■ 【第二章:恐怖と自由】 ■

                 

  

家から離れる…というか、半日だが親元から離れて過ごす時…。
そしてその離れて過ごす通所先…○○○に初めて行ったのが4才の誕生日の日だった。
3才が終わった…が最初3才だったので、ずっと「自分は3才」というイメージだった。
でも現在の歳にもすぐに馴れ、それなりに“自分”という感じになる…。
それが繰り返されて、未だに3才~現在の歳までの全ての歳が“自分の歳”といった感じがしてしまう…。
その歳を経験しているので当たり前…て自分的には思うのだが、ほかの人はそんなことないのか…?どうなのか?
だから年下の人には感情移入できる。年上はよく分からない。
今までの「自分」以外の登場人物は主に母、兄、父でしたが、ここからは一転して、母、兄、父はほとんど登場しません。
ガラッと世界観が変わります。
まあ1番登場率が高いのは兄。
兄だけは唯一同じ世界にいます。
あと“登場人物の名前”ですが、最初はアルファベット2文字とかにしよう…としていたのですが、
それだと覚えにくいし…少しでも感情移入していただけたら…と思うのでやめた。
そうではなくて…基本、偽名にすることにした。
矛盾が生じない具合に上手く名を改変しています。
英語2文字の人もいますがこれは名前+名字ではありません。ご期待を。
記憶を荒い晒しにしているので、いくつか少々あれなネタも書いてしまっています。ご了承ください。
t=先生 k=君 c=ちゃん
…でそれはそうと、その、○稚○最初の日…自分は皆と工作をした。
紙コップで何かを作った。
確か2種類紙コップで何かを作った。
確か最初に作った方のはタコだった。
紙コップの口の部分を細かく縦に切っていって曲げて「タコ」っていう、単純なものであった…。
次に作ったのは…容器の上の方に何かする何かだった…。何か忘れた…。
が、タコよりそっちのやつの方が気に入った。
タコのは簡単すぎてつまらなかったが、そっちのはちょっと高度で、自分に合っていた…。
ちなみにその日は母や父も一緒に教室に来ていた。
同級生達の母父もだ。
皆は親と共同でやっていたが、自分はこういったものが非常に好きだったので、
多少父に強力してもらっていた気はするが、確かほとんどそれらは1人で製作した。
あと紙コップで糸電話を作った記憶もあるのだが…
それはこの時ではなかったような気がする…。
しばらく月日が経って…家で食器棚を開けたら紙コップを発見したので、
それを勇気を出してかって使ってしまって、それで久々にまたあの紙コップのを作ってみたら…
父や母は忘れていて…新たに驚かれて誉められた。


(今…また作った。これよりももう1つのあれの方をお見せしたい…が、どうしても思い出せないので無理)

○○園に行ってないころは3才以前…
行ってたら4才以降と…
分かりやすい…。
しかし…あの最初の日は4才の誕生日…てずっと思っていましたが…3月に入園…てことはないですよね…。フライングになる…。
もしかしたらあの日は“体験”か何かだったのかも…。
にしてもその後入園式なんかをやった記憶はない…。
本当にフライング…?誕生日ではなかった…?
まあ何にしてもそこに入園しました…。

(面白い紙コップ工作)

一応検索でヒットするようにするために言っておきます。
自分の行かされた○○○(この章の舞台となる○稚○)は「FB-ND○○○」です。(やっぱり、言うのやめたw)
親などは「FB○稚○」と呼んでいました。
が、それは略称で本当はFB-ND…ということはなんとなく、分かっていました。
ここではFB-ND○稚○の真相を明かしてやります。徹底的に!

                 

で…
何日か来ただけでいつのまにかクラス全員の名前を覚えていた。
そこで心の中で全員の名前を1人1人言ってみていた…
それでふと気が付いたのだが…
…
非常に似ている人が2人いる…
アキヤkとサト〇kwだ…。
アキヤkとサト〇k…て似ている…
どう思い起こしてみてもこの2人の外見の違いが思い当たらない…。
「サト〇kが2人いる!」。
そのことに気づいたと。。
でも別人なんだから違うところがあるだろう…ととりあえずそういう気持ちだった。
だが○○園で実際に見て確認してみたところ、本当に同じだったんです。。…
どこからどう見ても同じ人…。
さすがにこれは……と思いました。
そういえばこの2人が2人でいるところをどうも見た覚えがない…。
そうだろうと思って朝の出席の時、しっかり耳を傾けていたら…やっぱり…そうでした。
“アキヤサト〇k”と言っていた。ww
あの外でサッカーをしているクラス内で最も背の高いアキヤkは1人だけ。
2人存在したりはしない。
ちょっとつまらない感じがした…。
おかしなことはないものだ。
アキヤkの正体がわかったとこで、思い起こしてみたらもうクラス全員の名前がフルネームで言えるようになっていた。
自分凄い!自分でそう思っていた。
別に覚えようとしていたわけではないのだが…。

(アキヤkとサト〇k)

                 

クラスメイトの名前を全部言うのは、密かに自分の中で自分の特技のような感じしていて…
暇な時に心の中で全員覚えているか確認するのを、“遊び”としてよくやっていた…。
誰かの前で、声に出して言ったことなんかはなかったので…
自分がクラスの全員を覚えていて、名前も全員フルネームで言えるなんていうことを知っている人は当時、誰もいなかった…。
少しもったいなかった…。
自分で特技だと思えるくらいであったのに…。
伝えられるような機会がなかったのでしかたがない。
自分から言い出すのは自慢みたいで嫌だった。
知っていて当然でもあったし…。いくら早いうちから全員覚えていたとはいっても。。

(クラスメイト全員の名前を言う遊び)

                 

自分は自分から積極的に何かをする類(というかキャラ)ではなく、最初はクラスメイトとはほとんど接しなかった…。
接したくないわけではないのだが…。
できれば自らも接したい…そういった思いはあった。
年長の兄の友達達、主に3,4人とは入園前から知り合っていて馴れていたが、同級生とは接しなかった…。
そんな中、初めて自分と共に遊んでくれた同級生は…いつも“かかと歩き”をしていた、アキヤkに次いで身長の高い…モモヤマkだった。
かかと歩きを真似てみたら面白かったり。
その後も彼とは休み時間に遭遇するたびに毎日遊ぶようになっていた。
こっちから遊ぼうか?的な視線を送ってみると「遊ぶ?」と言い、遊んでくれた。
彼は自分と遊ぶのが癖になっていた。1度遊んだので…。
彼は自分とは逆に図体がデカく、ちょっと暗い性格で、どうも「紫色」のイメージで…歩き方が変で(なぜかいつもかかと歩き)…
印象的にあまり好きではない方だったのだが…
自分と何気なく接してくれて中身を知ったら、一転して好きになった。そう思えた。
見た目がだめでも中身が良ければ好きになれる…。
そういうもの…。
見た目も悪く感じなくなる…。
見た目より中身…
ということを彼は教えてくれた…。w
そんな中、家で母に「友達いないでしょう」的なこと言われたことあったのだが…
その時、自分は「いる」とは言えなかった…。
この程度で“友達”かどうかは微妙だと思ったからだ…。
“もしそうは言えない程度であったら、恥ずかしい”そう思って、そう言うのを控えた…。多少悔しかったが…
でその彼と…モモヤマkと仲良くなったことを母は知らなかった…
たぶんいまだに知らない…。モモヤマkの名前すら…。1度も言ったことないですから…
かかとで歩いていたのは…あれは…遊びでやってた…のでしょう恐らく…。
しかし…子供はなぜ遊ぶのか?
…でも相手してもらえていたのは一時だけで、この関係はそう長くは続かなかったんだった気がする…。
あの時、彼のことを母に教えなくて正解だったみたい…。
でも1度そういうことがあった人なので…
本心は分かっています…。
人はそうは変わりませんから…。
きっかけがあればああ…。
ずっと好きだった…。
その後学校でそういうようなことを頻繁に経験していく…
その土台となったのが彼だ…。

(初めての“自分の”友達)

                 

それとその後もう1人、自然と仲良くなった同級生がいた。
それはカズシkだ。
彼もまた、何か1度自分と接したのをきっかけに突然自分と親しくなり、自分に対して友達意識を持つようになった。
自分とは「友達だ」と決め込んだようだった。
というか彼は確実にそう決め込んで自分と友達になった気分でいたw
そんなでなぜだか自分にばかり積極的に声をかけてきていた…。
自分が…何だったのでしょう?
ひょっとすると…あまりクラスメイトと関われない自分を救いたかったのかもしれない…。
そういえばどことなくヒーローっぽい?雰囲気の容姿であったし…。
名前もカッコイイと思っていた。名前の認識が今と違った。
仲良くなったな…てな雰囲気になっていたころだった…。
授業中に彼と目が合った…。
彼はそれだけで自分に向けてグッドサインをしてきた。
自分はそれはやったことがなくて、自分らしからないと思ったので…その時、それではなく、ピースサインで答えた…。
何か合い言葉?みたいであった…。
“仲間になった証”だった…。
でもモモヤマkに比べてカズシkは何か図々しくて慌ただしい感じで、自分とはまた対照的で、少し気に食わない感じでもあった…。
でも…まあ兄の友達なんかでなく…自分で作った友達です。
彼との関係は最初から全て知っている。自分が1番よくわかる。遠慮はいらない…。
「自分の友達」というのはいい…そう思ったもの…。

(友達意識)

                 

…とこれでもここまでのころは割合普通で、普通な話だった方。
ここからです。本番は。ここまでの話はここからの話への前置き…
自分は体育と給食が非常に嫌であった。
体育は1日おきにあり、ある日、ない日が交互に繰り返しだった。
給食もで、給食の日と弁当の日が交互だった。
分かりやすいので覚えていて、体育の日、給食の日は行くのが嫌だった。
体育が嫌だった最大の理由は体育のス↑ズ↓キ先生(♂)が怖いからだった。
あの先生と関わることになるのがとにかく恐ろしかった。
あまりに厳しすぎな感じがした。
その先生だけではない。もう1人の恐ろしいムーシャt(♂)がいた。
ムーシャtはここのリーダー的な先生で(園長ではない)、全生徒と関わっていた。
皆知っている先生だった。
ムーシャtもスズキt並みに厳しくて怖すぎた。
ムーシャtは外見も、見るからに怖かった。怖さを象徴していた。
で体育の時はスズキtに対する恐怖と常に向き合いながら体育をやっていた。
スズキtが生徒のことを誉めていた記憶がない…。
やたらにただ怒っていただけだ…。
あと「やってみん?」「いってみん?」とか“みん?”が口癖で、よく言っていて、その“みん?”が怖かった。
みん?は命令なので……
命令は怖いです…。
ウザイ感じで嫌らしくもあった…。
ムーシャtは体育以外の時でも接してしまうので、いかなる時も怖かった…。
そのムーシャtとスズキtが怖さの肝だったが、その2人以外にも、厳しい先生は多かった。
でもだ…
担任(ナナムラt♀)だけは違った。
その先生“だけ”はなぜか怖くなかった(優しかった)。
それが唯一の救いだった。
一刻も早くナナムラtのいる自分のクラス(花組)に帰りたくてしょうがなかった…。
1番接することが多い担任がそれだから…救われていた。
ちなみに、スズキのイントネーションは、普通の鈴木ではありませんでした。
アクセントは「ズ」ではなく、「ス」で、スズキと言っていた…。
当時は人の名字をあまり知らなかったので、なんとも思っていなかったが、今思うと不思議に感じる…不思議なものです…。
もしかしたら…スズキではなくて、ツヅキだったのかもしれない…。
それならイントネーションは最初の“ツ”のはずだ…。
もしや間違って覚えていたのか…?
チャーミングシールをチャンミングシールと言っていたりとかまだ色々覚え間違えるようなことが多かったのでありえるか…?
しかし、実際大人に向かってスズキtといつも言っていたのだが…。
何の指摘もされたこと、なかった…。
でもそれは子供は発音が悪いから…ツヅキと言っているつもりだとは思うが、スズキになってる…
とかで、間違ってるとは思われなかったのか…?そういう可能性も挙げられる…。嫌らしい。
まあ分かりませんが、どうあれ今更ツヅキなんてイメージにはならないので、スズキでいきます。
自分の中ではいつまでも(イントネーション「ス」の)スズキt。
あとナナムラtですが、ナカムラというのは、何かの名前かと思っていました。
兄の担任の名前がナスビtとか言ったんで、先生の名前も皆、何か愛称なのかと思っていた。
それぞれのクラスにも、花組、月組等の愛称があったし…。
ナスビt(♀)の“ナス”て、本当に野菜のナスなのかと思っていましたから。
ナスビtは実際に、自分を野菜の“ナス”の絵で表現したりしていた。
本当にナスのイメージ…すなわち紫色のイメージであった…。
ナカムラというのは難しいが、“鳥”のイメージだった…。
かってに鳥の名前だと決め込んでいた…。違うかもしれないとは思いつつ…
知らないことが多かったので、分からない言葉があるのかもと、そういう解釈をしてしまえた。
歌の歌詞などを、“分からない何かの言葉”として受け止めたり、適当な言葉でカバーとか、そういうようなこともよくあったもの…。
…「ナカムラ」なんて鳥、いないですね…
アア…間違っていた。
とりあえず、ナナムラtも、スズキtも、単に○村とか鈴木とは思わないこと。
説明しますと、当時は、イメージが“漢字”で出てきていませんでしたから。
だからそういうイメージではありません。未だに。
当時の状態のイメージとして思い浮かべてほしい。
“そうイメージする”ということを頭に入れておこう。
スズキtは普通に鈴木ではなかったかと。
イントネーションからして…。でもそれを言ったら…いやたぶん。
あとムーシャというのは…今聞いても全く色あせることなく、異様な名前…。
今でも本名なのか?日本人なのか?と疑いそう…。
その名前の人は未だほかには聞いたことなし。
ムシャクシャ…いや、ムシャムシャといったイメージだった…。
ナスも異様ですね…。ナスビ・ソ○と言った…。
漢字だとどんなだったのか?漢字あった?
幼児だから漢字表記とか全然見なかった…。
同じ4コースに、○ン・ソナcとか、ジェイ・ソンkだとか凄い名前いたが…w韓国人もありえる?
ちなみにムーシャtの下の名前は知りませんでした…。そもそも名字?
頭に入れましたか?では名前の話はここまでとし、ストーリー再開。
担任にだけは恵まれていて、ナスビtもどちらかというとマシな(優しい)方だった。
ても少々荒っぽい面もあり、気を抜けなかった…。まあ自分の担任ではない…
ナナムラtの花組が唯一解放された場所で、結界地帯のような感じ。

(自分から見た先生達)

                 

そんなでとにかく怖く、体育が特にあれで…
あと何といっても給食。そのことに関して。
給食のものはほとんど○べれず(野○で○べれるものなど存在しなかった)、
ほとんど○べなかった。ここまで多く残すのは自分だけであった。
それで色々と厳しいことを言われ、あれだった。
どうしようもない。
それで行くのが苦痛。。
…
でそんな中…自分はたまにある時から“自分の意志で何かする”のをやめていた。
それなら自分が責任を追うことはない…と。
自分は自分という特別なものだから何か…という気持ちがまだあったのも大きい…。
もともと自分は“学校とかではこうであろう…”と思っていた。
そうしないとそのうち(学校のレベルが上がっていくうち)に自分の力を隠したままではいれなくなってしまう…。そうでしょう。
積極的に何かする勇気が本当になかったのも大きい…。
あとそれに先生の怖さと行きたくなさも相まって…現段階でこの様。。
でそうするとしばらくは(何日もの間)今まで以上にほぼ話すこともせず、一切飲食せず。
帰宅すれば普通。
でも“このころ”は不意に勇気を出してもとの状態に戻れていた。
もとに戻るのは毎度お弁当の時だった。
思い切って一口、口にしてしまうとそのまま話も皆とするようになっていた。
しばらくこういう状態に陥ったことが年中の間、少なくとも2度以上はあった…。間違いない。

(特別な存在)

                 

ある時、そうなって何も食べずにいた状態が続いていたら、
そのうち給食の時は強制的に1人クラスから抜け出され、職員室に連れて行かれるようになった。
1人職員室で給食…。
もともとそれほど食べていなかったのだが…。
お弁当の時は行かなくて良し。?
ますます給食の時に行くのが嫌になった。
で職員室には…ムーシャtがおり、ムーシャt監修のもとで食べさせられていた。
それでも食べずにいて、職員室ではムーシャtに攻められ続けていた。
さすがに食べようとするのだが、職員室に連れて行かれるとなぜか気持ちが悪くなり、嫌いではないはずのものも食べれなくなっていた。
いつも攻められ、怒鳴られつつもほとんど食べないまま時間が過ぎていった。
給食も終わりの時間になると担任(ナナムラt)が迎えに…というかムーシャtを止めに来る。
いつも「もう可哀想…」「いいでしょう?」などと言い、強制的に連れ戻してくれた。
あまり食べていなくてもそこで終わってくれる。
“大人の権力は凄い”と思っていた。
先生が言えばムーシャtも諦めてくれる…。
いつもナナムラtが来るのを待ち望んでいた…。
できるだけ早く来てほしかった…。
…職員室で気持ち悪くなるのはなぜだったのか?
職員室…というか給食の匂いがするだけであれになっていた…。
ムーシャtの親爺臭も気持ち悪かった…。
この匂いの影響も強かったでしょう…。
それで「気持ち悪い」と言うとムーシャtはいつも引き出しから緑色で円盤型で大きめなどこか不吉な薬を取り出し、
それを飲むよう促してくる…。
吐き気止めの薬とのことだったが…
そんなのそれこそ飲めなかった。
給食すら食べれないというのに…。
薬といったら当時過去にはシ○○○味の風○○しか飲んだことがなく、噛まずに何かを飲み込んだこともなかった…。
でもそれは嫌だと伝えても無視し、「気持ち悪いんだろ?!」とか言って、かってにコップに入れ、飲ませようとしてくる…!
そう、いつも途中で薬を飲むことを巡る争いになっていた。
ムーシャtは…何か「気持ち悪い」というのが嘘だと思っているかのように見受けられた。
食べたくないからそんなこと言っていて、終わりにさせる作戦なのではないかと疑っていたみたいだった…。
それでそんなことをする罰に薬を出していた…とそういった印象だった…。
本当で食べれなかったわけなのに…
いつもコップの水だけ飲み、それで「飲んだ」と言って飲んだフリをしていたw
でも引っかからず、すぐに薬がコップに残っているのはバレていた。
「頭いい…」とか小声で言って苦笑いされていた…
周囲にいる先生達も苦笑いしていた…
せっかくいい案だと思ったのに気付かれて“飲めた”と誉められず、終わらず、嬉しくなかった…。怖かった…
結局あれを飲んでしまったことはなかった。飲めませんから。。
よかった…。
あれ、子供が飲んで本当に大丈夫だったのでしょうか…?
大人用みたいなのだったし、ああもタイミングよく吐き気止めを持っていたのも不自然な感じ…?

(恐怖の職員室と給食)

                 

あとムーシャtらがあまりに怖く、職員室から“逃げ出した??”…んだか何だったか忘れたが、
ともかく途中、職員室から抜け出し、教室の方へ行ったことがあった…。
でも途中廊下で引き止められ??暴行を受けた。
それを園長(♀)が見ていて…園長が現れた。
しかし園長tもムーシャtとかの行為に賛同していて、怒っていた。
「だったら食べるの?」、「食べるの?」と問いつめてくる…。
食べれそうにない…でも職員室には戻りたくない…ので、なかなか答えなかったが…
次は何されるのか…とあまりに怖くてヤバそうになった時、つい泣き声で「食べる…」と言ってしまった。
それで先生達はとりあえず怒るのをやめた。
一安心…だが、職員室に連れ戻される…
今だけ…
職員室に戻ってくると給食再開…。
やはりだめ…
それで付いてきた園長tに「さっき食べるって言ったじゃない……!」とか言われてまたいつも通り痛い仕打ちに遭う…
結局はナナムラtが止めに来て終了。
ムーシャtや園長t達はまた怒ったまま…。
職員室にはもちろんムーシャtとか以外の先生もいたが…ほかの先生も皆この行為には賛同している感じだった…。
こちらの味方はナナムラtのみであった…。

(恐怖!職員室で給食<追い詰められ、言ってしまった「嘘」>)

                 

あと職員室にスズキtがいることもあり、スズキtとも一緒に食べることもあった。
スズキtは給食でも怖かった。
「今日はスズキtも一緒だよ」とか言われると泣きそうになっていた…。
スズキtがいる時はどうしても動揺を隠せなかった。
気持ちが表情に出てしまっていたようで、
「何、その嫌そうな顔?w」とか言われていた…。
スズキtが生徒は皆嫌なことなんかは先生達だって皆分かっていた。
だからムーシャtもスズキt自身もそんなショッキングではなかったはず。
ムーシャtとスズキtという2人の監修のもとで食べることになってしまっていた。
この場合は特に最悪だった…。
…

(恐怖!職員室で給食<最悪の時>)

                 

でもここでの給食も、ある程度食べきれると、さすがに終わりと見なしてくれる。
そしてなんと…
ご褒美として最後に特別に…お菓子をくれる。
透明なグラスに入れて、差し出してくれていた。
そのお菓子は必ず全部食べていた。
多少気持ち悪くとも空気読んで全部食べていた。
覚えているのが…
クレ○ン○ん○○んの…ピンク色のチョコレートでコーティングされた丸っこい塊?のお菓子。●●●
何か見かけたことなかったが、どこで売っていたのか…?
あと○の○の山とかもあった気が…。
関係ないですが、○○○○○○○○んは当時同学年。
で…あるお菓子を食べている時だった。
職員室にいた先生どうしが、ヒソヒソと話をしていた。
余裕で聞こえていたんだが。。
先生達はこんなことを言っていた。
「みんな最後のお菓子は全部食べていくんですよね…」
!!!
それを聞いて気が付いた。
職員室に1人連れられて給食を食べていた生徒が自分だけではなかったんだ…ということに…。
それってそういうことでしょう?
これには衝撃を受けた…。
でも少なくとも自分のいた時期はそれは自分だけであった…。
特別に職員室で食べたので、特別サービスというか罪滅ぼしのようなものだったのだろうか…?
それもあっただろうが、最もな目的は今後食べる意欲を湧かせる…という目的か?そういう秘策?
お菓子は職員室へ連れていかせる問題生徒のためにあえて用意していたものだったのか…?
明らかに1人のために用意したようなものだった…。
普通、そんなの持っていない…。
保育園ではないので、おやつとかあるはずもなかったし…。いいのか?
そう思うとまた「問題生徒は職員室に連れていく」…という方針であった…という確率がより高いものとなる…。
そんなのって…
当然、ほかの生徒に見られたらまずいので、棚の上に隠してあってそこから取り出していた。
自分の場合、実際のところ、別にそれで意欲は湧かなかった…。
やっと食べ終わって、解放された…はずのとこ、そこからまだおまけを続けられる?わけですから…。
あとあんなことを言っていたので…そのみんなのように全部食べないと先生達は気まずくなってしまうことだろうから、
そういう意味でもどうしても残すわけにいかなかった…。
密かにそんな心境だった…。
あの言葉が頭を過ぎっていた…。
職員室は職員の部屋。もちろん、基本自分以外の生徒は来なかったので…
1人の生徒に特別にご褒美なんかをあげれるチャンスでもあったと…。
自分はそのように特別だった…。
別に自慢げ…とかにはなれなかった。当然。そんなでしたし…
それに特別ではなく、普通の方がいい。
でもお菓子までたどり着いたことは数回程度しかなかった。
ほとんどの場合、いつまでも終わらずに、攻められ続け、ナナムラtが迎え…の流れでしたから…。
ちなみに…自分を職員室に連れていっていたこと、先生達は親には秘密にしていた模様。
全く知らない感じでしたから……。
何とかしてほしかったというのに…。酷かった。

(恐怖!職員室で給食<最後の特別サービス お菓子>)

                 

…
で…あるお弁当だった日のこと…。
どうも食べたく…ついに誰にも攻められずに自ら食べた。
そしてその後普通に食べ続けた。
教室だったので、「タッ○○が食べた!」と皆が一斉に声を上げた。
でも気にしなかった。
そんなだろうと思っていて覚悟の上だったし…
一口食べた時点でそれをすでに見られていた?ので…。もう後戻りはできない。
そして自分はまたもとの状態に戻った。
戻れた直後の“もういいんだ”っていうあの感覚。
“解放されたんだ”っていうあの感覚は思い出すだけで蘇ってくる…。
給食も普通に食べる気になったので、職員室に連れていかれることはなくなった。
職員室はとりあえず卒業です。それを意味する。
それから、今まで本当に怖かったはずのムーシャtが一転して、急激に優しくなった。急激に…
自分のことを見ると「ぉぉおお」といった感じで、いつも微笑むようになった。
「これを望んでたんだ…」と言わんばかりだった。
そう言葉では言ってはいなかったが…あれはまさにそんな表情…。

(職員室での給食、卒業)

                 

元に戻った直後、授業参観(参観日と言うのか?)があって、その時、親の前で「○ラ○○んの踊り」を披露した。
したのだがそれが…
やけに清々しかった。今までああいった状態であったためか…
練習は2回ほど?だったが、すんなり覚えられたし…。
そう何か清々しくて本番の親達の前でも優々と踊ることができた。w
本番も練習と同じく、用意した舞台の上とかでなく…教室の端で整列してやった…。
親も大満足といった感じだった。(2,3年後に蒸し返されるくらい)
ここだけの話、あれはタイミングが良かった。いいタイミングだった…。それが言いたかった。
振りはもう“タ○コ○ター”のところしか覚えていない…w
あれは今だったら恥ずかしすぎ。。
ほかのとこはどんなだったか…?

(清々しかった参観日の踊り)

                 

あと食べるようになったのち、給食の時、あのムーシャtがスッと自分のいる花組の教室にやって来たことがあった。
自分はすかさず振り向いたが、ムーシャtはまた自分を見て微笑んでいた。
「おおおお!」という声がこっちまで聞こえてきそうだった…。
それから特に何もしないで出て行ったので…単に自分の様子を見にきただけだったのかもしれない…。それが…目的?
でもムーシャtに見られていると意識してしまって食べにくいし、あえて食べている姿は見せなかった。
でもこの時、自分はムーシャtに何となく表情で合図を送ったのだが、それで満足したみたいだった。
…もうムーシャtを恐れることはなく、気楽になった…。
と思いきや…
でも…微妙だった。
なぜって…
…
「また怒られるようなことをしてしまうんじゃないか…」
「いつか絶対してしまう…」
「いままであんなに怒られていたんだから…」
「そうしたら………」
とそういった気持ちがあったからだ…。

(過剰に優くされるとむしろ緊迫)

                 

そしてまずかなりヒヤっとしたことがあった。
それは…
月組での集会?の時だった。
「みんな上履きを履き間違えてる…!」と、
ムーシャtが上履きが左右逆ではないかどうか端にいる生徒から順番に調査していきだした…!
上履きを左右逆に履いていた生徒はいちいち暴言を言われている…。
半数近くが逆に履いていて、半数近くが暴言を言われて(怒られて)いる…。
自分もまた、まだ上履きの左右が分からず、合っているのか不安があった…。
大丈夫に見えるのだが…
そして隣の生徒の審査が終わり、ついに自分の番がやってきてしまった。
…
ムーシャtは…
優しい声で…確かこう言った。
「いいね」
そう“合っている”ということを伝えたあと、
「さすが君…」
みたいなことを言い、誉められた………。
運良くこの日は間違っていなかった…。
間違っていなかったのだ…。
ここだけの話、単に運が良かっただけなのだが、ムーシャtとの関係がまた崩れることはなかった。
それどころか自分に対する好感度がいっそう増した。
…
でもやっぱり好感度が上がるほど怖くもあった…。
これで怒られたら痛いでしょう…。
やはりこの時のムーシャtは自分に対してだとほかの生徒と比較して接し方が異様に優しく、
誉め方が大胆で、もはや自分だけ“ひいき”していたかのように思える。今思うと…。
でもやはりムーシャtとのこの関係は長くは続かなかった。
こうなることはわかっていました。
そのうち…何だったかは忘れたが、また怒られて、それをきっかけにまた怖くなりました。それが普通…。
給食時の職員室連行復活…にまでなってしまい、気まずくなったり…
まあ運が良かったおかげであの関係を少しでも長持ちさせることができた…。
で元通りに…とそんなでした…。

(恐怖の上履きチェック)

                 

ちなみに…
自分は給食の時以外でも職員室に連れていかれたことがあった。

運動会の時だった。
…
しばらく自分の出番がなかった時、親のいるシートのところに行ってそこで観覧していた。
かなり暑くて喉が渇きに渇き、自分は外にある水道で水を飲もうとした。
あの水道で水を飲んだことはなかったのだが、この時は本当に喉が乾いてしょうがなかったので、
さすがにこうなったらと飲もうとしたわけです。あそこしかなかった。
で、その水道のところまで歩いていった。
そもそもその水道で水を出したことがなく、蛇口をひねるの自体初めてだったのだが…
まず蛇口をひねろうとしたら…蛇口がかたい…
力を入れてひねったら…
一気に出てきてしまった!
蛇口が上向きになっていて、上に空高く噴き上がって、目立ってしまい、水道の周りがびしょ濡れになってしまった。
別に濡れたのは水道と地面だけでしたが…
これはまずいと思った。
…この水道で水を出そうとして同じようになっていた生徒を何度も見たことがあったので、
もしかしたら…と一応注意はしていたのですが…。
注意が足りなかった。
まさに思い描いていた最悪のイメージ通り…。
未来のイメージがそのものとなった…そういう感じだった…。
で…本当にやばかった…。
不運にも、それを…ムーシャtに見られており、運動会中だというのにそこで抜け出され、強引に強制的に職員室に連れていかれた。!
わざとやったわけではないのだから悪くないはずなのになぜ…。
「わざとじゃない」と何度言ってもムーシャtには信じてもらえず、悪ふざけでやったんだと決めつけられていて…
しばらくの間、1人職員室でムーシャtに説教され続けた…。
給食の時と同じくらい怖かった。
そのまま引き連れられたので、あの時水は飲めなかった。なのでまだ喉が渇きに渇いていた…。
で「水飲みたい」とも何度も言ったのだが、飲ませてはもらえなかった…。
“嘘”だと思っていたからであろう…。
“信じない”とは酷い…。本当に酷いと思った。
これを思うと給食の時の「気持ち悪い」てのも信じてなくて罰として…てその可能性高いですね…。
救いを求めていたのだが、誰も来なくて長らく説教が続いてしまった…。
…
しかしほかの生徒だったら職員室まで強引に連れていったりはしないと思う。
現にほかの生徒が同じように水を一気に出してしまっていた時と怒り方が全然違った。職員室になど連れていっていなかった。
職員室に連れていかれている生徒なんて…自分以外に見たことがなかった。
自分だけ貶されていた。
完全にひいき的なものだった。
この運動会の時は親達も来ていて、近くにいたので、自分が職員室に連れていかれるところを見ていた…
と思うのだが、その後親はそれに関して何も口出しすることはなかった…。
運悪く見ていなかったのか…?
自分がいつも職員室に連れていかれていることを、親に知ってほしかった。
だからこの時はやっと知ってくれたか…と期待したのだが…
親はその後そんなだったと。
このチャンスが…。残念な限りだった。
そもそも職員室のことをこのころに親に言っていればよかったのだが、そういうようなことは言いにくく、言い出せなかった…。
職員室に連れていかれてる…ということは結局親は本当に知らなかったようだ。本当に親には秘密にするようにしていたということか?

(水道の過ち)

                 

ひいきを裏付ける出来事としてこんなこともあった。

ある日の帰り…
自分はバスの中でふと眠けを感じた…このようなことは初…もしや…
……………
気付くといつのまにかバスが天沼公園に到着していて…解除の先生に起こされた。
あの程度で本当に眠っていたようだ…
それで…
先生は自分に怒っていた。
バスの中で寝てはいけないなんてそんな話、聞いてなかったので…
「何で…?」て思った。
そうしたらその先生は自分を降ろす時に…
こういったようなことを言った。
「うちの元気がなくなっちゃうでしょう!」
???…
どういうことだと思う?
確かにそう言ったんです。
この言葉は忘れない…。
それって…
うちの園の元気が1人分なくなっちゃう…てそういういう意味ですよね?
そんなに元気が大事?
1人分の元気も欠けてはならない?
というかそもそも自分は起きていてもいつもあえて静かにしているようにしており、ほぼ物音立てなかったのですが。。
バス内のうるささ(元気)は自分が寝ていても起きていても特に変わりないはず…
とここまででも変な話ですが、これだけではありません。
…
その後別の日に、ほかの後ろの方にいた生徒が…同じようにバス内で眠ってしまっていたことがあって…
その生徒は「アララ眠っちゃったのねいいのよ」だとか言われて可愛がられていた…ww
笑い事じゃない。
あの時は本当にうらやましかった。泣きたいくらいだった…
なぜ、自分だと…。
完全にひいきです。
本当は“元気”とかそんなのそこまで大事だと思ってはいなかったのでしょう…
自分を嫌っていたから怒りたかった…というだけでしょう…。
自分は目を付けられている変な生徒だったのでしょう。
どうせ幼児なんて何も覚えていない。忘れる。とか思っていたからこそ、こんなことができたのでしょう。
そうだろうということを自分は当時からわかっていて、忘れないようにしていた。
そもそもこんな酷いこと忘れられない。ふざけてる。
当時はあの眠って自分とは真逆に可愛がられていた生徒は…
年少で、しかも女子だったからああだった。
のだと思って、そう思って自分を納得させていました。
自分は年中なので、年少は年下…。
本当に年少で女子だったかは定かではない。
よく見ていなかった…。
もし全然違ったとしたら…やばい。。
ともかく知らない生徒でした。
でもともかくうらやましいことに変わりはなかった。
自分、出席番号ラストなので、年少でもさほど変わらないというのに…
この時ですでに過去に戻りたくてどうしようもない気持ちだった…。
年少の人、うらやましい…。

(うちの元気がなくなっちゃう?!)

…
それらの話だけではありません。
この○○園でひいきを感じたことはまだあります。
…それはまたあとで話す。
自分が嫌われていた要因。それはやはり少々変わっていたからだろう。
そんなにも、変わってるというわけでもなかったのですが…。
何にせよ生徒をそんなに差別していいものなのだろうか…?
いいものだったのだろうか…?
のちに話すお○○○の件なんかも完全に差別…。

                 

あとハンカチを忘れると主にムーシャtに厳しく注意されていた。
あれは怖かった。。
ハンカチはズボンのポケット部分に必ずピンでくっつけておく…という“決まり”だったので…
忘れるとバレバレであった…。
でもそれで自分以外の誰かが怒られているところは見た記憶がない…。
それに関してはただ“記憶がない”というだけかもしれないが…
もし自分に限って過剰とかだったとしたら…
自分はそのハンカチも忘れる回数が多く(親に任せ、自らは何もしていなかった)、
ほとんど忘れていた時期なんかもあったので、それでターゲット化されてた…とかそういようなうことが考えられる。
そもそもそれだったのでしょうね…自分は全てにおいて“ターゲット化”されていた…。
“ひいき”や“差別”というのは、そう言い換えることもできると…。

(ハンカチ忘れ、ターゲット化)

                 

…
そして自分は5才となり、年長となった。
年中の時の話はこれで終わり…ではありません。
後に果てしなく話し続けます。本当に果てしないので……w流れ的にここで先に年長の時のことを話す。
で…
年長になってもクラスは変わらなかった…。
兄が今までそうだった年長になったわけだが…
クラスはいつもの見慣れた皆のままだったのには結構な違和感があった…。
自分含めてこの皆は年中…花組…というイメージが頭に焼き付いていたので、年長だというのには本当に結構な違和感があった…。
見た目も年中の時と特に何も変わったようには見えなくて…皆どうしても年長にしては幼く見えた。
この感覚、分かる?初進級…。そんなもの?
でも、教室は移った。
今まで兄のいた…兄と同じ月組であった。
でもです……
兄のクラスだった場所で兄と同じ月組で、いままでもよく来ていたし、慣れていたのだが…
それでクラスメイトも変わらなかったのだが…
教室が変わるというのは初めてだし、それには何か馴染めなかった。
月組は何というか“自分”…ていうイメージではなかった。
兄のイメージで、まさに自分が兄…のようなイメージに…。重みが…。
昼食の時なんか何か特にこの教室だと落ち着かなかった…。
最初は本当何かこう、ぇ゙ーという感じ…。
まあいきなり馴染めないのなんて当然だが。
そして…
そんなことより…
そんなことよりも年長になって何より圧倒的に痛かったこと…それは…
「クラスメイトは」変わらなかったわけですが……
もったいぶってしまい、すみませんw
担任が変わったことです。
年長から担任が変わってしまった。
兄は担任も継続だったと思ったんで“兄がズルい”て思った…。
新しい担任は今まで全然、知らなかったオーイ♀という先生であった。
漢字で「○井」とか全く浮かばず、「わーい!」という叫び声のイメージでしかなかった…。
それが名前とか信じがたかった。本気で。w
「○井」だったのかもしれないが…
今思っても「○井」では違和感ありすぎる…。その時そう思っていたので…
わ~い!先生でしょう。
母も「面白い名前」だとか言っていた。本気で言っていたのか…?
そう名前はまた“面白い”とネタにできたのだが…
とてもそんなどころではなかった。
ワーイtは…
また異様に厳しくて怖く、いつも恐れを感じた。
ナナムラt…との縁は切れた。
それがどういうことを意味するか分かります?
今までをちゃんと読んでいた人なら…分かるはず……

(あのころには戻れない)

                 

…
先ほど“あとで話す”と言いった差別の話ですが…

ある日、この日は教室でこいのぼり作りをさせられた。
こいのぼりの胴体となる紙に…それぞれ渡されたウロコになる扇形の色紙を貼っていく…
単に縦横並べて貼っていくのではなくて…
縦に1列ずつ貼っていき、横のウロコと位置をずらして?貼る…そう説明された…。
その説明の意味は分かったのだが…
どういうわけか、この時自分は1列に並べて貼ってしまったり、貼るウロコの数の間違いが酷くなってしまった…。
でも見栄え的にさほどおかしくはないと思ったので、自分的にはこれでもいいだろう。て思った…。
でもそれはあくまで自分的には…の話。
これはやばい…怖いぞ…て感じがしてハラハラしていた…。
しかし…周りを見てみたのだが…
隣のトーマkの作品もミスだらけだった…。
ミスの数は…こっそり数えたのだが、自分と同じくらいだった…。
先生に見られた時が…
怖いながら、多少怖さが和らいだ…。
そんな中、ワーイtが自分の作り途中のそれを見てしまった。
それを見たワーイtは…
間違えだらけ!修正できないのに!っと激怒した…!
そして怒って自分を軽々と持ち上げ、そのまま床に叩きつけるように突き落とされた!
怖い。痛い。
何度もそれをやられたのだが…
あれ、やられるかもと思うといても、たっても、いられない…それくらい怖かった。
トーマkのように、間違いの数が明らかに同じくらいの人もいたのに…なぜか自分にだけ激ギレし、そのようなことをされた。
これはおかしいと思った。いやどう考えたっておかしい。。。

(こいのぼり作りのおかしな恐怖)

                 

あと…ある日、「お○さんの顔」の絵というのを描かせられた…。
その時も、また自分はずっと顔の部分を肌色で塗っているだけで…(そのことに関して詳しくは後に話す)
その時点で手を止めてないことをアピールしているだけで…
なかなか目、口、鼻を描かないでいたら…
ワーイtに怒られ、またあの突き落としをやられた!
その後涙しながらなんとか顔のパーツ部分を描いた。
涙で画用紙が滲んでしまったりした…。
お○さんって…?どうすればそれらしく…?といった疑問もあった…。それもまたあれだった…。
だがそんな中、先生が「髭を描こうか…」とか言って、そうか!と思った…。そんなで歓喜…子供だった。
それで確か最終的に何となく髭を入れた。
しかし…ほかの生徒があんなこと、されているのは見たことがなかったのだが…
いくらなんでも自分だけあんな扱いされるとか、酷すぎ…
というかおかしい。

(ワーイtの恐怖)

                 

そんなふうにワーイtは怖かった。
ムーシャtやスズキtに引け目をとらないほどに…。
星の首飾りを作った時も(この話の詳細は後に)、暴行まではしてこなかったが、心で確実に怒っていた…。
普通に普段も全然生徒を敬うような気持ちがなく、荒っぽかった…。なんという先生…
ナナムラtがその、恋しかった。
ナナムラtに怒られたことはほぼなかったというのに…。
そのナナムラtは以前の花組の教室のクラスの担任のままだった。
ナナムラtと接することがなくなったことで、幼稚園に極楽の場が一切なくなった。
教室すらワーイtがいるために、あの緊迫感ですから。。
酷いことをされていると必ず救ってくれたあの先生の存在がない。
まさに年長になって「保険が切れた…」といった感じだった…。
廊下でナナムラtを見かけると、やはり何か安心感漂う暖かな感じがした…。
でも…それはこちらの一方的なものだった…!
ナナムラtは新しく担任になった見知らぬ別の生徒達を引き連れていて、もう自分には見向きもしてもらえなかった…。
「あんな冷たかったんだ」…とがっかりだった…。本当に。
………………
所詮こういうものだったのか…。
ああも親しかったのに…
いつもあのやつ、してくれていたのに…。(この詳細も後に)
もう関わってはもらえない…。
新しい教室も兄的な、自分らしからないイメージで馴染めなかったし…
帰りたい故郷のような場所はどうしても“ナナムラtの花組”だった…。
担任がナナムラtだったらもっとすぐに馴染めていたでしょうが…。
今思うとナナムラtは“年長の担任には向いていないから”替わったのかもしれない…。
ああいう甘やかせる先生は年中まででないとだめ。にされたとか…
1人あの幼稚園らしからない先生であった。
また、だいぶ前から自分とも仲の良かった兄と兄の友達達がいなくなってしまったのも物寂しいし痛かった…。
唯一気楽に話ができるのは兄だった…。
だが兄達はいない…
いままでは兄が幼稚園でのことを母に言ってくれていて、それで母は気がかりない感じだったが…
兄と共感とかってことがなくなり、自分で何かを伝える責任が…責任感がのしかかってきた…。
さらに年長なので、甘えていることが許されなくなり、増す増す厳しくされるようになってどうしようもなくなった。。
もう恥ずかしい姿は見せられない…。
でも自分の性格は変えられない…。
…
自分は本当に行くのがあれになり、いつしか休むようになった。
休みが長期化し、“もう休んでるのだから今日も別にいい”とさらにどんどん行くのが面倒で嫌になった。
そしてついにやめることとなった。
というかそんな中で母がほかにいいところを見つけたので、“そっちに…”的なこと言いだしたのだった。
結局皆にお別れもせずに別れることに。。
やめるつもりで休んでいたのではないのでしかたがない…。
こういうの、嫌らしいやめ方でしょう…。
誰からも連絡があったりはしなかった。自分の知る限りでは。
こうなってしまった1番の要因は「担任となったワーイtが怖かった」ということ。
ムーシャtやスズキtも怖かったが、ワーイtとは常に関わっていないといけなかったのでね…。
FB幼○園のころの自分はこれでも普通だった。
何もしなかったのは“一時的”なもの、基本的には普通。
1人職員室に連れて行かれるくらいですから、1番の問題生徒であったのでしょうが、“特別”まではいっていなかった。
“小さかったからそう思えた”というのも多少あったかもしれない。
小さいと普通でもできないこと、多いですから…。
やらなくてもできないと思われてわからなかったり…。
…年中の時はまだましだった。年少>年中>年長
人は歳をとるにつれ優遇されなくなり、大変になっていく…。

(最悪な状況。最後を迎える)

というわけでFB幼○園での話は以上…
とはいきません。
ここからが本当の始まりです。ページの位置からして分かるかと思いますが。。
では…ここでFB幼○園でのその他の思い出話をしていきます。
幼稚園を休みだしたのは年長の時の5月の途中だったと思った…。
つまり年長は僅か1か月強程度しか行っていない…
なので、以下の思い出はいずれも“年中の4才の時のもの”となります。
結局月組の教室、それに自分が月組、年長だということに馴染めなかったのだが…
それだけの期間しか行っていないのではね…
年中は丸1年、行きましたから、その差は大きくて、そういう意味でも当然と言えるか。
…
先生から最も嫌われて(というか差別されて)いた自分ですが、中には嬉しかった思い出、楽しかった思い出もあるにはあります。
誉められることもあった。
今までは嫌な思い出ばかりをピックアップしてきましたが…
ちょっと話を戻してそれらをピックアップ。
まずFB○稚○園での特に記憶に残っている…そんな思い出。
というか、もう重要なことは言い切ったので、あとは飛ばしても結構。

                 

中でも1番誉められたのは折り紙を繋ぎ合わせて作る飾り用の鎖作り。
これ、やらされたのはまだ最初のころだった気がします…。
細長めに切った折り紙の端と端をのりで貼り合わせて輪っか状にし、輪っかを繋げて付けていく…
ていうあのやつだが、あれを繋ぎ合わせられる生徒は、クラスに自分しかいなかった。
皆なぜかできないw
どうやって繋げて貼れば「鎖」になるのか園児には理解できない模様…。自分も園児だったのだが。
のりで繋ぎ合わせる役は自分となった。
それでナナムラtに誉められていた。誉めて当然でしょう…。
仕組みが分かる自分が、自分でも凄い感じした…。このころ。
最初のころに知れ渡った自分の特技。
その時、飾り作りは先生も一緒にやっていたが、のりで繋げるのは自分に託してきたので、先生はそばで簡単な切る作業に回っていた…。
ナナムラtはこのことを母に報告していて、後に母にも誉められた…。
飾りの紙の鎖作りで誉められた…そんな思い出。
というか…皆で作ったあの飾りって…
何に使ったのか?
何に使う気だったのか?
そういえばよく知らないながら作っていた気が。。

(驚かれた折り紙の鎖り作り)

                 

こんなことも。
入園して間もないころ、折り紙をさせられた。
桃を折ります。てなって…
桃の折り方を教わりながら、それを折った…。
簡単であった…。
あれは簡単すぎてつまらなかった。
ただ三角に折って2か所曲げて折るだけ…。
しかし、曲げる角度とかが不自然になっていたりしていて、上手く折れていない生徒も多かった…。
確かに簡単すぎて(シンプルすぎて)なかなかそれほど桃らしくはならない…。とは言っても…
自分で折った桃は…
自分なりには気に食わなかった…いや、下手で気に食わないというのではなく、この桃自体が気に食わなかった…。
とはいえ、上手く折れていることは折れていて、ナナムラtに誉められた。
その後、家でうちの折り紙でその桃を折ってみた。
母に見せた。その時にまた誉められた…。
「幼稚園で教わった。」的なこと言ったら、なおさら誉められた…。
でもこんなんで誉められるのも何か気まずい感じがした…。
このころ、祖母にカブト、船などの作り方を教わっていて、そんなものも作れたので、あんな簡単なもので誉められるのも何かあれ…。
でも桃はこの上ないほどに簡単で、幼児が初めて何かを折るには最適なものだったでしょう…。それ今思った。
だから最初はそれを折らせたのか。そういうことだったのか…?
でも自分は折り紙はすでに好きであり、初めてではなかったので、それはつまらなかったと…。
普通にその折り紙もクラス1上手いのは自分で自分だと思ったw
折り紙で誉められた…そんな思い出。


(今…また作った。桃に見える?)

(物足りなかった折り紙の桃)

                 

春の会の○○戯練習で、練習に参加させられた…。
ほかの皆は、何かいつの間にか練習を初めていて…自分は途中から練習に加わったような感じだった…。
スキップしながら輪のように回って、
1回転のところで個人個人指定された生徒と生徒の間に入り込む場面が皆間違えまくっていて、難しくてできない生徒ばかりだった…。
そこが関門だった…。
自分はトーマkとモモヤマkの間に入り込むよう指示された…。
で自分だけは初めからその場面がすんなりできて怒られることがなかった…。
それで「上手いです。」と誉められてお手本にされていたw
そうもなると異様なプレッシャーがかかる…。でも大丈夫であった。
自分はその後はトーマkと一緒に和の中から抜け出て彼と並んで踊るのだが、その後の踊りとかもすんなり覚えられて…
そもそも○遊○ってのでは全然怒られなかった。
というか怒られたことはなかった…。
見ていた時は絶対できないだろう…と思ったのだが、やってみるとできるものだ…と自分で自分に驚いていたw
最後のところまでやってみて、そこまで覚えた時は…何か気持ちいい気分だった。
○遊戯で誉められた…そんな思い出。

(自分で自分に驚いた春の会練習)

                 

春の会は年間行事最大のイベントで、本番は市民文化ホールの舞台でやった。
船橋市街を通って市民ホールに行った。
皆と観覧している時間が果てしないほど長く感じていた…。
でも自分達の番は来る。もちろんその練習でやっていたのをやる。
自分達の番が迫ってくると、舞台裏の部屋に行った…。
その部屋にはもう皆いて、皆“バンダナ”をしていた…
そんなのをするなんて聞いていなかったのだが…。
誰かの保護者みたいな人が何人か手伝いに来ていて、その誰かに自分もバンダナさせられた…
でもあのバンダナの付け方がちょっと気に入った…w
「バンダナ」と言っていますが、あれをバンダナということをあの時はまだ知らなかった…。でも今思うとあれはバンダナだ…w
で…
肝心な本番中のことは…なぜかあまり記憶にないwのだが、別に緊迫せずにやっていた気がする。
単に練習通りやり…それで練習通りすんなりできた的な感じ…。
関門のところもこの時までにはもちろん皆できるようになっていた…。
というかあれ…何がテーマのものだったのか?
バンダナ…ということは海賊か何かか??
何なのか…とかそういうことはあまり知らされずに、ともかく教えられた通りの動きをやっていた…という感じだった…。
でですが、その○○戯より先に1度舞台に出ていて、何か演奏もやった気がする。
というかやった。
確かに記憶にある。
幼稚園で市民文化ホールに行ったのは1度だけだったと思うので…同じ時のはずだ。
舞台の自分のところまで歩いていって…木琴でチュー○ッ○か何かを演奏した。
この最初に舞台に出た時は想像を絶するほどの観覧者の多さに驚いた。
観覧側と舞台側とでこんなにも違う…と関心もした。
なのに、たいして緊迫したりはしなかった。
確か、1番後ろだったし…。
「後ろでいいだろ」…と心で思った…。
それから「こんなに大人数でやるのだから、多少ミスしたってバレないからいいや」とも心で思った…。本当。
でも木琴での演奏は結局ノーミス。
しっかりとスムーズに演奏できるようになっていましたし…。
別にミスしてもいい。という気持ちだったのだが。
でもそう思っていたことで…その悪意があったからこそ、
よりリラックスできていたのかもしれない…。普通に緊迫とか、していなかったわけだが。
普通の感じで演奏できた。ともかく、この時はどことなく何か雨上がりのような“さわやか”な気持ちだった。
どうしてだったのか?
とそれを考えみたのだが…
気に入っている服装だったから?だったのかも。
そういえばこの時は、通園や帰宅の時にいつも着用しているメイド風エプロンを着ていた気がする…。
それがどうして好きだったかの理由については、のちの話にて…。
また少し、謎が溶けた…w
舞台から眺めたあの景気を見たあの時が…なぜか凄く最近のように感じる…。
なのに4才の時であったとは…。不思議。
○遊○より、演奏の方が記憶に残っているのがまた不思議…。
思ってみるとこれは大きな経験だが、当時は数あるイベントの1つにすぎない…みたいな感覚で、軽視していた。
…自分が春の会に参加したのはこの1度だけ。
年長の時はもういなかったので…。
年長では自分のクラスであったクラス(旧花組の月組)は一体何をやったのか?非常に気になる…。今更ですが、そういえば…w
大きな経験をした…いや、していた…と。これも思い出。
そういえば…夏の会、秋の会、冬の会もあるのかと思っていた。
イベントばかりだったので、そんなのあったような…あるだろう!て信じていた。
“春の会”があるのだから。
…でもそんなのなかった模様。
今思うと夏の会、秋の会、冬の会の存在、そんなふうに信じていたとか…信じられないw
ある意味知能があれだった…。

(いつも通りの大舞台)

                 

幼稚園では絵を描かされることがよくあった。
絵を描くこと自体は好きであったわけだが…
人を描かされることばかりだった。
自分は顔だけは描けなかった。
描けない理由は、リアルに描いてはあれだし、どう略して描いたらいいか微妙ってのと、恥ずかしいってのがあった。
“人の顔”を描くのはあれで、家でも描いたことはなかった。
必ず人を描かせるんです…。嫌らしいことに。
そんなで描けないので…
その時間が終わっても、その後1人居残りで描かされたりした。
でも結局は描いていた。
思いきって顔を描いてしまえるタイミングがあった。
もちろん棒線で描いていた。
それでいい。と親からアドバイスされていたし…。
人の顔をリアルに描く園児なんていないですから、皆が描いているようなのを参考にし、適当にデフォルメして描かないとだめ…。
描けるともちろんナナムラtに誉められていた。
中でも1番誉められたのは…“遠足の絵”とやらを描いた時だった。
それも居残りで描かされていたのだが…
その絵では“人”を数え切れないほど描いた。
人をたくさん…とアドバイスされていたので…
1人描いてしまうと…“描いてしまったからもういいや!”てなって吹っ切れてwどんどん描けた。
とにかく描けばいいのなら…ととにかくたくさん描いた。懐かしい。
この絵は自分らしからなくてかなり誉められた。
人をたくさん描けて、賑やかだと誉められた…そんな思い出。
でも自分的にはやっぱり、こんなのは気に食わないものだった。
幼児の絵的に見たものとして、良いからナナムラtは誉めたのでしょう。
別に上手くもなかったし、“人をただたくさん描いた絵”なんてつまらない絵…だと思っていた。

(気に食わないが、楽な気持ちになった遠足の絵)

                 

あとクリスマス会?で使う動物の顔を描かされた時も、「大きく描いた」…と一際誉められた。
やはり動物でも顔は描けず、居残りさせられて描いた。
描き出すまでに相当な時間がかかったので、その分誉められた。その、頑張ったと…
その動物(自分のはクマ)の顔の絵はゴムを付け、お面…というか被り物にしてもらったw
それでその日に一旦持ち帰って母にも誉められた。
顔を大きく描けて…それで誉められた…そんな思い出。
でも本当はそんなのではなく、風景の絵なんかを描きたかった。
やっとそれを言いましたが、家ではそんなのとか、ゲームのステージとかキャラやアイテムの絵などを描いていましたから…。
「顔でなければ描ける」「絵を描くのは基本的に並々ならぬほど好き」ということを先生は分かっていなかった…。
そんなこと言えもしなかった…。

(勇気で描いたクマの顔)

                 

↑の話の続きだが、そのクマの被り物は、そのクリスマス会…
だったか?何か?のイベントの自分のクラスの出し物で使用するために描いたもの。
親達も大勢集まっていた本番ではその自分の描いたやつの被り物を被り、月組のステージで何かした。
ちゃんと皆と同じように自分で描いたものだったので、気持ちよくやれた…。
で、何をやったかが…思い出せない。
何度も舞台に上がって練習したのだが。。
自分の並ぶ場所を覚え、その場所に付いて…
それからが…思い出せない。
あと退場のしかたも覚えているが…なぜか肝心なところが。。
やっぱり、自分は意外とそういうのは間違えたりはしなかった。
自分でも意外なほど自分は覚えが良かったw(春の会練習の時の話でも言いましたが)
親達が大勢…といってもそれはイベントの時はいつもなので、たいした緊迫感とかそんなのはない。
ともかく、先生や親が誉めてくれた絵の被り物をその先生や親達の前で被って出し物をやれて…
非常に良い気分で満足であった…そんな思い出。
毎度ながら“自分上手い”と実感したし。


(まだある。気に入らないながら、机の中に長年保管してきた…。確かに大きい)

(何かの出し物)

                 

あとこの時と同じ時…だったか…?
兄のクラスの出し物も覚えている。
白い画用紙に皆お気に入りの動物の絵を描いてきていて、交代で絵を見せて動物に対することを軽く説明していく。
というのだったか…?そんな。
動物園に行った時に描いていたのか?
待ちに待った兄の番。兄はペンギンが1番の好みだったようでwペンギンの絵を描いていた。いつのまにか。
で、説明は…こうだった。はっきりと覚えている。
「ペンギンさん○氷○○に○○○た。冷○○○○の○な○?」
動物園のはハリボテの氷なので、冷たくはないはずw
ちょっとしたネタ…と。これも思い出。

(兄はペンギンが好きだった)

                 

あとです…この時黒板に書いてあった英語の文字がかっこよくて、それを自分で書いてみたくて、覚えようとしていた。
自分の知っているアルファベットとは何か微妙に違う感じの英語の文字でした…。
大文字と小文字以外にもまだ何かあったのか?!と思って興味深かった…。
全部覚えようとしていたのだが、帰ったらmの部分、tの部分、iの部分だけしか覚えていなかった…。。
でも家でそれだけを組み合わせて、あの書体で英語を書いてみた。
それを母に見せた。
母はそれは「ヒッキタイ」だ。ということを教えてくれた。
筆記体に興味を持った…が、それ、その後全然見かけることがなくて、書きたくてもいつまでもmとtとiしか分からなかった…。
そして小学校で…
とこの話に関しては…ほかで。
しかし母は一応色々なことを知っていて凄いと思っていた。
今じゃ逆に“知らなすぎて凄い”と思えるのに…
当時はネットがなかったので、何かを知ろうとしても、知れる手段が何もなかった…。
クリスマス会で筆記体の文字を見て気に入り…
筆記体を書いてみたかった…と。そんな時があった。これも思い出。
しかし…自分のクラスの出し物、兄のクラスの出し物、黒板の筆記体のことは…
それぞれ同じクリスマス会の時だったかどうかが鮮明ではない……。
おそらく、同じ時だとは思いますが…。
黒板の筆記体の件ですが…黒板には Merry Christmas と書いてあったのかもしれません…。
m、i、tが入っているし…。
だから…まずそれはクリスマス会の時で合っているでしょう。
○ン○○ロ○スがムーシャtだということは分からなかった。
でももちろん本物だとなんて思うはずもない。
知らない別の人かと思っていた。
以上クリスマス会?の思い出シリーズ。

(カッコいい英語のような文字)

                 

給食はほぼ残していた…が、“お弁当”はだいたい食べていた…。
とはいっても毎度必ず多少残していた…。
というかあえて残すようにしていた。家と同じように…
だが、1度全部食べれた(いや、食べてしまったw)ことがあった。
その時の中身は…それぞれジ○ム、バ○ー、た○ご等がスライスされた手作りの○ン○○ッ○。
それをうっかりと、全部食べてしまった。。。
まあその、(自分らしからず)本当単純。好みであったから。
それでその時は先生や特に親から、かなり誉められた。
もちろん好評だったので、そのうちまた同じサ○○○イ○○のを作ってお弁当に入れてきた。
その時もまた全部食した。
その後も○ンド○○○の時は空気を読み、全部食べていた。
もう多少気持ちが悪くなろうとも、○○ド○○○の時は全部食べざるをえなくなってしまった。困ったものだった…。
残さないといけなかったり完食しないといけなかったり…演じるの、大変だった。
高校生くらいの時、一時期なぜか自分に対して父が“サ○○○ッ○が好き”とかよく言っていたことがあったのだが…
それ…て、もしかするとこの時の出来事から来ていたんだったり…する?しない?
自分が好きだったのはあくまで、ああいった手作りのものだ…。
○ン○○○○が○○○○て全部食べてしまい、誉められた…そんな思い出。
その後密かに困ったと。

(○○○イ○チ、完食してしまった…)

                 

あとお弁当を片付ける時の流れは…
フタを締め…
ゴムで止め…
お弁当箱の上にハシ入れとスプーン・フォーク入れを乗せ…
風呂敷で包み…
二重に縛る…
という感じだった…のだが…
「縛るのが上手い」とよく誉められてもいた…。
「教えたようにちゃんとできてる」と…。
もとは母に教えてもらったので…
母を中心に誉められていた…。
なぜか縛れない人もいるんです…。
兄なんかとにかく下手だった…。
これを書きながら思い返していたら何か…またその縛るのをやってみたくなってきた…。
そういえばこの頃以来1度もやっていない…。
自慢できる特技?だったのに…もったいない。
まあ自分としては簡単すぎてこれが特技だなんて思いませんでしたが…。
“お弁当箱を結ぶのが上手い”と誉められていた…そんな思い出。


(そしてこれを機に…。この風呂敷は当時ものではない。中身は当時のもの…だが見えない)

(簡単にできていた…お弁当箱縛り)

                 

夏にはプールがあったのだが…
プールでは色々なことをさせられた。
ほぼ何もできなかったが…
1つだけ、できるものがあった。
それは“ワニさん歩き”とか言われる技だった…。
プールの床に両手をついて足を浮かせ、手だけで体を支えてそのまま歩く…という技だが、
ああも簡単だというのになぜか皆上手くできていなかった…。
園児、よく分からない…。
自分はそれだけはクラスで1番上手かった…。
見ていた先生は皆誉めてくれていた…。
その技ワニさん歩きはもはや自分のネタ化されていました。
誉められることがそれ以外にあまりないので…。
そのことは母にも伝えられ、そのうちお浴槽で「やってみて」と言われた…。
それでプールの時みたくやってみた…。
浴槽ではちょっと狭かったが、なんとか形になって、そこでまた「上手」とか言われw母にもまた誉められた…。
母も理解…。
いつも、こういう展開になって2度誉められる…w
プールで誉められた…そんな思い出。
これは顔に水が浸かる心配がほとんどないのでできた。
でものちにこの技で痛い思いをすることとなります。。
プールの時の話はこれだけではなくて…まだまだ↓で書いていきます。

(自分のネタ、ワニさん歩き)

あとは…ムーシャtの上履きチェックのあの話…と。
誉められたことも一応これだけあった…。
思い返してみると、わりと結構あったもの…w
誉められるのは嬉しい…当然ながら。
でも誉めてくれたのはほとんどナナムラt…。
でもやっぱり、怖かった点が…あまりに大きかった…。
…
誉められたこともあれば…もちろん楽しかったことだって、たくさんあるにはありました…。
ここからはそんな楽しかった…良かった…そんな思い出を中心に話していく。

                 

まず1番楽しかった話はこれ…
自分は皆がごちゃごちゃいる中に飛び込んで遊ぶのが嫌いで、休み時間はいつも外には出ずに、教室で過ごしていた…
のだが、皆出ているのでたまには…と1度誰にも誘われたりせずに自ら出てみたことがあった。
一瞬1人で何をしようか…と思ったが、まず
どこかにひっそりとした秘密の場所(研究所)はないか…と園内を散策してみた…。
そしてそのうち…
絶好の秘密の場所を発見した!
FB幼稚園にはシンボルのような巨大な船の遊具?があったのだが…その裏側。
巨大なのの裏側です。
園外の住宅群と船との細い合間。
そこが人気がなく、静かで、日当たりもよくて…気に入ってしまった。
見事に研究所を発見できた!(当時秘密基地を研究所と言っていた)
静かなのだけが良かったのではない。
そこには船から縦に垂れ下がっているタイヤがあって…
地面の砂をすくってそこに砂を入れ…
それからそのタイヤを左右に振ると…
タイヤから滝のように美しく砂が流れ落ち、凄かった。
それをやるのが好きになった。
タイヤに細かい穴が空いていたため、そんなふうに砂が漏れて出てきていたのでしょう…。
本当にキレイで凄かったので、ほかの誰かにも見せてあげたかった…。
で、見せてあげようと、珍しくそこのあたりに誰かが来た時にやって見せたりした…のだが、
皆見ていなかったのか?何とも思わなかったのか?誰も反応なし…。
…そこは残念。思い通りの展開にはなってくれなった。
まあともかく、そこに行きたくて、あれ以来皆と同じように自分も休み時間に毎日外に出るようになった!
あそこに行くたびに1人でタイヤで遊んでいた。
誰もタイヤのを見てくれないので1人だった…。
そこに行く時、自分はあえて船の“中”を通っていくようにしていた。
船の中は空洞になっていて、そこがまた遊び場になっていたんです。
船の中に入るには丸いフープのトンネルを抜けます。
出る時もそのトンネルを抜けます。
別に回っていけば中を通らなくても行けたのだが、
中を通っていくと秘密の場所っぽい感じが増し、雰囲気が湧くので…wそこを通っていっていたと。
でも船の中には知らない生徒達がいて、彼らと遭遇してしまうことがあったのが、少し嫌だった…。
で船には上ることもできました。
でも自分は怖くて上れなかった…。その、高いので。
1度上らされたことがあったが、高くてあれな上に、生徒達が群がっていて騒がしく、しかも突き落とされそうで怖くて半泣き。
船の上は別にたいした高さではなかったと思うが、自分自信が小さかったので、その分高い感じがしたのだと思う。
船自体も本当に巨大だった。
本当にあれほど巨大だったのだろうか…?
で…外に行くとそれだけではなくてモモヤマkや兄などとたびたび遭遇し、共に楽しく過ごせたりも良くした。
あれをきっかけに自分は外で遊ぶ楽しさを覚えた。
自分、凄い進歩だ…と思った。
誰からも何も言われなかったが、これに関しては自分で自分を誉めたかった。
誉めるべきでないことで誉められ、誉めるべきことでは誉められない…。何とももどかしい。
秘密基地に行くのが楽しみだった…
外で遊ぶのが楽しかった…
そんな思い出。
あの秘密の場所にまた、行きたい…。
行きたい。

(園内の秘密基地)

                 

あとです…
気に入った場所をほかにも発見した…。
船が圧倒的に豪華なものだったが、船以外にも園庭には色々な楽しそうな遊具があった。
その遊具の中に、中が空洞になっていて入れる大きなキノコの遊具
(まさにマリオブラザーズ3のキノコハウスみたいもの)があったのだが…その中です。
単にその中…というのではありません。
もちろんみんなの遊び場ですから、自分のほかにも入ってくる園児がいます…。
何というか、そのキノコの中は…
キノコの傘(頭の帽子のような部分)もくっきり空洞になっていたのだが…
その傘の部分に上がれたんです。
分かりますか?
キノコって外側から見ると上の部分が帽子になっていて下より突き出しているでしょう?
なので空洞になっているその中は…
想像つきましたか?
上の方が広がっているわけ…。
上が下より広くなっていて…
傘の下の面?の上は平たくなっていて…
そこに乗れた…と。
でそこに乗れる…ということに気付いている園児は(たぶん)自分しかいなくて…
誰も知らなくて、“秘密の場所”といった感じで、気に入った…と…。
そこに座ったり、寝転がったりしていた…。
天井がドーム型で…2階…というか秘密の天井裏にいるような気分だった…。
でもそこはやはり誰かキノコの中に入ってくると、
上を見られて自分がそこにいることにたいてい気付かれてしまい、少々落ち着かなかった…。
それとは別に、“そこの存在を自分が発見した”ということを自慢するために、
そこにいるのを誰かに見てほしくて、誰か入ってきてほしい…といった逆の気持ちも併せ持っていた…。
で、誰か入ってきて見られても、必ず無視されてた…。
皆“何だこいつ?”みたいな感じだった…。
船の裏側のタイヤのところといい…
そんなもんだった…。
1度、よく知っている友… このことに関しては次の話で。
まあ船の裏と比較してみると…ここはつまらなくて、開放感がなくて、落ち着かない…という、微妙な秘密基地であった…。
キノコの中にも自分しか知らない秘密基地があった…
改めてここを発見できて嬉しかった…
でも凄い基地だと思ってくれた人は誰もいない感じだった…
そこはまた残念だった…そんな思い出。

(園内の秘密基地2)

                 

自分は家でアルファベットA~Zまでを大文字も小文字も全て覚え、ABCの歌も楽々歌えるようになって英語にハマっていたのだが…
そんなある時、兄の友達組の1人のアナcも英語がわかる。という噂を耳にした。!
それである日の休み時間。
自分は↑の話で紹介した「キノコ」の中で過ごしていたのだが、ふと外を見ると…アナcを発見!
すかさず自分はABCの歌を大きな声で歌った。エービーシー…
大きな声で…アナcに聞こえるように…
アナcは反応して自分のもとにやってきた。思った通り!
やっぱり英語、わかるようだ。
これは作戦だった。
作戦は理想通り成功した。
わかるから反応してこっちに来る。とそう見越したわけ。
自分は普通に呼びかけるのは恥ずかしくてできなかったので、ABCの歌であえて呼びよせた。と。
向こうも、こっちが“英語わかる”ということを噂に聞いていて、すでに知っていたようだった…。
そしてアナcをキノコの中へ招き入れた。
そして2階?の秘密基地に先導した。
アナcは心置きなく上がってくれた…。
それはよかったが…“そこに行ける”ということに関して一切触れてくれなかった…。やはりそんなもんということか…。
それはそうと心の中で密かに残念がり、それでそこで早速…
ABCの歌をちゃんと歌ってみせた。
「エービーシーディーイーエフジー エイチアイジェーケーエルエムエヌ オーピーキューアールエスティーブイダブルエックスワイズィ!」
自分はUを飛ばして覚えていたのだが…つい癖でまた↑のようにUを飛ばして歌ってしまった…。
でもこの時点では間違って覚えていたことにはもう気づいていたので、“まずい”と思った。
でも1つ飛ばしたくらいだから…バレなかっただろう。て思った。
が、アナcはそれに気付いていたようで、その後こう聞いてきた。
「?…もう1回歌ってみて?」
間違いには気付いていたので、今度は意識してUも入れて歌った。
Uを入れて歌うとまだ違和感があったながら…
「エービーシーディーイーエフジー エイチアイジェーケーエルエムエヌ オーピーキューアールエスティーユーブイダブルエックスワイズィ!」
“ユー”のところをちょっと強調気味に歌った。
…
アナcはこう言った。
「あ…いいのか…」
さっきのミスはアナcの“聞き間違い”ということにできた。
自らも聞き間違いと思ってくれた。
その後…2人で何度もABCの歌を歌った。
アナcも同じように歌えていた…。
さすがだ。
そのうち休み時間もうすぐ終了の合図が鳴り、急いで教室に帰った。…
もう少し歌いたかった。
呼んだの遅かった。失敗。て感じがした…。
ともかく何か自分の知識をほかの誰かにぶちまけることができて嬉しかった。
あと一緒に歌えて楽しかった。そんな思い出。
作戦が見事成功した時は“自分凄い”と思った。
ちなみにアナcはよく家にも遊びに来ていたのだが、うちで一緒にお風呂に入ったことがあったりした。
とその話はほかで。

(ABCの歌作戦)

                 

英語がわかる…と言うと“英語が話せる”とか勘違いされることが多々あったw
園児なんてそんなものか?
英語が話せるわけはない。アルファベットがわかるだけだ。
それでもそのことを言うと誰もが「凄い!」と称賛してきていた。
小文字もわかると言うと撃沈!
覚えようとすれば簡単なのに…とそういった感じだった…。
ちなみに自分は英語はアルファベット一覧が載ってる張り紙が部屋の壁に張ってあって、それを見ていたら覚えた。
英語……
カクカクした文字でカタカナで…そこがカッコよくて…興味をそそられた…。
小文字はアルファベットを小さく丸っこくしたアレンジ版。何かたまらない。
家にアルファベットの一覧が書かれた貼り紙があった…
英語の文字はカッコよくて興味をそそられた…
自然と全部覚えていた…と。これも思い出。
あとその同じ張り紙には太陽系惑星の一覧もあって、それも覚えていた。
スイキンチカモクドテンカイメーというやつ。
それでプラネタリウムが好きになったと…。
やっぱり土星が好きで、よく絵に描いていたもの…。
天王星、海王星、瞑王星も色合いが好きだった…。

(アルファベットや太陽系惑星を覚えていた)

                 

あと別の部屋に日本地図と世界地図の張り紙も張ってあって、それを見て都道府県の名前とか、国の名前もだいたいは覚えていた。
日本地図のは…
千葉→茨城→栃木→福島→宮城→山形→秋田
と秋田に行くまでに通る県も順番に覚えていた…。(今思うと??その県全部通る?)
それらが張ってあったのは子供部屋で、隣の部屋にもだいぶ前から張ってあった別の日本地図があったのだが…
その地図の方は大人向けの?で、細かく載っていて好きな感じだった…。
でも今思うとまだやはりあっちの子供向けのの方が当時の自分が見るのには向いていた…とそう思う…。
でもその大人向けの地図の方もそっちはそっちで気に食わないところがあった…。
その気に食わないところとは…
北海道が実際とは別のところに載っていたとこ…。
地図をコンパクトにするための工夫でしょうが…
日本が変な形になっているみたいで気に食わなかった…と。
子供向けのはシンプルで気に食わない…。
世界地図のは、各国の名前の下に何人か人が描いてあって…
その、人の数しか人が住んでいない。とか思っていた…w
1番多いのは中国だったが、それでも10人程度だった…
10人しか人が住んでいないとか思っていた…w
兄もそういうことで納得していたから、ちょっと信じてしまっていたのだが…やっぱり“そんなはずない”とも思っていた…。
日本も数人でしたが、知り合いの人だけで、その数越えてるし。。
そのうち“絶対違う…間違ってる…w”て思った…。
あれは人1人で人口1万人分とかだったのでしょう?
おそらく、今思うと…。
家に日本や世界地図の貼り紙があった…
そのあれこれの記憶。これらも思い出。

(地理の知識も多少あった)

                 

英語ですが…
「Z」は「ズィー」と言っていた。
母がそう言ったので…。
兄に突っ込まれていました…。
ズィーなのかと思いきや…それは“発音”のようで…
「ゼット」なんだとか…。
確認してみたところ、ゼットと書いてあった…。
でも特に歌だとゼットでは違和感あって…
ズィーと言いたかった…
でもそれだとZだけ発音で、それだけ特別に…
となってしまうので…
“やっぱりこれからは「ゼット」と言うべきだ”と思った…。
で、そのうちなんとかZをゼット!と言って、それに慣れるようにした…。と。
でも「ズィーでも間違いじゃない」とよく言われ、それを指摘されるようなこともほとんどなかった。突っ込んできたのは兄だけ…
Zは「ズィー」と読むのかと思っていた…
そう覚えたのでゼットという読みは変な感じだった…
しかしそのうち兄の言う通りズィーもおかしい気がしてきた…と。何か痛い思い出。

(ズィー=ゼット)

                 

あと気になっていたのは小文字のGの書き方とか…。
「g」ですよね…
覚えたのと別な「g」を見ることがあって…
何?って感じだったが、gのようだ…。
変な、gだった。
そのgは「◯◯チg」と呼んでいた…。○○○みたいな形だからだ…。
そのgも書いてみたりしていた…。書く場合これはあれ…てことは分かっていた…。書く時のフォント?ではない…。
色々な書き方があると…。
大文字の方の「G」も3種類ほどの形があって…
どれが正しいか迷ってしまっていた…。
どれでもいいということで…自分は結局はCにTと書くやつでいくことにした。
最初覚えたのはGはCに┓と書く形で、それではなかったのですが…
それよりかCにTと書く形の方が正しい。となんとなく解釈し、それにした。
わかりました?
ちなみに兄の書くGは1番シンプルな形だった。
変な形のgを見かけることがあった…変だと思っていた…
Gの書き方が色々あってどう書くべきか?(自分の書き方をどの形にするか?)少々悩んだ…と。これも思い出。
きりがないのでこの関連の話はここまで。
興味を示していると、親がそういうのの貼り紙を次々と壁に張ってくれていた…。

(Gの書き方)

                 

あと漢字も何か忘れたが、何かを見て十いくつか知っていた。その漢字は
「山」「川」「本」「木」「月」「花」「室」…など。
「室」…を覚えた経緯は面白いです。
帰り際、下駄箱で4コースのバス待ち中の時だった…。
外に見えた年少の教室のある棟の教室の看板に…
「○○室」…と書いてあった…。
何室だったか?
とにかく「室」のところだけ漢字で書かれていたんです。
“あ、漢字だ!”という感じ。
何だろう?ちょっと難しい漢字…。読めない。
“この漢字を書いてみたい”とそう思った。
それで…書き方を頭で覚えておいた。
忘れないようにした。
…
帰ったら家で、さっそくその漢字を書いてみた。
それを母に見せてみた…。
覚え間違いはない…という自信満々だったが、やっぱりなぜだかどことなく“こんな漢字は本当にあるのか…?”と不安な感じがあった…。
母は…こういったようなことを言った。
「“しつ”だよ。」「“しつ”覚えたんだ。」
それは「しつ」と読む漢字である。ということを教えてくれた。
この時点で不安は吹き飛んだ。
室を覚えたことで誉めてもらえた。
「室」にはそんな裏話が…。
最初聞いた時は「しつ?」と疑問な感じだったが…
そのうち「しつ」か!と納得した。
教室とかは、「きょうしつ」ではなくて、「きょうひつ」と言っていたので、一瞬疑問だった…。
でも正しくは「しつ」と言うということも以前教えてもらっていて、なんとなく分かっていた…と。
読めなかった漢字が、読めるようになり、勉強になった。
こういうのが目的で、あえて室だけ漢字にしていたのだろうか…?
漢字にしていて正解だった模様…。
園児は読めないですが、自分のように読めるようになるかもしれない。
難しい漢字を覚えられて嬉しかった…
さらに誉められて嬉しかった…そんな思い出。
で、兄とどっちが知ってる漢字が多いかで勝負すると、必ず自分が勝っていた。
兄がわかる漢字は山や本くらいだった。
でもしかし、兄が小学生になると負けるようになった。
…いずれも覚えようとして覚えたのでなく、自然と覚えた感じ。漢字等も。
4才としては色々と知っている方だった。
幼稚園までは…勉強知識は皆よりも上だった…。
かけ算も、2の段だけだが、祖母に教えてもらい、知っていた。
祖母は2×1を飛ばして教えていたので、学校で覚える時になって2×1の存在を知った時は非常に違和感があった…。

(「室」を覚えた)

勉強知識系統の話が長くなっていた…。
その話はここまで。

                 

園へはバスで行っていた。
近所の公園(天沼公園)前に園のバスが来ていた。
バスを待っている時、いつも目の前の道路は目の前の情報ビジネス専門学校へ通学する学生達で溢れていた。
若者達がやけに多い…と思って見ていた。
見ていた。
またつい最近のことのような錯覚が。。


(↑この時は朝ではないので学生はいない。でも何かND幼稚園のバスが来ていた。FB-ND幼稚園のバスも記憶上これと全く同じような外観のバスだった。)

親ももちろんそこまでは一緒に来るが、親達はいつも親達で話をしていた。
わざわざ自分ら連れていくのは大変かもしれない。でもそれはそれでいい交流の場面になっていたのだと思える…。
そういうものか。
朝、公園でバスを待っていた…若者が大勢歩いていて不思議だった…そんな記憶。これも思い出。


(↑バスを待っていた場所。ここでバス待ち中の園児とその親達がたむろしていた。
 歩道沿いの石垣?の上に大人は座ったりしていたが、自分はそもそも高くて上るのが大変だった。今思うと信じられない…)

(若者が大勢歩いていた)

                 

そこでバスを待っていた時の記憶は…なぜか冬ばかり…
寒くて体や口元などが震え、“何で震える”と疑問に思い、また自分だけではないのか?と不安になり、母に聞いたら、
“誰でもそう”ということを教えてくれ、「寒いと震える」ということを知ったり…
公園の地面の中に柱状の氷が埋まっていて、母がそれが「シモバシラ」ということを教えてくれ、霜柱の存在を知ったり…
公園のバス停に行く前、まだ時間があったから?だか何だか隣の病院のあたりでたむろしていて、
病院の家?の駐車場の屋根にトゲのような氷が連なってできていることに気がつき、
母がそれが「ツララ」と言うことを教えてくれ、つららの存在を知ったり…
そう、思ってみると…思ってみると、あのころはまだ知らないことだらけだった…。
霜柱やつららなんかを見ると必ず兄などと触ったりして遊んでいた…。
初めて見るものでしたから、奇妙で、不思議で、衝撃的で…面白かった。
行きのバス待ち時、霜柱、氷柱などを始めて見た…寒いと震えることを知った…
ありえないような自然現象…
衝撃的だった…凄かった…面白かった…安心だった…そんな記憶。これらも思い出。
(奇妙で、不思議で、衝撃的で、面白い…自然現象)                   あと冬とは関係ないバス待ち中の時の話。 ある日のこと、天沼公園のちょうどいつもバスを待っているあたりに… 金属の長いイスのようなものが設置されていた…。 いつの間に…? いつもの場所にいままでなかった見慣れないものがあるなんて…新鮮であった…。 これは何なのか…?て思った…。 イスか?と思ったが違うようにも見えた…。 座れるのかどうか?微妙な感じのイスだったからだ…。 でも“座ってみよう”と思い、座ろうとした。 なんとか座れたものの…やはり座るのが大変だった。 それはまあ…高かった…からなのですが…。 飛び上がらないとイスまで届かなかった…。 なんとか座れても、すき間から落ちそうになる…。 ここに座るのは…大変だ…。 まあ大人ならたぶん、普通に座れると思った…。 で、母に聞いてみたのだが… やはりあれは「イス」だと言っていた…。大人用? にしてもあれがイスって、、ちょっと微妙だと思った…。 座れるとはいってもシンプルすぎて座りにくい感じのものだったし…。 鉄の棒だけでできている…。 でもイスだったということ…。謎は解けた…。 新しいイスが新鮮だった…おかしく思えた…そんな思い出。 今あのイスを見ると… あれに届かなかったとか、信じられない…。 “自分が大きくなった”というようりか、“イスが小さくなった”ように思える…。 劇的に小さくなった。。 やはり“イス”である。 (↑そのイス。こういうイスはいまだそんなに見かけたことがない…) (天沼公園の新しいイスが微妙)                   あとこんな話も。 この時は公園のうち寄りの方でバスを待っていた…。 年長のソナcの母がソナcの髪を三つ編みしていた…。 そこでうちの母がこういっようなことを言った。 「○○はどっちも○○だから○きなくて○まらない…」 この時は「○いな…」と思って○まずかった…。 母は○○○○しそうだったので… あとあの三つ編みって面白いと思い、やり方を覚えたかった…。 そして小学校で…とその話は後回し。 ○○○かった…面白そうだった…そんな思い出。 (女子ではなくて気まずい…) バスに乗るまでのあいだに間があったおかげで、その間にも思い出ができていた。 それに気がついた。 バス停まで徒歩1分だったのでその間は少ない方でしたでしょうが。。 朝のバス停での思い出シリーズ、以上。                   北口からまっすぐ伸びている大通りをひたすら進んでいけば幼稚園であった。 バスもその行き方だった。 サトームセンなどの看板が見えてきて四角い長屋脇のところを右に入る。そのうち覚えた。 (→に入ったところが幼稚園。) (↑幼稚園の入口。この細い道をバスが通っていた。この道の先に…まだあの幼稚園があるような気がする…) 基本、その行き方だったと思ったが、そのまま反対方向へ行って裏の古びた商店街の街並みのところを通って行くこともあった気がする…。 そこの通りの途中にある神社の少し先の細い行き止る道のところによく猫が何匹もいて… そこを通る時は猫を見るのが楽しみであった…。 初め母の情報からそこに猫がいるということを知り…それから確認するようになったのだ…。 そのうち見かけない日が多くなっていった…。 でも確かにその、猫がいることがあった…。 バスではすぐに通り過ぎてしまうので、よく見れないでいたので… 歩いてそこに行ってみたかった…。 何も言わずとも、そのうち連れていってもらえた。 やはり猫はおり、ほかの猫を見れて良かった…。 そういった出来事。 (バスから猫)                   こう来ると今度は帰りの話でしょう…。 授業が終わって解散しても…帰り(送迎)のバスが来るまでかなり時間があった。 うちは5コースくらいまであるうちの4コースだったので、帰りが遅い方だった。思ってみると、そうだ。 バスは1台。最初に1コースの人が出て、1コースが帰ってきたら2コースが出て…と順番に続いていく感じだった。 そう把握していたが、違った可能性もある。がとりあえずそれでいいだろう。 自分が「4コース」…ということは兄が教えてくれたんです…。 ある日のバス待ちの時、月組前の廊下あたりで兄と出くわして、その時に 「4コースだから。覚えといて。」 みたいなことを兄が言ったんです…。 最初「4コース?何それ?」というふうに思ったのだが、 兄がああ言っていたので、大切な何かなのだろう…と思い、とりあえず覚えておいた…。 でそのうち色々見聞きしているうちに“4コース”というのが何なのか分かってきた。 で、自分的には↑で言ったようなものかと解釈したんです。 それで問題なかった。 “4コースというのが何か?”を自己解決できた…良かった…そんな思い出。 (自分らは4コース)                   で… その結構長い、バス待ちの間の時間が何か好きだった。 “もう帰れる”てなるといい気分になる…というのは誰でもわかりますね…。 解散後ですから、ムードは帰りのムード…。 その待ち時間は自由で、皆広い月組に行って、そこで遊んでいた。 何かこの時間はほとんどの園児が月組に集まって、そこで大勢で賑わっていた。 別に月組で遊ぶ…というのは強制ではなかったのだが、そっちに行かないと仲間外れ…のような感じだった…。 自分も兄などに誘われるので、なるべく月組に行くようにしていた…。 月組は兄の教室でもあったので、そっちには必ず兄もいて、兄と一緒になれる良い時間でもあった。 で月組で皆何をして遊んでいたかというと… だいたいの生徒は「ねんど」をやっていた…。 それぞれ個人のねんどがあって… それは月組前の廊下に置いてあった…。 皆そこから取ってきてやっていたんです。 皆やってるからやらないと…て感じ満天?だった…。 それでせっかく自分のもあることだし、兄にも薦められて…自分も一応やっていた…。 あとねんど板もそれぞれ個人のがあり、それとセットで持ってきてそれを使ってやっていた…。 ねんど板は表側はつるつる…。 裏側には…色々な模様を付けられる型がついていた… のだが…… ねんど板は…皆同じの…ではなかったんです…。 自分のは青いねんど板だった…のだが… 黄色いねんど板を使ってる人もいたんです…。 その2種類だった…。 そっちの黄色いのの方には… 「風車」とか自分の青いのにはない型があったんです…。 そっちのの方がよくて、そっちを使ってみたかった…。どうしても……。 こっちのにはこっちのにしかないのがあったのですが… やっぱり「他人のが良い」と思ってしまうものです…。 そっちのの方が新しいように思えて、「レアな方」というような感じでもあった…。 確かにそっちのの方が珍しかった。“一般的?なのは自分の青いのの方”のような感じ…。 そこがまた… でももし…いざあっちのと交換して自分のがそれになっていたとしたら… “なったはなったで、意外とどっちでもよかった…”てなってたかもしれない…。 と今思うとそう思う…。 このころは何でも「他人のの方が良い」って思えるということ知らなかった…。 ともかくあっちの黄色いねんど板にある型をねんどにつけてみたかった…。 他人のねんど板がうらやましかった…自分のでは嫌だった…そんな思い出。 嫌というほどでもなかったが…。 (黄色いねんど板の人が…うらやましかった)                   ねんど以外では、個人の自由帳とクレヨンで絵を描いている生徒も結構…いた。 この時間に兄の自由帳に「ナスビtが描いてくれた」というド○○もんの絵を兄が見せてくれたことがあったのだが… その絵が上手くて嫉妬した。。 丁寧に描いて上手い…とかではなくて、サッと描いている感じなのに、上手い…。。 やっぱり大人は子供とは次元が違う…と改めて実感した。凄いと思った…。 と同時に安心もした。なぜかというと… 自分より上手い人がいる… と分かって、自分が並ならぬほどではない… 人間だ…と多少思えたからだ…。 大人の上手いは…何というか、子供の上手いとは次元が違って、やはり凄いと思った…安心した…そんな思い出。 (大人は桁違い)                   あとそのバスの待ち時間には…たまに先生が皆の遊び相手になってくれることもあった。 ある日の帰り、花組に皆残って、ナナムラtと「○○○○小屋…」で始まる歌の手遊び(しだいに早くなるヤツ)をやった…。 机を片付けて床に座ってやっていたのだが… それが…本当に…その本当に、面白かった。。忘れられなくなった。。 最高速のでも、自分はついていけていると思った。 ちょっと自慢したかったが、誰も突っ込んではくれなかった…。 あんなのであれだけ楽しめたって…幸せだった…。 wwww “今だと馬鹿らしい…”と思ってしまいますから…。 子供の遊びを子供の頃にやっておくことができて…良かった…。 変に大人ぶらず、子供は子供の遊びをやっているのが良い…。 何せ子供の遊びは子供にしか楽しめないのだから。 もう二度とあんな思い出は作れない。 だから子供にさせなければ意味がない。 子供の遊びを子供にさせるというのは…当たり前のことだが、改めて思うと…いいですね。 身なりなどだって年さながらでないと意味がない。もったいない。 これを書きながらそんなふうに思った…。 この時、面白く感じたのは、帰り際のその時間で、気分がよかった…というのも大きいです…。 気分がいいと外では隠している自分の本心を出してしまい、大胆に動いてしまったりするようなことが、、このころは、あった…。 あったんです。。 バス発車の時のあれとかもそうだった…。 それで気分がいい上、大胆に動けたことで、また尚更面白かった…。 普通にああいうの、初めてで、あれは面白かった…。 幼稚園で1番楽しかった時…それはこの時だったかもしれない…。 この時だったと思う。それくらいあれだった…。 最も好意のあるなナナムラtと、慣れ親しんだ花組で(それもあった)、 気分の良い帰り際の時間に、本当に面白い手遊びをして…最高に楽しかった…そんな思い出だ。 (ナナムラtと、花組で、帰り際に、至福の時)                   で、もうあと少しで4コースのバスが来る…という時間になると、4コースの人達みんなで玄関前の下駄箱のところに集まっていた。 さらにそこでバスが到着するまでの間、いつも皆で輪になり、手遊びをしていた。 子供の時間潰し…というのは「遊び」しかない。 いつも「何作○ー」…というやつだった。 集まっているみんなで1人ずつ順番にやっていき、何にするのかは自分で考えないといけないのだが… 自分は○+Vのカタツムリ以外全く出てこなかった… それでターンスルーされたかった…。 そればかりでは、あれなので…。 もちろん既出のネタはなるべくだめだった…。 ○+Ш(だったか?)でヘリコプターとか、どこから出てくるんだ(凄い)てな感じだった…。(よくもそんなの!とよく衝撃が走っていた) でもヘリコプターというのは実はわりとオーソドックスな方だった?どうでしょう? この時に…いや、この話は流れ的に後回しにしよう… まあカタツムとかそれくらいでも“なんとか”しのげた…。 カタツムリ…王道だが上手いことそれらしくていいと思っていた…。 帰り際に下駄箱でとある手遊びをやっていた…凄いのを考案したかったのに…“カタツムリ”しか浮かばない自分が瑞穂らしかった… でもこの手遊び自体は何か面白い感じで嫌いではなかった… 帰り際のいいムードの時だし何か悪くなかった印象…と。これも思い出。 (○+V=カタツムリ)                   そして…話を進めます。 4コースのバスが到着してバスに乗り、バスが幼稚園から出る時、必ずまずバックするのだが、 バックの時の解除者の先生のセリフがいつも決まって同じで…面白かった。。 その固定セリフ↓ 「オーライです オーライです オーライです オーライです ストップです。」 たまに「ストップです」のところを「OKです」と言うこともあった。 個人的には“OKです”の方が好きだった。アルファベットが好きだったのでw 必ずしもそのどちらかだった。 で“ストップです”または“OKです”のあとのバス発進の時に「サヨーナラー」と言わないといけないのだが、 自分は帰りは機嫌が良かったので、それをちゃんと言っていた。 大勢で言うので…言わなくても言っていなかったことに気づかれないかもしれない。でもあえて言っていた。この時は言えたので。 いつも皆に負けじと大きい声でそれを…言っていた。 “自分もちゃんと言ってる!言えてる!”ていうその感じがたまらなかった…w バックの時に言うセリフが固定セリフ?になっていて…面白かった… そのあとの園児が言う固定セリフ…それをその時は必ず気分がいいため自分も言えて…もう最高でたまらなかった…そんな思い出。 運転手は必ずムーシャtだった。たぶんどのコースも。 男性がほかにいないので代わりに運転できそうな人が誰もいなかった。 (オーライです×3 ストップです)                   で、バスは帰りも行きの時と同じところを通っていく…のが基本ではあったが、 たまにグランドの方にある裏口の方から出て、反対へ行って裏道を通って行くこともあった。 そっちの時は“おお今日はこっちか!”という感じ。 そっちの出入口の方には柵があり、普段は閉めているので、バスを出すために解除の先生がわざわざ柵を開け閉めしていた。 裏口に面する道路とグランドのところは少し高低差があったので、裏口の前にはバスが通れるように坂道が作られていた。 坂道を思い切ってバスが上っていっていた。 (↑裏口だった場所。坂道がない。形跡もない…。) そっちのルートだと道が細いところが多く、急な坂道とかもあるのになぜあんなとこを…?てな感じだった。 大きなバスが通るようなところではない… でも裏道ルートの時の方がプラネタリウムの建物とかが見えて好きだった。 ドームが付いている面白い感じの建物だったし、プラネタリウムが好きだったので…。 そのプラネタリウムの建物の近くにはたびたびアドバルーンが浮いていることがあり、それを見るのもまた楽しみであった。 今日はあるか!?あるか!?とよく期待を膨らませていた…。 浮いている日もあれば、浮いていない日もあった… 浮いていた時は見れて、嬉しかった…。 アドバルーン…もう全く見なくなった…。あれを見ると興奮していたのに… あれを「アドバルーン」ということは母が教えてくれた。 最初兄が興味を持って兄が母に聞き、それで母がそう言っていたのだ…。 そう、アドバルーンは兄も好きだった…。 バスは帰りは裏門から出てなぜか裏道を通っていくことがあった… プラネタリウムの近くにアドバルーンという面白いバルーンが浮いていることがあった… 面白いものだった…その上見れると運がいいし良い気分だった…そんな思い出。 “アドバルーンが挙がっていた場所”ですが… プラネタリウムではなくて、その奥の大通り沿いにあるカーショップだった可能性が高い。 すぐそばから見たことはなかったので確かなことはわからない。 そう、できたらそばから見てみたかった。どこから挙がってるのかも知りたかった。 (この急な坂道は印象的。家の車で通った時、親に「ここバスで通る」と言ったら  「どうしてこんなところを?!」と何か信じられないような驚いた反応された。) (バスが通る道をほぼ覚えていた。この急カーブの場所なんかも何か印象的だった。  →の3つ並んで建っている同じ外観のアパートなんかも気になり、何か目についていた…) (裏道もワクワク)                   さらに、帰りはたまに天沼公園を一旦通り過ぎて、なぜか南口の繁華街の方を回っていくことがあった。 確か北口ロータリーを素通りして山口横丁に入り、山口横丁のどこかから右に曲がって駅前通りに出ていた。 確か歩道のアーケード屋根の下をくぐっていたので… 質屋がある通りかまたは…仲通りを通っていた…のだろう。 仲通りは一見歩行者専用の通りのようなので、ないとすると…質屋の通りだった!となる。 あんなにも細いところを通っていたなんて、、今思うと信じられない…。 普通に車が通るようなところではないのに、増してバスが…w でもそこしかない。 恐らくそこを通っていたのでしょうw もし仲通りの方を通っていたのだとしたら、さらに…さらに“驚き”となる。 質屋の方と同じくらい細いわけだし、あそこは歩行者専用の商店街…。人通りもあるw (↑ここをバスが通れるとは思えない…) 駅前通り~山口横丁を結ぶ通りで、山口横丁側から駅前通りへ抜けられる道というとそこしかない…wと。 でもなぜそんなとこを通っていたのだろう…? 細いところを通ってた…というのはさておき、時折裏道から行ったり、南口を回ったりしていた理由とは…?? やはり時間調整…でしょうか? それしか考えられない…。 時間がない時は込まない裏で… 想定以上に早く着いてしまった時は、時間潰しに南口…? 当時は時間調整なんかだと思ったことは1度もなかった。 特にあまり考えずに乗っていた。 さすがに南口の方へ行くのは少々不思議に思っていましたが。。 南口を回る時、先生が「あの手でいっちゃいますか?」とか言っていたりした。 あの手?…謎めいていた…。 帰りのバスはたまに公園を通り過ぎて繁華街を回っていくことがあった… 謎だった… でも何かネタだった…と。これも思い出。 (あの手で行っちゃいますか??)                   ある日、兄が「大きい歯ブラシがある」とかよくわからないことを言っていた。 幼稚園のバスから見えるのだとか。 何度も言っていた。本当に凄いんだとか。 それである帰り… 兄に教えてもらい、ようやくその大きい歯ブラシとやらを…自分も見ることができた。。 す…凄かった。驚きだった。 確かに、巨大な歯ブラシがあった。。それがあるのがわかった。 それがあったその場所は…レストラン。その店内。 猛烈に面白そうなレストランだ…… それから、帰り、表通りを通っていく時は、途中のそのレストラン(ガスト)の店内を見るのも楽しみになった。 よく見ると歯ブラシだけではなく、様々な巨大なものが壁に張り付いていた。。 巨大なトマト…巨大なハサミ… マリオブラザーズ3の3面みたいで、凄かった…。 リアル、デカデカ面…! ここを通る時は注目して、ほかには何がある?何が…と集中して見ていた。 このガストはこの以前からあった気がする。ある日店内が改装されて、このような面白い店内になった。という感じ。 ちなみにそのガストに1度実際に行ったこともありました。 自分や兄があそこのことを話していたから?かどうかはわからないがとにかく行かせてもらえた。 本当に圧倒された。 店内は想像通り、とにかくデッカイ世界。 とにかく巨大なものが所狭しと店内の壁に張り付けられていた。 バスだとすぐに通り過ぎてしまうので… この時、じっくりしかも間近で眺めることができて感激であった…。 兄はすでに入ったことがあったらしく、もう見慣れてる…というような感じだった…。 このころ、兄は1人では出歩けない…以前は誰とここへ来たのか? 友達と来た…というのはありえない…。年齢からしてw なら?? ガストの店内はどこもああなのかと思ったら…あそこだけ。で、他店はガストという感じがしなかった。 同じガストを名乗っていても巨大な物がない。あそこと違う…。 バスから見えるレストランの中に巨大な歯ブラシとかがあるのが見えた… 面白い店内のレストランだった…面白かった… そこにある巨大な物、ほかに何があるのか知りたくて、バスでそこを通る時が楽しみだった…そんな思い出。 数年後、あそこはまた改装され、普通のシンプルな店内に戻ってしまった。。 他店と同じに……。 結局あの面白い店内だったのは数年間だけであった。 あの巨大な物の数々は…どうしてしまったのか…? 数年しか展示?しないって…もったいなかったでしょう。。 あそこは、幻となってしまった… 少しの期間だけだったわけだし…思えば本当に「幻」という感じ…。 あんなガスト、そこしかなかった……。 (リアルデカデカ面)                   帰りのバスでの話…あとは… ガストより少し先のガソリンスタンドに…謎の機械があった…。 謎の機械。
これが何か妙に怖かった…。
何か自殺兵器?みたいに見えて…。 両側のランプが何か顔みたいにも見えていた…… 1度可動している(自動的に車を洗っている)時にたまたま通って、それを見て、 どういうものなのかを知れたのだが、、その後もそれでも怖かった…。 人があの中に入ると…あの中に入れられてしまったら…と想像すると…?
やはり、自殺兵器・殺人兵器にもなり兼ねない。。
怖いながらガストなどと同様に帰りに毎度日課のように見てしまうんですね…。 その恐ろしい兵器のようなものはほかのガソリンスタンドでもたまに見かけた…。怖い。 ガソリンスタンドの謎のマシンが…怖かった…でも見てしまっていた…そんな記憶。これも思い出。 その兵器が「洗車機」という名称だということを知ったのはかなり後の話…。 (これ↑だったか?当時見ていた謎のマシン。) (ガソリンスタンドの自殺兵器)                   バス内から見えるもの… 兄はとある本屋が気になっていた模様…。 看板に大きくマスコットのペンギンのキャラクターの絵があったのだが… ペンギンが好きな兄は、そのキャラクターが気になって、その本屋に行ってみたかった模様…。 ある行ってみた時、何かテンション高かったのだがそれは…そのためだったのだ…おそらく。 兄はペンギンの本屋が気になっていた… 入ってみたかったようだった…と。 これも自分の記憶。 あそこの本屋が「ブックオフ」というチェーン店だということを知ったのは中学生の時です…。 “あそこがブックオフ?”みたいな感じで、そんな店名な印象ではなかった…。 カッコいい外来語の店名。。 (→その本屋。…もう本屋ではない。ハードオフになっている。「HARD OFF」と書かれているところに大きなペンギンが描かれていた。  ←例のガスト。店内を見ても…もう面白くない。) (兄の好きなペンギンの店)                   あと自分は… ガストの向かい側あたりの「&」←のようなマークが描いてある店があったのだが… そこも怖かった…。 実はそこの方が……洗車機よりもさらに怖かった! 怖かった… なぜ怖かったのかというと… そのマークが、車のガソリンが少なくなってきた時に、メーターのあたりに点灯するマークに似ていたから…。 そもそもはそれが怖かった…。 あれが点灯するといつガソリン尽きて車止まってもおかしくない…て感じしますから、あれが点灯すると怖かった…。 もしも止まってしまったら…大惨事です。 ガソリンスタンドまで走る燃料残ってるか…いつも不安になっていた…。 そういう不安があってか、そのガソリンがない時のマークが…何か悪魔のように思えて怖かった…。 見たら災いが起きるような…そういう気がしてならなかった…。 そんなキャラクターに見えた…。 それに似ていたその店のマークは… あれと同じだと思えて… 見たくなかったと…。
見たら災いが起きそうな気がしますから…。見たらだめ。
だからその店のところが怖かった…。 遊び半分でも見たくないくらい怖かった…。とそういうこと。 その店は…車のタイヤなどが売っている店だった…。 とある店の&のようなマークが… ガソリン切れのマークのようで怖かった… とにかく訳あって非常に怖かった…見たら呪われる、悪魔だった…そんなイメージだった…そんな記憶。これも思い出。 あそこの店が「イエローハット」というチェーン店だということを知ったのはまた中学生になってからだ…。 うちに市内の地図があったのを発見し、イエローハットというところを見つけて…外来語好きだったので気になっていたのだが…。 あそこがそのイエローハットだったとは…。 あそこがその店名のイメージではなくて気に食わなかった…。 ブックオフも同じでした。 あのマーク、よく見ると帽子。。 ガソリンが少なくなると現れるあの悪魔では、ない。。 (当時見ていた恐怖の店、イエローハット。  今思うと…このマークのどこが「&」←? どこがキャクター?どう見ても生き物ではない〈帽子〉ですが。。) (イエローハットの恐怖) …この辺は幼稚園の時ではなくても、家の車で通ることが多かったので、 そのブックオフとかガストだかに立ち寄ってみれるチャンスが多かった…。 ともかくバスから外の風景を見ているのも楽しかったように思える…当時あまりそのことに気付いてはいなかったが…。明らかに…。 気分が良かったのも相まって…。 プラネタリウム、アドバルーン、ガスト、ガソリンスタンド、ブックオフ、イエローハット… 面白いものがたくさん見えて…バスに乗っている時はどことなく楽しかった…。思い出になった。 帰りは気分がよかったので、よりいっそう面白く見えて、またよかった…。                   天沼公園に到着してバスを降りる時…。 バスと歩道の間にすきまがあった。 それはそう。 バスを停める時、歩道に密着させて停めたら擦れてバスが傷ついてしまいますから。 それでバスを降りる時、小さい自分にはそこのすきまを跨ぐのが大変だ…と気にかける解除の先生が、 降りる時にスッとその、抱き降ろしてくれていた。 ナナムラtのあれと同様な楽しさがあってそれ、何か好きであった。 降りる時にそれをやってもらえている生徒はあまりいなかったので、“可愛がられてもらえてる”感を感じて幸福感があった。 …そういうこともあった。 帰りのいい気分の時だし最高。 でもやはり、自分だけずっと毎日…というわけにはいかず、 「自分で降りな」みたいにされてやってもらえなかったりすることも多くなっていった…。 残念だがしかたがなかった…。 降りれなくはないですから……。 帰りにバスを降りる時、楽しさと幸せを感じていた…そんな記憶。これも思い出。 (バスを降りる時、楽しさと幸せを感じたりした)                   体育がある日は体操服、ない日は私服で行っていたのだが…私服の方が慣れてるし、 子供風味で好きだったので、雰囲気的にも体育はない日の方が良かった。 あと登下校の時の格好が何気なく好きだった。 登下校の時にはメイド服のようなのを上から着て、船長のような帽子を被るのだが… あれを着ると“もう帰れる”て感じがして気分が良くなったもの。 行きの時も着るのだが…行きの時でも帰りのイメージで…。帰りのイメージ強し。 あの格好だと気分がよく、何気なく何でもより楽しく感じた…。 すんなりあれが自分のもの的なイメージとして定着したんですよね…。 兄が着ていて見慣れていたからか?どうだったか? 幼稚園へ行く時の装いが…帰る時のイメージが染み付いていて…密かに好きだった…そんな思い出。 (帰る時のイメージが染み付いている…) (好きだった園服) 帰りの話、長くなってしまいましたが、総じて言うと… 帰りのバス待ちの時間がワクワクして好きだった…帰るのが楽しみだった…という感じ。もう思い出。                  
あと…自分はある意味、雨の日が好きであった。
別に雨だと早帰りとか直接迎えとかってわけでもなんでもなかったのだが…
雨の日は長靴で通園していて…
その長靴が…密かに好きだった。
自分のはミキハウス(だったか?)の黄色い長靴だった…。
何かあれを履いていると“子供”て感じがしてテンション上がったw
ともかく気分いい感じがした…。だから長靴が履ける雨の日は……
あと普通に雨だとどことなく心が落ち着いて雨自体もある意味何かその、好きであった。特別な感じもするし…。
大人達が帰りをちょっと心配してくれる?ような感じなとこも良かった…。
またあの雰囲気を味わってみたい……。もうありえないですが…
ただ…その長靴は履きにくく…
履くのに苦戦し、毎度下駄箱で奮闘していた。。
何というか…
足首から先を、奥で曲げて、こうL字に?入れるのが難しかったんです…。
「長靴吐くの大変だねえ」だとかたびたび先生に言われていたw
それが微妙に難点だった…。
ように思えるが、それも微妙に味わい深いように思えた気がしないでもない…。微妙…。
たまにの直接迎えの時に…
そのこの長靴を履く場面を母に見られてしまっていたことがあり…
ネタ化されてしまったりした…
あれはそれほど面白かった…ということか…。
縁が切れない人に見られてしまうのは痛い…。
これに関してはたいしたことではないが…。
あと長靴は長いので…下駄箱に納まるか際どかった…。
でもなんとか収まっていた…。ぎりぎり収まるくらいの長さであった…w
ともかく長靴が好きで、雨だと嬉しい気分だった…それで楽しく感じた…。
あと傘ですが…
傘は重くて片手では普通に持てなかったので、上の付け根?の方を持つようにしていた。
それなら持てた。
それでずっとその付け根の方を持っていた。
高校生くらいになって普通に枝の部分を持ってみたら…普通に持てた。
いつのまにか持てるようにwちょっとばかり驚きだった…。てなんとそれまでずっと付け根の方を持ち続けていたw
傘も子供っぽくて…何気なく好きであった…。
あとこのころレインコートも着ていた時があったのだが…
それも長靴に負けじと好きであった…。
それも子供風味な感じで、馴染めてよかった…。
傘もレインコートも黄色いのだった…。長靴もそうですね。思ってみると雨具全部。。
履くのが大変な場合がありながらも、長靴が好きだった…
長靴が履けるので雨の日は良かった…
雨の時の格好だと何か子供な感じ?で嬉しい気分だった…そんな思い出。
もっと歩きたいような…そういう感じ…。
わかりますかね…?
(お気に入りの長靴)                   あと普段着で、気に入った服。というのもありました…。 このころで1番印象的だったのはあれか。 ある朝、母が兄のと2着買ってきた新しいトレーナーを着て家を出たのだが… 天沼公園に着いてバスを待っている時に、そのトレーナーのプリントをよく見てみたら…… 面白くて…wそのトレーナーがいきなり好きになった。 「ねずみたちがフライパンで目玉焼きを焼いてる」っていうような絵だった…。確かそんな。 兄も同じのだったので、また何か気分よかった…。 そういうの、悪くなかった。 結構服装で気分が変わったりしていたもの…。 雨具や園服の件を思い出してみても…やはりそうです。 それからも気に入ったその、服というのはそれなりにあった…。 新しいトレーナー、面白いプリントで良かった… いい気分だった…そんな思い出。 (お気に入りの服)                   ある休み時間、何かすることはないか…?と思っていたら… いつの間にか兄とコップ隠しをして遊んでいた。
自分が隠す番…自分は砂場の中にコップを隠した。
しかし…すぐに見つけられてしまった…。
次の自分の番…みんな砂遊びをしている中、自分は密かにスコップで砂場に本当に深い穴を掘って…
砂場の砂の奥深くに埋めた…。
さっきはちょっと砂で隠しただけだったからだめだったんだ。今度はいい。
wこれでさすがに分からない…
…
ってところで…休み時間もうすぐ終了の合図が鳴ってしまった…
せっかくだったのに……
兄にどうしても探してほしかった………
で…もうそれを掘り返しているような時間はなかったので… そのままそれを掘り返すことなく、急いで教室に帰った…。
翌日(だったか?)に掘り起こしてみようと、砂場の埋めたところをとにかく掘ってみた。が…
見つからなかった…。
確かに埋めた場所は覚えていて、そこを掘ったのだが、なかった…。 ということは…その後誰かが掘り起こして片付けた?その説が有力でしょう…。 いやでも、ああも深いところに埋めたあれを見つけられた人がいたとも思えない… だから自分はあきらめず、あれ以来いつもあの砂場ら辺を気にしていた… 体育終了後のざわざわしているちょっとしたすきに掘ってみたりしていたが… 結局見つけることはできなかった…。 そのうちもっと本格的に“確実にあそこにはない”ということを確認するまで掘ってみよう… て思っていたのだが…なかなか実行しないでいたら、実行しないうちに…その… ひょっとしたら未だにあの辺の地面にあの時のあのコップが埋まっている…なんてこともあるかもしれない…… そうです。これ、何か今だに気になっている… ちなみにそのコップは幼稚園の砂遊び用のもので、 かってになくしたりしてはいけなかった…と思うが、バレることはなかったので大丈夫だった…。 “コップ隠し”をして楽しかった…。でも気になるネタを作ってしまった…そんな思い出。 永久に気になるネタとなってしまった。。 痛い思い出なんだか、思い出深くて良い思い出なんだか、よく分からないところ…。 (砂場に埋めたコップの行方)                   朝の出席時は、先生が1人1人名前を呼んでいき、自分の名前を呼ばれたら右手を挙げて返事をするのだが… 誤って左手を挙げてしまう人ばかりで、いつもスムーズに進まなかった…w 間違えると指摘が入りますから…。 最初のころは自分も右手と左手なんか分からず、皆と同様に間違えていたと思った。 そんな中ある日、先生は皆の前で右と左を詳しく説明した。 黒板の右には帰りの誰が何コースか記述されたコース分類表が貼られていたのだが、 “自分の席から見てそれが貼ってある方が右。窓側が左”と。 自分はその説明に納得してそれで左右を把握した。 それからというものだった。 自分は出席で絶対に左右を間違えなくなった。 もう右と左は把握しましたから。 それで間違えなくなりましたね…と先生に誉められていた。 おまけに返事も良いと言われていた。 しかし自分以外のみんなはあの説明後もなんら変わりなく、間違えまくりであった。 毎日のように先生は「窓の方が左」などと、指摘していた…。 しだいに少しずつそういう人は少なくなってはいったが… 把握できないのか?1日で忘れるのか? なぜ間違え続けるのか不思議。 でもなぜか間違え続ける人が多かったからこそ、自分は誉められたわけだ…。 …あの説明は自分にとっては印象的だったが、みんなからしたら別にたいしたものではなかったのかもしれない。 あの説明を聞いて以来、自分は右と左を判別する際は、たとえ幼稚園にいなくとも、必ずあの花組の教室を連想して判別していた。 右と左を判別する手段は実は“それ”だった。 コースの貼り紙の方が右。なら逆の窓側は左…と。 その方法で右、左を間違いなく判別できた。 想像でもいいんです。 出席の時、挙げる手の左右を間違えなくなって誉められた…幼稚園で教わったことが非常に良く役に立った…と。これも思い出。 その後ずっとその方法で判別し続けた…。中学生近くまで…。 だが小学校高学年のある時、ふと自分の右手の方が右、左手の方が左であることに気がついた…。 それに気付いた時、いままでいちいち花組の教室を連想していたのが馬鹿らしくなった。。 かつて出席で右なら右の手を挙げていたのだが…それで気づけてはいなかった。 こうしてもっと容易に左右を判別する方法を自ら見つけ出したわけだが… もう、これ以降“あのように花組の教室を連想することがなくなる”と思うと少し切なかった…。本当。 ちなみに今でも左右を判別する時は小学校高学年の時に発見したあの方法(右手側は右、左手側は左というの)で判別しています。 一般的には皆どういう方法で左右を判別しているのだろうか…? そういえば未だにほかの人がどう判別しているのかを知らない。。 大人でも右と左がなかなか出てこない人がいますよね…。 自分は4才の園児の時からあの方法で正確に右と左を判別できたので、 大人で正確に左右が出てこないとか幼児以下に思えて、本当に馬鹿らしく思う。 兄とか中学生なんかになっても、よく右なのか左なのかを自分に問いかけてきていた…。自分から見たら幼児以下…。 更に兄は中学生近くにもなって右と左の漢字自体の区別もつかなく、その件で問いかけてくることもあった…。 漢字とそれとは違うが、何という…w あと気付いた。! あのコース分類表?は今思ってみると結構面白い。 それですが詳しく言うと… 車(バス?)の形をした5つの紙が並べて貼ってあり、 その5つの紙のバスをそれぞれ1~5コースのバスと見立て、その各バスのところにそのコースの人の名前が全部書かれていた。 自分の名前はもちろん4コースのバスのところにあった。 わかりやすくて面白い。幼稚園ならではなコース分類表だった…。 心の中で思い返してみて気付く。というのも…何か不思議で面白い。 (出席で左右を把握)                   ある日の休み時間…。 自分は外に出ていた。 園舎のそばにいたのだが… 月組のクラスを覗いてみたら…兄がいるのを発見した! コーエーkとRT☆kも一緒で… ナスビt監修のもと、英語を1人ずつ順番に言っていくゲームをやっていた。 開いていたドアからこっそりその様子を覗き見…。 まずコーエーkの番。コーエーkはこう言った。 「バナーナ」 次はRT☆kの番。RT☆kはこう言った。 「ニュースペーパー」 そして兄の番… 兄は英語なんて何も知らないと思うが…果たして何と言うのか…? 心配だ…。 兄は…馬鹿げた様子で、こう言った。 「あんぴゃっぴゃっぴゃっあんぴゃっぴゃっぴゃ…(リピート)」 ww ナスビtはその時、紙を丸めた棒を持っていたのだが… 兄はそれでバシ!っと先生に叩かれていた…。 つい笑ってしまったw あの発言…“なるほど”と思った…。 その「あんぴゃっぴゃっぴゃ」というのは、自分と遊んでいる時に、外国人の英語のものまねとしてよく言っていたんです。 母にそのものまねを見せたことあったが… 「何が外国人?」てな感じだった…。 他人の前で言ってしまうとは。。 自分が外から見ていたことには気付かれなかった。 …これはネタだ… とそう思って… 帰ったら… 兄にそのことを言った。 「あんぴゃっぴゃっぴゃっあんぴゃっぴゃっぴゃっバシ…!」 しかし…兄は… 何??てな感じだった…。 それでは何のことだが伝わらなかったのか…? その時、個人としては何気ない感じで、その時のことはすぐに忘れてしまっていたのか…? 「何で知ってるの?!」とか言われる展開を予想し、期待していただけに…残念だった…予想通りにはならなかった……。 前者だとしたら… 兄は今でもあのことを覚えている可能性があるにはある… しっかりと伝わったら…驚いてくれる!という可能性が0ではない…。 究めて0に近いが。。 兄の秘密を見てしまい…特別な感じがしていい気分だった…もう有頂天… だが、兄に見ていたということを暴露しても…兄は疑問を抱いている感じで、一切驚いてくれず…その点は残念だった…そんな思い出。 (兄の英語)                   母が帰りの時間に公園に迎えに行けず、あとから直接幼稚園まで来る…ということになったことが1度だけあった。 帰り… 自分は、バスに乗らず、教室で待っていた。ナナムラtと2人だけで。 皆帰ってしまい、園内にいる生徒は自分のみとなっていた…。 自分はなぜ迎えに来れないのか知らなかった。何も聞かされていなかった。 そのうち「もうすぐ来るんじゃない?」みたいなことを言われて、外に出た。 教室から直接外に出た。(靴は…先生が持ってきたんだったか?どうだったか?) 教室前のベランダ?みたいなところに先生と座り、迎えを待った。 先生はようやく自分にあれこれと話しかけてきてた。 それで先生はこんなことを言ってきた。 「新聞配達始めたんだって?」 新聞配達?! そういえば母が新聞配達をするだとかそういう話を最近何か耳にしていた… やっとなんとなく待たされた理由が分かった…。 それ、自分はもう知っているものだと思われていたみたいだった…。 …この時は、自分が1人脚光を浴びれていい気持ちでした…。 自分1人しかいないのですから… 先生は何か“みんな帰っちゃって不安でしょう?”“迎えが来るから大丈夫”といった感じで、 何か気にかけてくれていて、いい意味で特別扱いされて嬉しかった…。 ほかの先生までも気付くと、気にかけてくれていた…。 普段は“逆の意味での特別扱い”ですから…。 その好きだった帰りの迎え待ちの時間が長く続いたのもよかった…。 しかし…新聞配達がどう絡んで、遅くなったのか…? 新聞配達は朝の仕事ですが? 最初だったから特別な何かがあったのか…? とりあえずそう思っておこう。 … そして迎えが来ました。 ↑で説明した、その見慣れた安心できる存在、家の一部であり、原点である家族の人(母)に会えるとまだ嬉しかった…。 母も“先生と一緒でよかった”…というような感じだった…。 いい意味で特別扱いされ、何か嬉しかった…そんな思い出。 そういえばこの時、兄はどうしていたのか? 一緒にはいなかった。 自分が年中の時であったこと、自分以外に生徒は誰もいなかったということ、は確かだったと思うが…。?? 皆帰って自分だけ1人…といえば、残って顔を描かされていたあの時もそうでしたが… あの時は、多少あきれられていながら心配されて…だったので、こっちの時の方が純粋に気分よかった。 あの時はあの時なりに良かったこともありましたが。 あと新聞配達を始めたのはどうやら5月とのことなので… この時は5月だったということか…。 そんな最初のころだった気が、しない…。 (いい意味で特別扱い)                   教室で時折折り紙をさせられることがあったわけだが… 桃のほかには何を作ったか…? 家で作った記憶と混同してよくわからなくなっている…。 でも“幼稚園で作った”と確信持てるものがもう1つ。 それは…ブンカクンショウ。 包むように折って広げれば良い。 真ん中に丸いシールを貼っていた。 シールは金と銀と赤の3色があって、貼るのはそのどれか。 楽に作れた。 先生はこれを「ブンカクンショウ」と言っていたのだが…何だそれ?という感じだった。 何か物凄い名称…。そんな名称のものが実在するのか?疑わしかった…。 ともかくこれは「ブンカクンショウ」…。 そう言っていたから、そうだ…。 …その後幼稚園で覚えたそれを家で作って見せたりした。 母にいい反応された。 丸いシールも貼りたかったが、それはないので貼れず、物寂しい感じになっていた。 「何作った?」と聞かれたりした。 それで「ブンカクンショウ」と言うと、“おお納得…”みたいな反応された。 何やら…ブンカクンショウというものは存在している模様…。 ブ ン カ ク ン ショ ウで正しい模様…。 母のその反応により、そうだということがわかり、収穫だった。 ほかの人も知っている…となると、そんなマイナーなものですらないのだろうか? それでだがそれ、作った記憶だけでなく…何か、もらった記憶もある。 もしかすると…マラソンイベントのメダルか何か?として作っていた? だとしたらそれを生徒達皆に作らせるって、、そのアイディアは面白い。 自分が作ったものをもらうことになる可能性もありだが。 金のシールのは金メダルで銀のは銀メダル…赤は…赤メダル、いや銅メダルか。 自分は赤のをもらった気がするので3位になれたのか? どうなのか。 赤よりキラキラしている金か銀の方が良かった。1位,2位になるのはあれだが。 ブンカクンショウとは…文化勲章だ。 今ならそれの詳細がわかる。いつのまにかわかるようになっている。不思議だ。 メジャーなものではない。 折り紙の文化勲章というものを作った… 作れるので誉められた… ほかの誰かが作ったそれをもらったりもした…そんな記憶。これも思い出。 (↑今作ったもの。真ん中のはシールではない。金の折り紙を丸く切ったもの。) (文化勲章というものが折れた)                   体育でよくやっていたのは徒競走、縄跳び、鉄棒などです… でもたまにスキップ競争だとかよく分からないのを突然やらされることもあった。 スキップで走って競争する。 スキップができない人は多かった。 最初は自分もスキップ?何それ?という感じでできなかった…。 ケチャップ?みたい響きなので美味しそうな感じした…w それは、知りもしないのにできるはずもない…。 で、兄だったか母だかに、うちの裏でそれを教えてもらった。 適当にやってみたら… 「それでいい」「凄い」「できる」とか言われて、それでよくて、意図も簡単にスキップを覚えた。 それで自分はそれ(スキップ競争)をやらされた時にはすでにスキップができたので、怒られなかった…。 “スキップ”というのを覚えた… すぐにやれて誉められた… できるのでスキップ競争でも怒られることがなくて良かった…そんな思い出。 (スキップ競争はできた)                   あとこれ…。 けんけん競争的なのをさせられたこともあった。 片足でジャンプしながら走って競争する。 というもので、片方の足を地面に着けてはいけない… というルールだった。 で、いざそれを始めた。 しかし… どうしても走りきるまで持たなくて… 途中で両足地面に着けてしまう者続出…w そこで先生がこう言った。「途中で足替えてもいいです!」 それを聞いて自分は…いいことを思いついた! それって、これでもいい…? 自分は…すぐに疲れたふりをしてちょこちょこ足を替えた。 そしてエスカレートしてついに一歩毎に足を替えて走ったww どういう感じか想像つきました? これではほぼ普通に走っているだけ… ちょっと跳ねるような要領なだけ…。。 もちろんすぐに先生に注意された。 「それはズルい。ダメ。」などと言われた。なので…やめました。 一歩毎に疲れるわけがないですから…。 注意していた先生はその後、付近にいたもう1人の先生とニヤついていた。 ともかく怒らせたわけでもなくて… 一応何か笑っていた?のでまあ良かった…。 怒られるかもしれない場面だったので、難を逃れた…今回は助かった…というような感じだった。 その発想にちょっとばかり、笑われたと…。 このような発想が浮かぶの、自分くらいか…? 「途中で」というのは…それってこれでも“別にいい”ということだったから、 “わざわざけんけんで走る必要もない”てことで替えまくったと…。 でも自分は本当のところは足、替えなくともなんとか最後まで走りきれていましたね…。 グランドを園舎側から栽培小屋の方にかけてまっすぐ走ってゴール…という短めコースだったし…。 先生をニヤつかせた…注意されたのは嫌な感じだったが…まあよかった… 普通思い浮かばないことを思いついて何か天狗な気分だった…そんな思い出。 (けんけん競争で思い立った名案)                   ある日の帰り際、1人で月組で自然のことが載っている本を見た。 その本のとあるページに…色々な雲の写真が載っていた…。 その中の「ニュウドウグモ」という雲が圧倒的に気に入った。 モコモコとした巨大な雲。 巨大綿アメのようでもある。 1番理想的な面白い雲?であった…。 「ニュウドウグモ」というのは謎めいた変な名前だと思ったが…その名前を覚えた。 外来語の名称とかに興味があり、意味わからない名称であってもそれを覚える自信があった。それは外来語ではなかったわけだがw ニュードー…その響き、何かいい…。 それでもう少し読んだのだが… “それが出ると雨が降る”らしい…。 そう書いてあった。本当? それには少しショックだった…。 雨とは普通、嫌がられるもの…。 “嫌がられる雲”ということになる…。 そんななんて… せっかくああも面白い雲で、あれを見たら気分よくなると思うのに… それでは気分よくなり難いではないか……。 何か少し残念だった。けど、あの雲の形は面白い。 あの雲を実際に「見てみたい」と強く思った…。 果たしてこの辺で見れるのか?どうなのか…? わからなかったが、それ以来、雲を気にするようになった。 「雨が降る」というのはデマだということを信じて…入道雲を探すようになった…。 ある休み時間… 雲がよく見える場所はないか…と、雲がよく見えそうな場所を探した…。 目についたのは… 「すべり台」だった。
自分はすべり台に上がった。
すべり台の上から空を眺めた。
ここからは空がよく見える…。?
頭上には入道雲らしき雲があった…
あったのだが…本当にあれが?
あれがそれなのか…?
そういう感じだった…。
まあ入道雲だ。そういうことにしてみた。
そのままゆったりとすべり台から雲を眺めていた…
そんな中、そこへ兄がやってきた。!?
兄は声をかけてきた。“何してるのか?”と。
「雲を見てる」的なことを言ったら、兄もすんなり上がってきた。
それで兄とすべり台で雲の話をした。
「あれ入道雲」と言ったら、兄の反応は…
「そんなの知ってて凄い」的な反応だった…。
本当に入道雲かは微妙だったので、そんなには追求して話さないことにした…。
穏やかな一時であった…。
…この時見ていた景色、感情などが鮮明に蘇ってくる…。
ほんのわずかだが、ここは地上よりか空に近い…。
地上からでもここからでも…空の見え方はほぼ変わりはないだろうが、気持ち的な違いが大きい…。
空中にいて開放された感じ…。
ほんのわずかだが空に近い…一歩雲に近づけている…届かなくとも…。
… 兄もこの時は暇で、遊び相手を探していたりしていたのでしょうか…? 「何してる?そっちばっかりずるい」的な気持ちが伝わってきた…。 見慣れた自分を見つけて嬉しいかのような感じだった…。 まあ入道雲が好きだった… 珍しく兄に先だって自分で面白いことを見つけられていて(いつもは逆)嬉しかった…そんな思い出。 その後数か月だか数年後あたりに本当に入道雲らしき雲を見た。 ららぽーと近くの海沿いから車の中で…見た。 「入道雲?」と言ったら母は「そうだね」的な反応をしてたので、“この辺でも出るんだ”ということがわかり、嬉しかった…。 大人は知ってるんだ…。 でも雨が降る(雨を降らす雲)だということは事実だったようで、そこは残念だった…。 でも納得した…。ああも膨らんでいて、中に何か目一杯含んでいそうな雲ですから…。 入道雲…漢字にするといまだ何か違和感。 (入道雲を見るとそのことを思い出す…) (すべり台での穏やかな一時)                   あとすべり台などから周辺を見渡してみて気になったことが…… 隣接する民家の場所は…すぐそばでありながら… こことは別の世界…。 園外に出ることはできませんからね…。 決壊の向こう(行けない場所)=別世界…。 一歩柵の向こうは主に家族にサポートされるイメージの自分の別の一面がある場所…。 今自分のいる場所(園内)は先生達にサポートされた自分のそっちの一面のある場所…。 分かりますか? 別世界、2つの自分… その境界線はあそこ… 本当にすぐ近くなのに交われない…。 一歩柵の向こうにはごく普通の住宅が並んでいる… あそこは幼稚園とは関係のない普段の現実世界…。外の世界…と。 普段の環境(園外)はすぐそこ…。 ただ柵を越えれば出ていけるのに…出てはいけない…。 幼稚園にいる間というのは…閉ざされた環境にいて…惨めな感じがした…そんな記憶。これも思い出。 (幼稚園は閉ざされた環境)                   たま…に、スズキtがいない日があった。 その日の体育の時間…ですが、スズキtの代わりをとある別の先生がやっていた。 そのとある別の先生とは………ナナムラt。 その時は…安心だった。恐れることはなかった。 スズキtがいない日=最高にラッキーな日。 体育はやっぱり「体育自体が嫌」…というか、「スズキtが嫌」…というのが大きくて、嫌だった…。 ナナムラtの時なら別に嫌ではなかった…。 逆に楽しいくらいでしたから…。 そういうこと。 数回、ラッキーだった日があった。 サッカー?のような遊びで夢中になれていたような記憶が… スズキtがいない日はラッキーだった… ナナムラtとやる体育は楽しかった…本当に。そんな記憶。これも思い出。 (体育、ナナムラtとなら楽しかった)                   幼稚園でいつものそれとは違うような何か…何か?大きなイベントがあった…。 (何だったのか?もしや兄の卒園式?) 親も皆来ていた…。うちの母もいた。 午前のみで終わり、昼前には帰りになった…。 その帰り… 皆親が来ていたので、親と直接帰る…という方針で、いつものようにバスは出ていなかった。いつもの帰りの時間でもないし… うちも母と直接帰る… 母は車で来ており、車を止めた場所まで歩く… 幼稚園を出る前に、カズシkと…もう1人、誰だかは忘れたが、同じ年中の女子と、その親達と遭遇して、帰り道を一緒に歩いた…。 幼稚園から大通りへと続く細い道を歩いていき…大通りのところに出る前… うちの母が…いつものアメを出してきた…。 その時は…自分だけではなく…一緒にいたカズシkらにもそのアメをあげていた…。 そのアメは… 個人的にかなり気に入っていたアメだった…。 どんなアメかって…? それは…「みかん」の形をしていて… 本当にみかんの味…という、面白いアメだった…。 何より、味も良かった…。 面白いし…本当にあのアメは好みだった…。 最近母がどこかで購入してきたアメで… たまにくれていたやつだった…。 カズシk達は、口にしてからも落ち着いた雰囲気だったが… 気に入ったと思ったのではないでしょうか……。 うち、こんなの持っていていいでしょう?とwその時、自分は密かに自慢げだった。。 大通りのところで、2人とは別れる… のだが、親どうしの話がなかなか終わらず…その大通りに突き当たったところの隅で、しばらくたむろしていた…。 その大通りに突き当たったところの右側には… 緑色のバリケードの柵があって… 坂道だから少し高いところから柵が立っていたのだが… そのちょっとした立ち話の間… 自分はその柵の立てられたブロック塀の上の柵とのわずかな足場上を、柵に捕まりながら進んでいった。 ある程度行ってみると戻った。 車で帰りの時…というかそこを徒歩で通った時は… そこでそうするのが恒例となっていた…。 遊び心でそこを進んでみたくなる…。遊具感覚で… この時初めてやったのではない…。 (↑例の柵。) で、母は車はだいたいいつもサトームセンとか、TSUTAYAのパーキングなどに止めていた。 そこの大通り沿いにはロードサイド型の店舗が並んでいて、駐車場弁設の店が多く、止めるところはわりと結構あった…。 あくまで店の駐車場だが…。 駅から離れた場所はどこもこういう感じだ…。 で、車の時はそこまでは歩いていたと…。 自分ら身内しかほとんど知らないでいたであろう、あのアメの味などを… ほかの友達にもわかってもらえて(反応なしだったが)何か嬉しかった…密かにだが自慢げになれた…そんな思い出。 卒園式を見た記憶はない… この時、やっぱり兄の卒園式後ではないか…? いや…もしかしたら迎えにだけ来た…て感じだったのかも…? 同級生の年中の人達もいたのは…同じように兄弟に卒園の人がいたから…?? わからない。 (みかんのアメを自慢)                   何か外で先生の話があって…みんな大勢集まっていた。 そこでみんなの前でムーシャtが… 「正しい鼻のかみ方」を披露した。 最初は全部広げてかんで、そしたら半分に折りたたみ、その状態でまたかんで、 また半分に折りたたんでかんで折りたたんで…と繰り返していく。 というものだった。 これなら省エネで済む。 たくさんティッシュを使ってはいけない。と…。 実際にお手本としてやってみせていた。 実際に出してまではいなかったが…。 新しいことを教わっていい気分だった。 こういう教わったことに限って忘れてたりはしていなくて良かった…。のか? その後の人生でずっとヤクルトを開けたり、鼻をかんだりする場面に居合わせるたびにあれを意識してしまっていた…。w いやいまだにまだ必ずしもあのやり方を実戦してしまう…。 あれ以来、鼻をかむのにティッシュを何枚も使っている人とか適当にかんでる人とかを見ると、 「いけない」「間違ってる」とか思って密かにその人をバカにしてしまうようになった…。 いまだにそんな感じ…。 正しいヤクルトの剥き方、正しい鼻のかみ方、右と左の覚え方等々… それらを教わった時、大勢の生徒がそれを聞いていたわけだが… こんなにその後その時教わったことが影響している生徒は恐らく自分くらいでしょう…。 自分は格別…。特別…。 幼いころに覚えさせたことなんて忘れてしまう… ということも場合によってはあるかもしれないが、このように逆にいつまででも覚え続けていてしまう… という場合もしばしば… 大人達はそこを理解して意識していてほしい…。 正しい鼻のかみ方を教わり、ためになった…と思う… 鼻をかむたびにムーシャtを思い出してしまうのですが。。これも思い出。 (正しい鼻のかみ方が頭から離れない)                   何か外で先生の話があって…またみんな大勢集まっていた。 そこでみんなの前でムーシャtが… 「ヤクルトのフタの正しい剥き方」を披露した。 フタの紙の端っこを満遍なく持ち上げて平たくし、それから外す。というものだった。 そうすると破けずにキレイに剥ける。 それから“それを実装するように”と言われた。 給食にヤクルトがついていることが多かったんだったか? やり方は分かってもなぜだが上手くできない生徒ばかりだった… が、自分はもちろんそんなの何ともなくできた。 それからのことだった。 事務室で給食の時、あの剥き方を覚えていて、給食のヤクルトでムーシャtの前であの剥き方をやってみてみたら…いい顔された。 少し恥ずかしかったが、適当に破いてもそれはそれでそれまた怖い…。 あとその後家でもやってみたことがあった。 その時は母が見ていて… 「そうやって剥くんだ。」「覚えたんだ。」 とか言って誉められた…。 幼稚園で覚えてできるようになったのだということは予め知っていたかのような感じだった…。 ヤクルトの剥き方を覚えた…うまくできるので誉められた…そんな思い出。 こんな簡単なことで誉められるのも何かな…という感じではあった。 自分の手にかかれば、いつもそんな。 (ヤクルトのフタの正しい剥き方は簡単)                   近々○○パ○王国に行くことになっていた。 で行く当日。 たぶん幼稚園からバスでそっちへ行った。 ゲートを入って歩いていった。 マレcらと同じグループで、一本道の通路を一緒に歩いていたと思った。
広場のところに着くと…そこには皆の親達がいた!
うちの母の姿もあった。
何か理由があって来ていた?
ともかく先に来ていた。
嬉しいような感じがした。
最初は親達は親どうしで話し合いみたいなことをしていた。
…
でもそのうち終わって、子供達の遊び相手になってくれた。
その後は子供達と一緒に遊ぼうってことになっていて、そのタイムが来た的な感じだった。
まあ良かった。
で広場で遊んだ。
自分は誰か見知らぬ親の人に手伝ってもらい、とりあえず皆乗っていたタイヤのリフト?のようなものに乗らされた。
怖いが、面白くもあって微妙だった。
その人等がしばらく相手になってくれ、遊べた。
その後自分の親とあまり人の来ない広場の隅の方に行って…
幼稚園から抜け出して普段の日常に返ったようなそんな気分を味わったりとかした…。
巨大すべり台などもあったが、その時はそれには上らなかったかと思った。
しかし…
幼稚園にいる時間に安心できる存在(母)に会えると当時は本当に何というか良い気分になった。
1番分かってくれるのは母…。
家族の人…というのは同じ家族の人にとって、“家”の安心感を持っている…。
“家”という外とは別の場所にあるものを持っている…。
家族は家の一部。
家族の人を見る。ということは家の一部を見るような感じ。
それだから安心感が…。家の安心感。
物心付く以前から関わっている自分の原点。
たとえ引っ越していたとしても、家族達は最初の“住まい”にいたころから一緒なので、古里だ。
ともかくそういうイメージを持てる。
母だけでなく、兄、父だって家の安心感というのは平等に持っている…。
だからその点で安心はできる。
幼稚園での兄の存在も家を引き連れているような感じ?であった。
分かります?あの安心感は何ともいえない。まさに家族ならでは。
家族の人には家族の人にしか絶対にないものを持っている…。
家族どうしの各々は、各々だけの特別な存在。特別…と。
兄弟で同じ学校、そして互いが同時期に在学していた時期があった…等の経験がある人なら誰にでも分かりますね。分かるはずです。
これだからまだ幼い自分にとって兄の卒園は痛かった…。
その安心できる存在が消え、家から完全に孤立された感じになったわけ。
…何か深い話へと進展してしまった…。
で…最後、皆で遊んだ広場で記念撮影をした。
並ぶのに時間がかかっていた…。
“大人数での記念撮影というのは結構大変なんだ…”て何かそういうふうに思った。
自分もわずかながら場所を何度も移動させられた気がした。
というか結局その広場でずっと過ごしてお終いだった。 ○ン○○王国は広く、そこ以外にも色々な場所があったのだが…。 でもそこは家でもよく来るところだったので、別に惜しくはなかった。 来たこと、あるし…。 皆そうだったでしょう。 市内のメジャーな子供とのお出かけスポットだったので。 …幼稚園ではイベントが多く、色々なところへ行ったが、この時のが1番大々的なお出かけ?のような何かそういう印象。 まだ入園後そんなに経っていなくて、こういうイベントが新鮮だったような印象なのだが… “それだったから”というのもあるか…? いつもと違った幼稚園での1日で、新鮮でよかった…どういうわけか母に会え、良かった(なんて思えたこの頃)…そんな思い出。 (ワ○○○王国に安心の古里)                   ある日、イベントでミスター○ー○○○○に行った。 家からも近く、その店のことは前々から知っていたが、実際に行ったのは初めてであった。 「食べ放題」とか話題で、身内からも何度も噂に聞いていたので、前々からどんなところなのかと気になっていた。 ついに自分も来れたわけです。“こんなところだったんだ…”と感心した。 色々な食べ物がバケツくらいのそれぞれの金属の穴の中?に入っていたりして、それは… ヨーカドーや東武のアイス屋みたいだった。 アイスではなくて何か残念な感じ。 これが食べ放題と…。 で、この時も親達も来ていて、うちの母もいた。 自分達は駅寄りの方の角の席に着いた。 で自分でだったかどうかは忘れたが、その穴とかから食べ物とかを取ってきた。。 母がいたために、安心できた。 食べ放題だからといってその、そんなにたくさんは食さなかった。十分な程度。 “それがいい…”と思っていて、もとからそうするつもりでしたから。 ○○○○バーベキューの店内がどんなかを知れて…食べ放題というのがどんなものかを知れて…良かった… 母がいてよかった…そんな記憶。これも思い出。 ちなみに、その後そこには1度も行っていない…。 近場ながら…。 外側からはもちろんいつも見ているが… 店内は見えないですね。。 まあ1度行っていて良かった。 それが幼い頃(人生の初めの頃)なので、ずっと“行ったことある。中はあんなとこって分かってる”そんな自分として生きていけたし…。 この付近では知名度のある店なので、そのくらい知っていないと何かあれ…。 そばのロイヤルホストとかも1度行ったのが幼い頃で良かった。 (ミスターバーベキューの詳細をようやく知れた)                   あと市内の海浜公園に行ったこともあった。 全員で潮干狩り?だかをやらされた。 この先禁止のラインよりも奥へ行っているクラスメイトが何人かいて、見ているだけでスリルがあった。 この時、また親達も来ていた。 ……この時のことはそのくらいしか記憶にない。 潮干狩りということは、5月あたり…だったのでしょうか? そんな初期のころだったか…? 本当はもっと色々と覚えているかもしれませんが… 海浜公園は○○○ク王国とかと同様、親とも普通によく来ていたので、 その時の記憶と混同して何がその幼稚園で来た時の記憶なのかよく分からなくなっている感じ… 確かにそれはその時の…て記憶はあまりないと。 でもいつも行っている海浜公園だったが… 幼稚園の皆がいると何か違った感じ…。 時間に決まりを付けて?いたところとかも“違った感じ感”?を高めていた要因だった… だからわずかながら新鮮でよかった…そんな思い出。 (少しだけ新鮮だった海浜公園)                   幼稚園からマクドナルドの2階建てバスに乗って、南船橋のマクドナルドへ行ったことがあった…気がする… が、それは自分も行ったんだったか…? 記憶が曖昧だ…。 確か…兄が自分のまだいなかった年中の時に行った…のだったと思った。 それで帰ってきたらテンション上がっていて、一時期マクドナルドのキャラクターとかに夢中になっていた…。 それでそのうちマクドナルドの服とかを買ってもらった。 結局良かった。兄もそう思っていたかと。 で、自分が年中の時にもう1度行った…ような気がするのだが、はっきりした記憶がないので、確かではない…。 ほかの記憶と混同している…という可能性が否定できない…。 兄は行ったのだと思った。 … それからずいぶん長いことして… 小学生の時だった。 ららぽーとに行った帰りに南船橋のマクドナルドのドライブ○○○に寄った。 その時、店の裏を通ったのだが、裏にマクドナルドの2階建てバスが止まっていた…。 その時、車から降りてバスの中を覗いた。 真っ暗で誰も乗っておらず、寂しげな感じだった…。 その時に… 母兄らが楽しかった。また乗りたい。みたいなことを言っていた。と思った…。 その時点ですでに記憶は曖昧だった…。 そう言っていたということは、やはり少なくとも兄は行ったのでしょう…。 自分も行った…気がする。 面白そうなバスだった…。 普段乗ることなんてできない凄いマクドナルド2階建てバスに(確か)乗れて特別な気分だった… マクドナルドに兄がハマった… 兄がハマると確実に自分にも影響が…と。これも思い出。 しかしあのバスは何だったのか?と思って調べてみたのだが… やはりまさにあのバスは実在していた。 どうやらあれは「マクドナルドパーティバス」というバスだったようだ。 海外から輸入してきたバスを改装してマクドナルド風世界観の外観にしたバスだとか。 現在は皆廃車にしてしまって、ほぼ残っていないとか…。 通りでもう全く見なくなったわけ…。 幼いころは特に気にしていなかったが、今思ってみると気になること…というのが結構、あります…。 思い出してみてください…。 それで調べてみて詳細を知れると時を越えて不思議な気分になる…。 (南船橋のマクドナルドに!!まだあった。年季が入っている…) (マクドナルドツアーによる影響)                   どうしてだか忘れたが、たまに母が早めに直接迎えに来ることがあった。 その時が何気なく好きだった。なかぜかというと… 母は教室の前まで上がってきていたのだが… 母が来て、母が先生と少し話をしたあと、最後は廊下で先生と別れるのだが、 その別れのあいさつとして?必ず先生が面白いことをしてくれた。 そのこととは… 「1、2、1、2、1、2、、ソレー」というやつ。 全然わからないか。これでは… まあ簡単に言うと、“た○○た○○”です。 リズムに合わせて6回小さくジャンプし、タイミングを合わせ?、最後のかけ声のところで、一気に飛び上がります。 ソレーの前の一拍がポイント。 あれがスリルあって、面白かった。w それだけでなく、好きな先生にやってもらえているところが、またよかった。 それに自分だけのために…です。 たぶんほかの子供にやってあげたことはなかったのだと思う。 ほかの生徒にやってあげているところは見たことがなかったし…。 好きな先生が自分だけのために特別に…。それに面白い、と…。 自分の様子から察して、あれが好きだということを分かっていて、それで必ず忘れずにやってくれていたのだろう。 家で母が真似てやってくれることもあった。 ナナムラtとの付き合いが終了しても、やってくれていた… そう、先生から受け継がれた感じ。… この続きは…次章にて。 とりあえず、好意のある先生に○○い○○いしてもらえて嬉しかった。面白かった。そんな思い出w (ナナムラtとのお楽しみ)                   お弁当の時… 食べ終わった人は皆いつも…自分のお弁当用具(弁当箱、ハシ入れなど)を… 積み木のように並べて橋を作ったりトンネルを作ったりして遊んでいた。 必ずそれをやっている人がそこら辺にいた…。 自分もそれがやりたくて、しかたがなかった… が、自分は食べるのがあれで遅く、食べ終わったあとにそんなことをして遊んでいる余裕はなく、いつもできなかった…。 いつも皆終わってしまい…1人取り残されて食べていると…カズシkが様子を見にきていた…。 それで、カズシkは自分のコップの中を覗いてよくこう言っていた。 「油が浮いてるよ」 …それが嫌だった。 “アブラ”…てのは何?とも思ったが、すぐに何となく“ああこれのことだ…”て分かった…。 どうやって飲んだら油が入らないのか…?油が入らない人はどうやって飲んでいるのか…?と考えさせられた…。 何か汚れているような感じ、したので… 油を入れたくなかった…。 口をつけると、その時にどうしても入ってしまい、困ったものであった…。 飲むと油なんかが入るなんてのは自分だけかもしれなくてまた心配だった…。 カズシkに「油が入ってる」と言われるのが嫌だった… どうしても油が入ってしまい、嫌だった…そんな思い出。 (アブラが入ってるよ)                   そんなだったのですがある日… 珍しく早く食べ終わり、わりと時間に余裕があった時があった…! 早速自分はあの遊びを初めてやってみた。何か夢のようであった… … しかしながら…自分のお弁当箱はシンプルめだったので…皆みたいな面白い感じにはなかなかできなかった…。 お弁当箱以外には、細長いハシ入れ、ジ○○レンジャーの平たいスプーンとフォーク入れ、トー○スのコップ、水筒を持っていたと思った… がどう組み合わせると面白いか?なかなか案が浮かばなかった…。。 まあ一応ハシ入れで橋を作ったりできたが、どうも思ったほどパッとしなかった…。 これだけでは…こんなのでは…何か…という感じ…。 とりあえずみんなのお弁当箱がその、うらやましかった…。 皆ハシ入れを“人”に見立てて、それを動かして橋を渡らせたりとかもしていたのだが… それもやってみたかったのに材料的に人なんかを用意するような余裕はとてもなかった…。 … でも後々思ったらあれだけの材料でも面白いのが作れたのではないか?と即座に何も浮かばなかったことを惜しんだ…。 今でも惜しかったと思う… 新たな楽しい思い出を増やせるチャンスだったのだから…。。 案が浮かばなくて、無理だと思ってしまって、惜しかったが… まあ一応皆やっているあの遊びを自分自信もやることができてその点は嬉しかった。そんな思い出…。 ちなみにお弁当箱は…け○○ぴ○のその形をしたお弁当箱でした。 (念願のお弁当用具遊び)                   ある日の午後… 月組にまた全学年合同で集まって、何かしていた時だった…。 もうすぐ終わり…帰りだ…て時間になってきて、気分がよくなり出してきていたころだった…。 何やら外が慌ただしい様子… 窓の外に注目した…。 見知らぬ人がたくさん来て…何やら面白そうなものが運ばれてきた…。!! 新しい遊具? そう。それは、、新しい遊具だった。 凄いやつだ…。 どんなのって… お城。 まさしく、お城であった。 その新しい遊具が置かれ、それが園庭の遊具の1つとして加入されたが… とても違和感があった…。 見慣れた遊具の中に混じって1つ、見慣れない遊具が存在しているのに何かとても違和感があった。 これがここの園のもの…という感じ、しなかった。 キノコハウスや動物ベンチとか以外の遊具は見合わない…。 というか、“元からあったもの”ですね。自然体は。 で、そのうち休み時間、その新遊具の中に入ってみた。 “お城”といっても小さくて… 中に入ってみたらほかの園児たちも来て窮屈で嫌だった。。 そんなで1度しか入りませんでした。 大きさですが…あのキノコハウスよりかは圧倒的に小さかった。 外観は格好良いが、実際目の当たりにすると小さいのがあれだった…。 だがその遊具にも…そのうち見慣れていった。 多少“FB幼稚園に見合った遊具”と感じるようになっていった…。 見慣れる。というのがまだ不思議だった。 そういうことがあるのだということを学んだ。 いつもの幼稚園の園庭に新しい遊具が…お城が設置された… 最初はちょっと違和感あって気に食わなかったながら… 自分には微妙な遊具だったながら… でもやっぱり遊具が増えて嬉しかった…存在してるだけで。外観が豪華だし。そんな思い出。 小学生になり、長らくしてから… 写真を見ていて、写真にこのお城が写っていて、 「これ新しいやつ…」 とか言ったら…兄も覚えていて、兄は 「新アトラクション」 とか言い、 「これ新アトラクションなんだよ」 とか言って、台所にいた母に写真を見せていた…。 母は何のことだか何が言いたいか分かっていたのだろうか…? あのお城のアトラクション?が幼稚園に運ばれてきた時、同じ教室に兄もいたと思った。 アトラクションってのはテーマパーク(←ゲームの)から来ていたもの。 そう言っていたのはゲームの影響。 確かにテーマパークのアトラクションっぽい…。 キノコなんかも…。 「遊具=アトラクション」て、いいたとえ。 (新遊具はかなりの違和感)                   ある日、長方形の紙を渡された…。 その紙に… 「字」を書くのだとか。 「七五三」… カッコいい漢字だ。 そう書くように言われた…。 こんなカッコいい文字、ぜひとも書いてみたかった…。 で、黒のクレヨンで縦に七、五、三と1文字ずつ書いた。 まだ新鮮だったので…1文字ごとの出来映えチェックにやけに念を入れていた…。 「七」を書いた時だが… 書き順が違うとかなり注意された…。 その後も七の書き順は注意されることが多かった…。 「五」が1番気に入っていた…。 複雑で“書けると凄い”と思えるような感じな漢字だったから…。 三は皆三本の棒のそれぞれの長さがバラバラで間違っていたが、自分は正しく書いた…。 まともに書けて“いい”と思った…。 実はその紙は袋になっていて… 中に千歳飴を封入してもらい、持ち帰った…。 … この日、年長も同じものを制作していたようで… 兄も同じものを作って持ち帰ってきていた。 兄のは「七五三」ではなくて「千年あめ」であったと思った。 そちらのには笹の葉の絵が描いてあったり、折り紙で作った亀なんかが張り付けてあったりもしてよりそれらしく、いいと思った。 兄は「千年あめ」という文字を書いただけ(ほかの部分はナスビtが作った)とのことだったが… どうあれ“さすが年長はレベルが高くて凄い”と思って尊敬…というかこんなのを作ることができて、うらやましかった……。 中の千歳飴は赤と白のが2本入っていた。 兄のも同様にその2セットだった。 せっかくの何か珍しいものだったので… 食べてしまうのがもったいなく… なかなか食べずにいた。 というか兄がもったいぶっていて食べないので自分も食べなかった。 指令権は兄にあった感じだったので。食べたら“かってに…”てなる。 結局ほぼ食べずに終わってしまった。確か。 また気付いたらうちから消えていた。 千歳飴は本当の七五三の時にも別にもらったことがあった。 でもそっちのは幼稚園でもらったものとは若干見た目が違っていて、気に食わなかった。 “本物”という感じ、しなかった。 やはり最初に見たものが自分の中ではデフォ…。 でも千歳飴の味を覚えている気がする…いや確かに覚えている… なので…どちらかのを多少はナメた?ナメのでしょう。間違いない。 そういえば兄が少しナメていて自分も微妙にナメたんだった気が。。 兄はそうでもなくとも自分は好みなので普通にナメてみたかった。 千歳飴袋を作った… 普通に七五三と書けて気が高かった…(書けなければ特別な存在) 兄のがうらやましかった… 千歳飴がどんなものか知った… 千歳飴に馴染めた…そんな思い出。 (「七五三」と書いた。千歳あめ袋作り)                  
何か夏祭り?みたいなものをやっていた時があった気が。
廊下の月組前あたりに出店みたいのが出ていて、そこで水の入ったヨーヨーをもらった…
とそれしか覚えていない…。
夕方だった気がするので…ひょっとしたら休みのはずの日?夏休み期間中? そこのヨーヨーは兄ももらって、うちに2つあった。 2つのヨーヨーは少し模様や色が違った。 自分の→←兄の 自分がもらったものの方が気に入っていた。 圧倒的にそっちの方がいい気がしていた。 やはりそれって…“自分がもらった方”だからだったのか? そうではないと思っていたが。 月組前でヨーヨーをもらった… 兄がもらったものより、自分がもらったものの方が良くて良かった…そんな記憶。これも思い出。 (自分のヨーヨー > 兄のヨーヨー)                   教室で音楽の時だった。 年長の時だったので教室は月組。 月組での音楽…というのはこの時しか記憶にない…。 その唯一のこの時… こいのぼりの歌を教わった。 あのこいのぼりを作った時と同時期か…? というかそもそも、年長は少ししか行っていないので、年長の記憶は全部同時期だ…。 で、この時こいのぼりの歌を最後まで覚えた。 お子さまランチの歌の時みたいに一局的にそれを教わった気がした…。 それで…。 こいのぼりの歌を覚えられて、覚えることができて、何か気持ち良かった…。 気持ち良かった…そんな思い出。 けど何かやはり… 何かやはり月組だと… ワーイtに教わったものとなると… どことなく、イメージが悪い。。 (こいのぼりの歌、覚えた)                   体育でやらされるのはいずれも“嫌い”だったり、“怖くて無理”だったりで、怒られて嫌な時間であった。 何よりスズキtがあれだったからこそ、恐怖の時間だった…わけ… だが、1つだけ唯一得意で好きなのがあった。 それは…○○ヂ○○○。 結構やることがあった。 自分はその○○○ボールの時、なんと“1度も”ボールに当たったことがなく、外野に出たことがなかった。 絶対的なキャラであった。 そういうふうに言われたことはなかったが、事実上そうだった。 逃げまとっていれば絶対に当たらずに済む…。 でもそうしている人は自分意外にはいなかった…。皆無能。 でもたまには攻撃もしていた。そうしないと“ズルい”と言われそうなので… 攻撃も決して“苦手”というわけではなかった。 強ければ楽しい。だからこれは楽しかった…。 ド○○○ー○が絶対的に強かった…それで楽しかった…そんな記憶。これも思い出。 (密かに絶対的存在だった。ド○○ボール)                   … 親達も観覧しいる運動会でもそれ↑をやった。 その運動会の時の話。 いつも体育でやる時は制限時間があり、時間になると強制的に終了だったのだが、 この運動会の時のは“時間内”…ではなく、“最後までやる。”という特殊な設定だった。思ってみるとそうだ。 … で始まったのだが、自分はいつも通りずっと生き残っていた。 少しずつ人数が少なくなっていく… それで少しずつ自分の存在が目立ってきた… そして… ついに最後の1人まで生き残った。 その時点では相手側もあと1人になっていて… 1対1の対決となった。! やっぱり自分は絶対的。 でもまだだ。ここからだ。 もう攻撃してくれる人がいないので、自分で攻撃するしかない。 自分は珍しく相手のボールをキャッチして自ら投げ返し、攻撃を続けた! 自分は絶対的な存在。その意地があったので、1プレー1プレーが偉くヒヤヒヤモノだった、、 でもあっちもあっちでよく知らないがよく知れた○○ヂボールの強敵だったようで、応援はなぜか相手側に一局集中していた。… 「ナナチャーン」という掛け声がただただ響き渡っていた。 自分が嫌われ者だったこと、相手が女子だったことが要因し…応援があっちに一局的に集中していたのだろう…。 でもこっちにも意地が。。 結局は…自分が見事相手にぶつけ、勝利した。 自分は攻撃も得意。逃げてるから強いのではない。ということをアピールできた。 しかし…… 負けた相手はその場で  泣いてしまった。 そうしたら自分は全く誉められず、悪者のような目で見られてしまった…。 人を自らの行為で泣かせた…というのは初めてで、自分自信でもこれは…かなりショックだった…。 自分はその“絶対的な存在”というのを守り抜いたわけだが…全然…喜べなかった。 でもどうにもできないことだった…。 でも逆の立場を考えると泣きたくなるのも…わかる…。 逆だったらこっちが…その…。 こっちが泣いたってあの相手とは扱いが全然違う…というのは目に見えていましたが。。 自分が泣いたって同じく悪者は自分になっていたことでしょう。“泣くんじゃない”という感じで… 相手が喜んでいたことでしょう。 わざと負けるべきだったのだろうか?どうだろうか…? 自分が勝っても、そのことに関してはその後一切誰も触れてくれませんでしたし…。 親も見ていたと思うが…このころときたら…。 その相手(ノノcとやら)と関わったことなど1度もなかったにも関わらず、その名を未だに覚えていた…w その相手は…どことなく“長靴を吐いた紫の少女”といった風貌の子?wであった…。そんな印象が。 でも人を泣かせたこと、というのは…これ以来1度もない気がします。 これ以前にもなかったわけですから、人生でいまだこの1度以外にはありません…。それだけに印象的。 ド○○○ー○は必ず生き残れ、楽しかった…密かに園内一?の強さだった… でもそれで人を泣かせてしまったこともあった…それは嫌だった…そんな思い出。 この時のこと、確かに覚えている。これを忘れるわけがない。 (人生で初めて、人を泣かせる)                   ところで… 運動会ではそれよりか(それもだが)、グランド一周のバ○ンリ○ーが印象的だった。 自分の走る番は1番最初だった。 それの練習は数え切れないほどやったのだが、競争相手の生徒(決まって毎回同じ)に1度も負けたことがなかった。 自分が走るのはトラックの外側で、走る距離が自分の方が長く、ハンディがあったにも関わらず、必ず勝てた…。 その競争相手も自分からしたら遅かったが、実際そんなに遅くもなかったと思う…。 「遅い」とか口では言ってしまってましたが。自分が早すぎると思われないようにするために… 本番でももちろん自分の方が速かった。 “実力が違えば何度やっても同じ”ということをまさに実感した。 みんなにも実感させられていた…だろうか。 何度勝っても勝ったことに関して誰にも何も触れられたことがなかったが…。やっぱり自分だと… その後は、最初に自分が彼に突き放した差をキープしていって、そのままゴール…と、かなりチームに貢献している感じだった…。 ちなみに次の相手にバトンを渡したあと… どこで待機していたらいいのか…まあ分かっていつつも、何となくあやふやだったので、 その辺にいる先生に待機場所に誘導してもらえるのをあえて待っていた…。 何度もやって、覚えていつつも、なんとなく分からないふりをしていた…。もし間違ったら…て思って念のために… そもそも何度もそうしてしまったので、そうしないとあれな感じに… グランド一周の競争であの相手には絶対的に勝てていた… 自分のおかげで、事実上自分側のチームも勝てていた…それで嬉しかった… ような誰も何も触れてくれず、残念だったような…そんな思い出。 (実力が違えば何度やっても同じ) 運動会の記憶…はまだまだあります。 何か不思議なほどに色々な場面とかを覚えている…。 こうなるとここでその不思議さを伝えるため、それらの記憶を話しまくってみます。 以下はずっと運動会での話。あとはこんなようなことがあった。                   昼前くらいに…小鳥のさえずりみたいなイメージの何か少しやんちゃで慌ただしい感じの ほんわかした音楽に合わせてやる○○ス?(あれは何というのか?)を確かやった…。 自分はトーマkかカナエc(どちらかだと思ったが、どちらだか忘れた)と、両手○○○とにかく○った。 かなり○が○った。相手が止めてくれないので… ただ○っただけだったと思った…。 そういうのでよかった? そんな記憶。 … それからのこと… 小○校の運○会である時… この時のあの音楽が流れた…。 !?、これは何か懐かしい…そんな感じだ…いつかの… て思って…このことを思い出したんです。 時が流れてしまったんだ…と胸が張り裂けそうな気持ちであった…。 でもしかし、そういうのは…そういう気持ちに耐え、忘れているしかない…。 で、その時とかも、確か近くの○○とその○○のをやった…。 この音楽=その○○○? (馴染み深い音楽)                   あとは…午後に玉○○をやった…。 結構入れられた感じして、あれはかなり面白いと感じた…。 もう1度やれるチャンスを欲しい感じであった…。 そのあと綱○○をやった気がする… それは親だけでやるという種目であり、自分らがやったのではなかったような気がする。 やらなくともそんなのは新鮮だったので、見ているだけとも、自分らがやるの以上に面白かった…。 全部それとかではあれですが、親が…というのは珍しかったので、それだけにそれほど面白かった…とそういう感じが大きい…。 こういう時くらいは…と母は控え、父だけが参加していたような気がする…。 あくまで気がする…という感じで、“そこまでは確かな記憶”といえない…。 でもそうだったような。 この記憶自体が幻のような、何かと混同しているような…そういう何か曖昧な感じ。 新鮮で楽で面白かった…そんな思い出。 (新鮮な綱○○&玉○○)                   まだあります…。 これも午後だった印象。 「お○○ん○や○○!」という企画の種目?になって… それが始まった。 でそれは…自分の父の足の甲の上に子供(自分達生徒)が乗って、両手繋いで(そうしないとバランスとれなくて落ちる)歩いてもらう。 というやつだった…。 うちも…やった。 やる前はやはり(その種目自体)を馬鹿にしていたのだが… !やってみたら… 自分は歩いていない…ただ足の上に乗っているだけのはず…なのに、かってに歩いて移動していて… “これは凄い”て思って… 割と面白くてよかった…。わからないもの…。 これは子供でないと(つまり今しか)できないわけです。子供にしか体感できない凄さ…。 面白かった…ものの、それ以来あれをやってもらったことは1度もなかった…。 でもあの感覚は忘れませんでした…と。 ほかの親しい友達らも親とやっていて、皆自分と同じこういう気持ちなんだ…それでそんな…と、 ほかの友達の気持ちがリンクして何か伝わってくるものがあった…。あの気持ちは…こう言い表せると…。 何か人の心を読めているような気がすることがあった。 父が来ていない人は…どうしてたか? 大人の身内なら誰でも良いですね。誰も来ていないという人はさすがにいなかったことでしょう。 この企画は…普段さほど関わらないであろう父と触れ合わせてやろう…という案から来たものだったのではないか…と今思うと思う…。 父…てあまり接しないながら、何気に慣れている人で… それでありながら新鮮味があって…そういうところに何とも言えない良さがあったもの…。 足の甲に乗る遊びをやった… 何気に凄かった…面白かった…そんな思い出。 この記憶は「確かな記憶」です。 綱○○の種目みたいに「気がする…」とかではない。 こうも細かく書いているのだから、そうだということくらい伝わっていたとは思いますが…。 (かってに歩いて移動!)                   あとグランドで長○○走みたいなのもやった。 この運動会の時だった…かは確かではないが… この時くらいしかそのようなことをする機会、なさそうな気がするので…この時か… で、自分は3位であった。 というかあえて3位でゴールした。 全力で走ると絶対に1位になってしまいそうだったからだ…。 3位を狙って気を抜いて走って、本当に3位になれていたし…。 バ○ンリ○ーでは結構本気めに走って、1度も抜かされたことはなかったし… 自分はただ者でない人間かもしれない…そうかもしれない…と、自分でも怖く、ほんとに全力で走ってみる勇気がなかった…。 順位とかが出てしまうのだと、早いことが(自分のほか、他人にも)わかってしまうので、増して気を抜き、力を隠すようにしていた…。 なのでちょっと謎のベールに包まれているところがある…。 果たして全力で走っていたら…結果はどうだったのか? まあ普通の人間から生まれた子供でしたから、それなりだったでしょう…。 でも普通より速かったことは確かであろう…。 あまり順位が下でも残念がられるかもしれないし… 2位だと誤って1位になってしまう心配があり、普通に2位では凄すぎてしまう感じもある…。 で、かなり誉められ、喜ばれつつ、ほどほどに並みな…3位が程よかったと…。 あと以前、“速い”と言われていた兄が何かで3位だったことがあった。それで称賛されていた。 兄を越してしまうとヤバいので、2位以上はダメ…という、そういう事情もあった…。 ここだけの話です…。 まあ3位は楽だった…。 …○トン○レーの時は全力めに走っていたわけだが… それはチーム制なので、2人で走って“どちら”が速いか?だったので… 速く走ってもあまりどれだけ速かったかが分からずに済んだ…。自分にも、みんなにも…と。 だからさほど走るスピードを加減しなくてもよく、より気楽だった…w 3位になろうとし、3位になれた… 行き過ぎなくて良かった…そんな思い出。 (3位へのこだわり)                   この時の親がシートを張ったうちの陣地は、船のそばの砂場寄りの方だったと思った…。 親元は幼稚園とは掛け離れた世界…のような感じで… 異世界…のような感じで… 安心だった…。 ちょっと離れるとまた現実返り…と。 事務室に連れていかれたあの時は…午前だった。 こう運動会の記憶がこのように非常にたくさんあるわけだが… 全部同じ日… なんですよね? とこっちが問い掛けてもしかたがないw 1年に2度はやりませんから、そうなのでしょう…。そのはずです。 でも不思議と、もしかしたらそうではない。全部別の日かもしれない。て思える…。? 長く記憶する能力が低かった?とかでしょうか…? 同じ日でもバラバラに記憶している感じなんです…? クリスマス会とか春の会の記憶も完全にそうだ。。 でも結果的にその日のほとんどのことを覚えていると…。 これ、もしや大人の普通の記憶のしかたではこんなにも記憶できないのでは…? ある意味大人よりも上…? 興味深い…? で、流れ的にはこうだろうか…↓(推測) ○ト○リレー→ド○○ボール→事務室連行→○鳥っぽい音○の○○○→昼→玉○○→綱○○→父企画→長距離○ こう見ると本当に自分でも疑わしいくらいだ…。 決して運動会が楽しみで、楽しかった…といったような感じではなかったのだが… どういうことか? なぜここまで記憶しているのか…? あそこでああいうことをした…という経験、実際のところこの日だけだったが… やったわけですから、「やった」という印象が強くて…何回もやった…ような感じがして… それぞれの記憶が別々の日の記憶…のような感じになっているのか? 記憶がバラバラになってしまった…とも考えられる…。 たくさん覚えている…という点は…説明のしようがない…。 いや…やっぱり心の奥で何気なく、珍しい体験…と思っていて密かに印象づいた… とそんなかもしれない…。 にしても記憶が集中しすぎている…。 考察はまあこんなとこで。 (運動会まとめ)                   幼稚園で最初に作った作品は“紙コップのやつ”、折り紙で最初に折ったのは“桃”でしたが… 音楽の時間、最初に覚えて弾けるようになった曲は…「○○ー○ッ○」だった。 すぐに弾けるようになった… それで…家に確か祖母が買ってくれた高機能電子ピアノ?があったのだが、 それで幼稚園で覚えたチ○○リ○○をどさくさに紛れて自分は早速弾いてみた。 …別に家の人に聞かせるつもりはかったのだが…母に聞こえていて、誉められた。 “誉めてくれた要因”だが、“ピアノなんか弾けて凄い”ってのが大きい…だろうが、 “幼稚園で教わったことをちゃんと覚えていて偉い”てな意味合いも持ち合わせていたのではないか?と思う。 ピアノが弾けて誉められた…そんな思い出。 ちなみに幼稚園でやっていたのはピアノ…というか、ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)や木琴。 でも家で弾いたのはピアノだったので、ピアノを弾いたと…そういうこと。 ピアニカは、ピアノみたいなものでもあるか…。 ちなみにそのピアノにはオート演奏機能なんかもあって、ほんとは弾いていないのではないか…?と怪しまれる危険性もあった…。 しかしこの時は大丈夫だったと…。 兄がオート演奏にして、自身はそのそばにいて…自分で弾いているフリをしてる?こととか、あった…。 嫌らしい。自分はそれはしなかった。 (ピアノが弾けて、誉められた)                   その後ほかにもいくつかの曲を弾けるようになった。 “めりさん○ひ○○”とか、“き○き○○○”とか。 いずれも、すんなりと覚えられていた。 また自然とすぐにいつの間にか覚えていた…感じ。 で…どう覚えていたかと言うと…… 自分はドレミでその曲を覚えて、覚えていた。 ピアニカや木琴には、(ど)(れ)(み)(ふぁ)(そ)(ら)(し)… と対応するところに各々のシールを貼ってくれていたので、そのところを“覚えたドレミでの歌詞”?の通りに押していた。 それで覚えたら何の問題もなくスムーズに弾けていた。 例えば「○○ー○ッ○」なら… ドレ○ ドレ○ ソ○レドレ○レ ドレ○ ドレ○ ソ○レドレ○ド ソソ○ソララソ ○○レレド そう覚え、単純にその通りに押したり叩いたりしていたと…。(いまだ記憶していた…) 「ドーレー○ーー」というように音楽に合わせて覚えると簡単に覚えられる… 普通に演奏もお遊戯同様、自分でも自分は驚くほど覚えがよく、大丈夫(問題なし)であった…。 というか「ドーレー○ーー」とか、ドレミで覚えてしまったら… 歌詞がそれになってしまい… ふと、思ったら“本当の歌詞は?…何だったか?”てなっていたりも。。 でも「サーイー○ーー」だけ出てくれば一気に全部思い出す…。 “ああそうだった”と…。 事故解決…。 それもドレミで覚えたころだった…。 ○りさ○○ひ○○なんかものちに同様に混同し、勘違いしたことなんかがあった。。 というか「○○ーさん○し○○」だった…w “○○ー”と伸ばすことに気がついたのは小学生になってからだ…。 最初に「○○さん○ひ○○」…と覚えたから、いまだにそれの方がピンと来たり… だから、それにしておいたと。 「し○○」は「ひ○○」だと思っていた。 以前のネタであったが、「室」を「ひつ」だとも思っていたし…。 「し」と「ひ」はあまり違わないようで実は違う字。 ドレミで曲を覚えていた… 自分はまた覚えがよくて驚きだがもちろん悪い気はしなかった… 良い気持ちだった…。これも思い出。 (曲の覚え方)                   木琴、ピアニカのほかにも色々な楽器をやらされていたもの…。 「カスタネットは中指にハメて、叩く。」 「タンバリンは平手打ちではなく、丸めた指(猫の手とやら)で叩く。」 「鈴は左手で持ち、右手で鈴を持っている方の左手のこぶしを叩いて音を鳴らす。振って音を鳴らす時は、手を上に挙げて振る。」 などと教わった…。 鈴は2種類の技があったわけです。 いまだ覚えているとは… 先生らも教えがいあったもの…。 いやどうか… せっかく大人になっても忘れずにいたわけだが… 覚えていたって何の意味もなかった気がする。 というかこんなことを知っていたって何の意味もないでしょう。 幼児のころにしかやらないしw 実際そんなの、やる機会はなかった。ないです… 幼児がやるものだから。。 シンバルの迫力に驚き、叩いてみたかった…と以前の話で言ったが、それを担当する機会はなかった…。 あと木琴のバチのしまい方、ピアニカのしまい方もどう教わったか覚えている…。 バチは2つ束ねて、ケースの手前の端っこのすきまに入れておき、ふたをハメる。 「ここ、入れるとこ?」「これで怒らない?」てな感じだったが… 実際こう教わったわけ。問題なしということで、怒られはしなかった…。 ピアニカは…何かホースや笛の部分なんかも全部がケースにスッポリと納まるのが…気持ちよかった…。 色々な楽器の使い方を教わった…そんな記憶。 幼児のころに幼児らしい楽器をやれて、一般的な思い出を持つことができた…だから今思うと良かった…と思える。 体育は嫌い、工作関連は顔を描くのは嫌いだがそれ以外は好き、でした。 「音楽」はというと…嫌いでも好きでもなし。だった。 (当時使っていた木琴。いまだに使うことがある。バチを入れる場所は右下のすき間。) (楽器の使い方)                   楽器のほか…手遊び類もよくやった…。 それもまた、幼稚園で覚えた後には家で披露していた。 せがまれたりもして…。 最初に覚えたのは…○○○クリ…というのであったと思った。 また誉められていた…。 覚えたことを忘れないでいて偉い…ということで誉められていた? ○○○クリ…というのは、クリ…ではなくて、何となく木の方を重視して、“大木”とイメージしていた…。 …間違いではない。 教室で何度もやらされ…いつのまにやら覚えており、できるようになっていた… 習得できたと確信した時…その時は清々しい気分だった…。 懐かしい。 幼稚園でその手遊びと歌を覚えた… 覚えられて…良い気分だった… そして誉められた…そんな思い出。 (○○○クリを覚えた)                   ○ー○ー○○○○というやつは最初「ヒートー○○○○」と言っているのかと思っておりw“ヒートー”って何?と疑問に思っていた…w 人巻○。じゃ、何か怖い? のちに「イートー○○○○」だということに気がついたが、何か余計におかしな感じがした…。 自分的に前者だとばかり思い、それで定着していたので、後者は違和感あったということもあり、余計に。。 後者も後者で謎めいた言葉だし…。 イトを「イートー」と言うのはおかしいと思い、イトではない何か別の言葉かと思っていた…w 「イートー」でも「ヒートー」でもそれは何か謎めいた宇宙語のようなイメージになっていて、少し何か奇妙な歌に感じた。本当だ。 本当の話。幼い頃、こう思ったのは自分だけなのだろうか…? 何かいまだ、宇宙っぽい奇妙なイメージが……。 でも意味はよく分からないながら、これも家で披露したら“意味が分からないながらやってる”なんてこと、 母はまんまと気付かず、誉められていたもの…。 最後までできるーてな感じで…。 まあ“何かを作ってる”ということくらいなら一応分かっていた…。 その手遊び歌、よく分かっていなかった… しかしそうだとは思われず、やると誉められていた…そんな記憶。これも思い出。 数年後、“○○○○”からして、○○○○が糸だということに自力で気が付いた… “その可能性高いっ…”とそれに気付いた時はいきなり頭の中で衝撃!であったもの。。 すべり台の下にいた時だった…。 (×ヒートー○○○○ ○イートー○○○○)                   ちなみに朝の天沼公園での4コースのバス待ちの時やバス内で流行っていた手遊びがあった…。 それはというと…「セッ…」で始まり、最後に○ゃ○○○をするやつ。 結構やっている生徒、多かった…。 よく息が合うものだな…と思っていた。 自分もまたやらされており、案外簡単にできていたのだが… “よくできる…”と誉められていた…。 子供だと何でも誉められていいもの…。 特に「膨○○○」のところ… “上手く丸い形にできてる…”と驚かれたり。 自分でもそこは何か好きだった。 自分はこういったことは恐らく大人以上にできていたので、嬉しさを鷲掴みだった…。 これ、この当時たまに気分転換や○ゃ○○○の時に家でも母によくやらされていた…。 バス待ち時などによく誰かがやっている手遊びがあった… 自分もそれがいい感じででき、誉められていた…良かった…そんな記憶。これも思い出。 「ゲ○コ○…」で始まるやつとかもこの「セッ…」などと同様な感覚でやらされていた…。 それとかあれとかも…。 (流行っていた手遊び) … 手遊びで誉められていた…手遊び系統の色々な思い出でしたと。 幼稚園でやらされた手遊び歌…色々あったわけだが、断トツで1番面白く、 気に入ったものは…やはり「静…」で始まる「○○○ヒ○ ○○○○ク」てなやつ… 帰りの話の時に言いましたが… 帰り際だし、ナナムラtだし、面白いしで最高の一時であった…と。 いや面白かった…。 家以外ではあまりそういう面白いこと、やれないので、外なんかで面白いことがあると本当に面白く感じたもの…。いや感じるもの… 下駄箱でやっていたあの何作…というのも、その時は嫌だったが…w それ自体は面白い。と思っており“それ自体”は嫌いではなかった…。 知らず知らず何気なくやっていた?感じだった… 幼稚園バスにも乗っていた…お弁当もあり自分で縛っていた…よく遊びに出掛けた…遠足にも行った… 幼児のころに幼児らしい経験をし、一般的な思い出を持つことができた… 幼稚園、そして親に御礼申す。 ここからは一転して…「嫌だった思い出」を中心に話していきます。 その系統の思い出ならストーリー的に書いていた時?に散々書いていますが… それらは皆先生の差別によるおかしな怒られた話でしたね…。 ここで話すのは基本そういう話ではない。 残念だった…ショックだった…そういう話も込み。                   よく人の顔の絵を描かされていたわけだが…顔を描く時。(詳しく話します) まず紙に肌色で丸(顔)はすぐに描けるのだが… そう、そこに“顔のパーツ”を描く勇気がなくて、とりあえずずっと顔となる円の中を肌色で塗っていた…。 それで自分のクレヨンは、肌色が極端に短くなっていた…。 肌色のクレヨンが短くなって、使い果たしてしまいそうで… 「クレヨンは大事に」的なことを言われ、自分は先生らに一際怒られていた…。 確かに肌色だけなくなってしまってはまずい…。 ほかの色はまだまだ使えるのに…。 自分でも極力心がけ、残りを大事に扱うようにするようにしだした…。 ずっと肌色で塗っていたのは、“手を止めてると思われないようにするため”でもあった…。 顔のパーツが描けないから、そこまでで終わり。で、手を止めたいところだったが… 手を止めていたりしたらそれこそまずい。 耳もなんとか気楽に描けるので、時折耳に手を回したり、といった感じで、一応手を止めていないことのアピールへ繋げていた…。 かといって塗り続けていても肌色がなくなってまずい…。 キツい状況下であった…。 手は止めていないものの、肌色でずっと塗っていることを先生に突っ込まれてしまったりしたこともあった…。 あとそんな中… 何というか、よく各色のクレヨンを入れる溝?の部分を対応する色で塗ったりもしていた…。 ここはこの色のクレヨンを入れるスペース…とわかるように…。 別にどこにどの色を入れてもいいのですが、暇なのでそんなことを。。 それで居残りで描かされ続けることがあったが、勇気が出たタイミング?で結局は描けていたと。 顔が描くのが恥ずかしかったりで描く勇気がなく、描けなかった… なので顔を描かされるのが嫌だった… 肌を塗っていて、肌色のクレヨンがやけに短くなってしまっていた…まずかった…そんな記憶。これも思い出。 兄も同様で、“顔”は極力描きたくなさげだった。 (どうして?人を、顔を…)                   ある日、トラックから次々と幼稚園に動物達がやってきて… 幼稚園が動物園になった時があった…。 多くの動物がいて、幼稚園のはずが、動物園そのものだった…。 広いグランドのところは、馬がおり、馬のレーストラックみたいになっていた…。レースはしないが… そこは馬に乗ることができる乗馬体験コーナーであった。 馬に乗り、グランドを一周する。 みんな並んで1人ずつ乗っていた。 自分は「絶対怖くて乗れない」て思ったのだが、一緒にいたカズシkが「乗ろう」と言い、 かってに“自分も乗る”ということにされてしまった。。 何も言っていないのにかってに「乗るんでしょ」「楽しみなんでしょ」て決めつけられて、そこに並ばされた…。 並んでしまうと、カズシkのほか、周りの大人達にまで推し進められて、 “乗らないといけない”というムードが、よりいっそう強まってしまった…。 まず順番が迫ってくると、馬に乗るための階段になっている踏み台の上に上がるのだが… そこに上がった時点で、高くて…その、怖くて…泣きそうになっていた…。 そしてついに自分の番まで来てしまって…… 乗せられてしまった…! 次はシートベルトみたいのをさせられる… 自分はあまりにも怖く… すぐに馬から落下しました。 というかほぼわざと落ちた。 すぐに降りたかったので…。 それで本泣きするとなんとかそこまでにしてくれた…。 … 誰もわざとだとは気づいていなかった…。 乗せられるまでの間に“馬から落ちて…”とそういう作戦を練っていて、それをやったら思い描いた通りになった…。という感じだった… 完璧な作戦を遂行したことにより、まんまと馬に乗ってグランド一周せずに済んだと…。 毎度ながら自分凄い!またそう思った。 でなぜそんなに怖かったかというと…馬の上が高かったから。 馬が怖いというか、高いから、怖かった。 手前の踏み台の上ですら怖かったわけ。 あと馬に乗るのを手伝ってくれていた先生が、ムーシャtで、ムーシャtに乗せられたところがまた怖かった…。 落ちた時はそれほどまでに痛くはなかった…。 走っている途中の馬から落ちたのではないし、大丈夫なように心して、滑るように落ちたので。。 その後…それを見ていたカズシkが見ていなかった人に「馬から落ちたんだ」…と面白がって何度も言いふらしていた…。 彼にとってもこのことはネタで、面白かった模様。 彼は自分の本心を全く分かっておらず、予期せず落ちたのかと思っていた。 本当に予期せず落ちるなんてことがあったらとんでもない。増して乗るのは小さな園児…。 ちなみにその時、自分が最も見とれた動物は… 馬ではなく、飼育小屋?の近くにいた“くじゃく”でした…。美を感じた。 …馬に乗せられ、怖かった…カズシkが嫌らしかった…そんな思い出。 作戦や演技が上手くやれたのは良かった。 (一方的に馬に乗せられた)                   まだ事務室に連行されたことがなかった最初のころ?だったか… 給食の時、1番問題視されていたのが自分だったわけだが… ある日、“もうこれでいい”と、ついに本当に僅かしか口にせず、終わりとした…。 自分的には別に問題なかったのだが… さすがにナナムラtに「これじゃ…」てな感じの反応され… マズい空気が漂った…。 色々言われたが…結局そんな食べず終いだった…。 いつもそんな食べてないわけだが… それでもそれでは一応許されていたわけだから… これでも許してほしかった…。 そう思っていたが、さすがにそうはいかなかった…。 無念な心境。 もうこれくらいしか食べれるものがないので、しかたがなかったんです。 通常時でも“給食”はあまり食べなかった…。 さすがに手つかずに近いくらいではだめで、嫌だった…そんな思い出。 その後どうなるかは最初から読んでいる方ならご存知の程…。 (給食、さすがにだめだった)                   年中の夏休みに… 船の科学館に行った。 中でのことは記憶にない…。 帰りに海沿いの遊歩道のところを歩いていた… … 気付いたら…同行していたはずの母、兄の姿がなく、自分は1人になってしまっていた…。?! 自分のことは忘れて2人で先に帰ってしまったのか…?? という気持ちが芽生え、不安に包まれた…。 … さすがに4才の子供が1人でいるのは変だと思われたようで、そのうち通りかかった見知らぬオバサンに声をかけられた。 自分はその人に保護された。 その場で一緒に少し待っていると… 母達がやってきた… 「なんだ…」という感じ。 おいて行ったわけではなかったとのこと…。 単にはぐれただけ…。 それで一緒に帰ることができた。 … その遊歩道のところは、あまり人気がないような場所だったのですが… なぜ突然見失ってしまったのか?不思議…。今思うと。 さほど昔のことのような感じがしないのも不思議。 帰ってから、そのことをネタにされた…。 父とかに言いふらされ、馬鹿にされた。 ワールドバザールで迷子になった時なども同じだった…。 こういうことというのは面白がられると…。 1人になっていた時は何気にあせった…本気で不安になった… その後は1番小さいからといって馬鹿でもないのに馬鹿にされ、嫌らしかった…そんな思い出。 その夏休み、特に大々的?に遊びに行ったのはこの時の1度だけであった…。 (海沿いの遊歩道で迷子) で…ここからが本番。 ↑までは前置き。 夏休み開けの最初の日、幼稚園でナナムラtが皆に「休み中どこに行きました?」とそういうことを問い掛けてきた。 手を挙げて指された人が1人ずつ遊びに行った場所を言っていく…。全員言うのか? 行った場所を聞くと、先生は毎度“よかったよかった…”といったような反応…。 自分は「船の科学館」… と言おうともしたが、言う勇気がなくて手は挙げないでいた…。 それでいいのかも微妙に不安だったからだ…。 一応“外に出たこと”とかはその日以外にもたくさんあったし(当然)、それだけをピックアップするのって正しいのだろうか…? とかそう深く考えてしまって、いっそう言う勇気が出なかった…。 それが大きかったり…。 そのうち… 「どこも行かなかった」と言った人が現れたw 誰だったかは忘れた。 その後、つられてか、ほかにもそういう人が次々でてきて、そう言った人は数名に及んだ。 先生は残念そうだった…。 同時にかなり疑い深い感じだった…。 自分の席は真ん中あたりだったのだが、そう「どこも行かなかった」と行った人は、 自分の席よりか“右の方”になぜか集中している感じだった…印象。 まだ言っていない人は残りわずかとなってきた…。 ついにもう残りはその「どこも行かなかった」と言った人達と、自分くらいだ… そして… 結局、「まだ手を挙げていない人は彼らと同様、どこにもいかなかったんですね?残念ですね。」 ということで終了… となりかけたが、そうする前に… 先生は自分を気にかけた。 自分に「本当に…どこにも行かなかった?」とかそんなことを聞いてきた。 自分はその時…うなずいた。行ってないということに…そっちにした。 先生は「ほんとに…そんなことないんじゃ…そんなわけない」といった感じで、 やはりかなり疑い深い感じであったが、とりあえずそこまでとなった。 …これで自分としては一見落着だった。 「どこにも行かなかった」というレアな人達の一員になれて嬉しい感じもあった…。 実際どこも行かなかったというわけではないですが…。 一応、1度だけではありますが、事実上遊びに行ったには行った。 … その日、なぜか忘れたが、母が直接迎えに来た。 それで教室まで来たのだが、教室の前で先生と母が直接話を始めた…。 ちょっとその、嫌な予感がした…。 それで…ふと先生は…今日のあの件に触れた。や、やはり…。 本当にどこかに遊びに行ったかどうか…改めて母に…! もちろん母は「船の科学館」と答えてしまった………。 この時は唖然とした……。 この時点で自分が嘘をついたことがバレてしまった…。 先生は嘘ではなくて“それを忘れた”と思った。という可能性もありますが、どちらにしてもあれですから嫌だった。 それを知った先生は自分に「どうして言わなかったの?」とそう聞いてきた。 自分は何も答えなかった…。答えられなかった…。 嘘がバレてショックだった… 自分がちょっと普通でない…て思われたかもしれなくて、そこがまたショックだった…よりによってナナムラtに…そんな嫌な思い出。 言う勇気がなかっただけ… その後ほかの「どこも行かなかった」という人の親にも確認とったのだろうか…? 確認をとったのだとしたら、その親は何と言っていたのか…? 気になるところ…。 でも思ってみるとあんな長期休みの間どこも行かないなんてそんなはずもないですね… 増して子供なのに…。 その後先生があんなにも疑い深かったその理由がわかりました…。 でもその「どこにも行かなかった」に限りなく近かったのは実際のところ、自分だったのではないだろうか? “本当にあの1度だけ”だったわけですから。 しかもその1度は、どこにも行かなかった…というのではあれなので、 “どこかへ出かけた”という事実を作るために出かけた…という感じだったのかもしれなかったし。 (夏休み、「どこにも行かなかった」)                   給食はそのあれであれだったわけだが、しかし…こんなこともあった… 事務室での給食の時だった。 廊下側の方で食べていた…。 大人達は“野菜を食べれば誉めてくれる”…そう思って… 野菜を食べてみようかと試みた。本気でだ。 … 食べてみようと試みた野菜は… 切り刻んである… “ニン○○”であった…。 そして実行…ほとんど見えないくらいほんの少しだけちぎって…それを、口にした…。 …何も味はしなかった… 食べたのはわずか1mm2くらい…それだけではね…。 “何も味がしない”…ということは、もちろんのこと美味しくもマズくも何でもなかった…。 でも、本当にニン○ンというのは“味がない”ものだった…。 あれだけでも実はちゃんと味がない…というその味が分かってたのだ…。? “味が分かってた”というそれに初めて気付いたのは…高校生になってからであった…。何か時を越えて嬉しかった… 時を越えて当時の自分から嬉しさが届けられたようなそんな… で、ほんの少しではあるが、○ンジンを食べたということは確か…! だが…その時、食べたところを誰も見ていなかった。。 そこで、自分は「○ン○ン食べた」と言った。 しかし、信じていないのか、回りの先生らの反応は非常に薄かった…。 その後何度も「ニ○ジ○食べた。」と言ったが、反応は同じであった…。 あれだけでは食べたようにも見えないし。。 本当に食べていたというのに… 残念でならなかった…。 というか野菜を食べたの自体、この時が生涯で初だったと思う… だと言うのに…何とも誉めてくれないなんて… 意外であった…。 … いやこれはネタなはず… そこで、先生がだめなら…と、家に帰ったあと… “すぐ”に… 今度は母に言った。「ニ○○ン食べられた。」と。 …反応が薄かった……。 母すら…そんな… 聞こえていなかったのか…? そう思い…再度同じことを言った。 …相変わらず反応薄すぎ… 聞こえないのか……?! その後何度も繰り返し同じことを言ったw そうしたら、ようやく母はなんとなく反応を見せた。 しかし… 意外にもそこまでたいして驚いてはくれなかった…。 「偉いねぇ」とか本当に一言、呟くように何気なく誉めてくれただけであった…。 ちゃんとどういうことか理解していたのだろうか…? 本当に、意外であった…。 先生…はまだしも、母までもがこんな反応だなんて…。 予想していた展開通りにはなってくれなかった… こんな結末に… そういうことも……。 残念… … その後長いことして…もう大人になってからだった。 突然「幼稚園の時“○○ジン食べられた”て言ったんだ」とか覚えてないものだと思って面白半分で… 母が言っていた。自分に。 まさに→!? … … あの時しっかり聞こえていたのだ… それが今になって判明するなんて…… しっかりと聞こえていたにも関わらず、あのような反応だったと…… そういうことだった。 そんなにもしっかり覚えているのなら、真に受けて聞いていたはずなのに、なぜあの時はあんなにもポーカーフェイスだったのか…? あの時と今とで変わった…とも思えないが…。 せっかく初めて野菜を食べたのに、あまり分かってもらえず?痛い想いをした…そんな思い出。 (これで「ニ○ジン食べられた!」と言える!)                   その後、幼稚園で再びその…チャレンジしてみた時があった。野菜に。 また、事務室で給食の時だった。 その野菜は…○○ジン…ではなく、今度は“黒くて細長い…何か?髪の毛のようなやつ”だった。━━━ 少しだけ、食べれそうな気がしたのだ…。 今度こそ、誉めてもらえるか… と… 小さい1切れを口にした…。 小さい1切れ…ではあったもものの、ちぎったりはせず、そのままそれをいった。と思った。 … 微妙な味であった… まさに初めての、味… 少しあれだがまあマシな方…という感じだった…。 いやでも…微妙にならまだしも、とてもいっぺんには食べれそうになかった…… もう食べる勇気はなかった…。 それでもせっかく… せっかく…その、食べたというのに…… また誰も見ていなかった…。 また食べたことを信じてはもらえなかった…。 … でもその後、以前のように母には報告しませんでした…。 ○ン○ンの時、ああだったのもあって… しかし、それから少ししたのち… 夜家でタイミングよく、母が「何か野菜食べた?」と問いかけてきた…。 その時に「黒くて細いの食べた…」と、そのことを伝えられた。 母はそれだけで即座にそれが何だか分かり、こう言った。 「ヒ○キ?」 …自分は“それでは…”と思って、続けて 「髪の毛みたいな…」と言ったら… 「ヒ○キヒ○キ食べられたんだ」なんて言われた…。 そのあと普通に「偉い」と言われ誉められた…。 この時は“本当に?やっと…”てな感じで…感動した…。 もうあきらめており、忘れかけていたので、衝撃でもあった……。 しかし「黒い」、「細い」、「髪の毛」…とこれだけの説明で、その野菜を言い当てられるなんて大人は凄い…と思った。本気で… ちょっと不自然にも思い、本当にそれで合っているのか?と不安な気もしていた…。 “あれだけ確信を持って言えるなんて…メジャーな野菜だったのか?自分は知らなかったものなのだが…?”とそうも思っていた… その時、母から聞いた「ヒ○キ」というその野菜の名前は、その後いつまでも忘れることはなかった…。 しかしその後…あの野菜と巡り会うことがほとんどなかった… やはり、メジャーではなかったか…?? 高校生くらいになって…やっと巡り会い、まさにあの時食べたあの野菜が“ヒジキ"と呼ばれているのを確認した…。 母の推理が的中していたということを、ようやく知ることができた時だった…。 “その時”がまさか高校生とは… 母の推理が正しかったかどうか確認したくて、無意識のうちに印象付いていたから、それまでその名前を覚えていたのかもしれない…。 せっかく再び野菜を食したのに…あまり分かってもらえず、再び痛い想いを… と、思ったが、忘れたころに…ついにまともに誉められ、感動であった…そんな思い出…。 大人になると味覚が変化する。とのことだが、自分はそのようなことはなかった。 (リベンジ、黒い髪の毛みたいな野菜、食べられた)                   ある日、兄が幼稚園で首飾りになるねんどでできた星型のペンダント?のようなものを作ってきたことがあった。 結構上手くできていて嫌らしかった…。 なぜ嫌らしかったのかと言うと、“自分より上手い”みたいな感じがしたから。 まあそんなことないんだろうけど。 このころの時点から工作系統とか、頭を使う関連のことなら自分の方が圧倒的に上だった。 それなのに多少とも自分が見て“上手い”と感じたから嫌らしかった。 何かミスって色を微妙に付けてしまったかのようなとこがあったのだが、そこを兄は「こっそり付けた“点”」とか言っていた…。 本当だったのか? でも自分はその発言を真に受けて、それも“秘密があっていい”…なんて思っていた…。 … それから1年後… 自分も年長になって、以前兄が作ってきたあれと同じものを作らされる時が来た。 星型。だけでなく、ハート型。とあともう1つ忘れたが何かの形。その3つから選んでその形にまず粘土を型抜きする。 自分は迷わず兄と同じ星形を選んだ。同じだけど…いい。自分もあれみたいのを作りたい。 それからその型抜きした土台の上にアクセントとして少しねんどを貼る。 どいうふうに貼るか?は自由だ。 できたらねんどを乾燥させ、絵の具で色を塗る。 色を塗り終えたら1人ずつワーイtに見せに行く。OKがもらえたらそのまま先生にひもを付けてもらい、完成。という感じだった。 そのあと裏に名前を書いた。 兄のと“全く同じ”…にはしたくなかった… のだが、どうも兄のを意識してしまい、結局ほぼ同じになってしまった…。。 あのこっそり付けた“点”まで再現した…。 というかそれは絶対に再現したかった。 上手さ的には兄のより上…だとは思えたが、同じにしただけ…みたいで、そこがちょっと納得いかず、納得いく出来映えではなかった…。 まあ単体として見たら別に悪い出来映えではないと思った。 なのですが、ワーイtは見せにいった時、何とも言ってくれなかった…。 自分がこんなに手早く何かを作ったのは珍しかったというのに。。 兄のを真似たなんてこと、知らないはずだったのに。。 「作品がイマイチだった」、「年長だから」。その両方があったからそんなに冷たいんだ…とそう思った。 ナナムラtの時だったらどうだったことか…? 兄が作ったあれを自分も作れて、それで嬉しかった…でもなぜか先生には誉めてもらえず、 逆に冷たい目で見られて結局は嫌な思いをした…そんな記憶。これも思い出。 その後、持ち帰って兄に見せた時…やはり兄もあまりいいような感じではなかった…。 “真似しただけ”というような感じだった…。 そう言ってはいなかったが…。 同じにするつもりはなかった…そういうつもりはなかった…とどうしても伝えたかった…。 何かトンネルとか乗せてたり船みたいなふうにしている人もいて、そうしてもよかったとも思った…。 でも…あれのその、自分のも手にすることができて、よりいいと思うものができて、その点は嬉しかった… 自分が作ったものは自分の…。 兄のだけではずるい…という感じだった…1年間…。 (↑これがそれ。兄が机の中に入れて大切に保管していたので、自分もそうしていた。  …兄のは見当たらない。大切にしていたということを忘れ、捨ててしまったのか…?) (また兄に追いつけた、オリジナルペンダント作り)                   自分、プール自体は嫌いではなかったのだが(例の得意な技もあるし…)… だが… プールのあとに目薬を入れられるのが…嫌だった。 そうプールが終わったあとは教室で1人1人並んで担任の先生に目薬を入れてもらわないといけなかった。 目薬を入れるのは…かなりの勇気が必要だった。 でもいつもなんとか耐えきれて、入れられていた。 入れ終えて自分の番が終わった時のあのホッとした感じは…忘れられない。 あと目薬入れられた時の、目がしみて嫌な感じだがこれなら“なんとか”大丈夫。というあの感じも… 忘れられない。。 目薬が嫌だった。そんな思い出。 絶対だめとは言い切れないぎりぎりの程度?だった…。 (軽い恐怖、目薬)                   あとプールに入る前…の話になるし、少しあれな話ですが… プールの前の壁には黄色い1人用のシャワー?(形は小、専門の男子用トイレみたいなもの)がいくつかあって、
並んでそれに1人ずつ乗っていき、全員1人1人シャワーを浴びていくのだが…(みんなで一気に浴びる…というのではなかった)
そのシャワーの時に…ひそかに「○○○○○○」と言っていた人がいた。 それは…カズシkだった。 あまり話しそうにない自分にだからこそ…そんなことが言えたのだろう…か? 確かに…自分は話しませんでした。 ってここでついに話してしまいましたがw でも確かにあれならバレなそうなので、実は自分もやってみようかと思っていた。。 でも“シャワーが終わる時までに○○○○が止まらなかったら、バレて怒られてしまう…”て思って、 なかなか勇気が出ず、なかなか実行に至れなかった…。 そんな中でその話を聞いた…。 “先越された…”という感じだった。 同じことを考える人が、いるものだ。。 結局自分はやったことはなかった。 その後ちょっと心残りとなった。たぶん大丈夫だと思いましたから…。 シャワーの時、こっそり「○○○○○」を○らしてしまおうとした… しかしカズシkに先越され、何か悔しかった… 秘密を聞かされた…そんな記憶。これも思い出。 (こっそり○○○○)                   ある日、同じクラスに…転入生が入ってきた。 “そういうこともあるんだ”て納得する感じで、そんなにも驚きはしなかった。 先生が名前を言って紹介した。 その転入生の名前は…自分と同じであった。 先生は“自分と同じ”だということを皆の前でアピールして言った。 何か嫌な感じ…。 その後もタ○○○2とかタ○○○○ンビとか言う人がいて微妙だった…。 主にナナムラtがそんなこと言っていた…。 別の人がそう呼ばれているのは…“?違う?自分じゃ、ない”みたいな感じし、また微妙だった…。 それに全員の名前を覚え、慣れ親しんだクラスに、見知らぬ生徒が加わってまた微妙な感じだった…。 というか自分の方が先にいたので、 自分の方が身分が上みたいな気がして(こういう場合、年齢は関係ない)、そこが特に嫌だった…。自分が兄?みたいで…。 身分が上なら威張れていい…なんて人もいるだろうが、自分の場合、先輩気取り的なことはできなかったのでね…。 名前が同じなので、1番比較を強いられる?のが自分…と。 せっかく全員覚えたクラスに紛れてきた転入生…嫌らしかった… それで同じ名前なため、自分と比較を強いられ、しかも自分が上の存在みたいで尚嫌らしかった…そんな思い出。 でそんな嫌らしいツチダTk(その同じ名前のクラスメイト)は口数が少なく、自分のことをどう思っているのかよく分からなかった…。 ツチダTkと2人きりになったりしたこともあった。 (突然やってきた第二の自分)                   また絵を描かされていた…。 自分は絵を描く(人を描く)勇気がなくてまた一際時間がかかっていた…。 絵の時間は終わるも、また1人教室に残されて続きを描かされた…。 次の時間は体育で… これで運良く体育に出なくても済んだ。 その時、ツチダTkもまだここに慣れていないからと体育を休んで教室に残りだった…。 それで2人きりになった… 前の長めな机に移動して、そこで2人でいた…。 でも、それでも何も話をしてこなかった…。 ナナムラtも自分らの付き添いでいたのだが… 先生が代わりに話しかけていた感じであった…。 「タ○○○2人」とか…。 ともかく“名前が一緒だと一緒なんだ…”て思えた…。 体育に出なくて済んだのは良かったが… 見慣れない友達がいて余計な感じだった…と。これも思い出。 (見慣れないもう1人の自分と2人きり)                   「体○嫌」と母に言っていたら… “見学にしてくれる”って時があった…。あった。 その日、ナナムラtが何か予め事情を分かっていて、本当に見学にしてくれた…。 だが… その日、見学は自分だけでは、なかった…。 やはりこの日も… “まだ慣れていないから”と、ツチダTkも見学だった…。 それに加え、ナナムラtも自分らに付き添い、一緒に見学…だった…。 3名ですべり台の上に座った。 やっぱりそこからは体育の様子も見えるし、日当たりがよく、何か気持ちよかった…。 ナナムラtは一方的に○○○ンとか2○とか言っていた…。 この時もツチダTkと2人で…体育の間、長らく一緒に過ごしたわけだが… やっぱり話をした記憶がない。 まあ、でも体育をやらなくて(スズキtに絡まれずに)済み、嬉しかった…自分だけそんなでよくて…いい気分だった… ナナムラtがいて安心だった(あの彼は余計だったが)…見学が好きだった…と。これも思い出。 まあ話さないのはこっちも同じだったのだが。。 しかしツチダTkは最初のころは体育を見学していたわけだが… 慣れていないと体育は見学って…? 今思うと何気に疑問…。 やっぱり先生がスズキtだった影響…なんてことあるだろうか…? 個人的に…ツチダTkは「土」のイメージだった…。 地面の中にいるアリみたい?でもあった…。 名前でイメージが決まってしまうと…。 確かメガネをかけていて、独特で… その雰囲気が“いままでいなかった違う人”的な感じを高めていた…。 メガネとかなくても独特に感じたことでしょうが。。 のちに高校で再び同じような展開が… (また見慣れないもう1人の自分と2人きり)                   背の順は…最初は先頭(1番前)だった。 が、その後2番目になった。 が、また1番前で定着したり、また2番目でしばらく定着したりしていた。 トーマkと順番を争っていた…。 ある2番目になっていた時、さらにその後ろ、“3番目”になった時があった。 だがまた前に出ていって、結局1番前に戻ったりだった…。 結局3番目になったのは1度きりだった…。 2番目も結構ありましたが、1番長かったのは1番前だった期間…。 背の順の順番ですが… 体育とかで整列の時、必ず「トントン前」とかいうのをやらされていたのだが… それの時に先生にいきなり順番を入れ替えさせらることがあったんです。 今思ってみると…それってやけに頻繁に入れ替えさせられていたんだ…順番にこだわっていたんだ…て、そう思う…。 1番前だと目立って落ち着かなかった。 何というか小さいのはいいが…先頭なのは嫌だった… 同じくらいのトーマkは自分の分身みたいで嫌だった… 3番目は新鮮だった…と。あれこれ詰め込んでしまったが、これも思い出。 (トーマkは自分の分身)                   しかしトントン前って、これは何の意味があったのだろうか…? 背の順に並んでトン×2で2度手をたたき、マエで両手前に出したりするというやつです。リズミカル。 それをずっと繰り返す…。 もう整列できているのにずっと続けさせられていたのだが…… 長いので毎度疲れ果てていた…。 疲れるし、あまり好きではなかった。 疲れるほど長らくやらされていたので…あの感覚、あのリズム感がいまだに体に焼き付いている…。 思い出すとつい反射的にやってしまいそうになるくらい…。 … で調べてみたが、何やらほかの幼稚園でもやっているようだ…。 あちらの園の方ではなかったので、どうなんだろう?と思った…。 で“それをやる意味”ですが… “「整列」を子供に馴染みやすいようにリズミカルにしたもの”とのこと…。 考えてみればそうだったのだと分かりますが… でも引っかかるとこがあった。 自分のところの園では整列終わっているのにずっと続けさせられていたわけです…、、 だから何か、整列以外の目的が…? てなり、やっぱり謎…。 整列終わってるのにしばらくずっとやらされていたという件は、やっぱり謎だ。 あれはやはり…試練か何かだったのか…?? 当時から「試練」かもしれない。とは薄々思っていたw トントン前はあまり好きではなかった… 試練を乗り切るのは大変でしたから… でもちゃんとできるので、若干何かいい気分も感じ合わせていた…(さすがにそれできない人はいませんでしたが…) …そんな記憶。これも思い出。 今思うとトントン前は謎めいていたわけだが… 当時は何も気にしていなかった…。 言われるがままにやっていただけだった…。 (謎の試練、トントン前!)                   カナエcは同じく出席番号最後・背の順は1番前だった…。 出席番号や背の順は男女別なので、どちらが先なのか?背はどちらの方が高いのか?気になっていた…。 唯一自分よりも後かもしれなくて…低いかもしれなくて… もしそれだと自分より優遇されるべき存在になるので、嫌らしかった…。 女子だからなおさら自分より優遇されるべき存在になると思うので…嫌らしかった。 自分は特別っぽいので、1番優遇されたかった。 カナエcに対しては優しくしないといけない。しっかりしているところを見せないといけない… ような気がし、気を遣ってしまっていた…。 自分の分身のようであった…。 女子で自分と同じ位置付け?なのがカナエcだった…。 カナエcは自分の立場を奪ってしまっている感じがして、嫌らしかった…憎かった… 小さくて優遇されるべき存在っぽいので気を遣ってしまっていた…そんな記憶。これも思い出。 トーマk“よりも”あれだった…。 (自分と同じ位置付けで嫌らしかった…カナエc)                   幼稚園の園庭には… 広い園庭内を、機能的に仕切る感じで“丸太”がいくつも地面にライン上に埋め込まれていた。 地面に半埋まりの状態なのでカマボコ型。 園庭に入ったところから、園舎の玄関(下駄箱の場所)に向かうまでの道のりに、特に長く印象的にその丸太が並べてあった。 両脇に配置して丸太で通り道を作ってあったみたいな感じ。 丸太で仕切られたその通り道は、緩やかにカーブを描くような感じになっていた…。 園舎に入る時…。 園庭に出る時…。 1日に何度もその丸太で仕切られた通り道を通らされていた…。 それで… 話はここから。 入園したばかりのころから、時折その通り道を通る時… その丸太の上に乗り、その上を歩いてみたりしていた…。 丸太の上を歩くには当然、バランス感覚を要する…。 普通に道の真ん中を歩くよりはスリルあるし、“バランス感覚の凄さ”を見てる人にアピールできる…。 だから乗りたくなる…。 というかそれで子供なら皆そういうところに乗りたくなるもの…。 でもそのうち、いつのまにか飽きてしまっていて、あまり乗らなくなってきていた…。 ある時、そのことにふと気付いて思い出し、また乗ってそこを歩いてみた…。 その時、こう思った。 「今度からここを通る時は“必ず”この上(丸太の上)を通るようにしよう!」 …何か、ゲームとして、必ずそうしないといけない!みたいに決めて、普通に平凡に歩く時間を減らそう。という魂胆…。 平凡ではつまらない。 それでそれから、毎度丸太の上を歩くようになった…。 そうするようになった…。 体育、休み時間、行き、帰り… 1日何回も出入りしますから、何回もやる機会がある…。 何回もやらないといけない…。 それでも面白いことしてる!て思われたいし、やりごたえ感じて、そのゲーム?続けていた…。 …… 何日かくらいは続けていた… けど、やはり長持ちはしなかった…。 普通そう。もう読めていたでしょう? 面白そうだと思ってくれた人も… 凄いと思ってくれた人も… 真似てみたくなっていた人なんかも… たぶんいなかったし……。 いつもバランスよく丸太の上を歩いている自分に、反応を示してくれた人は誰もいなかった…。 いないもの…。 子供が遊び心でそういうことをしてるのなんて、自然すぎてあまり目につかないのでしょう… “自然”で、なんとも思わないのでしょう…。 面白い!とか、凄い!とか、そういう反応がほしかったこっちとしては、無視されていて不満だった…。 秘密基地のタイヤの滝の件などと同様、思い通りにいかなかった…。 残念だった…。 そういう気持ちだった…。 遊び心で通り道の縁の丸太の上を歩いていた… そのうち“そこの上を歩かないといけない”というゲームを自分だけで行った… しかし、誰も注目してくれる人はおらず、残念だった… それでモチベーションが得られず、そのゲームは長続きしなかった… 不満だった…残念だった…そんな思い出。 子供の場所「幼稚園」だから、丸太なんて面白い感じのもので区画を仕切っていたのでしょう…。 幼稚園のものは面白い…。子供心を刺激するもので溢れてる…w 思い出します… あの丸太の表面の模様とか、丸いところを歩いている時の感覚とか……。 あの丸太、何か少しブッシュドノエルにも似ていた…。 (丸太の上を歩きたくなる)                  
幼稚園では昼寝の時間があった。
昼寝…といっても昼の前で、1分間だけであった。
保育園ではないですから。
担任の弾く安らかなピアノのリズムを聞きながら机の上で寝る。
本当に眠るのは禁物。
あれはどういう意図でやっていたのか…?
まあこの時間、何かリラクゼーションタイムのようで嫌いではなかったが…。
で…
ある日、もう昼寝タイム終わったのに起き上がらない人が…
もしや…
「ほんとに寝ちゃった。」
と誰かが言った。
本当に眠ってしまったようだ…。
1分間で眠れるとは…
その後その眠ったクラスメイト(ナッチャン)は起こされず…
そのまま先生に静かに掛け物かけられて…しばらく寝かされていた…。(禁物なはずが……)
ああも大事にされていて…あれはうらやましかった…。。
本当に眠ってしまった人が…やはりいたと…
1名だけでしたが…
… それからというもの、自分もナッチャンをまねてみようかと思っていつもその時間、本当に眠ろうと心がけていたw がさすがに1分では無理だった…w そんな意識すればするほどできなくなるものだし…。 眠った子は大事にされて羨ましかった…ナッチャンが羨ましかった…と。これも思い出。 でも自分がバスで眠った時といったら……… でもあの時間だったらナナムラtしかいなかったので、もしかしたらだが自分も同じように扱われていたかも…… (ナッチャンになりたかった)                   ある日の午後、母だか何かの顔の絵を描かされていた… いつもながらとりあえず肌色で顔、耳だけ描いてそこから止まっていた…。 授業が終わったが、まだそこまでなので、また帰りのバス待ちの時間に、1人そのまま描かされることに。。 邪魔にならないよう、誰も来ないマットとかがある運動用の教室?に移動させられてそこで続きを描いているよう命じられた…。 そっちへ行っても、やはりなかなか目、鼻、口を描く勇気が湧いてこない…。 時折先生が見に来るも、「まだ描いてない」とか言い、怒って去っていく…。 時間が経っていき…
そのうちだんだん皆帰っていって園内が静けさを増していく…。
ちょっと不安になってきた…
とそこで自分のいたその教室の前を兄が通りかかった。
まだいたことに安心。したと同時に自分はすかさず兄を呼び止めた。
それで誰もいないからバレないだろうと思って、兄に…
「顔描いて」と頼んだ。
で、確か“目”とかだけ描いてくれた…。
でも“あとは自分で”といった感じで行ってしまった。
ちょっと進展して安心したが、あとを描く勇気がまだなくて、そんな状態でまたしばらくした。静かで哀愁漂う…
そんなある時、どこかの先生が前の廊下を通りかかり、その部屋にいた自分を見つけた…
その先生はあせった感じで、、こういったようなことを言った。「もう4コース行っちゃったよ!」
…本当に行ってしまうとは…そんな気はしていたが… あの教室はもともと静かなので、本当にもう誰もいなくなっていたのかどうかよく分からなかった…。 無責任ですね、そこに行かせた先生は…かってに連れていっておいて、かってにそのことを忘れるって。。 ありきたりなことのようでもあるが…。 それから先生達は動揺していた…。 …そして自分はどうしたかというと… またバスが帰ってくるまで待ち… 1人でバスに乗って…帰りました。… 1人なのに、1往復余計になるのに、乗せてくれた…。 気付いた。今思ってみると…これはかなり凄いことw バス発車の時、自分1人… これは…自分が大きい声を出しているということを伝えるビッグチャンス… そう思ってまた意識して一段と大きい声で…程良く怒鳴らない程度で…「サヨーナラー」と言った。 しかし…誰も反応してくれなかった…。 こういう時でもちゃんと言ったのに… 皆の声に紛れていないのに…自分だけなので確実に自分の声だとわかるはずなのに… そもそも、聞こえても反応得られないのか…。。 自分が言うなんて結構なことだと思うが…嫌われているのであえて無視された…とそういう感じだった可能性もあるか…。 ……………… また顔を描かされて嫌だった… 兄が少し描いてくれて多少良かった… ちょっと不安になったりもした… だが結局はバスを1人で独占できて嬉しかった… がせっかくなのに発車時のあれで反応が得られず、残念でもあった…そんな思い出。 あんなに大きなバスが1人のために発車したんです…。 (サヨーナラー!のアピールチャンス)                   兄の誕生日…。 帰ったら兄が幼稚園でもらったカードを見せてきた。 それは6才の誕生日カードだった…。 正方形の固い紙に6と書いて装飾されたようなのだった…。(イメージ→[6]) 「6」という数字が好きなこともあり(詳細は次章にて)、自分もそれをもらいたかった…。 兄のはあるのに自分のはない…それで不平等な感じがし、その何かずるい感じした…。よくあること。 「6才になったらみんなもらえる」と兄は言っていた。 結局自分は6才までいなかったので…もらうことができなかった…。 でも星の首飾りのや、こいのぼりなんかは、自分がいる間になんとか制作時期がきてくれてよかった…。 心残りにならずに済み、助かった…。 兄のと同じ6才のカードが結局もらえず残念だった…そんな思い出。 でも5才の誕生日の時に、ナナムラtにすべり台のところでもっと豪華な折り畳み式の赤いカードをもらったんだったような… それは別の何かだったか?(その記憶は少し曖昧) それもいいが、ともかく自分は兄のと同じものがほしかった…。 でもです……(続く) (兄の誕生日カード)                   同じクラスには変な名前の人がいた…。 毎朝、出席の時に名前を聞くたびにどうも不快な感じがしていた…。 「自分のクラスに変なのが…何で…」てそう思ってしまって…それで不快だった。 ある日、兄が変な名前の人の話をして面白がっていた…。 ○ン・ソナcとかネタ… そのまたある日… あの時兄は面白がっていた…だから兄は変な名前に多少は興味ある…て思って… ついにあの不快な彼のことを言った。 「クラスにオー○○ハルマサとかいう変な名前の人がいるんだよ」 兄は特にたいした反応を示さなかった…。 何かいけないことを言ってしまったかのような… 非常に気まずい空気だった…。 面白ネタのつもりだったのだが。。 別に変な名前だとは思わなかったのか?何なのか? そもそも言ってることを理解してもらえていなかったような、もはや何かそんな感じであった…。 あのニンジンの件みたく、実際のとこはどうだか定かではないが…。(しっかりと聞こえていて理解もしていた…という可能性もある) 自分には権力がなかった…。 自分の言ったことを大々的に取り上げてくれるようなことがなかった。 末子の辛いところ…。 というか… 「オー○○ハルマサ」…て… 今思うと全然変な名前ではない…w 普通の日本人の名前…w 当時はまだ生まれて4年(記憶が始まってからは1年)余りとあって… “人の名前”をあまり知らなかった…。 知らなかったのだ…。 「クリノヤマ・○○○コ」の方がよほど変では…? それも変だと思っていたが、オー○○・ハルマサはそれを明らかに上回るほど変だと思っていた…。 ともかく、当時は「オー○○・ハルマサ」というのは… 漢字なんか分からなかったために、「大○保」とかそんな字は全く浮かばず… こんなイメージであった↓ 「大蜘蛛・はる+まさ」 どうしても「オー○○」というと、大きい毒蜘蛛をイメージしてしまっていた…。 大きい蜘蛛といえば毒蜘蛛…。 ハルマサの名前もまた非常に変で、名前が隅からは隅まで変だったので、本当に変だった…。 ハルだけでいいところ、マサを余計に付け加えているような… 逆じゃ…。普通マサハルじゃ…みたいな… ほかにオー○○なんて名前の人、世の中にいないかと思っていた…。 本当にこの名前のおかしさは“かなりもの”だと思った…。 ともかく変な名前なので、彼自身までも変に見えて…彼のことが微妙に嫌いであった…。 モモヤマkみたいに接してみたらどうだったかは分からないが。。 彼と接したことは1度もなかった…。 彼はそんなで…蜘蛛のイメージだった…。 ギザギザ模様のセーターなんかを着ていることがあって… それが蜘蛛の巣みたいに見えて…それで尚更蜘蛛っぽいイメージだった…。蜘蛛男? 当時「蜘蛛の巣」というと…どうもいつもオー○○ハルマサkを連想してしまっていた…。 「オー○○○○マサk!」という出席の時の彼を呼ぶナナムラtの声が忘れられない…。 変な名前のオー○○ハルマサkが変に見えて、蜘蛛っぽいイメージで嫌いだった… 同じクラスにいて微妙に嫌だった…(そんな理由で…すみません) その名前を兄に言っても何とも思ってもらえなかったのか反応が得られず、残念な上何か気まずい感じだった…そんな記憶。これも思い出。 ちなみに…↑で「大久保」と打った瞬間…アナウンスで「大久保」と聞こえてあまりに驚いてしまった… 電車内で打っていたのだが…ちょうど京成大久保駅に到着するところでした…。その、何という偶然…w本当に大久保と打ったその数秒後。。 (大蜘蛛はる+まさ君)                   クラスメイトの名前で逆に1番好きだった名前は…「ミズ○○・マヤ○」だった…。
水…とつくからか、アノママホーズ(→詳細)…の、水の波紋みたいなイメージで…
サワヤカなイメージだった…。
水色のイメージだった…。
水玉のイメージでもあった…。
さらに名前がそれだから…というだけではなかった。
外見もクラスで1番好きだった。。
それで外見もサッパリした感じに見えていた…。
名前の影響だったのか?外見の影響だったのか…?
ともかく好ましかった。
だが特にマミcと絡んだこともなかった…。 ○○教室でも一緒だったものの、それでも…。 “あっちはこっちのこと、嫌いなんだろう”と思っていた。 それは無視されていたら…そう思うでしょう。 親どうしではよく絡んでいたが…。 まあ…こっちが積極的に話をしない人物であったからか? そういうのって、1度でも何かあると違うもの…。 その何かがあれば…全然違ったのかもしれない。 マミcの名前が好きで、外見等も何か好きであった… しかし一切接することはなく、また何かよくなさそうな関係で何かあれだった…そんな記憶。これも思い出。 (マミcが好きだった)                   そういえば花組の教室の窓から… 園舎の別棟が見えていた。 そう、ちょっとした離れの別棟があった。 その別棟は花組の場所から近かった。 すぐ目の前。 道一本挟んで向かい側…のような感じ。 自分の席からそこを眺めたりしていることがあった…。 大勢の子供達が群がっていた…。窓の向こう側に、その影が見えていた…。 記憶が蘇る… あそこに戯れている…あそこのクラスの…あの子供らは、自分より年下の子供達だということはわかっていた。 年下は嫌らしい…羨ましい… その棟に入ったことはなかった。 なのでそこがどうなっているのかは知らない。 “毎日通っていた場所”でありながら、“知らなかったところ”があったと。 あそこの中はどんなだったのか?気になる。今思ってみても… 自分と同期ではない生徒らのいる場所に突入したくもないので、ある意味入りたくはなかった。 誰もいなければいいが…。 自分の席から園舎の別棟(年少棟)が見え、そこを眺めていたことがあった… 子供達が戯れていた… 年少(年下)の人は嫌らしかった…羨ましかった…そんな記憶。これも思い出。 (席から嫌らしい生徒達が見えていた)                   体育が終わると教室に帰れるが、その前に教室前の洗い場で手を洗う。 そう決まり付けされていたのだが… その時に使う網に下がっていた黄色いせっけんの…それのその匂いが忘れられない…。 痛烈な匂いだが、キレイになるとされるものなので、悪いものではない…て思って、そんな恐れてはいなかった。 体内に入っては毒だが、そうでなければ問題ない…。 匂いもそのうち落ちるので、そういう面でも気にしなかった…。 いままでは別に荒わずとも問題なく過ごしてきたので、ただ面倒な感じであった…。 “あの”せっけんの匂いが印象的だった…と。これも思い出。 (あのせっけんの香り)                   匂い…というのも結構記憶しているもの。 そのほかにムーシャtの匂い… それも、特徴的だった…。 あれに似た匂いの人のそばに寄ると…懐かしさと恐怖を感じる…。 給食の時、いつも隣にいたので、給食のイメージ、さらにはあの緑色の円盤型の薬のイメージすら湧き上がってきてしまう……。 あとは何といっても給食の匂いだ…。 時間になると廊下の方から漂ってくるあの匂い…。 あの匂いがしただけで給食のイメージが湧いてきて、気持ちが悪くなっていたもの…。 果たして…“給食をイメージ”してしまうことにより気持ち悪くなっていたのか? それとも本当に吐き気を誘うような匂いだったか?よく分からない…。分からなかった。 いまだにあの匂いに似た匂いがすると… オレンジ色の箱に野菜が入っているあの給食が反射的に連想されて…気分悪くなってきそうになる…。 何かいまだに…。猛烈な懐かしさとともに…。 匂いであのころの感覚が蘇ってくるわけ…。 懐かしさが込み上げてくる。 あと給食の白米の味が家のと違い、何気なく印象的だったのだが… その給食のご飯に似た味を感じると…蘇ってくる…。あのころの感じが。 あの緑色の薬の味も忘れられない…。 口にまでは含んだことがあった…。 味は薄いが、どことなく嫌な味だった…。 ムーシャtが出してきた薬だったので、ムーシャt風味で(本当に)…嫌な味だった…。 匂いや味は記憶に結び付いている…。 やはりそのよう。 今思うとだが… 匂いや味なんかも非常に印象に残っているれっきとしたその“記憶”の1つ…。 そんな匂いや味の記憶の数々。 これらも思い出。 (印象的だった匂いや味)                   出席の時は… 「オー○○ハルマサk」のところのほか…あと「○ンドー」と連呼するところも気になっていた。 実は同じクラスには…たまたま3つ子の3人組がいた。 同じ家族ですから苗字が同じで、生まれた時間が同じですから、出席番号も隣どうし…。 気になってしかたがなかった…。 でも3連呼ではなく、2連呼止まりであった…。 男女別なので。 そう、性別の分かれた3つ子。 でも、2連呼でも連呼なので十分、気になっていたわけ。 “3人も”となると、花組は○ンドー一家に占拠され気味…てな雰囲気があった… とは思うが、現実における“自分のクラス”だし、初めての自分のクラス?であったので… 当時は別にさほどそんなふうに感じてはいなかった…。 で、3人は3つ子…ですが、さほど「似ている」…と思ったことはなかった。 似てるか…?と意識して見たことはなかったのだが、意識して見たらどうだったかは分からない…。 でもそういうことは、そんなでもなかったということ…。 でも最初しばらくは区別がつかなかった…。 見た目の区別がつかない…というのではなくてその、名前が似ており、名前の区別がつかなかった。。 でも姉=リホc、妹=カホcと覚えたらわかるようになった。 出席などで、先に呼ばれているのがリホcの方だったので、それを連想することにより、意図も簡単に覚えることができた…。 3つ子組の中で、最も親近感があったのは、トーマkだった。 トーマkは出席番号や背の順が隣なため、いつも隣にいた。 「共同体みたいな何かなんだろう?」というような認識があった。 あちらもこちらに対し、同じ認識を持っていたかもしれない…。 でもこちらの場合、最後だったり最初だったりで、 前後はどちらか片方しかいなかったわけだが(隣は彼だけ)、あちらの場合は前後いたわけか…。 年下と接する時…というのは、“こっちがしっかりしないといけない”て思って気を遣いますね… 同じように、トーマkはその“年下の人”に限りなく近い存在であったので、その面で、少し気を遣ってしまっていた…。 一応自分の方が生まれたのは後ですが…1番近いのが彼だったので。。 自分に近い…というと、同じクラスには実はトーマkよりもっと自分に近い者がいた。 気を遣ってしまい、しかたがなかった…。 詳細は…もう話したか。 トーマkはそう小さかったわけだが…リホcとカホcも同様に小さい方だった気が…。 トーマk繋がり?で、あとの2人も何かどことなく親近感があった。 共同体の共同体?ですから…。 3つ子組の中でも中核的なイメージだったのはやはりトーマkであった…。 多めに見てもらえない“男子”だし、1番上とのことでしたから…。 ほぼ同時に生まれているはずなので同じと見ていいと思うが、やはりわずかな差の順番で不覚にもイメージが大きく違ったり…。 3人は…同じクラスにしてもらえたのか?してもらったのか…? 2クラスだったのでクラスが別になるとすると、2人は同じクラスで1人は別…という形になり、1人だけ仲間外れのような感じになってしまう。 だからそれでは何かあれ。 3兄弟ではなく、あの3人があの親の体内で一緒にいた…ということは当時から分かっていた…。 そう考えると驚きな上、面白いと思った…。 同じクラスに3つ子がいた… トーマkとは共同体で、親しい印象だった…そんな記憶。これも思い出。 (3つ子の共同体)                   ある日、幼稚園のイベントでまた運動公園に行った…。 家から車で直接行ったような気が…。 皆運動公園にいた… マラソンイベントか何かだった…。 当然、自分も来たのでその、走った。 トラックを走った。 トラックで徒競争し… 自分は… この時、2位になってしまった…んだったと思った。 「凄い」と言われるのが苦痛であった…。 超人的だと思われたくなかった…。2位ってやはりちょっと…まずい。超人になってない? さらに…金色のメダルなんかをもらった…。(プラスチック製) 1位かと勘違いされそうで、非常に嫌らしかった…。 なぜ銀ではなく…? 突っ込みたかった…。 よりによって…そんな…… … 帰って父に見せたら「1番!?」とか何とか勘違いしてるかのようなこと言われたので… 「2位なのに金」…と突っ込んだ。 「ほんと?」とか何とか言っていたが…信じてくれているような気がしなかった…。 こういう場合いつもそういう感じ…。 3位になりたかったのに2位になってしまい、ショックだった… 1位かとも誤解され、さらにショックだった…これは、まずかった…そんな記憶。これも思い出。 帰ったら父がいたと思ったので…この日は土曜日か何かだったのか…? 家から直帰で、直帰りだった気がするし…。 (マラソンイベント、まさかの?2位)                   このころ、母はいつもカメラを持ち歩いており、よく撮影されていたわけ。 幼稚園のイベント時、必ず親が来ていたわけ。 それでそこでも親に頻繁に撮影されていたわけ。 でです。 “静止画撮影”だけにとどまってはいなかった。 ビデオカメラも持っていたのだが… イベント時、ビデオ撮影までされていることがあった…。 まあ、当時はそんなものを持っているのも当前みたく思っていたし、それも特に気にしてはいなかった…。 撮影していたものを度々うちでビデオで見返したりしていた…。 そんなビデオの中で、一時期よく見ていたものがあった…。 何のイベントの時だったか…? よくわからないが、何かのイベント時… 月組に親達が総勢観覧しに集まっていた。物凄い人数。 うちの親もその中に紛れていた。そこのドサクサの中で撮影していた。 なので映像はそこからの映像。 何か生徒達による催しが行われていた…。 …で、途中、“画面が真っ暗”になる場面があった。 見ている人はそのところで、「壊れてる。映らない。」だとかそういうことを言って… 「このビデオもうだめ」的なことを言ったりし… 捨てられそうで、嫌らしかった…。 別にそのビデオが好きだったわけでもないのだが… 捨てたらもったいない… せっかく撮ったのに。 壊れてると思われつつあったと。 でも実際のところ、壊れていたわけではなかった。 ビデオカメラをバックの中に入れていたんです。 そのまま録画が続けられていてしばらく真っ暗だったと。 その真っ暗の場面は、ビデオカメラがバックの中にしまわれていた場面。。 そこは飛ばせばよかった。 最初は実際にこの時にバックに入れた母が、“バックの中に入れていた”ということを覚えていて、指摘が入ることもあったのだが… そのうちそのことを自ら忘れ、壊れたのかと思いだした。 母が“バックに入れた”と言っていたので、それを聞いて自分はそれを知った。 なのに、そう言っていた本人が忘れているとか、こっちからしたらどれだけ馬鹿らしいか…。 案外こういうことがよくある…。 覚えているのが自分だけ。自分だけ過去に取り残されている切ない感覚…。 … それからずいぶんして…(2,3年後くらいか…?) 「ビデオというのは何年かすると画面が見れなくなる」とか母が言っていた。 それから、母の中でその知識が定着し、ずっとそう思い続けるようになった。 やっぱりあのビデオのバックの中の場面を改めて見て、そう思うようになったのか? 実際そんな、画面が見れなくなっていた過去のビデオ、あれ以外になかったし…。(少なくとも自分はほかに知らない) それでそんなビデオは“捨てた”みたいなことを本当に言っていた…。 残念だ…と思った。 たかが勘違いでしょうが…。 “自分”が何言ったって全く説得力がないため、自分にはどうにもできなかった……。 カメラ撮影されていてもビデオ撮影されていても、それを特に気にしていなかった… かってに勘違いしていて嫌らしかった…馬鹿らしかった… 勘違いにより(たぶん)無傷だったものが捨てられ、何か残念だった…そんな記憶。これも思い出。 捨てられたのはあのビデオではない可能性もあるか?と少し思い、今になって探してみた。 やはり…見つからなかった…。 あのバックに入れられて真っ暗になるやつ…。それは…見つからなかった。 やはりあのころ捨てられていたということか…。 でも、です。 そのほかの見た覚えのないいくつもの幼稚園のビデオを発見した。。 ほかにもこんなにあった?w それらの詳細はのちに。 ともかく、“何年もするとビデオというのは見れなくなる”という認識が間違いであったことは確か。 いまだに何の異常もなく見れるわけw 完全なる勘違いにより、ビデオを捨ててしまった?やはりその可能性が高い…。 (壊れたと思われ、捨てられてしまったビデオ)                   …ところでこのころ、ほかに塾のようなところにも結構、行かせられていた。 ちょっとそちらの話に移ります。 話しておく必要があるので…。 1つはヨーカドー4階のおもちゃ屋奥にあったところ。 兄とコーエーkもいた。週1回くらいの頻度で行っていた印象。 兄はいつも行く時は「め○○!」とか言って張り切っていた。 そこ用に兄のと2つ、同じ手提げを買ってもらっていたのだが… それを出すとめばえだ…という感じがしてムードが湧き上がっていた…。兄も同じだったのかと。 でそこで?何をしていたか?というと… 氷の上にペンギンなどがいて、空に雲がある南極の絵…のプリントを先生から1人ずつ渡されて、何かさせられたり… 色々な図形のパネルを渡されて、それらを組み合わせて何かを作るよう指示されたり… とか思い返してみるとこのくらいしか記憶にない…。 ともかく遊びを教育にしているようなところだったかと思う。 自分はほぼ兄やコーエーkがやっているのを見ているだけであった。 見知らぬ子供らが一緒で、気を遣ってしまい、あまりやれなかった。 それで“何もしない”とか思われてしまったかもしれなかったことにより、いっそうやれなくなって、そこでは話すらしなかった。 幼稚園でも一時的にそういう感じになっていたわけだし、別に自然なものだった。 兄とコーエーk以外の見知らぬ子供らは見苦しかった…。 見知らぬ子供達がいた…というのが案外大きかった。 兄とコーエーkだけだったとしたら、家でその3名で遊んでいる時みたいな感覚で、もっと「素」の姿を出せていた。かと。 自分はやらなくとも、兄がやっていればまあいいだろう…といった感じだった。 でもその兄すら…張り切っていたわりには教室の中に来ると積極的には何もせず、ほぼ“いただけ”な感じだった。。 自分よりかは軽度だったので、ぎりぎり何とかなっていた。という感じ。 でもそれでは意味がないです…。意欲を持たないと… 兄は“そこでやること”が楽しみだったのではなくて…たぶんあそこの世界観が好きだったのでしょう。 幼児教室なので、幼児っぽい世界観で、兄はそういう感じのが好きそうであった。 自分も何となくそんな感じだったか…? でも兄が好きな“めばえ”だから兄のイメージで、自分らしい感じはしない…という微妙な感じだった…。 というかなぜ行かされていたのか目的が分からなかったのだが… それが分かっていたとしたら、もう少しまじめになって、意欲を持てていたかもしれなかった…。 というか親もとにかく“行くことに意義がある”“それでいい” といった感じだった。 “意味”なんか考えられない人だったので。 自分達がそこの教室にいる間は、母は毎度地下で買い物をしていたようなのだが… こっちが終わってもまだ帰ってきて(迎えにきて)いないことがよくあった。 ほかにもそういう生徒がいることはいた。 母と合流したあと、帰りに…また楽しみがあった。 その後めばえ入口の目の前にあった児童図書館で褒美?に毎度本を借りていっていた。 途中からかってにそういう日課?ができた。 図書館は目の前のおもちゃ屋とは打って違ってしんみりとしていて、物音がせず、 あの外側と対照的な…真逆な雰囲気が何気なく好きだった…。 よりいっそう静かな感じがして…。 フワッとしたソファ…本棚の木の温もり…心落ち着く… まるでリラクゼーションスペース?のようだった…。 本は…自分らが恥じらわしくてなかなか積極的に選ばないので、ほとんど母が直接選んでいた…。 そこの図書館の本を持ち帰る時の本を入れてもらう袋?がまた何か馴染み深い感じで好きだった。 確か黄色くて幼児っぽい袋だった…。 その後やはりおもちゃ屋にも寄っていくことになっていた。 本ではなくおもちゃ…てことなどもあった。 そう、でもその図書館はやっていないこともよくあった。 その時は“残念”という感じ。 営業していない時は、入口が黄色い鎖で封鎖されていた。 ちなみにその鎖をかける棒?のフックに耳を…いやこの話はやめておく。 とにかくその後もしばらくヨーカドーで過ごしていたと…。 思えば本当、いい場所にあった…。 近い上…ヨーカドーのおもちゃ屋とか普段もよく行く“行き慣れたところ”でもあったし…。 そこですが、兄が卒園のころにはもう行っていなかった…と思った。兄と一緒にやめた。 1年…通っていたかどうか?そんなところか。当時の1年は長かった。 ちょうど年中の時か…。 そこには当時はただ何気なく行かされていただけだったが… 今思うといろいろと思い出ができていて…よかった…。 これも思い出。ですから。 しかしヨーカドーの図書館…いい雰囲気だった…。 ちなみにそこ、現在は様変わりしている。 図書館は消滅したし、任天堂のレジも消滅したし、何よりその塾へと通じる回廊入り口だったはずのところが…壁になっています。 回廊があった面影が一切なし…。 でもあの辺りの壁の裏側に回廊があることを自分は知っています。 どうやって行くのでしょうか…? あそこの教室があった部屋へ通じる道はそこ以外になかった気がするので。。気になる。 もしや封印の間!となっている? ? というかそこの教室、いつなくなったのか? ヨーカドーの4階のテナント一覧にはいまだに載っている。 あそこはもう壁で塞がれていて入れないので…看板が古いまま…というだけで、なくなったのだとは思う。 場所が変わったのか?と思って探してみても見当たらなかった。 もしまだあるのだとしたらあそこしかない。でもあそこは封印状態…。 でもどこかからあの教室のところに行ける。あそこはまだある。と信じたい気持ちもある。希望は消えていない…。 (何もしていなかったのに思い出深い、め○○)                   あともう1つのところは…幼稚園の方の裏の住宅街のアパートの1室にあった… 英語教室でした。 め○○とかぴ○○○○は近いので、徒歩だったが、そこは車で行っていた。距離的にそうなる。 め○○よりこちらの方が長く行っていたからか、覚えていることが多い…。 そこに通わせられるようになったのは、め○○より“あと”でした。 まあ同時期とも言えますが。(当時の感覚では同時期という感じではない) こっちも兄と行っていた。 あとたまたま同じクラスの好意のあった…マミcもいた。 あとはそこで初めて知り合った子供ら。 初めて知り合った子供らは、“そこ(英語教室)”のイメージだった。もはや“そこの住人”のような印象…。 自分と兄は“うち”のイメージ。 マミcは“幼稚園”のイメージだった。 それなのにここにいるのは違和感ある…という感じ。 最初にいたところがその人の出身地?のようなイメージになるものである…。 そういうこと。 でもそれって…何か可愛そう? 皆最初は家なわけ。 でも他人の家庭環境なんて知りませんし…。 学校等でのことなんかも知らない。 しかたない。容赦しておくしかない。と。 で、見知らぬ子供らの中で覚えているのは… 最年長小5の男子と小2のブサイクな女子…くらいだ。 …でも、、2人覚えているだけでもましな方です。 め○○とかはもとから知っていた兄とか以外誰も覚えてませんでしたから。。 それでですが…そこでは毎回まず必ず和室の床で英語のカルタをさせられます。 先生が英語で物の名前を読み上げ、それを取る感じ。 誰も分からないと日本語でヒントを…。 自分は… 「スター」か「ムーン」以外は取らなかった。 それしか分からないというわけではないのだが、自分はやはり見知らぬ人達がいるので、恥じらわしく、積極的にはやらなかった。 でも星は好きだったので、それだけは普通に取っていた。 いつも最初からそれに注目していたからか、ほぼ取られることはなかった。 というかあとほかの(そのほかの英語)を知ってるということを兄に知られたくなかった。 知られてしまったら“凄い”て思われてしまって、親にも教えてしまって大騒動に… とかそんなふうになりそうだったから…。 兄もスター、ムーンだけは知っていて、兄に取られてしまうこともあった。 でも本気なら兄より自分の方が上ですから、ほぼ自分が取れていたと。 兄は別にこだわってそれしか…てことはなかったと思う。 本当にそれくらいしか分かっていなかった。 で…そのカルタ、毎回同じなのでかなり飽きていました。 おかげで英語を覚えてしまった。 てそれって良かったのか? そのカルタのは星系統しか取らないながら、実はほぼ覚えきっていた。 スター、ムーンのほかにはアンブレーラー、バイセッコー、タートル…あと何があったか…? 自分はそこでは積極的にほぼ何もやらず、話も一切しなかった… め○○にいる時などのようにやっぱりそうなってしまって… でも、まだあまりそれに対して他人に違和感は持たれなかった。 それは…最年少だったから。 そこは小学生もいたわけです。 マミcは同級生だが、とっくに5才だったので、年上なのかと思われていた…。 まだ小さいから分からない…できない…てなって、多めにみてくれていた。 本当はただやらないだけだったのだが。。 自分はずっと「4才」…て言われていた。 5才になって最初の日… そこの先生にまだ4才…と言われていた。 5才になったのはつい数日前だったが、早くも何か懐かしかった。 それはさておき、わざとやらない。ということを隠すため、そのまま4才でいたかった… が、残念ながら兄が「5才になった」とか言ってしまった。。 5才になった…ということを暴露してしまった。。 それを聞いて先生はおめでたいような顔をしてこう言った。 「5才…じゃあマミcと同じだ…!」 そう言われて微妙だった…。 ていうかその時、マミcが同じクラスの同級生だということをあの先生は知らないでいた…ということに気がついた…。 でも同級生です…とはもちろん言わなかった…。 マミcも何も言わなかった。 でも年下…て言われていて、なぜだろう?て疑問に思っていたことでしょう。 何も触れていなかったが…。 それから帰りに母にも「5才になったんですね」とか言っていて、そのことを大々的に取り上げていた…。 まだ4才ということにしておきたかった… 兄が5才になったことを暴露してしまい…ショックだった… 最年少ではなくなってしまい、まずいかもしれなかった…と。これも思い出。 いや最年少は最年少か。 マミcが6才になればまた1人最年少に戻れる… (最年少ではなくなってしまい、マズかった…) 帰りは親の迎え待ちとなる…。 親が来るとめ○○と同じように先生が今日のことを個別でさらっと話して終了…。 このあと…アパートの部屋のところから入口の砂利の駐車場のとこまで行く間、親どうしが話をしていた…。 駐車場とかで立ち止まったりして…。 もちろん全員の親が同時刻に迎えに来るので、ここで合流と。 こういう光景はぴ○○○○と一緒でした…。 母はマミcの母とか、小2のあのブサイクの母なんかと主によく話をしていた…。 でも子供どうしでは全然接していなかったと…。 そういうこと、ありますね…。 ハロウィン等、イベントがよくあったのだが、そういうのもあまり好きではなかった。 なぜかって… 積極的に何かやるのが恥じらわしかったから。 そこは普通のアパートの一室で、普通の家みたいだったところが、落ち着くところだった…。 壁に地図とかも貼ってあって気になっていた。 でも結局そこでは兄以外の友達とはほぼ接したことがなかった。 兄も自分以外の誰かとはほぼ一切接していなかった。 マミcも幼稚園にいる時と同じで、何も話してこなかった。 ここは少人数だというのに…。 やっぱり○○○しとかあるから、嫌っているんだ…だから…てそう解釈していた。 ここに通いだした時はもう4才だったからか、“自分のイメージの定着”がなく、とにかく嫌らしい感じだった…。 英語教室に行かされていた… カルタをさせられていた… スターとムーンが好きだった… 先生以外、誰とも接しなかった…誰も接してこなかった…そんな記憶。これも思い出。 話はまだ続きます… しかしなぜ英語教室なんかに行かされていたのか?数年経って思い返してみてふとそう思った。 とにかく何か“習い事”というのをさせたという事柄を形づくるために行かせられていた。という感じだろうか。 母は…皆何か習い事をさせてるのだから、適当でもとにかく何かさせておかないと…とそう思っていたのかもしれない。 それしか考えられない。 適当でいい…普通でいい…ただ常識にあやかって生きていればいい…その考え、つまらない。 ちなみに自分がアルファベットなどがわかるのはここに通っていたから…とかではない。まったくもって違う。 ここに通う以前から知っていたわけです。 ここではアルファベットとかは教わっていない。 カルタ以外のことをやった覚えはない。。 (見知らぬ友達がいて見知らぬ場所という感じで嫌らしかった英語教室)                   幼稚園の時に行っていたのはこの2か所だが… 小学生になってからも何かやっていた時期があった。 塾?の話はとりあえず一旦ここまで。 であと…このように自分はその何かあれだったので… 幼稚園、塾?のほかに、さらに親が指導?を受けてる間に子供は遊んでいる… という形式の、教育相談所?のようなところにもどこかしら行かせられていた。 記念すべき1番最初に行っていたところは… すぐ近くの一見幼稚園風の建物の中だった。 (↑ここ。建物はもうかなり年季が入っている。ここの階段を上っていっていた。よく見ると屋上まで行けるようになっている…) 来ていた時は知らなかったのだが、兄も来ていて兄の方がメインだったようで、自分はただ兄のついでに行かせられていただけだった模様。 その時は自分は“さほど問題なし”だった模様…。 ここには確か3才の時から来ていた。 1番最初、そこを見学に来た時、奥の1番広い部屋へ行った。 体育館風の部屋だった。 そこには小さな子供達が大勢いて、子供達で溢れ返っていた。 兄もいたのだが、とりあえずそこで自分らも遊んでいるよう命じられた… があの輪の中にはとても入れそうになく、見ていただけだった…。兄も同様だった…。 みんな渡っていた長い渡り棒?や巨大な積み木が非常に印象的であった。 あと正面の大きな黒板にはチョークでア○パ○マ○とバイキ○マ○の絵が描かれていた。 覚えているくらいですから、その絵もまた印象的であった…。 というかあの大勢の子供達は一体何だったのか? 皆同じように相談に来ている親の子供…てことはないでしょう。 あんなにいるはずありませんから。?? それから少しして、正式にそこに来ることになった。 その後、あの広い部屋はいつも誰もいなくて閑散としていた。 ああも賑わっていたのはあの最初の時だけであった…。 あの時は本当に何だったのか…?思ってみると、謎。 で、そこでは親が話してる間遊んでるのですが、閑散としていたので、それからは悠々と好きに…その、遊べた。 普段はこんなで良かった。 ああもほかの子供達で溢れ返っていたら…遊べなくなっていたところだった。 あの巨大な積み木で遊べた時は、嬉しかった…。 あとその奥の広い部屋だけでなく、手前の小部屋で遊ぶことも多かった。 そこにはおままごとセットがあり、それが気に入っていた。 そのほかに四角い、子供が入れるくらいの大きさの骨組みだけの家?のようなのがあって、 その中を“テレビの中”と見なし、その中に入って、そこでままごとをやって、“料理番組”!とか言って、 そのつもりになって、観覧者にその様子を見せてよく遊んでいた。 でも大人達は、テレビだと何度言っても、そこあまり触れてくれなかった。ちゃんと自分のイメージを分かってくれていたのだろうか? 自分の相手をしていたのは主にメガネの方(先生)♀だった。 もう1人、少し横に大きい人♀がいたのを覚えている。 母の話が終わって、母が戻ってきても、名残惜しくてなかなか帰らず、今度は母と遊んでいったりもしていた…。 単なる遊び場では、ないのですが…。 よく薄暗くなってくるまでそこで遊んでいた…。 でそこは2階建ての建物ですが、自分は2階で遊んだことしかなかった。 というか2階に行ったことしかなかった。 何か外階段があって、そこを上って、直接2階から入っていた。 2階に玄関があった。 1階には中庭があって、そこに面白そうな遊具がたくさんあった。 どうしてもあそこで遊んでみたかった。 がなぜか、“行ってはだめ”と言われ、行かせてもらえなかった。 …で結局1度も連れていってはもらえなかった。 どういうわけだったのか? 中庭…どころか1階に行ったことすら1度もなかったのですが…。 “アナタの居場所は2階だけ!”的な感じ? 当時は、“ただ単に遊びにきているわけじゃない”だからだめなのかと思っていたのだが…どうなんだろうか…? 今思うとそれはなさそう…。 あそこではただ暇つぶしに遊ばせられていただけだし…。 何か秘密があったのだろうか…? 何だったのか?下は? 職員の人のみならず、母も自分らを行かせないようにしていましたが…? そういえばそんなだった… 何か気になってきた……。 ともかくあそこに行かせてもらえなくて本当に残念だった。 それが心残りとなっている。 そこに行かされていた… 心残りがありながらも…遊べてよかった…そんな思い出。 で…それが気になったので、何か手がかりはつかめないか?と、今になってストリートビューであの施設の建物の様子を改めて観察してみた。 そうしたら…なんとあっけなく…謎が解けてしまった。 では謎を明かします。 … 柵に立て掛けられていた看板に…「本町保育園」の文字が…?! 地図を確認してみると…そこは本町保育園となっていました。 なぜいままで気付かなかったのかw? あそこが保育園だったということに……。 この歳になるまで気付かないでいたとは奇跡的。。 やけにそれらしい外観の建物のわけ…言われてみれば本当の保育園。。 1階は保育園の園児たちの領土?だったので、それ以外の者が立ち入ったら怪しまれてしまう…だからだめだった…ということか…。 でも中庭に誰かいたのを見たことがなかった… 何も物音も聞こえなかったし…。 夕方だったからもう誰もいなかったのか? それともうちが行ってた日は休日だった? 当時、曜日とか時間とかあまり意識していなかったので、よく分からない…。 でも夕方ではあったと思う。切ない雰囲気だったので… 誰もいないんだったら、行ってしまっても良かったのでは… いやでもほかの園の子供がかってに入って遊んだりしてはいけないですね…。 確かにだめだった。 あともしまだ下に園児たちが残っていたのだとしたら、絶対に禁物でしたね…。 ここの園児達と自分は当時同世代だったので、園児達は屋内で何かしてる中、 自分だけ外で遊んでいたらズルいと思われてしまう…。そうなりますね…。 自分・兄のような、ほかからの幼児も受け入れていたところだったと…。 あと最初の見学の時、奥の広い部屋に群がっていた子供達は…下の園児達だったのか?その可能性大。 あの日はまだ園児達がいる曜日だか時間帯だったのでしょうかね…? それで、2階に来ていた…。という感じ? 2階に来ることもあったのか…。 2階は完全に教育相談所としての領域かと思っていましたが…。 2階も1階と同じ規模なので、2階丸々保育園として使用していない…なんてそんなのはもったいない…。 なので当然か…。 うちが来ていたのは休日で、平日は毎日最初の時みたいな感じだったりして…。 もしそうだとしたら壮大な“思い込み”をしていたことになる…。 …これから通りかかった時にでも…あの保育園の様子を観察してみるとする。 (そう観察しようとしていたんだ。しかしながら少し忘れているうちに解体された…。  こういうことがよくある…。だから必死な気持ちになる) この件がまさかこんなに深い内容になるとは思いもしなかった…。 文章にまとめるために、過去のことを色々思い起こしていくと、良い発見があるものである…。 2大ミステリーがあったと。そしてどちらもほぼ解明された。 …で、ここに来ていたのは4才くらいまででした。 年長くらいからは行かなくなり、ほかに行くようになっていた。 兄が幼児ではなくなったからか? 自分はあくまで兄のついでに来ていた感じのようだったようですから。 次の行き先でのことに関しては…年長なので3章にて。 色々な場所に行かされておりましたが、どこも近いので、特に何とも思っていなかった。 (遊べて面白かった教育相談所) 幼稚園での話に戻ります…。 圧倒的に思い出深いのはそこですね。 ほかは週1回とかですが、そこは毎日で、半日いたわけですから…。 ここからはその他の「怖かった思い出」を挙げていく。 そういう思い出を中心として話していく感じ。                   体育で特に…その特に怒られていたのは鉄棒の時だった。 飼育小屋の前には鉄棒があったのだが、そこで何か1人ずつ、鉄棒をやらされることがあった。 自分は前回りなら極希にできることあった。 があくまで“希”。 ほぼできないし、それ以外は何もできなかった。 普通にできるのはぶら下がるまでで…そこから回転するのが怖く、回転する勇気がなかった。 希にできた時は… 誤っていってしまって…“できた”というような感じであった…。 体育での鉄棒は…自分の番にやらないとスズキtに怒られるし、 やろうとして途中までやろうとしてしまうと、やつに強引に回されそうであれは本当に怖かった。 途中までやりかけて結局やれなかったりすると…… “できない”というかやる勇気がなかった…。 空中で逆さになるわけだ。怖いはず。 問題はその恐怖。恐怖との戦い。 いつもできず、怒られていた…。 体育で怖かったのはこの時に限ったものではないがね…。“いかなる時も”だから…。 逆に回る逆上がりとやらの方が楽だとか言われるが…逆上がりより前回りの方がまだ怖くなく、自分にはいけそうな感じであった。 ぶら下がるところまでは怖くないわけだし。 最初、鉄棒の基本といえば前回りかと思っていた…。いまだそういったイメージ。 そんなように鉄棒は恐怖によりかなりできない部類であり、怒られていた…恐怖だった…そんな思い出。 1人ずつで…皆注目している中でやる…というところがまたできない生徒にとって嫌らしかった…。しかもスズキt監修の元で… 最高潮に怖かった。 (怖かった鉄棒)                   夏見の大通りから、細い道を入って少し行ったところが幼稚園ですが、 ちょうど“その細い道を抜けたところ”あたりに、階段のようなものがあった…。 いや階段といっても、ほぼ段差がない階段。 一応ありますが、数mm程度の段差でしょうか?w 思ってみると…何だったのか? 木でできていた。木造。 木の板のプレートを重ねてあったような感じ。 「木の板」です。 段差がどれくらいか想像ついたでしょう? 板の厚み分の段差…。 それでも、段、々、となっていて…階段っぽかった。 本当、微妙な階段だったが…。 でも5段くらいはある階段だった。 5段でもほんのわずか。 “5段の階段”という感じではなく、“5枚の階段”というような感じ。。 …そこ、少しだけ斜面になっていた?とかだったのかやはり? そうだったとしても不思議はない。 その大通りと幼稚園を結ぶ細い道も、斜面で大通り側から下っていく感じだし、裏なんか地面が段違いになっていて、 裏口のところなんかその上の道路に行くのにかなり急斜な人工の坂が作られているくらい。 道を作る時に“高さを統一”するくらいのこと、普通するのでは…? ほんのわずかな高さの違いだし…。 なぜわざわざ階段…? 斜面にしたら、斜面だともわからないくらいな程度です…。 考えられるのはそれも“幼稚園だから面白そうな見栄えのものを…”みたいなあれか? 機能とかではない。子供心を考える…みたいな? わからない…。 どんなだったかちゃんと確かめに行くようなことももうできないし…。 でもその階段とか、あまり気にならなくて、目に入っていなかった。 まあ目に入っていたから覚えているわけですが、特に気になるようなものでもなかったと…。 今思ってみると何だったのかあれ?て思う…。 それでですが… 話はここから。 体育の時…。 体育でよく、1人ずつ…だったか?そう1人ずつ、走らされることがあった。 毎回のようにその走るのをやらされていた印象。 それがまた嫌だった。 スズキtがいる体育自体嫌ですがこれは特に。鉄棒には及びませんが。 それですが、順番に並んで、1人ずつ走らされていた。 園内入口のあの木の板の階段?の前の地点からスタートして、園舎東側の広いグランドのところに向かって走る感じだった。 短距離を走る時はそのコース。 1人走り終わると次の人が走る。という流れ…。 1人ずつなので、走るその1人が注目されるんです。 だから嫌だった。 その順番待ちの時は恐怖だった…。 刻々と自分の番が迫ってきますから…。 “まだですが…並んでいる限り、自分の番は来てしまう…”というような感じで…。 「恐怖」というのは忘れない。 自分の番が来る…。 それで、来ても、、なかなか走れなかった。 1人注目されるから恥ずかしくて。 飛び出す勇気が出ない。 それでスズキtに責め立てられていた。 これまで家では“怖い声で命令される”ようなことはなかったから、そういうのは凄くダメだった。 誰でも関係なしでそういう声のかけ方をしていた…。 そうすることしかできない先生だった感じ。 まあそんなで少し躊躇して怒られるも…走れていた。 ほかにも躊躇している人はいたが、躊躇している時間が1番長いのはもちろん自分であった。 …でも本当に走れなかったこともあった…気がした。 そんなでそれでスズキtに投げやりな暴言を言われまくっていた…。 順番待ちの時ですが… 詳しく言うと、あの木の板の階段?のところにしゃがんで並ばされていた…。 1人終わるごとにしゃがみながら少しずつ前へ移動していく。 順番が来たら立ち上がって走る感じ。 ちょうど1人終わって1回分進む距離が、階段1段分くらいで… “あと何人で自分の番…”て予測がつくんです…。 多少ズレるのですが自分はあえてなるべく、1段階進むのは階段1段分にするwようにしていた。 遊び心でそうしたくて、なるべくそうするようにしていたのだ…。 自分に習って皆そうするようになったりでもしたら、面白いでしょう…。 でも1段階ごとに、恐怖の自分の番が迫り来るわけですから、怖かった。 怒られるカウントダウンみたいなものでしたから…。 怖い場面だったから、あの階段を間近で見ていた記憶を鮮明に覚えているのでしょう。 こういうのはリアルタイムでその時の時点で“これは忘れるはずない”って思います…。 そう思っていました…。 もしかすると、この記憶がなかったら、その木の階段の存在は覚えていなかったかもしれない。 … それでだった。 家で母に、「体育嫌」。特に1人で「走るの」嫌。的なことを言った。 体育が嫌なことは前々から母は知っていますが。さらに推す感じ。 そうしたら… のちに…体育でその走るのをやる時… 1回パスできた。 確かそんなことがあった…。 その時の安心感は忘れられないくらいのもの…。 喜んでいるような余裕なんてない。本当にホッとした…という感じ…。 ナナムラtが話を聞き入れ、“自分はやらない”ということにしてくれたのだ。 体育自体を1回見学にしてくれたこともありましたね…。 そういうこともできると…。 何かしらやってくれる。 1人で走るのが目立って恥ずかしいので嫌だった… その上スズキtも怖いので嫌だった… でも自分の言ったことが母経由でナナムラtに伝わって1度やらなくていいことになり、解放感を味わえてよかったりもした… でもそれ自体は嫌だった… とにかく体育が、スズキtが嫌だった…怖かった…そんな記憶。これも思い出。 その階段と、体育のその競技にこう結びつく関係性があったと。 というか… その競技(走るの)は何だったのか…? 2人以上で走って競争とかなら、わかりますが、1人で走るって?どういう目的でやらせていた? もしかすると、“恥ずかしさを感じさせないようにするための訓練”?とか…それだったら、怒られてもしかたない? それだけの目的とか、そんなことはないか。 1人に注目して、1人1人の様子を観察する目的とか… 単純に脚力をつける目的とか… 勝ち負けのない遊びを覚えさせる目的とか… 全部違ったとしても、とにかく色々な目的があってやらせていたのでしょう。 今思うと疑問を感じた。 そういえばこの走っている時に、転んで怒られたこともあった気がした…。 “転んで怒られる”て、なぜなのか? (怖かった…嫌だった…1人徒競走)                   自分がいた時、幼稚園ではチャンミングシールというシールがかなりのブームになっていた。 それはどんなシールかというと、ぷっくらと浮き出たキレイなシール。感触がまた良い。 チャンミングシールは毎日のように床に落ちているのを見かけていた。 自分もそのシールが“非常”に好きであった。 あのキレイさ…感触…たまらなかった。 毎日、それを見つけるのを楽しみにしていた。 でも実は…そのシールを拾う行為は「禁止」であった。禁止とされていた。 シールなんて遊び道具幼稚園に持ってきてはいけませんから…。 もちろん拾うのもダメ。と。 万が一、持っているのを先生に見られたら…怒られます。 …なので、こっそりと拾わないといけなかった…。 だから…いざ見つけてもすぐには拾えず、誰も見ていないすきにサッと拾わないといけなかった。 生徒でも、“いけないことしてる”て思われるので、なるべく見られないようにしないといけなかった。 いつ拾おうか…とタイミングを見計らっている時に別の生徒にサッと先に拾われ、たびたびショックを受けていた…。。 それでもたまには上手く持ち帰ることができていた。 あれを“自分のもの”にできると本当にその、嬉しかった。 しかし、せっかく持ち帰れても残念ながらすぐに家でなくしてしまうことばかりだった…。 大切に扱っていたはずなのに。。 皆幼稚園であれを見つけると名札の裏に入れていたのだが、自分も拾うとまずは名札に入れていた。 皆そうしているから…とかではなく、自然とそうするようになっていた。 あとシールの裏側は銀色になっていた。それで床に何か小さな銀色のものがあるともはや敏感に反応するようになっていた…。 幼稚園にはよくチャンミングシールが落ちていた… それが“非常に”欲しかった… こっそりとうまく拾え、手にすることができても嬉しいのはつかの間、毎度すぐに無くしてしまい…残念だった……そんな思い出。 床に落ちてたのもやはり無くしものだったのだろうか…? (手に入れると夢のように嬉しかった…チャンミングシール)                   ある朝… 外で先生の話(朝礼?)みたいのがあって、皆グランドに集まっていた。 最後に、シールの話になった… 先生達は“みんなあのシール(チャンミングシール)を拾って名札に入れている”ということにすでに気づいていた… 「それはいけない」とか何とか言って… ムーシャtがあのシールを持っていないか?と1人1人の名札の裏をチェックしだした…! !! 自分は恐れ入った。 ちょっと前に名札に入れたチャンミングシールをまだ入れたままで取った記憶がなかったからだ。。 つまり、自分の名札にもチャンミングシールが…… チャンミングシールの入っていた生徒はみんなムーシャtに怒られている… 自分ではなくてもあれだけ怒られてる… だったら自分なら一体どれだけ…と想像してしまってとにかく、、怖かった…。 … そしてついに、自分の番がやってきてしまった。。 見せるのを拒否しようとした…。 でももちろんそんなのは許されず、強引に確認しようとしてきた! そこで自分は…みんな見ていて少々恥ずかしいながら…こう言った。 「もし入ってても怒らない?」 そうしたらムーシャtは…優しい声でこう答えた。 「怒らないからさぁ…」 … そう言ってくれたので自分はしぶしぶ名札の裏を見せた。 やはり、チャンミングシールは入っていた。 でも約束通りムーシャtは怒らなかった。無言で自分の前から立ち去っていった。… あまりいい顔はしておらず、心では怒ってるみたいな感じではあったが…何も言わずに感情を押さえたような感じだった…。 … ああ言って正解だった…。 みんな見ている場面だったし、あそこで“怒る!”と発言することができなかったために、助かったのかも…。 あとその時、どっかの先生が 「可愛い…w」 とか言っていたので、空気読んだ。というのもあるだろう…。 ムーシャtの返答はその“あと”でしたから。 とりあえずその時は自分の作戦勝ちだった。 そう実は…あのセリフはとっさに出てきたわけではなく… みんなが怒られている時に思いついた必殺のセリフだった…w 本当です。 “そう言おう”と決めたんです。 でもやはりちょっと恥ずかしかったのがあれであった…。 確か年長も一緒にいて、兄を含むともかくみんながあの発言を聞いていた……。 まあそれで助かったんです。難を逃れた。 … チャンミングシールを手に入れると嬉しかったが…ムーシャtに怒られそうになって怖かったこともあった…と。これも思い出。 作戦が成功して…思い通りになって…良かった…。 自分だけ怒られず…特だった。 ところで床になぜあんなにもよくチャンミングシールが落ちていたのか?謎であった。 拾う人はたくさんいたのに、持ってくる人はどこにもいなかった。。 いやいたから落ちてたのだろうが…。自分は逆に“持ってきている人”というのは見たことがなかった…。 ??? (恐怖のチャンミングシール所持調査)                   自分が持ち帰ったチャンミングシールはいつもすぐになくしてしまっていた… わけですが… わけですが、、1つだけ、引っ越しの時まで長年残っていたものがあった。 それはパズルに入れておいたやつだった。 今回手にしたのは赤いハート型のチャンミングシールだった。 どこかに貼ろうと思っていた。 そんな時、玄関に飾ってあった父の作ったいくつかのパズルのうちの…2人の天使がいて真ん中にハートがあるパズルが目に飛び込んできた。 ハートの中にハート…いいな。て思ってハートの真ん中にアクセントとしてハートを貼った。 パネルを外してパズルに直接貼った。 ちょうどパズル全体の中央でもあり、マッチしていると思った…。 母に見せたら… いいと言っていた。 いいと思うのは自分だけではない。普通に見て悪くないということが分かった…。 パズルを外さないと取れないので、誰にも取られず、その後ずっとそのままだった…。 これがないと物足りない…という感じになっていて、もう絶対に剥がしたくなかった…。 また剥がして手にとってみたい…とも思っていたが、物足りなくなるので、 “あれはあそこに貼っておくべき”だと思い、もう手を出さなかった…。 そこから動かされなかったので、そのパズルが捨てられる引っ越しの時まで、長年生き残った。 でも“引っ越しの時”まで…。 捨てられると知っていたら取り出して保管していたのに。。 いつも拾った時は“自分のじゃないいいものを手にした”という感じだったが…(拾い物ですから) あのチャンミングシールがあそこまで“見慣れたもの”になるとは思わなかった…。 拾ったチャンミングシールを… ちゃんと自分のものにできてよかった…そんな思い出。 できれば捨てられる前に取っておきたかった…。 (無くさなかったチャンミングシール) ちなみにケーヨーホームで、チャンミングシールがなんと“売ってる”のを発見し、買ってもらったことがあった…。 でもやはり…それで価値観が薄れた。 1つ1つではなくて… その売っていたのは何十個もついているものだったのだが… 一気にあんなに手に入れてしまったら。。そうでしょう。価値観、薄れる。 もはやどうしたら…という感じ。 苦労して手に入れていたからこそまた良かった… それに気付かされた… でもそんなではなくてもかなり好きだったことは確か…。 というかせっかく大量に手に入れたのに…それも気づかないうちに全部どこかへいってしまった…。 家に物を捨てるのが好きな人物がいるので、いつも何でもいつの間にか家からなくなっている…。本当に油断できない…… チャンミングシールを拾った…のではなく、買った…w しかも大量に手にした…夢のようであった… しかし価値観が薄れ、少し見ないうちに捨てられた…結局は残念だった…そんな何か痛い思い出。 (チャンミングシールの価値観、薄れる…) ところでチャンミングシールは“チャンミングシール”と言っていたのでそう書いておりましたが、 実際はチャンミングシールではなく、チャーミングシールだった模様。 買ってもらったやつの商品名を父に読んでもらったのだが… 「チャーミングシール」と書いてあるとのこと、だった。 チャーミングシール… 気に食わなかった…。 何となく「チャンミングシール」では何か変なので、それは間違っているんだと思ってはいましたが…。 兄とかもそう言っていたし…もう“チャンミングシール”というイメージなので、今更変えられない…。 “思い出を変える”わけにもいかない…。 だからそうではないということを分かっていながらも、“チャンミングシール”と書いていた。                   ある日、教室で音楽の時間… 「お子さまランチの歌」を取り上げられ、それを何度も歌わせられた…。 この歌には、興味をそそられた…。 で…自分はその時間内にいつの間にかそのお子さまランチの歌を覚えて…歌えるようになった。 興味をそそられ、“覚えたい”と思ったから覚えられた? どんな歌かというと… “巨大なお子さまランチの上を障害物競走する”といったストーリーの歌でした… 食べ物が障害物と… 歌詞からその様子を自分なりにイメージしながら覚えていった…。
…その夜…
早速家で今日幼稚園で覚えたお子さまランチの歌を兄、父の前で適当に踊りながら歌ってみせたw
何か、大好評を受けてアンコールされwまたハイテンションで踊りながら歌った。
そしてその後も兄、父から何度も何度も限りなくアンコールされ続け、
いつまでもハイテンションで踊りながらとにかくお子さまランチの歌を歌い続けた。w
そのうちタフだね…的なことを言われた…。
しかしまだ余裕だった。
それでまだ続けていると…
父にこう言われた。
「電池なくならないの?」
??
「電池?」…と聞くと父はこう言った。
「人間も電池で動いてるんだよ。夜に動きすぎると電池がなくなっちゃうんだよ。電池が切れると動けなくなっちゃうんだよ。」
!!!!
そ…それは知らなかった…
今度は“もし切れたらどうしたら充電できてまた動けるようになるのか?”と聞いた。
父はこう言った。
「一晩寝れば充電されるんだよ。だから朝になれば大丈夫なんだよ。昼間はまだ電池がたくさん残っているから動いても大丈夫なんだよ。」
…それを聞いて…怖くなった… 自分は即座に歌うのをやめた。 その日はもう極力動かないようにした。
それ以来… 夜は電池がなくならないように注意し続けた。 …中学生近くになるまで。 長年そのことをずっと、信じていたと。 本当のことらしく理論的に言っていたような感じだったので…本当かと思ってしまっていた…。。 “電池が切れる”とは…どういうことだったのだろうか…? 自分としてはおもちゃのスイッチを切るとピタっと動かなくなるみたいに… 人間も切れた時点で即座に動けなくなってしまう…とそう受け止めていたのだが… 今思うと…あそこまで本当のことらしく説明していたということは、そんなではなくて何かの“たとえ”のような感じだったか…? いやそうでもなくてただの“もう寝かせる”ための脅しだったのだろうか…?それもありえる…。 だったらまんまと引っ掛かったことになる…。 というか何度も歌わせていたのは父自信でもありますが…?? まあ兄もアンコールを止めそうになかったが… もう何にしても酷い。 子供だからどうせすぐに忘れるんで、何言っても大丈夫。真に受けて聞いてくれるから都合良い。 とかそんなふうに思っていたからそんなこと、言ったのだろうが… 逆でしょう。 子供では嘘だと見抜けず、自分のように子供の間ずっと受け止め続けることになってしまう危険性があるというのに…。 “覚えてしまったことは逆にいつまでも忘れない”という場合もあるのに… そういうの、自分だけではないですよね?どうでしょう? 本当、笑い話ではない。その後長年ずっと気にし続けていたのですから。。 で、お子さまランチの歌ですが、あれ以来変な印象が付いてしまい、 その後この文章を書く時まで一切思い出すことはありませんでした。いまだにほかで聞いたことも1度もない。 なのでさすがにどんな歌だったかは…ほとんど忘れている。 いつのまにか…あまり思い出せなくなっている。。 …飛び越え……プリンの山越え……ゴール最後は僕の大好きなおまけのおもちゃ♪ しか、思い出せない…w あの日あんなに歌ったというのに。。あの日だけか。 当時のイメージはもうちょっと覚えているのですが、歌詞が出てこない…。 「歌詞から伝わるイメージを連想しながら」と言いましたが… 具体的にはこんな感じです。
「プリンの山越え…」のところは…
巨大なプリンを跳び箱にして、跳び越える…といったイメージだった…。
プリンは確かに“山”に見立てられる…いい発想だ…て思った…。
「僕の大好きなおもちゃ…」のところは…
頭上(ヘリコプターの上?)から障害物競争を楽しんだ舞台(お子様ランチ上)をくるくる回りながら
“お疲れさま”…といった感じで、眺めている感じ…。
お子さまランチの一角には、青い、車のおもちゃが……。
お子さまランチを用意してくれたレストランは…木の温もり溢れる、ログハウスのレストラン…。
あと出だしの場面のイメージは…
スタート地点のゲートが奥に見えて…
そこからカラフルなラムネのタイヤ?が一列に連なって並んでいて…
主人公の子供がその下をくぐっていく…
そういったイメージだった…
空などの色は淡いパステルカラーで…
舞台はメルヘンチックな異空間…といった感じだった…。
夢のある世界…。
その当時の想像上のイメージは覚えているのだが…そのイメージを連想させた“歌詞”がどうも思い出せない…。 ともかく席で歌詞を聞いていたら…自然とそういうイメージが湧き上がってきていたと…。 席で空想の世界に入り浸ったりしていた…。 そういうことはその後も学校でも毎日のようにあったのだが… そういう時って、現実でも時は流れていますが… 空想の世界に入り込んでしまっていて… 現実では現実をあまり見ていない状態になっていて… ふと目が覚めて?現実に返ると、たった今現実で起こっていたことを覚えていなかったり。。 覚えているのは空想の中の記憶だけ…。 空想と現実。 どちらかに意識が集中する感じになる…。 この両方に同時にアクセスする能力は人間にはないのか…? お子さまランチの歌はいい案だと思い、面白くて気に入った…空想により増して?面白みを感じた感じ…そして覚えた… さらにその覚えた歌を知らない家族に披露しまくれ、覚えたかいあって良かった…この面白い歌を歌えることを自慢できて楽しかった… はずが父の発言により一転して怖くなった…というそんな話。これも思い出。 (お子さまランチの歌は大好評、しかし)                   あとこんな話もあります。 これも電池の話の時と同時期の4才の時でした…。 ある日、自分と兄とアナcでいつもながらに天沼公園に遊びに行った…。 うちの母も付き添いできていた。 でもそのうち、母は「出かけてくる」と言った。 母はチョウクを持ってきていて、それを渡され、出かけていった。 帰ってくるまで公園で待つことに…。 自分らはその渡されたチョウクで地面に絵を描いて遊んでいた。 チョウクで何かを描くのは新鮮で面白かった…。 何しろ、チョウクの存在を知ったばかりだったので…。 こんなところに絵が描けるなんて、と夢みたいな感じだった…。 この時はチョウクの面白さに惹かれた頃だった…。 … で…しばらく経ち… ようやく、母が帰ってきた… もう、帰る時間みたいだ…。 母は「もう帰る時間」…と、帰らせようとする…も、自分らはチョウク遊びに夢中で帰りたくなかった。。 そこで… 母はこう言った。「チョウクの粉が手についたまま30分経つと死ぬんだよ」
!!!
それは…知らなかった…!!
粉が何か体に悪そうな感じに見えてはいたが…そんなに、本格的な毒だったのか!
もう触ってから30分経ってしまう…!
即座に遊びをやめ、手を洗うためにみんな必死になって大急ぎで走って水道のところへ向かった!
、、、、、、
なんとかみんな無事に、そこまでたどり着き、手を洗った…。
……
セーフ、とのこと…。
………この時は危なかった…。 これ以来、チョウクは触らないことにした。 というか、もし手を洗っても落ち切っていなかったら… と想像すると怖くて…もう触れなかった…。 せっかく面白かったのに、、少し残念だった…。 それから、中学生くらいまでずっとその母に言われたことを信じていて、チョウクに絶対に触れてしまわないように長年注意し続けた…。 これも、笑い事ではないです…。長年ずっとチョウクを恐れ続けていたわけですよ。 黒板にも極力近づかないようにしていた…。 しかし今思うとありえない…。“死ぬ”とか…w 本当にぴったり30分経過した時点で突如意識がなくなってしまう…と、そう認識していた…。 信じてしまうものです…。 あの時の他2名も本気で信じていた…。 兄とアナcの方は一体いつごろまで信じていたのだろうか…? やっぱり1番最近まで信じていたのはさすがに自分でしょう…。中学生まではさすがに。。 酷いです…。 あの発言って、ただ手を洗って帰らせるための脅しだったのでしょう…。 まんまと脅しにかかったというわけだ…。 全然、わかっていなかった。 父の人間の電池切れの話はまだ実は何か意味を持っていそうな感じもするかもしれませんが、このチョウクで死ぬの発言は…完全なる脅し…w どちらかと言うと後者の方が酷い。 幼い子供に適当なことを言うのは本当にやめてほしい。 このように、危険ですから。 覚えてしまうといつまででも忘れないんです……。 チョウクで何か描くのが面白くて、楽しかった… はずが!母の発言により一転して怖くなった…というそんな思い出その2。 真相をつかめた今、大人を恨みます。 そしてもう自分はその大人。 やはり大人になっても忘れていなかった。 しかしあの手を荒いに行くために走っている時の、あの時の恐怖感は凄まじいものだった…。 たぶん3人とも同じ感じだったことでしょう…。忘れられない…。 母が庭で最初にチョウクを貸してくれた時…チョウクが「体に悪い」とは聞かされていて…それで確かに粉が何か体に悪そうな感じに見えて… それは分かっていたのだが…「死ぬ」はなかった…。 (チョウクの脅威)                   ある日、花組で身体測定があった…。 黒板の前に体重計などがあって、皆右側から乗っていっていたような気がする…。 自分は自分だから特別かもしれない… それがこれでわかってバレてしまうかもしれない…と、また思って、計るのが怖かった。非常に怖かった。 自分の番…怖いが、おそるおそる測定。測定を…終えた…。 先生達は何かニヤけた表情をしていた…。 嫌な予感… 記録用紙?には… 体重「60kg」と記載されていた……。 ま、ま、まずいと思った。 太っているような気がしていたが、これは。。 それが大人でも肥満な体重だということはわかっていた…。 典型的な肥満者の体重というような印象の数字…。 普通ならありえない。 特別な存在だということがバレたか……。 先生達はそれなりに受け入れていたようだ…。?? この歳でこの体重はありえないものだと思うが、一応認められるのか…。 やばい体重なので、広まらないようにしないといけない…。 これは普通の人間ではないということを多くの人に知られてしまう、危険なデータ…。 先生達の自分に対する扱いがやけに酷いのは、肥満とかもあってのことなのかもしれない…? やっぱり体重を計るのはまずかった…。 以前母が言っていた“400kgの人が死んでしまった”という話を思い出し、もし本当に60kgなら自分はそれに匹敵していると思った。…怖い。 その400kgの人は大人…。自分は子供。 4才での60kgは大人の400kgに相当しそうなくらい。。 母は「16kgの間違いじゃない?」と若干怒り口調で言っていた…。そんなの認めるはずもない。 初めて自分で体重を計った小1の時は、19kgだった… なので、その2年前のこの時…となると、16kgくらいだった可能性は確かに高い…。 でも本当に60kgかと疑ってしまい、怖かった…。 …というかニヤやけていた?感じしたので… もしかしたら、わざと60kgと書いた? あそこの先生達の自分に対するあの感じから察するとありえなくもない…。 はっきり覚えていないのが惜しい(というか痛い)…。 この記憶が正しく、わざとそう書いたわけだとしたら… 「うちの元気がなくなっちゃう」とか意味わからない発言で怒られた件とか、 強制で職員室連行系統、ワーイtの扱い、お〇〇〇時の扱い等以上に酷い話し…w 60kgって。。 自分が人間じゃない意識あることをわかっていたみたいだ…。 間に受けてしまって非常に怖くなりますから…。 究極の嫌がらせ。。 もし誤記述であったとしても、酷いことは酷い。 4才にして体重60kgだった… 恐ろしや…これは自分の秘密… 秘密を広めないようにしないといけなかった…と。これも思い出。 “60kg”とか記録されたのは確か。 記録係りの人は…ムーシャtだった気がする……。 (恐ろしや!4才にして体重60kg)                   体育でグランド1周とか走ると、毎度呼吸が速まり、さらに咳が止まらなくなったりしていたのだが… それもまた例の人間じゃな…て思い、不安であった…。 周りのクラスメイトらも走ると同じようになっていたのだが、でも1度説明してもらわないとその不安感がすっきりとは抜けなかった。 そのうち自ら親に聞き…納得した。 また1つ人間のことを知った…。 超人要素とかではなくて良かった。 不安だった…良かった…そんな思い出。 ちなみに自分がそれで皆よりも長い間止まらなくなっていた時… 何となく気にかけてきた先生は一応いた…ような。 1度すると出続けるなんてこともこのころは全く知らず、注意が足りなかった…。 (疲れの不安)                   あと体育で走ったあとには…「深呼吸」をさせらることがよくあったのだが… 一応やっていたが、あれをやるのは微妙に不安であった…。 なぜかというと… 「地球に酸素がなくなって、呼吸できなくなってしまうんじゃないか?」 と思う気持ちがあったからだ…。 “夜に木から酸素を出してる”とのことだが… 昼間は作られない? だったら昼間に酸素を吸い切ってしまったら、おしまい… なのかもしれない…と思っていた…。 普通にたまにそのことを気にしていたのに… 大人数で一斉にあんなに目一杯吸ってしまうなんて、、まずそうだった…。 でもあれでも大丈夫なのだから…と… たくさん吸ってしまっても大丈夫だ…と…ある意味逆に安心した感じもあった…。 空気がなくなってしまいそうで…それで深呼吸するのが不安だった…そんな記憶。これも思い出。 そういえばいまだに詳しいことはよく分からないのだが… とりあえずその不安が解消されてきたのは小学校高学年くらいの時だった…。 (深呼吸の不安)                   プールを出たあとの着替え時は… 教室に誰か(クラスメイト)の親?みたいな人達が必ずいつも何人か来ていて…その人達が毎度皆の着替えを手伝っていた。 自分も…その誰かの親?と思われる人達に着替えさせてもらっていた…。 でも“なるべく自分で着替えてください”というような感じだった…。 自分は自分で着替えることなんて簡単にできたわけだが… 家でもあれだったので、できないフリをし、甘えて着替えさせてもらえるのを待っていた…。 毎回なので…少し呆れられていながらも、見知らぬ誰かの母は必ず着替えさせてくれた…。覚えられていて。 自分で着替えているところを1度でも見られてしまうとあれだったのでずっと自力でやらないでいましたから。 しかし、あの母親達は…果たして着替えの手伝いのためだけにわざわざ来ていたのだろうか…? 自分で着替えない生徒に対して何か怒りっぽい態度を示していたが…どうなのだろう…? そういえば春の会の時の舞台裏でも似たような誰かの母親のような人達が衣装の着替えを手伝っていたが… 同じ人達? 何だったのか…あの人達は… 今思うと少し疑問……。 でも何となく好きな感じだった。誰の母親だろうとやはり母親は。 甘えれば世話してもらえそうwで。向こうから見たら見知らぬ子供である自分であっても… 良くなさそうな感じではありつつも…着替えさせてくれて…良かった…そんな思い出。 (着替えさせてくれた、見知らぬ親達)                   まだ続きます。 ここから少し嫌らしい(いつもと違う意味で)話になります。それなりの覚悟を。 ほとんどの生徒がプールの時はバスタオルを持ってきていて、着替えの時に使っていた。 それがないと嫌なのでそのうち自分も持ってきて着替えるのにそれを使っていた。 最初はそれがなくて嫌だった。 幼児とあって、男女同じく教室で着替えていた…。 それで…○○の○○○を見てしまうことがあった。 初めて見たのは…あのマミcの○○○だった… マミcの○○○は…“のっぺらぼう!”みたいに思えてちょっと恐怖を感じた。 ○○の○○○が何もなくて…奇形みたいで…怖かった…そんな思い出。 そういえば小学校で○子どうしが○子の○○○が怖いと語っていたことがあった。 自分がそばにいることを忘れていて堂々とそんなことを話していた…。 逆からしても怖いと…。 その時、それが分かった。 思ってみれば…そうか。 (マミcのあそこは…のっぺらぼう!)                   ここで後回しにすると言った話ですが…それはです… その下駄箱に集まっていた時だが…いつも同じとこに座っていた…2人の金歯の○○が怖かった…。 金歯の○なんて初めて見たし、増して2人揃って… 本当に金歯なのではなくて、何か○○○○をはめていただけだったとは思うものの… それでもあれは微妙に怖かった…。 小学校でも、最初のころは、銀歯の○が結構いて、恐れを感じた。 恐れを感じていたんです。 悪いですが、全然知らなかったので…。 金歯兄弟に恐れを感じた…そんな思い出。 てこれはこれとして独立した話になってしまった…。 これは怖かった思い出になりますかね…。 何かほかと比較すると違う感じがしますが…。 何でも言っておかないとすっきりしない…。 (恐怖の兄弟) 怖かった系統はここまで。 次に挙げていくのは「恥ずかしかった思い出」。                   まず1番恥ずかしかったのは… これは数少ない年長の時の話です。 体育の時だった… 1人ずつ順番に徒競争していくやつをやっていた。 例の如く、自分の番が来るのが…とにかく嫌だった…。でも自分の番は必ず回ってきてしまう…。 それで走る。 遅いわけではないのだが、注目されるので緊張して嫌だった。 よくやるいかにもな嫌いな競技…。 そしてようやくその体育の時間が終わった。… それで自分は教室に戻ろうとして下駄箱を上がって園舎に入った…。 と廊下でふと旧担任のナナムラtに遭遇した。 ナナムラtは最近では珍しく、無視せずに自分に目を向けている… で、ちょっと動揺している感じだった…。 あ、、もしや… ナナムラtはこう言った。 「まだ終わりじゃないよ」 この時点で猛烈に恥をかきましたw 休憩時間だっただけだったんです…。。 その後戻って皆の前でまた恥をかいたと。 スズキtは 「終わりだと思ったのか。フゥッ!」 とか言って、苦笑いしていた…。 好きだったナナムラtに成長したところを見せられなくて、ショックでもあった。 というか“休憩時間かもしれない”とは思っていました。 体育終わり!?かと思ったら休憩時間でした。まだでした…ということが以前にも何度かあったので…。 こういうことはもう経験済みだった…。 でも、中にまで入ってしまったことはなかった…。 にも関わらず、この時はなぜ中まで行ってしまったかというと… この時ばっかりは本当に下駄箱の方に入っていく人がいたんです。それが見えたんです。 だからこれは本当に終わりかと思ってそこまで行ってしまった…。 あの生徒は何だったのか…?? あと体育が嫌で“一刻も早く終わってほしい”と常に思っていたので、 “その気持ちに押された”というのもある。それが1番大きかったり…。 ついにやってしまった…という感じ。 “まだ終わりじゃない”と聞いて、同時に“まだやらないといけないのか…”とショックもあった。 恥じの方が痛いことだが…。 ともかく恥をかいた。そんな思い出。 とにかく痛い思い出。 年長になってからナナムラtと絡んだのは、この1回くらいしかなかった…。 だが待ち望んでいたそのせっかくの1回がこんな形なんてね……。 年長になった初日あたりにはまだ年中のころの余韻で、絡んだ記憶がある…。 月組前の廊下あたりで… (ついにやってしまった勘違い)                   1度だが、実は「人の顔」ではなく、単に風景の絵を描かせてくれたことがあった。それはこの時だ。 ある日、クラスで運動公園に出かけた…。 トラックの裏の、道からちょっと外れた緑地帯のところに行かされた…。
この辺は自然…。
地面が芝生っぽかったので、座らせられた。休憩タイム?
いや、そのあと…先生が辺りを見渡していて…
「この辺いい感じ…」とか言っていた…。
確かにこのちょっとした一帯は自然のまま(緑豊か)で、自分としても気に入った感じだっだ…。
で、そこで先生に…
「ここの自然の風景を描いてください」とか言われた。!
紙とクレヨンを全員に配って渡された。
…
これは。。喜んでとっさに書き始めた。
顔の絵を描く時とは打って違って手を休めることなくどんどん描いていった…。
ほかのみんなも自然だけを描いていっていた。
…
とそこでだった!
先生が突然今度はこう言った。
「やっぱり人も一緒に描いてください」 ……ww とっさに描き始めてしまったので…こんなに描いてしまったのは自分だけであった…。 近くの人に見られ「こんな描いちゃってる」だとか言われて、気まずくてかなり恥ずかしかった…。 せっかくだったのに…。 人を描くのは嫌な上、今更人を描き加えることはできそうになく、自分のは失敗作となってしまった…。 クレヨンは消せない。 “人なし”でいいなんてやけに珍しいと思ったら……やっぱり自分の好きなようにはいかない…。 なぜ…“人”は必須なのか…? “人はいいんじゃない?”と抗議してもダメだった…。 ほかのみんなのはいくらあれでもまだなんとか書き加えられる余裕があった…。 せっかく嬉しかったのに… せっかく誰よりも上手いはずだったのに…… 何か今改めて思うとちょっとこの出来事…てできすぎた感じ…。 でも紛れもなく本当の話です…。忘れはしない…。 嬉しい…かと思いきや嫌らしかった…そして恥ずかしかった…そんな思い出。 もともと「自然の絵」を描くために自然のある運動公園に行った…みたいだった…。 初めは全然知らないでいた…。 自然…だけなら良かったのだが…。 本当に、人を描かされる時と人でないものを描かされる時とで自分は全然違った。 だが果たして先生らはそれに気づいていたのか…? (喜びが…恥じらいに。自然の絵)                   でも本当に人ではない絵を描かされたことも…あるにはあります。 ある日、クラスの皆に真っ白い“うちわ”が配られた。 で、そのうちわに「夏の何か」を描きなさい。と指示された…。 … この時、「あ、あれだ。」と思い、嬉しかった。 去年兄が作って、持ち帰ってきた…あれ。 間違いなしだった。 「何でタ○だけ…自分も作ってみたい!」て思っていたわけです…。 前章で話しましたね。→この話 それで、作れる時が来て、その、嬉しかったと。 兄はスイカの絵を描いて誉められていた…。 完成品を知っていて、最終的にどうなるのか分かっていたので、安心感もあった…。 先生がいくつか夏の絵の例を挙げてくれていたのだが… その中から自分も、やっぱり兄と同じ“スイカ”を選び、うちわにスイカの絵を描いた。 やっぱり自分の作ったのは、兄のより全然気に入った感じだった。 何せ自分がいいように自分で描いたのだから。 兄は自分でスイカ…とか、思い浮かんだのではなくて、 こう候補から選んだ“だけ”だったんだ…ということが、1年してようやく分かった…。 兄がたいしたことなくて、(自分よりレベルが上に行ってしまってたのではなくて)ちょっと安心した…。 あとその後、うちわをもう1つもらい、そっちに皆描いていた花火の絵も描いた…気がする…。 これらの絵はクレヨンでなく、ペンや絵の具で描いた気がする。 その点もまた、珍しかった…。 描くところ(キャンパス)は、紙ではなくて、うちわでしたからね…。 で、自分の絵が描かれたその自作のうちわは去年の兄のように、家に持ち帰った…。 で、去年の兄のように家族に喜ばれた。今回は自分ので…その…。 喜ばれた。という程度。 兄と同じものを作れて…いや、兄に追いつけて嬉しかった。そんな思い出。 “顔”ではないのでスムーズに、なおかつ楽しく描けた…。よって、怒られることもなかった…。 うちわ…ですから、この時は6月か7月辺りだったのでしょうか…?(8月は休みなので可能性としてない) “まだ入園して間もないころ…”といった印象なのですが… 前者だとしても6月ってまだそんな? (兄に追いつけた、うちわ作り)                   あとこれは本当にあれな話。 読まないでください。と言いたいところだったが肝な話なので読むべき。 自分は幼稚園では○○○に行かなかった。 家では言われた時以外は行かないようにしていたので、自ら行ったら幼稚園では行くのになぜ家では…?? となってしまうことだろうから、行かなかった。 兄もこのころは同じく絶対に行かなかった。 それで自分は○○○○回数が多い方だった。 でも同じクラスにもっと多いクラスメイトがいた。 自分は4回で…そのクラスメイト(ミキc)は5回。 ○○○○の回数、入園した時からちゃんと数えていた。 でもミキcは○らしても全然怒られていなかった。逆に大丈夫…?とか言われ、優しくされていたくらい…。 なのに自分だと非常に怒られた。 ミキcは女子なので、多めにみてくれてる… 自分は男子だから怒られるんだ…とそう思っていた。 ほかのことでも何でも、自分が怒られることが多いのは自分が男子だから… て思っていて、いつも女子がその、羨ましかった…。というかその、“ズルい”と思っていた…。 その後ほかのところでは女子と男子でそこまで差別化されてたりなんかしていなかったので、、 今思うとミキcが男子だったとしても同じ…… 単に“自分”が嫌われていたから…てそんなふうに思えてきたり… だとしたらこれもまた“ひいき”だ…。大胆な差別…。 そのうち…ミキcの○○○○回数を1回分上回ってしまった…。 自分はお○○○すると怒られるのにミキcは怒られない… 多めにみてくれるミキcがうらやましかった…女子がうらやましかった…そんな記憶。これも思い出。 (ミキcのお○○○回数)                   !これは読んでほしくない。 1度本当に酷い○○○○のしかたをしたことがあった。 それは教室で音楽の時だった… 自分は○を我慢していた… その時はイスを2列に並べていて、自分は後ろの列の真ん中らへんにいた… 我慢できそうになくなってきた…。 もう少しで授業終わり…て時だった… … ちょっとちびるだけ… って思ってこっそりちょろっと出した…ら止まらなくなってしまった…!
体操着のズボンだったので、通りがよくて、前にしゅ~とズボンを通り抜けて出ていった…。
まずい…と思って目の前の席にいたカナエcがしてることにしちゃおう…て思って、カナエcの席の下をめがけて出し続けた…
カナエcの席の下にどんどん水が…!
あくまで席の下をめがけていたのですが…やっぱりカナエc自身の下着にも直撃。カナエc自身にもひっかけてしまった……。
最後まで出てしまった。
もう解放されていくのが気持ちよくて止められなかった…。
“もういいんだ”というあの感覚…“解放されたんだ”というあの感覚が…思い出すだけで蘇ってくる…。
カナエcの足下やズボンはもうびしょびしょ……
最初はどこかから「カナエc!?」って声が聞こえて、周りのみんなは本当にカナエcが漏らしちゃったのかと思っていた。
この時は「よし、まんまと…」て感じだった…。
でも…
……すぐに後ろの自分だとバレてしまった……。
…
ざわめきが起こっていた…。
「違う、カナエcだよ」「カナエcだから」って心の中で連呼していた…
が、もう誰もそうは思ってくれず。。
…
カナエcはあの程度だから着替えは…いいってことにしてほしかった…
自分のせいでカナエcも着替え…ともなると、罪が重くなりますから…。
が、ナナムラtが
「カナエcもかかっちゃった?」
とかささやくように言って、カナエcもびしょびしょなことに先生も気づき、カナエcも着替えさせることにされた…。当然ですが。。
カナエcも一緒に着替えさせられるはめに…。
酷いことをしてしまった…。
その後…トイレで着替えさせてもらって、教室に帰ってくると… 漏らした一帯の床に水が染み込んでいて、そこだけ床の色が濃くなっていた…。 余韻が残っていてまだ恥ずかしい…。 気まずい感じ…。 その場所は踏めないですね…。避けて通らないと…。 わざとかけた…とは誰も思わなかったと思うが(そう思いたい)、それでも酷いですね…。 わざとだったなんてわかったら…… 一溜まりもなかったでしょう。 カナエc自身ですが…カナエcは静かだったので、どう思ったのかよくわからなかった…。 先生が「カナエcもかかっちゃった?」と聞いていたあの時、カナエcはほぼ無言でうなずいてすんなり言われるがままにしていた。 分からないですが、カナエcにはよりいっそう嫌われたと思いました…。 自分は“嫌われてる”ということを頭に入れていて、そうなんだろう。だから…て感じに思うように?なっていた…。 実際のところ、みんな自分に対してどう思っていたのかはよくわからない…。 特にカナエcの「あの時の気持ち」、それに「あれからの自分に対する気持ち」がどうだったのか本当に気になります…。 あっちもまだ覚えているのだろうか…?? 覚えていてほしくはないですが。。 …カナエcは出席番号、最後だったので…クラスで唯一自分より誕生日が後…かもしれなかったわけ。 年上として…そして男子として、らしくないんだ…とは思ってはいたのですがね… ヤってしまった…。 もし年上…だとしても数日違いですが、ほかは全員自分より年上なので… 数日でも“後”の人は自分としては特別…。 あと唯一…身長もどちらが低いか微妙であったわけです。 だからまだ小さいから○○○○もしてしまう…て思わせられるので、カナエcは最適だと思った。 でも本当に最適だったのはミキcでしょうが… ミキcは近くにいなかった。 でもカナエcにはわざとではなくとも、かけてしまっていた確率が高い…。目の前だったので… とても忘れられない…。 カナエcなどにいっそう嫌われたかもしれなくて残念だった…その後もこの時のことを気にし続けた… 怒られるのが怖かった… ○○○しのしかたが大胆すぎて本当に恥ずかしかった…そんな思い出。 こんなことがありますか?!これ、作り話ですw 作り話。 と言いたいところだが、作り話では、ない。。 事実。 今思うとこのネタはヤばい。 そうあと…これまで体操着のズボンで○○○○をしたことがなかった。 それで前々から“もし体操着でしたらどうなるのか?”と想像を膨らませていた…。 あのズボンはああいう弾力性のある素材なので… 濡れても染みないので… 気づかれないのでは…? あのズボンなら○○○○しても大丈夫なのでは…? いや、水を通す素材だから… ズボンは大丈夫とも、ズボンはカバーしてくれなくて… 通り抜けて…脱いで普通に○○○○するのと同じような感じで、出ていってしまって… 逆に恥ずかしことに…。 どうだろうか…? まあちょろっとの場合は体操着の方が有利だろう…。 とそんな感じだと予想していた…。 で実際体操着で出してしまったその時… その、予想通りだったと…。 本当に通り抜けた…。 予想通りでない方がよかったのだが。。 (お○○○したのは→カナエcw)                   ちなみに兄もわりとよく○○○○をしていた。 オレンジのラインのズボンで帰ってくることがたまにあった…。 そう、○○○○をすると○○○○用に幼稚園で用意してあるオレンジのラインの体操着ズボンを履かされます。 それを履いていると君は今日○○○○した…て、バレバレだった。 それだから嫌だった…。 別のクラスの知らない生徒にまで何か言われたりした…。 もしかすると罰としてあえてそういう嫌な想いをさせるために、色違いのにしていたのか…? ○○○○をすると怒られるし、好感度が下がる… その上○○○○用のズボンを履かされてその日はずっと恥ずかしい… だから、、○○○○てしまった瞬間はあせった…と。これも思い出。 ○○○○の時に一応○○○に入ったことがあるので、○○○がどんなところだったかは知っている…。 (○○○○した証)                   6回は○○○○をしたはずなのだが… しっかりと覚えているのはカナエcにかけた時のあの1回だけ…。 ほかの時は…ほとんど座っている時だった気がする。 で普通のズボンの時にやってしまっていた。 その時だとまず染み込んでいってそれから飽和に達してぽたぽたと出ていく感じ…。 でほとんどの時はあの時と同じようにちょろっと…というつもりで出して止められなくなった感じだった…。 いつもちょろっと出して渇いたらまたちょろっと出して…て手法でしのいでた。 それでたまに止まらなくなってしまうことがあってオシマイ…てことがあったと…。 ある日、家で兄が堂々と「ちょっと出して渇いたらまた出して…それで最終的には全部出せる!」とか言っていた…。 これを聞いた時は安心したもの…。 兄も同じことをしていたわけです…。 知らなかった。 考えていることが同じ…と、ともかく安心した。 兄も同じようにそれでちょろっとのつもりで出して止まらなくなってバレてしまうような感じだったのだろうか…? そうではない時もあったし、そうとは限らない…。 で…それはこっそりやっていたことだが… 親には結構、○○○を取り替える時に気づかれていた…。 いつもどうしてるのか気づかれていたようで… あるいつも以上に○○くなっていた時…母に「今日はこんな…」とか言われた。 気づかれていないものだと信じたかった。 帰ってすぐに取り替えさせられたことなんかもあった。○○○○に限りなく近い…て思って嫌だった…。 兄もかなり○○くなっていることがあって、そういう時は心安らいだ…。 でもどうせ自分の方が酷くて結局は主な対象となるのは自分…て思えて、一時的な「一安心」にすぎなかった…。 こういう場合、いかなる時も…。 自分ほどの強者は世の中にほかに存在しない。 あの時兄は母の前で堂々とああ言ってバラしていたわけだが… 聞き流していた感じ?だったので、母はそれをその後覚えていたかは分からなかった。 自分は暴露していなかったので、自分もやってるとは思っていなかったかもしれないとも思っていた…。 我慢するいい方法があったが、○○○が○○くなったり○ったりして、バレてしまったり、 さらには止められなくなってやってしまったりして… 非常に恥ずかしかった…そんな思い出。 この類の話はここまで。 (バレないようにちょっとずつ○○○○)                   これも変なネタ。 お弁当の時、また1人取り残されて食べている時… カズシkが来て、カズシkは「油が浮いてる」…ではなく…実はこんなことを言ってきたこともあった。 自分は○○が痒くなり…ついにかいた… で…そこにたまたまカズシkがやってきて…カズシkはこう言った。 「○が痒いのか!」 そう言って○○をかいてくれた…。 その言葉と同時に何気なくシャシャ…っとだけであったが… 凄くヒットして本気でこう思った。 「キモチイイ…。」 もっとやってほしい…。 そう思った…。 そして何より…安心した…。 何かありきたりなような感じで平然と「○が痒いのか」と言われたので… そんな場所が痒くなる人、ほかにもいる…ということがどことなく分かって…。 1つ悩みが解決し、解放された気持ちになった… 気持ちよかった…そんな思い出。 (○が痒いのか!) ここからは「凄い…!」と思ったことを中心に話していく。                   何かイベントで、どこかへ出掛ける時だった。 目的地へバスで向かっていた。 バスの中でお楽しみ企画…みたいな感じで、ナスビtが運転席の横でマジックを披露した。 親指が取れる…マジックだった。 … のちに家で兄がそのマジックが凄いと噂していた。 自分も凄いと思っていた。 でも兄の話によると、自分はその時はどうやらよく見ていなかったようで…自分の見えたようなそんなもんじゃない?模様…。 兄の言っていることからして非常にミステリアスで、凄くて、興味深かったので、もっとよく見ておくべきだった…と後悔した。 兄はナスビtのクラスだったので、休み時間や帰り際の時間など?に見せてもらえることがあったとか…。 自分はその時の1度しか見たことがなかったが、兄は何度も見ていたので兄の方がよく知っていたと…。 兄や自分も真似してやってみていたが、やり方は適当だった。 お互いやってるのを見て“そうじゃない”と言い合っていた…。 正しいやり方はお互いわからなかった。本当のやり方を知るためにもまた見たかった。 兄は「もう透き通ってる」とか言っていた。 指の切れ目が透き通ってる…ということ。 自分は当時それを疑わず、本物のあのマジックは凄い!桁違い!だと思った…。 その後浴槽で自分はかなり本格的に指が取れているように見えるそのマジックのやり方を発見した。 早速兄に見せてみた。 “何?”というような感じだった…。 見る角度がシビアで、やはりとても自分ででないと本格的に取れているようには見えないようだった…。でも見る角度によっては… それはそうと… そのうちナスビtのあのマジックを…再び見た。 どこで見たかは忘れたが、どこかで…。 その時は…何か気に食わなかった。 あれから色々連想しすぎてしまって、かってにイメージを作り替えてしまっていたせいなのか…? “ああじゃない。あの時はああだった”みたいな… 兄の言っていたこととも違った気がしたし… 自分であの時思った感じとも違った気がした…。 でもそれが本物なら…本物のやり方なら…それを覚えるか…。 ナスビtの持ちネタの親指が取れるマジックが凄かった… ともかくそのマジックに夢中になった…そんな記憶。これも思い出。 しかし指が透き通って見えるわけない。 兄の目はどうかしてる。 その後小学校のお楽しみ会でも親指の取れるマジックを見た…。 それがまた自分知るどのやり方とも違い、気に食わなかった…。 でもそれはそれとして凄くていいと思った…。 (ナスビtの指が取れるマジック)                   兄とうちの庭で遊んでいる時?だったかに… 兄が「ボールを遠くまで投げれる人がいる」とか教えてくれた…。 上に遠くまで投げれるようだ。 兄と同じクラス?だかの年長の人とのことだった…。 自分もやってみたが兄は「こんなじゃない」とか何度も言ってた。 隣の2階建ての家の屋根近くまで飛ばすのが限度…。 で…ある休み時間。 その例の人がボールを投げているのを…見た。 ドッヂボール用の大きなボールをグイっと空高く放り投げていた…。 (上に遠くまでというのは“空高く投げれる”といった意味) あんな高くまで…。 その例の人は…園内でもトップクラスの長身だったのだが… 大きいだけにさすがだと思った。 “大きいからできるんだ”とそう思った。 “大人に近いんだ”と思った。 「体が大きい=年齢はどうあれ大人に近い」と。 彼が“完全に大人”に見えていた。少なくとも、当時の目線では…。 今見るとどうだかは…分からない。 外見が大人の園児なんているわけがないので…本当にそんな、大人と区別つかないような容姿だったわけがない。。 ともかく、非常に格好良かった…。 でも大人がやったらまた桁違いだったりしたのかも…。 子供の自分達にはまず無理だった…。 彼は当時の自分達から見たら大人。 兄の同級生とは思えなかった…。 彼の身長(発育の良さ)、ボールを投げる力(身体能力)には驚きであった… さすが年長…て思った…そんな記憶。これも思い出。 アキヤk、サラc、モモヤマk等も自分の同級生とは思えなかった…。年上に見えていた。 (大人なのに園児だった人)                   たまに…体育が室内…みたいなことがあった。 体育館はないが、体育用の教室?的な教室があり、そこでやる。 その時にも… 怒られるような空気な時ばかりだった自分だが… 1つ、誉められる技があった…。 それは…仰向けになって、手足で胴体を持ち上げる「○○○○」というのだった…。 だいたい皆できなかったが… 何か自分は簡単できていた…。 で、自分が○○○○ができるという情報が…また知らず知らずのうちに母の耳にも入っていて… “やってみて”と言われたり。 それでやり…「凄い」と家で再び称賛された… とまたまたこの流れ…。 ○○○○で誉められた…そんな思い出。 というか、結構あれはダイナミックなので、やるのは何かその、恥じらわしい感じ、していた…。 (ブ○○○ができた)                   あと側転は…「できてる」と思っていたのだが… 家でやったら、兄に何度やっても「できてない」と言われた…。 どうできてないのか?分からなかった。 自分では分からない。本当?自分ではできているとしか思えないのに。 できてないのは最初だけだったが、ずっとそう言い張っていた。という可能性もあるか…。 あと兄は「スズキtの側転は凄い」とも言っていた。 それで…1度、スズキtがマットの上で側転をしているところを覗き見できたのだが… 噂通り、凄かった。 子供とはまず、レベルが違った…!! プロペラのようにまっすぐに回転していて、凄い…と、そう思った…。 あれが本当の側転…と。 どうあれ、体育の先生…というくらいの人だからさすが…て思った…。 スズキtにも、ちょっと尊敬するところがあったと…。 側転はできているようでてきていないみたいで(かどうかは分からないがそういうふうに言われ続け)嫌な気持ちだった… スズキtにも尊敬するところがあった…そんな記憶。これも思い出。 (スズキtの側転)                   あと前転(デングリガエシ)は、普通にできた。 いやできたことはできたが、少し怖いので、何度もやりたくはなかった…。 一時期兄は、よく家で就寝前などに布団の上で、前転をして遊んでいた…。 自分もやらされ、共に遊んでいた…。 で、どうやらそれは…遊びというか… 春の会の練習であった模様…。 前転をしたりする模様。 一応家でも自分らに何気なくそんなことを言っていた…。 兄は幼稚園で密かに練習して上手くなった、前転の腕前?を自慢げに家で披露していた…wそんな感じでもあった…。 で…その兄のやったやつ、本番は見た…と思いますが…あまり…覚えていない。 勇者っぽい感じで、さすが年長…と感じるような感じだったとは思った…。 前転もしていたはず…。していたと思った。 でもやはり自分がやったのが1番良いと思った。 関門のところを容易に切り抜ける…あの感覚がよかった…。 兄のやつの関門は…というと、やはり前転のところだったのだろうか…? そこばかり練習していたということは…?? 自分の出るもの以外のお遊戯の練習風景は見たことがなかった…。 だからもちろん、兄のだって…。幼稚園ではどんなふうに練習していたのか?? 兄の含むほかのグループのは皆本番が初見だった。 前転はできた…が何か兄に“自分の方が上手い”と見下されているような感じで…嫌な気持ちだった… 兄のお遊戯も良かったが、自分のが1番だと思った…そう感じるということを学んだ…そんな記憶。これも思い出。 ここで再度春の会の話になるとは… (兄のやるお遊戯の関門)                   体育では「縄跳び」をやることもよくあった。 “並なくらいできている”て自分で思えるくらいできていた。 しかし、どうせ下手だと「思い込まれて」いるのもあってか、先生などから冷たい目線で見られていた。 10~20回くらいなら連続でいけていたと思った。 後ろ跳びもやれた。 でもそれは見えないので前で跳ぶのよりかは明らかに難しく、失敗するケースの方が多かった…。 自分ができる技はその2つだけであった。 というかあと知っている技は、「二重跳び」だけであった。 その技…先生がやっているのを見た感じでは…早すぎてよく見えず… 縄がどうなっているのかよく分からなかった… 見えないほど高速なんて凄い…そう思い、あれは並大抵の人はできないものだと思った…。 兄なども同様に物凄い技だと思っており、そう言っていた。 皆体育の時に挑戦しつつもできていなかったし、あれは自分には到底無理だと思った。 あんなの、できたら尋常でない子供になってしまうので、できるようになってしまいたくもなかった…。 でもできたら面白そうだとも思い、できてみたく?もあり、微妙であった…。 というか二重跳びというのは…20跳びなんていうくらいですから… 1回のジャンプの間に、空中で縄を20回回しているのだと思っていた。 「二重跳び」ではなく、「20跳び」かと思っていたわけ…。 よく見えないので、そのくらい回しているように見えた。 だからあれができる人は本当に凄い人だと思った。 兄はどうだったのか…? 兄も当時“20跳び”かと思って、20回跳んでいるのかと思っていたかもしれない…。 そうは思っていなかったとしても… 二重跳びの仕組み?は分かっていなかったと思う。そのように思えた。 でそんな中、兄が「コーエーkは二重跳びができる」と言っていた…。 そ、そうなのか… コーエーkに期待していた。 そしてある時、うちの前の道路で…コーエーkに二重跳びを見せてもらった…! !!…… できているか…というと微妙だったが、確かに二重跳びのように見えた…! 空中で高速で縄を何回転も回し続け、着地と同時にそのまま倒れ込むような感じだった…。 着地して倒れ込むまでの間に20回縄を回せていて、1回は二重跳びできてる!?て思って、コーエーkは凄いと思った…。 でも、やはりちゃんとやるのは大人でないと無理っぽい…と思った。 というか、、そもそも20回回すそんな二重跳びなんて大人だろうが何だろうができるはずもなかった…。 コーエーkの二重跳びもあれは間違っていた。 明らかに2回以上回そうとしていた。 20回回すつもりみたいな感じだった…。 今思うと20回も回せていたはずもない…。コーエーkは1回もできていなかったはず。 20ではなく正しい方の“二重”跳びは、やってみたことがなかったと思うが、 やってみたらできたのか?…あの感じならできていた可能性あり。>コーエーk 20跳びが、20回ではなくて、たった2回回しているだけ、 20ではなくて“二重”跳びだということに気がついたのは…小学生になってからであった。 2回だ…ということに気がついた直後、「20跳び」ではなく「二重跳び」だったのでは?!とそのことにも気がついた。 そして本当にそうだった。。 でも20回はあまりにもありえない感じしていたので、2回だとわかって…むしろ納得。 しかし2回でもああも高速に見えるとは…以外だった…。 当時20跳びは“できるはずもない…”てな感じだったが… 本当の二重跳びのやり方を知ったら、何だこれなら“無理はなさそう。できるかも”て思い、やってみたくなった。 でもその時は幼稚園は終わっていて、もう縄跳びをやれる機会はなく、あれからいまだ試しにやってみたことがない…。 縄跳びはわりとできていた…でも誰もそれなりにできるということを認めてくれなくて残念だった… 20跳びをできる人はただ者でないほど凄いと思った(当然w)…そんな記憶。これも思い出。 (20跳び)                   体育で縄跳びをやったあと…終わると最後に縄跳びを結ぶのだが… 最初それができず、また怒られていた。 そんな中、家で縄跳びを出して母に結び方を教わった。 両端の持つ部分を合わせて束ね、円を作りその中に入れる。 と非常に簡単であった。 が、この結び方は格好悪いと思い… これで本当にいいのか?と疑わしく、パッとしなかった…。 確かにこう教わったながら… 本当にこんなでいいのか…? 間違っていないのか…? … 体育でもその結び方を実践してやったが、それで怒られなかった…。 あれでよかった…あれで正解だった…と。 結べるようになった。 というか結び方を知らなかっただけ…。 そうだとも分からずにできないものだと思ってかってに貶していた先生ら…嫌らしい。 その後は自分が結ぶと“うまく結べてる”と言わんばかりな感じで毎度何かいい顔された…。 縄跳びを結ぶことができず、怒られていた… が結び方を知ったことにより普通にできるようになり、その後怒られなくなった… 結ぶのは簡単だった…そんな記憶。これも思い出。 (覚えれば簡単だった、縄跳び結び)                   ところで縄跳びですが…なぜああして結んで、しまっておくのかが謎だった。 ああ縛ると太っくなるのでむしろ邪魔になるのでは? ああ結ぶことの利点に気付いたのは…縄跳びをもうやらなくなったころだった…。 あのように結んでおけば、こんがらがらない。 しかも縄が短くなってコンパクトにまとまる。 結んだら逆にコンパクトではなくなる。かと思っていたわけだが… よくよく思うと。。 多少格好悪い形ながら…納得した…。 今更気付いても…という感じであった…。 でも縄跳び以外の何かをあの結び方で結ぶ機会がたまにあり、あのころあれを覚えておいて一応損はなかった…。 こればっかりは。 縄跳びをなぜあのように結ぶのかが謎で… どうしてあんなことをしないといけないのか?と感じつつも、 やらないと怒られるのでやるべからずで微妙だった…そんな記憶。これも思い出。 (謎だった、縄跳び結び)                   あと縄跳びの縄の中には…キレイな線?がくるくると入っていたのだが…(わかりますか?) あれを取り出してみたかった…。 チャーミングシールといい…こういうようなものが好きであった。 いつか不要になった縄跳びをハサミで切り、あれを取り出してみようと思っていた…。(まず切らないと無理) しかし… いまだにそれを実行できる機会が訪れておらず… いまだに取り出してみたことはない…。 そのうち縄跳びは使わなくなり、不要となったわけだが… 不要になっている…ということに気付いた時にはいつのまにか家になくなって(捨てられて)いたりで… 実行できていないと。 果たして、取り出すことは可能なのか…? その夢は叶っていない…。 縄跳びの縄の中のキレイなのが欲しくて、取り出してみたかった… でも切って取り出すわけにはいかず、だめで…残念だった…そんな記憶。これも思い出。 …取り出してみたい。もう叶わぬ夢か… 縄跳びの思い出シリーズは以上。 (縄の中のキラキラしたもの)                   ある日、家で兄が「アメンボがどうの…」ていうともかく面白い話をしていた…。 自分はアメンボとは何か?と思い、兄に…聞いた。 兄は「水溜まりに浮いてる生き物」だとかなんとか言っていた… 本当にそんな生き物がいるのか疑わしかった…。 でもいたとしたら面白そうだった…。 確か「雨の次の日によく幼稚園にいる」だとかそんなことも言っていた…。 アメンボというだけに、何か「雨」をイメージさせられていたが、本当に雨に関係する生物と…。 「今度いたら教える」的なことも言っていた…。 それから間もないころ(数日後くらい?)のことだった…。 ある休み時間…兄が「アメンボいる」と、いる場所まで先導してもらった。 (↑いやそれはないか?自分で見つけたのか〈忘れたころに読み返してみると記憶にないことを書いていたりする…〉) アメンボは事務室脇の飼育小屋前の水溜まり上にいた…。 確かに以前兄が言っていた通りの…その通りの、生き物であった…。 あれは紛れもなく“生き物”だ…。 “アメンボ”とかいうその生物はなんと、実在した…。 本当にいた。 なぜ、こんな奇妙な生物が生まれた…?心の奥でそんなふうに思った。 どこから現れたのか?水溜まりがなくなったらどうなるのか? … アメンボを知った… アメンボが実在して凄いと思った…そんな記憶。これも思い出。 次にアメンボを見たのは… 小2くらいの時だった。 矢切の渡しで船に怖くて乗れず、1人で待っている時に…川縁の水域に無数に浮いているのを発見した…。 … アメンボというと、兄がよく知っている生き物…という感じがしてしまう…。いまだに。 あとどうしてもFB幼稚園の水溜まりを連想してしまう…。 やはり最初の印章がデフォになる。 (アメンボという生物が、実在した)                   家の中を走って遊んでいる時だったか…? 兄がこんなことを言っていた。 「グランド10周してる」「こんなので疲れてちゃだめ」 兄は幼稚園で何かの部活動に参加していて、幼稚園のグランドを走らされているのだとか。 知らなかった話。。 いつも走らされていて1番過酷な時は「グランド10周!」とか言われるのだとか。。 陸上部のようなのがあり、そこに入部していたのか?? とにかく、そんなことを言っていた…。 あそこを10周なんてできそうにない。過酷なんだ。兄達は息切れしても関係なしに走り続けないといけないんだ… そう思って自分も兄の前では弱音を吐かず、頑張って走るようにした…。 兄が大変なのに自分だけ楽はできない。楽していたら気まずいですから。 兄のその話、“嘘っぽい感じ”ではなかった…。 本当にそんなことをしていた? 園児にグランド10周させるって…考えてみると惨い。 惨い幼稚園…。 兄は幼稚園で桁違いの過酷な想いをしていることを知った… グランド10周は凄い。さすが兄… 凄いと思った… 大変だとも思った… 自分は10周もしたことがなく、その過酷さを味わっていなくて、気まずい感じした…そんな記憶。これも思い出。 しかしその部活の時間はいつ?だったのか。 行き帰りは自分と同じバスだったし、休み時間にも走ったりはしていなかった…。? (グランド10周?!凄い…惨い…)                   この頃はよく折り紙をしていた。 兄との間で折れるもののレパートリーはカブト、二双船、文化勲章などだったが、 そのレパートリーの中の1つ…であったカブトをまた折っている時のこと。 兄がこんなことを言ってきた。「折り紙の大きい被れるくらいのカブトある。」 それはあまりにも見てみたい。 自分は大きい折り紙で被れるくらいの巨大カブトを作ったり乗れそうなくらい巨大なツルを折ったりしてみたかった。 巨大カブトが本当にあるなんて…それはあまりにも見てみたかった。 兄のクラスで作っているのか? そうみたいだ。 いつもいいネタを収穫してくる兄…。 憎い。 自分も収穫してきたい。 自分のクラスでのことなんかなら、自分しか知らない。 だからそういうところで密かに兄のようにネタを収穫してきたい。 でも自分が話したことは信頼性が薄いようであまり認めてもらえない。 興味を持ってもらえない。… とにかく兄は憎い。 それからある日、兄のいる月組をこっそりと覗いてみた時…。 床に巨大カブトらしきものが! 巨大カブトを見た。 確か巨大カブトを見た。 何かネタを得ようと、休み時間に兄のクラスを覗き見することがあった。 これもそれで得たネタの1つ。 アンピャッピャッピャバシ!のあのネタには及ばないがこれもネタ。 …また数日後だか数か月後。 そのカブトの話題が出たタイミングで兄にそのカブトを「見た」と言った。 兄は“本当なのか?”という感じの反応だった。 やはり反応薄め。 “自分がそんな”“自分の行動範囲上信じられない”みたいなものがある?のでしょう。 若干曖昧なところもあるような気がする記憶だったので(その時点ですでに)、そんな反応でしたが何か別にいいか。という感じだった。 人が被れる程のサイズの折り紙の巨大カブトが存在していた…月組にあった…確か見た… 夢でない、凄い…欲しかった…そんな記憶。これも思い出。 (自分も見た!?折り紙の巨大カブト)                   帰りのバス内にて…。 さわやかな気分…もうすぐ着くか…というころ… 後ろの方から何か、舌を鳴らす音が聞こえた…。 そのあと、対抗してか、さっきとは別の誰かも舌を鳴らした…。 また最初に鳴らした誰かが舌を鳴らし、対抗したもう1人がまた鳴らし… と、しばらく繰り返され、2人の舌を鳴らす音がリズミカルにリズムを奏でていた…。 息が合っていて凄い。。 確か2人とも兄のクラスの女子だった…。 それを聞いた解除の先生がこう言った。 「リック♪シャック♪リック♪シャック♪」 … バスの中に響いてうるさい?かとも思ったので、先生は怒る…のかとも思ったが、怒らない… ということは、これは怒るようなことでもないのか……。 こうもリズムが奏でられたのはたまたま?とも思ったが… 案外“対抗して”とかではなくて、“予め2人で手を組んで奏でていた”とも考えられるだろうか…? それはともかくとして… 舌を鳴らすのは、口笛などのような感覚でやっている生徒がほかにもいて、少しブームめいている感じがあった。そんな時だった…。 だからそんなに大したことでもなかった…。 あれなら口笛よりか圧倒的に簡単なので、自分もできた。 先生は怒っていなかった(むしろノッてくれている感じだった)し、 “自分もあの仲間だったら…”と、あの2人をうらやましく思い、憎い感じがしていた…。 やけに息が合っていたし…。 あとリック、シャック…というの、“舌を鳴らす音ってそう文字?で表すのか…”と、感心した。 何か“おいしい味付きの牛乳”のイメージだった…。 リック、シャック、とよく振って、よく泡立てて、、「飲む。」みたいな……。 最初は「?」だったが…まあ「リック、シャック、リック、シャック、」と聞こうと思えば聞こえなくもなかった…。 聞こうと思えば…。 リック、シャックか…。そう言うのか。そう言うと。 リュックサックではない。リックシャック…。 リック、シャックという表現を知って何かスッキリした感じした… その表現を覚えて何かサッパリした感じした… 帰りだったということと、おいしい牛乳のイメージとが相まって何か…。 舌を鳴らす音を「リック、シャック」と表現するということを知った… 何かスッキリサッパリとさわやかな感じした… でもあの2人は憎い感じした…とそんな記憶。これも思い出。 というか思ったが、いまだにあれ以降、その表現、聞いていない。 ちょっと検索してみるか。「リックシャック」で。 そもそも舌をリズミカルに鳴らしている人に出会さないのか…。 検索してみたが…ヒットしない。。リュックサックの言い間違いとかだけ。 あの先生のオリジナルの表現音だったということか…。今気付いた。 (リック♪シャック♪リック♪シャック♪) 一旦、“幼稚園での話”は中断。                   この時期、誰かしら毎日遊びに来る人がいたのだが… その大半は兄の同じクラスの子供ら。 兄はまったく積極性がないにも関わらず、なぜか友達が非常にたくさんいた。 それで、家にやってきていた。 頻繁にうちに来るのは…主に3名ほどだったか…。 何を言う5名か?いやもっとか。 うちに来ればもちろんうちには自分もいるので、その兄の同級生達と共に自分も遊んでいた。 だから顔なじみだったと…。 その兄の同級生の家に逆に遊びに行くのは…さすがにいつも兄自信だけだった。 しかし…1度だけよくうちにも来るその兄の同級生の1人のRT☆kの家に自分も誘われ?行ったことがあった。 RT☆kは話すテンポが速く、かなり知的な雰囲気のナルシストっぽいちょっと浮いている印象的な幼児だった…w髪型も独特。 兄はなぜあんなのと大の友達になれたのか…? 家が近い…からか?コーエーkにしても、アナcにしても…。そうか? RT☆kは、よく何かテレビ出演していた。!w いや見たことはなかったが、度々そういう話を聞いていた…。 朝の番組に出演しているとか…。本当なのだとか。 信じられなかった。いつ収録に行ってるんだ? 小3くらいになって初めてRT☆kがテレビに出ているのを見た。 たまたま映っているのを発見してしまった。 CMの予告に映っているのを発見したのだが… それで日にちに確認し、忘れずに見た。 その番組での様子…しっかりと見た…。 RT☆kはテレビでもあのころの日常での雰囲気と全く変わりない様子で知的な雰囲気で積極的に話をしていた。 とっくにテレビ慣れしていたのでしょう…。 今はもうテレビ出演はしていないと思います。だから言えた。 それで話の続きだが… RT☆kの家は…うちからもすぐ正面に見えるマンションの中層階だった。 そのRT☆kの家に行ったら… 人生ゲーム?をやっていた。 しかしすぐに終わってしまい、自分は参加できなかった…。 初めて見たので新鮮でかなり面白そうで…いつかやってみたいと思った。本当。 そのあと…ビンゴというのをやった。それは参加した。 それをやったのはこの時が初めてだったので、これは面白いゲームだと思った。というか面白かった。本当。 あと父がCM見るたびに「あれ欲しい!」とか言っていたサンダーバードのプラモデルが…“RT☆kのうちにある” という話をよく兄がしていて、父がうらやましそうにしていたのだが… その噂に聞いていたサンダーバードのプラモデルも、しっかりと見た。確かにあった…。 あれは自分も凄まじく欲しかった…。本当。 … でもこの時1番印象的だったのは…このネタ。 途中、もっと集まった方が面白い。てなって… 兄の同級生の友達らのうちのもう1人を呼ぼう! ということになった。 それでRT☆kは…窓から大声で→「エミチャァァ゙ァ゙ァ゙ン」と、その友達の名前を呼んだ。 !?!? エミcが住んでいるのは道路を挟んで向かい側のマンションだったのだ。知らなかった。。 それで前の道路は大通り化予定の道路であり、かなり広くて距離があったにも関わらず、 ちゃんと向かい側まで聞こえ…向こうも窓から顔を出し…ちゃんと…会話していた。 ←「何?」 →「今からこっち来て」 ←「わかった!」。 と向こうの声もちゃんとこっちに聞こえていた…。 何度もやっていたのだろうか…? …あれは“衝撃的”でした。お互い家にいながら会話…とか…。 しかしエミcのところだけでなく、間違いなくマンションの全戸に聞こえていたことだろう。 会話の内容全て… かなり恥ずかしい。とてもじゃないが子供にしかできないことだったでしょう…。 あんなことができるなんて…。(複数の意味で) 今思うと特別感あってうらやましい感じ…。 … その後すぐにエミcはやってきた。 幼児は暇があるので気楽に来てもらえる…。 子供のころにしか分からない子供さながらな世界があった。 しかしその世界は時と友に失われる…。 …今になって確かめてみたが… エミcの住んでいたマンション(だったと思ったマンション)は、 RT☆kの住んでいたマンション(だったと思ったマンション)の正面…というよりか斜め向かいで、思った以上に距離があった。。 よく声が届いていたもの…w あれは予想だにしなかった… ちゃんと聞こえて凄かった… あんな恥ずかしいことよくできるな…とも思った…と。これも思い出。 自分らも子供…でありながら、自分らにはとてもできないことであった…。 ともかくRT☆kの家はやはり来客者が来た時のために備えた色々なものが予め用意してあったし、 凄いプラモデルとかあるし、あのRT☆kの家とあって彼さながらな何かマニアックな雰囲気であった…。 兄がよく行っていて、噂している家がどんなところかいつもとても気になっていたのだが… その家の1つがどんなところか分かって…それで嬉しかった…いろいろなことがあったが、1番言いたいのはそれだ…。これも思い出。 兄が知ってるのに、自分が知らない…なんて、何か嫌だった。 でもやはりどうしても知れないこととかもあるにはあり…、そういうのは本当に残念だった…。 (RT☆kの家はマニアック)                   コーエーkの家にも…玄関までなら入ったことがあった。 母と来て親どうしが話をしていて、それを聞いていただけ…。 そんな、聞いてもいなかった…。 正面にまっすぐに廊下が続いていた… 玄関までなのでそれしか分からなかったが… いろいろなおもちゃがあったらしい。 帰り、玄関そばの金木犀が印象的であった…。 ちなみに、コーエーkの家が“そこだ”ということは…前々から知っていた。 それは近所なので。。 ともかく、噂に聞くコーエーkの家を少しでも知れて嬉しいには嬉しかった…。これも思い出。 その後何年後かに「コーエーkの家知ってる?」的なことを兄に聞かれたのだが… その時、一応知ってると答えることができた… 「玄関までだけど。。」と言ったが、それでも兄は驚いている感じであった…。(兄はそのことを知らなかった) それで自慢にもなった… でもやっぱり、中に上りたかった…。 どんなところか、どんな家か、もう少し知りたかった…。 (コーエーkの家は一応知っている)                   アナcの家も、母だかに教えてもらい…“どこだか”は知っていた。 裏の通りから奥に入ったところの、アパートだった。 わりと近所。 だがそこだということを知っていただけ。中がどんなだかは一切わからない。 兄は“慣れ親しんだとこ”のような感じなのに…自分は知らない…。 やはりずるい。そういう感じしていた…。 でも家の場所を知ってからは、アナcはいつもあそこにいて、あそこから来ているんだ…と、イメージが湧くようになった… 家の場所を知れたというだけでも多少良かった… しかし知ってるのは“家の場所”だけ、それだけなので…悔しい気持ちもあった…そんな記憶。これも思い出。 エミcの家は… RT☆kの家でのあの出来事により知れた…。 知っているのといないのとでは、その後のイメージが大きく違ってしまう… 家の場所のイメージが…その人のイメージに定着しますから…。 ずいぶんと変わってくる…。 (アナcの家、知ってることは知っている) 自分はあまり友達の家へ行ったことがなかったので… まれにの1回1回がやけに印象に残っている…。 これを書いていてそのことに気がついた…。 兄の同級生達とは、コーエーkを除くほかは、彼らの卒園と同時に演が切れた。 もう会うことはほぼなしに。 一緒に遊んでいたながら一応自分とは関係のないあくまで“兄の友達達”だったので、兄の卒園と同時に自分との演も切れた。 惨めである…。 彼らが卒園しても…自分はまだいる…。                   うちに来たことのある兄…ではなく、“自分”の同級生の友達は……トーマkだけだった。 何で来たのかは忘れた。 でも何かうちで機関車のおもちゃの取り合いをし、お互い手が真っ赤になったのは覚えている。 親らに「手が赤くなってる」とか言われ、こんなことが起こりえるのか?どうなのか?と怖かった…。 結局は自分が勝って機関車を奪い、ざまあ…て感じだった…。 トーマkの家にはこちらからも行ったことがあった。 母と行ったので、また選挙勧誘か何かが目的だったのかも…。 ともかくマンションだったので… “ここが家”とか新鮮な感じであった…。(自分の家は平屋一件屋) 親どうしが話している間… 自分はリビングを抜け出て、隣の子供部屋?へ行った。 …誰もいなかった… ベランダと反対側におもちゃ箱があって… その中の、とあるおもちゃが非常に気になった。 それは…サッカーボールの形をしたルービックキューブ?のようなパズル?のおもちゃ…。 ちゃんと升目が六角形になっている。 それがデザインが面白くて…凄く、やってみたかった…。 でもかってにやるのは…と、ちょっと遠慮して手を出せなかった…。 それで後悔。 でもそれとは別のルービックキューブ(普通の形の)があって、それをたまたま貸してもらえ、少しやった…気がする…。どうだったか。 あと最後にリホcが珍しく何かその、声をかけてきたと思ったのだが… 何と言ってきたんだか…思い出せない…。 トーマk(3つ子)の家は、この1度しか行っていないのだが… 家内の構造をかなり覚えている…。 トーマkの家に行った… サッカーボール型のパズルを… それを…やってみたかった…そんな記憶。これも思い出。 自分には、家に来るほどの友達はいなかった。 さすがに、自分のようなのではあれ…。 トーマkの家にはその後も行ったことがありました…。 いや、家の中まで行ったのは1度です。それが1度…。 また選挙勧誘目的とかで… とこの話は数年後のことだし長くなるのでほかで。 (トーマkの家は新鮮)                   “自分の同級生の家”で行ったことがあったのは…3つ子のところと、もう一軒。
ある日の夜、選挙勧誘か何かでオイカワkの家に行った…。
オイカワkの家は…すでに噂には聞いていたが、近所の大通り沿いにある酒屋「○い川商店」であった。
オイカワkはレジの横の畳の上で待ち伏せていた…。
オイカワkはいつものような 陽気かつ、知的な感じの口調で、なお、親しげな感じで色々と話しかけてきた…。
具体的にどんなことを言っていたか?記憶にない。
店の奥で過ごしているみたいだが、自分達はレジまでしか行かなかった。
それは遊びにいったわけではないですから…。
その後、用が済んで店から出たあと…
店の入口前の自動販売機で母が何かを買った…。
その間、自分は自動販売機の裏のすきまに入っみたりしていたのだが…
その自動販売機の裏に、お金が落ちているのを発見した。
「お金落ちてる」とか言って教えていたら、さらにもう1つ発見…。
さらにまた…と次々と発見していった。
兄も一緒になって探し出した…。
店の人(オイカワkら)に気付かれないようにヒソヒソと探した…。
兄に見つけられた時は悔しかった…。
自動販売機の裏だけでなく、下にも結構落ちていた…。
母に「下によく落ちてる」と言われた時は…何か悔しい感じで、それを認めたくなかった…。
確かに裏のみでなく、下にも結構落ちていたが、自分では気付かなかったので…
自分で気づけなかったので…悔しいと。
母に「もうない」と何度も何度も言われるまで、探し続けた…。
結局自分と兄とで小銭を5枚くらいは発見し、手に入れた…。
まだ“自分のお金”は持っていなかったので、こういう“見つけたお金”は母のお金になっていた…。
自分はこの当時、家族らから「落ちてるお金を見つけるプロ」だとか何とかかってに言われていた…。
しかし…オイカワkの住んでいる商店はビルみたいな建物だが… ビルが家って…? 許されるものなのか…。 一応3階建てなので、許される範囲…? 4階建てっぽくもあるが…。 いまだに何か疑問。 ○い川商店には本当にオイカワkがいた… オイカワkは明らかに自分に対して仲間意識を持っていた… 自動販売機の裏や下に、たくさんお金が落ちており、たくさんのお金を手にすることができて…よかった…そんな記憶。これも思い出。 ○い川商店は近所ですが、店内に入ったのは…この時の1度だけ。 親がこの店で買い物をするのをあえて避けていた。 知り合いの人がやっている店は行くと面倒なので嫌なのだとか…。 でもこの時1度入ったので、“中がどんな雰囲気かを知っている”そんな自分でいれた。 近所なので…よく前を通る。 前を通る時は毎回、オイカワkに見られていないか?と気にしてしまう。 ずっとそうだった。いまだにそう。もう住んでいるかどうかもわからないのに…。 (違った場所にオイカワk) マレcもうちに来たことがあった気がする…。 クリノヤマkの家も家の前までは行ったことがあったが、中へは行かなかった。 クリノヤマkの家は夏見台団地だった。 普通にバスで裏から通って帰る際に、クリノヤマkの家の横を通っていっていた…。 “接したことがある人”があまりいなかった…。 遊びで接した記憶があるのは… カズシkと、モモヤマk…あとオイカワkくらいと…。 マレcは親しい方だった…という事柄は覚えているが、実際当時接した記憶がもうほぼない…。 それにはある事情も絡んでいる可能性が…。 クラスの人以外だと…やはり入園前からよく知っていたアナcやコーエーkなども親しかった…。 カズシkなどとどっちが…というと比較が難しい…。 でも確実に1番親しかったのはそれでもこれでもなくて… 兄でした。 唯一兄の前では家にいる時と同じ感覚で素の自分を出せた。 話しかけられるのを待つ…とかではなくて、こっちから呼び出したりできる…そういう貴重な存在であった…。 兄の同級生がうちに来た時で印象的だった話…も、しようとしたが、思い返してみるといろいろあって…長くなりすぎてしまうのでやめた。 その類の話はほかで。                   家に来ていた友達達…。 兄の同級生以外にも、どこで、なぜ知り合ったのかもよく分からなかった友達なんかも多数いたわけです。 まず、うちと同年代の2人兄弟の友達が2組(4人)いた。 どちらとも結局は引っ越し関連をきっかけに会わなくなった。 遠くへ引っ越しても結構その粘り強く来てはいた。 より印象的であったのはKZk(2つ上)・RYk(2つ下)兄弟の方。 計り知れないほど色々なところに共に遊びにいった。 どこか分からないがどこかかなり遠いところの海。 どこか分からないがもうあれ以来行っていない遊園地。 近くだが○○○○王国、○○○○○パラダイス。1番行ったのは○○○○○ランド。 映画館も、よく行った。 見たのはモ○○、メカ○○○、○○○○○ファイター…等…。 互いに家などでもよく遊んだ。 非常に長くなるので、彼らとの思い出はここでは語らないこととする。 先に知り合ったのはもう1組のDSk(2つ上)・SYk(同学年)兄弟の方。な模様。 どちらも気付いた時にはすでに知り合いだった?ので、自分にはそういう実感はないが。 彼らとも色々なところへ出掛けた。 外国人かと思ってしまったりもした一家であった。 そのうち外国人ではなく、関西人に変貌。 あと何か大家族の友達もいた。 何人だか…たくさんの同年代の子供達を引き連れてきて一緒に遊んでいた。 そのうち津田沼の人になり、縁が切れる。 小2のKTkという友達もいた。 体格がよく、少し印象が怖くて、外遊びが好きなスポーツ系でいつも外に連れられた。 昆虫にも詳しかった。 あとどこの誰だか知らないが、なぜかうちに遊びに来る姉妹もいた。 MKちゃん&SKちゃんだったか…?間違っているかもしれないが、そんな感じの名前であった。 て英語で略してはそもそも、どんな名前かわからないかw 自分が年中当時、この姉妹は確か小5で、だいぶ離れている友達であり、 大人に見え、共に遊んでくれるもはやヘルパーのような存在であった…。 年中(4才)当時、うちによく訪れていた友達はこのくらい。 年長ごろからリュータkという友達が頻繁に訪れるようになり、 さらに小2ごろからはAっc・TKk兄弟という友達も頻繁に訪れるようになります。 別れもあれば新たな友達も一応…。 自分が小2当時、小4くらいだったAっcは喘息で病状なイメージ、小2当時、小1だったTKkは同じ小学校で、嫌らしい感じであった…。 KZk・RYk兄弟、DSk・SYk兄弟同様、Aっc・TKk兄弟も、また似たようなこちらと同年代の兄弟コンビであった…。 “似たような”てとこがきっかけで、そういうの…てこういう展開になりやすいのだろう…。 これ以上の年齢ともなると“もう大きいので…”と?うちに頻繁に遊びにくる同級生でも何でもない友達系統はいなくなった。 しかし、何と言っても1番印象的だったのが年長当時、小3だった…リュータk。 信じられないようなネタ満載なのだが… 長くなるので話しません。 彼らとの思い出もたくさんあるのだが… なるべく3行までにまとめるようにした。 とんでもなく長くなってしまい、完全に幼稚園の枠から外れてしまうので。 別の機会で。 いずれの友達も…やはり兄をメインと見ていた感じだった。 それはこっちだって… KZk、RYk家の話しをする時、「KZkの○○…」と言うし、 DSk、SYk家の話しをする時、「DSkの○○…」と言うし、 Aっc、TKk家の話しをする時、「Aっcの○○…」と言う…。 完全に兄の方をメインとして扱っている…。 まあそういうこと。 でもある。 うちは2人、共に積極性が全くないというのに… なぜか色々な友達がやってきていた… 当時は“当たり前のこと”のように思っており… 特に何とも思っていなかった…。 それはほかを知らないわけだから… 嬉しいような、そうでもないような、そういう感じだった…。もう思い出。 (どこでなぜ知り合ったのかもよく分からない友達達。ざっと紹介) 友達系統の話は以上。 “幼稚園での話”、再開。 ここからは「疑問だった…謎だった…不思議だった…」そんな思い出を中心に話していく。                   これを話にすることなんてできるか…?と思ったが、できたので、話にした。? トントン前の時とかに… 前にいる先生が偉そうなポーズをしていることがあった…。 時々、そういうポーズが気になっていた…。 “2種類”あった…。 1つめは… 右手を左腕のヒジに当て、左手も反対の右腕のヒジに当て… ていう…簡単に言えば“胸で罰点する”あのポーズ…。 「なんで、あんなポーズ?」て感じだった。 で、密かにやってみたら、(腕の筋肉が)どことなく…ですが、気持ちいい…ような感じで、そのポーズをしたくなることには納得した…。 疑問なのはもう1つめのポーズの方だった…。 そのポーズは… 両手を腰に当てる…というポーズ。 そのポーズです。 …今思うと、それが疑問って…w 両手をクロス…のポーズは最初から“もしかしたら楽かも…”て思っており、 それで本当に楽ということが分かって納得…という感じだったが、あれはなぜああしているのか…?と本当に疑問だった…。 あのポーズで楽…なんてまさか思えなかった…。 思えなかった。 ただカッコつけてるだけ?て思っていたが、なぜあれがカッコつけのようなものになったのか…?てところが、また疑問で疑問であった…。 しばらく疑問であったが…ある時、また家でなんとなく自分でやってみた…。 これは……楽な気がした。 これもでしたか…。 変なポーズwとか思って貶していたせいで、“それはない…”と思い込んでしまっていた…。 無意識であのポーズをしてしまう気持ちが分かった…。理解できた。 と、こう謎が熔けた。 でもカッコつけているみたいなので… 自分はやってしまはないようにしていた。 もしも、やってしまうなら両手でクロスの方だな…とか思っていた。 そちらの方が良い気がした…。 しかしあのポーズをしているナナムラtやナスビtなどは、かなりカッコよかった…。 謎めいたポーズではあるが、あのポーズをしている先生は割合、好きであった…。 先生がよく謎のポーズをしていた…疑問だった… が、事故解決した…納得できた… カッコつけのようだが、不覚にもカッコよく、あのポーズをしている先生は嫌いではなかった…と。これも思い出。 (カッコいいポーズの謎)                   あと、ナナムラtなどが… 外でハチマキのような輪っか形状の帽子?を被っていることがあったのだが… それもトントン前の時に気になっていた…。 あれは何の意味があるものなのか…? なぜ被っているのか…? と疑問だった… … でも…あれがまたカッコよかった…。 若者っぽくて…それに身分が高い人物っぽくて… あれを被っているナナムラtなどが、また割合、好きであった…。 カッコつけファッションのようだが、不覚にもカッコよく、あの帽子のようなものを被っている先生は嫌いではなかった…という感じ。 それは良いとして… それに関しては… かなり長いこと疑問だった…。 これもまた…先生がカッコよかった…謎だった…そう思ったそんな記憶。これも思い出。 長年の疑問となっていた…。 確か小3の時だった… あのナナムラtなどが被っていたのと同じような帽子を…どこかで母が購入してきた…! しかも3種類も…! 前のツバの部分が赤いもの青いもの黄色のもの…の3種類だった…。 「これ何?」と聞いたのだが… 何か…日の光がまぶしくないようにするための“日避け”…とのこと…。 わざわざ被るほどのもの? …でも、この時に…ついに長年の疑問が解けた…! そういう用途のものであったと…。まず納得した。 ちなみにその帽子?は… その後、自分や兄の遊び道具と化していた…。 それもあってなのか何なのか… 買ってきた母自身はほぼ使っていなかった… というか使っているところは1度も見たことがなかった…。 こちらとしては使わないから使っていた…というような感じだったのだが…。 その帽子のツバのパネルの部分を目に当てると、見える景色全体がそのパネルの色になった…。全てがその色に見えた…。 3つの帽子を組み合わせると、色々な色にできた…。 青と黄色を重ねて見ると…赤と黄色を重ねて見るとオレンジ…等。 確か全部重ねて見ると… 深い紫色に見えた…。闇の世界…怖かった。 面白いのはそれだけではなかった。 その帽子のパネルを通して本などに白黒印刷されたのものを見ると… 色が付いて見えた…!! が、に…! 赤いので見るのが、1番はっきり…。 兄が帰ってきたら、すかさず!兄に報告し、パネルを通して白黒のを見せた。 「色、付いて見える気もするけど気のせいでしょう」(兄の反応) そうかもしれない… けど、本当に色が付いて見える気がしていた…。 まあ多少カラーっぽく見えたことは間違いない…。 錯覚だとしても…。 もし色がもともとカラーだった印刷前の状態に復元…とかだったら凄い…。 そうかと思った…。 ちなみにその帽子でなくとも… 赤いパネルであったら何でも同じで、カラーに見えたかと思います。。 関係ない話になっていた…。 ともかく、何かいまだにあの両手をクロス、両手を腰に当てるポーズ、 それや日避けの帽子とかを見ると…ナナムラtなどを連想してしまう…。 最初のイメージはもう抜けない…。 あの帽子…疑問だったが、結局は事故解決した…納得できた…。 もうあの帽子はないが、赤いパネルがあったので、それで今でも白黒印刷のものがカラーに見えるかどうか?確認してみた。 微妙… いや、意識して見るとやはりカラーに見えなくもない。 赤青黄のパネルを3つ重ねて見たらどうか?それでまた見てみたい…。 (カッコいい帽子の謎)                   最初のころ、花組の教室の後ろの壁に、「(ど)(れ)(み)(ふぁ)(そ)(ら)(し)」と書いてある大きな横断幕のような貼紙が貼ってあったのだが… その中の(ふぁ)を見て自分は疑問に思った。 小さい「ぁ」の存在をまだ知らず、“それは何かの間違い?”なんてそうとも思っていた…。 兄に聞いたところ、「あれはファと読む」ということを教えてくれた。 “そうか。あれが「ファ」だったか。”と気がついた。 ひらがなで書いてあったというのもあり、何かややこしかった…。 小さい文字は「っ」のほかにもあったわけだ…。それをこの時、しっかりと理解した。 何か初々しかった思い出…。 「人」として…初々しかった。 (「ふぁ」?)                   そういえば…何か電車で出かけたことも、あった。 駅北口の空中広場で幼稚園の皆と直接待ち合わせだった…。 うちは近いからか?結構早く到着し、皆が集まるのを待っていた…。 その間、4才にもなって初めて…広場のシンボル、アンデルセンの塔(カラクリ時計台)の胴体?が開いて、人形劇が始まるのを目撃した。 …何か不思議だった…。どういう仕組みなのか?と… 特別なものを見れているような感じで、いい気分でもあった… また見たいと思った…。 こんな近代的で、面白いものがこんな近所にあるとか…また何か何とも言えない気持ちであった…。 特定時間になると毎度人形劇が始まるようなので、次を待った…。 … そして次の劇が始まった…。(1時間も待ってた?) 先ほどとは異なった人形劇であった…。?! ますます不思議になった…。 同じ場所が開いたのに、なのになぜ違う物が出てくるのか…? これはかなり強引なことをしているのではないか…? その後、あれの仕組みをたまに考えてみたりしていた…。 時計台の劇が(この時は)面白かった…不思議であった…そんな思い出。 … しかし、その後あの人形劇を再び見ることは、ほぼなかった…。 近所に住んでいながらも。。見る機会なし。 時は移り、大人になってから、あの待ち合わせの時ぶりにあの人形劇を見た。 人形劇のボックス…上下に普通に2つある… 同じ場所が開いていたのではなかったようだ… それに気付かなかっただけだったようだ…。w これで納得…だが、予想外にも単純な仕組みで、拍子抜けした。。 でもあの時気付かなかったことで、長年、自分に夢を持たせてくれた…。たいしたことではないが… 気付かなかった…ということに感謝したい…。 あとあの人形劇、大人になって見てみたら、何か物足りなく感じた。 解説くらいほしい…なんて思ったり。 そんなのがあったらうるさいし、飽きるが…。もし1度きりなら。 あの時はもう少し壮大に感じたのだが…、、 あと言い忘れていたが、時計台のことが印象的だったためか…… 広場で待ち合わせをして…その後、電車でどこへ遊びに行ったのかは…覚えておりません。。記憶にない。 自分で、気になる…どこに行ったんだったか…?? (不思議な時計台)                   そういえば、園外のお出かけイベントの時だけでなく、園内でのイベントの時でも必ず親も来ていた。 おもちつきの時も親がいた。 杵でおもちをつく様子は、まるで儀式のように思えた。それで馬鹿らしかった。 なぜ儀式かというと… ムーシャtとナスビtとが2人がかりでやっていて…ナスビtの方がコネていたのだが、それが… コネているのではなくて、ただ触っているだけに見えていて、 なぜわざわざ1回ついたあと、次につくまでのすきに触るのか…?と不思議に思い、それでそれは儀式…と。 でもやはり儀式ではなかった模様…。 それに気付いたのは…思い出せないが、またかなり成長してからであった…。 で、それはさておき、生徒らは1人1人並んで、先生とおもちつきを体験させられていた…。 皆到底先生のようにはできそうになく、密かに貶していた。 ようやくの自分の番。 待っている間、楽しみでもあり、緊張もあり、微妙であった…。 杵を持とうとした…しかしそれは…予想外にも重かった。 全然持てず、結局は皆と全く同じ。 どうりであれなわけだった…。本当に無理だった。 儀式の方はやらされなくてよかった…。少し面白そうでもあったものの、叩かれそうで怖いし、儀式なんて謗法のようだし…。 ついたおもちは食した…?ような気が。こんなのは初めてだったのだが、親がいたことで安心できた。 “コネる”行動は儀式かと思って、馬鹿らしい…とそう思った…そんな記憶。これも思い出。 (おもちつきの謎の儀式)                   ある日の昼…。 何か、ふと床にハシを落とした…。 ふと落とした…という感じ。 とりあえず拾った。 そのまままた使おう…かと思ってそうしようともしたが、ひとまず待った。 ほかにもたまに落とす人がいるが…その人はそうはしていない…ような気がしたからだ。 でもどうしてたか?そんな、気にして見ていたことはなかったので分からない… とか考えていた時だった。 前にいたナナムラtが、ふと「洗ってきて」と、そう言ってきた。 そうか、洗うのか。 自分は教室を出て廊下の水道のところに行き、水でハシを洗った。 で席に戻り、再びそれを使った。 しかし…“洗う”という行いは… 「儀式」としか思えなかった。またそれです。 泥がついたとかならあれだが…ただ床に落としただけでは見た感じ何ともないわけだ…。 何ともないのになぜあえてわざわざ洗うのか…? 念のため…といってもそれって、もはや儀式では…??て感じだった…。 家では洗いません…まず親がその程度で洗ったりはしませんから…。 でも本当はそういう決まり… その決まりとは洗ってまた使うこと…。 この時まで、知らなかった。 “ハシを落としたら洗ってまた使う”という常識(今思うと常識だ)を教わった… でもそれは何か儀式のようで馬鹿らしかった……そんな記憶。これも思い出。 その後長い年月が過ぎ、小学校高学年くらいの時だった…。 ある話から進展していって兄にこう聞かれた。「ハシ落としたらどうする?」 自分はこう答えた。「…洗って…また使う。」 それから兄はこう答えた。「そうでしょ。」 …兄はそれを“ナナムラtに教わったこと”だなんて思ってもいなかったことでしょう。 とりあえずその時、間違ったことを言ってしまったりして恥をかかずに済んだ。 あの出来事があったおかげ…。 ナナムラt、そして幼稚園のおかげ。て別にたいしたことではないですが…w ためになった…役立った… (ハシを洗う儀式)                   グランドの奥の方に…栽培ハウスのようなのがあった。 ある日、皆でそこの植木鉢に何かの種を植えさせられた。 まず、種の植え方を教わった。 その植え方とは… 小指の第二間接の位置までの深さの穴を掘って、その穴に種を入れ、埋める。というものだった…。 先生はちゃんと小指で穴の深さを計って、穴の深さを確認させるよう指導させていた…。 なぜわざわざ“小指”でないといけなかったのか…? ほかの指の先~第二間接の長さも、小指のとほぼ変わりないと思うのだが…?(今、自分の指で確認してみた) 当時はそうなのか!このくらいがちょうどいい穴の深さなのか!と普通に納得していたが…これは今思うと何か疑問。。 穴の深さを決める…という目的以外の何かの利点があったのか…?だったらそれは何か…? ??? …もうそれはそうと、この種の植え方をその後家で実戦してみたことがあった…。 うちの庭の病院寄りの端の方には…白粉花があった。 “誰が植えたわけでもない”とのことだったが、毎年“必ず”そこに自然と咲いていた…。 非常によく育っていた…。 である日、庭で兄とそこの白粉花の種を取って遊んでいた。 見つけるのが楽しくて、それが楽しかったのであって、あくまで見つけて取っていただけだった…。 でもその後、“せっかく取ったのだから植えよう…”てなって、植えることにした。 面白そうだと思った。 兄と水道の手前のコンクリートのすきまのところの地面に植えていった。 自分は植える時、地面に密かに小指で深さを計って、種を植えていた…。 そうすると育つかもしれないんだ、と思って…。 兄も小指で深さを計るのを教わっていて知っているかもしれなかったので(同じ幼稚園ですから)、密かにやってた。 教わったことをやってるとか思われたくなかった。 あともし育った時に、植え方がいいからだ…凄い…て思われたかった…。 兄にこの植え方をさせて(思い出させて)しまうわけにはいかない…。自分の植えたのだけ育たせる…! … 兄が先に植え終わった…。 自分は急いで植えていったが間に合わなかった…。 兄は暇になって自分の方に注目しだした。。 見られていたらあの植え方、やれないわけ… こうなったら…と、残りの種は、「必殺小指」とか言って、小指で直接穴を掘って植えていった。 小指で掘った時に密かに小指で深さを確認していた。 それまではほかの指で穴を掘ってから兄が見ていないすきに小指で確認する形でした…。やりにくいので…そうです。 “こういう手”でしのいだ…。 遊びで植えまくってみただけなわけで…ただ地面に埋めただけで育つか?どうかなんて分からなかった。 どうせ育たないだろう、と思っていた。 遊びで白粉花の種取りをした… 密かに幼稚園で教わったやり方で種を地面に埋めた…楽しんだ…そんな思い出。 …で、その後埋めたこととか特に気にしなかった。 だがその後…忘れたころに埋めたところら辺から1本だけ何か見慣れぬ目が出てきた… 最初「何これ?」て思ったが、少ししてから…「あの時の…」て思った。 それは兄も気にしていた。でも兄は植えた時のことは忘れていた。 「もしかして前、植えたやつ…?」 とか言ったら兄は思い出し、「そうか…」と、賛同した。 しかし本当にあの時植えたものが発芽したやつだったのかどうかは微妙なところだった…。 白粉花の芽って、あんなのだったのか…? その芽は育たずにそのうちどこかへ消えてしまった…。 誰かが抜いたのか? せっかくだったのに…ともかく残念だった…。 まあ邪魔になるところだったのでどうせこうなることだろうと思って期待していなかったのだが…。 この種の植え方もいまだに意識してしまう…。 でもさすがに小指で深さを計ることはない? そう教わったのですがね…。 小指で長さを計る利点を知っている人いたら教えてほしい…。何なのでしょう? 種の植え方を教わった… でもその植え方の利点がよく分からなくて微妙…覚えていても意味なかった?これも思い出。 (↑こういうこと。小指の第一間接まで…) (種の植え方の謎)                   ある帰り、バス亭からそのまま天沼公園の噴水広場の方へ行かされた。 広場の外側にある花壇の前で…そこで… 兄と写真撮影させられた。 数え切れないほど何回も同じ場所から同じように撮られ続けた…。 同じなのに何で…?て感じで、もう飽きてしまい、言い加減にしてほしかった…。 でも言われるがままにしていた。 この写真をどうするのか?とか、そんなことはこの時は特に気にしていなかった。 普通にこのころは写真を撮られることが多く、ありきたりな感じだったので…。 この時はいつもと違い、こうも数え切れないほど撮っていたわけだが… でもその“ありきたり”てな気持ちが強かった…。 母は人(主に我が子)を撮るのが好きだった。 人以外はほぼ何も撮ろうとしない。被写体は人のみ。 帰りに公園でなぜか散々と写真撮影をされた… 何なのか?早く終わりにしてほしかった…と。これも思い出。 帰りに寄り道…といえるような寄り道をしたのはこの時くらい。 そう、バス亭から家までは徒歩僅か1分ほどなので、寄り道…などということはほとんどなかった。 (寄り道して写真撮影)                   ある帰り。 家に帰宅後、通園時の服装のままですぐに子供部屋に行かされ(かってに子供部屋…とされた部屋があった)、 少し躊躇したのち、その部屋の奥の窓際の珊のところに座らせられた…。「子供だからこのカーテン…」とかなんとか言って。 (子供部屋ならばと最近その部屋のそこに子供っぽいカーテンを取り付けていた) よくわからないが母は“この場所を指定”した模様。 そこで…そう、何かやたらと笑わされ、兄と写真撮影されまくった。 面白くて良かった。純粋。 この時も↑の話の時と同様に…“ありきたり”てな感じが強かったため、なぜ撮られているのか?と疑問に思ったりはしなかった。 兄も何も突っ込んでいなかったので、同じく何も気にしていなかったのだと思う…。 帰った直後、子供部屋とされる部屋でなぜかやたらと写真撮影をされた… 何なのか?とにかく面白かった…そんな記憶。これも思い出。 その時の…その写真は…… 年賀状に使われていた。 目的があって撮影していたのだ…ということに、それを見て初めて気付いた…。 気付かないものです…。 いつものありきたりな撮影ではなかったと。 前の話の時の写真も同様に年賀状か何かに使われていたんだったか? (帰宅直後に写真撮影)                   何名かを除く、ほぼ全女子からチョコをもらった。 何の時って…その、わかりますね。 でもそれって今思うと“ありえない”気がする… ので… 記憶違いなのかもしれない…。 それでは大変な騒動な気もするし、矛盾が…w 翌年のその時にはこの時(年中の時)に“ほぼ全女子からもらった…”という記憶がすでに焼き付いていた。確かに。 ずっとこの記憶を信じ込んできた。 たった1年後の時点で、ああも確信的に…。 この記憶は一体何なのか…? 夢か…? いや、それより可能性が高いのが…「空想」。 頭の中で思い描いた光景を、実際にあったできごとの光景として勘違いして認識してしまった…という可能性がある。 もしそれなら、いつそんなことを思い描いたのか…?? 長らく本当の記憶だと信じていた。 なぜここまで現実化?したのか…? まあ“現実”だか、“空想の記憶”だかは、わからない。 現実だとは思った。 もし空想の記憶だとしても、それは年中か年長の時の記憶。 そして幼稚園にまつわる記憶。 なので本章のネタとして間違いはないと。 バレンタインのチョコをほぼ全員の女子からもらっていた…w 空想と現実。“記憶の不思議さ”を感じる…そんな記憶。これも思い出。 (女子全員からチョコをもらっていた??)                   自分はほぼ全員の女子からもらっていた?のに対し、兄は1つだけだった…。 それをくれたのは誰だったか…? 兄の同じクラスの生徒だったのだが…。 そのやつはプラスチックの透明なケースに入れてある、ペンギンの形をしたチョコ…だった気がする。 本当にペンギンの形だったか…? で、そのチョコは、なかなか食べず… テレビの横に長らく飾っていた…。 母がそこに飾って飾り物にするようにしたのだが… 兄は何も口出しはせず、そのままだった…。 兄自信もこの案は“悪くない”と思った。ということなのか…? 食べたくない?自分なら非常に嫌らしく思う。 長らく飾ってあったため、結構覚えていると…。 兄はもらったことに対し、嬉しい気持ちを抱いていたのは確かだったかと。 何も言っていなかったが、何かそういう感じがした。 自分の“ほぼ全員からもらった”という記憶は間違いだとすると… 1つでももらったのだろうか?年中の時は? もしもらっていたら、兄のみたいに飾られる気がするので… もらわなかった?のだろうか…? でも本当に全員近くからもらった気がする…。 何か違う意味での何か?だったりとか何か? それはもう、わからないからわからない。 兄がもらったチョコを家に飾っていた… 兄はおそらく密かに喜んでいた…そんな記憶。これも思い出。 喜んでいたのはペンギンだったから…というのもある?ありそう。 調子に乗っていたのは母。 というかその、くれた人は兄がペンギン好きだということを知っていたのか…。 (兄がもらったペンギンのチョコ) 疑問系統の思い出は以上。 ネタも残り少なくなってきました。 次に挙げていくのは良いとも悪いとも言えない…「微妙だった思い出」。                   何かイベントで、幼稚園に母が直接迎えに来て… 園庭の年少棟の方のブランコのあるあたりを共に歩いている時のこと。 かってに友達意識を持ったカズシkと遭遇し、自分に絡みまくってきた。 その時…その時、“カズシkと仲がいい”ということがバレてしまった…。母に。 いや別にバレてはいけないわけではない。 むしろ“友達がいる”ということを分かってもらえ、嬉しかったような気もした…。 友達がいるということがバレた…嬉しい感じがしないでもなかった…と。これも思い出。 (カズシkとの関係、バレる)                   車に乗っている時だった。 どこかで“子供のイベント”?があるとのことで、行ってみることに…。(!唐突) 何か…誘われていた? とにかくそこへ向かう。 同じ幼稚園の人もいるかもしれない…とか。 それで母は何かを見て調べた。 その結果…残念ながら同じクラスの人はあまりいななかった模様。 でも…1人だけいるとか。 それは、カズシk。彼来ていることが判明。 一体何を見たのか?何を見てそんな情報を得たのか?今思うと疑問…。 母は“1人だけ??”みたいな感じで意外そうだった。 でも「仲良かったじゃん」だとか言って、ちょっとテンション上げてもいた…。 知っていますから。彼との関係。 そしてイベントの開かれているそこに到着。 そこは幼稚園の方の住宅街にある…体育館だった。 大人もいれば同世代の子供らもいた。 大人数で戯れていた。 そんな中に紛れて… 確かに、いた。そのカズシkの姿が、あった。 見慣れた人がいて…何か安心感が… でもう何か始まっていて… ジャンケン○車だったか…? それらしきものをやっていたのだが、その中に自分らも飛び入りした。 皆ジャンケンをしていっていた。 自分もやっていた。 そのうち…カズシkと遭遇した。 カズシkとジャンケンをした。 ?? カズシkはピストルを出した! 一瞬疑問に思ったが、すぐにそれが、その、チョキだということに気がついた。 カズシkは人差指と、中指…ではなく親指を出したんです。 “それの方がピストルみたいでカッコいい”と思ったので、“自分のやり方が間違っていてそっちの方が正しいのかも”と思った…。 でも以前母や兄にジャンケンのやり方を教えてもらった時、 チョキはこう人差指と中指の2本を出しているのをお手本として見せられ、それでそう覚えたわけなのだが…? そもそも母や兄が間違っていたのかも…とも思った。 どうなのか? ピストル風チョキが印象的だったためか、この時どちらが勝ったのかは…覚えていない。 でそれの次は股下をくぐる遊びをやり出した気がする…。気がするというだけ。そんなのは自分はやらない。 …体育館でのことはこのくらい。 しかしあのチョキの件、気になる。 そのうち…母にあのピストル風チョキをやって見せ「チョキってこう?」とか聞いてみた。 「それは違う」などと言われた。… そんなチョキ初めて見た?みたいだった。 「でもこうやってチョキ出してる人いた」と言ったら、「そっちが間違ってる」と母。 それを聞いて…気楽になった。 そのままでいい。わざわざチョキのやり方を訂正する必要ないということが分かったので…。 長年生きている(大人の)母が見たことないということは…そうやっているのはまずカズシkくらいということ。。 その後も教室でカズシkとジャンケンをすることがあったが、彼はやはりチョキをあのように出していた…。 間違っているとも…やはり“あのチョキの方がカッコいい”て思って、自分もチョキをああ出してみたいと思っていた…。 でも間違いだからダメ…。 いっそのこと、そっちのやり方が正しいということだった方が嬉しかったかもしれない…。どうだろう?微妙なところだ…。 …教室で“なぜ”彼とジャンケンをしていたんだったか?思い出せない。何か気になる。。 初めての場所(体育館)に慣れている人(カズシk)がいて…初めてながら多少安心感を持てた…よかった… カズシkとは合わない感じがしていたので、そこまで嬉しいというほどでもなかったがまあ… カズシkのチョキが正しいかとも思ったが、そうではなくてよかった…ものの、 あのチョキはカッコいいのであっちのチョキも捨て難かった…微妙な心境… カズシkはやはり何でもカッコいい正義のヒーローのような印象だった…wとそんな記憶。これも思い出。 (カズシkがピストルを出した)                   音楽の授業でピアニカを使った時… 授業が終わりになると最後に皆でホースに溜まった唾液をティッシュで叩いて出すのだが… それが自分の使った自分のにはいつも凄く溜まっていて… 叩いても叩いても出てきて、なかなか終わらなかった…w それが終わった人は教室に帰っていいのだが… 自分はそれがなかなか終わらなくていつも最後の1人になるまで音楽室に残ってしまっていた… 先生は全員いなくなるまで見届けるので、自分は1人先生達から脚光を浴びていた…。 じっと見つめられていたので、怒られる…かとも思っていたが、そんなこともなく、先生達は… 「スッゴイ入ってる…」 とかヒソヒソつぶやきながらニヤけていた…。 余裕で聞こえてたのだが…w それだけでした。怒られたりはしなかった。… 吹き込む時に唾液が入ってしまうことに関しては別に問題なかったようだ…。 考えてみればそれは“しっかりとまじめにやって、頑張った証”…とも読める…。 そう読んでいたのだろうか…。 “汚くなる…汚らしい…”ではなくて… まあ一安心だった…。 もしかしたら、ほかの皆も同じくらい入っていたのかもしれない…。 でも皆は叩いて出すのが下手だか適当だかで、ちゃんと出しきることができなかったというだけだったのかもしれない…。 当時からそうだとも思っていた…。 何にしても、最後の1人ともなっていたということは…自分はクラスで1番の“何か”だったことは間違いない…。 しかし…皆いなくなった音楽室は寂しかった……。 ピアニカをやった時は一人音楽室に残って注目されていた… 怒られる…かと思いきや怒られなくてよかった…一安心だった…そんな記憶。これも思い出。 音楽室…てもそこは普通の教室と同じような部屋だった。 我が花組の教室のすぐ隣でした…。 音楽はその音楽室ではなく、教室でやる時も多かった…。 ピアニカや木琴をやる時は音楽室。思ってみると…そうだった。 (ピアニカホースの唾出し)                   あと何か、ピアニカのホースを噛むのが癖になったりしていた…。 あの噛んだ時の感覚が忘れられない。あれは中毒性あり…w 帽子のゴムを噛んでも同様な感覚で、噛んだことがあったりしたと思った…。中毒になる…。 ピアニカのホースとか、ほかにも噛んでいる生徒が… 自分以外にも、結構いた気がする…。 やはり誰でもハマると…。 共感できるものがあった…。 大人が見たらアホとしか思えないか? でも、噛むと歯形がつき、千切れそうになり、そしてボロボロになってしまう…。 結構怒られている生徒らがいた…。 ピアニカのホースなどを噛むのが気持ちよくて、ホース噛み中毒?になりそうだった… ボロボロになってしまっていた…そんな記憶。これも思い出。 (ホース噛み中毒)                   ジェイソンk。という名の生徒がいたのだが… 何か彼のことが好きだった。 名前がいい… というのもあったが… 同性で、気が合いそうな雰囲気等もあって…? 彼にはバス亭では会っていたと思ったが… 園内などではほとんど見かけたことがなかった…。 そんなで学年も知らなくて気になっていた… 気になっていた矢先…ジェイソンkが“年少”だということを耳にした…。 年少というのは…“同じ?”とも一瞬思ったが…自分は年中だ…。 自分は入園して1年目だし… いつも最年少なイメージだが… 年少というのもあるのか。 彼は年下だ。 自己解決…。 そういえばジェイソンkは小さい気がした…。あくまで“気が”した。 年下の方がひいきされるものですから… 何か嫌らしい感じがした…。 でも3才からは赤ちゃんではないし…自分は3才から“自分”だった感じだし… それを思うとその時点から園児でも不自然ない。そう思って、それに関しては悪く思わなかった…。 その後ジェイソンkがジェイ・ソンkだということを知った…。 “ジェイソン”という名前で、苗字がほかにあるのだと思っていた…。 最初そう覚えていたので、ジェイ・ソンkでは気に食わなかった…。 でも「ジェイソンk」といままで通り呼んで別に支障なかった…。 その後も分かっていながら、別に支障ないので、「ジェイ・ソンk」ではなく、「ジェイソンk」といった感じで…その、そのままなノリで呼んでいた…。 そしてジェイソンkが韓国人だということを知った…。 ○ン・ソナcも同様に韓国人…と。 そうと知ったら…何か少し、イメージが悪くなった…。 ジェイソン…という名前がカッコいいイメージではなく… 何か、汚らしいイメージになってきた…。 説明しにくいが、“韓国人”…という情報から、何かそうイメージが変貌していった…。 韓国人にはカッコいいイメージがない…。韓国←てカタカナではないし。 それでジェイソンkが好きなのかそうでないのかよく分からなくなっていった…。 結局はそんなで彼との縁は切れた。 密かにジェイソンkが好きだった… が訳あってそのうちそうでもなくなっていった… 彼に関しては結局は微妙だった…そんな記憶。これも思い出。 ジェイソンk、○ンソナc辺りは… まず親どうしがバス亭で親しくなって… そこから子供どうしでも…てなり、親しくなっていった…。 そういうの…て、奇遇で良いとも思えますが… 子供からしたらかってに付き合わされている感じでパッとしなくもある…。 やっぱり、園にいる時でも縁がある生徒とより親しくなりたいもの…。 今思うと微妙なところ…。 子供どうしが自然と友達になって、そこからそれを親が知って親どうしが… という展開の方が良い。 それがこっちとしては理想である…。 (好きだったジェイソンk・嫌らしかったジェイソンk)                   ところで○ン・ソナc…て… なぜ「キン」と言っていたのか? 「金」なら普通、「キム」…。 …小学校高学年くらいの時に、知識が身についてきたことにより、突然疑問に思った…。 「金」という字であったかどうかは定かでないものの…。 そのころに○ン・ソナや、ジェイ・ソンというのが凄い名前だということに思い起こしてみて改めて気付かされた…。 ナスビ・ソ○とか、ムーシャというのがありえないような名前だったということなどにも気づかされた…。 オー○○ハルマサkの件などを思い出したのはもう少しあと…。 今思うと笑える…。 彼女は… わりと自分よりか、同学年の兄の方と親しい感じだった…。 ソナcに関する記憶。これも思い出。 (○ン・ソナcの名前)                   ある日、将来の夢に○をするプリントをやらされた。 10~20項目くらい夢の候補項目が書いて(全部挿絵付き)あって、そのどれかに○を付ける。というものだった。 “将来の夢”とか、、分からなかった… どれにも○をしないことになってしまうか…これはマズい…… かと思いきやw案外その夢の候補を見てみたらなりたいものが結構、ある!あるではないか。 今度は逆にどれにしようか迷ってしまった…w 自分で驚き。 そんな中で… みんなはどうしてるかと確認してみたら…1つではなくて!いくつも○を付けている人がたくさんいた…。 そこで自分も1つに絞らず、将来なりたいもの全部に○をすることにした。 それなら悩まずに済む。 1つ1つ確認して○をするかどうか決めていく…。 次々と○になっていく… そして結局は… 結局は「アイドル」以外の全てに○をしてしまった。。 それは男子は誰も○をしていなかったので、○は禁物だった…。(禁物でなくてもそれだけはあれだった) でもあえてそれ以外の全部…とか決めてそうしたわけではありません。勘違いしないでください。 確かにしっかりと1つ1つ確認して判別していって○をしていった結果、気付いたらそうなっていたんです。 本当に色々やってみたいと思った。 中でも1番なってみたい…もし1つを選ぶとしたら“これだ”…と思ったのは… 「宇宙飛行士」!だった…! 次点は「パイロット」…。 すでに説明しましたが、太陽系とか宇宙に興味があり、プラネタリウム好きであったので…それで宇宙飛行士がよかった。 宇宙にはそう簡単に行くことができない。過酷な場所。というようなことは兄から聞いて知っていたのですが… それでも“大人になれば自分にだってもしかしたらどうにかできるかも”といった気持ちがあった…。 でも危険を冒してまで行くのはあれなのである意味行きたくなくもあった…。危険でさえなければ…。 普通のことだと思うが、何がどうあれ実際の宇宙を見てみたかった。 土星の目の前に行ってみたかった。 天王星に着陸してみたかった。 できるものなら…。 パイロットですが、パイロットの飛行機はスペースシャトルに何か似ているし、空は宇宙に近い…カッコいい…と、 宇宙飛行士とどことなく共通点があったので、それもいいかと思った。 これも宇宙飛行士も…本当に実際になるとなると引く。ということも分かっていましたが…。それは考慮しないこととした。 あとパン工場とか好きだったので、それに引かれて「パン屋」なんかも良かった…。 ブロックで家とかを作るのが好きだったので「大工」なんかもやりたい気がした…。 そのほかの項目は忘れたが、そんなこんなでみんな○になったと…。 で、○付け終了したら先生に見せにいく…。 自分も並んで見せにいった。 “これではちょっと適当っぽく思えてしまう…”と思ってちょっと不安だった…。 ヒヤヒヤながらプリントを返してもらい、席に戻り、プリントをまた見てみると… プリントにはこう書いてあった。 「夢がたくさんあっていいですね!」 安心した…。 でも先生が適当だと勘違いしていなかったかどうかはそれだけではちょっと明確には分からなかったので、ちょっと微妙でもあった…。 そんな気持ちだった……。 その後…カズシkがどうだったのか見に来た。 カズシkは… 「お前も?」 的なことを言った。 ??? そうしたらカズシkも自身のプリントを持ってきていて…見せてきた。 カズシkも自分ほど、とまではいかないが、ほとんどに○をしていた。 それで「夢がたくさんあって…」という自分と同じ評価をもらっていた。… 同じような人がいたと…。これはまた安心した… 安心したことは良かったのだが…やっぱりこの回答は“本心だ”ということを先生に確実に伝えたかった…。 だが突然そんなこと言い出すようなキャラではなかったので、言えずに終わった。そこが微妙に心残り。 微妙でもそれは大きかったりする…。 自分に夢があることに気付けた… 先生に伝わっていたかどうか分からないことがあって心残りとなった…そんな記憶。これも思い出。 夢…やりたい職業…。 今だったら…深く考えてしまう。深く考えたら何もできない。 「同じネタを2度使えない」というのが現実世界の痛いところ…。 宇宙飛行士とかパイロットなんて怖くて絶対になりたくない。 まあ当時は“怖い”“危険”とかそういうことは考慮していなかったから○にしていたわけだ…。 それ、考慮しないのなら今だってなりたい…。 (将来の夢は…宇宙飛行士)                   幼稚園でやるのは体育、音楽、工作関連とか大体そのくらいで、イベントも多く、 勉強といった勉強的なことはやはりそれほどさせられていなかった…。思ってみるとそう。 強いて言うならひらがなくらいか。 ひらがなのドリルのようなものを全員に渡されていた。 それは“自由にやってください。いずれ終わらせてください。”みたいな感じだった。と思った。 自分は帰りのバス待ちの暇な時間に月組でたまにやったりしていた。 進めるのが面倒だからたまに。だからあまり進んでいなかった。 最後の方まで進んでいる人を見ると… 何かうらやましい感じ、した。 ゲームで、最後面の方まで進んでいる人がうらやましい…と思うのと同様な感覚…。 「な行」のあたりまで進んでると、もう最後の方…てなイメージであった…。 あくまでイメージ…。そこで最後は早い…w 兄のも自分よりかは進んでいて、少々うらやましかった…。 結局は自分は最後の「ん」まではたどり着けなかった。 それでも許された。 まあ途中で抜けた(転園したのだ)し…。 最後までやれていないと知恵遅れで特別になる…みたいな感じがして嫌な感じだった…。 でも浴室のマットがひらがな一覧になっていたのだが、それ等を見てどうせひらがなはもう、ほぼ覚えていた。 問題は書き順や、微妙な覚え間違いくらい…。 ひらがなノート… 最後の方まで進んでいる人がうらやましかった… あまりやらなくて済んで良かったような良くなかったような…そんな記憶。これも思い出。 ちょうどこのころだったか…? ○○タワーの蝋人形館入り口前にあった看板に書いてあった文章を、漢字の部分は読み飛ばして読んでいて、 “それでも意味がわかるように書かれてる!?”とか意味わからないこと思いつつ読んでいたのは……。 それでは全然意味、わからなかったというのに。 わかるような気持ちで読めば、わかったような気になれていた。… プールで痛いめに遭ったのもそれがあったからか。 (終盤=最後面。ひらがなノート)                   あと…ひらがなドリルと言ったらこれも思い出す…。 絵の具遊びのノートもありまして…それも始めから徐々に進めていく形式だった…。 それはたまに授業の余りの時間等にやらされていた。 確か皆まだ手つかずだった最初の時は… 最初は授業時間丸々それをやらされた。 確か最初のページは…葉のない木に、葉を描いていく…というのだった。 緑の絵の具で葉を描いていった…。 終わったら次のページのに進んでよかったのだが… 自分はそこが終わった…とこまでしかいかなかった。 なんとかぎりぎりで終わったところで… 「遅い」とまた文句を言われていたと思った…。 ともかく、これ自体はかなり面白かったので、早く次のページのもやりたかった…。 で、やれたらそのあとはまた次はいつ…と楽しみにしていた。 自分はそれもまた進めるのが遅く、結局ノートの最後まで終わらせられなかった。 楽しみだったというのに、もったいない。 もっとやらせてくれる時間が欲しかったところ…。 最後の方、やっている友達がうらやましかった…。 どうしても…というのなら家でやってもいい…てなことでしたが… 家だと雰囲気が出ないので、家でやってしまいたくもなかった…。 時間制限がないので、ずっとやっていたら1日で全部終わってしまうし…。それでは…。 絵の具ノートをやるのがその…楽しみだった…もっとやりたかった…そんな思い出。 このころ教わったパレットの使い方、いまだに覚えている…。 (楽しみの1つだった。絵の具ノート)                   何かカレンダーのような、シールブックがあって… 帰り際にそれの今日のところに通園した証にシールを貼るのだが…“その時”がかなり好きだった。 帰りの前とあって、気分が良くて…またより一層良い印象であった…。 ちょっと単純かもしれないことだが… いつもキレイに貼ろうとしていた。 “今日こそは完璧にキレイに貼る”と思いつつも、毎度微妙にずれて惜しんでいた…。 「本気じゃなかった。本気を出すのを忘れてた。明日こそは本気。」 と思うのだが、その明日には本気を出すのを忘れていて…それで貼ってから思い出し、またその日に、また「明日こそは本当の本気」…… なんて流れがいつまでも続いていき、結局まだ1度も満足いくくらい完璧に貼れていないないうちに、その、終わってしまった…。 …何だったのか… 再チャレンジがしたかった。 そうしたら今度こそは本当に本気で貼っていたのに。。 出席シールを貼るのが楽しみだった…。 でも一生の悔いを残してしまった…そんな思い出。 あんなものを楽しみにしていられるなんて、子供だけだ…。 だからこそ子供にやらせるのか…。 子供だったからこその思い出と。 今更やったって、だめです。 馬鹿らしいしと思ってしまうので…あのころ(幼児のころ)のうちでないとだめだった…。 だから一生の悔いと…。 (帰り際の楽しみ、出席シール)                   教室で音楽の時間。 この時は色々な楽器を出してきた…。 その中から何か楽器を選んで鳴らしていい。という感じだった…。 自分が1番気になった楽器は…“仙人降臨!”てな感じがする…シンバルだった。 でもやはりそれは人気。しかも1つしかなく…自分の楽器をそれにできた人は幸運だった…。 で、そのシンバルに当たったのは…サラc。 教室の後ろ側で皆で鳴らし始めた…。 しかしシンバルは…大人びたサラcには見合っていた…。 格好良かった…。 それからサラcはシンバルのダイナミックなイメージとなった…。 シンバルには触れられず、残念だった… しかし、シンバルはサラcに大変見合っていて、“こうであるべきだった”と思えるような納得できるような感じで…いい感だった… それになった人は皆それに準じたイメージになり、後々そうなる…といった可能性がないでもないが… そんな記憶。これも思い出。 これ…別の時(小学校で)の記憶と混同している可能性もあり。 (シンバルのサラc)                   ある帰り… バスを下りたあと、天沼公園前でうちの母と…誰だったか?兄のクラスの女子の母が話を始めた。 こういうのも日常…。 でこの時、そちらの母は何か面白そうなものを持っていた。 連なるようにたくさんのキャンディーの入った長い袋…。 でそのそれを…もらった! どういう経緯でもらえたんだったか? 欲しそうにしていたから…だったか? ともかくそれで多少何か悪いな…という感じがしていた。 うちにあげるつもりがあったのかどうか?微妙だったから。 … 帰ってから、それをよく眺めてみた。 袋の中からキャンディーを取り出すことはできないようになっていた。 強引に取り出そうとしたら壊してしまう。 何か残念だった…けどしかたがなかった…。 そのキャンディーは…実は作り物?だったので、半永久に持つものだった…。 よくできていて凄くて面白かった…。 誤って口にしてしまわないよう、あえて取り出せないようにしていたのか…? そうかもしれない。 その後すぐ…だったか?ずいぶん経ってからだったか…? 何となくそれを自分の案で… クリスマスツリーの飾り入れの中に入れた…。飾りにできる気がして… その後「これを飾るのはいい」とか母に言われ、本当に飾られた。 良い案だった模様。良かった。 以来毎年それをクリスマスツリーに飾るようになった…。 すっかり、「クリスマスツリーの飾り」として扱われるように…。 もとは“自分の案”…だったので… 何か責任を感じ、良かったのか?良くなかったのか?てそう考えてしまう…。 気まずい感じもする…。ああも決定券がなかった自分としては… でもやはりあれを飾るのは面白かった。あれ自体面白かった。 本当に美味しそうに見えるし…。 面白いキャンディーをもらって嬉しかった…気持ちの面で何か悪い感じがしつつも… “クリスマスツリーの飾りとして扱う”という自分の案が本当に採用になって嬉しかった… そうなってしまって良かったのか?どうなのか?と考えてしまい、何か悪い感じがつつも… そんな微妙な思い出。 まあ悪くはないか。 まあ嬉しい思い出。 ちなみにそれをくれたあの親は誰?だったか…? 一緒に迎えに来ていた兄のクラスの、兄と親しい女子の親だったと思ったわけ。 同じ場所に迎え…となると4コースの誰かの親。 …ソナcの母だったか?そんな気が。 あれ、もしかしたらまだクリスマスツリーの飾り入れの中に入っているかもしれない。 あった↑ まさか本当にあるとは。。 返さなくてもいいんですよね? いいはず。 もうあれ以来、「うちのもの」なのだから。 ↑袋がなくなって剥き出しになっているキャンディーがある。。 直で触れるw (面白いキャンディーはうちのもの)                   そういえば花組に馴染みましたが… 最初どの組に入るか自分で選べたとしたら、「星組」を選んでいただろう。と当時ふとそう思ったことがあった…。 花や雪など…組名になっているもの?の中で、1番好きなものが星だって他人でもわかるくらい星が好きだった。 星組は年長のクラスですから、まだ入れる可能性はなかった。 いざ年長になった時…。 自分は星組ではなく、月組になった…。 でも兄がこれまで月組で、兄と同じだし馴染みがあったので、こっちの方が王道だっただろう…と思え、月組でも納得だった…。 兄と同じにならないと何かあれだし。 でも思ってみると、星と月がある中での月って… マリオとルイージでいうと、ルイージの方みたいな… “主流ではない方”です。 この自分が、主流でない影の薄い側の方。とか… そんな変なこともあるんだ。てな感じだった…。 創価学会だから良いようにいく!って宗教に洗脳されてそういうふうに思ってしまうようなところもあった…。ここだけの話。 上手いこと星ではなくてもそっち(月)で自然だった。て思えるシチュエーションができていたので、それがよかった…。 そう思うべき。 思ってみると月組より星組の方が主力?のような感じだったと… いや…やっぱり違う。 月組はイベント、集会等、大勢集まる行事の時に使用していた園内で最も目立つ教室だったから… 星組なんかよりどの組より1番目立つ教室だったから… 星と月でいったら星の方が権力ある“感じ”がしますが、星組より月組の方が代表的な(主流な)方になる組?だった。 実際のところ。 星より月が主力…というのは何か不自然ですが、なぜかこの幼稚園ではそうだったと。 だから自分は主力の方だった…。 自分というこの自分が、主流でない影の薄い側の方。なんて…そんな変なことはやはりなかった。 自分はやはり主力の方であった…。 本当によく考えてみると、月組は大きい主力の教室のクラスの方だったわけ…。 自分が最初から月組で自然に感じたのは、それは当然のことであった…。 “兄と同じだから…”というのがやはり大きいですが…。 月組が星組で、星組が月組でないのが違和感ですね…思ってみると。 星組が自分のクラスになっていた方が自然だった…とは思わない。 何にしても…。 名前で言えば、月組より星組の方が主力という感じですが、 名前ではなくて実際のところは月組の方が目立っている方だから自分というこの自分はそっちの方…。 月組の方がしっくりくる…。 月組でいい…と思いきや、星組がいい…かと思ったら、月組でよかった…と。これも思い出。 (星組と月組) この類の思い出話も以上。 締めにその他の思い出を挙げていく。 いよいよクライマックス。                   ある日教室で… 何かいつもの踊りの練習?をやっていた…。 自分は休憩のターン?で、前で並んで踊っているみんなを眺めていた…。 なぜかリホcに注目して見ていた…。 ○ンドー一族の1人です…。 その後全体的に見た。 “全員”の名前、覚えたな…見ただけでみんなわかる。 こんな早々と。自分凄い! またそう思った…。 そんなふうに思いながら見ていた…。 何気なく……。 しかし、何の踊りの練習だったのか…? こういうの、日課のように思えるほどよくやっていた印象なので、さほど気になりもしない…。日常の出来事。 リホcに注目していた… 自分は凄い… それだけの…そんな記憶。これも思い出。 (リホcに注目)                   隣の雪組のクラスでは、いつもこちらとは違うことをしていた…。 それはそう。クラスが違うわけなので。 その雪組に“知っている人”は誰もいなかった。 接点ないですから、無理ない。 いや…違う。 1人だけ、ですが知っている生徒がいたような気がした。 イシヤマという女子。 なぜ知っていたかというと…… ぴよ○○○で一緒だった…んだったか? そんなで面識がある生徒が1人だけいた。しかし、特にこっち(幼稚園)で関わるようなことはなかった…。 クラスが違えばそんなもの。
ついでに“雪組のイメージ”ですが、“冷たい吹雪の中にいる”ような、何かそういうイメージであった…。
イシヤマもそっちのクラスの人は何か皆そういうイメージと化していた…。
雪組に1人、面識のある生徒がいた… いたというだけ…そんな記憶。これも思い出。 花組が1番いい… (雪組にいた面識ある生徒)                   そういえば月組のそばの屋外?に緑の網で仕切られた“飼育小屋”のようなものがあった。 あまり目につかないまま見慣れてしまって?ずっと気にしていなかった…。 ある時、ふと“何か生き物がいるのか…?”と思って中をよく見てみた…。 何だったか?とにかく生き物がいるのを確認した…。 いたと…。 広いグランドの向こうの栽培小屋のようなところは、授業で入ったことがあり、一応どんなところかは知っていた。 しかし、その飼育小屋には、一切縁がなくて、見る機会も何もなかった…。 授業で見る機会もなかった…。 ずっと通っていながらも、“こんなところあったんだ”という感じ…。 普通に注目度も薄かった感じ…。 目立たない場所にあったわけではないのだが…。 遊具が密集しているところの脇。 月組の教室内からも見えていた。 幼稚園に飼育小屋があった… 一応あった… 生き物がいた… しかし、その存在に気づかないほどにそこは影が薄かった(自分の中では)…そんな記憶。これも思い出。 (縁がなく、馴染みがなかった飼育小屋)                   幼稚園で“作ったもの”には…紙コップのやつ、折り紙の桃、こいのぼり、うちわ、千歳あめ袋、クマのお面、星のペンダント… などとありましたね… 記憶上にはこれだけ。でもない。 あと「ちょうちん」を作ったことがあった気がした。 折り紙で。 立体的で、弾力性があったと思った。 持ち帰り、クリスマスツリーの飾りにした…んだったような。 クリスマスツリー…といえば、そう「クリスマスツリー」を作ったこともあった。 確かにあった。 作った時の記憶はないのだが、自分は確かに作った。 心が覚えている。 たいしたものではないです。 絵の具で緑色に染めた松ぼっくりをゼリーカップ?のようなものの上に乗せ、あちこちにビーズだかを付けたもの。 松ぼっくりをモミの木と仮定してクリスマスツリー…と。 土台のゼリーカップ?にも色を塗った覚えが。 でそれも持ち帰った。 ツリー本体と土台はボンドか何かで接着していたのだが… 何かすぐにとれてしまっていた。 何度くっつけ直してもすぐにとれてしまい、だめだった…。 とりあえずこんなところか。 こういうのを作るのは楽しみだった…。 工作は楽しかった…。 ただ“作った覚え”だけあって、“作った場面”を覚えていない。というものがある。 以上、その類の記憶。 (楽しかった工作系統)                   幼稚園で本当の動物園に行ったことも確か、あった。 動物園…となると、さすがに“大きなイベント感”?があった…。 兄の学年の人達もいた気がした。 それに加え例の如く、また親達も来ていて、自分は母と園内奥地の方へ歩いていったりした…。 道の真ん中の区画されたところにペンギンがいた。 何かやらされていることがあったのだが、それをやるのが面倒であった…。 結局やったんだったか?どうだったか…。 母といる時は幼稚園の枠から抜け出せたような特別な感じして嬉しい感じだった…。 動物園は良かったが面倒だった…そんな思い出。 もしかするとクリスマス会?での兄のあれはこの時のこと…? (本当の動物園) お出かけイベントを挙げてきましたが… 思い返してみると色々なところに行っている…。 そしていずれも親が… いたことに気がついた…。 園内でのイベントの時だって…思い返してみるとあの時もあの時も…必ず親がいる。 そう、イベントの時は必ず親も呼び出されていた…。 今、思い返してみて、それに気がついた…。 当時は全然そのことに気づいていなかった…ということにも頭の中で気がついた…。 ○○○稚園はそういうところだったのですね…。 お出かけ時、親がいなかったのは覚えている中では運動公園に行った時だけだ…。それが唯一…。 その時のそれはさほどイベント…という感じではなかった。 だからだろう…。授業の一環で…という感じでしたから…。 当時は親がいると非常に嬉しく、良かった気が…したが、今思うと「親がいるというのも考え物」な気が…。 それを言いたかった。 親がいると親に頼ってしまい、家で出かけたのとあまり変わらなくなってしまう…。 せっかく幼稚園のイベントで出かけているのだが。。 ただ“親と出かける”というのなら大人になってからであってもできるが、幼稚園で出かけるなんてこと、卒園したらもうできない。 たった2年間の幼稚園に行ける時期の中で、“幼稚園ならでは”の思い出をたくさん作りたいもの。 “幼稚園で出かけた”ということをよりイメージ付けるためには、親はいない方が良い。 でも親としてもイベントでの様子を見れると良いですがね…。自分が親ならおそらくそうです。子供の思い出に入り込める?わけ。 でももしやそうは思わず、わざわざ来るのはアレ…という親の方が多いのだろうか?どうなのか? 親側も大変…というのではなくて“嬉しい人は”嬉しい。 そんなとこだ。 まあとりあえず色々イベントを企画し、子供の頃しか体感できない子供らしい思い出を子供に作らせてくれた幼稚園には御礼申す。 色々なところにクラス等で遊びに行けて、良かった。 ワンパク王国、海浜公園、動物園、マクドナルド、ミスターバーベキュー、運動公園… 初日イベント、参観日、運動会、夏祭り、動物園イベント、おもちつき、クリスマス会、卒園式… 全部覚えていてこれで全部…という可能性、ある? 1年間でこれですから…少なくとも月1回以上はイベントがあったということ…。 覚えていないイベントもあり、これで全部ではないとしたら…どれだけ? イベントとかあまり意識せずにいて… 導かれるがままな感じ?だったので… 今あえて意識してみるとこれだけ頻繁にイベントがあったという事実が…何か意外な感じ…。                   これは小学生になってから…母が言っていた話。 ですので……これはその時の記憶。(特別枠のネタ) … クリノヤマkも鉄棒ができなかったのだが… ある時、クリノヤマkはスズキtにせがまれ、しぶしぶ鉄棒をやった。 なんと回れて、普通にできた…らしい。 きっと自分でも驚いたことでしょう…。 それを目の当たりにしたスズキtはこう言ったという。 「まぐれだろ?もう1回やってみろ!」 クリノヤマkは言われた通り、おそるおそるもう1度やった。 それは…あの先生には逆らえない…。 なんと再びできたとのこと。連続で…。 まぐれではなかった模様。これにて、できるようになった?と…。 しかし…それを目の当たりにしたスズキtは「つまんねえの…」といった感じで、クリノヤマkのことを無言で見過ごした…とのこと…。 一切誉めたりはしなかったようだ…。 あの先生が生徒を誉めるはずもないですが…。 想像つく… そんな先生でしたから…。 子供が嫌いとのことでしたし。 繰り返しますが、これは母が言っていたことなので、リアルタイムの自分の記憶ではないです…。 しかし…母はなぜそんな場面に居合わせたのか…?? 鉄棒とか普段の体育の時にしかやらなそうで、そんな時にそこに母がいるはずもなさそうだが…。 自分はそのこと、知らないので、自分はいなかった時のはず…。 クリノヤマkは同じクラスなのに…自分がそこにいなかった…というのもなぜだったのか…? 謎が残る…。 その場面が目に見えてくるような、そんな話を聞いた…あの先生は酷かった…と。これも思い出。 クリノヤマkは誉められませんでしたが、怒られる事態を避けられただけ良かったんだ…と思う。 (母の話(クリノヤマkの恐怖))                   何か… クラスの人が全員登場していたことに気がついた…。 … 1番親しかったのは…もちろん、カズシkでしょう。 登場回数9回。 この小説にかってに登場させてしまいましたが、お互い5才から1度も会っていないので…もう問題ないでしょう。 逆に1番自分との接点がなかった印象なのはオ○○ボ○キマサkかサラcあたり。 親しかった度合いは何となく、こんな感じ…↓ カズシk > > モモヤマk > トーマk > マレc > オイカワk > カナエc > リホc > カホc > マミc > クリノヤマk > ツチダk > ミキc > アキヤk > ナッチャン > サラc > オー○○ハルマサk 名簿を確認したところ…これ…+自分で全員だったことが分かった…。 いまだに全員覚えていたということ。。 今思うと人数…少ない。 それぞれのイメージ。 カズシk=オーソドックス・ヒーロー モモヤマk=浦島太郎の桃・年上・不思議 トーマk=何か黄色い楽器 マレc=丸いマリ オイカワk=お酒 カナエc=小さい リホc=幼い カホc=幼い マミc=水玉 クリノヤマk=栗・紺のブレザー ツチダk=土・地面 ミキc=ミルク・○○○○ アキヤk=年上・里芋 ナッチャン=夏・眠り姫 サラc=年上・シンバル オー○○ハルマサk=変人・ギザギザのブレザー 何か、名前でイメージが決まっていることが多かった…。 あと思ったが…ニックネームで呼ばれていた人が少なかった。 その、ニックネームで呼ばれていたのは…ナッチャンと… 自分だけだ。 ちなみにこれらの登場人物の名前ですがうろ覚えなので間違っている可能性が高い。 名簿を確認しましたがそれもかなり前の話。 (いろいろなクラスメイト)                   こんなところか……w 嫌だった思い出… 怖かった思い出… 恥ずかしかった思い出… 楽しかった思い出… 嬉しかった思い出… 微妙だった思い出… … 嫌だった…怖かった…そういう思い出以外にも色々あったということが十分に理解できたことでしょう…。 何か、あまりにも長くなりすぎた…。 飛ばさずに読んだ人はいる?? FB幼稚園にいた時の記憶は…何かこのようにいくらでも限りなく出てくる……。 これは…とても“1年しか通っていなかった”とは思えない…。本当。。 どれだけ充実していたのか…w 確かにFB幼稚園には1年と1か月弱しか行っていなかったはずなんです。 だからこれ↑が全てその期間にあった出来事ということになる…。 信じられないが、確実に…そういうこと。 3才から記憶がスタートして、2年目… まだ記憶が始まって2年目の時ですから… 時間が長く感じていた…。そういうことなのか…? 人生経験1~2年の時…。 1年間=人生の半分だった…。 長く感じて当然か…? 最近の1年間よりかよほど色々と覚えている気がするのだが…。 それですから。1年に重みがあった。 何かあれなところであったが、こんなにも数多くの思い出を残してくれたのだから…幼稚園に行ったこと、後悔していない…。 今思うとそう…。 これから色々経験していくという時期に… 一早く色々と苦難や喜びなどを体感させてくれて… 人生に色々と影響を与えたでしょう…。 人生まだ初めですから…その後の長い期間、そこでの経験が生かされてきたと…。 だから貴重だった…。 最初のところが別の場所だったら…どうなっていたことか? 1番面白かった「思い出」はどれでしたか? 面白い話が多すぎて分からないか…? 個人的には兄が適当な英語を言って叩かれていたネタとかが… 1番衝撃的なのはバスに乗り損ねたネタか…? 違う? いや本当に1番衝撃的なのは…ムーシャtやワーイtなどの行為…それや“自分”のことでしょう… 間違いなく。 …真相、明かしました。 いままでほとんど話さないできたが、ここでやっと暴いてやれた…。 ここの幼稚園、周辺住民や保護者などの間でも“怖いところ”だという噂があった模様。 本当に。何度かそれらしいことを耳にした。 生徒だった人しか真相はよく知らない。 だから本章での話は、貴重な話であったり…。 どうだったのかを知りたかった人が、もしこのページの存在に気付いて、本章を読んでくれたりしたら幸い…。 もう昔で、はっきり覚えている人は少ないと思うから、この頃のことならもう色々と言ってしまえる。 章タイトルに「自由」とありますが、その意味に関しては…もう少し読み進めていけばわかるかと。 自分にとってここでの思い出は本当に歪で貴重なんです。 …しかし4才の時がこのようにここまで切りがないほど様々なことを覚えている…というのに、2才の時の記憶がほとんどない… というのは今改めて思うととても不自然に思える。ということにまた気がついた…。 2才の時なんてこの時のたった1~2年前。 2才と3才でも雲泥の差だったが、2才と4才を比べてみても凄まじく不自然だ…。 3才時点で脳が急成長したのだと思われる…。 それに伴って“記憶する脳”というものを手に入れた感じだろう。これは…まさしくその表れ。 ちなみに4才時点ですでに2才の記憶はほぼありませんでした。それも4才の時の記憶…。 3才時点でも2才の記憶はなかった。3才の時の記憶…。 2才以前の自分はがどんなだったかは、自分ではほぼ何も分からない。未知の自分…。 とにかく1、2年でもその時間はこの年齢の子供からしたら大きい。 2才と4才では2倍違うわけだし。全然違うのか。 いや全然違う。自分の“記憶”がその“全然違う”ということをまさに証明している。 2才と4才では… おそらく20才と40才の違いと同じくらいの違いがある。 そうだ。そういうことだ。 … ではそろそろ… ストーリー編だったところまでの内容をまた思い出してください… ストーリー編最後のあの時点に気持ちを戻して… さあ、ようやく…次のステージへ進みます。 長かった…… いくら酷いところであったとはいえ… 色々なことがあって… 思い出の量がもう計り知れないほどになっておりましたから… やはり切ない… 最初から読んでいた読者の方もまた、切ない想いでしょう… でも、まあこれで十分… ちょっと余計すぎるくらい書いたと思いますから… でもだからこそ… というのがある… あります…だから切ない…。 十分すぎます…が… まだまだです。気が遠くなるほどまだまだ。 これから新たな幼稚園生活が待っているのだから。 自分の“幼稚園”の思い出はまだまだ抱負……。 寂しがるのはまだ早いw 何が待ち受けていて、今後自分はどうなると思いますか? 自分のことですよ? … 推測できました? ここで、舞台が変わる…という、大きな変化が… さあどんな展開が… では後編へ……。 ネット上でここの幼稚園のことを話している人を見つけた。 http://mimizun.com/log/machi/kanto/1136986242/ スズキtなどが怒っている声が近隣住民にも聞こえていたのか? http://3rddiary.blog104.fc2.com/blog-entry-376.html ムーシャtのトランペット演奏? 記憶にない。。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=521446&id=23071690 以前は松戸の幼稚園にいた? http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/rail/1039055431/ なくなったのは2002年頃?
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