほんとに見た…
驚くほどの迫力だった…
穴も驚くほどの迫力だった…そんな思い出。
この付近には野生のもいるとのことだが、動物園で見たと。
あともしかしたら…ですが、“巨大な穴”と“ヘビ”の記憶は全く別の時の記憶…という可能性もあるかも?
ない…とは言えない。
(迫力のヘビ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋田家で夜食を食べていた…。
ダイニングの場所もあるんだが、リビングでみんなで食べていた…。いつもそうであった。
自分は母に食べさせてもらうことが多かったwが…
何か、気付いたら、この時は母ではなく…父の弟の妻・M子に食べさせてもらっていた…。
よく見たら違う人…w
でも何か…いままでもこういうことがあったような感じがした…。
気付かなかったからわからなかったが、知らず知らずこういうことがあったような…よくよく思ってみると…
なので何か自然な感じに思えた…。驚かなかった…。
母みたいだ…が違う。
そのうち「自分で食べな」とw言われてしまった…。
悪いような気がしてたら。。
こうなったら…と、その場を後にし、母(本物)のとこに行った。
「今度はママに…」とか周りの人たちに笑いながら言われた…w
母にもそれを言われたら、今度はまたM子の方に行き…と、それを繰り返していたような気も…w
食べさせてくれる人の間を渡り歩く…
こういうこともあった。
もちろん自分で食べれたのだが、○えだろうか?
何か、食べさせてもらいたかった…。
M子は当時こう食べさせてくれることがあった…。自分は他人の子供?だが。。
特に頼んだりしていたわけでもないのにそんなことしてくれていた…と。
これは特に3才ならではなシチュエーションです…w
M子に食べさせてもらえた…
食べさせてもらえなくなると、知恵を振り絞りwもう1人の食べさせてくれる人のとこに移ったりしていた…そんな記憶。これも思い出。
…
奇遇にもつい数日前(これを書いた時点)に知ったのですが…
M子は保育士とのこと…。
それ聞いた瞬間ピンと来ました…。
それでだったのか…と…。納得した…。
当時からだったのか…?
それは○○に○てたから○聞いて知ったんだが…
夜中にこっそりM○の○○○をあさっていたらデ○カ○を発見…!
保育園のイベントの○真ばかり入っていた…。
夜中のうちに全部コピーして、もらっちゃいました…。
それとか保育園の連絡網などなど…
基本的に幼稚な感じだった…。
(他人に食べさせてもらっていた…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋田に行った帰り…
何か面白い場所に立ち寄った。
そこには広大な湖が広がっていた。
水上にはアヒルのボートが行き交っていた…。
(まさにこのような場所だった。でもここは違う。秋田に行く途中でしたから。違う…はず…。
似たようなボートがある場所、結構あるみたいだし…)
楽しげな場所だ。
見ただけで乗りたくなるような印象的なボート…。
そこで、自分たちもそのアヒルのボートに乗った。
それを父だかがこいで湖の水上を走っていた。
自分はボートの真ん中にいた。
まだあまり海が怖くなかった。
怖さを知らなかった。
だから純粋に面白かった。
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のちに結構ネタになる良い出来事となった。
秋田に行った帰り、どこだか寄り道してアヒルのボートに乗った…
いい娯楽になってよかった…そんな思い出。
(アヒルのボート)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
買い物の付き添いで田原屋に来ていた…。
長いこと店内を歩き回った…。
まだ帰らないのか?まだか…?という感じになっていた…。(よくあったこと)
まだ帰らないのか…?
そんな中だった…。
ふと白いテーブルと白のベンチのある休憩スペースのような場所が目についた……。
何か…さわやかな雰囲気を感じ、なぜか…ちょっと解放されたような気分になった……。
さまよい続け、たどり着いた先に、、そこはあった…!みたいな印象だった……。
そんなで“そう簡単には来れない場所”のような感じなので…
貴重な場所にいる!みたいな何かそういう雰囲気があった…。
それで増していい雰囲気…。
そんな奥まったとこにあった場所…というわけではなかったのだが、何かイメージ的にそんなだった…。
デパート(田原屋)の中を長らく歩き回った末に、さわやかな雰囲気の場所が目についた…
「行き着く場所はここだった!」みたいな印象だった…
何気なく、いい雰囲気だった…そんな記憶。
数年後、この記憶上のテーブルとかある場所をふと懐かしく思い、探してみたりした。
しかし…それらしき場所はどこにもなかった……。
どこだったのか?あそこは…?
何階だったか…?
模様替え?してしまったのか…?
田原屋ではなく、長崎屋だったか?とも思い、あちこち意識して見てみても…
やはり「ここだ!」と思えるような場所はどこにもなかった。。
もう…幻。という感じ……。
幻の記憶。幻の場所。
というか、この記憶自体がちょっと曖昧。
記憶が薄くて“夢だった?”みたいな気がしないでもない…。
夢か?現実か?
…まさに幻の記憶。
またあの場所を見たくてしかたない…
でもどこだったか分からない…現実だったかどうかすら分からない……
もう分からない………
この切ない気持ち…どうしようもない……
(田原屋の幻の休憩スペース)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ちなみにこの自分の原点のころ、布団のカバーの色は母のと自分のがピンク、兄のが白、父のが青でした…。
その色のチョイスは気に入っていた。それぞれのイメージに見合っていて…。
そういうイメージだったのは、最初からその色だったからかも?よくわからないですね。
自分の寝具や歯ブラシは決まってピンクとか赤にされていた。
物心ついた時点でそうだったので、それに関してはその色が1番親近感ある。
物心ついた(記憶が始まった)時点の時、どうだったか?それは非常に肝心なこと…。
「物心ついたその時の状況」がその人の一生を大きく左右する…。
あと布団の位置ですが、窓際から兄の布団、自分の布団、母の布団、父の布団の順で並べていた…。
それぞれそのポジションじゃないと落ち着かなかった模様…。まあそういうものですね…
自分も自分のそのポジションじゃないとだめだった…。落ち着かないから…というよりか、「怖い」から。
兄の場所と父の場所は廊下に接しているので怖かった。夜に廊下から霊がやってきたら真っ先にヤられるでしょう。
だから真ん中のこの位置じゃないと怖くて寝られなかった。
廊下は暗くて霊がいそうだった…。仕切りもないから直で廊下だった。
怖くなかったのは自分の位置か母の位置。
母の位置でもよかったが、自分はこっちの位置だった…。
布団の色…布団の位置はそれぞれに見合っていた…
布団の位置は真ん中じゃないと怖くてだめだった…そんな記憶。これも思い出。
(寝る時の全員のポジション)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
寝る時の自分の枕は…
アン○ン○ンの赤い枕wだったのだが…
端っこのカバーを取り出すチャックのとこの布と布のすきまに…
密かにキャラクターが描かれていて吹き出しがあり、そこになぞなぞが書いてあった……。
しかし…ちょうど布の文字の書いてある部分が布と布の継ぎ目の部分に食い込んでいて…
読めない部分があった…。。
製造ミス?設計ミス?酷いです…。
でも、わかったんです!見えない部分、何て書いてあるのかが。
そう。兄の枕も…自分のと同じだった。
単なる色違い。同じア○パ○マ○のの青のだった…。
自分のは赤と言いましたね…。
兄の枕の自分のと同じとこを見てみると…同じなぞなぞが書いてあった。
でも、そっちも文字のとこが同じように食い込んでいた…。。
が、食い込み方が違い、自分のでは見えない部分が運よく全部見えてた…。
で、結果的に書いてる内容が全部読めた…!と。
こう書いてあった。
「まんなかにあなのあいている うきわみたいなものってなあんだ?」
上手く解読できた…。
自分で読んで、そう書いているのがわかった。
だから覚えてるのか…。
覚えたばかりのひらがなは読んでるだけでちょっと楽しかった。
読むのはゆっくりだったが、読めるのが面白かった…。
で、これの答えって“あれ”だろう…と思ってました…。
その後、答えが書いてあったことに気付きました。
反対側のチャックの方(だったと思った)の端っこに書いてあった…。
ドーナツ…と予想通りだった…。
でも「ドーナツ」って間違いかと思った…。
その答えが間違いってんじゃなくて…
ドーナッツをドーナツと“書き間違えて”いたのかと…。。
でも親にその件聞いてみたとこ…
「ドーナツが正しい」みたいなこと言っていた…。
書く時はドーナツ…でも口で言う時はドーナッツでいいみたいだった…。
そんな事実を知った…。
ドーナツっていうと…何か、ドーナッツじゃないみたいで気に食わなかった…。
とりあえず3才の時点でこの問題は分かった…。
で、なぞなぞはこれだけじゃなかった。
チャックは枕の両端にあって、両方にそれそれ別のなぞなぞが書いてあった…。
もう一方のチャック側の問題は…あっちのとは違う変なキャラクターからの問題だった。
そっちも文字が継ぎ目に食い込んでいて読めない(見えない)部分があった…。
兄のやつの方も、同じ部分が食い込んでいて…
だめだった。。
残念ながら、こっちはどうしても読めなかった…。
文字が見えないこともあり、…答えもわからなかった。
いや見えない部分を飛ばして読んでもなんとなくわかりそうな感じではあった…でもわからなかった。。
見える部分、何て書いてあったか…も思い出せない…。
答えは…トマトだったか…?
○ン○ン○ンのなぞなぞとあって、どちらも答えは食べ物だった…。
ちなみにこれ、なぞなぞを言ってるキャラクターの姿がヒントになっていた。確か。
でもそうだということに気付かなくて、考えさせられていた…。
…この枕に出会えると、今日も寝る時が来た…という感じだった。
何ともいえない独特な夜の雰囲気…よかった。
この枕が…そのような雰囲気の引き立てるものの1つだった。
○○パン○○の枕のチャックのとこに密かになぞなぞが書いてあった…
なぞなぞの文字の部分が食い込んでいて読めない部分があった…
でももう1つの同じ枕と上手いこと照らし合わせてフルで読むことができ、答えもわかり、解放感を感じられた…
字が読めて面白かった…
ドーナツというのは変だった…
もう1つあったなぞなぞは絶対的に読めず、胸が痛んでいた…そんな記憶。これも思い出。
この枕、このように自分の子供心をいろいろと刺激されていた…。
子供用のものは子供に見合ってる。
あと実は枕は…このころはまだほとんど使っていなかった。
一応布団の上に置かれていましたが、たいてい枕なしで寝ていた。
そのうち枕で寝よう。みたいな感じでその枕を出されていたと。
薄っぺらい枕だったので、枕をしてもしなくてもあまり変わらなかった印象。
その辺に置いてあっただけだが、枕を見ているには見ていた。
ちなみにそのア○パ○マンの枕は…ボロボロになって6才くらいの時に捨てられました…。
兄の色違いのはそのもう2年後くらいまでありました…。
もちろんそのころには使い古してますから兄のもボロボロ…だが兄はその枕じゃないと絶対寝なくてww捨てられませんでした…。
だからその時は…枕全部を捨てた…のではなくて…
カバーの部分のみが捨てられたんです。
兄はそれならOKだった…。
新しく買ってきたあの兄の枕のカバーは…兄の大好きな…○○えもんのカバーでした…。
カバーがそれに変わっても、、兄のその枕に対する思いは同じだった…。「そのまま」だった…。
秋田にまで持ってったりしていた…。
何か、間違いじゃ?と思いきや、兄は本当に本気でそんなだった…。。
これでは捨てることなどできません…
捨てられなかった。
そしてそのドラ○○○のカバーもそのうちボロボロになっていった…。
ボロボロになればなるほどその枕に対する兄の想い、伝わってくる…。
ありました。これです。
さすがにもう使っていません。
せいぜい小学生まででした…。でもそんなにも…
決死の思いで新しくしたこのカバーも…○○○○マンのカバーに引け目をとらないくらいのボロボロさになってしまった…。
どれだけ気に入ってたかが…まさに伝わってくる…そういう感じ…でしょう……。
完全に兄の話になっていた…w
自分の方の枕は…その6才くらいの時捨てられたあと…母の枕をもらっていた。
ちょっとエレガントな感じの赤い枕だった…。
剥き出しで使ってる時期もあれば、カバーを付けてる時期もあったり…。
その枕も結構長く使っていた…。
歴史を感じるwくらいにまでなっていた……。
が、中1の時に○○まみれになって捨てられました…。
それまで…だった…。無念…。
あのころのあれとこれが同一だということを忘れそうになりつつあるくらいだった…。
その枕と以前のアン○○○○の…どっちの方が思い入れあっただろうか…?
どっちもですね…。
○ン○ン○ンの枕ですが、詳しく言うと、6等分された四角い枠の中に、主要キャラクター6名が描かれていた。
想像つきますね?
(アンパンマンの枕のなぞなぞ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
どこか遠くの…
ペンションに家族で泊まりに行った…。
うちの借りた部屋は和風の部屋だった。(全部の部屋が和風だったとは思うが…)
その夜だった…
母が「裸の男!」とか言っていた。
うちの借りた部屋は結構高いとこの部屋(上層階)だったのだが…
その部屋の窓からはペンションの屋外にある温泉の様子が見下ろせて…
シャワー?の前に…裸の男が見えていた…。。
自分もどこにいるかわかり、母などと「見えた!」などと言って、興奮しながらその男を眺めていた…。w
見てはいけないものを見てしまえている…。。興奮。
高層階なんで地上にいる人は豆粒くらいにしか見えなくて…結構見つけるのが大変だった。
でも自分は見つけられて(ほんとに見つけられてた)、それで凄いってなって母のテンションがますます増してた…。
確かに裸の男だった。
その裸の男、時折見失ってしまっていた。
でも何度も再度見つけられ、興奮が止まなかった…。
|
ペンションに泊まった…
部屋から温泉にいる裸の男が見れた…
興奮してノリのいいテンションになり、楽しかった…そんな思い出。
ペンションはとても面白くてうちには好評だった…
また行こうと言っていた…。
しかしあんな高いとこから下を眺めても「怖い」と思わなかったのが今思うと不思議。
怖いと感じ始めたのは4才くらいからか??
(裸の男、覗き見)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ちょっといままで着たことがなかったようなタイプ?の服を着せられていた。
ちょっと何かあれで、そのことが気になってしかたなかった…。
外を歩いていてそのうち…平気になってきていた。
帰るころにはもう慣れていた。全然平気になっていた。
大丈夫であった…。
最初はまさか自分がこれ平気になるなんて…思わなかった…。
でもこれ、大丈夫だった…。
意外なこともあるもの…。
その後よく着た。
でその服はどんなのだったかというと…いや別にそんなたいしたことありません。
肩の部分がなく、真ん中に「P」と書いてあったような…。色は白。縁だけ水色。イメージ的にはそんなですね。違った可能性も。
普通の半袖長袖意外のものがあることをあまり知らなかった。
この年に着てたのはいつもそれだったような印象が染み着いている…。その最初のあれもあり、インパクトが強くて…。
そんなだからこそ不覚にも感情移入し、印象に残っていると…。
初めての慣れない感じの服を着させられた…
意外と馴染めた…しかもたった半日で…そんな記憶。これも思い出。
(平気だった服)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある日、兄がおもちゃ箱の裏で…○○○をした。
確かにそこでしているのを自分は見た。確かに見た。
兄のだということ、母はわかってくれるか?と心配だったが、わりと兄の仕業だと理解してくれ、兄は注意されていた。
次の日…
また兄は同じおもちゃ箱の裏で…○○チをした。
そのまた次の日…
また兄はあのおもちゃの裏で○○○をした…。
もうそこしかないってなって日課となりつつあったのかもしれない…。
そしてそのまた次の日…
なんとまた兄は同じおもちゃ箱の裏で○ン○をした…。
片付ける母は、昨日や一昨日のことを忘れてるみたいで…4日連続だということを分かってないみたいだった…。
これは…と思って誰かに言っちゃおうと思った。
自分しか分かっていないネタだ。
何て言うか予め考えた。!
母には何か言いにくかった…
ので、父に言うことにした。
父の帰りが待ち遠しくなっていた。。
もうイメージできていた。父が玄関から入ってきて、廊下から部屋に来る…その時!に…
帰りを待つ…。
待ちに待ってそして…帰ってくると…!
さっそく帰ってきて早々父に父だけにこっそりヒソヒソ声でその“言おうとしてたこと”を言った。
「タ○ってねぇ。4才なのに4日連続で○○チしたんだよ」
…
父はあまりいい顔せず、ちょっと嫌そうな感じでこう言った。
「んん゛~?」
ちょっと言ってはいけないことだったのだろうか…?
でも自分を注意することはできないので、どうしていいか分からないような…そんな感じなのか…?と推測した…
とその時!小さい声でこっそり言ったはずが、隣の部屋にいた兄に聞こえていて、兄が怒ってやってきた!
兄は自分に怒って泣きじゃくった。w
ある意味タイミングよかったような気もする…。
どう反応したらいいのか分からないそんな状況の場面を打ち切ってくれたわけですから…
でも“自分が悪いことを言った”ということが表となり、逆にあれだったとも考えられる…。
打ち切られなければその後どんな展開になっていたかは「定か」では、ない。
まあ父も兄ももうとっくにこの時のことなんて忘れているでしょうからある意味どうでもいいといえばどうでもいい…。
翌日にはもう忘れてたかも…。
ともかく父はあまりいい反応をしなかったので、いけないことを言ってしまったんだ…と思い、これからは注意しようと思った。本当。
同じ過ちは2度と繰り返しません。
でもそれを意識してしまうばっかりに痛いハメになったこともあった…。
自分としては密かにかなり痛い出来事。
…このセリフはっきり覚えてる。父に言ったセリフ。
これで間違いない。
4日は「ヨンニチ」と言ってました…。
「ヨッカ」とかいう言い方はピンと来なかった。だからいまだにピンと来ない…
「ヨンニチ」とか言ったために父は何のことか分からなくて動揺してああだった…という可能性もあるか…?
考えてみると…微妙に。
あと兄を4才と言ったと思いましたが…
兄が4才ということは2才か3才…
でも3才だったと思った。
ということは3才でも最初のころ…“ということ”。
というかこの時、外が明るかった気がする…
明るいうちに父が帰ってくるなんて…どういうわけだったんでしょう…?
兄のあれに関してですが…毎日出るなんて凄い…とも思った…。噂には聞いていたが本当に毎日…。。
もはや変なのという感じ。
そこも衝撃点。
兄が4日連続でおもちゃ箱の隅でウ○○をした…
しかしそのことが根本的に着目されている様子はなかったので、誰かに言ってしまおう。と企画し、心して父にそのことを言った…
しかし、微妙な反応で残念だった…
というか恥じだった…おおいに反省した…そんな痛い思い出。
どこでしたのか具体的に言ってなかったからああだった…て可能性もあるか?考えてみると。。
普通に○○レでしたんだとしたら何てことないわけだし。
言ってなかったか??
更なる可能性…。
(4日連続で兄が…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
母、兄、祖母と、サーカスを見に行った…。
なんとなく“都心のどこか”だった気がする…。
なんかかなり高いとこにある細長い小部屋に行き、そこで観覧した。
細い窓から見下ろす感じだった…。
そこにはうち以外の客はあまりいなかった気がする…。
サーカスにはゾウが出ていた
…んだが、そのゾウが糞をした模様…。
小部屋以外の観客席は見えないが、騒然…というよりか、みんな面白がって注目している…。
「見て」としつこいほど何度も促されたので…
自分もしっかりと見ておいた…。
下まで遠いのでわかりにくかったが、“たぶんあれが糞”って思うやつを見つけられた…。確か。
何か珍しいことのようだった…だからみんな興奮してた模様…。
でも自分、この時はもうなんか汚らしくて早くこの場を立ち去りたかった…。
自分たちのいた客席の小部屋もあまりキレイではなく、糞はガラスの向こうでありながら、
こっちまで汚らしい空気が漂ってきそうな感じだった…。
サーカスもよく見えなくて何やってるのかよくわからなかった…。
|
…記憶はここまでです。
サーカスのゾウが糞をした…
珍しいことだ…
それを見れた…そんな思い出。
(サーカスのゾウが糞)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兄が何か幼稚園で作ったものを持ち帰ってきた。
うちわだった。
そのうちわにはスイカの絵がいくつも描かれていた。
兄が描いた感じだった。それはそうか。
この時、自分も作りたい…と羨む気持ちがあった…。
夏だからこういうものを作ったんだ。なんてこと、このころは全然わからなかった…。。
兄が1番最初に幼稚園で作ってきた作品はこれ…だった気もするが、マカロニのだった気もする…。
兄がまた幼稚園で作った作品(スイカの絵のうちわ)を持ち帰ってきた…
密かに自分も作りたいと思った…そんな記憶。短いがこれも思い出。
(兄が幼稚園で作ってきた…スイカの絵のうちわ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
うちにミニカーがたくさんあった。
そのミニカーで自分はいつものように遊んでいた…。
この時は1人で遊んでいた…。
母は仏壇の部屋にいた…のかも。
そんな時のことだった…。
ふと…自分の足の中指の爪を見て気がついた…。?
…
「バスみたい…」そう思った。
どういうことか?と疑問に思いましたよね…。
説明します。
右足の中指の爪には…真ん中にまっすぐに…亀裂が入っていた…。キレイに2分断…
それが…ミニカーのバスの窓に似ていたんです…。
自分はその時からその右足の中指の爪のことを「バスづめ」と呼ぶようになった…。気付いたらそう呼んでいた…w
自分の右足の中指の爪が真ん中に亀裂があってミニカーのバスの窓みたいだと思った…
これはバスづめ…変なもの…と。
バスづめの亀裂はその後…何年経ってもそのままだった…。。
でも爪は伸びていくんだから…もうちょっと伸びたらそれに応じて消えるだろう…根本から消えていくだろう…と思っていた…
そのはずですよね…。
…
…
しかし…、、それからも何年しても消えることはなかった…。。不思議。
これはもはや…当時の亀裂が生き残っている…のではなくて、亀裂が常に生まれ続けている…。
これだけ伸びてもそのままなんてありえない…。
亀裂の形が変わらないからまた不思議…。
こうなるともう、思い出深いし消えないでほしい。そう思うようになっていた…。
一体どういう仕組みで真ん中に亀裂ができ続けているのだろうか…?
バスづめの亀裂はまったく見た目を変えることなく、いつまでも3才当時そのままのままだった…。
それからまた何年経っても…
そしてなんと…いまだにそのまま。
この亀裂は一体どうして消えないのか…?
いまだに謎だ…。
こんなことがあるなんて…
(世にも不思議なバス爪)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
マリンタワーに行った。
高いとこに上るのは耳があれで上るのがまた非常に怖かったが…
“この時”は恐怖を乗り越え、なんとか上ることができた…。
展望台に来た…!
ここに来るためには恐怖を乗り越えないといけない…。
自分がここに着ているなんてレアだ…。
もう怖くてなかなか来れそうにないから…。
来れない場所に今は来れてる…。何か異世界にいるよいな感覚があった…。
だいぶ展望台を堪能したころだった…。
絵描き人?の人が目に飛び込んできた…。
その人は前にいるモデルの人の似顔絵を描いていた…。
母に推し進められ、自分と兄も描いてもらうことにされた…。。
しばらく待った…。
ようやく前のカップルの似顔絵が完成した…なんとも上手い…のは凄いと思ったものの、
ちょっとアホらしい感じがした…。気に入りそうにない。
さ、自分たちの番…。
自分と兄は絵描き人の前に立った…。
「じっとしてるんだ」と“注意深く”言われた…。
絵描き人はモデルの自分たちを描き始めた…。
絵描き人の机には…振り子がゆらゆらしている面白い時計が置いてあって…
自分は描いてもらってる(じっとしている)間、それをじっと眺めていた…。
少しずつできあがっていく…。
それにともなって“これでいいのか?”って感じがしてきた…。
やっぱりアホらしい感じがした…。自分たちまで…
そして完成のようだ。
やっぱりアホらしかった…。
気に食わなかった本当。
最後に母が名前と年齢を教え、名前と年齢も書き加えられた…。
|
その後地上に下り、帰った。
帰って父に最初に見せた時、父は喜んだふりをしたような喜ばしい反応?を見せた…。
マリンタワーの展望台に行けた…
展望台の絵描き人に似顔絵を描かれてしまった…
自分らとしては特に嬉しくもなく、なんでもない気持ちだった…
振り子が面白い感じだった…そんな思い出。
何かやけに鮮明に覚えてる。
ちなみにこの時のこの絵は…家解体の時までうちのゲーム部屋の壁にずっと飾ってありました…。
気に食わなかったのに…
引越しの時また捨ててしまったんですかね…もううちには見当たりません…。
で、あの時、年齢書いてもらっていましたよね…
最後に見たの家解体前ですが…ずっと飾ってあったし確実に覚えてます。
◯◯3さい □□5さい
となってたので、この記憶が3才であることは確実。
◯◯の方が自分。
(気に食わない似顔絵)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
いつもの母、兄に加え、祖母とららぽーとに行った。
ららぽーとの屋外の中庭?みたいなとこの一角に本物の機関車の車両?のようなのがあった。
この機関車の中は…なんとレストランになっていた。
この時、この機関車のレストランに入った!
ここには印象的で以前から入ってみたいと思っていただけに、嬉しい感じだった…。
でも内部は何かちょっと怖くもあった。
この機関車、あまりに本物っぽいから本当に走り出してしまいそうで…。。
ここにいる間、緊迫する…。
でもやっぱり機関車は好きだったんで…嬉しい気持ちの方がどちらかというと強かった…。
何を食べたかは忘れたが…料理が“やけに”美味しいと思った…。いや別にあれでしょうが…。
…
ちょっと怖くて緊迫するものの、かなり好きなレストランだった…。
思い返すたびに“また行きたい”という感情が溢れ出ていた…。
しかし結局はこの1度しか入ったことはなかった…。
気づいたらいつのまにここ、なくなっていた…。
ららぽーとに機関車なんてどこにもない…。。
改装されてあの機関車のあった場所がどの辺だったかも全く分からなくなっていた…。
いまだにどの辺だったか全く分からない…。
昔のららぽーとの写真とかなかなか見つからないですね…。
ららぽーとは当時、国内に南船橋にしかなく、「ららぽーと」とは確実にここのことでした。
ららぽーとの機関車のレストランに行けた…
現役の本物の動く機関車かもしれない気がして怖かった…
でも入れてよかった…そんな思い出。
かなり記憶に残っている。
(機関車のレストラン)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
昼間母と近所のグランドホテルに行った。
(↑グランドホテル。)
近所なのにここにはいままでに1度も入ったことはなく…気になっていたので、中に入れて何ともいえない良い気分だった…。
中ではバザーだかバーゲンみたいなのをやっていた…。
2階へ上がった…。と思った…
洋服がたくさん売られていて…
母はずっとそれを見ていた…
暇…という感じ。
おまけに辺りは買物客でごった返していて落ち着かなく…
もう、、すぐに帰りたかった…。
でも気になっていたグランドホテル内がどんなとこか知れて…結構な収穫になった…。
そのことが…そうです。
近所のグランドホテルに初めて入った…
嬉しさのある何ともいえない感じだった…
早く帰りたかったりもした…そんな思い出。
…
その後グランドホテルに入ることはいつまでもなかった…。
なだけに、この時のことはかなり貴重な経験で…
自分の中では密かに印象的な出来事だった…。
でもその後…夢の舞台としてグランドホテルが登場したことが何度かあった…。
その後すぐに…ではなく、何年もして記憶が薄れてきてからだ…。
そのくらい重要な出来事だったということ…。
夢に登場してたので…何か夢と混同して…
最初の「現実でのこの出来事」も…夢だったようにも感じる…。
何か微妙に曖昧な現実の記憶?だ…。
まあ現実だったと信じてる…。
いまだにその後グランドホテルの中へは1度も入っていない…。
入ってみればそれがどうだか分かる可能性大…。
記憶通りの場所だったら「現実」…ということになりますね。
たぶん現実の記憶。
(グランドホテルで幻のバーゲン)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
船橋駅コンコースに来ていた。
「何かやる」と誘われて東武のデパート内に入った。
ちょっと入ったとこに小さな劇場があり、そこに来た…。
しばらくして舞台のカーテンが開き…人形劇が始まった。
人形劇を見た…。
子供向けだったので楽しめた。
何かおとぎの国に来たみたいだった…。
…
この劇場………一体どこただったんでしょう??
東武の1階だったと思ったんですが…
今探してみると東武の1階にそんな劇場なんて存在しない…。。
東武全体で見てもそんなとこない…。
そんな広い劇場ではなかった(ちょっとした狭い劇場だった)ので…
何か簡単にセットした期間限定の劇場とかだったのかもしれない…。
でも部屋はちゃんと暗くなってた気がするんですよね…。
ちゃんとした壁に囲まれた部屋だった気もする。イベントスペースを仕切って作った仮設の空間…のような感じではなかった感じ。?
あとはずっと東武だと思ってたが、記憶違いで、どっかほかの場所だった…という可能性も考えられる…。
どっちにしてもこの記憶だけじゃ、もうどこだったかは分からないですね…。もう2度と知ることはできない…
どこだったのか…?切ない…。
それらに加え、もう1つ説があります。
それは…夢だった。
夢だったような気がしないでもない…
どことなく、現実でなかったような…。
いやでも現実だったっぽい…。
人形劇は現実で見た気がします…。
その後本当の夢で、デパートの目立たないとこに「人形の国」というおとぎの国の入口があった…
という同じような夢を何度も見たんですが…
この出来事が元(題材)になってたのかもたかもしれませんね…。
だとしたらやっぱり現実…?
あの劇場が幻になってしまっていることにもすぐに何気なく気付いてた気がするし…。人形の国は現実にはない…幻。
東武の個室の劇場?で人形劇を見た…
こんなとこでこんなのが見れてなんとも言えない感じだった…
おとぎの国に来たみたいだった…
いい感じだった…そんな思い出。
しかしこの時のこと、今や幻のよう。
このようにかなり昔な感じするので、この人形劇見た時は3才以前な感じ…。
たとえ夢だろうとその記憶の時期は同じ…。
(幻の人形劇)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
船橋駅シャポー口(西武前の出口)のちょっとコンコース側の壁の中
にあるガラスの内側の広告スペースの空間?にゾウの模型があった…。
ゾウの周りには、くるくると長いバネが張り巡らされていて…
バネのあちこちに球体のカラフルな球がくっついていた…ような気がする…
そんな模型があった…。
薬局の宣伝?みたいな感じのものだった…。
兄が好きそうな感じだった…。
何か面白くてなぜか何か不思議な感じで…なんとなく目に付いていた…。
…
小学生になってからだったか…?
ふと“またあれが見たい…”と思ったことがあった…。
それで意識して探してみたが…見当たらなかった…。
しかし、「ここだ!」って思ったとこがあった…。
そこがシャポー口近くのそこと…。
しかし薬局のゾウのやつではなく…別のものが展示されていた…。
でその時、薬局のゾウのは幻?夢?かもしれない…とも微妙に思い、そこを通った時に母に聞いてみた。
「ここにゾウのやつがあった…?」と。
「よ゛く覚えてるねェ」と答えてきた。
これで夢や幻なんかではなかったことが判明した。…
あそこの展示物があれではないのが納得いかず、違うのになってたのが残念だった…。
ここが記憶上のあそこってことはあれはもうない
でも次、来た時は…と希望を捨てなかった…。
トトロの影響で…次来た時は違ってる…なんてありえないことあるかも…と思えた…。
でもやっぱり復活するわけない…しっかり違う広告になってることは確認しましたから…過去のあれが再び出現するはずは……
また心が張り裂けそうな切ない気持ちになっていた…。
あれがあったころはかなり昔だった感じがし、記憶が薄め…。
また見たい…この記憶がある限りはその気持ちはなくならない…。
本当の記憶なのかちょっと曖昧でこの記憶は何??とちょっと不思議だった…そんな過去の記憶。
(この通路のもう少し奥の←側にゾウの模型?があった。)
(薬局の?ゾウ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
自分はスプーンを使ったことがなかった…。
だがある日、ようやく母がスプーンの持ち方を教えてくれた…。
「これでいいの?」と言って、スプーンを使ってみたら“それでいい”ということで、その持ち方になった…。
スプーンの持ち方を教えてもらえて…よかった…そんな出来事。
…
それから長年一切何もスプーンの持ち方について突っ込まれることはなかった…。
中学生になってからだった。兄などになぜか突然突っ込まれるようになった…。突然いちいち…。
「持ち方が逆」とか…?どういうことか…??
それからさらに1,2年くらい後に自己解決し、自分の持ち方がおかしいことにようやく気がついた…。
それで正しました。
それでそっちに慣れ、もう元の持ち方はやりにくくなった。
別に以前の持ち方でも以前はやりにくくはなかった…。
3才のその時、母がそれでいいと答えたばっかりに高校生までそのままの持ち方でいてしまった…と。
一体なぜ、中学生まで全く突っ込まれることがなかったのか…??
教えてくれればすぐに直してたのに…?
あまりにも不思議。
そもそもなぜ母はあの持ち方で“それでいい”ということにしたのか…?
たぶんよく見もせずに適当にそう言ったんでしょう。
そんな感じだった。
酷いですね…。
あの一言でこの様。
よくなかった。
(スプーンの持ち方)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
自分はハシを使ったことがなかった…。
だがある日、ようやく母がハシの持ち方を教えてくれた…。
「これでいいの?」と言って、ハシでつかんでみたら“それでいい”ということで、その持ち方になった…。
ハシの持ち方を教えてもらえて…よかった…そんな出来事。
…
それから長年一切何もハシの持ち方について突っ込まれることはなかった…。
中学生になってからだった。兄に始めて突っ込まれた。
持つ位置が低い(先の方を持っている)と…。?
いままで何も言われなかったんだからこれでいいはず。何今更?
自分も兄の持ち方に突っ込んだ。持つ位置が高いと…。
「どっちが正しいのか…」と母に聞くと…どっちもおかしいと言った。
それではね…お互いそのままの持ち方を継続となった…。
あの時はそれでいいと認めてたのに…。??
でもそれからさらに2年くらいして、自分の持ち方がおかしいことにようやく気がついた…。
ハシは普通に挟むだけじゃあれなんですね…。
ハシとハシを普通に合わせても先っちょのハシとハシの間に少しすきまがあいているので、小さいものをつかめない…。
2本のハシをあえてちょっと離して持って、つかまないとつかめないものはつかめないんですね…。
そうしないと先っちょがぴったりくっつかないので…。
それに気付かずに3才から長年苦労してしまった…。
でも“ハシを離して持つ”なんて教える人どこにもいませんよね…。聞いたことない…
なのにどうして誰しもその技術が身についているんでしょう…??
3才のその時、母がそれでいいと答えたばっかりに高校生までそのままの持ち方でいてしまった…と。
どっちかというと自分の方が間違っていた。
短く持たないとつかめない持ち方だった。
離して持つ持ち方を知ったら、兄が長く持っていたことが何か理解できる気がした。これだと。。
よく見ると自分と同じクロスさせる持ち方の人なんてどこにもいない…。
なぜ先っちょだけでつかむ技術を皆修得してるのか…??
ハシを持つ位置がどうこうじゃなくて根本的に間違い…。
一体なぜ、中学生まで全く突っ込まれることがなか…以下省略…
ちなみに園では最初からハシは使っていたので…
この最初の記憶が3才以前であったことは間違いなさそう。不思議なことにそんな昔な気がしない…
(ハシの持ち方)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
祖母の家に頻繁に行ってましたが、祖父の家にもよく行っていた。
どっちも同じ市内で近かったんで。
祖父の家へも車で行っていた。
いつも母は車を駐車しておく場所に悩んでいた。
そのうちちょっと悪気ありながら、家の脇の坂道のブロック塀際で定着してきていた…。
そこに止めても確か…駐車違反で罰金とかにはならなかった。
そこから車を降り、坂を少し登って曲がったとこに階段があり、そこを上ったとこに祖父の家の入口のドアがあった。
祖父の家は今や非常に珍しい…ワラブキ屋根の古民家だった。
そのころの時点ですでに貴重な存在でした。それはそうです。
いつも母は「もう珍しい」だとか言っていた…。それも印象的。
祖父は昔の人なんで、何か「らしい感じ」だった…w昔の人が昔の家に…と…
で、家の中の“構造”はどうも覚えていない…。
リビングの部屋が和室で、中庭に面していて、直接すぐに中庭に出られた。
中庭は広くて、緑豊かだった。
そんな中庭と一体感のあるリビングは気持ちいい感じだった。
昔の民家なんで、中庭の様相も全て昔ながらな感じで、日本庭園の見える茶室みたいな印象だった…。
ベランダの屋根のとこにずらっとバナナを吊下げてることがあったが…。一体何のためにそんなことしてたのか…?
ほんとにバナナだった。
これに関して祖父が何か説明してて、それを聞いてたんだが…忘れてしまった…。
このバナナ群、リビングの部屋からもろに見えて不思議な感じだった。謎めいた変なもの。
ちょっと黒っぽくなっていて見苦しくもあった…。
祖父の家によく行っていた…
車を駐車する場所がなくて駐車違反になりそうだった…
ベランダの上にバナナが吊されてることがあり、疑問だった…とかの記憶。これも思い出。
…
そのうち祖父は引越しをした。
祖父がそこにいたのは自分が3才くらいまでのころだったと思います。
赤い車で行ってたと思ったんで…。
引越し先の場所は、とある団地の1階でした。
そこも同じ市内でした。
そこは新しく来たとこなんで、新しい団地かと思ってました。
しかし…何年もして改めてその団地を良く見てみたら…
もう怖いほど古びた古い団地であった…。
あの時は新しかったのに…
たった数年でこんなになるものか…?と疑問に思った…。
いやそんなはずはないです…。
だから…恐らくここは引っ越してきた時の時点ですでにだいぶ古かったんでしょう…?団地って古いものだし。
新しく住む場所が新しい場所とは限らないですよね…。それに気付いてまたそう思った。
当時は「引っ越して新しく住む場所は新しい場所」…なんて思ってたんです。あまり深く考えないでいたんですね…。
まあ引越しなんて、知り合いの引越しすらそんなのがあった経験なかったんで…
多めに見てください…。
0才の時に引越したらしいですが、全く記憶にないんで、そんなの知らない…。
ところでその…旧祖父の家は果たしてまだあるのだろうか…?
どこだったか分かりません…。
当時場所をあまり気にしてませんでしたから…。
でも祖父は「大穴」と言ってました。
大穴も大穴北と大穴南と大穴町があって広いんですが…
とりあえずあそこらしきとこをストリートビューで探してみた…。
でもやっぱり分かるわけない…。
広いし住宅街の迷宮だし…。
あの場所は住宅街奥地でした。
ワラブキ屋根の家なんてめったにないので…
いまだに残ってたとしたら本当に貴重ですね…
船橋にももう数え切れるくらいしかなさそう…。
だから尚更見つけたい…。
あんな古い家、もうないとは思いますが…。
でも特に古いからもうだめで引っ越したとかではなかった。
だから消息は全然わからないんです。
分かるわけない…かと思いきや、もうちょっと探してたら「かなりそれらしい場所」を発見してしまった、、
↑この坂、まさに「記憶上のあの場所」なんですが。
これは鳥肌ものw
あの路上駐車していた場所w 路上駐車してる車いるんですが。。
でも残念ながらこの付近にワラブキ屋根の家は見当たらない。
ここではないのか?それとも祖父の家はもうないのか?
ワラブキ屋根の家なんてもうない可能性大だから、ここの可能性は依然として高いですね。
今見たらどんな迫力だったか?今改めて見てみたら…どんな…?
祖父の家がないのは残念。
もうあるわけないと言えばあるわけないんだが。
この坂を境に反対側が団地になってたんですね?気付かないでいた。
この坂の場所が特に印象に残っていたことで、見つけることができた。
これだけじゃ「確実にここがあそこ」と言い切れるわけじゃないが…。
壊してしまったのか…。?
でもそこらしき場所が見つかって…何かその懐かしさに感動した。
(祖父の家はこの→に行ったとこ。記憶が正しければ…)
(この並びだった気がするんだが。。。)
(祖父の家)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
自分はアヒルの形をしたアヒルのお○○でお○○○wをしていた…。
小さかったんで○○○ではやりにくかった…。
母や兄は「もう○○るはだめ」と言っていた…。
この時、もう○○○ですることもあった…ので、不要ではあった…。
でも、、慣れ親しんだあれでやりたかった…。
しかし望みは報われず、そのうちすぐあのアヒルのお○○は使わせてくれなくなってしまった…。
ずっとあれでやれないのか?って思って、そう思うと切なかったあの時…。
使わせてくれず、使わなくなり…あれはいつのまにか捨てられていた…。
あのアヒルの○○るは遊園地の乗り物みたいなとこが何気なく良かった…。まんまと子供心を揺さぶられていた…。
でも1番好きだった要員は…やっぱりずっと使ってて親しみがあり、「自分のもの」って感じがしたとこ、でした。
自分のお○○…
○○るはだめと言われて…
嫌だった…そんな思い出。
3才では必ず○○○だった気がするので…
この記憶は2才…か3才の最初のころあたりか…?
(アヒルの○ま○)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋田の家族が初めて家に来た…。こっちの人はみんな嫌がっていた…。
1番印象的だったのは…父の弟の家族の子供たちも一緒だったこと…。
騒がしかった…。
煩い…みんなそう言っていたからそう思わざるをえなかった…みたいなのもあるかもしれない…。
2日目くらいに…ディ○○ーラ○○に行くことになり、朝家を出た。
自分は父と、父の父(祖父)の両方と手を繋ぎ、その2人の真ん中を歩いていた…。
天沼公園の角を曲がったドブ上の歩道に差し掛かったとこで、、体が浮き上がった…。
浮き上がったんです…。まさか…だった。
どういうことかといいますと…
両側の父と父の父の2人に持ち上げてもらったんです。手を繋いでるそのままの形で…。。
2人がかりといっても…片手で自分を持ち上げられるなんて大人の力は凄いと思った…。
こんなことできるなんて…
こんなことするなんて…
凄い。面白い。そうでしょう?
こんなことされるような気はしてましたが、ほんとにされるとは…。
兄じゃやってもらえないと思い、いい気分でもあった…。
小さいからこそできる…自分だからこそ…自分だけ…いい気分…。
|
(ここを歩いてる時に! 体が浮き上がった…)
……その後のことは…記憶にない…。
“その後○ィ○○ー○ンドに行った”ということは覚えているが…。。
行く前のことは覚えてるのに肝心な行ってからのことが記憶にないなんてね…。
でもそうなんです…。
覚えてないから何とも言えない。
秋田の人たちとディ○○○○ン○に行く時、父と秋田祖父と手を繋いでいて、
何というか両側から自分を片手で持ち上げて浮き上がり、凄かった…
自分じゃなきゃできない…嬉い感じだった…
凄かった…ある意味面白かった…そんな思い出。
(秋田、こちらに出てくる)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋田の家族が家に来てる時のこと…。
父の弟の子供たちと2件隣のアパートの敷地内付近で…
“かくれんぼ”をした…。
自分はそのうち、いい監視場所を見つけた。(実際監視はしないが…)
その場所とは、端っこの通り道の端っこ側のその通り道とほんとに端っこまでのすきま?の空間…。
寄りかかれて監視場所っぽい…。
次に鬼になったらそこで数えて待っていよう!とそう思った…
…
が、…次に鬼になることはなかった…。
その前にかくれんぼをもうやめてしまった。
この場所で待機してみたかった…。その様子を見せたかった…。
それができなくて…それが心残りとなった…。
秋田の子供たち、AKらと近所のアパートのとこでかくれんぼした…
いい待機場所を見つけた…!興奮…
しかしその場所で待機できないまま終わり…それで残念だった…そんな思い出。
(心残りがあったかくれんぼ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
↑で父が猫のパズルを完成させた話をしましたね…
その後?だったか?前だったか…?
母が今度はミッキーのパズルを買ってきた。
それはまた一際大きく、レベルの高いパズルで、果たしてこれを完成させることができるのか?と結構な不安があった…。
不安でありつつも買った感じ?そう、そうだった。
もちろん父にやらせる。
父なら…とまた母はもともと父にやらせるつもりで買っていた。
果たして父はあれを完成させられるほどの能力があるのか…?
父自身もそれを見て不安そうだった…。
作り始める。
難しいよとか言いながらしだいに結構できていった。
やっぱり自分も非常にやりたかったが、あれだし、あまり手を出してしまうと悪いとも思い、ほとんど見ていただけだった…。
でもずっと見ていたことは見ていた…。
自分でやってるかのような感覚になっていた。こういうことはよくある。
長らくして…
最後の方になってまた苦戦していた。
普通、完成に近付いていけば近付いていくほど楽になっていくような気がしますがね。。
そんな中、自分は何か1か所だけなぜか繋ぎ目が凸を凹に入れるような形ではない特殊な接点のピースがあるのを発見した。
なぜここだけこんな形を?
突っ込んでみたが、誰からもたいした反応が得られなかった。
その後、そこだかに繋がるピースを…自分がハメた。
1つくらいなら手伝っても問題ないですから…。
でも苦戦中は1つがわりと大きかったり。でもなかったり。
できないできないみたいなこと言いながらも結局はやはり完成に至った。
父はなんとか、そのパズルを完成させた!
あとちょっと…てときは興奮だった。
身近な人があんまりレベルの高い異次元な人とも思いたくなくて、ある意味微妙な気持ちだったりも…。
これくらいならまだ…ですよね?
その人にはその人の印象がある…。
で、そのパズルはガクに入れられ、テレビの…後ろの壁に飾られた。
誰か来ると“こんな大きいの作れる人がいるなんて凄い!”って思われたり思われそうだったりで自慢気になれてましたね…。
そのうちこれも見慣れて見えなくなりました…。
また父がパズルをやらされた…
父の能力はやはりなかなかだった…
パズルが面白かった…そんな出来事。これも思い出。
そのパズル…まだありました。
あんまり見慣れてて見えなかったが、1階の廊下の突き当たりにいまだに飾られていた。
久々に見えたw
↑ピースの接点が特殊なとこ、ありますよね…。ど真ん中です。
というか改めて見てみたら…
その例のピースの接点が特殊になってるとこ、1か所ではなくて、結構いくつもある。。
1か所だったと思ってたんですがね…記憶違いだったか?3才の時は1か所しか見つけられなかったのか?
どうだろう?これではそのどこが3才のころ自分がハメたとこか?わからない…。
しかしね…あのころ。一体何年前…というくらいになってしまった…。
よくよく見てみると今のこの家にこのパズルが飾られているのに違和感が…。
今の家に自分の古里的な感じがしない証でもあるのか…?
ていうか今の家には最初は2階の廊下の突き当たりに飾られてたと思った…。
なぜ移動させたかは不明。
借家の時は…記憶にない。
ということは飾られてはおらず、押し入れにしまわれてたのかも。
…
その後もパズルには結構ハマり、次々と父は作らされた。
自分が3才だったころに作られたのは猫のとこれの2つですかね…。
いやあれやあれやあれなんかももしかしたら…でも確信ないです。
3才だったとかなり確信持てるのはやっぱりこの2つ…。
パズルの話はまだまだ続きますが…これからですが…
長いし、3才のネタではないかもしれないのでとりあえずここまでで…。
(ミッキーのパズル)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
秋葉原駅に来ていた…。
なぜだかは覚えていない…。
このころは母、兄と頻繁に出かけていたので、1つ1つの出かけた記憶に重みはなく、こういうの一々覚えてなんかいないと…。
地下に下りた…。
母はこの近辺に馴染みがあるようで…ここから地下道で次の駅まで繋がっていることを知っていた…。
その地下道に入った…
そこを進んで行った…。
……
“まったく”といっていいほど人けのない地下道だった…
で…どうしてそんなとこ通って徒歩で御茶ノ水まで行こうとしたかというと…
……何だったか…?
乗り換えるため?だったか…?
ともかくそれでなんか急いでいた。
電車が行ってしまうからだか何だったか…?
まあそんな感じでした。
で、1駅間ですから…“その地下道は非常に長い”ということも母は知っていて…
“小さいのに大丈夫だろうか…?(疲れないか)”と自分のことを気にかけていた…。
でもしだいに後戻りなんてできなくなっていき…
ここまで来たら。。としだいに本気で次の御茶ノ水まで徒歩で行く気になっていった…。
途中で母が「宇宙人が出てきそう」と、何度も、何度も、言っていた…。
そんなこと言ったら、やばそうな気がしてしまう…。
だいぶ、だいぶ怖かった…。
無事この地下道から脱出できるのか…?!
とスリル満点だった…。本当に。
こういうところには宇宙人がデるんだヨ…とか言ってそういうこと…信じそうになってしまっていた…
冗談じゃなくて母は自身でも本気でそう思ってそうな雰囲気で、本気で言っているような感じだった…。
まずい、ここにいては…宇宙外へと連れ去られる。一刻も早く抜け出したい。
そういったいった気持ちもあって、いっそう急ぎに拍車がかかっていた…。
本当に慌てていた…。
だが地下道はどこまでも長い…
どこまでも同じ風景が続いていく…
無限ループに巻き込まれてwもう絶対に抜け出せないんじゃないか…?
といった不安も感じていた…。。。
そんなうちにその、宇宙人に、連れ去られてしまう…
2度と帰れない……
なんていった思いが湧き上がって来て…
怖かった……
この時の「怖い」を具体的に説明すると、それだ…。
通行人が多少でもいれば、安心なんだが…。
本当に宇宙人が出そうな雰囲気だった…。
こういうとこってなぜ、そう感じてしまうのか…?
この地下通路の壁の模様(絵?だったか)が何かまたそういう怪しげで奇怪なムードを引き立てていた…。
長かった…
が……
|
ついにゴールにたどり着いた!
御茶ノ水駅に到着した!
感激された…。
秋葉原~御茶ノ水間は短いとはいえ…1駅歩いたんです…。
途中で抱っこなんかされることなく…最後まで自力で歩いて…。
その後特に記憶はない…。
電車には間に合ったんだったか…?
秋葉原とお茶の水を結ぶ無人の長い長い地下通路を最後まで走りきった…
怖かった…助かった…大変だった…そんな思い出。
そうとう感激だったのか、その後何かネタにされて…「あの時は偉かった」とか後々言ってきたことが2,3回くらいあった…。
忘れたころに蒸し返してきたり…。
「3つなのによく頑張った…」などと言われたのをはっきり覚えてるんで…
この時が3才だったことはほぼ確実。
というか自分ばかり注目されていましたが…
何とも言われていなかった兄は、、どう思ってたのか…?兄もまだ5才程度。
まあこんなことありきたりだったんで、何とも思わないか…。
そういえばこの地下通路…その後通っていない。
秋葉原~御茶ノ水間の地下連絡通路なんてありますかね?
わざわざ地下から徒歩で1駅歩かないといけないような状況になるようなこともないでしょう。
こんな地下道需要ない。
とりあえず探してみた。
…が地図で見たとこ、やっぱりそのような地下道はないようですね…。
ちょっと何か記憶違い?
もはや地図に載っていない秘密の地下道?!宇宙人の秘密基地?!!
|
なわけないですよね。。
御茶ノ水駅から小川町・淡路町駅まで繋がる長い地下道ならありますね。。
ここだったという可能性もあるし、全然違う場所だったという可能性もある…。
(頑張って走って切り抜けた!不吉な地下通路)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
車に乗る時、シートベルトをしていた。
しないでいることも多かったながら…。
斜めに装着する、シートベルト…
これ、何かヒーローっぽくて格好いい気がし、嫌いじゃなかった!
これのやり方、何度も教えられた。しつこく…
子供にそういうことをしてくるのが大人。
自分は普通の同年代の子供と違い、無能ではないので、何度も言う必要なんてなしだったのだがw
かってになぜかできないみたいに思われていながら、自分はシートベルトができた。
明らかにできていた。
年齢的にできないかと思われがち…。
…赤いところに平たい金属をカチッと差して装着させるのが…これが好きだった…。
戦隊物を見ていた身としては…。格好いい気がしてた。
自分がやってもちゃんと差さるんですね…。
そんな時もあった…。
自分のできること…。
思い出します…。
自分はシートベルトができた…
ネタだったが、誰もそのことをはっきりと認識してくれなかった…
シートベルトの装着がカッコよくて密かに、何か好きだった…そんな記憶。これも思い出。
赤い車の時だったので、この記憶のこの時は確かに3才。
(格好いいシートベルト)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
いつもの母、兄とで映画を見に行った。
ペングーというのの映画だった。
すぐに話は終わるが、またそれから“別の話がどんどん始まっていく”という
短篇を繰り返してそれなりの長さにしたそういう形式の映画だった。
終わっても終わっても引っ切りなしに次の物語が始まって、
そのうちもう飽き飽きしてきて、一体いつまで続く…?って感じになってた…。
そんな中で…もはや?と興奮した回があった。
それは「ペングーのおもらし」wという回。
そのタイトル聞いた時はほんとにそう言った!?おもらし!?と潜かに興奮した。
そしてその回が始まった。
おもらしするぞ…
いつおもらしするのか…
とハラハラしながら見ていた…
ジュースを飲むシーン来た…
しかも一気に飲み干す…
これは本当におもらし来る…!?
期待が高まった…
しかし、その後の展開は…ちょっとおもらしと関係なさげな方向性へと進んでいった…。
「おぼらし」というアザラシのキャラが登場し、そのキャラとペングーが仲良しになって鉄棒とか色々なことをして一緒に遊ぶ…
そういう展開に…。。
…もうおぼらしが登場した時点で違った……て思いましたね…
「おもらし」じゃなくて「おぼらし」だったんでしょう…。聞き間違い…。
しかし希望を捨てずに見続けた…。
ペングーのおもらしが“どうしても”…見たかったから…w
…しかしやっぱりおぼらしだったようで、結局ペングーはおもらしをしなかった……。。
タイトルは、後々「ペングーとおぼらし」って言ってたんだと思った。
そう言ってた気もしてた。
「ペングーのおもらし」がよかった……。
おぼらしは、それからその後の回から突然登場するようになった…。
ともかくこれは気に食わなかった…
おもらしを期待してましたから…。
いくら実写じゃないとはいえよ…期待してた。
おもらしは問題だったでしょうか…?
|
ちなみにそのおもらし…じゃなくておぼらしの回以外の回は何も覚えてません…。
その回以外は特に面白くなかったし…。
やっぱり…
あの興奮は忘れられません…。
割と後ろの方の席で見てました。
でどこの映画館だったかは不明…。
映画館で見た覚えてる映画で最も古いのはこれかもしれない…。
映画館でペングーの映画を見た…
「ペングーとおぼらし」を「ペングーのおもらし」と聞き間違えてペングーがおもらしするのかと思って興奮した…
しかし、おぼらしが登場して、おもらしはしなくて残念だった…そんな思い出。
ペングーのおもらし、見てみたかった……。
3~4才くらいの時に行ってた保育園2階の相談所の教室?の先生にペングーの靴下のこと突っ込まれた時は、
すでにあの映画のことは記憶にあり、その時点で結構前だった感じしたので…
その時が4才だったとしても…この映画を見た時は3才より前のころ…でしょう。
ちなみにそのころ、色々な生き物がトイレで○んちをする飛び出す本を持ってたんですが、その本が嫌いながら見たかった。
最後は人間だった…
こんなの売り出していいの?と思ってた…。
子供(自分以外)の恥ずかしいとこを見ると興奮してた…。
(ペングーのおもらし)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ららぽーとのそごう最上階の回転展望レストランに来ていた…。
この時はいつもの感じでのんきにやってきたわけでなく…
母の誘われたイベントに付き添いで来ていた?ような感じ…
だったような印象…。
留守番できないんで…来てしまった…みたいな…。
母は正装をしてたような…?
この最上階に来たのは初めて。
回転展望レストラン内部は想像通り高くて解放的で…いるだけで気持ちがよく…そして面白い感じの場所だった…。
ちょっとわかりにくくも回転しますから…子供にはたまらない。
何かを注文して食べていたような…。
海の向こうにみなとみらい21が見えたような…気もする……。
|
そごうの回転展望レストランに行った…
解放的で素晴らしい眺望が広がり、その上面白く、凄く、非常にいい場所だった…
ちょっと子供は場違い感がありつつも、ある意味よかった…そんな記憶。
(↑例の旧船橋そごう。てっぺんアクセントが当時からちょっと変わってる。)
…というかこの記憶は結構…微妙ですね…。
ひょっとしたらこんな出来事はなく…
夢であった…という可能性も0ではない……。
でもこんな具体的な記憶だし…
回転レストランで見た風景が記憶にあるし…
現実だったとは思います…。
何となく…のこの記憶があるんで…ずっと「ここの回転レストラン、自分は行ったことある」と認識していた…。
もし夢だったとしても…かなり古い夢の記憶であることは確か…。
まあ現実でしょう。そういうことで。
そう、その後この回転展望レストランには1度も行っていない…。
この記憶は薄いので、また行きたくてしかたなく、
その後ららぽーとに行くたびに「行かせてもらえないか…」と高揚していた…。子供時代。
自分から行きたいなんては言えなかった。
そんなようなことを言ったことはほとんど生まれて1度もないので、突然口にするような勇気は到底、なし…。
というか…儚くも結局、そこに再び行くことはなかった…。
これ書いてる現在、船橋そごう跡のららぽーと西館はついこの前、閉鎖され、解体中…。
まだあの回転レストランのビルは手付かずでそのままですが…
もう閉鎖されたので入れません…。
儚い…。
ちなみにあそこはとっくにそごうではなくなっており、
回転レストランのとこも回転レストランではなく…美容室なんかになっていた模様…。
あそこ美容室って?展望美容室?w
幻のような記憶。
(ららぽーとの回転レストラン)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
母が台所入口の前で…
何か出してきた。
「コレ○み込んじゃだめ」と何度も何度も言っていた…。
それは…ア○だった。
自分はまだア○の存在を知らなかった。
ア○を口にしたことがない。親も食べさせたことがない。
いままで危険だと思ってあえて与えてなかったのか??
それでこの時始めてそろそろ食べさせてみよう。と試みてきたのか??
何なのか?
そのようなこと、わかってるというのに何度も…嫌らしい。
ようやくア○をもらった。
もちろん○み込むわけない。
そんなにしつこく忠告するとか…子供をあまく見てる。自分はあまく見られてる。
これ以降?ア○をくれるようになった。
この話、↓の母の病院の話より前…ってことになりますよね…。そんな昔だったか…??
初めて○メをナめた…
○べ方わかってるのにしつこく忠告されて嫌らしかった…そんな思い出。
(アメの食べ方)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
冷凍庫の中にウルトラマンの型抜き?のプレートがあった…。
この時、それを出してきた。
こんなのあったんだ?あったか。という感じ…。
そのプレートで母がいつのまにか氷を作っていた…。
取った氷はウルトラマンのキャラの形をしている…。
食べてみると…
非常に美味しいと思った…。レアなもの。
ただウルトラマンのキャラの形になるだけじゃない…。
このプレートで作った氷はこんな味にもなる…!
これはいい。再度作ってほしい。密かにそう強く思っていた…。
…
しかし、またあのプレートで再び氷を作ってくれることは…なかった…。
ウルトラマンのプレートで作ったソーダの氷を食べた…
貴重な感じだった…
また作ってほしかった…密かにそう思っていた…そんな出来事。これも思い出。
うち解体間近となった8年後…冷凍庫にまだあのプレートがあったことに気がついた…。
プレートには氷ができていた…。
もう全く使われてなかったはずなので…一体いつ作ったものだったのか…??
もったいないし、食べはしなかったが…
一見普通の氷で、ソーダ味ではなさそうだった…。
ありえないですよね…
普通の水で作った氷があれだとソーダ味になるとか…。。
あの時のは…手作りのソーダのアイス?とかだったんでしょう…。
8年後のその時は11才でしたからそうに決まってると思えた…。
でも自分は夢を持ち続けた…。
あのころはあのプレートで氷を作るとソーダの味になるのかとほんとに思ってた…。
そんな奇妙なことありえない。ちょっと不思議…。
(幻か?!ソーダの氷)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
車で何か…早々帰れないような“遠く”に来ていた。
途中車のガソリンがなくなり、ガソリンスタンドを探した。
危うくなりながら…ようやくガソリンスタンドを見つけ、そこに入った。
そこのガソリンスタンドですが…
ちょっと…変わっていた。
何か…
ガソリンをガソリン入れにきた人に自分で入れさせていた…。
店員は普通にいて、来客によるガソリン入れのサポートをしていた。
ガソリン入れ体験させてあげてるように思えた…。
子供歓迎みたいで、自分らまでも一緒にやらされた…。
いいガソリンスタンド…。
もし自分で経営するガソリンスタンドがあったらこういうとこにする…。
そう思った…。
…
その時はそう思ったが…
何度も来たら飽きますよね…。こんなとこ。
大人はこんなことして楽しんでられないことだってある。
逆に敬遠されるんじゃ?
よくよく思ってみると…ですからね…
その日限定のイベントか何かだったのか…?
いやでもそんな感じはしなかった…。
まずもうこのガソリンスタンドがどこだったかを知ることはできないでしょう…。「どこか遠いとこ」ですから…。ヒントはそれだけ…
永久に謎。
単なるセルフサービスのガソリンスタンドで、やり方がわからないから店員を呼び出して一緒にやってもらってた…とかだったりして。
そういうようなことならその後もあった…。
それが3才の自分にはガソリン入れ体験やってるように見えた…とかで…。
そういう可能性もあるかもしれない。
そうだったとしたら、、なんという勘違い…
どうなのか?
…このころは「うちの自分」って感じだった…
どこか通いだすと、そっちの自分ってイメージも加わりますよね…。
1番最初はうちの自分だけで、紛れもなく自分はうちの自分であった。誰でもそうですね…
だからうちが原点。
どこか遠くの地で車のガソリンがなくなり、ガソリンスタンドに行った…
いい方針をとってる独自的なガソリンスタンドだった…自分でやれるとこ…
よかった…
こんなところもあるんだ…と知った…こんなところを作りたい…と思った…そんな思い出。
ないでしょう。こんなところ。年中ガソリン入れ体験やってるガソリンスタンドとか。。
何か勘違いがあったのでしょう。よくよく思ってみるとそういう解釈に行き着く。
あとこの時「ガソリンを入れるフタ」の存在を知った。
ガソリンを入れる時は開けてますが…どうやって開けてるんだろう…?とそのフタをたまにいじるようになった。
でも手ではなかなか開けられない…
が開けられたこともあった。
しかし開くじゃんまた開けられるか。と思って一旦また開けてみようとするともう開けられなかった…。
そういえば…いまだに車にガソリン入れる時、ガソリンのフタどうやって開けてるか知らない…
ことに気がついたw
手で開けるのはきつかったんで、やっぱり実際はそうやって開けてるんじゃないんでしょうか…?
(自分でやれる!ガソリンスタンド)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
どこかへ出かけるので家を出た。
駅の方に向かって歩いていく…。
ちょっと歩いてパチンコニューヨーカー(現パチンコニュー後楽園)の脇のとこに来た。
パチンコニューヨーカーの建物の外壁には何か、豪華な円形の花の飾り?がいくつか取り付けられていた…。
自分は「あれ何?」と聞いた。
母は「オープン記念の飾り」とか答えた。
そういう意味のあるものだったのか…
大人はよく知ってる…。
しかし…“オープンしたばっかりだったっけ…?”と疑問に思った…。
このパチンコ屋、ずっと前からあった気がしたが…
…
オープン記念ってことはオープンしたばかりということ…。
今思っても疑問だ。
本当にあの時パチンコニューヨーカーはオープン当初だったのか?
かなり昔の人も知ってたパチンコ店だったし、もっと昔からあったのではないかと思うんだが…??
その花の飾り、結構長い間取り付けられていた気がした…。
パチンコニューヨーカーの外壁に円形の花の飾りが取り付けられていた…
母はそれの詳細を知っていて…それで関心wした…
でも疑問だった…そんな思い出。
この円形の花の飾りはその後もたまに見かけることがあった…。
(パチンコニューヨーカーオープン??)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
母の病院に付き合わされた。
階段を上っていき、ドアを開け、待合室に来た。
小さな待合室。
待合室には自分と母のほか、見知らぬオバサンが1名。いた…。
母は診察室に入る寸前にアメをくれた。
ブドウのアメだった…。これナめて待ってろという感じ?
母は診察室に入っていった。
自分はそのアメをナめて母の診察が終わるのを待っていた。
ここからの展開は予想つきますかね。
その後…
そのアメを…飲み込んでしまった。。ゥっかりと。
即、泣いた。
待合室にいたオバサンは自分がアメを口にしたとこを見ていたから?か即座にどうしたのか分かったようで、自分を抱き抱えた。
やつはこう聞いてきた。「息できる?」
息はできてるでしょうが…という感じだった。
その後母が出てくるまで抱いてなだめてくれた。
こういうものなんだ。という感じ。
そして母が診察が終わり、診察室から出てきた。
母は事情を知った。
母は特に何でもない感じで、あのオバサンを悪者のような視線で見ていた…。
人の子供をかってに抱いてたのが気に食わなかったのか…?
あの時すぐに思ったんたが…あのオバサンが即座にあれでアメを飲み込んだことに気が付いたのは…
自分があのアメを口にしたとこを見ていた…ってそれだけではなく、あのオバサン自身が食べたいと思ったからではなかったのか…?
それであのアメが印象付いていて、あれで即座に気が付いたと…。
そう推理していた。今思っても…本当にそうかもしれない…。
しかしあの病院は…どこだったのか?
そう思っていたが、船橋北口でもっとも発展しているあの通りの突き当たりあたりのとこにそれらしい建物を発見した。
でもそこは病院ではないように見える…。
病院じゃなくなったのか?それともそもそもそこじゃないのか…?
わからない。
(真ん中の建物がそれらしき建物。どこに階段ある…?)
しかしこの時の喉の嫌な感覚は忘れられない…。
アメを飲み込むと喉にしばらく何ともいえない感覚が残る…。
ちなみにこの時、アメを飲み込んだのは3回目くらいでした…。
と覚えていながらも、過去2回がどういう場面で飲み込んだのかは思い出せない…。
その時のその記憶を覚えているだけという感じか…?ならその時の時点ではその過去2回の場面も覚えていたのか…?
とりあえずアメは何回飲み込んでも大丈夫でした。
少しの間喉に違和感が残るだけ…。
“いつかまた飲み込むもの”と思っていて、次に飲み込むのがいつなのか本当に怖かった…。
しかしそう思い始めてからは飲み込まなくなった。
注意深くなったからだろうか…?
見知らぬ人に抱かれたのは個人的に特に嫌ではなかった…
逆に理解してもらえて助かった…
アメを飲み込んで嫌だった…それが嫌だった…そんな思い出。
(アメ、飲み込む)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
近所の中央保険センターに行く…○○をしに。
まず行きたくなかった…。
が持ち上げられ、強引に外に連れていかれた…
そのまま中央保険センターの方へ…。
(突き当たりの建物が例の場所…)
自分は度々電柱につかまり、連れてかれないようにかなり懸命に頑張ったが、
及ばず、中央保険センターの中まで来させられてしまった…。
(↑までと↓からは別の時の記憶…という可能性もなくはない)
同じくらいの子供たちがたくさん来ていた。
自分もやるんだといった感情が高まる…。
そして順番が来て結局やられた…。
○された時は“何とも言えないかなりの痛さ”だった。
看護婦に四角いガーゼを貼ってもらった…。
待合室に戻り様子を見てみると、赤いあれがにじみ出て四角い布の真ん中が赤くなっていた…
何度も貼り替えてたような…
止まるのか…?
ちょっと不安だった…。
その“自分は特別かも”…て思いがあったので…
○○でそれなんかこんな出るものなのだろうか…?
皆もこんな出てる?
失敗じゃないのだろうか…?とそうも思っていて、そういった不安も強かった…。
その後看護婦が様子を見にきたりしたが、特に何も言ってなかったのでそれで安心…もした気もするが、
“よく見てなかったんじゃ?もう見に来ない”と逆に不安な気もして微妙だった…。
痛いのに出○しないのもまたおなしな気がすると思うが…とも思っていた…。
帰って家に着いたころには止まっていた一安心…。自分が人間の可能性、高まる。
中央保険センターに行った…非常に嫌だった…
○射し、そのあとも痛みあり、不安あり…
とにかく嫌だった…そんな思い出。
この時は…かなり昔な感じがするので、3才だったと思う…。
(○射で出○)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
いつもの母、兄とTDLに来ていた。
秋田家と行った時とはまったく違う日。
この記憶の場面は夜。
地面に座って夜のパレードを見ていた。
昼間のパレードは正直、どうでもよかったが…
夜のは結構良いと思った…。
絵に描いてみたいくらいだったが、鉛筆でそれらしいの表現するのは無理っぽかった…。
また、無限ループで同じフレーズが繰り返されている明るいBGMに頭中洗脳されていた…。メロディを完全に覚えてしまって…
1日歩き回った後だった…。
昼間はどうでもいいが、夜は違う。
とにかく、幻想的で、これは見たいって思うw
見てもいいかという感じ。
|
TDLにいた…夜のパレードを見た…
このパレード…“は”…良かった…そんな出来事。これも思い出。
このパレード、その後も毎回見ていたらいつのまにか親近感が芽生えていた。
…いまだにあれを聞くととっさにこのパレードを連想してしまいますね…。
毎度連想されるのは…1番最初に見たこの3才の時なんですよね…。
この時のこの記憶が思い起こされる…。
やっぱり「最初のイメージ」というのがずっと引き継がれ続けてしまう…。
この時が最初ではない気もしますが、はっきり記憶している最古の記憶がこれ…。
歩き疲れた夜に聞いていた音楽なんで…
あの音楽は“歩き回って疲れた”ような印象も引き立てますね…
そうでない時に聞くと違和感が…。
そういう時に聞きたかったり…。TDLでね…
小3くらいの時だったか…?
夜のパレードがリニューアルされ、BGMが変わったのは…気に食わなかったですね…。
洗脳されたりしてただけに、あれじゃないとどうしてもそれらしくなかった…。
何から何まで気に食わなかった。2回?止まるとか何それ?って…
そういうふうに思っていたのは自分だけではなかった。
原点が基本ってイメージも大きいし…。それらしくない…と。
音楽が同じならまだ多少は許せたのですがね…。
でもある時、ふと新しい方の音楽にもまたいつのまにか慣れ親しんでいることに気がついた…。
今思うと子供のころに2曲聞けてよかった…。
…
ちなみに今、TDLの夜のパレードがどんなだかは全く知りません。。
リニューアルしたのですら今やかなり昔なのでまた変わっているでしょう…。
というかこの夜のパレードのBGMって…最初はもっとマイナーなのかと思ってた…。
何せ、たかがパレードのBGMですから。。
それだけにCMやゲームの中なんかで流されると違和感とともに多少衝撃があった…。
自分はこれ知ってるが、あれはたかがBGMなのに…!みたいな感じで衝撃。
国民は言うまでもなく、ご存知だということ。そのことに、そのメジャーさに、気付いたのはかなり経ってからだ…。
あリニューアル後のはマイナーですね…。
(夜のパレードはいい)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ちなみにこの3才くらいのころ、TDLで自分が入れる怖さの限界?のアトラクションは…
スターツアズでした。かなり怖かったがぎりぎりで行けなくははなかった…。
スターツアズは映像や動き…もだが、おまけにそこの場所自体がまた怖かった。
未来にワープしてうちに帰れなくなってしまいそうで…。
宇宙に飛んでってしまいそうだったりも…。
でも近未来チックな世界観には大変興味があって、好きで、
好きなのに怖くて入るには相当な勇気が必要で、気楽に入れず、本当に、何か、微妙だった…。
入れると自慢になってた…。3才なのに乗れたぁと。
このアトラクションのスリルは「面白い」を越え、「怖い」の領域に少し達している…というくらいだった。
「怖い」にぎりぎりで達しないくらいのスリルが最高に面白い。
だからあわや最高に面白いのに…ちょっとだめ…
かなりの惜しさだった。
そういうとこもまた、微妙だった…。
思い出す…
緊迫でしたね…
スクリーンの部屋に入る時とか特に…。
子供には怖い。
思考力が変に増し、入れなかったこともあった。
乗車後は基地から出て岩山を抜け、宇宙へ行き、そのあと何度もワープトンネルを通るんですよね…
そう、ワープトンネルのところが特にやばくて恐れていた。
|
|
TDLのスリリングなアトラクション、スターツアズに自分は入れる…と言えた…
三大山は一溜まりもない自分でも、これは行ける…!?
自慢だった…
でも緊迫だった…超未来的で凄いが、怖かった…そんな話。これも思い出。
…スターツアズではなくてスターツアーズですね。
知ってます。
そうだと知った時は嫌らしかった…。
スターツアズと覚えたのでスターツアーズじゃ、それらしくない…。
そう当時、スターツアズだと思っていた。
普通にそう言ってて、何も突っ込まれたことはなかった。。
小さいから発音が…みたいに思われてたんでしょうか?
ほんとに“スターツアズ”だと思っててそう言ってたのに。。
最初スターツアズだと思ってたからそっちの方がそれらしい。
スターツ・アズみたいに思ってた。スター・ツアーズではなく…
(スターツアズに乗れる!)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
母は健康の何か?のお菓子を注文していた。
なんで注文したのかわからないが…。
それでそれを自分たちにくれた。
「異様」に美味しかった…。
それは何かグミのような健康食品のお菓子だった…。
グミというかゼリーというか…?
それからたまにまたその同じのを注文していて、何度か食べられた。
しかしそのうち注文をやめてしまった…。
それでそのうちあの健康のお菓子のようなもは幻となった…。
特別注文のやつか何かだったので、もうあれを見つけることなんてできないだろう…。
いつまでもあの味を鮮明に覚えていて…あれに似た味のものを食べると思い出すんですね…。
あれは本当に美味い…そういうあれだった…。
なのに…切ない。
あれは何か知り合いの経営してるとこから購入していたような感じだった。
もしかしたら義理で購入してあげてた…みたいな感じだったんだろうか…?
グミのような健康食品のお菓子を何回か注文していた…
異様に美味しいものだった…
あれを見ると密かにいい気分になっていた…そんな記憶。これも思い出。
(特別な美味しさ、健康食品のグミ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
自分は3才の時…3才にして…○虫であった。
母の○虫が移って、○虫になっていた。
母は大々的な○虫?で、いつも移る移ると言っていた。
最初は右の中指と薬指の合間がなっていて、そこが痒かった…。
だんだん酷くなってきて…
広がっていった…。
右足の裏の大体全面が○虫となった…。
そして少し左足も…。
酷くなった時は、右足の中心…より少し右上の辺りがひび割れしていた…。
結構大胆にひび割れていた…。
それでもやっぱり最初から感染していた右足の中指と薬指の間が特に酷かった。
それで右足の薬指の爪がぐにゃぐにゃになり、黄色くなってしまった…。
3才ながら母に引け目をとらないくらいの状態に進展していた…。
母と同じなんで同じになれてたんでそんなあれ…嫌ではなかった…。
まあ○虫はその程度の状態で落ち着いた。
それから何年もずっと○かった…。
水○だった…酷かった…と。これも思い出。
…
しかし…しだいに軽くなっていっているような気がしていた…。
小3の時だった…
気付いたら水○は“ほとんど直った”と言える状態になっていた…。
それからも悪化することはなく、良くなっていく傾向にあった…。
治った。
治ることはないと言われている水○が。。凄いことだ。
感染したのが3才…(ひょっとしたらもっと前)とかだったんで、そんなだと治ることがあるのか…?とそう思った…。
母はもうかつて自分が水○だったことを忘れている…。
思えば水○だったのは3才からの5年間。
右足薬指の例の爪は実は最近まで余韻が残っていた…が、それも消えた。
長い年月を経たもの…。
(酷い○虫)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ヨーカドーに行こうとしていた。
でもこの日は雨だった…。
「車で行く?」とか言って…
雨だから…とすぐそば(徒歩3分くらい)のヨーカドーまで車で行った…。
雨粒が窓ガラスにたくさん付いて、ぼやけた車外の風景を眺めていた…。
何ともいえないしんみりとした雰囲気…。
|
ヨーカドーの地下に入っていった…。
地下に車を止めた。
いつもなら歩いて行くはずのとこを車で行くなんて…特別な感じがするのもあって、気分よかった…。
地下駐車場という珍しい場所に行けたのも良かった…。
|
雨だと車で行ける…。
この時、車で行った…
…
その後「また車で行かないの?」の何度言っても、この時のことを親は覚えておらず、
何で車なんかで?って感じで、その後車で行くことはなかった。
あの時いい気分だったんで、また車で行きたかった…。
未だにあれ以降1度もない…。
あの時は車で行ったというのに…。あの時はなぜ…?
自分の記憶違い。とかではないと思う。
これははっきりした記憶なんで…。
雨の日、ヨーカドーに車で行った…
いつも歩いていってるこんな近い場所に車で行けて、それが特別な感じして…とても良い気分だった…良かった…そんな思い出。
でもこの時のことを覚えていない母は嫌らしかった…。
(車でヨーカドー)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
夜に廊下に出るのは怖かった。
古い家とあり、特にうちの廊下は怖かった。
そこまで本格的に怖いという感じでもなかったが。
特に寝室と仏壇部屋の間の廊下の奥の突き当たりの付近は雰囲気的に何か非常に怖かった。
あまり誰も行いかない場所だし、昼間でも薄暗かったためか…。
そんな廊下の怖いその場所には廊下ながら本棚やハンガーなど色々な物が置いてあった。
その一角にタンスもあった。
どちらかというと横長で、木でてきていて、あちこち丸みを帯びた感じの少しシャレたデザインのタンスだった…。
このタンスをふと見たある時…
非常に「怖い」と思った。
何が?ってこのデザインが怖いと思った。
お化け屋敷にありそうなタンスだった。
お化け屋敷…というかお屋敷にありそうなタンス。
でも当時の感覚では「お屋敷=お化け屋敷」だった。
あと何か○にも○妙な○語を連想させる雰囲気でもあった。
「あの怖いやつwで出てくるもの!」みたいな。それが大きい。
お化けのタンスだ!
これはお化けのもの。
兄に教えよう!
いいネタだ。
怖い廊下にあるからお化けが取り付いている…なんても思える。怖い。
怖さも染み込んでる…。
|
数日後だか…
兄が家にいた時に兄に「怖いタンスがある」などと言った。
兄は興味を示し、兄にそのタンスを見せにいった。
兄は「これは?!」などと言って驚いていた。
反応は良かった。
このタンス、目立たないこの怖い場所にあるので目にとまっていなかったのだろう。自分もそうだった。
気付いた時にはすでにこの家に住んでいる自分ら。この家の家具もほぼ全部気付いた時にはそこにある。
ここに設置された過程を知らない。
だから家にある家具や物を「見つけた!」という感じで見つけたりする。
このタンスの怖さに気付いたのは自分だ…!
世にも奇妙なタンス…。
…怖い廊下に怖いタンス…。
怖い…。
怖さ倍増…
|
というか、“怖い廊下にある”っていうのがそもそもこのタンスが怖く見える要因として大きかったような気もする、、
このタンスはそのうち場所移動させられた。
4才の時にはすでに廊下ではなく、寝室にあったと思う。
夜の廊下が怖かった…
その廊下にあるタンスが怖かった…そんな思い出。
このタンス、まだうちに現存している。
もはや当時から家に現存していた数少ない家具の1つ。
寝室に移動させられたら、そのうち見慣れてしまって怖くもなんでもなくなって、
そんな怖いタンスだったことなんかさっぱり忘れかけてしまっていた。
そういえば?!という感じで大人になってから思い出した感じ。
忘れなかった。
↑このタンス。怖いだろうか?
あまりに見慣れてしまってもう何も感じない。
多少怖く見えるように編集してはみたw
(世にも奇妙なタンス)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
南口の市民文化ホールに行った…。
エントランスから静かにドアを開け、ホールに入ると…
舞台にスクリーンが用意されていて、映画をやっていた…
○ト○の映画だった…。
そして座席につき、自分らもト○○を見た。
|
ト○○はその後TV放送で数え切れない回数見ましたが、、始めて見たのはこの時です。
このように最初は映画館…ではないが、映画館と変わりないような環境で見れてよかった…。
最初は肝心ですからね…
ずっとイメージは初見のものとなりますから…
原点は変えられない…
でも最初のこの時は途中からでしたね…。
まあ最初のこの時、どう思ったかは記憶にない…w
雨のシーンでしんみりしていた…みたいな記憶はある気もする…。
というか本当に○ト○だったかどうかも定かではない…w
でもずっとこの時見たのはト○○だったとは思ってた。
というか、この記憶自体、おぼろげ。
夢か空想?みたいにも思える。以上。
市民文化ホールで映画がやっていた…
それを見た…
何かしんみりしていた…そんな記憶。とりあえずこれも思い出。
現実だったとして…この映画が映画館でやってたころは…調べてみましたが、意外にも自分は生まれてなかったので…
この形がベストだったんですね…。
リアルで映画館で見るのは不可能だったわけですから。
この記憶、その後結構思い返すことがあった…。
(市民ホールで映画)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
どこかへ行った帰り…
船橋市役所隣(市役所併設?)の公園に寄った。
兄らと色々な遊具で遊んだ。
最後に遊んだ丸太の上に乗って、転がすやつが面白く、非常に印象的だった…。
それができてて母も喜んでいた…。
ヨッシーアイランドの砦や城で登場する回転するやつ的なやつです。マリオ64ではマグマ面に登場してます。
ほかの公園でそれを見かけたことはない…。
公園には自分たち家族しかおらず、遠慮なく自由に遊べたとこがまた良かった…。
この時面白いと思ったので、また来たいと思った…。
しかし再び訪れることはなかった…。
目立たないちょっとした公園だった。
市役所のとこの公園に寄った…
ちょっと目に付く歩いて回転させる遊具ができた…
自由に遊べた…
面白かった…そんな思い出。
…
小学生くらいになってからだった…。
長らく忘れていたあそこがふと恋しくなって、市役所付近に来た時に…あの公園どこだっけ?と探してみた…。
しかし……
あの公園らしき場所は見つけられなかった…。。
その時にはすでにあの公園は消えていた…。
あそこはそこだったと思ったんですがね…?
消えてなくなってますからね…もうあそこには行けない…あそこはない…。
あの思い出の公園にもう2度と行けないと思うと胸が張り裂けそうなくらい切なかった…。
以前住んでいた家が解体された…という経験がある方ならこの気持ちが分かるのでは…?
2度と行けない…。
その公園は…詳しく言うと市役所の建物の駅側(広い駐車場側)沿いの道路との合間の少しの空間の一角…?だった気がします…。
そこだと思い込んでましたけど…実はそこではなかった…とかありえますかそういうことは…?
だとして、そこはまだ残っていたとしても…そこがどこだか全く分からないですから…
見つけることはできなくて結局消滅したのと一緒ですね…?
もう行けないことにほぼ変わりはない…。
夢…ではなかったと思います。現実って感じですから…。
(その公園、この→の場所にあったと思ったんですが…そんな面影が何もない。確かに、ここにあった…と思った。)
その後ラムネみたいなお菓子のCMに市役所前の大通りに似た雰囲気の場所が映っていたことがあって…
あのCM見るたびに切ない気持ちになってましたね…。
どことなくあのころのあそこ?みたいに思えて…。
でも全く違う場所の違う時期なんだろうな…
と思ってそういう切なさも掛け合わせの切なさだった…。
船橋がロケに使われるなんてこともなさそうだし…。
でもそのCMで何かなんともいえない凄い懐かしさを感じられていた…。
(↑市役所付近。CMにここに似た感じの場所が…)
(市役所前の思い出の公園)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
あそこはニッケコルトンプラザ…だったように思える…。
屋外に接して何か色々なものが売っている店があった。
どことなくウエスタンな雰囲気の店…。
その店のレジ奥に飛行機の模型などが並んでいた…。
ちょっとああいうの欲しかった…。
夜だった…。
|
…あの場所に何かまた行きたい。
でもどこだかわからない…。
これは微かに覚えてる昔の記憶。という感じ。そんな記憶。
以上。
(ニッケコルトンプラザ?)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある時、うちの廊下の壁に色々細かいものを引っ掛けられる器具が取り付けられており、
そこに鍵がたくさん掛けられていることに気付いた。
いままでも一応目に入ってはいたのかもしれないが、気にしてみたことはなかった。
「こんなのあったのか」という感じ。
自分からすると結構壁の高いとこに設置されていたので、視野に入りにくかった…というのもあった。
意識して家の中を見てみると発見がある。自分の家でも。
その器具?には鍵のほかに派手な色の放棄?のようなものなども…。
こんなのもうちにあったのか…。面白そうな物…。
さらに、目に付いたものが……。
これは…怖い!
怖い物があるのを発見した!
あのタンスよりももっと怖い物だ!
その物とはどんな物か?ってそれは…
シャレたデザインの棒のようなもの。
木でできていながらも丸みを帯びていて、先端の方がハートのような形をしていた。
(↑怖いでしょうか?)
棒というか何かを叩くもの?
これの方がほんとに「○にも奇○な物○を連想させる怖い物」だ!とそう思った。
どっちかというと、タンスよりこっちの方がそれに近い…。
ハートのような模様が○にも奇○な○語のエンディングのイスの背もたれの部分の模様により似ていた。
これこそそれに近い!怖い!という感じで目にとまったんです。
さらにこれもシャレた感じが屋敷っぽい。おばけ屋敷。
こんなのがあった!とまた発見だった…。
一応このやつはなんとなく見覚えはある気がして「初めて見た!」という感じではなかったが、
「怖い」という意識を持って見たことがなかった。
そういう意識で見て改めて怖い!という感じ。
|
それでこれも兄に見せた…んだったか?わざわざ見せなかったんだったか?
…当時このやつがなんだったかわからなかった。
今ならわかる。あれは恐らく棒ではなく、「布団叩きの道具」だったんでしょう。
当時でも「言われてみれば納得」という感じだったかと。
何気なく目にしたことはあっても、それを自分の知識として認定していないとどうしても出てこない。
怖い、布団叩き。だった。
おばけの布団叩き。世にも奇妙な布団叩き。
怖いタンスに加え、怖い布団叩きを発見した…
ネタを発見できて喜ばしかった…そんな思い出。
何気にまだこれも、家に現存していた。
タンスに加えこれも現存している。というのは奇跡的。
やはり自分としてはイメージ的に怖い。
これ使われてるとこをいまだに見たことがない。
あらゆるものが捨てられている中、なぜこれは捨てられていないのか?
必要性なさそうなのに。
もしや!?何か亡霊の魂が宿っており、これを捨てると祟られる…とか?!
なわけない。
(↑世にも奇妙なタンスと、世にも奇妙な布団叩き。と謎の猫。)
(世にも奇妙な布団叩き)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
車の中でのこと…。
助手席の裏に…何かこびりついているものがあった…。
黒い…粘着制のあるもの…。
汚そうな気がしてなんか嫌だった…。
もしや…と思ってた…。
…
兄はこっそりそれをナめていた…!!
「おいしい」と言っていたあ…??
車の座席にこびりついた謎の黒い物体…
?もしやと思ったあれではなかったのか…!?
一体何なのだあの物体は…!?
てかあれをナめるなんて…!?
うちに到着したあと、車から降りず、自分はそれをその物体を眺めていた。
それを自分も…
ナめてみた。
…
甘かった…本当にwおいしかった…。。
「あんこ」ですね…これは。「○んこ」かと思ってた…w
おいしくてほとんどそれを食べてしまった。
いつか車の中で食べたおはぎかなんかのあんこが助手席の後ろにこびりついていたものだった。のだろう。
なんとなく車でおはぎみたいのを食べた覚えはあったが…
それがどのくらい前のことだったかははっきり覚えてなかった…。
結構前だったとは思います…。
古くなったものを食べちゃだめだということは分かってましたが、普通においしかったので、大丈夫だと思って食べたと。
食べたくなってしまったし…
それに母も何も注意はしなかった…。
自分だけではなく、母も兄も皆あんこのことははっきり覚えていなくて…
それであの物体が謎めいた存在のものになってなってしまっていた。
食べても大丈夫で良かった…。多少乾燥してパサついていた…。
車は赤い車だったので、この時3才であったことは確か。
車の助手席の後ろに黒い異様なものがこびりついていた…
ナめてみたらおいしくて…それで驚きだった…そんな思い出。
あんこだったとか意外でまた驚き。
(車の座席にこびりついた謎の黒い物体)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある時、近くのプラネタリウムに行った…。
プラネタリウムに行ったのはこの時が確か初めてだったので…
「新鮮」だった…。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
この時も色々な星座を紹介していた…。
最も気に入った…(自分はこれが1番好きだ…)と思った星座は…
鳥の星座であった!
もちろん周りの人には何も言わなかったが、密かに自分の1番を選出してみていて、それが、それであったと…。
わかりやすくはっきりと大きく翼を広げた…隼のような鳥でした…。
わかりやすいとこ、一際かっこいいとこが良かった…。
ともかく「ここは良い」と思ってプラネタリウムが気に入った…。
夜…星座…自分にとってかなり興味深いものだと思った…。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
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近くの、プラネタリウムというところに行った…
鳥の星座が印象的だった…自分の思うトップはそれだった…
興味深く、密かに自分の中で非常に良かった…そんな思い出。
小学校の外学習で谷津干潟で見た自分の最も好きだと思ったサギという鳥は…
この時見たその正座の鳥に似ていた…ということに今気がついた…。感慨深い…
ちなみに年中の時、再び同じプラネタリウム行った時は、以前行った時(この時のこと)は「もうずっと前…」みたいな感じだったんで…
この時が少なくともた3才だったことは確か。と言えるだろう。
このプラネタリウムはてっぺんに丸いドーム状のものが乗っているビルの中だった。
見た目がちょっと面白いビルなんで、“このビルに入れる”ってだけでワクワクした。
あのドーム状のところがプラネタリウムなのだろう…と思っていた。
プラネタリウムの中はあんなふうに丸かったんで、“あそこだろう”と…。
でもプラネタリウムはビル入ってすぐのとこだった。
階段上ってないし、エレベーターにも乗ってない。
ビルのあんな高いとこがあのプラネタリウムの中のとこ…とは考えにくい。
だってあそこは1階でしたから。。最上階じゃないです。
でも何か…深く考えたくなくて…
てっぺんのあの丸いとこがプラネタリウム!なのだと信じていた…。
そう信じたいから知らず知らず深く考えないようにしていたのかも…。
ともかくプラネタリウムのある建物はてっぺんにアクセントのドームが付いてて、本当プラネタリウムらしい建物だった…。
(あそこがプラネタリウムではないとしても、それらしかった)
外から見てもプラネタリウムだ!って思える良い建物だった…。
プラネタリウムですから。
…てっぺんのその丸いとこがあのプラネタリウムではない…ということは間違いないです。普通に考えればわかること。
ではあそこは何か?
今見てみても…わからないですね。
あそこもプラネタリウムなのかもしれない。
一般公開はしない、試験用のプラネタリウムとか…
そんな何かなんじゃないか?と見ている。
あそこはあのプラネタリウムではないが、あのビルにあのプラネタリウムがある。
プラネタリウムは2つある。
(鳥の星座が良かった)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
祖父からもらった(んだったか?)ラジカセ(大きめの黒いやつ)があり、それをよく使っていた…。
自分は使い方は知らなかった…。
ある日、母がそのラジカセの各ボタンにシールを貼り、このボタンは何…このボタンは何…と使い方を教えてくれた。
自分はそれで覚えられ、使い方をマスターしたw
雪だるまのとこが再生で…あと何だったか?
兄も聞いていたと思ったが、、兄はほとんど覚えられないでいた…。
それで自分は一時期、頼まれたら音楽を流したり消したりしていた…。
“自分でやれている!”…いい気分だった…。
どんな音楽を流していたかは………記憶にない。
ボタンにシールを貼ってくれたから覚えられたのだろうか…?
そんな気はしてた…。
一応ボタンにはマークがあって、それを覚えたりすれば、再生、停止、取り出しなどできたんだと思う。
でもそれは面白くない謎のマークで、子供は覚える気になれなかった。
で…そのうちいつのまにかラジカセは使われなくなっていた…。
…
5才くらいになったころだったか…?
そのラジカセがふと目に飛び込んできて…
その、使われなくなっていることに、ふと気がついた…。
忘れてた…そういえばこれいつか自分で動かしてたな…と何ともいえない気持ちに……。
やり方をほとんど忘れていることにも気がついた…。。
今の自分にはできない…昔の自分ならできたのに…。。
今の自分が昔の自分なんかに劣ってる気がして、切なかった…。思い出したい。。
そのころには母らも自分が使いこなせていたことなんかきっぱり忘れていたようだった…。
思い出深くなっていることにも気がついた…。。親しみが湧いていたということだ…。あのラジカセに…。
…
そしてそれからまた長らくして…ふと気付いた時には……
そのラジカセはなくなっていた…。
またいつのまに捨てられたのか…??
思い出深いものが捨てられると何であろうと切ないもの…。。
…懐かしい。
ラジカセを何かよく使っていた…
ラジカセが使いこなせるようになった…
自分でやれていい気分だった…そんな思い出。
(ラジカセを使いこなせた)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
一時期、自分は母に怒られて泣き喚くと…いつも廊下に放置されていた。
部屋に戻っていくことは…
できなかった…
なぜかっていうと…
踏み台の上に乗せられていたからだ…。
詳しく言うと廊下の奥にあった踏み台の上に乗せられてそこに放置されていた…
1mくらいの踏み台だったか…?
たった1mくらいの高さだが…
自分はその上から下りられなかった。
小さい自分にとってはその高さでもかなり高かったんです。
それをいいことにと…。
最初遊びでその踏み台に乗って下りれなくなってたので、それを応用させられた…。
今その踏み台はとっくにもううちにはないですが…恐らく今あれを見たとしたら拍子抜けするんでしょう…w
なんでこっから下りられない?wて…
土台が「C」字型の、緑のマットになっている爺くさい感じの踏み台であった…。
で、「うるさい薄情しろ」といった感じで母はそうしていた…。
暗くて怖いし、寒いし…そんなことされると余計に泣くのをやめられなくなっていた…。
涙でビショ濡れになっていた…。
この間、母は自分を構わなくてよく、清々していたのだろうか…?
自分はあんな想いをしていたというのに…。
自分はこの時いつも…父の帰りを待っていた…。
父はこの状況を目の当たりにすると…必ず救ってくれた。
「惨い、可愛そう」などといつも言って、とにかく母に当たってくれた…。。
踏み台の上から下ろして部屋に連れ戻してくれた…。。
だがある泣き喚いた日…
この日は父が残業で遅くなると連絡があった日だった…
自分はそのことをすでに知っていてマズいと思った…。
母は「今日は遅いんだ締めた締めた」的なことを言って、いつものように自分を廊下に放置した。
なかなか帰って来ないとわかっていたので、そう思うとより一層悲しくて、大泣きしていた。
…
…
それでも結局父が帰ってくるまでそこにい続けた…。
父は多少遅いだけだった…。
よかった…。
あの踏み台の上でのことは…長時間いただけに記憶が鮮明だ…。
泣きながら父を帰りを待ち望み、玄関の方が気になっていたあの時の気持ち…
長い時間耐えていなければならないあの気持ち…
思い出しただけで涙ぐんできます…。
大人から見放されたらまだ何もできない…そんな自分だった…。
|
泣き喚くと廊下の下りられないとこに放置されていた…
もうなんとも言えない…
凄く嫌だった…そんな思い出。
この時の母は敵。父は味方。珍しく。
これを母にやられてた時期は…まずまだ親元から離れて過ごした記憶はなかった時だったので…
3才よりは前…であったことは確かだろう。
(廊下に放置)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある日の夜…○がでかけていた…
父と兄は家にいた…
こういうことは別に珍しいわけでもなかったのだが…
この時は…なかなか帰ってこなかった…
本当になかなか…
もう夜、遅いのに…
父が「帰ってこない…」、「帰ってこない…」と何度も言っていて、余計に不安になっていった…。
夜遅いのにいつまで待っても帰ってこない…
恋しくなってきた…
○がいないと…安心できない…
たった1○のあの○でないと…
まだ帰ってこない…
悲しくなって○○は泣きながら走って1人で家を飛び出した。
○を探しにいこうとした…
道路に出て様子を見た…
その時、隣の家の婆さんが出てきて、婆さんに引き止められた…。
婆さんは○○をなだめてくれた…
○○が泣きながら出てきた理由をなぜか分かっていたみたいだった…。
そこですぐにタイミングよく…
○が帰ってきた…。
○○は大泣きしていた…。
安心だった…
まあこんなことだろうとも思ってた…。
父と兄も気付いて後ろからやってきた。
○はとりあえず婆さんに何か礼を言い、皆で家に戻った…。
|
…
これは3才の記憶の中でも特に印象的な部類ですね…。
…これ書いてたら今じゃありえないあの時のあの気持ちを思い出してまたあの時と同じように涙が止まらなくなってしまった…。
何か思い出させてくれた気がします。
この企画思いついてよかった…。
でもこの時もどことなく3才なんてそんな昔だった気がしないのです…。
不思議に感じる…。
そういえばその婆さん、つい2,3ヶ月前に亡くなった…と聞いた。切ない…
逆にまだ生きていたことが凄い。
(これ書いた時点での話)
ある夜、○が何かどこかへ行っており、いつにも増してなかなか帰ってこなかった…
切なく、不安だった…
いろいろあり、帰ってきた時は…
様々な意味での…何か深い安心感があった…そんな思い出…。
今思うと感動する。
これに近いような出来事は…実はその後も何度もあった。
1人で外に出てく…というか、実際には「家の外で○の帰りを待つ」という感じ。
とんでもないようなことは当然、しません。ちょっと大げさな言い方してた。
子供だった…というか、理論的に言うと、いろいろあって今ではありえなくなってしまった…。
(なかなか帰ってこない…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
天沼公園前角の駄菓子屋で、よく駄菓子を買っていた。
中でもよく買っていたのがチョコレートでコーティングされた円形のパンみたいなお菓子だった。
あれは気に入っていた。というか母は特定のものしか買わない習性があるために、そればかりだった。
いつも食べるのが惜しかった。
それでその円形のチョコレート、ローストチキンポーズをしている時の茶の膝に似ていた。
説明しますと、茶はよくローストチキンのようなポーズをしていることがあった。
そのポーズをしてる時の茶の膝の部分が…
そのチョコレートのやつみたいだった…。
この形…この色…
それで、その美味しそうな膝の部分をもぎ取ろうとすると、、茶はいつも逃げていってしまっていた…。
もぎ取れるわけなんてありませんが、もう少し奥までぐいっと差し込んでもぎ取った気分を満喫したかった…。
もぎ取って食べてしまいたかった…。
でもそれをやろうとすると即座に逃げてしまい、なかなかやらせてもらえなかった…。
これどことなく虐めっぽいでしょう…。
嫌がってましたから。
自分が猫にしていた数少ない虐め行為です。
すぐ逃げてってしまうため、満足いくくらいやれたことなくて、あのポーズになる時を待ち望んでいた…。
あのポーズの時はチャンスでした。
もう少しゆっくりやってれば大丈夫だったのかもしれない…。
また茶に会えたら実験してみたい…。
結局満足いくくらいやれたことはなかった…。
スパッとできそうな感じが気持ちよく、面白かったんですが、今思うと多少やりすぎてた…と思える。
色も茶色くてそこがまた香ばしいチョコレートっぽくて美味しそうだった…w
よくわからないですか?
駄菓子屋でよく円形チョコレートを買っていた…
ローストチキンポーズの時のそのチョコレートのような茶の膝をもぎ取る感覚を楽しみたかった…
スパッと気持ちよくもぎ取れそうながら、もぎ取るのをやらせてもらえず、こっちとしては不満だった…そんな記憶。これも思い出。
(茶の膝が美味しそう)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ちなみにこのころ、その駄菓子屋ではそのチョコレートのほかにも、ソーセージ型の容器に入ったアイスを頻繁に買っていた。
そのアイスよりほかのアイスの方が美味しそうであった。
でもそうは言えず、そこで買うアイスは確定的にそれにされていた。
なぜこれしか選ばない…
そのアイスは1番つまらない感じだった…。
長いカラフルなウロコ模様みたいになってる棒?みたいなやつとか気になってた。どんな味だったのだろう?
でもそれもほかのアイスと比較しなければまああれなんで、我慢していた。
駄菓子屋でよく買っていたのはそのアイスか円形チョコレート。
というかそれ以外のものを買っていたことはなかった気がする。
決してその2つの品物しか売ってなかった…というわけではない。
1番つまらない特定のそのアイスしか買わなくて…そのことがある意味嫌らしかった…そんな思い出。
その店、たばこも売ってることに途中から気付きましたがたばこ、もの凄い数びっしり壁に敷き詰められていて、凄い迫力だった。
あれには驚いた。
実はたばこ&駄菓子屋だった。
兄の幼稚園の友達たちともよく入ってましたね。
この店が閉店したのは…いつだったか分からない。
この店だった民家が解体されたのは2004年だ。
解体の時まで営業してたかどうかよく分からない。
小学生くらいになってからは全く行かなくなったので…
よく見てなかった…。
見慣れちゃうと見えなくなるんでね…。
(つまらないアイス)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
外出し、どこかの観光地?に行った…。
広い芝生の広場に来た…。
屋根があるとこがあり、そこに人だかりができてるとこがあった。
そこには牛がいた…。
自分たちもそっちへ行った。
…牛の乳絞り体験をやっていた。
子供がたくさん並んでいた…。
うちもやろうということになってい、そこに自分たちも紛れて並んで自分の番を待った。
そしてうちの番。
自分が絞りにいった。
牛の足下に行って子供を手伝ってくれる係員の指示通りやったら普通に牛乳が出てきて、コップに入れた。
こういうものなのか。って感じで特にそんな、なんとも思わなかった。
自分にやらせてくれて良かった。できるのだから。この程度なら例の件、大丈夫…
ちょっと離れたとこで、その牛乳を…飲んだ。んだったか?どうだったか?
子供は騒々しくて嫌でしたね…。同じ子供ながら…。
しかしここはどこだったんでしょうか…?牧場的な感じだった。
連れていかれるがままで、そこがどこだかなんてまだ全然意識してなかったから分からない…。
…この時は、3才の冬に着ていたコートを着ていたような気がしたので、“3才の時の冬”であったことはほぼ間違いなしか。
あくまで「気がした」ですが…。
どこかの広い芝生の場所で牛の乳搾りをした…
普通にやれた。なんてことなかった…そんな思い出。
でも今思ってみれば良い経験であった。
このころにこんなことした…と。
(牛の牛乳)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
家には童話の本とかもたくさんあった。
童話のはみんな同じシリーズので、それがびっしり並べて本棚の一角に納められていた。
これが見栄え的に何か好きだった…。わかりますかね?
その本を読んでもらうことは…あった。
母は普通のことを普通にするだけの小物なのでね。
結構面白いと感じていた。
これらの童話の話が全部、一般的に知れてるものだったということを知ってきたのはかなり経ってからのこと…w
思えばこのころの時点でこういった童話の内容を普通に知ることができて光栄だった。
たまにヨーカドーとかでその同じシリーズの違うのを買ったりもしていた。
よく好きなのを兄と1つずつ選んでいた。
それでヨーカドーで毎度2つずつ買ってってこんなびっしりになったのか?というと…
それはちょっとわからない。
気づいた時にはすでに結構な数あったw
そこに足されていってたのは覚えてる。という感じ。
見慣れない表紙のが加わると、「増えた!」って感じして、何ともいえない感じだった…。
童話の本がたくさんあった…
普通の感覚で普通に童話の内容を知れた…
それで良かった…面白かった…そんな思い出。
幼少期に知っておくべきこと、それはたくさんある。
(びっしり収まっていた童話のシリーズの本)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
注意:この話は非常に長いです。
覚悟しておいてください。
…
ある日のこと。
母がどこかでビデオを借りてきた。
たぶんミニストップのとこのビデオ屋で借りてきたものでしょう。
当時、うちはそこの常連でしたから…。
で、母の借りてきたそれ、何のビデオだったか?というと…
それは…猫のビデオでした。
猫のビデオ。(実写です)
自分も一緒にいて、一緒に選んだんだったような気がしないでもない…。そんな詳しく覚えてません。
なぜそれを選んだのか?
それは…
自分らが茶が好きだったから。でしょう。
茶を飼って…増す増す猫に興味が湧いてきていた…この時はそんな時だった。
無難だ。
で、そのビデオを…見た。
家族みんないる時だった…。
自分はまたコタツのテレビ側で、前向きに寝て、あごを両手で抱えるあの体勢で見てました…。
で…ビデオの内容ですが、まず…
…
何匹もの猫たち(親子兄弟だったか…?)がいました。
その猫たちはそこの土地で生まれた猫たちで…
そこが古里でした…。
ある日、猫たちはいつものようにそこで楽しく遊んでいました…。
それでみんなでかくれんぼしよう。ということになり、かくれんぼが始まった…
みんな土管とかタイヤとかの隅に隠れてました…。
その猫たちのうちのある1匹は…
川のそばに置かれていた箱の中に隠れました…。
さあ見つからないでしょうか…?
(それより危ないんじゃないか?)
………
!!
その箱が少し動いて、、川に落ちてしまった…!
(やっぱり。。これにはギク!っとした…)
箱に隠れた猫は箱ごと流されていってしった…。。
そうとは知らない“かくれんぼの鬼役の猫”が隠れたみんなを探し、1匹ずつ見つけていきます…。
ん…
なかなか見つからない1匹がいました…。、、、
見つからない…、、、
!
その見つからない1匹は、そう、流された猫…!
が1匹の仲間の猫(鬼役の猫だったか?)が何か見つけたようです!
川を流れていく箱!
何か感づいたのか、その仲間の猫はその箱を追いかけていきます。
(そうだ。いいぞ。)
川沿いを突き進む。
川に流されていく箱を追いかけて追いかけて…遠くまで来てしまいました…。
もうここは…どこかの森の中…
(何でしょうかこの気持ちは…。凄まじい哀愁が沸き上がっていた…)
箱には予想通り、見つからなかったあの猫。が入ってました…。
(ほら、早く助けて)
助けを求めてる…
でもどうにもならない……
どんどん流されて遠い場所に来てしまう…
でもめげず、追いかけてきた仲間の猫はどこまでも追いかけていく…
この子、ちょっと心強い…。
しかし、途中で仲間の猫は、箱を見失ってしまった……
(そんな…)
その後も流された箱の中の猫は…
どこまでもどこまでも流されて…
どこかの海岸に行き着いた…。
…“帰ろう”と箱から出て、どこかへ歩いていきます…
もう方向もわからないですが…
(良かった…のか良くなかったのか微妙で何とも言えない哀愁でした…)
一方、追いかけてきた仲間の猫は…まだめげずに流された猫を探していました。大切な仲間ですから…助ける…。
そしてそんな中、浜辺に流れ着いたあの箱を発見する…。
だがあの猫は中に入ってませんでした…。
出てってますから…。
入れ違い。
(見てるこっちも、悔しくてたまらない…。でも1つ手がかりを得られた。何だろう?微妙な心境…)
流されて遭難した猫の方は、あの古里に帰るため、歩いていく…
ひたすらに…
どこまでも…
1人ぼっちで……
(逆に遠くへ行っているんじゃないか?と不安だ…。こんなとこに来ちゃって…本当に帰れるのか?帰れそうにないが…。
この雰囲気が、空気が、とてつもない、とてつもない哀愁を醸し出していた…)
もう夕暮れ…。
広い草原に来ていた…
そこで鳥の群れに遭遇…。
鳥をからかって楽しそうに遊びだしていた…。
(帰ること、忘れないで…)
楽しそう…。
ちょうどそのころ、追いかけてきた仲間の猫も、この付近まで来ていた…。
(会える、もうちょっと、気付いて、頼む…)
来た?
!!!
ついに!仲間の猫は、流されて遭難した猫を再度見つけ出し、2匹は再会した…!
(これを待ち望んでたんです…!よかった…本当。
仲間の猫に「君を探してた」ということをあの猫に伝えてほしかったんです…!
それが伝わった…!
この場面にはやられました。。
この喜ばしい気持ち、どうしたらいいのか分からない…そういうくらいだった…。
でもまだ帰れるかは分からない…。
なのでまだ哀愁は強い…。)
2匹は喜んではしゃぎ回る…。2匹で鳥を追い回す…。
(あれ…)
…仲間の猫は、鳥の群れを追いかけてどこかへ行ってしまった……。いない…。
また2匹は離れ離れに…
なってしまった…。……
また会うことは…?できるのか…?
(哀愁が大きくなった…。
と同時に、自分は疑問に思った…。
?
同じ疑問を兄も感じていたようで…
自分は何も言わなかったが、自分の聞きたかったことを兄が父に聞いてくれた。
兄「何で見捨ててこんなこと?」
父「猫だからこんなもんなんだよ。。」
このやりとりを聞いて幸運にも、自分の疑問が晴れた。
この広い大地の中、せっっかく再開できたのに、鳥に夢中になって自分からどっかいっちゃうなんて……
知能が低いから、しょうがないのか…。
何にせよ、もう2匹とも遭難だろう…。
そう思っていた…)
そして流された方の猫は、また1人ぼっちになった…。
日が暮れて…
夜が明けて…
流された猫はどこまでも歩いていった…。
グランドキャニオンを抜け…
線路を歩いていた…。
その時、電車がやってきて、電車の下敷きになってしまった…!
(このシーンもギクっとした…)
しかし無事でした…。
猫は小さいので、車輪の合間をすり抜けていて無傷だった…。たぶんそう。
そういうことがある。ということを知った…。
(もう…この辺りはもう…本当に哀愁が半端なかった…。
心が張り裂けそう…。
この気持ち…どうしようもない…
一体どうしたらいいのか分からない…。
あの古里が懐かしい…
生まれ育った場所…楽しく遊んていた場所…親元…
絶対あそこに帰れるんだ。
頼みます。
どうか帰らせてあげて…!
そう祈っていた…。
でも帰れそうにないんです…。。
こんな…全然あの場所とは次元の違うようないかにも遠いとこに来てしまっては…。。
ここはもう、この広い世界のどこか遠く…
どこだかわからない。どこか遠く…
ただ祈るしかなかった……。
帰れないなんて絶対に嫌だった…。
帰れなかったらこの気持ち、どうしてくれるんだ……。
古里が恋しい…
あの古里でみんなと過ごしていたころが…このビデオの冒頭のころが…
もうずいぶん昔のことのように感じる…
古里に帰らせてあげたい……)
そんな絶望感漂う中…
仲間の猫は再び、遭難した猫を見つけ出し…
2匹はまた再会した…!!
あの猫はまだ探し続けてたんです。
(それはそれでまた本当に安心した…。
でもここから、帰れるのか…?
流されて歩いて歩いて…ここはどこだかわからない、どこか知らない場所です…
不安が半端ない…。
いいから早く、古里に帰らないと…
そういう気に…帰る気になって…)
その後、行く先々で2匹は力を合わせ、何かピンチを乗り越えたり…
またはぐれてまた再会したりを繰り返し…
2匹はもう、「絶対に離れ離れにならない」ことを宣言する…。
で…
それで…
それで…
…
……
………
2匹は…
…
住みやすそうな草原を…
見つけて…
…
……
……………
その場に留まることを…
「決意」する。
(唖然とした…
まさかこんな気持ちになってしまうなんて……)
この場所で生きていく…。
そして2匹はそこで暮らし続けた…。
…
一気に時間が飛ぶ…
…
春が来た…。
成長した2匹は…
家族を作っていた!
異性どうしだったということか?!
子供をたくさん生んでいて…
2匹と同じ姿の猫(2匹の子供たち)が桜の木の上にそれぞれ何匹も並んでいた…。
父、兄、母はそのシーンで歓喜して「おおよかった。よかった。」てな感じだったが…
自分としては全然よくない……。
もう2度と古里に帰れないなんて…
古里ははるか遠く…あそこがどこだったかまったく分からないまま…なんて…
あのみんなともう会えない…なんて…
あの日でお別れだったなんて…
みんなとも…古里とも…まさか、あの日が最後のお別れの日だったなんて…
しかたなく、ここに「「永住」」するなんて……
で…それにてそのようにハッピーエンド!ってことでビデオは終わりでした。エンディング。
|
これでハッピーエンドなんて…
自分としてはまったく…その、ハッピーではなかったのに。。
……
帰らないなんて…
あの古里が恋しい…
でもいくら恋しくても帰れなかった…
帰れなかった。どうしたって。
もう、続編を作って帰してあげたかった…
この気持ちを言葉でぶつけ切る?ことはできない…。
家に2度と帰れない…お別れ…
切なすぎてどうしようもない…
どうしようもないのに生きていかなければならないこの気持ちがわかりますか…?
いつまで経っても、いつまでも…
思い出すと、どうしようもない気持ちがこみ上げてきてしまう…
思い出さずに過ごしていくしかない…
このビデオは非常に印象的で面白かったんだが…
「見なければよかった」と後悔もしました…
これを見てしまったばっかりに、こんな悩みを抱えてしまったんで…。
いまだに思い出すとどうしようもない気持ちに、なってしまいます…。
忘れているしかない…
この悩みが消えることはない…
だからこそ…このビデオを見てる時、不安でいっぱいになって哀れな感じだった…哀愁が凄かった…。
もし、茶もこうなったら…
茶は…
とリンクして想像が膨らみ、またどうしようもない感じが…。
あまりにも可哀想。
親近感ある「猫」が主役で、こういうことになった。てとこがまた何気なく大かった…。
ともかくこういうのだめです。自分。「もう2度と戻れない」みたいなの…
でこのビデオを見終わったあと、その後時計を見ると…
1時過ぎであった。日中の。
こんな時間になっているのには驚きであった。
その場で最初からじっと見ていたので。。
動いてないのにこんな…と…。
集中してるとふと気付いた時、「何してたんだろう?」みたいになることありますね…。
現実に戻りましょう。
このビデオを見た時は…まだ白のことは知らず、茶がいたころだった気がするし、「3才」と自覚してた感じするんで、3才だったと思う。
3才の記憶の中で1番“まとまった長い記憶”?がこれだ…。
「1シーンだけ」とかではなくて、ビデオの内容最初から最後まで大部分はほとんど覚えてるとか…
今思うと凄い。
3才のその時以降、その後1度も見ていないわけです。
それで…その時の記憶に関してのことだけでこれだけ色々書けた。
ほかの3才の時に見た映画なんかは「とある1部分」とか「1シーン」とかしか覚えてませんからね…。
凄い差ですよね…。
興味深い内容のものだったか?そうでないものだったか?で、これだけの大きな差が生まれたんだと思います。
しかもこれは「トラウマ感」があったから特に印象が強まっているんです…。
また見てみたい。
ずっとそう思っていた。
でもちょっと怖い気もするんですね…。
あの感情が蘇ってくるでしょうから…
まあ思い出しただけで蘇ってるんですが…
それよりか、見てしまったことで、ありのままの記憶上のものではなくなってしまうこと?が怖かったり…。
思い出に今の新たな記憶が上書きされ、その時の感情がわからなくなったりし、
あの思い出が「思い出そのもの」ではなくなってしまう可能性が…。
だから見るには結構な覚悟が必要。
そもそもまた見ることはできるのか?
まあこれに関しては…夢とかではない。この記憶は確実なもの。
このビデオは絶対に存在していたはず…。
しかし思い起こしてみると3才時点ですでに色々なことを考えていた。確かに。
このビデオの話は作り話だが…
そう思ったってだめだった。切なかった…
…
その後このトラウマと同じようなトラウマが現実で本当に発生してしまう…
うちの○は古里に2度と帰れない…
△の持ち主はいたのか…?
□の親はどんな猫…?
◇が遭難…。2度と帰れない…
…
どうしようもない…
どうしようもない…
考えてはいけない…
今日でお別れ もう会えない
この詩を思い出すと涙ぐんでくる…
考えてはいけない…
いつまで経ってもどうしても、こういう思いが……
成長しても何も変わってくれていない……
というか頭は早熟だったのか?
最も大ボリュームの3才ネタでした。
家で猫のビデオを見た…
夢中にさせられてしまう内容ではあったが…
2度と帰れない…というとこにヤられ、どうしようもない気持ちになった…
一生忘れられないような、そういうどうしようもない気持ちにさせられてしまった…そんな思い出。
これ、自分の知る映画?の中でも非常に印象的で、ある意味面白かった作品の1つ。
何より思い出深さが物凄い。
(帰れない…戻れない…どうしようもない…猫のビデオ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
うちのとある大きなタンスの下に…何か、本が敷かれていた。
寝る時とかにいつも気になっていた。
ちょうど寝る時、そのタンスの前に布団を敷いていたので…。
布団で横になっている時に、頭上を見ると…タンスの下にその本があった…。
タンスの端と端に2つ…
タンスは2つ並んでいて、最低3冊くらいは敷かれていた…。
床は畳だったのだが…
何か?畳の上に重いタンスを直接乗せるのはよくなかったのだろうか…?
そんな理論ある?
あるとすると、このその知識はどこから得たのか…?
それはそうとその本が…
どれでもいいので見たかった。
ジャジャマルの本とかでした…。
どれも見たことが(見た覚えが?)なかったんです。
だからどんな本なのか?と…
気になって面白そうにも思えてた…。
タンスをどかさないと取れません…。
でもあんな非常に重いタンスを動かすことなんて素人にはできません…。
だから見れない…。
気になっていた…。
取ろうとしたことがあったが、その時は親に「取れないからしかたない」的なことを言われた…。
あの敷かれていた本は、もはや封印されていたようなもんですが…
何でしょう?捨てようとしていた本か何かだったのでしょうか…?
“もう2度と取れなくていい”といった覚悟でないとあんなとこに敷けないでしょうから。。
いつから敷かれていたのだろうか…?
「あのタンスがあそこに設置された時」ですから…相当前のことだったのでしょう。考えてみればそうだ…。
「自分が赤ちゃんのころ」だということは間違いない…。
ということは、あの本もそれ以前のもの・・・
覚えてないわけです…。覚えているはずがない。
自分の記憶が始まる以前(2才より前)のことって…気になる。
あの家で、あの形の生活が、どのように始まっていったのか…?
家にある物(家具など)がどのようにしてその場所に置かれたのか…?
どこでいつ購入したのか…?
自分にはわからない。
3才より前のこと、生まれる前のことは「わからない」……。
あの本は赤ちゃんの本みたいだったし、自分らが赤ちゃんのころに買ったものだったのだろう。
「もう子供になったのでいらない」とし、封印した…という感じか?
巨大なタンスの下に本が敷かれていた…
それをとって見てみたかった…気になっていた…
でも見れない…それを思うと胸が痛かった…そんな記憶。これも思い出。
ところで小3くらいの時に家具の配置変えでタンスはあそこからどかしましたが…
その時あの本をどうしたのかは分からない…
その時にはあの本の存在を忘れていた…。思い出せてなかった…
ということに今気がついた…。。
よく見ていればよかった…
見れるチャンスだったわけなのに。見たかった。
タンスを動かしたあと、おそらくあの本はすぐに捨てられてしまったのでしょう…。
(絶対に取れない…タンスの下に敷かれた本)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある時、「写真撮影しよう」だとかなんとか言って、みんなで庭に出た。
それで…庭で写真撮影が始まった。
このころ、写真を撮られることが多かったが、普通に家で過ごしてる時に突然こんな提案する…ってのは初めてだった。
まあ写真撮られるのはいつものことなんで、そんなにたいして疑問は持たなかった。
とにかくこんなこと、今じゃしようとするはずもない…。
自分らは車の前に立たされた。平上家側から撮られていた。
たまたま庭に、茶がいて…
茶も一緒に撮影していた。 |  |
茶を抱えて撮ってみたりもしていた。
兄ばっかりで…
自分にも茶を貸してほしかった。
本当に。貸してほしかった。
だけど1番小さいからって?なかなか貸してもらえなかった…。
1番小さい。ってももう人間としてある意味しっかりしていることをわかってほしかった…。無理だろうけど。
そんな気持ち表に出さないようにしてたんで、誰も知るよしもない…。
何でこうなのか…
言えばどうだったかわからないですが…。
そのうちようやく、茶を貸して(抱かさせて)もらえた。
それで1枚撮ってもらえた……。 |  |
めでたし。
茶が動いて何度も取り直したりして…結構撮りまくってた。
家での写真会。みたいな感じだった…。
改まって庭に出てきたわけなんでね…こんなでも悪くなかった…。
なぜか突然庭に出て写真撮影をやられた…
茶も加わって一緒に撮った…
なかなか茶を抱かせてもらえず、嫌らしかった…そんな記憶。これも思い出。
3才だったということが確実な記憶ですが、鮮明に覚えてますね…この記憶。
この時見てた景色…この時の気持ち…。
このころはよかった。本当、環境が変わってしまって…泣きたい…。
↑その時の写真。
茶を抱いているのは兄。
自分が抱いて撮ったやつは…
………………………
見当たらない…。
あれ?現像しなかったのか?
確かにこの時、自分も抱いたんですが。。
現像の時、現像対象に選ばなかった?
なくなった?
昔はあったようななかったような…。
なんにしても今や幻ですね。
茶をこの時抱かせてもらった証拠はもうない…。これはそういうこと…。
密かに嬉しかった場面だったのに。。。
今になって残念な気分を味わってしまった…。
しかし茶は、何かに驚いて逃げていってしまったりはしない、懐こい猫であった…。
(茶と写真撮影)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
いつもの母、兄と都心のどっかへ行った…その帰りだった…。
この時はXmas seasonだった…。
ニシフナのXmas treeを見に行こう。と、言いだした。母が。
以前うちはニシフナ(西船橋)付近に在住していたらしく、母は毎年西船橋ロータリーに大規模Xmas treeが出現することを知っていた…。
例年見ていたのか??
自分も電車から見えるのでそれを知ってはいた…。
…
そして本当に西船橋で降りた。
帰ってきた……と思いきや一歩手前のこの駅で降りるとか…何かなんともいえない異様な感覚だった…。
…
駅を…確か出た…
冷える屋外…ロータリーの真ん中…光るXmas treeが…たたずんでいた…
近くで見ると新鮮めな印象だった…。
|
しかしわざわざ途中下車して見にいくとは…。
それほどのものでも…。と思ってた。
ある帰り、船橋の一歩手前で途中下車し、巨大Xmas treeを間近で見た…
ここで下車…なんともいえない感覚だった…
わざわざこんなこと…なんともいえない雰囲気だった…
そんな出来事。これも思い出。
こんなことがあった…。
子供のころ、ここの駅前に来たのはこの1度だけだったと思った。
この時は3才とかだったんで、あまりどんなとこか気にしてなくて…
西船橋は船橋の隣街ながら、長らく未知なる場所だった…。
どんなとこだろう?と思うたびにこの記憶が出てくる…でもこの記憶じゃ何もわからない…。ずっとそんなだった。
西船橋の付近を車とかで通ると母や父は毎度「この辺変わった・・・」とか口ずさみ、いかにも慣れ親しんだ街みたいな感じだった…
こっちとしては未知の街なのに…
そっちにいたころ、自分も生まれていたことは生まれていたというが…
一切記憶にない。ので、「自分は何も知らない」ってことを分かってほしかった…。
「何も知らない。懐かしい気なんかもしない。」ってことを……
で…
次に西船橋で降りたのは…高校の時だった…。
その時やっと、気になってたこの駅前の詳細をよく知ることができた!
(クリスマスツリーがあるがために、西船橋で降りた)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ジュウレンジャー?の大きな白い恐竜ロボットのおもちゃが欲しかった。
一際迫力があり、凄くて、欲しかった。
そんなある時。
こたつでプレゼント何がいい?と広告を見せられた。
そうそのころ、Xmasが近かった。その…それ。
広告には恐竜ロボットのやつが載っていて…自分は迷わずそれを欲しいと言った。もう知られてた感じなんでこの時は言えた。
それでプレゼントは確定していた。
本当、Xmasまで毎日待ち切れなかった…。
自分がそんなだということを周りもよく分かっていた…。
あまりに楽しみであった…。
そしてようやくやってきた。ついにだ。明日起きるとそこにはあのおもちゃがある。
…
|
…
目が覚めた。
Xmasの朝…!
目覚めた瞬間、あれは!?ある!?と頭上を確認した。
本当に注文通りのあれが置いてあった!
箱に入っている。
自分は目覚めて早々いきなりその箱を必死で破きまくった!
一刻も早く開けたくて破っていた。
自分が起きたことに気付いた母と兄が、リビングの方からこっちに来た。
母と兄はカメラをスタンバイさせていて、自分のその様子を撮りまくられたw
嫌らしい。
でもこのころはまだそういうのをそこまでも嫌だとは思わず、気にせずに破き続けた。
とにかく破いて中を見たかった…。その気持ちが強かった。
そして破き終え、中を出した。
とにかく嬉しかった…。
|
やけに想像通りな感じでしたね…。
Xmasの日をあんまり楽しみでよくイメージしていたんだが…
そのイメージのまんまな感じだった…。想像通りな感じだった…。
理想的な嬉しさだった…。
母や兄からしてもまた理想だったでしょう。
起きたら自分どれだけ喜ぶかと楽しみにしていたようですから…。
自分が喜んで興奮してる様子をカメラに収めるのにも大成功している…w
まだなんとかありのままだった理想のクリスマス。
この凄いおもちゃは自分がもらったものだから自分の自由にできる。
自分のとして使える…。それでも文句は言われない…。
兄の自由にさせないようにできる…。
うちのおもちゃが増えた。
自分のおもちゃが増えた。
欲しかったジュウレンジャー?の恐竜ロボットのおもちゃをXmasにもらえた…
単純に大興奮した…単純に嬉しかった…そんな思い出。
自分らしからない単純な思い出w自分にとっては貴重。本当に。
歪。
(クリスマスに恐竜ロボット)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ある時、○タ○が狭いと論○をしていた。
4人いるので。
そう。冬に○○ツを出していた。
実際のとこ、自分は関係なかった。
関係ないということをアピールするために、自分はいつもの○タ○での体勢をやってみせた。
「床の方を向いて寝て、両手であごを支えてテレビの方を向き、
足は曲げて○○ツの中でコ○○の上にくっつけてる」という体勢がその披露したいつもの体勢だった。
確かにその体勢が好きで、その体勢が多かった…。
だが「それがいつもの体勢」だとはどうしても信じてもらえず、自分も加害者候補に加えられてるみたいだった…。
皆いつも自分の何を見ているのか??
嫌がられないようにするため、確実に足を伸ばしたりはしてなかったので、実際のとこ自分は関係なかったはずなんです。
だのに!
嫌らしい以外の何物でもない。。
兄は「足を伸ばしてる」と自ら、言ってました。
ほんとにいつも○タ○で足を伸ばしてた。
悪い人と悪くない人、はっきりしてるはず…。
だがみんな信用しないせいで……
とにかく嫌らしい。
自分はまだ小さい…て感じで見られてて、みんな自分の言ったことにはまだ信頼を持てないみたいだった…。
それがまた嫌らしかった…。
この様。どうしようもなかった。嫌らしさに耐えるのみ。
コ○○で揉めていた…
自分は図々しいことなんかしない、明らかに違うというのに、加害者に含められてる感じで嫌らしかった…
自分の言ったことを真に受けてもらえず、また嫌らしかった…そんな思い出。
自分のことに尽くすのではなく、他人の役に立つことをする。そうしていないと生まれてきた価値観、生きる意味を感じられない。
「自分の良いようにしてればいい」という思考のやつは成り行くままに生きているだけの何も考えられない、知力のない、脳なし。
(コタツが狭い)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
何か…スケート場のような場所に行ったことあった気がした。
夢…のような感じもするも、現実だった感じ。
いい感じのツヤのあるキレイな床…。
そこで“こんなの、、”って感じの○を○かされた。
その○を○いた感覚をちゃんと覚えているんで、やっぱり9割の確率で現実かと。
レンジャー物の武器っぽくて?カッコよくて○いてみたい…
って気持ちがありながらも、“こんな○○いて○けるのか?わけないんじゃ?”て思って怖くて○きたくない感じ。
この両方の気持ちが交錯していた…w
普通に考えると、こんなの○いて○くことなんかできない…。
バランス的に。
でもみんなこれを○く。ってことは、上手ければ大丈夫なんでしょう。
○いてみたらやはりまず○てない。って感じだった。
まず○○○ティングする勇気がない。
転ぶ覚悟をしないといけないから…。
|
何かスケート場に来ていた…
○○ー○の○はカッコよくも怖く、微妙だった…そんな記憶。
幻のようだけど懐かしい本当の記憶…。
(幻のスケートリンク)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
この話は書けない。。
○は家では突然○を○い出すことがよくあった…w
○○ってそうですよね…。
○○を使わないことしかしない…。
○はまさに性別に準じているので、子供がいると突然○いだしたりしていた…そういうあれ。
中でも1番よく○っていた気がするのが…
◯ー◯ママ!◯ー◯ママ!◯ーー◯ママ!
というの。
◯◯に言葉を色々当てハメて色々なvar.を即座に考えていきなり○っていた…。
ちゃらけた○○にしていた…。
替え○の○?だった…。
○○ながら○ってました…。
「ママ」はもちろん自分○○のこと…。
あの○○ぶりは他人が見たら驚きだったでしょう…。家ではそもそもあれなんですが。。
…
○○も真似して飛び入りで陽気に○りに割り込むと、○○○○○ていた…。
割り込めそうな時は「チャンス」だった…。
…
自分はこれが何の○なのか全く分からなかった…。
オリジナル○なんじゃないかとも思っていた。
替え○にしまくっていて、オリジナリティあった感じだったし…。
あの○は長年ずっと「○のオリジナル」的なイメージだった…。どうなのか分からないながら…
○は性別さながらでそれらしさ溢れていて、もちろん子持ちになってるので、突然○いだしたりしていた…
オリジナルの○だったりしていた…ヒョウキンだった…と。これも思い出。
…
大人になってからだった…。
あるいつもの場所で…ラジカセであのメロディの○を…聞いた…。
これには驚きだった…?!
なんでって…
○のオリジナル○がラジカセで流れてたんですよw
…この時点で○のオリジナルなんかでなく…
もとの○があったんだ…
と気付きました…。
オリジナルではなかったことが判明した瞬間だった…。
○のオリジナルが採用…なんてはさすがに思いませんでした。そもそも公表してないでしょう。家での秘密のようなあれでしたしそれに…
◯ー◯の原形は「パー○々々」だったんです…。
その原形で○ってたことは1度もなかったと思う。
全く聞き覚えなし…。
しかしこういう○だったとは…。
サビ以外全然知らなかった。
懐かしいのに新鮮で不思議な感じだった…。
しかしこれ何の○なのでしょう?
それはまだ知らない。
近くにいた○よりも年上の叔○○んは「懐かしい」とか言ってましたが…???
こっちは○のオリジナルを連想して、それが半端なく懐かしい…。
○はいつのまにかそのオリジナル○…ではなくて…
○○○○○マの替え○を○わなくなっていた…。
○○を自分自身に当てハメてたい感じだったんですね…。
どこから出てきてたのか…?
あれをよく○っていたのは自分が3才くらいのころまでであった…。
懐かしいわけです…。
(○の○)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
このころ、よく自分は○○と言われていた。
3才にして○○だった。
出るのは1週間~1か月に1回くらいだった気がする。別に。元からそう。
母から「水を飲むと出る」とか色々言われていた…。
それでいて出る時はいつもなかなか出なかった…。
…
ある日。本当に長引いた時があった…!
もう30分くらい経っているが…
出てこない…。
母に「もういいから出てくれば?」と言われた…。
しかし出かかっていたので、そういうわけにはいかなかった…。
そのあと「途中まで出かかってるの?」的なことを向こうから聞いてきたので、“そう”だと言った…。
その後もなかなか出なかった…。
“水を飲めば出やすく…”と母が言っていたのを思い出していた…。
でももし飲んでも出なかったら恥ずかしい…と思ったので、水…とは言えなかった…。
その後ついに…母はドアを開けて様子を見に来た…。
やっぱり「もう出たら出たら」と何度も言う…。
でも途中まで出てるので、「途中まで出てる」と言うと納得して引き下がる…。
さすがに自分もあせって正気を失ってきた…。
隠していたありのままの自分を出してしまって、「出てるぅー」とか言ってしまったりした…。
それで…ついに…「「水」」と言ってしまった……。
何かを自分からねだるというのは“しない”というキャラだったながらに。。。
母はコップに水を注いで持ってきた…。
そしてそれを一杯飲んだ…。
ちょっと気は和らいだ…。
しかし、その後もしばらく出なかった…。
“まだ出ない”と言ったら、「水飲んだのにぃ?」と母は言った…。
ああ…
それからもう少しすると…ようやく少し出た。
それからだいたい…出てきた。
もういいか…ということで自分は○○○を○して出た…。
そのあと部屋の時計を見ると…6時だった…。
もう6時になっていた…。1時間は○闘していた…。
水をねだったりとか自分らしからないことを言ってしまい、すこし恥ずかしかった…が、あの時はそんなどころじゃなかった…。
想像してみれば分かるでしょう…?
こんなことも…。
いつにも増して出なくてあまりに長引き、ちょっとした騒ぎとなっていた…
辛く、大変だった…
さらに前々から言っていた母の助言通りに、そしてねだるように、水!とついに言ってしまって…
それでまた冷静になってから恥ずかしかった…そうとわかっていながらやっぱり…そんな思い出。
ちなみに○も○く3才にして1日3度ほどだった。今も何も変化なし。
この時はまた自分は3才。って思ってた感じだったんで、3才だったんだと思う…。
(ト○○が終わらない)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
何かの番組と番組の間の空き時間?か何かに週1回?だか毎回やっていた長いCM?が何気なく印象的だった…。テレビの話。
それをなぜかよくバッタリ、見てしまっていた…。
楽しい…面白い…というよりか…あれは…あれは…
不思議なCMでした。
不思議で奇妙で少し怖い。いやだいぶ怖い。
そんな映像が流されていた…。
どういうもの?だったかというと……
何か何を意味しているのかよく分からない芸術感あるPV…。
そういうもの…。
確か…メリーゴーランドに気味の悪い薄っぺらい変なキャラクターが乗っていたり…
最後の方で原っぱでまた気味の悪いハサミのキャラクターとかが出てきてたりしていた…。
それを含む何体かのキャラクターが集結していたり…。
ハサミとは文房具のハサミです…。
BGMは遊園地のようなどこか楽しげな雰囲気でありながら、どことなく落ち着きのある雰囲気のものだった…。
何の解説もなく、音声はただただそのBGMのみ…。
そこがまた何を意味する映像なのかよく分からなくて、不吉だった…。意味深だった…。
ともかく気味が悪かった…。
楽しげな雰囲気もあるとこが、また何かそっちの奇妙な世界へと誘い込まれてしまいそうで案外、逆に怖かったんです…。
楽しげだから見てしまっていたが、実は不吉…。
こんなPVでした…。
見るからに不吉…というわけではないんだが、見ようによっては不吉に見える…そんな映像だった…。
謎のキャラクターたちのパラレル世界…。?
極楽のあの世…?!
…
小学生くらいになると、ずっと家にいたこの3才くらいのころが恋しくなってきましたが…
そんな中でこのCMのPVの存在も思い出し、どうしてもこのCMが恋しくなってまた見てみたくなった…。いてもたってもいられないくらい…
そういえばあのころあんなのやってたな…思い出だな…て感じがして…。
そんな中で、タイミングよく、、あれに似たようなCMをテレビで見た…。
これは…!
これか…?
て思った…。
しかし…
何か物足りない気がした…
やっぱりちょっと違ったんです…
ハサミのキャラクターとかは出てきてない…草原のシーンもない…
ちょっと記憶上のあれとは違う…
これではない…。。
「これで我慢…」なんてわけにはいきません…。
これでは気は休まらない…。
というか逆に「幻感」が増し、不安になった気が…。
あのころ見たあれじゃないといけない…。
「いなくなった生き物の代わりの生き物じゃ、それは違う…」て思うのと同じように…
今でもまだ見れてなく、幻…。だが生きれてる…
どことなく奇妙で不思議な長いCMがやっていた…
ちょっと気味が悪い…とどことなく、心の中で感じつつも、毎回しっかりと見ていた…そんな記憶。これも思い出。
今思うと謎めいてる。
ちなみに小学生になったころにやってたそのCMの方もしばらくの期間週1回?だか流されていて、よくバッタリ見ていた…
何か毎週見ていた番組の直前か何かにやっていたんだったか??
それが流れると本当にあれではないか?と何度でもしっかりと見るようにしてました…。
何度見てもあのシーンとかはない…。
見落としてたんだ。あのシーンはある!と信じ、ちゃんとまた見ても…また見ても……やっぱりなかった…。
そっちの方は絵本の中で繰り広げられてるイメージのようなもの?だったような…。最後は現実に戻ってくる。
BGMもあれと同じような感じで、メリーゴーランド?や奇妙なキャラクターも一応は出てきていたと思った…。
奇妙で不思議で意味深…。
雰囲気は全く同じだった…。
同じようなもの…。
でもやっぱり幻かもしれない方をまた見たい…。
しかしこれらのPV…何だったのか……?
何の宣伝だったのか?何を意味していたのか?
謎。ミステリアス。
不思議な世界。空想の世界なので、絶対に実際に行くことはできない。
どうしようもない…。
(奇妙なPV)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
結構、テレビとか見ていたものです…。
テレビというのはまだ知能の低いな小さな子供や、女性でも楽しめる…、
何も操作は必要なく、ただ見てればいいだけのものですから…。あまりにも簡単。
だからその、頭脳派ではない人はテレビ好きなんです…。
逆に知恵のある人はテレビは好まない…。
「適当に今やっている番組を見るだけ」という行為は「単に暇を潰すだけ」という行為であり、何にもならないですから…。
自分も3才のころはまだ特にほとんど通っているところはないし余裕があり、
何より若かった?ので「一刻も早くやることをやり終えないと…」というあせる気持ちがなかったため、テレビを見ていたと…。
暖かい雰囲気だった。
自分が3才くらいの時にやってたTVCMで、そのほの覚えてるものを挙げてみます。
「パール プラザ ファイヤー♪」?と言って森林地帯で大人達がスローモーションで飛び跳ねているCM。
かなり、よくやっていた…。
どことなく、背景の森林地帯の場所はピクニック場?のようなイメージだった…。
うちの近所にあるボーリング場の名前が「パールプラザ」だと知った時はもしや!っと思った。
雄と雌の2匹のトラが電子世界?のような倉庫?のような場所で、ローラースケートしながら歌っている…
雄雌のトキメックな歌声が印象的だった…。
歌詞をいつのまにか全部覚えていた…。
「あなたの近所のアキハバラ」の意味がふと分かった時は関心した…。
心の中でこの歌を思い返してたらふと、気付いた…。。
アキハバラってあそこ?みたいに思ってた。
何度も駅を降りたことがあり、知ってるアキハバラの地名をテレビCMで言っているのが信じがたかった…。
3匹の着ぐるみの牛が出てきて
おっぱいシャブって…
とか歌いながら言うCM。
母は牛が好きで、このCMが好きだった。
母といったら「牛」に「トマト」に「キットカット」。という感じだった…。
自分はこれ、いいの?って思ってた。言ってはいけない言葉だと思い…
渋い、湖と山の風景が写し出され、上から読んでも山本山。下から読んでも山本山。というだけのやつ。
このCMを見ると、よく母がトマトの話を始めていた。
トマトは上から読んでも下から読んでも…と。
CMでは“トマト”なんて言ってなかったような…?と疑問に思っていた…。
最後に「アノママホーズ」??とか言って、水滴が落ちて波紋が広がる。
ヨーグルトのCM。
「1番好きだ」と思ったCMがこれ!
さっぱりした印象だった…。
固める前のヨーグルトか何かだろうか?
美味しそうでたまらなかった…。
見てるだけでほわ~っといい風味を感じそう…。
で、好きだった…。
その後わかったことだが、最後に波紋のあれが出るのはこのCM限定ではなかった?みたい…。
あとヨーグルトではなかった。
あの液体は「ただの水」な模様。
ヨーグルトのCMの最後に出てたからヨーグルトに見えてた…。
残念。ヨーグルトならあれを食べてみたかった…。
「アノママホーズ」ではなく、「ハゴロモフーズ」だということに気づいたのはつい最近のこと…。
ハゴロモフーズ?そんなんじゃ変…。
筋肉の男2人が岩山を走行する汽車に乗っているCM。
「僕は汽車の中ー」という歌が流れていた…。
小学生くらいになったころ、ふと思い出して、「僕は汽車の中ーていうの最近やんない。」って母に言ったら記憶力を称賛された。
でも果たして「僕は汽車の中ー」だけで昔やってたあのCMのことだとほんとに分かってたのだろうか??
ちゃんと分かってて称賛してた?
さらにその後わかったことだが、この歌って…このCMのために作られたものではなかったんですね…
昔のヒット曲?
母はもしかして、このCMではなくてこの曲自体が旬だった時を自分が覚えてたと思ったんでしょうか?
生まれてないですが。。何か勘違いしたりで…
“適当に答えた”という可能性もあるか。
筋肉の男2人が岩山を懸命に登っているCM。
1人が岩山から転落しそうになり、もう1人が“f○○○t”と言って手を伸ばし、
転落しそうな1人が“○発”と言って2人は手を握り、助かる。
非常に目を引かれるCMでした。
これ終わっていないので過去形ではないか。
2人は筋肉盛々だった。
…思ってみると↑の汽車のCMはもしかしたら、これとごっちゃになってる可能性が…
細長いチーズを剥いていくCM。
背景は真っ黒で、BGMはベートーベンだかのクラシック音楽だった。
ちょっと重厚な感じだった…。
数年後に同じようなCMがまたやっていた…。
思い出深い感じがしていた…。
和室が出てきて“タ○ス二ゴ○”と言うCM。
それしか覚えていない。
母が影響されてよくそれを言っていた。
家にいたこのころで覚えてるCMはこのくらい…。
これらは自分の中で最高に思い出深い。
テレビがついていて結構見ていた…
CM絡みの思い出も様々。
(様々なCM)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供のころの不思議な体験←にも記載のネタ。
ある時、兄だかが幽霊の話をしていた。
自分は怖い話のネタ持ってない…全然知らない…ので、ちょっと見てみたい…って思っていた。
そんなある時…のことだった……。
…
…
自分はふと、夜中に目が覚めた…。
真っ暗だ…
みんなまだ眠っている…
自分は布団の中から押し入れの方を見た…
???
…
押し入れの中に…
何かぽつんと…
赤く光っているものが…??
ちょっと怖かったが、「これが噂に聞くその、幽霊ってやつじゃ…」「見れた!?」て思いながら
ワクワクもしながら布団に隠れてそれ→ ● をちらちら覗いていた…
(↑は中1くらいの時に描いたイメージ。どうしても絵にしたくて描いた。自分の布団から見た光景。誰かに見られてる??かのような怪しさが…)
ちゃんと確認したので…
そのうち自分は再び眠った…。 |
…
また目が覚めた時は…朝だった…。
みんな起きていて明るかった…。
あの光のとこをまた見てみた…
がもう、何も光っていなかった…。
近くにいってちゃんとよく見たんだが…
早速自分は兄に
「押し入れに何か赤く光ってた…」
と夜中のことを話した。
そうしたら兄は「あのやつなんじゃないの?」と言った。
“あのやつ”とはちょっと前、クリスマスにもらったあのジュウレンジャー?の恐竜ロボットのおもちゃだ…
暗くてあの時はその光しか見えなかったが、ちょうどあのあたりはおもちゃ箱だった。
それから兄はこう言った。
「たぶん目が光るんだよ。」
“え?目なんか光る?”そんなこと知らなかった。
あの光はあの恐竜ロボットの目の光…?いや…
というか、目なんか光らなかった。
それには納得できなかった…ながら…
兄はそうだということにしてたので…
自分も“そうだ”ということにしてけじめをつけた…。 |
結局そんなでよく分からず終いだった…。
夜中に謎の赤い光を見た…
ネタになる怖いものを見れて嬉しかった…
でもほんとに、、不思議だった……そんな出来事。これも思い出。
…朝光が消えていたのは…明るくなったから見えなくなっただけ…とそう解釈できますね…。
で言っておきますが、夜中…寝てる途中…3才…なんてなると「夢だったんだろう?」て皆思うでしょうが…
あれは夢ではありませんでした。
絶対に夢だった感じはしない。
意識して“しっかり見ておこう”として何度も見てたくらいだから。
確かに現実で見ていました。
3才だったながらつい昨日のことのように鮮明にあの時のことを覚えております。
まずあれは事実上現実です…。
それで…あの恐竜ロボットは事実上、目は光らなかった…。それではない。
ではあれは一体何だったのか…? |
…
あの赤い光はちょっと横長の円形でした。
後々思ったのだが…
そのような感じ ● の赤い光が点灯するクリーナーがうちにそのころあったのだが…
それだったんではないか?と思う…。
でも後々そう思ったその時にはそのクリーナーももううちにはなかったし、
模様替えされてそこにはおもちゃ箱もなくて…もうなんとも言えなかった…。
あれがおもちゃ箱に?
コンセント挿してなくても点灯する?
…もう自分のミステリアスな持ちネタになってしまった…。
そうなるだろう。と期待してて、興奮してたわけですが。
でもたいしたことない気がする。
あのおもちゃ箱のドサクサの中に何か赤いランプ(電気)が点灯するものがあってもおかしくない気がしますから…。
いやでもね…、、
本当に霊。か、遠い未来の誰かに見られてた!なんてこともありえるだろうか…? |
ああもしっかり見えていたわけなんで、そんな感じしないように思えるわけだが。。
この時はその3才のクリスマスにもらった恐竜ロボットのおもちゃをもらって間もないころだったので…
3才であったことは確実でしょう。
(真夜中の赤い光)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供のころの不思議な体験←にも記載のネタ。
↑の続き。
その後何日かして…
また夜中にあえて起きてみたりした。
なぜって…また不思議な経験をしてネタにしたかったからw
また赤い光を見て、真相を確かめたかったから。
今思うとその心意気はいい…w
また何かあるのではないか?とそう思った。
そんなである夜中に起きた時、だった…
……………
あそこに赤い光はなかった…ものの…
寝ている部屋が…
…
赤かった。
部屋全体が赤く染まっていた。
ゴミ箱も反射して赤く染まっていた…。
で…仏壇の部屋から…
お経を唱える声が聞こえていた…。
…
母がもう起きていて、○目をあげていたのだ…。
また眠った… |
…
翌朝、そのことをまた兄に話した。
「嘘じゃん。ママじゃん。」などと言われた。
“部屋が赤かった”というのは…豆電球が付いてたからだ。
いつも自分が寝る時はまだ電気が消されてなかったりしていたので、ふと電気が豆電球だけになっていると少し新鮮であった…。
そうは分かっていたのだが…。
なんとなく怖く表現するために兄にもそう言ってみたというだけ。
自分が豆電球の存在をあまり知らなかったということに少々驚かれた…。 |
…
また数日後くらいに夜中、起きた時は…
また部屋が赤かった。
それで今度は父と母が起きていて、2人は父の布団の方にいた。
それからすぐに父と母は肩を組み、2人で「1円玉の~」と歌いながら仏壇の部屋へと歩いていった…。 |
…
翌朝、「1円玉の~とか歌ってたでしょう?」と母に聞いた。
しかし、「知らない。歌ってない。」と言っていた…。
いやしかし確かにあれはまた夢ではなかった…
そんなはずは……
父との秘密か何かだったのか…?
それとも…幻?霊? |
それはないですよね…
…ん…
3才でもなかなか不思議な経験はできないものでした…。
あえて体験してみようとすると…
それを自分は実証した。あえて。ではね…
しかし最初の赤い光は…一応不思議の体験と言えるレベルかと…。
でも“のちにこういうネタになるな”と思って、あえてよく見ていたから…
こういうの…てパッとしない?
その後わざわざ同じ時間に起きてまた見ようとしていたのに、
結局あの1度しか見れなかった…。赤い光…
「1円玉の~」の件も一応不思議体験と言えるか?言えないか。
いずれも“夜中”ても朝に近いくらいの時間だった。
冬だったので暗かったが。
このころ、朝ではなくて寝る前であった気がしたが、父と母は仏壇の部屋へ行っていて、
2人で「死んじまっただ~」とか楽しげに歌っている声が聞こえてきたこともあった。 |
2人で一体何をやっていたのか?夜中に子供に内緒で…??w
またもっと怖いものを見てネタにしうよと、夜中に起きて周囲を見渡したりした…
でもちょっと微妙なネタしか得られずw残念だった…
不覚にも母と父の秘密を少し垣間見れた…そんな記憶。これも思い出。
(父と母の謎)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
本を読んでもらうこと。がもちろんあったわけですが…
自分で読むこと。はなかった…。
でもよく自分で読んで!とは言われていた。
勉強になるからか?
でもわざわざ読まず、親を苛立たせていた。
だがある夜、どうしてか…?
ほんとに自分で読んでみよう!って思ったw
自分で読んでって言われてますからね…。
で最近母が買ってきていた絵本。それを“自分で”読んでみた。
自分で読むのとか初めてなので、“自分偉いでしょう?!”みたいな感じで自分で誇らしげになりながら読み始めたw
1秒につき1文字くらいのペースでw1文字ずつ…1文字ずつ……読んでいった………。
全部ひらがなで書いてあったんですよね…。
だから読めた…。やっぱり子供には子供向けの本ですね…。
主人公の子供は親に留守番を頼まれる…。
その子供はすべり台の上で遊んでいて、親が帰ってくるまでずっと、その場所で帰りを待つんだとか。
しかし…その子供は親がいなくなると占めたと言わんばかりにすかさず外出しようとする。
それですべり台を足場にしてこっそりと、時計の中に入る。
時計の中はデパートに通じていて、デパートに来た。
長らく店内を歩き回る…。
そのうち店員だかに、「君1人?」みたいなことを言われてしまう。
子供は慌てて、近くにいた見知らぬオバサンの服を引っ張る。
店員は「なんだその人が母さんか!」と勘違いしてくれ、一件落着。
と思いきや、見知らぬオバサンは「こんな子供知らない!産んでないわっ」と騒ぐ。。
それでもはや付近にいる人みんなに怪しまる!小さい子供は1人で出歩いてはいけないですからね。。
ま、まずい!と、子供はその場から逃げる!
さらにもう、時間が!親が帰ってきてしまう時刻が!迫ってきている…。
1人でデパートに行ったことがバレたら大変だ!
とにかく急ぐ!
急いで戻る!
階段からもと来た家の時計の入り口へ繋がっているんだ…
急いでデパートの階段へ行き、階段に飛び込んだ……
…
家の時計から出てきた。…なんとか時間内に家に戻ることができた。
子供は何事もなかったかのようにすべり台の上で待機した。あたかもすべり台にずっといたかのように…。
すぐに親が帰ってきた。
留守番中の外出のことはバレずに済んだ…。めでたし。
|
…
こういった話であった。
もうみんな寝ていた。起きているのは自分だけだった。…
そんなで自分が読んでるとこを誰も見ていなかった。。
せっかく全部読んだというのに…。。。。
信じてもらえるだろうか??
確かに自分は自分でこの本を、全部読んだ…!それは事実だ…!
初めてのことだ!これは誇れる…!
誉めてもらえる…。そのはずだ。読んだのだから…。しかも全部…。
そのはずだ。
|
…
翌日だかそのうちこのことを言った。暴露した。
が、誰も見向きもしてくれなかった。
その後何度言っても誰からも反応を得られなかった…。…
こんなもんだと思った。だから誰も見ていなくてショックだった。
この時、自分は偉かったんだということ、こんなことをしたんだということは自分自身しか知らない…空しい………。
ちなみにこの本は自分で読むこの以前にすでに何回か読んでもらっており、この話の内容はもう知っていた。
このやつ、人間の子供が出てくるからあまり好きではなかった。
知らない子供って見てるだけで嫌らしかった。
それで自分はそんな子供にならないようにしてたわけだ。
本を、初めて自分で読んだ…
最後まで読み切れ、自分偉いwって思った…
なのに誰も見ていなくてそのことを信じてくれなくて嫌らしかった…そんな思い出。
意味がなかった…。
時計からデパートに行ける不思議なやつだった…。
そんなだったが…
初めて寝静まった中で、自分だけで読んでみたものだったために、印象は強かった。
自分の中では印象的。
その初めて読んだのだから…というのもあるがやっぱり話の内容も印象的だった。
時計の中にワープトンネルが隠れているとか…
ほんとにそんな幻のようなことあってほしくてたまらなかった…。
こんな話だと解釈していてこのような話だと思い続けてきたのだが、改めて思ってみると時計の中に入るとそんな内容何かおかしい…
勘違いして読んでいた可能性があるかもしれない…。
時計の中が秘密のワープトンネルとか…何なの?という感じ。意味わからない。
そんな不思議な話という感じはしない、普通の絵本だった。
時計の中なんていくら小さくても普通入れるものではないし…
こんな話おかしいです。
何時に帰るって時間を言われて、時計を見てその時間になるまでの間にこっそり出かけてデパートに行った…みたいな話だったのかも。
ワープなんかしてないのかも。
でもいつもワープトンネルを通って家の時計とデパートを行き来する、そのような話なんだと把握していた。
幼かったために、内容を正確に理解できず、このような内容の話だと思ってしまっていたのか?
自分の中で生み出された幻想の話?
自分の中でこのような物語となったのは「このころに読んだからこそ」なのか?
この話が印象的で、これによってこういった不思議なことに興味を持てた…ような気もするので…
こう解釈し間違えてたことにより得られたものは大きい。
このころに読んでいて…こう解釈し間違えていて…よかった。
自分の間違いでかってに生まれたオリジナルの話が、自分に良い影響を及ぼした…。
なんということでしょう…!
まあ本当のとこは、わからない。
ほんとにワープする話だったのかもしれないし。
でまた読み返してその内容で正しかったのかどうか、確かめてみようとしたところ…
もうあの本は見当たらず、その話自体も自分の中の幻となってしまった…。。
ある時ふと思ったんですよね。
時計がワープトンネルってのは間違いだったんじゃないか?と。
で改めてまた読んでみて確認てみようとし、探してみた…が、その時にはもうなかった……と。
この時は「捨てられていないかもしれない…」とまだ望みを持ててた。
(初めて!自分で読んだ本)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
画用紙があり、よく絵を描いていた。
兄もそうだったが、兄の描く絵を凄いと思ったことはほとんどなかった。
自分で自分の方がいい絵を描いてるな…と思っていたw
何を描いていたいたんだったか…?このころは…このころは……
オリジナルの住宅の中の絵を描いたのは覚えてる。
兄がそんなのを描いてて、自分もこういうの描いてと頼まれたんだったか…?父に命じられたんだったか…?
とにかくそんな何かで家の中の風景の絵を描いた。
それで…何か自分で描いときながら、凄く良い出来栄えになった。
(↑その時描いたその絵)
描いてる途中で父が「テレビがない!」「花瓶は?」「リビングは?」とかいろいろ助言してきていたような記憶も。。
結構時間かけて描いた。
何かこういうふうにした。
L字型の部屋にしていた。
この絵は結構回りからの評価も良かった気がした。
ちょっとこういうのじゃないんだ…みたいな反応されつつも…。これはこれで…って感じでしょうか?
自分の中では最高。
見てると何か懐かしい感じがした…
もちろん、こんな場所実在しないんですが…前世で住んでた?みたいな何かそういう感じ…?
凄い、何か、何ともいえない感じ…。
で何だったか…?なぜだったか…?
せっかく描いたんですが…
描き終えてすぐに、この描いた紙が、、冷蔵庫の下に入ってしまった。
結構よくそこに物が入ってしまうことがあった。
そこに入った物はなかなか取れないんです……。
取れなくなってしまった。。。
ものさしとか使って取ろうとがんばった。
しかし…だめだった。
ホコリが酷くて見えないし…どこにいってしまったのか…?奥の方に押し込んでしまったのか…?
な…い……。
ほんとにナイんです。これはおかしい。って感じだった。
しょうがない…。と、同じ絵をまた描いた。
しかし何か、違う…こんなじゃなかった…ってなった。
また書き直しても…やっぱりだめ。どうしてもあのオーラを醸し出す絵にはならない…。
どんなだったか…?最初に描いたやつみたいにならない…。
気に入っていた絵です。何度描いてもだめ。
どうしてもあの雰囲気が出なかった…。もう描けない…。
悔しかった…。悲しかった…。
あれじゃないとだめだったんです…。
最初の、アレじゃないと……。
でまた冷蔵庫の下を探しましたが、やっぱり見当たらない…。
いつ見ても見当たない…。
そのうち何とかして取ろう!と思っていた。
ないんですが、あると信じて…
なぜかないんですがね…そこに入った途端、消えたんですがね…。
家の中の絵を描いた…
自分で見て凄くいい出来栄えの絵になった…よかった…
と思ったら、冷蔵庫の下のすきまに入って取れなくなり、消えてしまい、ショックだった…空しかった…
何度描き直しても同じように描けず、また本当に空しかった…そんな思い出。
長い時が過ぎた…
それでも小6の時に家を取り壊してしまう寸前まで、そこにあの絵があると信じてました…でも…ありませんでした…。
冷蔵庫退かされたのに、そこにあの絵はなかった…。
ほんとの、ほんとに消えてしまった…。
あの時、あの絵は四次元空間へ行ってしまったのだろうか…?
冷蔵庫に、四次元空間が…!?
というわけで↑イラストはもちろん当時のものではありません。
3才でこんなうまいハズありませんし…ww ちょっと騙してしまいましたね…。
これは自分の記憶の中にのみに、ずっっと生き続けてきた、そのやつをまた再現したものです。
自分なりに結構うまく再現できてるように思います。確かにこんな感じでした。
今ならこれだけ再現できた。
折り紙とか、玄関とか、トイレのドアとかも描いたような記憶があった…。
もう懐かしさが溢れています…架空の家の中のはずなのに何か昔住んでいたような不思議な感じがしてしまいます…。
これ描いた時自体が物凄い昔になってるのでまた何ともいえない凄い感覚…。
……今でも、最初に書いたり作ったりしたものが何より1番いいと思ってしまうことはよくあります…。
なのでできるだけ一発目で決められるよう心がけてます…。
(幻となった絵)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
…
…
…
翌朝…
その雪が積もっていた…
もう雪は…降っていなかった。
“○で○べば”のように促され、庭に出た。
母も来て…
○○○○を○り始めた。
結構手伝っていたような。自分も。
○が大きくなるのが…原理がわからなくはないながらも不思議な感じがしていた。
そして○○○○が出来上がった。
どでかいのができた…。こんなのあるのか?というようなくらいだと思った。ネタになる。
○○○まは隣の病院の塀と、車の合間のとこに留めた。
母は顔とかも付け始めた。
○がない…
それは…と、なんということか!
母は家から食べ物である、本物のニンジンを持ってきて…
それを埋め込んで○にした。
食べ物を弄んでいいものなのか?!ちょっともったいない感じもするし…。衝撃だった。
当時はそんなでしたがでも思ってみると、これは本当にそれらしい○○る○だ…。
○○○○がどのようなものか…
○○○まの作り方…
それに…冬の○○びがどういったものか…
をまだよく知らなかった自分に教えてくれ、ありがたかった…。
そういうように親にありがたいなんて思えたのは、そのころのうちでした…。本当に。
そのうち親よりも圧倒的に知識豊富になったので。
そう思えたそのころの時点で、そういうこと、自覚していたかった…。無理なことか?
その思いをしっかりと感じていたかった…。
その時にしか感じられなかった思い…。
…
この○○○○はその後結構長い間生き残っていたと思った…。
分かっていつつも…“いつまでも○けない”と一応信じてました…。
この大きさ、このペースからして、ずっとそのままでありそうだったんです…。
もちろん、さすがにそんなありえないようなことはなかった…。
|
○が降り、母が○○○○を作った…
これは面白いと思った…
そして凄くて…良かった…そんな思い出。
この時庭に止まってた車は赤い車だったと思ったので…
3才の時の冬であったことは確かか。
思えばこのころは知識がなかった。常識的なことを知らなかったわけです。
でも考えてみれば当たり前。
このころは記憶の始まりたてのころですから。
経験なくして物事を知ることはできない。
初めて経験することばかりだった。
何でも教えてもらうことに価値観があった…。
そんな唯一の時…。
しかし子供のころに誰もが経験するような経験を、それらしい経験を、させてくれていたのは良かった…
こういうのを経験していて「わかる」のと「わからない」のとでは全然違う。
人生規模の違い。
当時の感覚では新鮮だった…。
オリジナリティのようなものが感じられていた…。
(雪だるまというもの。)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兄の幼稚園の友達のコーエーk達がうちに来ていた。
ずいぶんと遅くまでうちにいて、外は真っ暗になっていた…。
コーエーk達は帰り際に外に出ていったので(まだ帰るわけではない)、自分も一緒に出て行った。
自分もかってに彼らに対して仲間意識を持っていた…w
道路を渡って前の動物病院の敷地内の辺りで、遊び始めた。近所のあちこちが遊び場だった…。
そこに来た。
…自分は密かに、気に入っていたおもちゃを持ってきていた。
それはソルブレイン?の車のおもちゃに付属していたちっちゃなブルドーザーの模型のおもちゃだった…。
小さいながらちゃんとリアルに細かく作り込まれているとこが好きだった…。ちゃんとできてた…。
小さいから持ち運びが楽で、こっそり持ってこれたと…。
ちょっと持っていくにはもってこい…。でもあったんです…。
リアルな上、これだからまた気に入っていた…。
自分はそれをここで取り出し、塀の上を走らせたりして遊んでいた…。
うらやましがられたり…ってことはなかった。
そんなのを持ってる!みたいなこと言われて奪い合いになるくらいのあれを期待してたんだが。。
やっぱり自分なんかじゃ…残念。
みんなはその塀の上を歩いて遊んでいた…。
(↑その塀。高さ1mくらいなんでここ歩いてもそんなに危険ではない。)
みんなやっていたので…自分もそのうち塀に乗り、その上を歩いて遊んでみた…。
塀を歩いている時…だった……
あの…
ブルドーザーのおもちゃを…
そうです。
落としてしまった…。。
動物病院とその隣のビルとの合間の塀のすきまだった…。
もちろんのこと!すぐに探した。
しかし…辺りは暗くてよく見えず、その…
見つけることが……
できなかった………。
一応、探してることがバレない程度でできる限り、探したのですが。
どうして見つけられなかったのか…?「消えた」という感じ。
小さいと失くしやすくもある…。それを実感した…。
コーエーk達は一旦うちの庭に戻ってから帰っていった…。
|
…
よく日…
ではなかったか…。
数日後の昼間…
外に出た時に…密かにちょっと立ち寄って探してみた…
昼間なら見つかるに決まってる…
見えるのだから…
…
しかし…なかった…
見つから…なかった…
誰かが取っていってしまったのか…?
落とした場所にないって…?
ショックは、大きなものだった…。
せっかくの気に入っていたやつなので…
あれは持っていたかった…。
でも諦めなかった…
そこの落としたとこはキレイに砂利が敷かれていたんだが…
なので…砂利の下に埋まってるかもしれない…!?と、希望を捨てなかった…。
同行してる人達は先に歩いてってしまうので、追いつかないといけない…なので砂利の中までじっくり探してはいられなかった。
気になっていた…
ずっと…
…
小5くらいの時にも学校の帰りのちょっとした隙に密かにあそこを探したことがあった…。
あるわけないですよね…w
そんな昔落としたものなんか…。
…しかしどうしてなくなってしまったのか?
落とした時点でもうなかったんですよね…?探したわけです…
ですがでもそんなはずはないので…そこから消えたのは…「その後次に昼間来るまでの間」と考えるのが自然でしょう…。
やっぱりその間に…誰かが拾ったのか…?
あんな家と家の合間のひっそりとしたとこ、見る人いるのか…?
誰も長らく見そうにないんですがね?
不思議…。
でも拾われたんなら、見た人がいた。ということ…。動物病院の人か…?
でも落とした時点で消えてたんだとしたら…
ミステリーです…。その時点で消えたような気がしたんですよね…
落としたそのすきまには砂利が敷き詰められていただけで…穴とかはなかった…。
遊ぼうと…自慢しようと…ミクロサイズのブルドーザーのやつを外に持っていったが、
誰にも注目してもらえず、しかも落としてなくしてしまった…
空しかった…それよりかそれどころではなく、最悪だった…
あれはどうしても持っていたかった…
その後何度見ても落としたその場所にあれは存在せず、本当に残念だった…ショックだった…そんな思い出。
…
何かいまだにあそこが気になってますね……
もちろんそうです…。
もう会えないと思うと本当に切ない…
いまだに…
(消えたブルドーザーのおもちゃ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供のころの不思議な体験←にも記載のネタ。
ある夜。
いつものように布団で、寝た…。
………
……………
なかなか眠れなかった…。
でももうかなり眠くなってきて、意識が飛びそうになりかけていた…。
「もう今何時だ…これ、遅くまで起きてた最長記録かもしれない…」と思って…
まどろみの中、ふとまくら元にあった目覚まし時計を見た…
…………
12時…
12時になる…
…
ん…
?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!
…
何があったって?
…
時計が…開いたんです…?!
その目覚まし時計の針の回る部分が真ん中から縦にスーッと……
そして時計の内部が見えて…
内部は光ってたんです…。
明るかった…
開いていくのと同時に内部の光がピカ~とあふれ出てきて……
凄かった…
時計内部は骨組みが張り巡らされていて、機械的でカッコよく、その奥から光がそれを照らし出していて、本当にキレイだった…。
(中1くらいの時に描いたイメージ。手前が自分の布団。まさにこんな。でした…)
あまりに驚いたので、それを母にも見てもらおうと、すぐに眠っていた母を起こそうとした…
しかし母はどうしても起きてくれなかった…。
今度は急いで父を起こした…。
父はなんとか起きてくれ、父を連れ出して時計の前へ…。 しかし…再びあの時計を見ると…
時計は閉まっていた。
いつもの状態になっていた…。
父は“バカにされた”といった感じだった…。
それですぐにふらふらしながら布団に戻っていった…。
大人はどうして分かってくれないのか…?
そう思っていた…。 |
…
翌朝、母は何か知ってないか?と、母に昨夜のあの時計のことを話した。
「この時計が開いてって、中から光が…」
と…。
しかし、何のこと?といった感じだった…。
そんな…
|
“指定時間になると開く”とかそんなものかと思ったのだが…。
でも目覚ましとして指定時間が来た時は、起きろ!と言わんばかりの威勢のいい声を出すだけで、開いたりなんてしていなかった…。
目覚ましの指定時間のものだった…ということはない…。
それ以外の何か…
それでそもそもあの時計をよく見てみたのだが…
あの時は針が回るところが縦に開いていた…わけだが…
開くみぞ?(切れ目?)がないんです。見当たらないんです。
なのにあんなふうに開くはずはありません。まずない。
|
夢だったのか…??
でもあきらめなかった。
何か思いがけない形で開くんだ!といったようにとりあえず信じた。
そこで、“夜中の12時になると開く”そういうふうに仕組まれた時計なんだ。と推測した。
“ともかく夜中の12時にまた見てみよう”と思った…。
しかし、もうあの時計が開くことはなかった。
確か夜12時にまた見たりしたこともあったが、開いてくれなかった。
それでも“いつか開いてまたあれが見れる”と希望を持ち続けた。
5才くらいになった時、新しい塾のキャラクターのたぬき?の目覚まし時計がうちに来た。
それであの開いた目覚まし時計は「捨てる」と聞いた…。
この時は本当にショックだった…。
あれは壊れかけていたのだと思った。でもね…
一生謎が解き明かされないままになってしまいますから。。
本当にいつの間にか、捨てられてしまった…。
“お祭りのおっさん”の目覚まし時計だった。
あの時計、どこかで売っていないのか?
いやあんな古いもの売ってるはずもない…。
やはり一生謎が解き明かされないままになるのだ。
そんなふうに思い、捨てられた時は本当にショックだった…。
その通り大人にもなったいまだに謎が解き明かされていない。
|
夜12時まで起きていたら、時計が開いた…
凄かった…凄いものを見た…
父に見せようとしたら、すでに閉じていて悔しかった…
こんなこと言ったってね…。実際に誰かに見てもらわないと、信用してもらえませんから…どうしても見てもらいたかった…
その時計はその後もう開くことはなく、開くわけもなく…謎だった…
あまりにも不思議だった…そんなミステリアスな出来事。これも思い出。
…
今思うに…あれはこういうことだったんだと思う。
「夢」だったんです。
時計が開いたところまでは夢…
そのあと、父を起こして連れ出してくるところなんかは現実。
タイミングよく12時だったのも不自然…。
だとしたらあの時、夢を現実だと本気で勘違いしてしまっていた?
夢と現実の混合した記憶?
いやでも…時計が開いたところも具体的に現実っぽく妙に鮮明に覚えているんです…。
時間帯や自分のいる場所、まくら元にあった目覚まし時計までもが現実の現在とほぼ同じ。
そこまで実際の今と同じ状況の夢…なんてのも珍しい気がするし…。
…
3才のころの不思議な出来事です。
これは本当に。
これが自分最大の不思議ネタ。
溝がないのだから開くはずがないのに開いた。わけですから…
現実だったとしたら怪奇現象です。
あの時計を今また見れたらこの謎をもう少し追求できるかもしれないのだが。。
確かに自分は見た。この怪奇現象を。
しかし思い出してみれば思い出してみるほど、不思議…。。。
|
(夜12時の怪奇現象)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
最近車がオンボロと言われている…。
オンボロみたいだ…。
とはいっても乗っていた。
確かに何か…あれだった。
坂道を通る時とかに、何かエンジンがしんどそうになっていた。
特に祖母の家に行く途中のあそこを通る時とか…何か危うくなっていた…w
(↑この坂。)
ほんと心配になるような感じ。。密かに心配になってた…
特に最近、本当にヒヤヒヤ物だった…。
そんな中、ついに本当にヤバいことになる時が来た…。
いつものように祖母の家に行く時…のこと…。
また例の坂にさしかかった…。
キツい…エンジン音は激しい…車はがんばっている…
がんばっている…
しかし…がんばっているのに…
キツい…なかなか進めない…
でもいつも大丈夫だ…
でもこれは…
今度こそはまずいか…
まずい……
ついに…進めなくなってしまった…。
まったく進めない…
…
と思ったら、後ろに戻っていっている…w
「ああついに…」て感じだった……
…まさか…
ほんとに…そんな…
これはマズい…
…
結局坂は登れなかった…
後ろから車は来てなかったんだったか…?
その後どうしたかは覚えていない…
そこは避け、回り道して祖母の家へ行ったんだろうか…?そうなるでしょう。
あの坂は…別にたいした坂ではなかった。↑の画像見ればわかりますよね?
町中のその辺にあるような坂だった…。
今あそこ登れずに後ろへ後退してったと思うと笑える…w
これ実話。
塚田駅のすぐ北の線路沿いの坂です。記憶が正しければ…
いやそんな曖昧ではありません。正しいです。
赤い車はエンジンのパワーが衰え、祖母の家へ行く途中の坂を登るのがしんどくなった…
やばそうでやばそうでヒヤヒヤ物だった…
そしてついに思っていたことが現実となった…ありえなかった…そんな記憶。これも思い出…。
そうその車は赤い車です。
いままでの記憶の話に登場した時の赤い車は、まだオンボロではなかったので…
これはそれらの赤い車の登場した話の時よりかは後のこと…ということになる…。
でも赤い車ということは、この時も3才だ…。
(坂を登れない車)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
CMやとあるビデオのことを話しましたが…
ここでそのほかのテレビの記憶を一気に暴露します。
テレビの記憶…というのも多い。
まずこれから。
アシ○が窓の外を眺めている。
それで「火だね。火だね。」とか言っている。
それでのんびりと窓の外を眺めている。
しばらくして…アシ○の父親が“何を見てるのか?”と気になってきて、父も外を見る。
すると父は「火事だ火事だ!!」と叫ぶ!
すぐ近くで火災が発生していた。
何やってるのか?のんきにしてられない…。
アシ○は火がどういったものなのかまだよくわからなかった模様…。
なんという馬鹿なのか…?
貶してやりたい…貶してやりたい…ありえない…
アザラシも一緒に見ていたが、アシ○同様に危険な状況下にあるということを理解できていなかった…。
このアニメは毎週見ていましたが、具体的に記憶にあるのはこの回だけ。
ほんと馬鹿にしてやりたくて…
おかしいですよね?
子供だからといって建物が燃えてる様子をのんきに見てるとか…。
どうあれ火を見たら誰でも本能的に逃げるものじゃ?
これはおかしい。って思ってとても印象的だったと…。
自分が何か内容を解釈し間違えた?とかの可能性もあるだろうか?
そういうふうにすら思ったくらい…。
調べてみたとこ、ア○ベがやっていたのは自分が3才の時。つまりこの記憶は3才の時のもの。
おかしくて貶してやりたかった…そんなこのアニメのこの回の記憶。これも思い出。
(火を怖がらない馬鹿)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供向けの番組は逃さずに、全部見ていた。
兄が見ていたので、どうしても一緒に見ることになっていた。
子供向けといえば主にこういったアニメ。アニメは全て見ていた。
話の内容を具体的に覚えている記憶は少ない。
でもオープニング・エンディングは見ていたアニメならほぼ覚えている。
やっぱりそういうもの。
ドラ○○○のエンディングの1人ずつ手を取り合って人数が増えていくとことか、
ち○○○○○○○のオープニングの古い駄菓子屋に入っていってかき氷がある映像とか、
エンディングの異世界で馬車に乗ってる映像とかなんかは「3才のこのころに見ていた時の記憶?」として、はっきり覚えてる。
○○○○んの1番小さい子供は、自分と被っていた。
自分が3才だからか。みたいに思ってた。
何を思ってたのか…?
兄の見ていたアニメを見ていてそれで知ってる…
アニメのオープニングなどの記憶。これも思い出。
(アニメ、見ていた…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ちなみに毎週見ている子供向けの番組の中で…その中でも密かに非常に楽しみにしている番組があった。
兄ではなくて、自分が密かに楽しみだった番組…。
サンダー○ー○とかいうの。
実物が動いてるかのようなリアルな映像に惹かれていた…。
「本物みたい。本物だ。」て思ってた。
映像が凄い。凄いと感じ、好きだった。
確かに凄かった。
でもそんなこと、誰にも言ったことはなかった。
そのやつの内容…ですが、メカニカルな監視室のような場所に従業員が大勢いる映像がよく出ていた。
何か秘密の基地から巨大なマシンが飛び立っていく映像とかも毎度見ていた気が…。
内容も何も…覚えてるのはそれだけ。
あまり話の内容は理解できていなかった…のかも。
映像がよかった。
今思うと…あれはCG?実物のおもちゃ?
制作が大変そうな感じだった…。
実物のようなリアルな映像が凄かった…魅力されていた…
このCGアニメが“密かに”好きだった…そんな記憶。これも思い出。
(リアルなCG映像に魅了されていた…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供向けといえば戦隊物もそうですよね…
そういうのも見ていた。
このころにやっていたのは…
調べてみたとこ、○ュウ○○○ャーと、エ○シ○ド○フ○だ。
それらはもっとあとだったような気がしていたが、3才の時だったとは意外。。
前者は…なかなか歌が始まらず、暗闇にマンモスとかがいて、
しばらくマンモスの声とか環境音が流れてるオープニングが印象的。
歌はジェット○○並みによく覚えていた。
見ればそれ以外にももっといろいろと思い出すでしょう。
後者は…その名前は全然覚えてるが…それだけ。
見ればいろいろと思い出すでしょう。
ジュ○○○ジ○ーを見ていた…
○○○○ドラフトを見ていた…
覚えていたそれらのオープニングなどの記憶。これらもその、思い出。
(戦隊物、見ていた…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
子供向け以外ので見ていたのも…ありましたね。
あれ…は確認してみたとこ、3才ではなかったのでここには書かない。
あとは…何か母が恋愛ものを見ていたのも印象的。
やはりそういうのを好んでいた。
で、熱烈になって見ていた。
小太りの男が出てきていたやつが印象的。
今思うと、自分は話の内容をあまりわかっていなかった…
が母が熱中して見ているので?自分らも「凄く面白いものを見てるんだ!」みたいな感じで見ていた…。
その、何か、興奮が伝わってきて…こっちまでムードがあがっていた…。。
その小太りの男は主人公?だったか?主人公の恋人?だったか?
とにかく、見た目はあまりイケてないが、ドラマの主要ポジションの登場人物だった。
いつもポロシャツを来ていて、メガネをしていた印象…。違ったかもしれないが…。
知らず知らず馴染みが生まれていた…。
最終回でその男だかが、夜の住宅街を走っている場面が記憶にある。
具体的に覚えてるシーンのようなものはそれだけ。
こんなのありました…。
これ見てたの本当、前世?って思えるくらい昔のことのように感じる…w
でも確かにこんなの記憶にある…。確かに見ていた…。
これは…何というドラマだったのか?
○○ラブストーリーか?と思い、検索してみた。が…違った。
こんなのではない…。
それも見ていたような気がしたが、その名前しか覚えていない…。
もうわからないですから。もう見れない。
母が見ていた小太りの男が出てくる恋愛ドラマを夢中で見ていた…
非常に面白かった…ような気がしていた…
何かムード満天だった…そんな記憶。これも思い出。
(恋愛ドラマ、見ていた…)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
あと印象的だったのは…怖いもの(ホラー番組)ですかね。
内容覚えてないですが、エンディングでイスがでてくるやつが印象的。
定番物という感じだった。
薄暗い屋敷の部屋にぽつんと怪しげなシャレたイスがあった。
背景は下から上へと動いていて、その部屋が地下へと、地獄へと…落ちていってるような感じだった。
そういうイメージで作られた映像なのかどうかはわからないが、自分にはそのように見えた。
最後は背景の動きが停止する。地獄到着。という感じ。
怖いです。
見てはいけない…て感じだった。
またBGMがいかにもな感じだった。
途中、あの世へ来てしまったのか?!って思えるような感じの雰囲気になったりするところも怖い…。
こんな部分あったんだ…みたいな感じでおー!てなったりもしていた…。
このBGM、兄が口ずさんだりもしていた…。
…怖いテレビ。
怖いながら凄く面白いものを見る感覚だった…。興奮した…。
そうそのエンディング以外にも覚えてるとこ、あった。
毎回、暗闇で男が出てくる。
黒いスーツを着て、黒いサングラスをした男。
そんな黒いダークなやつが暗闇に表れるわけです…。
かなり怪しげ。番組のムードが引き立っていた…。
その男は司会のような感じで、時折そのシーンになっていた。
…その男は違うテレビにでていることがあった。
怖くないテレビにでていることが。。
非常に何か、違和感があった…。
奇妙な空気を、不気味な空気を、悪霊を…呼び寄せてしまいそうで…wヤバそう…
「怖いやつの人」ですから…その人物にはそのイメージしかなかった…。
この男がいると皆怖い番組のように思える…。なのに怖くない…。。
で何か…異様な感じだった…と…。
|
怖いテレビがやっていた…面白かった…
エンディングのイスとかが怖かった…
怖い人も怖い感じだった…違う番組に怖い空気を運び込んでしまっていたりしていた…悪党のようだった…
そんな記憶。これも思い出。
(ホラー番組、見ていた)
テレビ関連はこんなもん。
長くなってしまった。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
家にトレーラーのおもちゃ?があった。
秋田から送られてきたものだ…。
最初見た時はこんな凄いやつ買ってくれるなんて…。。何という…!?w
て感じだった…。
そのくらい豪華なおもちゃだった…。
大家族の家は違う…。
密かにこのおもちゃ、好きだった。興味があるようなのだった。
時折テレビの前とかにレールを敷いて、遊んでいた。
詳しく言うとそのやつはトラックが自動的に玉を積んで、レール上をあちこち走り、最終的に玉をゴミ捨て場まで持っていく。
という動きをさせることができる?おもちゃだった…。
しかし、上手くそのような動作をさせることはできなかった…。
父でもそれに関してはよくわからなかった…。
そこは残念でしたが…
でもそうさせなくても…それなりにそのおもちゃのセットで楽しんでいた…。
そういう感じ。
兄はトレーラーなどにたいした興味はなく、このおもちゃをそんなに好んではいなかった…。
ちゃんと作ったらどんなふうになっていたんでしょう?
完璧にまとめた自分の思う最高の状態の形?にしてみたかった…。
何でもそうでした。
できなくてスッキリしない…。
やろうとしていたことをやっていないのだから…。
「やる」までは、どうあろうと、ずっと…。。
ちなみに回収ポイントから回収させるその玉は…
普段はトマトの入れ物に入れていた。
トマトの形のケースがあったんです。(それはそのおもちゃに付属していたものではない。母が持っていたもの)
これを使ってしまっていい。ということでこれに…。
その面白いのに入れてあるので、どういうわけかその玉も“面白いもの”のように感じた…。
今思うと良かったんですね…この入れ物があって。
秋田から送られてきたトラックとかレールのおもちゃをやっていた…
これは密かに好きな方だった…
でもちゃんと作れなくてそれはちょっとあれだった…そんな記憶。これも思い出。
…
ちょっと放置してたうちにこのおもちゃがまたいつのまにか捨てられると…玉も捨てられていた…
あのトマトの入れ物には別の裁縫用具とかが入っていた…。
同時に捨てられたわけではないかもしれない。
この玉がそれのやつ…てこと、捨てる時の母は忘れていた可能性が高いし。知能が低いので。
とにかくこれには気に食わなかった…。
あの入れ物はあの玉を入れる物。っていったイメージになっていたので…
嫌らしかった。
でもあの玉はもうないのだから…しかたない。
そもそも捨てたのが気に食わなかった…。あれもこれも。当然。
またあのおもちゃを出したかった。
それであのやつどうした?と母に聞いたことがあったと思った。
その時、確かきっぱり処分した…ということを聞いた。
適当に言ったんだとしても、不覚にもそのことは事実だったでしょう。
今ならちゃんと作れるんじゃ…て思い、試してみたくもあって…
また遊びたかった…。
“今なら凄いのができる”って気がするのに…。
1度捨てたらもう2度とその物には会えないのだから…こっちの気持ちをもっと考えてほしい…。
2度と、会えなくなっていた…。
こういうことがよくあるから儚い。
そのあとのこの出来事すらももうとうの昔。
まだあった。トマトの入れ物。↑
懐い…。やっぱりこの中には…
あの玉が入ってる気がしてならない…。
がやっぱり…別の物が入れてある…。
どう足掻いても永遠に過去は変わらない。
ちなみににその「玉」とはどんな玉だったかというと…
いや別になんてことない玉でした。
エアガンの玉と同じようなもの。
(秋田から贈られてきた豪華なおもちゃ(玉を運ぶトラック))
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
ついにちょっとした坂も登れないくらいオンボロになってしまった車を買い替えることに…
赤い車は引き取られる…
最後に赤い車に乗って引き取り先へ向かう…
自分と兄も付き添った…。どこでも付き添っていた…
海老川の方へ向かって走っていく…
宝島前の交差点を左に曲がった…
引き取り先の場所はそのすぐ先の自動車売り場?だった…。
そこで車を降りた。
別の車に乗り換え、いままで乗っていた車は見知らぬ人が運転して反対方向へ連れ去られていく…
あの車をうちの家族以外の人に使われているのはおかしな感じだった…。
乗り換えた車から後ろを見ながら密かに最後の別れを告げた…。
もう夜遅くて真っ暗で…
…
切ない感じだった……。
|
そんな経験。
赤い車が限界に達し、引き取り先の店に行った…
そこで、その、うちの、赤い車と、別れた…
切なかった…そんな記憶。これも思い出。
あの坂を登れなくなったらさすがにやばいってなってすぐに買い替えたのでこれはあの話の何日後くらい…。
このあとにうちの車になった新しい車は…白い車でした…。
そちらの車もその後なかなか思い出深い車となります。
この時まだ3才ですからね…。
まだまだ子供時代は先が長い…。長かった。
今の自分だから言える…。
(思い出の車との別れ)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
会合で本町北公園そばの学会の拠点になっている家に行った…
そこに来たのは2,3回目くらいだったか…。
まだ会合の内容は分からないだろうからと、一緒にいなくてもいいと…1人でその家の中を探索していた…。
ここは玄関…
木の板で足場が作られてる場所を歩いていく…
?
?丸いふさふさしたキーホルダー?みたいなものが上から吊されていた…。
「何あれ?」っと思い、それを誰かに見てもらおうと戻った…。
|
しかし誰も付いて来ない。。
それでまた玄関の方へあれを見にいったり…
また戻ったり…
また誘ってまただめでまた1人で見にいったり…
それを何回も繰り返した…。
何回見ても消えてなくならなかった…。それはそうですが。
兄はそのうち少しだけ一緒に来てくれた…気がした。
目に付く変なキーホルダー?だった…。
自分で発見したもの…自分の発見…誰かに見てほしかった…。
今拠点のあの家を見ると…この記憶のあそこらしい感じじゃないんですよね…?
玄関が狭い…ちょっと記憶上のあそこと違う…。
何か夢とかとごっちゃになってしまってるのか…??
…ちょっと幻っぽくなってしまっている…。どこか不思議な記憶…。
|
というかわりとすぐにそのように幻になってしまって…あの付近を通るといつもワクワクしてました…。
あそこがまた出現してないか?と…
○トロを連想させられ、あの場所に行ける時と行けない時とがある…!?なんて思ったりして…。。
あの丸いふさふさのって…ト○ロのあのやつっぽかったし。
近くの学会の拠点の家の1つの家に行った…
1人で出歩いて丸いふさふさしたやつを見つけた…発見だった…
発見できていい気分だった…
しかしそれを誰も見にいってもらえなくてそれは嫌だった…そんな思い出。
あとあの家には2階もあって…
2階に行ってみたくて、階段を上っていったこともあった…。
突き当たったとこにドアがあって…でもそこを開ける勇気はなかった…。
その後戻って母に2階のことを話したら「2階はお兄ちゃんがいるからだめ」と言われた。?
でもうちには2階がないので行ってみたかった…。
会合中かってに子供が上がってこられたら一溜まりもないですね…
行っちゃかなりマズいってこと、やっとわかりました…。
(不思議な拠点の家)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
車に乗っていたある時のこと。
道路を走っている隣の車の車内に…犬だかがいた。
「お!隣、犬を連れて出かけてる幸せ一家?!」wみたいな感じして見入った。
母も同様に見入ってい、「うちも今度やろう。やりたい。やる!注目されたい!見せびらかしたい!」的なことを言った。
そういうのに憧れを抱いていた?
…
しばらく経ったある日。
ほんとにやった。嘘じゃなく。。
実行力ない人なので、“まさか”という感じだった。
いつものように車で祖母の家へ行く時、茶を車に乗せてった。
嫌なんじゃないだろうか?
とにかく茶を乗せて祖母の家へ。
…幼稚園に入るとこの大通りを通っていた。
母の反応ですがそれは…特に記憶にない。ドアや窓を開けたら出てしまうかもしれないので、それに気をつけていた…という記憶はある。
というか思ってみると…祖母の家へ行く時にそこの大通り通るって、ちょっと珍しい。
そっちからのルートの方が大道っぽい感じではあった。でも正規ルートという感じにはなっていなかった。
とにかく何かそこを通っていた。
で何でか?忘れたが、その大通りの途中で…右に曲がって、脇道に入った。
でちょっと行ったとこで車を止めた。路上駐車。
(路上駐車した場所は確かここ…だったと思った。)
何でだったか?何の用だったか??記憶にないが、とにかくここで路上駐車をした。
そのあと、運転していた父が…車の窓を開けた。
!!
すかさず茶が、、開けた窓のとこからほんとに、スッと外へ飛び出していった!
!!! |  |
自分はすかさず車を降り、茶を追いかけた。
茶は凄い勢いで路上をまっすぐ走って逃げていっていた。
後ろから母も連いてきていた。
そのあとに兄も連いてきていた。
父も出てきた。
父はこう言った。「あき らめ なよ!」
それでみんな立ち止まった。自分だけで追ってくわけにはいかず、自分も立ち止まった。…
茶はそのまま走っていき、茶の姿は見えなくなってしまった…。










まだ、そこにいたのに…………………
もう、追わないの?ほんとにあきらめるの?
それで追うのをやめさせられ、自分も車に戻った。
……
この時の…
茶の後ろ姿…
この時の…
その…
道路を走っていく茶の…
その姿が…
…
そう…
…
自分の見た茶の、最後の姿……。
そうなってしまった……。
…
…
…
というか…ありえないでしょう。
数mしか追ってないのに諦めるとか…そもそも追わなかったようなもの。
追いも探しもしないとか……酷い。
面倒なことになるかもしれないから、探さないようにさせたってだけでしょう。
子供がどんな思いをするか?その後どれだけの屈辱の思いを抱えることになるか?っていう…
そういうことを全然わかってなかったんですよね…父は。
まだすぐ連れ戻せた可能性、十分あったのに…。
自分らは大人の言うことに従うしかない。だからどうしようもなかった…。
自分はどう思っていようと、どうすることもできなかった。
無理。みたいな感じで諦めた…みたいに思われてる感じですが、実際には全然わからなかった。
ほぼ追いも探しもしませんでしたからね。。自分は覚えている。
文句言いたくてしかたなかった。
嫌らしかった。
許せない…。
今でもその気持ちは変わっていない…。
そのまま追いかけてたらどうなっていたのか…?自分は一生想像し続けることでしょう…。
とにかく、父が悪かった…
父は分かってないかもしれなかったが、父が悪い…。
父はもう、茶を飼っていたことすらも忘れている。。
この時のことがどうこうというような次元ですらない。。
どこまで無責任なのか。。。
そもそも車に乗せた母も悪い…。
自分は茶が嫌がるようなこんなこと、させたくなかった。
ほんとにそう思っていた。
何やってるんだって感じだった。
猫は犬のようにはいかないし。。
注目されたくて、茶を車に乗せて祖母の家へ行った…
しかし、途中で車を止めて窓を開けた時に、茶は外へ逃げてってしまった…
すぐに追いかけるのをやめさせられて嫌らしかった…父が嫌らしかった…
言葉にできないほど嫌らしかった…切なかった…
茶のことを想うとまた痛烈に切なかった…そんな出来事。そんな記憶。これもれっきとした、思い出。
父が止めたってことを覚えてるのは自分だけ。
探しもしなかったってことを覚えてるのも自分だけ。
本当に、酷かったんです…。
この時、酷いことをしたんです…。
忘れるわけがない。
忘れられるわけがない…。
なぜみんな忘れているのか…?
あの時、酷いと思っていなかったんでしょうね…。そんな感じだった。
しかたない。みたいに思ったんでしょう。
全然そんなことではなかったというのに…。
ありえない…。
これはこのころの記憶の中でもトップクラスの印象的な記憶です…。
これを忘れるわけがない。絶対に。自分は。
これまでに、どれだけ想像したことか…。その後どうしたか…茶と巡り会う時…。
家に帰ろうとして頑張ったのだろうか…?
野良猫として過ごしたのだろうか…?
寒い…食べる物もない…深刻なことになっただろう…。
いつもコタツやホットカーペットやストーブで暖まっていた茶が…
想像したくもない…。
飼い主なのに探しもしないって…このころの家族、何だったんだ。。
別の飼い主が現れていたのだとしたら…
その後、どんなドラマがあったのか…?
いくらでも想像できる…。
悲惨なことになったか?長いドラマがあったか?それはわからない…永久に…。
自分の中では“あの時”で終わっている…。
どうしたって茶のその後のことはわからない…
いくら知りたくても、どんなに知りたくても、どう足掻いても、だめ…
どうしようもない…切ない…この気持ち…
どうすることもできない。。
人生の中でも本当に、忘れられない出来事であった…。
思い出すと、それだけで痛烈に切なくなっていましたね…。
カナシイ…。
…忘れてはいけない。
家にいたこのころに、自分に様々な感情をもたらしてくれたのは、茶だった。
原点は、ここからだった…。
どこにいるのか?いつの日か、また会いたい。
自分は…あの日からずっっと、こう思い続けている………
(茶を逃がした)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
近所の交差点角のロイヤルホストに行った。
(↑ここです。)
外から見た感じ、看板が回転していて面白そうで、ずっと中が気になっており…ここに入れて何ともいえない良い気分だった…。
こういうとこは…自分だけ早く食べ終えた時の自分だけの特別な自由時間や、
親がレジで会計してる時の“さあ帰れる”というような気分が極上。
レジの付近の棚に並べられているおもちゃを眺めたりしながら会計待ちしてるとまた一層…。
そんな極上感?を味わえるのは、残念ながら子供のころだけですが「子供だけ」ってとこがまたね……。
これしか覚えてない。
近所のロイヤルロストに行った…
いつも見ていたこの店の店内に入れて何ともいえない気分だった…そんな思い出。
…
その後、次そこのロイヤルホストに来たのは…高校くらいの時だった…。
どこかやばく懐かしい感じだった…。あの記憶は幻みたいになってましたから。
母は以前自分らと来た時のことなんて何にも記憶になさげだった…。
いつもいつも外側からは見てるんですがね…
中は見えないので、懐かしかったと…。
外観と店内(外と中)は別…同じ建物であることは確か…なのにも関わらず…
なんとも不思議な感じ…。
近所でも…行かないものです。
そんなものか?
市街地なんで無数に店があるし。
幼いころ1度行ったことあったというだけであれですね。
親しみのある懐かしい印象がずっと染み付いていた。全然知らない感じではなかった。
あの時のことは大きかった。
幼いころの重要性は高い。
(ロイヤルホストに入れた)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
印象的だった服。ですがPのやつのほかにもありますね…
そのやつは夏の…でしたが、その後の冬に着ていたジャンパー?もそれと同じくらい印象的。
なぜだろうか…?わからない。
黄色い厚手のだった…。
“自分の”と自分で覚えてたんですよね…。当たり前でしょうか?
でもそんなで愛着が…。
最初は違ったのに自分のってイメージになっていったんです。そこです…ポイントは…。
冬、外に出る時に黄色いジャンパーを着るようになっていた…
いつのまにか“自分の”というイメージが強まり、愛着が出てきていた…
何ともいえない感じだった…そんな記憶。これも思い出。
それで印象深い感じになった。
赤い車などと並んでこのころの印象的なものとなったもの…。
(自分の黄色いジャンパー)
飛ばさないでここまで読んだ人いますかね?
もうちょっとの辛抱です。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
茶が遭難し、家に茶がいなくなってしばらくどことなく何か物足りない空気が漂っていたころだった…。
家の外に出てみた時だった…。
前の動物病院の方から道路を渡ってうちの方の側へと歩いてくる猫がいた…。
その猫は……
“真っ白い猫”だった…。
付近にいた誰かがこう言った。
「この猫飼っちゃおうか?」
父の声だったように思える…。
で、その猫を連れて来て飼ってしまった…。
…
こんな記憶があるのだが…
こんなんで飼ってしまうなんて…。。
母はいつか「白は誰かに引き取ってほしいと頼まれて引き取った」みたいなことを言っていた…。
なら白との出会いはこうではないじゃないか。。
この記憶は一体何なのか…?
でもこれは確かに昔からの記憶で、その4才とかの時からずっとそう出会ったものなのだと思ってた…。
ですからね…とりあえずこの記憶は正しいと信じてます。
母は黒とごっちゃになってたのかもしれないし。昔のことに関して結構間違ったことを言ってることもある。
うちの前にいた野良猫?を連れてって飼ってしまった…
新たな家の猫となり、喜ばしかった…そんな記憶。記憶は記憶。
これずっと4才の記憶のイメージでしたが…
3才だった。↓↓↓の記憶がそれを意味している。
(飼っちゃおうか?)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
路上を歩いていた白い猫
を家に連れてきて飼うことになっている感じになりました…。
でこの猫のことは自然と「白」と呼んでいた。白いから。
でもそれではあまりにもという感じなんで、それは「仮にそう呼んでるだけ」という感じだった。
ある日のある時、母が「白じゃそのまますぎるからあれだからと英語でどう」的なことを言った。
それで「白のことはホワイトっていう」と言っていた。
ということは白は「ホワイト」。
自分はそういう名前が好きだった。
外来語のカッコよさがたまらない。
さらに何か美味しそうな印象もある?名前。
いい名前。
白よりまともな名前。
母も「ホワイトモイイネエ」みたいなことを実際に言った。
白の名前はホワイトにするんだ。それになるんだ!って思って納得だった。
翌日。
…
母は白のことをホワイトとは呼んでいなかった。?
「ホワイトはいい」って昨日言っていた。
ホワイトにしたんじゃ??
忘れてるのかと思って自分はホワイトって名前のことに関して触れる発言をした。
そうしたら母は「そうホワイト!」とか言ってホワイトと呼ぶことにやっぱり乗り気な感じだった。
やっぱりホワイトでいいのか。
しかし母は少し経つとやっぱりホワイトと呼ぶのはやめていたりして…本音はあまりそう呼ぶ気がないように感じられた。
「ホワイト」っていうのは本気ではなかったのか?
母が本気にならないとまずだめだ。
自分の権力で名前を決めさせてなんてもらえない。
母が気に入っていない名前なのに、その名前を自分が推すような言動をしてしまうと何か気まずい。
だって母からしたら「ホワイトなんて名前にはしないんだからそんな名前を気に入るんじゃない!」って感じでしょう。
でも最初1度だけだがホワイトはいい!それにしよう!的なことを言ったんだから自分はそれでいくんだと思ったんです。
その時、正式名はホワイトになったんだと思った…。
その名前で認定させるのがだめなら、ちゃんとこっちにわかるようにだめと言ってくれないとだめ。
こういうことになり兼ねないのだから。
白の名前が英語のホワイトになった…
いい名前だと思った…
しかし肝心な母はあまり気に入っていない感じで…その名前にするって言ったのは冗談だったみたいだった…
それでかなり残念だった…そんな思い出。
確かに、今思うと母が「ホワイト」なんて名前にするはずがない。
2文字とかで呼びやすく、ポップな名前でないと母は認めないはず。
そういう性質がわかってきたのはこういう経験もあってのこと。
(イイ名前、ホワイト)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
兄の幼稚園の迎えに付き添ってバス停まで行った。
兄が来て兄と、一緒にバスから降りてきた兄の同じクラスの友達の1人のアナcと一緒に何か話しながらうちの方へ歩いていた…。
幼稚園もうすぐ一緒…みたいなこと話していたのカモしれない。
公園前の十字路を渡ったとこの道路のうち側の方(のちの天沼パークサイド前)に白がいた…。
自分はうちの猫…と名前を教えた。 |  |
名前は…「ホワイト」って言った。
アナcはホワイト!ホワイト!と白の名前を呼んでくれた…。
この時の名前はホワイトだったんです。
間違いじゃありませんでした。
ホワイトという名前になったんだと勘違い?してたちょっとの期間内での出来事。
…ほかの名前の時だったら教えてなかったかもしれない。
自分でいいと思うその名前だったから、堂々と言えた…。
この時、天沼パークサイドのビルは建っておらず、そこの敷地は原っぱだった…。
敷地は緑の柵で覆われていた…。
天沼パークサイドの竣工は平成5年11月となっています…
でこの時はまだ入園してなかったんで…
ぎりぎりでも3才だったことは確かだろう。
天沼パークサイドは3階建てのビルなので…
建設に半年はかかるはず…。
でこの時はまだ全く手付かずの状態だった…。
竣工する平成5年の前半のころはまだ手付かずだったということ…。
この記憶はそれを意味する…。
白は自分が3才の時からいた…
ということも同時に意味する…!
だいたい4才からでも、正確には3才の時だったんですかね…。
自分の中でかってに驚いてる。
アナcにホワイトの名前を教えた…
ホワイトと(そのホワイトっていういい名前を)呼んでくれ、良かった…そんな記憶。これも思い出。
いい時に教えたもの。
続く…
(ホワイトと呼んでくれた その名前を認めてくれた)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
買い物の付き添いでいつもヨーカドーに行っていた。
基本的にヨーカドーですがたま…に徒歩圏内のそのほかのデパートに行ったり、車でヨークマートに行ったりしていた。
気分転換になっていた…。
ヨークマートの看板のマークはヨーカドーと同じ(水色の部分が緑なだけ)で、その上名前も似ている…。
ヨーカドー+マートでヨークマート?
ヨークマートはヨーカドーと同類の場所だ…て思って何か親しみのある雰囲気だった…。
ヨーカドーは親しみありますからね…。
ヨーカドーの小型(マーケット)版店舗…?
真似とかじゃないですよね?
こんなのいいのか?不正じゃないのか?同じ部類の何かなのか?何なのか?なぜなのか。聞いた。
母は同じ系列なんじゃない?みたいなことを言った。
そっちか。
ほんとにそんななのか。。大人がそう言うということは…。
自分の思ったことがほんとにそうなんて…
信じがたいものがあって、不思議な感じだった…。
そんなころ…。
とにかくヨークマートにはヨーカドーと同じ何か?がある気がし、
親しみがあるヨーカドーのような親近感?がここにもある気がして何か落ち着いた…
それにより?ヨーカドーに次ぐうちの大々的な買い物場所だ…というようなイメージも…。。
(いつも夜だった印象。←例のヨークマート。)
(ヨークマートの駐車場。)
ヨークマートはヨーカドーとは違い…ほとんど食品しか売られていないスーパーマーケットだ…
そして見えるとこに駐車場があり、車で来るのに適した場所…。
この違いとマークの共通点が…何かまた、たまらなかった…。
ヨーカドーの別バージョン、別形態…みたいで…。
種類あります…緑のヨーカドー……。
たまにヨークマートに買い物に行っていた…
“ヨーカドーみたい”で疑問だが、親しみを感じられて良かった…
自分の思ったことがほんとにそうなんて凄かった…そんな思い出。
(ヨーカドーの偽物、ヨークマートで気分転換)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
母は○シ○○ーサ○という芸能人が好きで、その○シ○ー○クを話の中に持ち込んだりしてましたが…。
彼とは知り合えないからか…
ある日、「うちにいるペットの名前をそれにしちゃおう」とかそういうことを母が言った。
それで白のまた新たな正式名が決まった。
白の名前がその名前、「エーサク」にされてしまった。
エーサクはここにいる…と。 |  |
彼のファンからしたら気分いいかもしれないですね。
「エーサク」という名前になり、うちの白い猫のことをエーサク!と呼ぶようになっていた。
そのうちほんとに「エーサク」という感じに見えてきた。
エーサクか。栄作。
あえてエーサクと呼ぶ。
エーサクでもそれでもいいのか。そんな名前でも。
でもあくまで母が好きな芸能人の名前。
自分としては当然そんなにこの名前は気に入らない。
「一方的に母が付けた名前」という感じ。
ホワイトの方がいい。
なんでそれにしてくれない?!
だからホワイト……。
白の名前が母が好きな人物の名前にされた…
自分としてはそんなにあれだった…
こんなのも“あり”なのか…?そんな思い出。
(吉○栄作でもいい?)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
水が入っていて、魚やキラキラしたものが入っているメルヘンチックな水槽のような小さなインテリアがあった…。
それを取って眺めているのが面白かった…。
それは、小さい丸っこいのと、そうでないのとが2つあって…
自分は小さいのの方が好きだった…。
というか自分が選んだのがそっちの方で、もう一方は兄が選んだのだった…。
自分の気に入ったのを選んだわけですから…そっちの方が好きでまあ当たり前?
どう傾けても「上」にあたる方に空気のかたまり?が移動するのが不思議だった…。
親らに聞くと、空気がどうのこうの絶対にどうの…とかいかにも何か難しいことを言っていた。
よくわからない。その後も上にこないようにできないか?と奮闘することがあった。
そのうち水が容器にめいっぱい入っていないからこうなってるだけだ…と自分で気がついた…。
ちょっと気に食わなかった…。
容器に満遍なく水が入っていたら、この中はほんとに海の世界…
という感じでより不思議で気持ちのいい見栄えになっていたことだろう…。惜しい…。
というか大人ら、もっと簡単に説明できたはずなのに、何カッコつけて難しい言い方してたんでしょう?w
わからないではないですか。
しかしともあれ、あれはキレイでした。そういうの。
全力でシェイクしてキラキラしたのを舞い散らせたりとかもしていた…。
そのうち中の水が濁っていった…。
中は密閉されているので、水を取り替えることなんかはできません。濁ったら濁ったまま。
中の魚とかも出してみたいのに絶対に出せない…。切ない…。
…
そして…いつのまにか気付いた時には食器棚の自分には届かない上の方にしまわれていた…。
別に濁ったから…ではないかもしれない。
発見した時は…
これまだあったとは?!と少々感動した。
だがまたしばらくして気付いた時には…
うちにはどこにもなくなっていた…。
捨てられる…なんてことはわかりきってることですが…
一体いつ捨てられたのか…?
捨てるくらいなら割ってでもして中を出してみたかった…。
…
どこで買ったのか?ですがそれは…
あれを眺めてたころは覚えていたと思ったんですが、、今思い起こしてみると…
はっきり思い出せない…。
あの時までは覚えてたのですがね…。こういうこともあり?
でもあの時もはっきりでもなかった気が…するようなしないような。
でもどっかのレジャースポットで、そこに行った記念に帰りに自分と兄が選んだのを買った。
みたいな感じだった…とは覚えてます。
「どんな場所」で買ったか?を覚えていない…。
キレイで面白い水槽のインテリア?を買った…
それを手にとって1人で色々やっていた…
中の空気が不思議だった…そんな記憶。これも思い出。
(キラキラした小さな水槽のインテリア)
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家にエーサクがいる…。それはいる。
そんなある時、母がこんなことを言ってきた。確かに言ってきた。
「猫の名前変えた」
?!またしても白の正式名変更?
そして淡々とこう言っていた。
「この猫の名前は、白にした。」
シロ!白。 |  |
当然、非常に疑問を感じましたね。
それは最初に呼んでた懐かしい名前。
戻してしまうんじゃエーサクやホワイトは一体なんだったのか?wって感じになるし。
そんなそのままな名前じゃあれだったから「白」は仮の名前扱いだったわけだったんですよね?
白じゃ、あまりにもそのままだからあれだったんじゃ…?
いいのか?白で?
…
…いいのか。
やっぱり。
じゃあなんだったのかホワイトやエーサクは。
とにかく「やっぱり白でいい」という感じになった模様。
そのあと母は理由として「簡単な名前」「それが1番いい」みたいなことを言っていた。
でもいいのか?いいのか。
それこそが正式名になるのか。
ホワイトは?
「ホワイト」には母はなぜ触れないのか??
白の名前が正式名としてまた白になった…
無難な名前に戻った…
白では問題があるから変えたのに白でいいのか?とどうしても疑問だった…
何でホワイトにしようとしないのか?と少しムカついたりもした…そんな思い出。
ホワイトがよかったんですが、自己主張は恥ずかしさがあるので基本しないし
それに自分がそれがいいと言った時点でそれになるわけもない。
だから「ホワイトがいい…」という気持ちはありましが、そう心で思っていただけ。
その名前のことに関して何気なく触れたりしたので、ホワイトという名前が気に入っていたことがバレていた可能性はなくはない。
エーサクはなぜやめたのか?
やっぱり、○○栄作もそのうち廃れるからか?
この猫と過ごす時間はこの先長いわけだから…
ずっとその名前で呼び続けるのはあれだ…と思い、この先ずっと何を意識することなく普通に呼んでいられる無難な名前にしたのか…?
そういった感じだろう。
(白に戻していい?)
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こんな感じですね…
全部読みました?
果てしなく長くて…読むの、大変だったことでしょう。さすがにこれはw
しかし3才の記憶がこれほど限りなくあって、2才が何もない…というのはあまりにも不自然ですよね。
まあ何もない…というわけではありません。
2才以前の時は、自分が何歳か知らなかったと思ったので…
何歳の記憶だか分からないんだが…
一応、これは2才以前?と思われる記憶もあるにはある。
それも挙げて…いこうかと思ってたんですが、ここは3才の章。
2才とかの記憶は書かないでおきます。長くなるし…。世界観も乱す。
それはやっぱり予定変更して別の場所に書くこととします。
これで終わり。
ということでここから締めモードに入ります。
何か…
自分は3才のイメージだ。
自分で思う自分のイメージはどうしても…いつまでも変わりなく3才。
どうしてもなんです…。
1番最初(この←時)、「自分は3才」と覚えたから…
1番最初自分は3才だったから…
でしょう。
それにだいたい3才になったと同時に突然記憶が始まってるんで…
自分は(自分的には)生まれて3年後から生まれたようなもの。
たとえば生まれて10周年の時は10才ではなく…13。
20周年の時は20ではなく…23と。…
密かに自分ではそう思ってるんです。
そうとしか思えない。
何せ自分が知ってるのは生まれて3年後からなのだから。
自分の人生が始まってるのはそこから。
自分が知ってる世の中は生まれた3年後から。
それ以前はまだ自分の知らない時代。
分かってほしいですね…。
2才までは知らないが、3才以降のことなら知っている。
本当にそういう感じ。
自分の知る世の中が始まった時。それは4才以降でも2才以前でもない。「3才」だ…。ピンポイントでそこ。
ここの3才の思い出話見れば分かったでしょう?
3才の記憶はこんなもはやきりがないほど出てくるのに…
2才の記憶が全然ないのは非常に不自然ですね…。
そう思えるでしょう?
ある時点から突然…て感じ。
だが4才はこんなもんじゃありませんw
この数倍色々覚えてます。
3才でもきりがないのにそれではね…
なんで4才から取り上げる記憶は、ある場所での出来事の記憶限定でいきます。
3才の時みたいな感じで書いていったらとても読み切れなくなってしまいますし…。(これでも読み切れないくらいですがw)
その場所とは…予想つきますよね…?
それでもこれ以上に果てしない長さ…
2才以前が全然覚えてないのは、その自分の歳を知らなかったから…てのもあるんだろうか…?
知らなければその時が何歳だったか分からないし…
実は2才だった…て記憶もわりと結構あったりして…?どうか?
でも普通覚えてるはずもないんで、そんな覚えてないことは確か。
でもそれに対して3才はこんな……と。
もうちょっと打ち明けたいことが…
このころは…「原点」なんでこのころが1番うちって感じ。
人生全体で見たらこのころの世界観は独特なんですよね…。
でも独特なんかじゃない。これがデフォだったんだ。デフォルトだったんだ。と分かってほしい…。
そのころを…覚えているので、忘れていないので、自分の最も安心できる自分の帰りたい場所はあのころのうち…。
誰もそんなこと分かってるはずもない…。
それが嫌らしい…。
古い家…
赤い車…
茶色い猫…
家具の配置はああ…
寝る場所はあそこ…
…
常に親元…
そして…自分は3才…
あのころに戻りたい…恋しい…
せめて少しでも再現させてほしかった…
家を取り壊してしまう前に…
このころは「うちの自分」って感じだった…
学校みたいなとこ通い出すと、そっちの自分ってイメージも加わりますよね…。
1番最初はうちの自分だけで、紛れもなくうちの自分であった。誰でもそうですね…
だからうちが原点。
だから1番自分らしい自分はうちの家族といる時でしょう。
忘れてませんか?
だから安心できる。
しかしオーソドックスな環境に生まれて本当によかった…。
母、兄、父。そこに自分、ペットという編成…
母はうちにいて、家にいて、父は夜まで仕事…。
母、兄といつも外出…
外を歩いていると自分は小さいので見知らぬ人からも良い目線で見られ…優しく声かけてくれて…良かった…
友達もいつもかってにやってくる…
エアコンはあまり効かないので夏は扇風機…
冬はストーブ、コタツ、ホットカーペット…
暖まりながらテレビ見たり…絵を描いたり…みかん出してきたり…
暖かい感じだった…
祖母の家や祖父の家も近く、祖父母にも頻繁に会えていた…
父側の実家ははるか遠く…
まさしくちゃんと田舎で、田舎もあって、年に1回会いに行く…
そちらは大家族…車で1日がかりの遠出…
いずれの家もマンションとかアパートなんかではなく、ちゃんとした1件家…。
さらにうちの立地がこれ以上ないというくらい良い場所…。
ターミナル駅のそばで住宅地…
駅の反対側がこちら側とは一転して人込みの商店街…。どこまでも…
路地裏も商店街…
デパートの目の前…徒歩圏内に数多くのデパートが存在している…
しかも手軽に首都へ行ける立地…
近所に駄菓子屋も…
神の選んだ理想の場所か…?
とにかく全てが理想的…
何の不満もなし…
いいことに、あまりにも恵まれた環境なんで…
そういうとこがまた自分は何か特別な存在なんじゃないかと思える要員の1つになってもいた…。
神が選んだ環境、時代…神に授かった命…
そんなはずないですが、表現するとそんなふうに思えるような、そういう感じ…。
おかげで一般的な様々なことを実体験して、知っている。
そのころに体験しないと、最初からのことでないと、何にもならないですから。
最初からそうであること、原点のころに経験していることが大事。
自分の原点の時は、そんなだった…。
そんな3才であった…。
2度と戻れない原点…3才…。
1番自分らしかった…そのころは3才。
だから3才が1番好き。
3才という響きは本当に思い出深い。
「3才」と聞くとそれだけでどうしても切なくなる…。
なるんです。誰も分かってないでしょうが。
自分を連想してしまうんです。
3才といったら「自分」のイメージが非常に強いわけですから…。いつまでも。
ずっとそうだった。
まさか自分が3才のころのイメージを現在までずっと引きつってきてるなんて…
今との比較対象として眼中にあるなんて…誰も思わないですよね…。予想外でしょう。
忘れてるとばかり思われてスルーされる…。
嫌らしい…。
もう戻れない…というのがあまりに切ない…
どうしようもない…
忘れているしかない…
思い出すと切なくなってしまうのである意味思い出していたくない…
そう思っていると余計に忘れられない…
忘れてしまうのもあれだ…
そんな3才でした…。
できないと思われているのになんでも完璧にできてしまう凄い能力をひた隠しにしながら過ごす自分…
そんな3才のこのころの環境…
自分の想い…
覚えました?
ここで話したこと、こういった以上のことを踏まえた上で、この先読んでってください。
こんな世界観でした。
自分という存在を認識した時の環境…。わかりましたね。
この章で話したことすべて=自分のデフォルトの詳細。
最初と最後が重要なとこ。
しかし本当、このころはよかった。
過去がありませんから、完全なる本物の自分であった。
過去と比較してしまうことがなかったので、気に入らないようなことがなかった。
いくらでも語れてしまう。
(自分が存在・自分のデフォルト)
ではお待たせしました。
そんな自分も…家から離れる時が来た…
…
どうなる…??
次の章は見物。このことを書きたいがためにこの小説を書いた。といっても過言ではない…w
3つの時の記憶が映像だけ。言葉が登場しない。とか言ってる頭の変な哲学のオッサンがいたが…
なにが映像だけww
3才にして言葉も分からなかったのでしょうか…w
とても考えられない…w
親に言い聞かせられたことを自分の記憶として認識しているのか本当の記憶なのかわからない…とか言っているオバサンもいました。
自分の記憶はまったくもってそういう記憶ではない。
誰にも知られていないような記憶ばかり。
そこらの平凡な幼児って…もしかしてそんなもんなんでしょうか?
何も考えてないからすぐ忘れてしまうんでしょうか?
だったら自分は特別。