■ 【第三章:嫌らしさ、そして中途半端さ】 ■

                 

          

前章、長くなりすぎた。
限りなく長々と書いてしまった…。
記憶していることがこれほどあるということは、それだが波瀾万丈で、印象的なことが多かったということか…。
さて…
ナナムラtに守られていたからやっていけていた感じだったところ…
そのナナムラtとの縁が切れ…
兄達もいなくなり…
どうしてもだめになって休むようになり、休み癖がついて投げ出し気味になって、
ワーイtとも関わりたくなくて…行きにくくなってしまった…
そんな中、母がほかに「いいところがある」と、言って…
…
と、直前のあらすじはそんな感じで…
そこまででしたね。
ではその続き…。
…
そう言って…
パンフレットを見せてきたんです。
見知らぬ幼稚園のパンフレット。
それを見た…
馬の遊具に乗った子供が表紙に写っていた。
ウザったい感じして気に食わなかった…。
自分のいままで行っていたところがデフォという感じでしたから、ちょっと雰囲気の違うところは…何か、あれ。
どこもそれぞれ違って当たり前なのだが、そういうことをまだよく知らなくて…。
でも母がやけにそこを推し進めている感じだった…。
何か、母の友達の子供が行っていたことあって、その友達は満足で、おすすめなんだとかって…
そんな感じのことをその時、確か母が言っていた…。
それでうちの母もそこに目を向けた…みたいな感じだった。
というかそのパンフレットはその友達からもらったみたいな…
詳しくはよく分からないが…。
場所は…“祖母の家の方”なのだとか…。
そうも言っていた…。
その後も…
母は相変わらずそこをターゲットにしている感じだった…
数日後…
こっちの気持ちはどうあれ…
ついにそこを見学しに行った…。
休み時間…?みたいな時で…
園庭は大勢の見知らぬ園児達であふれ返っていた…。
そんな園庭にこそこそと入り込んだ。
だが…
気付かれ、ログハウスのそばのシーソーに乗って遊んでいた1人の園児が…
声をかけてきた。
「誰?」
人に対して…何か嫌らしい感じした…。
自分はいつもながら恥じらわしくてその、何も答えなず、代わりに親が答えた。
“友達になるかもしれない”的なことをその園児に伝えて、その園児は納得していた…。
でもやっぱり嫌らしかった…。
その後?園舎に入り、2階に上がった…。
廊下を左へ少し歩いたところで…こう言われた。
「ココ。モリサンクミ。」
確かそう言われそこの教室の様子を見せられた…。
このノリは、もしや…そんな…
そして…
また数日後くらいに…
本当に正式に、そのそこに転園し、かってにそっちに行くことにされた…。
悩んでいる暇はないので、今思うとそれでよかったか…。でも当時は…?
…
初日…
その組へ。
最初は皆自分に対して、“なぜいる?”的な感じだった…。こっちも自分自身に対してそんな感じで何か恥じらわしった…。
しかし、それは最初の最初だけであった…。
クラスメイトだということを理解して、そのうちわりとすぐに皆自分がいることを気にする人はいなくなった…。
そういうものか…。
名前を教えたりした記憶はない…。
ただ先生が“転入生”ということを伝えていた時の記憶はある…。
いままでのところのように、“強制”で何かさせられたりはしないところだった…。

(見知らぬ幼稚園)

                 

その最初の日は…特に印象的だったというわけではない…
が、体育があった。
それは覚えている。
園舎側のグランドの端の方に頭上が蔦の屋根?になっていて、下が砂場になっていて、
屋根を支える柱が登り棒になっている遊具?のようなものがあったのだが…
そこの登り棒に登るのに全員が挑戦していた…。
自分はまだ見学だった…。
ツチダkと同じように…。
やれない…というのもあってか…?
でも自分ができないということを何も伝えていなかったのだが…
“できない”ということを皆本当に分かっていたのか?疑問だ…。
でも“こんな感じの自分ができるはずもない”…
て思っていて、できないことが自然と分かってた…
というその可能性、高い…。
で…自分は少し離れたグランドの真ん中辺りから登り棒をやっているクラスの皆の様子を眺めていた…。
1番上まで登れる人はいなかった…。
のだが……
そのうち、1番上まで登り切った者が現れた…!
それはハヤタkだった…。
“行ける人もいるんじゃん”てな感じだった…。
先生が「凄い!」と、とにかく感激していた…。
それに影響されてか、自分も彼は強者なんだと思った…。
それから先生はこう言った。
「手、離してみて!」
ハヤタkはさりげなくしっかりと注文に答え、両手を離し、スッ…と、飛行機のように、両手をまっすぐに広げた…。
十字架のようでもあり、大空を舞う鳥のようでもあり、彼が本当にカッコいいと思った…。
“そうか、そうするか、そういうことか…”といった感じもし、彼が知的にも思えた…。
先生はそれから再び「凄ーい」と、言って、また本当に感激していた…
今度は先生はこう言った。
「下りれる?!」
下りれないなんてこともなく、彼はスムーズに無事下に下りてきた…。
“さすが”てな感じだった…。
皆もそう感じたことでしょう…。
で、そこまでで…
ハヤタkのほかにてっぺんまで上れた生徒はいなかった…。
…
カッコよかったが…
面識がない知らない園児みたいに見えて…
“そんなのがこんな…”と、ちょっとキザな感じもしたにはした…。
まあまだ入りたてなので、しかたない…。
彼はまさしく同じクラスの同級生だったのだが…。
ハヤタkがカッコいいと思った…がそれがむしろキザな感じもした…そんな記憶。これも思い出。
この日はもしかすると最初の日ではなかったかもしれない。その可能性も…。
でも最初だったとは思った。
やけに新鮮味があったし。

(上り棒の超人、ハヤタk!)

                 

こうして新生活が幕を開けた。
何という園かを言っておりませんでした…。
検索のキーワードとしてまたここで言っておきます。
「KG-FJ-No.2幼稚園」です。(やっぱり言わない)
FJ幼稚園と言われていましたが、本当はそういう名前だということは…
FB幼稚園がFB-ND幼稚園というのと同様に…
やはり当時からなんとなく分かっていた…。
ここで改めて言っておきますが、登場人物の名前は全て偽名です。
矛盾が生じない具合に上手く名を改変しています。
t=先生 k=君 c=ちゃん
FB幼稚園は…廊下とか床なんかが年期の入った木の床で…
ともかく…
実は何かずいぶん昔からあったかのような風貌のどちらかというと古臭い感じの幼稚園でした…。
しかし…
FJ幼稚園は真逆な感じだった…。
園舎などすべてが現代的な感じで…古臭いようなところなんて全く見当たらず…
ともかく新しい雰囲気の幼稚園であった…。
そう、一転して新しくてキレイなところだった…。
よく知らないが、「No.2」なので、新しいのかと思った…。
園舎は…
イメージ的には…どことなく、“未来の宇宙船”といった感じだった…。
本当にそれは単なる自分の印象。
でこっちは2階建てだったわけだが…
旧幼稚園(以後FB幼稚園のことを「旧幼稚園」と称す)には2階がなかったので…
“2階建て”なのが何か…新鮮だった…。
うちも平屋だったので…
「2階」というところに上がったことがあまりなく、2階建てなのは嬉しかった…。
そしてうちのクラスはその2階で、1日のほとんどを2階で過ごせていてよかった…。
祖母の家には2階があるのだが、2階があると面白かった…。
2階の廊下は外に面していて、半屋外で、その廊下に面して教室があった。
教室前付近の半屋外の廊下は、その教室のクラスの陣地みたいな感じになっていて…
そのクラスの生徒たちの領域のような感じになっていた…。
だから何か自分のクラス以外のクラスの教室前を通るのが嫌だった…。
でも隣のクラスはよく通る方とは反対方面の方で、その突き当たりの方だったので、前を通ることはほとんどなかったのが良かった…。
こちらのクラスの方で良かった…。
廊下の向かい側(外側)には長い洗面台?があったのだが…
陣地のようになっていた大きな要因は…それ。
水を使う時は教室を出てそこに寄るので…
1階の構造も同じ感じだった…。
ともかくそこの幼稚園が近代的だと思えた…。
園舎が園庭を包むようにL字型になっているのも味があった…。
階段の途中だったか…
ステンドグラス…?だったか何だったか忘れたが、何か印象的なものがあって…
そういうのがまた近代的で…何か不思議な印象だった…。何か不気味感も。
で…、バスで行っていたのだが…
遠いところだったので、FB幼稚園のように、家から徒歩圏のところまではバスが来ておらず、
バス亭まで車で行っていて、そこからバスに乗ってそこの園まで行っていた…。
そんなでも…それでもそこを選んだと…。
まあ…卒園というのがありますから…“それまで”、て分かっているのでね…。
そんなでも母はそこにした。
その辺りの件に関してはあとで徹底的wに話すので、とりあえずここまでにする…。
あと出席番号は変わらず…
背の順も変わらず…。
変わらず先頭だというのに、席は最後列でした。
途中編入だったので、後ろしか空いていなかったのか…?
後ろでも後ろの真ん中付近だったのですがね…?
でも以前の幼稚園の時も前だったり後ろだったりだった気が…。
月組の時は確実に後ろでした…。
あと…
旧幼稚園の時はナナムラt、ムーシャt、スズキt、ワーイtを始め、わりと色々な先生と関わっていたが…
自分はこっちでは…
主に関わる先生は1人だけだった。
もり3組の担任はフネクラt♀だったのだが…。
その先生以外の先生と関わることがほぼなかった…。
だから…フネクラtのことはここでは単に「先生」と言います。
先生=フネクラt。
それで通じるので。
今までに登場した「先生」というのも全てフネクラtです。
この章での最主要人物なので覚えておくこと。
イメージ、湧いてきましたか…?
それで…ここからがちょっと肝心な話になりますが…
そこは…こっちは特に納得していないながらかってにそこにされたわけです…。
気に食わないことが多かった…。
“元気が取り柄”のようなクラスで…
積極性のない自分としてはそれが嫌らしかった…。

(見知らぬ幼稚園)

                 

まず気になったのが…
「イェーイ!」
というの。
喜ぶ時にクラス皆でそれを一斉に言っていた…。
自分はそれを始めて聞いたので…
やけに奇妙な掛け声に感じた…。
まあ“喜んでいる”ということは分かり…
「ヤッター!」の英語版?みたいなものなんだ…とは理解した。
なぜ「ヤッター」ではないのか…?
いままではそれしか聞いたことがなかったので…
「イェーイ」では異様な感じがして…
ともかく「ヤッター」を「イェーイ」と言うのが気に食わなかった…。
それで自分は一緒にそれを言ったことはなかった。そんなふうに言うのは自分らしからない。
イェーイが謎めいたかけ声で、奇妙に感じた…
そしてウザったく嫌らしかった…そんな記憶。これも思い出。
本当によく言っていて…
「イェーイ」はもはや何か“合い言葉”のようだった…。

(謎めいたかけ声「イェーイ!」)

                 

あとは同級生の名前も変に感じてしばらく気に食わなかった…。
以前の同級生達とは違う名前だし…
当然だが…。
でもやっぱり…フルネームで全員覚えたあのメンバーでないとやっぱり何か“らしからない”感じだった…。
“本当の同級生はあのメンバー達”てな想いが抜けなかった…。
自分はそこの家族だが…どこか別の家族に紛れてしまっている…みたいな感覚。(例えです)そんな感じにばかり思えていた…。
普通に名前が変に感じた。
皆面識のない子供の名前みたいで…
それが自分の面識のある子供達の名前とは思いたくなかった…。
1番驚いたのがこの名前だ。

最初のころ…教室で…先生がとある生徒のことをこう呼んでいた…。
「コージィー君…」
?!
「コージィー」に「君」?
その時は…一体何なのか?と思った…。
何が?と思いますよね…?
コージィーって…「工事」としか受け止められなかった…。
工事現場の工事…。
「工事君」?って…
とても人の名前だとは思えず…何それ?という感じだった…。
もちろん同じクラスですから…そのうちそれが本当にそういう名前だと気付きます…。
で、気付いたら…
納得しました。
本当に名前がそういう名前なんだって…。
しかし「物凄い名前」だと思った…。
そんな変な名前の生徒が同じクラスなんて、また嫌らしい感じがした…。
オオ○○ハルマサkと同じような感覚で…。
というかそれって…実際のところは別に珍しいような名前ではなかったのだが…
その時は初めて聞いた名前だったのでね…。
初めてだとそんなと…。
コージィーkは名前のみでなく、(こう言っては悪いですが)容姿もまた嫌らしかった…。
横長な体型で坊主というマンガチックな感じで、目に付きやすかった…。
旧幼稚園の同級生にはそんなのはいなかったので…
また何か自分の同級生らしからない感じで、容姿も嫌らしかったと…。
あと普通にそういう見た目のキャラが好みではなかった。
コージィーkの名前に仰天した…
コージィーkが個人的にあまりその、
何というかその…好きではなかった…嫌らしかった(自分の感覚的に)…そんな記憶。これも思い出。

(工事君?!w)

                 

で…まだ触れていませんでしたが…
なんといっても1番気に食わなかったのが…何だと思いますか?
…
「園服」です。
園に着ていく服のこと。
旧幼稚園では私服で、通園、降園の時などだけあのメイド服的なものを上から着るだけでしたが…
こちらではだいたい全部を取り替えていた…。
だから着替えの時、その、裸体になるのだが…
それが嫌で…
そこが最大の鬼門だった…。
それなんです。
帰り際になると…皆教室や廊下にたわむれて…着替えるのだが…
皆の前で脱ぐのが嫌だった。見られたくなくて。
で着替えられないので、いつも着替えないでいた…。
もちろんそんなのは許されないので…
先生に忠告され、先生と着替えていた…。
先生がもう分かっていて、自分だけそうするようになっていった…。
最初は視線が途絶えるタイミングが難しくててこずっていたが…
そのうち一瞬で着替えるのに慣れていき(先生もコツをつかんだ)、割とスムーズにはなっていった…。
着替える時間が来てしまった時の嫌な感じは、心に残っている…。
もうすぐ帰れるので晴れやかな気持ちがありつつも嫌で、何ともいえない感じだったため、また印象的と…。
着替えに関する話はまだ続きますが、長いし、とりあえず一旦この辺で区切る…。
そういえば着替えていたのは帰る時だけだったと思ったが、来た時はどうしていたんだったか?

(最大の鬼門、着替え)

                 

あとそもそもです…。
園服自体が…
着るのが嫌だった。
自分が今まで…過去に着たことがなかったような服だったんです…。
だから落ち着かないし、自分らしからない感じだし…。
自分は形の決まったシンプルなTシャツ、トレーナー、オーバーしかだいたいほぼ着たことがなかった…。
あとなんと言っても…それを着ているのを以前からの知り合いの人(いままでの自分を知っている人)に、見られるのが嫌だった…。
自分があんな見慣れない格好をしていたら
「誰!?」「わっ!」
みたいに驚かれるかもしれませんから…。
まず見られたくないので、見られないようにしていた…。
しかし、見られてしまいますよね…そのうち。
“自分的には”しだいに慣れていって平気になっていき、別に気にしなくなっていったのだが…
それがあったのであれで、そこが問題だった…。
その辺に関してもまたあとで。
で…
それがどんな服だったかというと…
赤い兵隊のような服であった。
最初は着たくなかったが…着せられてしまった。
その園では全員それを着ていたので…
…
まあまずそれを着ないわけにはいかなかった…。
そっちでよく耳にした…「ベレー帽」という芸術家のような帽子もセットで…それも被らされていた…。
もしもだが、1人違う格好をしていたとしたら…見るに堪えないし、さすがに特別すぎだし、逆に浮いてしまう…。
それを考えたらね…。

(園服が大問題)

                 

あと「通園バッグ」という黄色いバッグを持っていっていたのだが…
そのバッグの持ち方が不思議だった…。
また何が不思議って…w
自分は当時バッグといったら…手で握るようなバッグ…それとリュックのようなものしか思い当たらなかった…。
だがその通園バックは…
肩にかけてクロスさせるような感じで、体に身につけるような形のバッグだった…。
クロスさせると体に密着するのが…
「どうしてなのか…?」
と、不思議であった…。
そもそもクロスの仕組みが分からなくて不思議だった…。
分からないながらすぐに自分でできるようになった。
“何でこれで?”と感じながらも簡単にできていたので、問題なかった。
それを「斜め掛け」と言うのを知ったのは最近だったり…。
園服を着たらそれを掛ける。という感じだった…。
通園バッグが不思議だった…
自分でできると気持ちよかった…そんな記憶。これも思い出。
あと通園バッグというと、黄色い表面のあのひんやりしたゴムっぽい感触が忘れられない…。

(通園バッグの不思議)

                 

気に食わないことが多かったわけですが…
母もその後、こっちの幼稚園をあまり気に入ってはいなかった。
人にはタイプがありますから…
“うちには少し合わない…”みたいなふうに解釈していた…。
何があれって…
母はここの幼稚園の“元気”に着目していて…
積極性のない自分には合わない…とそういった解釈で、あれだった…。
自分でも当時、嫌な要因は…と考えたら、まずそれだった。
「元気が取り柄のクラス」みたいなところ…。
それもですが、自分としてはほかにもあれこれ「気に食わない」点があったと…。
ほかの幼稚園も知っていて、ここは2か所目だったので、以前のところと“比較”してしまい、
何かに対する“良し悪し”を特定できてしまえて、不自然さがあった…。
“最初のところ”が1番印象が強くて古里のように思える思い出深いところになるものだし…。
そうでしょう。しかたがない。
思い出してください…。
3才編の時、言いました…
“自分のデフォは家族と過ごしていた3才のころだ”と…。
だから“自分の幼稚園”のデフォはFB幼稚園なのです…。
あらゆるものが気に食わなくて嫌らしく感じた。
違う学校の生徒達、違うクラスの生徒達、とかって…
よく知らなくて愛着がなくて見ていて嫌らしいでしょう…?
その仲間に自分が入れられたわけ…嫌らしい。(今ならそんなふうには思わないが)
でもです…
どんなところとも…
こうして自分は…ワーイtを初めとしたあの恐怖の人物達のいる常に安心してはいられない、
あの中から抜け出せ、無事解放されたわけです…。
救われたもの。
それを思って…
だからなんだ…
ここしかないんだ…
と…
…
解釈しておく…べきだった。
が、そう考えたことがなかった…。
そう深くは考えなかった。
以前め○○の件で言いましたが…
母も理論的なことなんて○が○くて考えられないので、
「行くことに意義がある」とか、「常識的に」とか、神を信じるような人だったので…その後何も触れないし…
転園の理由を知るような人は恐らくほかにはいなかったし、自分自身で気付かなくてはそんなこと、考えるよしもなかった…。
せっかくなので、もう少し理解して、こっちの園にも馴染んで、乗り気になっていればよかった…。
まあもう終わってしまったこと…。今になってどうこう言ってもしかたない。
こんな感じで過ごしておりました。
まあ馴染んだことは馴染んだし、嫌だったとかそんなほどではないのだが。
こう幅広く見渡すとなんです……。

(気に食わない幼稚園)

                 

うちのクラスは皆がその“元気”だったように思えたが…
中でも一際元気が有り余っていて、うるさかったのが…
ユウカンkだ。
最初バス内で翻弄された。
あと…引け目を取らないほどの元気さだったのがもう1人…。
サキエcだ。
この2人がムードメーカー的な雰囲気で…
“あの幼稚園”といったらまず、この2人のイメージだった。
いやいまだにそうだ…。
本当に印象的で、自分が入園してから真っ先に覚えたのがこの2人だった…。
イメージはこの2人…。
うるさいので、自分はこの2人が何か嫌であった…。
1番嫌だったのがこの2人。
母もこの2人の名前だけは覚えていて、問題だ…と、2人の存在には残念がっていた…。
2人に限らず、基本的にクラスみんなが…といった感じだったわけだが…
暗い雰囲気の生徒もいるにはいた。
それを母に一応教えたかった…。
そんな中だった。
母が名簿を見ていたのだが…
名簿を見て、名簿に載っている名前を1人1人言ってきて…
そのそれぞれに対して元気かと聞いてきた…。
普通…
普通…
普通…
普通…
普通…
普通…
…
あの2人以外全員を「普通」と言った…。
思ってみると、そうだったんです…。
ほかは普通と思えた…。
でもそれでは少し嘘っぽい感じしたので…
多少「元気」というのも取り入れたかったが、そうはいかずに終わった…。
それから母はこういったようなことを言った。
「この2人が抜きん出て目立ってるんだ…」
これでも本当に納得していた…。
しかし、そのうちすぐに母は、この時のことなんて忘れて、みんなが元気…て、また思うようになった。
忘れたのではなくて、信頼しなかった…という可能性の方が高いか。
家族で1番信頼度が低いのは自分だったし…。
3才編の時に言いましたが、いまだまだ小さいから…と、
かってにある意味脳なしかと思われている…そういう位置付けのあれのままでしたから…。
“いまだ”なんていうのはまだ早すぎ。
それに母は…
この目で見て、確かめたようなものしか確かには認めないといったこだわりもある人だったし…。
信頼していなかったから忘れた…とも考えられる…。
もり3組は元気だったが…
皆が元気というか…
ユウカンkとサキエcが、元気なんだということに気付かされた…と。そんな記憶。
「イェーイ」とか言うのがあるし、非常に元気な2人によって、全体が非常に元気に見えるのなら…
まあ“元気なところ”だとか言ってもそれは間違いではない。

(元気がいい?)

                 

ちなみにユウカンkは…
どうもイメージが…「○悟○」だった…。見た目的にどうも…。
とにかく活発で…
いつもこめかみから汗を垂れ流していた…。
もうイメージに汗が…。
毎日こめかみから汗を垂れ流すほどに、活発だったと…。
あとその名前…凄い名前だと思った。それが名前?!という感じ。コージィーkほどではないが。。
見合ってる感じだが変だと思い、嫌らしかった…。
この時は聞いたことがない名前だった。
今思うとごく普通の名前。。(実名はそう)
サキエcは…
どうもイメージが…「赤ず○○」だった…。見た目的にどうも…。
うるさくて嫌らしい上、やけにお節介な人物であった…。
ともかく…何かうちのクラスといったら、ムードメーカーなその2人!のイメージだった…。
でもその2人はうるさくて…嫌だった(自分の感覚的に)…そんな記憶。これも思い出。

(活発な、○悟○&赤ず○○)

そのほかにも気に食わなかったものはたくさんありますが…
少しずつ、話していくこととしますか…。
通園バックの件は別に気に食わなかったという話ではないですね…。
と…
本当に肝心な話はここから…
いままではここまでのふっ線…。
FB幼稚園編の時もちょっとあれな展開にもつれ込むまでの間が長くなってしまいましたが…
今回は何かさらにまたもったいぶってしまった…。
では…
自分は転入時、特別な存在だった。
ツチダkもそうだったし、最初は皆特別な存在であるもの…。
“いままではいなかった生徒”ですから…。
それは“自分”だけ。
3才編のころから今まで散々「特別な存在」とか何とか言ってきましたが…
自分は最初はこっちでの流れがはっきり分からないので、いつも先生と行動していた。
クラスの人達の波には乗っていかず、静まり返ったあと、あとから先生と移動先へ向かうようなことが多かった。
しかし…それがいつまでも続いた。
…それで定着したんです。
してしまったので、キャラを変える勇気がなく、そのままとなった…。
今まで散々「特別な存在」とか何とか言ってきたわけですが…
ここで自分は本当にその、“特別な存在”となった。
まず「特別」だ…と感じたのはこの時だった。

                 

朝、到着してバスから降りて…
園舎に入った…。
皆行ってしまい、自分は下駄箱の場所にいた。
この時は…先生に存在を忘れられていたのか…?誰も来なかった…が、まだ1人で行くような流れにはなっていなかったので…
1人で下駄箱で遊んでいた。
真ん中の細長く続く下駄箱の上を謎のバレリーナが駆け巡っている…
という遊びをしていた。
また、?…ですよね…
何と言うか…
人差指と中指を2本の足、中央の下駄箱の上をスケート台と見立てて…
スケート台の上を2本足で走りまくっていた…。
イメージ的には2本足の指のキャラはウザったいバレリーナだった…。
バレリーナはまっすぐに走っていって…
これ以上行けない崖の縁(下駄箱の端)のところに行き着くと、そのたびにターンします…。
ターンの時の勢い余る感じはリアルに再現される…。
勢いづいている時、肩足を上げ、滑って走行する華麗なテクニックも披露…。
普通に走って走行するより華麗だからといって、ずっとやっていればいいというものでもない…。
滑っていると勢いが落ちていくので長時間は無理だし、
やりすぎると飽きられてしまい、全体的に華麗に見られなくなり、逆に評価が下がってしまう…。
だからそのテクニックはたまに取り入れる感じで、ほどほどに…。
滑りながらのターン、このテクニックは必殺技だ…! 
…
そろそろ現実に返りましょうか…
…
…といった感じでマニアックに下駄箱の上を指で手を歩かせて遊んでいた…。


(↑謎のバレリーナ)

その様子は知らない先生に見られていた…。
しかし、他人からしたら何をやっているのか、何なのか、何が魅力なのか全く理解不能で、見えもしないようで…
凄いと思って…
どころか、誰も反応なしだった…。
確かにちゃんとそう見えているのに。こっちからしたら不思議だった…。
…
そのうち先生が来た。
このまま帰りまで…とはいかなかった。
ともかく1人取り残されてこんなところにいるなんて特別だった…。
“「特別」だからいいんだ”と、この時まず、特別を意識した…。
思ったが“下駄箱の上に手が悠々と届いていた”ということは下駄箱は低かったということだ…。
その後、教室に着いて…
教室のテーブルクロスの敷かれたロッカーの上でもあのバレリーナを走らせて少しまた遊んだ…。
家で指を高速で動かすのにハマっていた時だったので…そこからこんな案が自然と…といった感じだった。
あまりに高速で動かせるので、子供がこんなのありえないのでは…?と、例のまたあれで不安だった…。
お風呂上がりなんか、尋常でないほど高速で動かせた…。
暖まって血行がよくなったことで凄い力を発揮…
あとあれとかも…。
こんなとこにして、それはまあ…
早い話、先生が来ないから…じゃあ特別だから…と、特別を意識し、それを実感した…と。
それとか何かそんな記憶。これも思い出。
先生の方はこの時点辺りでは、自分に対してどれほど特別といった認識があったのか…?

(謎のバレリーナと見立てた遊び)

                 

もう言いましたが、着替えの時も自分だけあれ(その特別)でしたね…。
それだけではないんです。
あと…自分は旧幼稚園の時、ほぼ積極的に話をすることはありませんでしたが…
こっちでは増してあまり話せなくなった。
それは面識のないような人達の前で話せませんでしたから、その流れで…。定着を招いた。
でも“話さない”というわけではなかった。
凄く言いたいことや、何か発言を申し立てされた時などは話していた。
でもその程度だったので、その辺に対しても特別といった認識が持たれていたと思う…。

あとこれです…
旧幼稚園では“給食”があらゆるカギを握っていましたよね…?
こちらではどうだったかというと…
そこ注目点のはず…。
昼は…
“給食”でした。それだけ。
旧幼稚園ではお弁当と給食が交互でしたが…
その、毎日それ。
旧幼稚園で使っていたあの遊び材料ともなるお弁当用具一式は…
今後もう使われることはなかった。
ナフキンで縛る特技とかも披露できたのはあれまでだった…。
しかし、ここでの給食はそんな、たいして嫌でもなかった。
中身もそうですが何より怒られることがなかったし。
しかし…ここでは…
自分から給食に手をつけないでいた。
旧幼稚園の時は“自分の席に用意されたものは全部自分1人のためのまとまり”…といった認識により、
家での食事の時とは違い、園では自由に食せていた…
しかし、こっちでは最初食べるのが恥じらわしくて躊躇しているうちに家での食事の時と同じになってしまい…
そんなふうになってしまい、定着してしまった…。
定着してしまったことによって、そのままの状態でまた変わりにくくなってしまったと…。
そういう人だと思われてしまったらアウト。そこではそういう人である「フリ」をし続けないといけなくなる。
(このころいまだに家でも3才の時から変われないでいた…)
何か指定されるとそれに手をつける…といった感じだった。
家と同じ感じ…。
たとえば
「サカナ食べな」、「スープ飲みな」
などと、誰かが声かけしてくれると、それを食べる…。
といった感じだった…。
先生がなかなか手をつけないでいると、そう声掛けしてくれていた…。
少し特別めな転入生の自分を、先生はクラスの誰よりも気にしてくれていて…あまり長時間目を離さないようにしてくれていたので…
何とかなっていた。
…でもこっちでは旧幼稚園の時のように…
自分の意志で何もせず、何も食べないといった重度な特別な状態になるようなことはなかった。
その点、だいぶマシだったんです…。
代わりに、ちょっとこんなだったと…。
そういった感じだ…。
とりあえずこの辺で…

(狭間にいた自分。そのころの給食)

                 

そういう面で特別となった自分は特別だった…。
あとまだあまり大々的に言っておりませんでしたが…
ここには旧幼稚園との大きな違いが…
…
そんなでもなんでも…
“怒られなかった”のです…。
こっちでは絶対に怒られなかった。
旧幼稚園では、“怒られること”それを恐れながら過ごしていたので…非常に気楽であった…。
転入生だから特別だと認識して?ひいきしてくれていたのもあって?
いや、それはない…。
ほかの生徒も誰も怒られていませんでしたから。
○○○○しても怒られなかった時は感動した。
自分はフネクラtとしかほぼ関わらなかったのだが…
まず確実にそのほかにムーシャtやスズキt、ワーイtのような感じの先生は存在しなかった…。
あれは異常。
フネクラtは同じ優しい…
といっても、ナナムラtとは雰囲気がだいぶ…いやかなり違った。
優しいというか、面白いタイプでいつも明るく、それで怒らないような感じであった…。

(怒られなかった)

                 

…まあでも全く話さないというわけでもなかったし、自分で教室へ行ったりもしたし、
基本的にクラスに溶け込めていたので、「そんなでも」なかった。
“転入時のままの状態”で通したような感じですから…
何か中途半端な、特別度合い…
でも転入生だからといっていつまでも特別ムードではしょうがない…。あれだ…。
そのあれが自分だったわけですが…。
「特別」と言われたりするようなこともなかった。年齢的なものもあってか。決して「特別」と認定はされていなかった。
…
まあそんな状態で…
そんな毎日で…
特に何事もなく安定して過ごしていました。
中途半端にあれだった代わりに、特に強烈な出来事がなかった…といった感じ?
こう何か、打ち解け合って、安定していた…といった印象だ。
旧幼稚園の時は波瀾万丈でしたから、こう安静なる地へ抜け出してきた…ような印象だ…。
この頃は…言わば安定期。
大変…大変長くなりましたが…
基礎的なとこは以上です…。
もうイメージ、つかめましたよね…?
ここからはしばらくまた…あの思い出系統を挙げていく感じでいきたいと思います…。
でも…FB幼稚園編では一旦ざっと話して、それからいろいろ…といった流れでいきましたが…
FJ幼稚園の時は…
打って違ってまあそんなで…安定して過ごしていたので…
FB幼稚園編のような流れではなく、本編ではここからも……
なるべく時系列的に話していこうかと思います。
飽きずに飛ばさずに読んでいってください…。
FB幼稚園の時とは舞台が違うので、そこを意識して…。
自分の状態も違いましたから、そこの理解を深めるためにもね…。
(いや飛ばして結構。言っておきますが…恐ろしく長いです。以下はおまけだと思ってくれて良い)
恥ずかしいネタはほぼないし、書く側としても何か気楽…。
一段と考察に力を入れていきます。
この頃のことなら「まだ」話せるw
あとこっちでは兄がいなかったので…
こっちの幼稚園での記憶は「自分しか知らない自分の秘密」のような感じだ…。
秘密を覗き見るような感覚を持ってくれるとまたいいかも。
では…
…
入園して…少しずつ時が卒園へと向かっていきます…。
そんな中の日々…
それを描いてゆく……

…

…

                 

入園して少なくとも何日…
てころでした…
体育で外に出た…。
広い第二グランド?の方へ行ったのだが…
まだそっちへ行くのが新鮮な感じだった…。
鬼ごっこ?か何かそれっぽいのをやっていたのだが…
自分はまだ慣れていないからと見学だった…。
が、そのうち先生に促され、参加させられた…。
見学のままがよかったので…
多少のショックを受けた…。
慣れない場所だったのもあって、あまり楽しもうという気にはならなかった…。
自分もまた先生とグランドを動き回らせられた…。
そんな感じだった…。
こちらのグランドは広いと思った…
先生が嫌らしかった…そんな思い出。
道路(一般道)を挟んで道路の向かい側も園の敷地で、そちらのグランドの方が広かった。
だから体育は道路の先のそちらでやることがほとんどだった。
この構造…“こんなのありなのか?”“許されるのか?”と、どうも不自然に思っていた…。

(強制で参加させられた)

                 

最初のころ、教室で音楽があった。
こいのぼりの歌とやらを教わった。
???
そのこいのぼりの歌は…
旧幼稚園で教わったあれ…
かと思いきや、それではなかった。
完全に別物であった。
…
何かこっちの歌の方がリズミカルで明るくて…
こっちの幼稚園に見合っている元気な感じで、ウザったい感じだった…。
旧幼稚園で覚えたのは「屋…」というのだったのだが…
今回教わったのは「イ…」というのだった。
“本当のこいのぼりの歌”はこれではない…
という感じがして、増して気に食わなかった…。
歌詞もよく分からなかった。
以前覚えたのもそうだが…さらに謎めいた感じ。
旧幼稚園で教わったあの時は…あっちをやめる寸前くらいのころだったので…
まだ記憶に新しめで…
いっそう違和感が強めだった…。
…もし逆(旧幼稚園で教わったのがこれで、あれがこっちで教わった方)だったとしたら…
どうなっていたか分からない。
そういうもの。
“最初の”が自分の中ではデフォになる。
こういうこと、ありますか?
その歌をやるということは…この時は5月あたり。
入園して間もないころだったということはやはり事実でしょう。
こいのぼりの歌が気に食わなかった…
この幼稚園の世界間に見合っていた…嫌らしかった…そんな記憶。これも思い出。

(気に食わないが、見合ってた…こいのぼりの歌)

                 

これもかなり最初のころ、体育の時間…また鬼ごっこ(たぶん)をやった…。
この時は道路の内側(園舎側)の方のグランドでやっていた…。
自分はまた見学だった…。無理しないようにと…。
でまた園舎寄りの方から観覧していた…。
クラスの皆がたわむれていた…
が、気づくと人影がまばらになっていた…。
皆捕まっていなくなってしまっている…。
そしてそれからも少しずつ、人数が減っていった…。
まだ生き残っているのは…
数名…。
ふと気付くと…
“もう誰もいない?”いや、ルール的にそんなはずは…
…
あれは…
捕まっていない最後の1人が姿を現した!
…
「ハヤタk!」
…
それは…
あのハヤタkだった…。
いたんですね…
最後まで生き残ったのはハヤタk…。
ハヤタkっと聞いて…
w?!
自分は“面白い?”て思った…。
速い…
その時だった。
興奮しながら見ていた先生がこう言った。
「ハヤタkはほんとに速い!」
ww
それだ!…自分が言いたかったのは…。
自分が思ったちょうどいいタイミングで先生が言ってくれてスッキリした…。
そう、速いから捕まらなかった…。
その後、ほかの皆も釣られて「ハヤタk、ほんとに速い!」などと言い続けていた‥。
そんないいタイミングで体育終了…。
クラスの皆はハヤタkの話題で盛り上がりながら2階の教室へと帰っていった…。
うちのクラスにて
「ハヤタkはほんとに速い」
というギャグが生まれた…w
それは実は先生より先に自分が思い浮かんでいたギャグ…。
だが、それを知るものは自分のほかいない…。
誰にも言ったことはありませんでしたから。
と、ここでついに言ってしまったw
でももしあの時、自分がとっさに言っていたら…
“自分”の名言になっていたことだろう…。
惜しい…気もするがそうでもない。
自分はそんな脚光を浴びて目立ちたくなかったし…。
そもそもまず言う勇気なんて全然なかった。
正しいギャグかどうかの判定も微妙で、多少不安もあったし…。
しかし、この時は自分が参加させられることはなくて楽しかった。
見学の方が良かったんです。
ちなみにハヤタkの名前は…
この時、初めて知った。
実のところ以前、あの“ただ1人上り棒のてっぺんに行き着き、手を離した。”の話の時は、まだ名前を知りませんでした。
この時に、初めて彼の名前を知った…。
で、後々ハヤタkだった…て、分かった感じ。
自分の思ったギャグが好評で嬉しいと思った…。
でも自分のネタにはならなかった…
ものの、注目を浴びずには済んだ…
ハヤタkがまたもカッコよかった…そんな記憶。これも思い出。

(ハヤタkはほんとにハヤい!)

                 

また体育ネタだが…
ある日体育で外に出て…
広いグランドまでは行った…
が自分だけ少し離れたところにいた。
それでだが…
旧幼稚園の時のイメージからして、体育が嫌…
そもそも自分の幼稚園はここではない…
そういう感じしていたので…
そのままみんなの方へはいかないでいた…。行きたくもない。
それから…
“特別だから”…て思って、みんなのいる方へは“もう行かない”と決め…
あえて逆にクラスの集団の方から離れていった…。
自分はグランドに隣接する駐車場に足を踏み入れた。
ここは園の敷地内ではないような感じで…
“逃げ出した”ような気分だった…。
そして自分は車のすき間に隠れた。
もう誰もどこにいるか分からないだろう…。
もう1日このままで…と、このままずっっと誰にも見つからずに自分だけで自由に過ごし続けていようとした。そうすることを望んだ…。
もうあの見知らぬ団体の中にはいなくていい…
自分には自分の古里が…
ここにいる自分は何かアレンジのかかった自分…。
本当の自分ではない…
それを分かっている人はここにいる集団の中には誰1人いない…
みんなここで初めて知り合った人達だから…。
自分は今、園から抜け出しているので…今は本当の自分になれている…。
今はいままでの…いつもの自分だ…。
解放されていて実に清々しい…。
自由だ…気持ちいい…。
自分は…前々から“影当て”をしてみたかった。
午前中に3番でやっていた番組(木の中の部屋が舞台でそこでやりくりしていたやつ)で、影当てを見て…
あれをやれたら凄い…と思い、ぜひやってみたかった…。
で、何度もやってみようと試みていたのだが…上手い具合いに影が映るところがなくて、なかなか満足にやれなかった…。
それでやっぱり素人の自分なんかだと…
プロフェッショナルな人でないと…良いセットがないと…だめか…と、よく残念に思っていた…。
そんなだった…
今…この日は本当に、気持ちよく晴れていて…
コンクリートの地面に影ができていることに気がついた…。
“いけそうだ”と思った…
それで…
その、影当てをやってみた…。
チョウチョ…!
それなりにそれらしく…見える…?
見える。
いままでやったなかで1番いい感じにやれていると思った。それらしく見えている…
やれるんじゃん…ていった感じだった…テンション上がった。
チョウチョが印象的だったんです…。
あの時のあの番組のは、台の上に額に入った白紙?が置かれていて、
裏で影を当てて影当てをやっている…てな感じだった…。その1シーンが印象的だった。
途中から現れたチョウがとても本物らしくて迫力があって、それで印象的だった…。
チョウチョ以外に思い当たらず…
それしか持ちネタがなかった…
…
今度は旧幼稚園のクラスメイトの名前を言っていくあの遊びをやった。
“自分の地元はそっちだ”と、こっちの幼稚園を貶す…そんな生意気な意気込みを持ってやった。
アキヤサト○…
モモヤマ○○ジ…
オイカワ○○○キ…
クリノヤマ○○○コ…
ワ○○○カズシ…
○○ドートーマ…
○○ドーリホ○…
○○ドーカホ○…
ト○○カナエ…
ミズ○○マミ○…
ヤ○○マレ
オオ○○ハルマサ
ツチダ○○○…
…
…
まだ全員覚えていて、全員言い切れた。
…そのあっちのみんなのことなんてこっちの人達には知るよしもない!
自分には仲間達がこんなにいる。いいだろう!てな感じだった…。
…でも心の中でそんなことを言ったって誰にも伝わらない…。
余計なことは言えなかったので、そんなことなんかは持っての他…。
空しい感じする…て思うかもしれないが、こんなの慣れたもの…。日常茶飯事。
これは誰にも分からない自分の中での思い…。心の中での話…。
で…
今度は…
モモヤマkのモノマネをやってみた…。
…あのかかと歩きです。
ん?
自分を呼ぶ声が聞こえた…。
何やら先生達がようやくその“自分がいないこと”に気づいた模様…。
…この園の領域から逃げ出したんだ。見つけられないよ。
そう思って、車の影でかかと歩きを続けた…。
モモヤマk的な感じ…。
見つからない…
・・・
と思いきや…
何か意図も簡単に先生に見つけられてしまった…。
しっかりと隠れていて見えなかったはずなのに…
それにここは園外みたいな場所で…
園にいる生徒が普通立ち入るはずもないような場所なのになぜそう意図も簡単に見つけられた…?
もしやここにいたことをすでに…??
それはさておき…
先生は“園から逃げ出した…”
“隠れていたつもりだった…”
“もう戻るつもりはなかった…”
なんてことまず分かっていなかったみたいで…(たぶん)
自分を見つけてもいつもとなんら変わらぬノリだった…。
単に“こんなとこにいたんだ”的な感じ…。
怒ったりなんてまずする気なし…。
で…自分はかかと歩きをしていたところだったわけだが…
かかと歩きをしている自分を見て、まず先生はそこに反応した。
「かかと歩きできる。得意なんだ」とか何とか言った。
“違うこれはモモヤマkのモノマネ…”て言いたかったが、以前の幼稚園の友達の名前を挙げるのはあれだし、そんなことは言えなかった。
それから… それからなのですが… 先生は「タ○○○の特技見つけた!!」とか何とか言って得意げになって… 先生が皆に自分がかかと歩きが得意だということを伝えた…。 そののちに… 先生はこういうことを言った。 「かかと歩きレースしようか。」 ・・・ 本気? そして大きい声で大々的にまた言った… 「かかと歩きレースしよう!」 本気だった…。 いきなりそんな…“あり”なのか…? 先生が言うならね…。 なぜこんな… 展開にするか……。 嫌らしいとしか思いようがなかった…。 何せあのかかと歩きは… モモヤマkの真似であって… モモヤマkのネタであって… 自分の持ちネタではない…。そうはならない。 こんなモモヤマkの持ちネタで、モモヤマkのような地味な印象のネタが、自分の持ちネタだとは思われたくない…。 実際のところ自分の持ちネタではなくて、パッとしなくもあるし…。 こういうことをしているのはモモヤマk…。 自分があんな大柄な体型で、紫色のイメージで、地味な雰囲気のモモヤマkと同じなんて嫌だ…。 モモヤマkは好きでしたが、やっぱり自分自身が彼に…てなると…… それは違う。 で…先生はとにかく自分に期待を寄せていた…。 そしてかかと歩きレースを始めた。 こっちの皆は先生に言われるがままに一応やり始めた… 皆は道路側から船の方へ向かってかかとで歩いて競争していった…。 が、うまくできていない人が多かった…。(できないものだったのか。。) 自分はそんなで、参加する気はなく、嫌々ながら観戦していただけだった…。 もちろん先生に呼び出された。 「出番だ!お手本を見せてあげないと!」とかそんなことを言われた。 “だからこれは自分の特技じゃない…モモヤマkの特技… かってに持ちネタ扱いするんじゃない…。” 心で散々そう言っていたが、口に出しては一言も何も言えなかった…。 それでも自分はレースに参加しなかった。 自分の持ちネタ・特技かと思われてしまうので…もうかかと歩きをするのはやめた。 もうそれをやっている姿は見せないことにした。 先生は“何で?さっきやってたのに。何でもうやらないの”的な感じ丸出しだった…。 先生が分かっていないだけ…。 結局自分は参加しなかった。 先生は… きっと自分に嬉しい思い(楽しい思い)をさせたかったのだろう。 それで自分にできる何か(自分の特技)を見つけたかったのだ。おそらく。 自分があまりに貧弱な感じで…自分にできる何か?てのがなかなかなくて…(実はそんなことないのだが) それで何もできないので自信がつけられることがない…。 だからいつまでもこんななんだ…とそう解釈していた…。そうだろう。 それで何か1つでも“特技”とか、そういうものを見つけてあげて、それを皆でやらせて自分に… 自信を付けてもらいたかった… 楽しい思いをさせて、こっちの幼稚園に馴染んでほしかった… 嬉しい思いをさせて…こっちの幼稚園をもっと気に入ってほしかった… … そうだったのだと思う。 でも…その時、それに気づかなかった…。 今、この歳になって改めて思い返してみて…そうだったんだ…としみじみ思った。 あの時、その先生の想いに気づいていたら… 少しはその気になっていた…。 別にかかと歩きのイメージがモモヤマkなのは自分… それに少なくとも旧幼稚園の旧花組のみんなくらいだ…。 こっちの幼稚園のみんなからしたら、“かかと歩き”なんかまずモモヤマkではないし、地味なんて思わない…。 モモヤマkなんて誰も知らないのだから…。 モモヤマkを知らないとなると…子供である自分の持ちネタでも違和感ないような気もする…。 だから… 先生の言われるままにしてればよかった…。 今思うとそう思える… そのことに今気がついた…と…。 まあその後もそれを特技として引き継いでいかれては困る…かもしれないので、ほどほどに…。 園から逃げ出して家出(園出?)し、自分の特別さを改めて意識した… でも1人だと解放された感じで気分よくてわりと楽しかった…そんな記憶。 この時の自分は珍しく悪だった。。 + モモヤマkの持ちネタを自分の持ちネタかと思われて嫌だった…そんな記憶。これも思い出。 この話は長かった。。 1からスタート的な感じで見られるのがまた嫌らしかった。 5才にしてそんな… いや普通に考えたら5才がそんな様々なことを経験している人とは思わないか? 転園理由は聞いていたのか…? 引っ越しとかではなく、“転園に追いやられた”…ということを分かっていたら、ある意味問題児なことは伝わっているはず…。 分かっていたから最初から自分に対して特別意識ありげな感じだったのか? 転園とかの流れではなくて、もしかしたら…? (園から逃げ出し、開放された…) ちなみに体育の時は靴を履き替えずに… 上履きのままで外に出ていた?…ような気もするがどうだったか?                   これもわりと最初のころでした…。 野苺狩りをしに付近の原っぱへと出掛けた…。 バスで行っていたような…。
森の中に開けたような原っぱ…。そこには確かに野苺らしきものが。
地面に…草にまみれてあちこちに生えていた…。
これが野苺だということにはすぐに気がついた。
苺に似ていたからだ。
野苺と聞いた時、自分は苺をイメージしていた。
苺…のようだが苺とは少し違ったもの…。
そういったものだとかってに解釈していた。
苺…とは少し名前が違うので、もちろん同じものではない…そういった感じで…。
そう思うのは必然…。
想像した通りのものであったのですぐに見つかったと…。
でだ…
原っぱにサッカーゴール?があったのだが、その脇で何かを取ろうと地面に手をやった時…
鋭利な葉っぱ?か何かに運悪く触れてしまい…
確か右手の指から微妙に血が出てきた。
動揺してさすがに普段の感じになり、先生に見せようと先生を探した。
が、見当たらなかった…。
少し歩くとオバタリアン風のクラスメイトの人(名前は忘れた)がいたので、その人に傷を見せた。
オバタリアン風女子はそれを見ても案外平然としていた。
そして…
平然とこう言った。
「それ、ナメちゃいな」
……
それは…解決策にはならない…
その手当ての方法、一応聞いたことはあったが…
そんなことはしたことないし、血液を飲むなんて、怖くてとてもそんなことはできなかった…。
ナメる…ということは、それからそれを“飲む”ということ…。
もちろんナメなかった。それはできなかった。
せっかくだが…
残念ながら何も得ることはできなかった…。
この時は拍子抜けした。
その反応からしてこれはたいしたことない?て思ったが、そうでもない気もしてやはり…
少しするとようやく先生が姿を現した…。
そして先生に見せた。
先生もわりと平然とした反応だった…。
平然と絆創膏か何かを貼ってもらった。
… この時は自分の本当の一面が出てしまったわけだが… そんなのは3才の○○の時以来だったかもしれない。 園で…というのはこの時だけだったかも。 しかしこの時はオバタリアン風女子も、先生も、まだ自分の詳細をよく分かっていなかったために、あんな反応だったのか…? (血液を見て平然としていた。というのとは別に、本当の一面を表わにした自分を見て、それに対する反応のことを言っている) まあそこまで大胆な感じでもなかったし、他人から見たら分からないもののようだったので…どうか? このあと長靴を履いたような…いや記憶違いだったかも。 野苺というもの知った… そのそれをナメる…というのは自分的にはある意味あまりよくないと思っていたことで、 その行いを薦める人は嫌らしかった…そんな記憶。これも思い出。 しかし、それをナメるって… それって大丈夫なのか?と、今になって改めて思って、調べてみたのだが… 自分のならまず問題ない模様…。 あの女子は自分でナメちゃいなと指示していたので… 特に問題発言ではなかったということが分かった。 そういえば野苺を取ってそれをどうしたかは分からない。 (ナメちゃいな。)                   わりと最初のころだった。 先生とグランドに出た。 グランドには大勢生徒達が出てきていて皆で整列をしていた…。 で…自分もその大勢の園児達の中に突入させられていた…。 騒がしくて本当に嫌らしかった…。 これまで、ざわめきの輪の中に入らされたりすることなどなかったし…。 まだあまり慣れていないことも合間っていっそう…嫌らしい… 自分は同年代の皆とは違う。 そして、とある地点に皆と並んで立っているよう指示された…。 結構真ん中あたりで、また落ち着かなかった…。 しかし何が行われるのか…?? 何なのか?よく分からないので、“何でこんなことをさせるのか…?”と思い、それで嫌らしくもあった…。 で…そのまましばらく並んでいた…。 そこの位置に指定されて、そこで動かないでいるよう指示されていたので。 … 結局特に何も始まらず… そのまま整列終了となった。 そして皆がバラけてまたいっそう騒がしくなった。 そして少し待つとまた呼ばれ、そのまま教室に帰らされた。 もう帰っていいのはよかったが、なぜわざわざ並ばされたのかがよく分からなくて謎めいていた…。 でもそんなことはそんなには気にしなかった…。 トントン前とか、旧幼稚園ではよくわからずとも平然とやっていたし。。 しかしこの時はやけに大人数だった。 全園生徒が勢揃いか?と思える程…。 だから… ここまで大々的だったから… 多少とも疑問を持った…。 でもまだこっちの幼稚園のことをよく分かっていなかった… だから多少疑問に思う気持ちが和らいでいた…。 ともかく先生の指示に従うがままだった…。 そういう謎めいた思い…出いや、そんなではない。 どうやら… あの並んでいた時… 上空から見たら… 何か描かれていたようだった。 あの時… 園舎の2階だか屋上だかからいつのまにか撮影されていたようで… その写真を何かずいぶんしてからどこかで見た。 どこでどう見たかは記憶にないのだが。。 何が描かれていたんだったか…? FJ-No.2幼稚園のロゴだったか? そうだった気がする…。 こう疑問が晴れ、今更ながら納得した。 しかし…その写真を見るまでそんなこと、一切何も知らなかったわけです…。 あの時は何も知らずにいたわけです…。 先生は何も説明してくれていなかったわけです…。 なぜだったのか? 上空のこととか、説明してもあまり分からないとでも思ったか…? それとも分かりきってるとでも思っていたか…? 所詮幼児だからあまり深くは考えない… 増して自分はほとんど話さないので、別にそんなこと伝えなくたって特に何事もない… そう思って…というのもある? 話さない…のでは、逆に何か思っているかもしれなくて危ないかもしれないわけだが… そんなことは気楽に話しができる人からしたら分からないのだろう。 “何も思わないし、感じないから話さない”おそらくそういうふうに思ってしまうのだろう? こっちからしたら信じられないが。… 話さないというか話し出せない…ということ、分かっていても同じのよう…。 話せる人からしたら信じがたいからなのか?何なのか…? ともかく信じられない。 あとその地上絵を構成する一員?にされていたとか… それって何か嫌だった。 自分は何というかそんなのの一員といったようなイメージではなかった。 自分的に思う自分のイメージ…それは、赤い車や茶色い猫、それに家族といたあのころのイメージ… 幼稚園では巨大な船やキノコなどの遊具のあるちょっと古臭い園舎で旧花組のあの皆と過ごしていたあのイメージ… それだった。 兄でもいたら多少はそれっぽく感じていたことでしょうが…。 まあともかくあの幼稚園でやらされることは基本的に何でも気に食わない感じがした。 あの幼稚園でやらされることはあの幼稚園オリジナルのこと。 そういうのは何でもあの幼稚園のちょっと気に食わない世界観を感じてしまい、 その世界観がその何かにどうしても焼き付いてしまって、どうも気に食わなくなる。 そうだった。 園服による独特なイメージが非常に大きい…。 ともかく… 騒がしい園児達の中に突入させられて嫌だった…(同じ園児でありながら) 先生が何も伝えてくれていなかったことに後々苛立った… 自分がかってに人で描く絵?に参加させられていて嫌らしい感じもした…そんな思い出。 しかし知らず知らずのうちに撮影されているとは…。 (知らず知らず、上空から見ると、あれだった)                   自分の入園時… 体育では運動会練習もしていた。 途中編入ながら、これからは同じクラスの一員なので、 さすがに“運動会出ない”ということにはなりもせず、その時は参加させられていた。 ちゃんとまず自分のポジションを指定された。 そうされたのもあってのことか…? まず練習では何をやっていたかというと… ピラミッドをやっていたのだが… そんな上級生の学生?がやるようなものをやるなんて、気に食わなかった…。 それはそうとポジションですが… 自分は背の順1番前にも関わらず、1番下に指定された。 先生にかってにそこに指定されたんです。 普通、小さい人ほど上のはず。 途中編入だったからなのか…? 確か3段ピラミッドだったのだが… 2人分の重みに耐えないといけなかった…。 もちろんそんな超人的なことはできない(いや超人になるのでできてしまいたくない)…という感じだった…。 しかし、そのままやらされてしまった…。 そうしたら… 意外と背中の上に2人も乗っているとは思えないほど自分の体の、重みによる負担は軽い気がして… 実際のところわりと平気だった…。 練習は何度もやったが…何度目でも同じだった…。 “自分はやはり人間とは違う超人”みたいに思って… あえて若干演技して大変そうな雰囲気を見せていた…。 これが“楽”とは自分自身でもどうしても思いたくなかったので… 大変だと思おうとしていたのだが… そう思おうとする心により、そんなふうに感じるようなことは残念ながらなかった…。 楽なものは楽だった。 まあ1番下でもわりと大丈夫であったわけ。 またポジションに関してだが…“途中編入だから”ではなく、 1番下が1番“簡単なところ”だから。といった理由でそこにさせた。という説もありうるか…? 自分は1番あれなので、もちろん簡単なところ…。 だとしたら“下の人の負担はたいしたものではない”ということを予め先生は理解していたということか…。 そこがしんどい位置だとわかっていたらそう軽々と何の悪気もなく、あんなふうにその位置に指定させたりしないでしょうから…。 誰かの上に乗ったりせず、地面で縮こまるだけでいいのだから簡単と。 あと…、ピラミッドは全員がやるので、いくつかの団体に別れていたのだが… (それは3段では人数余る) 自分の指定された団体で逆に1番“上”に乗って立つ人に指定されていたのはメグcだった。 女子で1番小さいのが彼女だったのだが… やっぱり小さいからだ…て思って、嫌らしかった。 自分も少なくとも同じくらいの小ささではあったので、それなのになぜこっちは下どころか1番下… とメグcの方が小さいと思われているみたいで彼女が本当に嫌らしかった…。 1番下なのが“男子だから”という理由もあったような気がしてならず、そこがまた嫌らしかった。 前章で言いましたが、自分は1番優遇されていたいので、自分が1番年下っぽい雰囲気でいたかった…。 でも1番下は土台のところなので、バランス的に何人もいますが… 1番上は1人なので… 目だってしまうので、それはそれであれだとも思ってはいた。 それはそれ、これはこれであれ…。 当時“真ん中が1番”とも思った。 で… ピラミッドが終わるとそのあと…がまだあった。 そのあとは…
皆グランドに広がって…指定された位置についてそこで…
地面に仰向けで寝転ぶ。
そうさせられていた。
寝転んで、その状態で…
何だったか…
深呼吸?だったか何かをさせられていた…。
ちょっと何だったかはっきりとは覚えていなくてスッキリしないが…
ともかくそれは精神を安定させるリラクゼーション的な何かだった…。
なぜこんなのをやらされることになったのだろうか…?
しかし、この時になると…
ピラミッドの時とは一転して、グランドが静まり返って…
別世界(地球のパラレルワールドの同じ場所)に移ったような…
そんな感じの雰囲気になっていた…。
自分は園舎側の道路寄りの方にかってに先生に位置指定されて、そこで寝てやっていた。
端の方であったが、端ではなかったと思った。
なぜその位置に決められたかは…ピラミッドと違い、あまり検討つかない。
… そういえば旧幼稚園の運動会の時はそういうクラスの出し物というのはなかった。 練習をやっていたのは合同でやるバトンリレーくらい。 いきなり本番でも大丈夫なオーソドックスな競技ばかりだった感じ。 何か気に食わないと思ったら… そういう違いがあったと…。 以前とは違うとやはりあれ… ピラミッドで指定されたポジションが気に食わなかった… メグcが嫌らしかった…そんな運動会練習の思い出。 (ピラミッドのポジション、もしかして…)                   そして運動会本番… … 本番でそれらをやった時の記憶がない…w でも…やったかと。 本番、いたので。 記憶にないのは… 練習と同じ感じでやっていて、本番を特に特別だと意識して緊迫したりしなかったから… そう考えられる…。確かにそんなだった気もする。 旧幼稚園の時、市民ホールの舞台でやったお遊戯なんかも… 練習は散々記憶にあるのに本番中はほぼ“なし”でしたね…。 何なのか…? 練習は何度もやりましたが、本番は1度だけ。 なので…そこの違いも大きい? 運動会で覚えているのは…この時。 “大玉転がし競争?”のようなのが始まった。 それは… 先生の種目?的なものだった。 確か先生達のみでそれを行っていた。 旧幼稚園の運動会では親の種目的なものが(確か)あって、それが特別感あって良かった… ということでしたが、今回もこういうのは特別感あって良かった感じと…。 で… 先生達は巨大な玉を転がしながらグランドを一周していっていたのだが… とある先生が、確か一周になる手前のあたりで… 転がるボールに巻き込まれて…ボールとともに一回転した。 “こういうことありえそう…”て思っていたら、本当にそのまんまなことが。。 そう、何か自分が密かに思い描いていた通りのアクションを見せてくれた…。 それはよかったが… 結構な過激さであった。 自分だったら一溜まりもなかったでしょう…。 でも観戦者達は皆面白がっている感だった…。 で、それのインパクトが強かったのは自分だけではなかったようで… その運動会での1番の話題が普通に“それ”のような感じとなっていた…。 それでか… それ以外のことを… … 特に何も覚えていない……。 旧幼稚園の運動会の記憶が断片的な感じではあるが、ほぼ1日を覚えてたのに対してこれ… ですから…。 期待外れ感があったのでは…。 比較するものができたのでね… 2か所目のここの幼稚園自体が気に食わないように… こう2度目のものは気に食わなくなると…。 上手くいい例えになったか…? あと強いて言うなら… 運動会はより広い、道路の向かい側の方のグランドで行っていたこと… トラックのようにしてあったグランドの真ん中あたりから主に観戦していたこと、 それにトラックのスタート・ゴールとなる中継点が園舎の横側の方面?にあったこと… なんかを覚えている。 そんなの…それがどうした?という感じか…。 しかしなぜまた旧幼稚園の運動会の時とここまで大きな差がついたのか…? 何となく気に食わないところだったから… 安定して過ごしていた時?で、この時も特に過激な出来事はなかったから(ボールで回転以外)… 2度目だったから… 自分が成長したから… などの理由が挙げられる。 確かに旧幼稚園の運動会の時は人生初めて人を泣かせたり… 事務室連行され、怖い想いをしたりと過激なことが多かった。 何でもない場面もあれだけ覚えているわけだが…? あと旧幼稚園では運動会を連想させるようなイベントはほかにもあったわけだ… まあそれはさておき… やはり何度も練習してきたピラミッドをやった記憶が本番の記憶にないのが寂しい…。 自分はこのトラブルの発生をまた予測していた…。 予測というのとは少し違うか…? あの場にいた大勢の人々の中で…1番あのトラブルに対しての何と言うか持ちネタ感?があるのは自分…? 確認してみたかった…見てみたかったアクションをすぐに実際に見れてすっきりした…面白かった… また何となく違った雰囲気の日である運動会を経験できてよかった…そんな思い出。 (思い描いた通りのアクション)                   ここで少々一息…。 以前「幼稚園のバス停まで車で行っている」と言いましたが… まだ言っていませんでしたが、そこがまた大きなポイントだった。肝なところです。 その辺に関して。 旧幼稚園の時は兄と行き先が同じだったので、兄とともに家を出て、同じ4コースのバスに乗っていっていた…。 しかし、兄とは行き先が変わったので…(お互い全く違う場所) 家を出る時間にもズレが。 兄の方がいつも先だった。先に出ていた。 朝はいつもテレビがつけられていて…いつも3番にしてあったのだが… (3番で兄が好きなのがやっていた) それで… 兄が行ったあともまだ少しの間、自分はいたので… そのあとの兄の見れないところを見れていた…。 自分が出る間際あたり?に何か3DCGの映像作品?が一時毎日のように流されていたのだが… それが凄いと思って、かなり魅了され、見るようにしていた…。
確か小船が川を進んでいって…
洞窟を抜ける…
そういう映像だった…。
生き物なんかは登場せず、しんみりした雰囲気で…どことなく今でいう星の世界チックで不思議な感じだった…。
ああいうリアルな立体映像が好きだったのだが… それも去ることながら、“映像の内容”も何気によかったと…。 リアルさに気を惹かれ、当時はそこをそんな気にして(分かって)いなかった…。 人は登場せず、景色だけの方が良い…。 親も自分が魅了されていることに、何となく気づいてか… あの映像に何か特別な感情を抱くようになった…。 で、“あのあと面白いのが…”と、兄にその映像のことを教えたのだが… そうしたら兄は“見てみたい”と、自分のことをうらやましがった…。 兄も自分とは対関係的な意識があり… こっちだけ…となると、ずるい、反則。といった想いが湧き上がってきてしまう模様…。 友達の家を知っている兄がずるい…などという話が前章でありましたが… そんなふうにこっちもよくそういう事情で兄がずるい…てなっていたので… 同じだった…。 関係的に当然だが。 で…そのうち兄もいた日があって…
その時についに兄も一緒に観賞した。
“これか”と、兄も見入ってくれ… 兄もあの映像が凄いと思ったようで、自分が凄いと思うその気持ちに共感していた。 そういうものだったと…。 (3D映像なんてあまり見なかったので凄いと思うのは当然) 兄が見ている…というのは何か変な感覚だった。 自分の発見したネタ的なものを自分以外の人物が見ているというのは… 共感してくれていたというのは… 権力の薄いこっちとしては…非常に新鮮な感覚だった…。 この新鮮さは、立場的に兄には分からない新鮮さだ…。 自分好みの3D映像が流されていた… とても魅了された… 兄にも見てもらえ、共感してもらえて良かった…そんな思い出。 あの3D映像、また見てみたい……。 (自分のネタ、3D映像)                   あとこのころ、同じ3番で一時毎日のように流されていたアニメ?があった…。 毎日まったく同じ内容であったと思った。 どんなのだったかというと… まず少女が朝、家を出てどこかへ向かう。
沼地に差し掛かる。そこを越えないと先へは進めない。
そのまま沼地上を歩いたら靴がドロドロになるのでそうならないようにするために
沼地上にたまたま持っていたパンを置く。(もったいない)
パンを足場にして沼地を歩こうとする。(…)がパンを踏み付けた瞬間、
少女は沼地の中に吸い込まれていき!どこまでも落下していく…。
思いのほか、深い沼だったのか…?
もはや沼ではなく、異空間のような場所を落下し続け…
やがては深い地中の底の洞窟のような場所に来てしまう。
そこは「地獄」とのこと。
シナリオ上、沼に落ちたから…ではなくて罪を犯した(食べ物を粗末した)からそこに来てしまった…みたいな感じだった。
でも自分はそうではないと思った。
これは単に地の底まで通じるほど沼が深かったのだろう…と、そう思った。
でそこ(地獄)には悪そうな猛獣達が集っていた。
同じく罪を犯したやつら?
少女はやつらと話をする…
と、この辺までしか見たことがなかった。。 結構長い。いつも途中で家を出る時間になってしまい、残念ながら最後まで見れたことはなかった…。 家を出るのが遅くなり、見たことがないところまで見れると新鮮な感じがしたもの。 落下のシーンで流れる短いOPの歌は度々親が歌ったりしていた。 本当にこうしたらこうなるのではないか?と思ってしまって、当時怖かった。 そのそれを踏んでしまったことはいまだにない。 当時信じていたのでいまだに何か怖い。 パンを踏みつけるアニメを見ていた… パンがもったいないと思っていた…もし踏んでしまったら?と思うと怖かった…そんな記憶。これも思い出。 毎朝同じ内容のアニメを放送していた…なんてことはないような気がするので、それは記憶違いか勘違いだったという可能性もある。 …思ってみるとこのアニメ、当時思っていた以上に怖かったのではないか?と思う。 気になるので…また見てみたい。 最後まで見たことがなかったのでそこのところもいまだ気になっている。 (パンの恐怖)                   0~9の数字で1番好きなのは… 「6」だった。 何か6の見栄えがカッコいい感じしていた…。 もともと何か…。どうしてか。 で… このころ一時、朝にやっていた○○○○キの番組内で、 数字の1~9が順番に場面が切り替わって映し出される。というの?が毎日のように流されていた。 それぞれの数字が個性的?だった…。 数字があちこちに出没したり、出現したり、ポーズをとっていたり……。 説明しにくい。。 1→2→3→4→5…と来て、「6」の番… 6のアクションが圧倒的にカッコよかった…。 ウエスタン風味の工場のようなところで、勢いよく回され、高速でスピンしてる…ていうようなアクションだった…。 これが1番。 さすが6。 天狗だった…。 6のカッコよさを存分に知らしめられそうでもあるし…。 ともかく、6がよりいっそう好きになった…。 このコーナーの映像をきっかけに好きになったのではない。 前々から好きだった。だから天狗。 これが流れていたのも兄が出ていったあとだったような印象…。 これも良かったが…でもやはり本当に好きなのはあのCGの不思議な映像だった…。 まあそれとこれはあまり比較対照にはならない。 6のつく年齢が気になったりしたりもした…。 6…は兄あたりだが… 6の次は16… 果てしなく先だ…。 今とは違う未来…。。 6がカッコよくて好きで… この映像により、より本格的に好きになった…そんな朝の思い出。 しかし6という数字は何かカッコいい。 (6がカッコいい!)                   着替えの時、園服の下に着る体操着(だったか?)がチャックのある服だったのだが… チャックの服を自ら着たことは過去になく、 体操着がそういう服だというところも自分らしからなくて何か気に食わないような気がしていた…。 まあ新鮮だった。 それで… 自分で着させられた時、母に初めてチャックの閉め方を教わった。 やってみたが… 意図も簡単に閉められた。 なぜこれで閉まるのか?不思議だ…と思いつつも、簡単だった。 またなぜ、今までやらせなかったのか…? もちろんのこと、誉められた。(難しいのでできないと思われていた模様) その後も、自分でやらせてくれるようになったが、躊躇したことなんかは1度もなかった…。 朝園服着るたび、「チャックうまい。」と、よく誉められていた…。 また何ともなくできていたわけだが…。 あの歳だとたかがそんなことでも誉められるのですから… “幸せ”だった。 お弁当箱結び、縄跳び結び、ヤクルトのフタを剥き、折り紙の鎖繋げなんかでも誉められたわけ…。 今となんら変わりなくできていたわけですから…大人となんら変わりなくできていたということ。 今と変わりないのに今だと…過去の自分、ひいきされていた。みたいな感じがする。 園服のチャックで誉められていた… チャックは不思議だった…そんな記憶。これも思い出。 小学生になって、何年もしてから…ふと親が「チャック上手だった」とか言い出した時は何かとても懐かしく思えた…。 (簡単だったチャック) で… 園服を着たら次はあの通園バックの件…w もう話したので省略。 … そのあとです…。 家を出る前に楽…とこの話は保留にしておく。。 あと出る前に○行とかもしていたので、家を出る時にはわりと目がさえていた…。                   園に行く前… その…排尿をしてはいけなかった…。 それも毎日。 疑問?ですよね…。 わけがあります。 なぜかというと…? 答えです。 うちの隣の家?は病院なわけですが… “隣だから”って… “検査を要求”されていた…。 尿検査。 朝の最初のでないとだめだった…。 それで、毎朝尿検査のため、隣の病院に行かされていた…。 でもこの病院、凄かった…。 外観がモダンで凄いのは見てわかっていたが… 内部もまた凄かったのだw 待合室の真ん中に… 空まで吹き抜け?の中庭があった…。 中庭は砂利で敷き詰められていて、真ん中に何か銅像が立っていたと思った…。 裸の人の銅像。だったか…? ともかくこの病院、“豪華”で…その辺を眺めているだけで面白かった…。 立派で豪華な家…。 これこそ、見るに“お金持ちの家”…。 自分の言う、その、「お金持ちの家」…。だった…。 検査は面倒だが、こういう場所だからそれで多少マシだった…。 こういう場所だから、そこの待合室で待っているのは暇ではなかった…。 中庭に面する壁?はガラス張りで中庭が屋内にあるかのように見えていた。 そしてそのガラス張りの壁を取り囲むようにソファのようなイスが配置されていた…。 あの中庭に足を踏み入れてみたかった…。 ゲームの“見えるだけでいけない場所”に行ってみたい。と思うのと同じ感覚。であった…。 でも目立つ。そこにいたら。 あとこの中庭、本当に縦に長い筒上の中庭?だった…。床面積はそれほど占めていなかった感じ。 筒上の中庭というのも珍しくて凄い…。 病院の家は、2階建て。といっても、3階建てに近いくらいの高さがあったので高さもある中庭…。 しかし外側から見たら、この家の中にまさかこんな中庭があるなんて想像もできないので… 中庭の存在は普通に“驚き”だったと思う…。 建物を周りから見渡す限り、まさかあの内部に“屋外”が存在するなんて思いもしない…w 上空から見ればわかるのでしょうが… 上空から見る方法などない。。 こんなふうに“上”以外、完全に密閉された中庭?がある(真ん中に穴が開いている)家なんて“あり”なのですね…。 そこも興味深いところ。であった…。 ともかく、立派で凄かったと。 でもこの吹き抜けの中庭は、単に見栄えをよくするためだけのもの…。 母は「敷地がもったいない」と言っていた。 “敷地を無駄使いしてるからもったいない”と…。 “デザインとかそれがどうした”とか思う人には、そうとしか思えないのですね。 確かに機能的な面はほぼない…。 でも見栄えは相当よくなると…。 相当に……。 病院。キレイで豪華な建物。といっても、それほど病院っぽい風貌ではないところでした…。 だから隣でも気楽だったわけだ…。 で… 紙コップをもらい、病院内のトイレ内で採取していた。 トイレは中庭の後ろ左寄りの方にあった。 そこに(そのトイレの個室に)行っていたと…。 診察室にも行くことがあった。 診察室は玄関から見て手前左側の部屋だった…。 診察室にいたあの人物がここの“主”だったのか…? しかしなぜ毎日尿検査なんか…? 隣だから…にしても、そんな理由で毎朝やらせられるとか、やはり今思ってみても普通そんなのないように思う…。 兄はやっていなかったし。 こっちの要望ではなく、病院側の要望。のようなことを母は言っていた…。 それで面倒がっていた…。 …もしや何か実験や研究に使われていた… とかありえる?? 何なのか……? “病院から要求される”って…? 健康チェックにしても、毎日というのはおかしい気が。 何のために…? 謎。やはり。 … とりあえず習慣のような感じになっていた…。 もっと詳しいことが知りたかった…当時から。 でもこれを忘れてしまって、朝家で済ませてしまい、アウトになってしまう日もあった…。 平日毎朝… だったと思ったが…過酷すぎるので、毎朝ではなかったかもしれない…。 でも「毎日…」と、親が言っていた覚えも…。 やっぱり、毎朝? 病院が隣だからとなぜか、毎朝尿検査をさせられていた… 病院の中がお“金持ち”っぽくて凄かった…そんな思い出。 子供がいると雰囲気、違いますよね? 自分はいつも朝に病院に現れ、院内の雰囲気を変えていたのだろうか…? 子供っているだけで(来てくれただけで)なぜか嬉しい。見知らぬ子供でも何でも。 大人になってみてよくわかった。 本当にそう感じる。 実際に子供のころはそれに気づかない。というのが残念…。 気づいている子供がいたとしたら奇妙?なもの…。 (毎朝の謎の尿検査)                   毎朝の尿検査… これを、いつも忘れてしまい、朝家で済ませてしまってアウトになってしまう日もあった… と言いましたが、そのうちアウトでも平気…なんて思うようになってきてか、 安心して忘れてしまい、ほとんど家でしてしまうようになっていた…。 別に毎日やることもないでしょう。よく知らないが。 自分は必ず忘れて?いた。 親にそうさせられているだけだし…。 親が忘れているとアウトと。 … そんなある朝のことだった…。 毎度のことながら、尿検査の件を忘れていた…。 それで、家のトイレに入った。 それからすぐのことだった… 「今日隣でやるんだったまだだめ」だとか言う声が聞こえた。 もう○○○○っていた…のだが、そう聞いて自分は○中で○めた。 ○○るもの…。 少しだったので○○○に出た。 入ってからの時間から推測してか、 何も言わずとも、母は“もう○○○いたながら○めた”ということをわかっていて「凄い」と感心していた…。 称えていた…w 前々から「○○○○○中で○○るこ○、できる?できない?」とかいう話、していた気がした… それでこのことに少し愛着?があり、注目度や理解がより高まってた…ような感じでもあった…。 それから… 隣の病院に行った。 それでそっちのトイレに入った。 で、「止めた分の○○…」だとか言って、残りを紙コップに… まだ必要最低限くらいは○○ていた…。 そう、これは止めた分の○○。紛れもなくその“○○○分の残り”であった…。 そう、できるのだ。○○はこれが。 これを○露できて“自慢げ”な感じだった…。 そういうのもあった…。 認められた。… こんな感じでこの日はセーフだった…。 そういう話。 ○を○中で○め、別のところで○きを○す…というこの技、“凄い”と称賛された… 間一髪セーフだった… これを披○できて○が○かった… “これが本当に○○る”と認められて、よかった…そんな思い出。。 “○○○”と気持ち的にすっきりしないが、できなくはない…。 (○○○○。分割して○○る)                   ようやくそのあとの話…。 車での話。ここからの話をメインにしようとしていたつもりが、ここまでに行き着くまでが非常に長くなってしまった…。 … 車はバスとは違うので、待ち時間などはない…すぐに発車。 バス停までがまた遠かった。 旧幼稚園まで直接行く距離よりの1.5倍程。 旧幼稚園のバス停の天沼公園とは反対方向へ行っていた。 そのため旧幼稚園のバス停でたむろしている人達を目撃したり、逆にこちらが目撃されるようなことはなかった。 やめた理由があれで、遭遇してしまうわけにはいかなかったので、助かっていたと…。 商店街的なところを少し進み、大通りへ出ると…だいたいKZkの実家のある裏道に入ってショートカットしていた。 (裏道の入口。←の建物は当時パン屋だった。パン屋だった面影がない…) のちに、その裏道にそちら側から入るのは交通違反かもしれない…と気づき、そこを車で通ることはなくなったので… このころは貴重だった。 そんなこと、知るよしもなかったが。 まあそこは通らずに回っていってもたいして大回りでもない。 そのあと新船橋駅の目の前を通っていたのだが、駅の存在には気づかないでいた。 毎日行き帰りに2度も通っていながら“気づかない”とはなかなかのものであった…。 まあ工場に囲まれていて駅前らしいところはなかったので分かりにくいと言えば分かりにくかったが。 その後線路沿いを行き塚田を過ぎ、祖母の家へ向かう感覚で進んでいって、 あの赤い車で登れなくて後ろに戻ってしまった坂道も毎日通っていた。 この時からしたら3才の時なんてたったの2年前ですが、この時点でもう“ずっと前”のような感覚だった。 4才の時にあれだけ色々ありましたし…。 今から見てもずっと前で、この時からしてもずっと前…。 それから、また線路沿いをまっすぐに進んでいき、突き当たりを左折。 道なりに少し行き、右折して裏に入る…と。 そこが終着点でそこの裏道の崖沿いなどに車を止めていた。 その付近に幼稚園のバス停があった。 (バス停までの道則)                   そのうち… その裏に入るところの角に… 何かその非常に… 非常に… 「奇妙」なものが存在していたことに気がついた…。 あれは… その… 本当に…
奇妙であった…。
… 曲がり角のところの崖は中途半端に切り開いた林のようになっていたのだが… その林の中に… … 地面から少し離れている木が…! 地面に接していない。。 その木は空中に浮いていた!!
そんな、馬鹿な。。
そこを通るたびに、毎回その木をチェックするようになった。 “見間違いじゃないのか?”と思って、本当に空中に浮いているかどうかを確かめるため、浮いていることを証明させるために…。 その木を見るの(そこを通るの)もまた、毎日の楽しみとなっていた。 車なので、立ち止まってじっくり見るようなことはできず、 すぐに通り過ぎてしまうので、チャンスは接近してから離れるまでの限られた時間だった。 最初はその例の木がどの木だか分からず、見過ごしてしまうことが多かった。 見過ごすたびに、…幻だった? と、あせる気持ちが過ぎっていた…。 でも、その後も確かにその木の存在は確認できることもあった。 …そのうち、存在をほぼ必ず確認できるようになっていった。 だいたいの位置を覚えたんです。 幻ではないことが分かり、安心したもの。 確かにあの木は…何度見ても空中に浮いていた…。
どこからどう見ても、宙に浮いていた…。
いつのまにかその木を「空中に浮いてる木」と呼んでいた…。 … では、なぜ浮いているのか? 今度はその調査に入った。 分からないままでも謎めいていてよかったが、浮いている理論?がないはずはない… 種や仕掛けがないはずはない…。 そのうち……何となく分かってきてしまった…。 隣接する木々の枝に支えられて空中に浮いているようだった。 木々の枝に、木が引っかかっていた感じ…。そう見えた。 でも超上現象ではなくても十分に迫力があり、見応えがあった。 想像してみても分かるでしょう。 その空中に浮いてる木は、普通の大きな木で、隣接する木々と、大きさなど見た目は何も変わりなく、 地面と根本の間に少し空間が開いていること以外、周辺木々と何も変わりない感じだった。 その木の存在に気づいている人がそもそも少なそうだったところが何かもったいない感じした。 いや、今思うと、自分だけのネタ的な感じがして、いい気もする…。 その木は大通り沿いから見えた…わけですが、それでも気づきにくかった。 それほど地面に乗っていないこと以外、自然な感じだった…。 とにかくこの木に夢中になっていた。 そこに差し掛かった時、母に「木が空中に浮いてる」と、いつも言っていたが、なかなか気づいてはくれなかった。 がそのうちいつのまにか気づいていたみたいで、何となく空中に浮いていること、自分の言っていることが分かるようになっていた。 浮いてる仕組みもさりげなく分かっていたみたいな…。 興味がないからそんなだった?よく分からない…。 兄にも見せたかった。 で、家から祖母の家に行く時にもそこを通ることがあったのだが、その時には兄もいて、兄にも見せられた。 散々言っていたのだが、でも兄は空中に浮いてることが分かっていたのかどうかよく分からない感じだった…。 ごまかしてるみたいな感じで、驚きのリアクションがなかった。 やはり気づきにくい模様。 そこを毎日通っていながら、自分もしばらくは気づかなかったわけだし、母も気づかないでいた。 兄もだろうが、期待外れかと思われていそうで、こっちとしても残念な感じだった…。 分かっていた。という可能性もなくはない。 … しかし、思ってみると“少しの間しか見れなかった”というところがむしろ良かった。 それにより、なかなか調査を終えられず、長期間調査を続けられて印象深くなったわけだ。 ずっと夢中になっていられた。 存在している時と、存在していない時があって…奇妙で不思議な感じがしていた…。 “不安”を感じたり、“安心感”を感じたり…スリルが感情を高ぶらせてくれて、よかった。 通園時に車で通る場所に、不思議な“空中に浮いてる木”があった… 奇妙で面白いネタを見つけられて良かった… 他人も分かってくれて(母だけだが)よかった…そんな思い出。 中途半端に切り開いた感じの場所…と言いましたが、“開拓しかけ”のような場所だったのか? 切ったまま放置されていた感じか? それにしても、根本だけ切って放置されてるって…? でも真下の地面に切りカブのようなものはなかった…。 浮いていることに誰も気づいていなかったからそのまま放置されたのだろう…。 それでなぜあの状態になったのか…? あの木は…根本だけ切ったというのではなくて、切った木を運んでいる時に、木の枝に引っかかって、取り残された木か何かだった… という説が有力か? いや、切り倒したが、そのままにされ、枝に引っ掛かったまま取れなくなって、放置されたか…? 引っ掛かったことで倒れず、再び水平になったので、切られたことが分からりにくくなって見捨てられたか…? それらの説の方が現実的なので、有力か。 何にしても落下して危なそうだった。 危なそうだったながら… 何年もあのままにされていたわけ…(その後何年もあのままだった) そんなに放置されているなんて… 疑問…。 そもそもは中途半端に開拓された状態のままそこを放置していたのが疑問か…。 でもあれは“明らかにそれらの説がそう”という感じではなかったので…
本当に超上現象だった…とも思えるわけ…
不思議で…奇妙で、面白いものだった…。 そして…なくなっていた時は切なかった…。思い出深くなっていたので… 見るのが通園時の楽しみだったのですから… そんな「空中に浮いてる木」。「空中に浮いてた木」。 (↑空中に浮いてる木があった場所。いつの間にか宅地化されている…。信号のところを右折すると崖沿いの裏道。) (空中に浮いてる木)                   その木のところの角を曲がると、バス亭付近。 そこのバス停が1番近いバス停だったのか…? おそらくそうでしょう。 そこまでが車で行くほどの距離だが、車で直接、園まで行ってしまわずに、そこまでにしていたと。 バス停で待つ時間があったわけ… だがそこからもさらにまだだいぶ距離があったので、その方が多少は楽だったか。 最初、車を止める場所に悩んでいた。 崖沿いに止めたり、たまに奥の突き当たりの住宅街脇の砂利道の広場?的な場所に止めたりしていた…。 そのうち“崖沿い”で定着した。 “そこでいい”みたいだった…。 崖には家は建てられませんから、崖の壁のような斜面上は、木々が茂っていて、森のようだった。 そんな欝蒼とした森のような崖の脇に車を止めていたと。 あの崖はわりと迫力があった。 特に目に付くような感じでもないが。 崖の反対側が宅地化されていて、そっちにバス停はあった。 (↑車を止めていた場所。←崖 住宅街→ 崖の斜面上にも住宅が建てられてきている。。この付近は当時のまま) 住宅街側へ少し入ったところの住宅街の中にちょっとした草村の空き地があり、そこの手前がバス停で、そこでバスを待っていた。 空き地沿いにちょっとした水路があったような気がする…。 特に気にしたこともなかったが、覚えている感じ。 (←バス亭だった空き地。もう空き地ではない。6件ほど住宅が建てられ、真ん中に道路ができている…  空き地がないということは、もうここにはバスは来ていないのか?) で、このバス停付近の…「世界観」が独特な感じしていた。 新しい感じのキレイな家が多い印象だった。 多いというか、“そういう家しかない”感じだった…。 そこが不思議でまた独特な感じだった…。 普通に街並みも…。 こういう街並みも好きだった…。 さらに、そのうち気づいたのだが… 繋がって、並んでいる家々?が存在していた…。 いや“繋がってる”と言えるかは微妙かもしれなかったが、 かなり似た外観の家がどこまでも隣り合って並んでいて、繋がっているかのようだった。 というか土台?の上の少し高いところに家が乗っている感じで、個々の家へ上がる階段が個々の家ごとに設置されていて、 その階段が等間隔で並んでいて、“同じ外観の階段”で、 1階(地下?部分が駐車場という構造が軒並み同じで、繋がってると言えるような感じだった…。 一見マンションやアパートなんかではなく… 孤立した家々なのだが、“統一された集合体”のような風貌があり、 そんなのOK?といった感じで、異様さがあって、どことなく、奇妙な感じも漂っていた…。 “クローン住宅群”といった感じで、そういう面での奇妙さ、怖さもあった。 こんなの家としてあり? あのいつか夢で見た“どこまでも続く同じ風景”も、 どことなく、知らず知らずのうちに連想していて、その面での“怖さ”もあった…。 母もその家々の前を通過中の時、その家々に関して1度触れていたことがあった…。 確か「落ち着かない」とか言っていた。 それもそうだがそれ以上にその…。 でもキレイで、異様な不思議さのあるこの家並みは好きだった…。 奇妙な感じがするところがまた印象的で、あらゆる何かを際立てていた感じ…。 そのバス停一帯の家々は皆その一体的な家々…というわけでもなかったのだが… (そういう家々の並ぶ一帯が数か所あったという感じ) その家々も、新しい形状の家々なので、やはり外観自体もモダンでキレイだったと。 その家々のみならず、“バス停一帯”の家は皆同じようにキレイだった。 でも同じような家々、階段の並ぶ、「クローン整列」のようなああいう住宅街のイメージが強い。 そのため、全体的にそのバス停一体は奇妙なイメージ。  そんな世界観と…。 ともかく、わりとキレイな宅地だった。 「キレイで奇妙…」 というと、何かピンときませんか? … 幼稚園です。 こっちの幼稚園の園舎のイメージと一致している。 「園舎のイメージ=園自体のイメージ」ともとれるので… もうこのバス停付近に到着した時点(車から降りた時点)で早々と幼稚園の雰囲気を…世界観を…感じることができていた……。 “あの幼稚園のバス停”的な雰囲気が感じられていた…。 あの幼稚園のバス停付近だから、個人的な印象により何かそういう雰囲気…なのかと思いきや、そういうのもあったりした。 その両方の要因が合間って、本当に幼稚園的な世界観を引き立て、漂わせていた…。 (←連立する奇妙な住宅群。今見てもモダン。土台のコンクリートが汚くなってはいるが…) …いまだにあの付近は… やけに懐かしい感じがするんです… “やけに…” その理由が分かった…。 そういう相まった世界観を感じて…それで… ともかく、この住宅地一帯はあの幼稚園の印象が染み付いている感じ。 「キレイ(モダン)で奇妙」を連想させるような要素が特になかったとしても、 “あの幼稚園のバス停付近”“同じ幼稚園へ行く仲間と会っていた場所”とあらばあの幼稚園の印象が十分に染み付く。 それでいてそれを連想させる要素があり、尚更…と。 まあ当時は街並みが幼稚園チックなどということには、気づいておりませんでした…。 それはそんなこと…w 知らず知らずそんなで、車で到着した時点でよりいっそう幼稚園の雰囲気を感じられてよかった。 本当にそんなで当時“よりいっそう”感じられていたかどうかは疑問…? まあ当時独特な世界観のように感じ、その後印象付いたのは確かと…。 バス停付近の住宅街の世界観は「モダンで奇妙」だった…そんな記憶。これも思い出。 「奇妙でキレイ。そしてモダン。ウエルカム トゥ FJ幼稚園ワールド」 (バス停付近は…キレイでモダンで奇妙。FJ幼稚園風世界観)                   …もういい。 それはそうと、そこのバス停から乗るメンバーは、天沼公園から乗っていたメンバーの人数と比較すると…少なかった感じ。 他1名?のみであったか? 1人しか記憶にない…。 でも親などを含めるとわりと結構いた。 親のほか、見送りの小学生なんかもいたし…。 人数少ないですから、皆そのバス停組の人達どうしで親しくなっていた。 自分らも親しくなった…。 少なかったわけですから、向こうからしたら、“自分が加わって、大歓迎”てな感じだったか…? “一人加わっただけで雰囲気が変わり、明るくなった”というような感じだった…。こんな自分でも… その主に親しくなったのは… 共にバスに乗る生徒の“1人”と、その親。 その1人(メグムcうろ覚え)は、自分と親しくなりたくて、積極的に自分に交流してくる感じだった…。 そう子供どうしでも親しかった。 また親どうしが親しくなったから親しく…という流れだった。 ジェイソンkなどと同様な感じ。 でせっかく親しくなったのだが… 彼女とは園内で接する機会はなく、バス待ち時のみでの関係だった…。 どことなく、残念な感じしていたが… 特に残念そうだったのはあちらの方だった…。 所詮ジェイソンkなどのような位置付け…。 “同じクラス”に同じバス停の人がいたら全然違ったエピソードが生まれていたのだろう…。 この小説は、自分の全ての運命を描いた物語でもある。 運命はこうだった。 現実の物語。 (同じバス停の…友達になりたがっている友達)                   ここでバスに乗るが… すでにバスには大勢の生徒達が乗っていた。 自分達が乗ったあとは途中停車とかしていなかったと思ったので… 1番最後だったのか。 ひょっとしたらもっと近いバス停があったものの、ここが1番遅くて朝が楽だから“ここに…”なんてことないか。 バス待ち時のネタも旧幼稚園の時のように、あるのですが、また後で。 バス待ち時の概要はこんなところ。 バスが空き地前に到着したら、バスに乗る。 バスの中は“大賑わい”といった感じだった…。すでに大勢乗っているので。 それにしても何か、旧幼稚園の時のバス内と比較すると、一際騒がしい感じがして、気に食わなかった。ここらしい感じですが。 ユウカンkが目立っていた…。 出発して住宅街を少し奥へ進むと、緑地帯のような場所があり、そこに沿って住宅街を進んでいく。 緑地…というか、よく見たらグランドの周囲に木が並んでいるたけ。 …そのうちそこが何かの学校の敷地だということが分かった。 懐かしい。 (←緑地のような場所。→は畑だった気がしたがそれは記憶違いで、学校だった。  というか、ここの緑地は学校の敷地ではなかった。それはこの手前の場所…。多少は記憶違いもあると) (ここにも奇妙な連立住宅群が) そこを過ぎて住宅街をまた少し進むと…坂があった。かなり急な坂だった。 その坂に差し掛かる時は… 、、、何か… 何気なくあの赤い車を思い出してしまっていて… 不安だった。 FJ幼稚園のバスはオンボロ車ではないですが… 大きなバスだったので、どうも不安だった。 あんなにも重い車体で登り切れるのか?と……。 オンボロでもあれですが、重くてもあれかもしれない…。 エンジンがかなり頑張らないとだめな感じで、毎回緊迫物であった…。 いくら重いバスといえど、別に並なバスですから、登れない…などということはまさかあるはずもない。 登れないような坂道を通るルートなんかにはしないでしょうし。 ともかくバスの大きさからしても、エンジン音からしても不安で緊迫物だった。 なんとか坂を乗り切ると、登り切った先は、祖母の家付近の大通りだった。 (↑例の坂。こう見るとたいした坂ではない) 祖母の家の近所なのでそのあたりは前々から知っていて、見慣れた感じだった。 坂を登り切り、そこに出ると「自分…こんな世界観のグループの中にいても、あの自分なんだ」てな感じがしていた。 そういう思いが何気なく頭を過ぎっていた。 そこの通りに出た時だけ。 で…そこからの道則が…記憶にない。 坂から左折し、そこの大通りを少し進んで右折だったか?そのまま直進だったか…? 前者だった気が。 で、しばらく走っていくと右奥の角がブロック塀(コンクリート)の崖になっている交差点に出ていた。 祖母の家沿いの大通りから…ここに至るまでが空白。 この空白区間は結構長かった。 そもそも覚えにくくて、そのあたりの道はそんなに覚えていなかった…という説は有力か? そんな感じだった気もする。 その区間は、平凡な街並みだったのであまりどんな道か気にしていなかった…気が。 当時もそこまでは覚えていなかった。だから覚えていない? いままで来たことがない道で、全然知らないところだったわけで… それでいて、その後通ることが一切なかったわけなのだが、それでその後思い出すことがなくて忘れ去った…。 というのも今きっぱり忘れている要因としてあるだろうか? 兄がいなくて何かを刺激されなかったから。?というのもあるか? で…その交差点にやってくると…そのうち、“もうすぐ”という感じが湧き上がるようになっていた。 もうすぐなことを覚えて…。 そういうのがあったからそこは覚えていたのか? で、そこを過ぎて、少し裏に入ったところが幼稚園だったと思った。 クラスは2階ですから、階段を上がる。 その2階へ上がる“階段”が印象的であった。 うちにも旧幼稚園にもなかった“階段”。 しかも普通に誰でも印象的だったであろう“階段”。 (朝のバスからの風景) 通園時の話、ようやく終着。 起きてからここまでやってくるまでの道則には… 毎日このようにあらゆる様々なことがあった。 毎日のネタしかまだ書いていませんから、“毎日”。 毎朝…か。毎朝。 旧幼稚園と比較すると、長い道則ですから、その分、幼稚園に行き着くまでの間に、あらゆる様々なことがあったと… そんな毎朝の思い出の数々。                   こう来ると今度は帰りの話… 帰り際に鬼門である着替えがあったため、何かムードが打ち消されてしまっていた…。 “帰りの時間”…というか、“着替えの時間”へと時が向かっていく感じでしたから…。 でもそれが終わったあとなんかは、確かに一応、旧幼稚園の時のようなああいったムードはあった。 それは帰り際ですから… … バスで園を出たあと… わりとすぐに向かって左側に、大きめな公園があったような気がする…。 その公園の脇を、“行き”の時も通っていた…かどうかは記憶にない…。 もし通っていないのなら、“行き”と“帰り”とで別のところを通っていたこととなる…。 旧幼稚園の時同様、帰り際のムードはよかった…。 その公園付近を通行中の時は…必ずそんな帰り際ムードで、気分がよかった気がしたので… 帰りしか通らなかった可能性が高いか…。 ともかくその公園の脇を通過する時は、気分よかった印象なので… その公園自体も、何かワクワクするような良い印象の公園と…。 微妙に記憶が曖昧な感じ、するのだが… その公園、実在しない…などということはさすがにないでしょう。 「夢」っぽい感じがする気もすると…。 存在を確認しに行きたい…。 “公園ではなかった”という可能性はあるか…? 公園を過ぎて大通りに出た辺りからは… ここがどの辺なんだかよくわからず、いつも何気なく外を眺めている感じだったと思った…。 ここに通い出す以前は全く来たことのなかった場所を通ってたわけですから…と…。 …朝通る坂道に差し掛かると、“もう着く”的なムードが込み上がっていた…。 “家に迫って来た…”て感じで気分がより高ぶる感じあり… “もう下りないといけない…”といった感じありだった…。 まだ実際、家までは全然近くはないですが… “祖母の家の近くの知っているところ”に差し掛かっただけで、“やっとここまで…”的な感じだった…。 現実に帰ってきた…的な感じがしていましたから…。 そう、ここの特に園に行っている間は、実離れしている感じだった…。 “この幼稚園の存在を全然知らなかった…”というだけの次元ではなく、 ここの幼稚園の“周辺の地”も旧幼稚園のころまで、全く知らなかったわけだ…。 知らない場所=現実とかけ離れた場所に近い場所… といった感じですから…。 何となくわかるでしょう…。 自分がいつもいるようなところにいる時が1番現実らしい。 現実=安心だったりもする…。 で祖母の家付近の大通りを通過した時点から“いままでの知らないところ”でしたから… そこからの時点で“現実離れ”ですよ…。 幼稚園は違った世界の本当に奥地の方にあった感じだ…。 旧幼稚園にいた時、園庭のすべり台で感じた、あの“現実離れ感”とはケタ違い…。 あれは園の敷地内が現実離れというだけであった。 民家の建つ、一歩外は現実…。そのレベルだった…。 で、こっちの幼稚園にいる時はかなりの非現実感・哀愁(極僅かホームシック感)があったので… さほど家までは近くなくとも、祖母の家付近に来ただけで“現実に帰ってきた…”“現実帰り”的な感じがあり… より“家まで近い”的な感じがしていたと… そういうこと。 で… 帰りのバスも、あのバス停までで、そこからさらにそこまでまた車で迎えが来ていて、 車で帰っていた…。 自分は2往復ですが、迎えに来る側の人はわざわざ“4往復”していたと思うと胸が痛む…。 まあここを選んだのは何にしろその側の人(親)だ。 バス停メンバーと交流しながら車に戻る感じ…。 車を止めてあるところは“行き”と同じ…。 森のような崖のところ… そこからの帰りも、だいたい朝と同じところを通って帰っていっていた…。 ここからの帰りの道則にも数多くのエピソードがある。 非常に様々な多彩なエピソードが存在する。 このバス停から家までの車での道則に…。 なぜかって…? 少し考えてみればわかるでしょう? その… よく“寄り道”をさせられていたからです…。 帰るだけだし、車だし、家からそれなりに距離のある遠いところ、なので“寄り道をするのに最適”な形であった…。 距離があると、その分、その道則には多くの思い出が残る。 距離があればあるほど大変。 しかし、距離の分ほど多くの、たくさんの思い出ができるのです。 マイナス意識ばかり持たない。 学校のような在学期間が定められているようなところへの道則ならば そういう様に“遠くても悪くない”と思ってしまうことができます。 長期的に通うようなところならば時間の無駄でしかなくなり、その解釈が通用しなくなったりする。 時間の無駄だとか思わない子供のころにしか通用しなかったりも。 このころは十分、子供だったので良かった…。 5才が子供でないのなら「子供」などという名詞の存在はないでしょう。。 遠いと寄り道もする…。 ただ帰る途中に何か… というだけではなくて、あえてのそういう… それがあってまた…と…。 車だとある程度遠くまで容易に行けるし、そういう面でも遠すぎず、ともかく程良い距離であった…と…。 でその帰りのエピソードの数々は…長くなってきてしまったし… 一旦この辺で区切っておく。 これから自然に少しずつ取り上げていくこととしよう…。 それらも時系列になるべく沿っていく感じで少しずつ、と…。 長い帰りの道則には… 色々な思い出が… 思い出はバスでの移動時にあり… 車での移動時にあり… その乗り換え地点での一時にあり… そんな帰りの道則の全体概要。 行きよりも帰りの方が肝。 旧幼稚園の時は、バス亭から家までが近すぎた。 だから“帰りに寄り道”をした記憶があの1つしかない…。 そういうこと。 徒歩1分程度でしたから…。 まあ真逆の両方を経験できてよかった…。 旧幼稚園のバス亭の方も遠かったらどんな思い出が…?と、連想すると、多少惜しい気もしてくる気も…。 遠いと大変なのですが…。 (長い帰りの道則)                   一方、兄もまた、新しい舞台で活動していたわけだが… また嫌らしい感じがしていた。 特に“新しい漢字”を覚えてくるのが1番嫌らしかった。 あの“知ってる漢字を書いていく勝負”では、いままでは100%自分が勝利していたわけだが… 学校に行きだしたら突然!100%負けるようになってしまった。 “学校で覚えた”というのはずるいので、 「学校で覚えたのはなし!」 と言っても聞いてくれなかったのがまた嫌らしかった。 でもそれって… 以前までは知っていた漢字と学校に入ってから覚えた漢字とが脳内で混同してしまっていたら無理…。 兄は当時、まだ混同せずにそれを区別できていたのか…? できないと思ったからスルーしていたのか…? 普通にそんなルールは無茶…。 自分ならそのルールでやれていましたが。“自分”なら。 「草」とか兄なんかがなぜそんなハイレベルな漢字、覚えてるんだ!?という感じで… 兄らしからない。けしからない。といった感じだったw 「林」という漢字もそのころ兄なんかに教わったのだが… 最初、その、冗談かと思った。 「木」は知っていたのだがそれを2つ並べて別の1つの漢字とか… ふざけてるように思え、こんなまともでない漢字があるものか…!?と、信じ難かった…。 さらにそのあと「森」の存在まで教えられて……。!?!? 漢字というのはそういう何か…とかとも言っていたが、信じ難かった…。 これが正式な字なんて、まさか、、 「一」「二」「三」などもふざけていて信じ難かった。 でもまた兄がいつまでも本気だったので、冗談ではなく本当にその漢字がそれなのだと認識した。 それにより今度は「4」以降の漢字が謎めいた文字なのはなぜか?という疑問が湧き上がった…。
あと「雨」という字は、兄自身が気に入っていた。
“窓の外に雨が降ってるイメージ”なのだとか。そういったことを言っていた。
確かに自分にもそうも見えて、多少納得した。
4つの点が“雨粒”で…
周りの囲いが“窓”と…
“自動ドア”のようにも見えるし、ちゃんと開け閉めできるリアルな感じな漢字…。
でも母は理解に戸惑っていた。そうでしょう。 兄が自分より漢字に詳しくなってしまって、らしくなく、嫌らしかった… 信じ難い漢字が実在していた…信じられなくて驚きだった…そんな思い出。 (小学校が憎かった)                   雨…といえば、兄は家でよく音読もしていたのだが、それで自分も国語の内容は1年フライングでだいだい覚えてしまっていた。
兄が最も気に入っていたあの話の音読の最中、兄はいつも「あめやどり」と何度も言っていた。
「あまやどり」の間違い。で…
兄自身も間違っていることはわかっていた…
わかっていながらも「あめやどり」と言ってしまっている感じだった…。
いままで「あまやどり」を「あめやどり」だと思っていたのか?
だからそう言ってしまう?
何か、その、馬鹿らしかった。
いやでもそのうち“それは違うか?”とも思った。
「雨やどり」と書いてあるんだ。だからそう言ってしまうんだ。
とふと思ったのだ。
で、そうなんだと推測した。
だとしたら確かに、自分でもそう言ってしまいそうだ…。
ああまやどりをあめやどりだと思ってた…なんていうことはやはりさすがになかったか…。
でやはり「雨やどり」と書いていました。
今も確認してみたが、確かに雨やどりだった。
そういうこと。
推理通りであったと。雨なら「あめ」と読んでしまう…
兄は今でもあの話が印象に残っていると思いますが…
あめやどりの件…なんかは特に浮かび上がってこないでしょう。
それは自分がかってに色々思っていただけであり…
その件に対しては、口に出しては何も言ったことがなかったので…。
自分としても特にそこが圧倒的にインパクト大…というわけでもなかった。 また長くなってしまったので、一際そこが印象的だった…みたいな感じになってしまった。 でも触れるのはそこだけで。 その他の内容に関してそんなに触れてしまうわけにはいかないし、ズレた話になるし。 兄の音読、最初は違和感あったが、しだいに慣れていった。 次の話に進んだ時の新鮮味が、何ともいえなかった。 それぞれの話が皆、印象に残った。 今だ小1の教科書の内容はほぼ覚えていて、印象に残っている。 教科書の内容を覚えたくもないのに覚えてしまっていた… あめやどり、と言うのが馬鹿らしかった(実はそんなことなかった)…そんな思い出。 (あめやどり)                   あと兄は夜、ジカンワリとかいうのを言っていた…。 これも印象的だった…。 いつも(毎晩)兄はこう言っていた。 「コクゴサンスーセーカツタイーク!」 コクゴ・サンスー・セーカツ・タイークと。 特に“タイーク”が印象的であった。 タイーーク。 タイク(体育)のことだとか。 小学校では「タイーク」と言うのだとか。 それが正式。タイクは言いやすいようにアレンジした子供向けの言い方であった模様…。知らなかった。 タイク以外の言い方があるなんて思いもしなかったわけで、タイクはタイクで定着していたし… タイークという正式の言い方は、ハイレベルな大人な感じがして嫌らしかった…。 “タイク”の方が子供としては親近感あって、そっちで通したかった…。 だからタイークが正式でも、タイークとは言わず、タイクと言いたかった…。 “小学校はハイレベル。小学生は大人に近い”ということを、このことからもまた実感…。 小さなままでいたいわけです。 小学生にはなりたくない。ならない…。 兄が夜に翌日の時間割を言って準備していた… 体育をタイークと言う小学校はハイレベルで自分らしからず、園児のままでいたかった…そんな記憶。これも思い出。 というか、「コクゴサンスーセーカツタイーク」…毎日それだった…。 だから覚えてしまっていたわけ…。 毎日時間割、同じ?だった? そんなはずはない…。 では「国語算数生活体育」とは、何だったのか…? 翌日の時間割だろうが… なぜ毎日同じ? 今思うと謎。 このころ、学校のことはあまり知らなかったので、特に疑問には思っていなかった…。 小学生の経験ないので当然…。 最初「ジカンワリ」とは何?という感じだった…。 コクゴサンスーセー…というそれがジカンワリ…。 (コクゴサースーセーカツタイーク。タイーーク?!w)                   時間割より漢字より…何より印象的だったのはこれかもしれない。 兄は「ドリルがない」とか「ドリル持っていく」とか度々言っていた。 、、、ドリル!? ドリルなんて危険なものを学校で使うのか? …いや、何か違うみたいだった。 とあるノートのことを“ドリル”と呼んでいた…。 それがどうしてドリルなのだ? それのどこがドリル? と何かおかしな感じしていた…。 そして嫌らしかった。そんなのドリルではない。。 そのノートのドリルには、モグラが自分の体の数倍ある巨大ドリルを抱えて穴を掘り進んでいる挿し絵がありそうな印象だった。 事実上、そのような挿し絵はどこにもなかったものと思われる。 学校でドリルを使うとは驚いた… そのドリルではなくて全く違うものがそのドリルで、それをドリルと言うのはおかしくて嫌らしかった…そんな記憶。これも思い出。 (学校でドリルを使う?!)                   あと兄が覚えてきた歌なんかも嫌らしい感じであった。 ともかく「お爺さん死んじゃう」とか聞き慣れない歌は基本的に何でも嫌らしかった。 「クマさんがどうの」とか言うのはウザったい。 小学校で習う歌がまた嫌らしかった… 初聞きだとたいてい何でもそうでしかたがないのだが… 同年代が教わる歌風味でなかったりで… 馴染み深くないところで教わった何かだと尚更嫌らしさが… ともかくそんな思い出。 ともかくは1人で知らない知識を身につけられて嫌らしかった…と。 前々から言っていますが、兄が知っていることを知らないというのはあれ…。 サンスーセットはシャレた名前で、口に出して言ってみたいくらいに何か好きだった…。 寝ないでどうのとか言っていた…。 ドリルはドリルだと思いきや違う…。 ジカンワリ…タイーーク… 専門用語がたくさん出てきて、小学校はハイレベルだ…。より大人な場所。 兄はタイクこと、タイークが嫌いなんだとか言っていた…。 スズキtがいなくてもあれな模様…。 あとHStのことも聞いていた。 当たりの先生だとか。 (兄はけしからない) 少々ズレた話になっていた。 園内での話に戻る。                   背の順の先頭はまた自分、女子の先頭はメグc、と以前言いましたが… 普通にも彼女は嫌らしかった。 前章を読んでいればわかるでしょう…。 1番優遇されるべく存在の座は彼女で…自分ではないようにも感じてそれで…。 小さい者が優遇されますから。 どうしても…カナエcと被っていた。 カナエcの別人ver.。 完全に同位置付け。 なかなかの嫌らしさであった…。 こっちでの自分の分身的位置付けの人物はメグcだった…。 ほっそりとしていて、身長以外の外見は特に似てはいなかったものの、カナエc的な存在と見ていた…。 内面は似ていた印象。 どちらが小さいか明確でないから曖昧なままでまたあれであった感じ…。 …やはりカナエcの方がよかった。 こちらの園の生徒は、あちらよりか他人っぽく思え、印象的に親近感が薄かったので…。 メグcも特に“憎い”感じに見えていた。 この園なんかに“自分と同じ位置付け(同じ程度の身長)の生徒”がいたこと自体がまた気に食わなかった。 メグcはカナエc的位置付けで、嫌らしい存在だった…そんな記憶。これも思い出。 (メグcが憎い)                   1番小さいのは自分か、もしかしたらカナエcにあたるメグcでしたが… 逆に1番大きい…アキヤkにあたる人物もいた…。 彼はアキヤk以上に、抜きん出て大きかった…。 クラスで抜きん出て…というか、学年で抜きん出て…というか、園で抜きん出て大きい感じだった…。 何かアキヤkとは桁違いな感じのインパクトだった…。 元からいた人物ではないから増して…というのもあったかもしれない。 どういうことかって… 彼は転入生…とかではない。転入生は自分だ。 最初自分以外の全員が見慣れない生徒達だったので、 自分以外の全員が転入生みたいに感じて、そこがまたウザったくて、気に食わなかった。 転入生の立場から見ると、逆。 転入生=途中で出会う見慣れない人物。転入生側からすると転入生(自分)以外の全員=途中で出会う見慣れない人物達。 だから元からいたという感じではない。 彼に限らず、全員に言えることだが。 旧幼稚園のクラスメイト達は、最初のクラスメイト達なので、元のクラスメイト達。 しかしこっちのクラスメイト達は違う…。 元のものでないところが、何もかもの嫌らしさを増大させていた感じでもある…。 そういうことと…。 でもともかく普通にかなりの長身であった。 で、彼、インパクトがあっただけではなくて… また嫌らしかったんです。 彼が嫌らしかった。 年上っぽすぎて。 同級生も小さい方がよかった。自分よりも…はだめだが。 年をとりたくなかったので、小さいままでいる感覚を味わっていたかった…。 だからなるべく小さい生徒が多いクラスの方が…と…。 前章で言いましたね… 小さいと優遇されるので、年少が羨ましくて憎かった。過去に戻りたかった。女子が羨ましく憎かった。的なこと…。 嫌らしい彼は… 名前がまた… 嫌らしかった…。 またどう嫌らしかったって… 最も小さい生徒と、最も大きい生徒…て、真逆で全く違うのに… 自分と名前が似ていたから。 彼の名はタケジk。 真逆だというのに。。 ツチダTkみたく、全く同じではなかっただけ多少マシであったか? 一応“同じ”ではないですから。 自分の名前をアレンジしたみたいなところがまた変で嫌らしい感じであった…。 タケジkは自分と真逆な位置づけな感じだった… 真逆で全然違うはずが、違わなかったりして、勘違いされそうだったりで嫌らしかった… ともかくタケジkが…この時点ですでに嫌らしかった…と。これも思い出。 最も大きい男子… というところが共通していることにより、アキヤkと同位置づけだった…。 こっちのアキヤkはタケジk…そういった感じであった…。 こっちのカナエcはメグc。 自分と同じ位置づけの人物は…自分であった。 当然。 と思いきや、それがそこまで当然でもない。 もしこっちに男子で自分より小さいor出席番号が後の人物がいたとしたら… そっちが元自分(旧幼稚園の時の自分に相当する人物)となる。 自分が自分ではない可能性もあるにはあると。 「自分に相当する人物」と「自分自身」は別…ですから。 自分に位置する人物が自分でない可能性、あるでしょう? まあこっちの自分も、あっちまでの自分も同一人物なので、自分がまた自分の位置づけになる可能性は大なのだが。 その可能性は限りなく大…。 (年上のような嫌らしいタケジk)                   ある体育の時… ある生徒が… 歩きながら、膝を抱えて歯を食いしばり、痛そうな表情を見せていた…。 怪我をしてしまったのか? でもしかし!彼のあの「歯の食いしばり方」などが…何か凄くカッコよかった…。 この彼の名は…サイキk。 そもそもこの彼、容姿がやけにカッコイイと思っていた…。顔なんかもそう。 そんな彼は、痛み方や痛む時の表情までもカッコよかった…。 憧れた。 あの痛み方を“真似してみたい”て思った。 自分も膝などを“怪我してみたい”て思った。w でも…長らく実戦できたことはなかった…。 いずれは実戦できたのだが、それからずいぶん先の話なので、とりあえず保留にしておく。 … その後彼はわりと平気そうにしていた。 痛みになんて負けず、勇ましく過ごしている彼の姿がまたカッコよかった…。 そんな彼なだけに、少し心配したが、その後の姿を見て安心した…。 カッコ悪いところもまた、カッコイイ…さすがは彼。 カッコいいしぐさにまた憧れた… サイキkはカッコよかった… 何でもカッコよかった…そんな記憶。これも思い出。 というか、その、個人として…彼を好んでいた。 気に食わないばかりでしたが、本当に好きな人(もの)は好きだった。 あと…この彼はです… (カッコ悪いところがまたカッコいい、サイキk)                   元気ではない…というか、静かなのは自分だけ… かと思いきや、さらなる異様に静かなクラスメイトがいた。 しかし、彼は自分と同じではなかった。 全く違った。 自分は単に“ここでは静か”…というだけでしたが… 彼は“元気がなかった。” “元気がなくて静か”といった感じであった…。
本当に元気がない。
自分の場合、素を隠している感じなだけだったが… そんな人は自分以外にはそうそういないのでね… 同じなどということはないでしょう…。 彼の名前は…ジンk。(うろ覚え)
その名前がまた、非常に暗い名前だと思った。
それはそのジンkの名前だから…というのもあった?のだろうか? 名前が影響、見た目が影響…といえばマヤcやツチダkを思い出すが… ジンkというのは確かに本当に地味で、暗い感じの名前のように思える…。
ともかく、彼は暗かった。
あの団体の中にいるからそう見える… というどころではなかった。
あの独特な低音でつぶやくような話し方が忘れられない…
園の雰囲気とは対象的なそんな人物もいるにはいたと。 “自分以外全員が元気”ではない。 あんな人物もいる。と、ジンkの存在を母に教えたかった。 やたらと元気がどうのと言っているので…。 しかし伝える機会がなく、全員元気だとか思っているままだった…。 あの名簿を見ながら1人1人元気かどうかを確認した時は… 確かジンkも「普通」と言ってしまった。 普通としか言えなかった…。 “暗い”なんて言うのもあれ… 結局そんなだったと。 一応この程度の静かさの人物は自分だけではなかった… いるにはいた… でも彼はある意味自分とはとんでもなく違った… どっちにしろ相性が合うような人物ではった…そんな記憶。これも思い出。 次点で元気がない感じなのはトールk(うろ覚え)だったか。 それでも彼は並みに近い程度。 静かというか、鈍い感じであった。 また自分とは違う系統。 (同じながら全然違う、ジンk)                   ほんとに速いハヤタk。 その後も彼はやはりほんとにハヤかった。 彼の速さは本物。 期待を裏切らなかった…! その後の徒競走でトップで、それからも絶対に抜かされることがなかった。 そうもなると、普通プレッシャーがかかるでしょうが… 彼はプレッシャーなんてものともしていないように見えた。 増して「ほんとに速い」なんて言われていながらも…。プレッシャーをものともしない…。 かなりのカッコよさ。 ハヤタkが2位以下だった…ということは、少なくとも、自分が居合わせた時にはなかったと思った。 あの鬼ごっこの時などはたまたまなんかでなく… 本当の彼の力だった。 1位にならざるをえないから本気… といっても、実力がなければ、こうはいかないもの…。 絶対的存在。 絶対的存在…といえば旧幼稚園の時、自分もドッヂボールで絶対的存在であったわけだが… あのプレッシャーは半端でなかった。 それを考えるとハヤタkは凄かった。 でも自分はプレッシャーにも負けていなかったわけだが。 またあの運動会の件が思い起こされる…。 あのバトンリレーの時も、プレッシャーに負けたことなんてなかった…。 …自身の秀でた何かをする時というのはプレッシャーがかかるもの…。 「プレッシャーに負けない。」 それが本物。 自分も本物であったと…。 でもプレッシャーとかなしで楽しくできるのが1番でしょう。 そうでもある…。 … 話がズレてきていましたが… で、あと… ハヤタkはほんとに速い。 ですが…ハヤタkは 速いだけではなく、全般的に… スポーツ万能であった。 「速い=スポーツ万能」? 少し違う気がするが、そんな感じかとも思った。 何か“スポーツ選手”のような印象であった…。 ハヤタkの実力は本物…そんなハヤタkの詳細。 (ハヤタkの実力は本物)                   …でだ。 実は同じクラスにもう1人… ハヤタkに引け目を取らないほどにスポーツ万能・運動神経抜群な生徒がいた…!! いたのだ。 ハヤタkのライバル的存在。 ハヤタkのライバル、それは… … あのサイキkです! ここで暴きますが… サイキkはただイケメンなだけではなかった! スポーツ万能だったのです! サイキkもハヤタkに負けず劣らず、スポーツ万能であった…。 ハヤタkと同様にどことなく体育系で、“スポーツ選手”っぽい印象であった…。 あの俊敏な動き…惹かれた。 ハヤタkとサイキk。 この2人は、見るにライバル関係のような印象であったわけ。 本人どうしでライバル視していたかどうかはわからないが…。 ハヤタkもカッコよかったが… … ここだけの話、自分は…ハヤタkよりか、“サイキk派”であった…。 サイキkは、見た目が…本当にカッコよかったわけだが… “カッコいいからスポーツ万能だろう”と、思っていたら、本当にそれ相応すぎるくらい万能だった…といった感じ…。 容姿や能力だけではない。 その名前も好きだった。 響きがいいし、それに、“サワヤカ”な感じがする名前なので…。“サ”が入っているからか… “サイキ”というのは、カタカナのイメージであった…。 だからサイキkでシッくりくる…。 あとサイキkは“緑色”のイメージであった。 「」という文字が何か緑のイメージだったからか。 緑色のイメージなのはカタカナの「サ」であり、「さ」は全然違う。 「さ」ではさわやかなイメージでもない。どことなく。 で、彼がその、カッコよくて… いつしかいつも彼に注目するようになっていた。 そして彼を応援するようになっていた。 “ハヤタkに負けるな”と…。 で本当に… ハヤタkに勝ったこともなかったが… 負けたこともほとんどなかった…。 サイキkもまた、ハヤタk同様、期待を持てるプロフェッショナルな感じであり… 彼の実力は本物であった…。 運動神経抜群なところも、彼の大きな魅力で、そこがまた良かった…。 確かに彼の実力はハヤタkと同レベルだった…。 この自分がそう思い、そう見えていたのだから間違いない…。 自分だけが“ライバル関係”とかそう思っていた感じではなく、 たぶんクラスのだいたい皆“ハヤタkといったらサイキk”、“サイキkといったらハヤタk”。 とそう思っていた…。おそらく…。 対関係のような感じ。 どちらかというと、サイキkの方が、見た目も名前もカッコいいので、サイキk派だった…が… ハヤタkの方が、「ほんとに速い」と、一時話題になったこともあり、人気が高かった…。 影の薄い方のサイキkも同じくらい、もしかしたらハヤタk以上に力があるということを皆に分かってもらいたいので、 サイキkが目立ってほしかった…。 ハヤタkは、どことなく、“白いハヤブサ(鳥)”のようなイメージであり、高速で走り回る風の精のようなイメージ、 サイキkはウォーターメロンのようなサッパリしたイメージであり、ハンサムアメリカ人のようなイメージでもあった。 ハヤタkもだが、サイキkの方がイケメンな感じだった。 容姿が良いからか、雰囲気も何でも好ましい感じだった。 でも“運動能力が高い”ということがより知れ渡っているのはハヤタkの方で、彼の方が目立っている存在であったと。 でもサイキkの運動能力もハヤタkと同レベルなことに気づいていた自分は、サイキkが好きだった。 まあサイキkもクラス内で一般的にハヤタkには及ばなくとも、それなりには目立っていた感じ。 ハヤタkと対関係ですから。 … スポーツ万能コンビ… もう思っていた読者もいるかもしれないが、ハヤタk、サイキkコンビはまさに… 某○○○の大○k、杉○kコンビのモデルのようであった。 被っていた。 それは当時から何となく思っていた。。 でも実際、同じクラスにあんな2人がいることに対し、それほど衝撃はなかった。 最初(転入時当初)は気づかなくて(それはそう)、気づいたらそんな2人の存在があったわけだし… 実際、自分の身近なところにああいった感じな2人がいるわけなので、あのようなコンビは案外よくいるものか…? みたいに思って(←今ではそんなふうにはまず思わない)ね… そんな衝撃はなかったと…。 あと実際にいると、実際のことですから、それなりに受け止めてしまう。というのもある。 同じクラスの大○kと杉○k。 大○kと杉○kならぬ、ハヤタkとサイキk。 リアル大○kと杉○k。 でだ… 大○kにあたるのが…サイキkだった。 大○kと杉○kなら、大○k派だったが… サイキkが好きだから大○kが好きになったのか?大○kが好きだからサイキkが好きになったのか…? いやそれらはない。 どちらも本当にイケメンだから好みであった。 杉○kにあたるのはハヤタk。 杉○kの方が目立っている印象だが、大○kの方がカッコイイ。 両者の運動能力は互角。と… そういう感じである。 …ハヤタkの方が目立っている印象だが、サイキkの方がカッコイイ…。 両者の運動能力は互角。なわけだ…被る。 サイキkにあたるのはどうも大○k、ハヤタkにあたるのは杉○kだ…。 今思ってもサイキkを連想してしまうことで、より大○kの好感度が上がっているような気がする…。 逆も、あったか…? “杉○kの方が目立ってる”ということはないか?どうなのか? でも自分的には当時から格上的なのは杉○kの方だと思っていた。初見の時から。何か見た目的に。 かなりの一致ぶり。 あの2人のモデル。リアル版。 でも…ハヤタkとサイキkは…それほど“仲が良い(親友どうし)”というわけではなく… ライバル視していたかどうかも分からない… 強いて違いを言うならそこ… この話、長くなってしまった。。しつこかった。 さわやかでカッコよく、スポーツ万能なサイキkに好意があった… ハヤタkとサイキkコンビがカッコよかった… 見るに大○kと杉○kコンビ… 自分はハヤタkよりかサイキk派だった… ともかくサイキkが好きだった…惹かれていた…そんな記憶。これも思い出。 (ハヤタkのライバル、サイキk)                   着替えの話の続き。 教室で着替えるのが嫌で、先生と着替えていたわけです…。 それで帰りの着替え時、わりとスムーズに着替えられるようになってきたものの、まだタイミングを見計らうのに多少の苦戦を強いた… そんな中… 先生が新たな着替え方を考案した。 それは… “ほぼ素肌を見せずに服を取り替える”という方法。 どうやっていたんだったか…? 園服を被り、中からジャージを脱ぐ…んだったか? 裸体を見られてしまうのがあれだったわけなので… これならほぼ問題なしと…。 なぜ最初からこの方法をやらせてくれていなかったのか…? 先生は何か手慣れていて、前々からその着替え方を知っていたような雰囲気だったが…? ともかく、その方法だと着替えが気安かった…。 何か、最終手段のようだった…。 その方法で、よりいっそう着替えがスムーズになり、その後も毎日やっていけた…。 しかし、こんな良い着替え方があったという事実には驚いた…。 というか非常に…“不思議”であった。 またこの流れ。 何が?って、この着替え方の仕組みが。 服を来てから脱げる?ような感じだったわけだが、どうしてそんなことができるのか…? うまくやれば、確かにできてた。 仕組みがないはずはありません。 あのころ、仕組みを連想してみて…一応何となく仕組みは理解できた。 仕組みはわかっても…なんとなく、不思議さはあった…。わかりますか? スッと抜けるところとか…。 不思議で驚きな着替え方で…また少し着替えがスムーズにいくようになってきた… その新たな着替え方が不思議だった… 仕組みを理解してもどことなく不思議だった…そんな記憶。これも思い出。 (不思議で驚きな新たな着替え方)                   給食の話の続き。 給食は先生に何かを指定して声かけされることによって食べていた。 そうなってしまい、そうせざるをえなくなってしまった。と言いましたね…。 で… 先生に無視されていて、なかなか食べ始めないでいることも何気に多かった…。 周辺の生徒らも「食べない?」などと言い、気にしてきていた。 そんなある日の給食の時… 隣のサキエcが声をかけてくれた。 「○○食べな」と、先生のように…。 それでいけたわけです…。 それから、給食時、サキエcがたまに声をかけてくれるようになった。 1度やってみて大丈夫だと、安心してその後やれるようになる。 「こんな子供か」って、互いの性格がよくわかり、通じあえるようになる…。 最初の勇気が肝心。 それを初めて感じたのがこの時であったかもしれない。 偉かったのは自分ではなくて、彼女である…。 互いに良い知識を得たのでは…。 彼女は何気なく声をかけてくる感じだったので… 先生はそれにあまり気づかないでいた…。 が、そのうち気づいた。それはそのうちは… 見られた時は“あ”といった感じだった…。 それから先生は確かこう言った。 「サキエちゃん?ありがとう…」 サキエcは何とも感じない感じ?だった…。 お互いとしては、もう慣れていることだったが、先生は自分が友達に声かけされているところをその時、初めて見たわけです…。 自分は先生の気持ちを考えてしまって、少し緊迫したが、サキエcは“そんなのない”ような感じだったと…。 まあ“並みな園児”ならそんなでしょう。 先生も理解し、それから“先生監修の下”のほか、サキエc監修の下で食べることなんかもあるようになった。 先生も少しばかり、手間が省けるようになった。 先生や友達監修の下で食べていたと。 先生よりか、同世代の生徒らと関われた方が嬉しいと思っていたので、その何か、嬉しい感じであった。 接するのが、まだ未熟な同世代の友達だと何か良かった…恥じらわしさがありつつも… サキエcは何気に良いところもあった… お互い、互いの内面がある程度わかった…と。これも思い出。 彼女はです… でも心からの優しさでそうしてくれていたような感じではなかった… 何せあのサキエc… (サキエcも何気に…)                   その後さらに同じように給食時に声をかけてくれる生徒が現れた。。 それは… マイc(うろ覚え)だった。 彼女とは席が近かったんだか何だったか…? わざわざ近くに来てくれてまでしてくれていたんだったか…? その辺に関しては…申し訳ないながらその、覚えていない。 ともかく、そのうちサキエcよりか、マイcの方が気にかけてくれることが多くなった…。確かそうだった。 彼女は…それだけではありませんでした。 そのほかの何かでも先生の代わりに何かしてくれることがあった。 とは思ったのだが… 具体的にそれが何だったかが…思い出せない…。 ずっと思い出さないでいるとこうなってしまう。申し訳ない。 ともかく先生の代わりになってくれる偉い感じの人物であった。 その上彼女はです。 自分に親近感を持ってくれるようになってくれた…。 彼女もまた、“最初の何か”をきっかけに、それ以来親しくなったような感じであった気がした。 “親みがある”という気持ちが芽生えていた。 互いに。 親しみがある=気楽に接することができる もっと言うと友達のような感じ。 もはやそういう感じにもなった。 友達というのはクラスに数名しかいませんから、自分は彼女にとってのその数名になれているということ。 自分の存在価値を感じさせてくれる…。 カズシkなどからもそう感じさせてくれるオーラが出ていた…。 でだ… …マイcはモモヤマk同様… こう言っては悪いが、容姿が…その“好きではなかった”…。 どうも…あのキャラに似ていたのです…。 あのキャラと被っていて…どうも“同じ”としか思えなかった。。 そのあのキャラとは… …○○○○キのジャンケンの時に登場するキャラ。 あのキャラがウザったくて嫌いであった。 普通に人間っぽいキャラがわりと嫌いであった。 それに似ていたマイcは特に嫌らしい感じであったと。 被っていて同じに見えていた。 普通にあの外見はウザったい感じだし。 あとあのキャラは、当時男かと思っていたのだが、(見た目が)男っぽいところも、何か見苦しい感じで微妙であった…。 あのキャラを連想しなくとも、何気に微妙に男子風味であった…。 …しかし彼女と接したことで… 接するようになったことで、内面は良い人なんだとわかって… あまり嫌いではなくなった… と…。 頼れる存在な感じになって…この園の生徒である、彼女に馴染めた。 モモヤマkと同じ流れだった。 彼も見た目が嫌いで、内面が自分と接してくれるくらい優しかったことで好意を持てるようになった…といった流れでしたね。 彼女は…こういう形式で嫌いな生徒が好きになった…系統の人物、2号目。 ちなみにあのジャンケンキャラは… 普通にジャンケンキャラ。というイメージのほか… “歯ブラシ姉さん”といったイメージもあった…。 当時は何気なく思っていただけであったが… 今思ってみたら“歯ブラシ”とか無関係なことに気付いて… 何か、疑問な感じ…。 某ゲームの“地味な兄さん”にどことなく似ている感じがしていたからか…? それがあるかもしれない。 イメージの中では似ていたが、そのイメージが間違っていた?的なそれで…実際にはどことなくすら似ていなかったかもしれない。 ともかくマイcは面倒見が良かった…親しくなれた… “見た目ではわからない”ということをより深く学んだ…そんな記憶。これも思い出。 これまで生徒と絡む場面をあまり言っていませんが… こっちでは親しい友達はいなかった… こんな自分ではさすがに、そんな次元でない… なんてこと、ありませんでした…と。 こういう“救世主のような人物”は誰かしら現れるもの。 身の回りに多少なりともいるものです。運命的にも。 思ってみると、そのことも学んでいた…。 ちなみに、サキエcは見た目は嫌ではなかった。 赤ず○○は特に嫌らしくはなかったので… ここの大々的生徒的なイメージが粘着しているところ、活発なところ、おせっかいなところ、があるから嫌な感じがしていたと…。 本当に何の縁もない見知らぬ子供だったとしたら、そんなではなかったことでしょう。 しかし、○悟○、赤ず○○、大○k、杉○k、ジャンケンキャラと、 何かバラエティ豊かなメンバーであった…。思ってみると。。そして…続く。 あと、マイcというと、あれ。 彼女には特技があった。言っていなかったが、まずあれだから。 その話は、先送り。 (世話人の友達?マイc)                   車で帰りに… “1番”よく寄っていく場所は… それはやはり… 祖母の家であった…。 バス停から近いので(今思うとすぐ)、やはりついでに直行で行ってしまっていた…。 園自体も祖母の家まではわりと近かったが、車に乗るバス停付近からはさらに近かった。 少し通り過ぎる感じ。 ともかく、よく寄っていくことがあったと。 園から直行で…というのが、自分としてはかなり問題であった。 なぜ?って…それは思い返してみればわかるはず。 “園服のまま”だったからだ。w ああも変わった兵隊のような、ピエロのような、芸術家のような感じな園児服を着ている姿を見られたら、、 何か反応されてしまいそうでwその、恥ずかしさがあり、祖母に会う勇気がなかった。。 そもそも、祖母達は自分が別の園に行き始めたことを知っているのか? 親が祖母にそういったことを話しているところは全く見たことがなかった。 もし知らなかったとしたら、尚更衝撃であろう。 そうでしょう? “祖母に幼稚園の件、言ったのか?”と親に聞いたりするようなこともできなかった。 そういったことを聞くようなキャラではなかったので無理だった。 聞けることと聞けないこととがあったわけだ。 で…だが… 最初、園服姿のままで祖母の家に足を踏み入れた時だった…。 リビング手前の現台所あたりで祖母に遭遇した。 祖母は自然と通り過ぎていった…。 母の後ろに隠れてはいたと思ったが、あれで見えなかったということはないだろう。。 別に祖母はそんなおかしいとは思わないと…。 少し安心だった。。 でも油断はできなかった。 あの時はあの園服が、自分に馴染んで見えて、あまり目につかなかっただけかもしれない…。 よく見られたら…。 なんて、、想像しすぎだった。 祖母はその後も園服とか、新しい幼稚園のことに関しては一切口出しせず、自分に対しての振る舞いは特にいつもと変わりなかった…。 これはどういうことか? そういえば祖母はそもそもこれまでの園(旧幼稚園)のこともほぼ知らないような感じだった。 その辺は疎かったという感じか? 祖母に園服姿を見られてしまう…! も、恐らくたいして“印象的だ”とは思われなかった…のでまあ助かった…そんな記憶。これも思い出。 祖母よりか、クセ者だったのがです…(保留) (祖母の家へ寄り道)                   先生が「クレパス」とか言っていた…。 何気なく聞き流していた…。 しかしその後も教室でクレパスという言葉をよく耳にする… 皆も言っている…。 クレパス…?? それは一体…? 気になり出してきていた…。 …気になりだすそのころには… 実はもう何となくはわかっていた…。 … 「クレヨン」を… 「クレパス」と呼んでいる…。 完全に…。 これは見た感じ“クレヨン”、だが… クレヨンではないのか…? 違うから“クレヨン”とは言っていないのだろう…。 しかしあれはクレヨンだろう…。 なぜクレヨンと言わないのか…? ??? クレヨンをクレパスと言うのはわかった…。 で、これに関してはこう解釈した…。 「一見クレヨンでありながら、何か少し違うもの。」 「成分などが違い、普通のクレヨンよりこう、描く面で、少し何か優れているクレヨン…。違ったクレヨン…。」 “クレパス”というのは、そういうクレヨン?なのだと思った…。 名前も似ているので、クレヨンはクレヨンか?とも…。 でだ… はっきり言って、これはクレヨンなのに、“クレパス”とかカッコつけた言い方をするのが、何か嫌らしかった…。 例えクレパスとも、一見クレヨンなのだから、クレヨンでいいではないか…?てな感じで…。 「イェーイ」同様、それをそういう“変わった言い方”しないといけないのが、 この園の原則なのではないかと、疑ってしまい、また決まりが厳しい感じして、嫌らしい感じしていたと…。 幼稚園らしい独自な感じを創出ししている、本気な幼稚園?は何か嫌だった…。 旧幼稚園ではクレヨンはクレヨンと言っていたので、クレパスは聞き慣れなくて普通に嫌というのもあった…。 家でもクレヨンはクレヨンと言っていた。親も。 クレパスというと、何となく“ロッカーの上”が連想される。 普段はロッカーの上に皆の分、並べられていたんだったか…? しかし、クレパス。自分のもあったが…使用した記憶がほぼない。 クレヨンは旧幼稚園の時、なくなりそうなくらい短くなるほど散々使わせられたが…。 クレヨンをクレパスと言うのがまた嫌らしかった…そんな思い出。 クレパスと言うと、どことなくペンのような感じがするが、ペンには見えない。クレヨンだ…。 でもペンに近いのかとも連想し、“特殊性のあるクレヨン”… みたいな感じがして特別(高級)な感じがし、何かもったいない感じもしていた…。 ↑それは良いイメージ。 一応良いイメージも、併せ持つ。 …しかし本当にあの解釈は正しかったのか…? クレパスに関しての解釈は、いまだにああだと信じている…。 そこで、調べてみた。 クレパスとは… クレヨンとパステルの中間のもの…的なもの… 品種改良した特殊なクレヨン… とのこと…。 どうやら…あの解釈は“正しかった”ようだ…。 かなり正しかった…。 “まさにその通り”、でした、と…。 当時からそう解釈していた。当時かってに思った解釈なので… これは、“当時の推理が正しかった”ということ…。 自分、なかなかの幼児。 知りたいことが瞬時に知れる…そんな“今”が信じられない…。 ネットの存在など知らなかったし…。 当時からネットができる環境にあったらどうなっていたのか…? (クレヨンではない、クレパス)                   ある日の夜… 母が「ムギワラ帽子だって」とか何とか言っていた…。 ??? 園で今度から使う的な… 自分が疑問を浮かべていると… … 母はこう言った。 「…ムギワラ帽子って知ぃらないのか!」 …この時は…“なぜそんな、馬鹿にした…?”といった感じだった…。 “ムギワラ”帽子などというもの、聞き覚えすら全くなかったので… “そんなメジャーなものではないでしょう”て思って…… ムギワラって何?何かの専門用語?的な感じだったw 3才から“2年間”で1度も耳にしたことなかった?わけです…。 マイナーなものでしょう… 少なくともそこまでメジャーでは…… でも母は自分がすでに知っているかとも思っていたわけだ… それなりに皆知っているものということか? でも馬鹿にするほどではないのでは… ともかく、「ムギワラ帽子」というのは“帽子”みたいだ…。 …しかし何か嫌な予感がした…。 初めて聞いただけに、また見たこともないような(被ったことはまずないような) 慣れない帽子なのではないか?と想像が膨らみ…。どうせそうだ…。 すでに嘆きムードだった…。 でこの日に、もうすでにその麦わら帽子をうちに持ってきていて、うちにあった…んだった“気が”する…。 でも真っ暗な廊下のハンガーにかけてあり、この日はまだ見なかった…んだった“気が”する…。 で…一晩明けた翌日あたり??に初めて見た…。 そこまでたいして“見慣れない…”というほどではない感じのものだとは思った…。何かそれらしい。 これから帽子がこの“麦わら帽子になる”のだとか… …納得いかなかった…。 それは園で用意されていた統一された麦わら帽子で… いつのまにかうちに持ち込んできていた感じ…。 いつ持ち込んできていたのか…? 親が直接幼稚園へ行くことはあまりなかったのだが(バス停までしか来ないので)… それに、来た時に自分と違う場所にいることはほぼない…。 うちまで“送られてくる”なんてこともない?でしょうし…。 気づかないうちにバックに入れられ、持ち帰っていた…などということも考えにくい……。大きさ的に。 この“いつのまにか?”というところ、今思うと少々疑問…。 まあ疑問は疑問でしかたがないので、それはそうと… これを身に付け通園とのこと…。 このような帽子、いままでに被ったこともないし、“うちの自分”らしからない感じだし、あの園のものだし… 兄も被っていたのなら、馴染みが芽生えていて、気安く納得いったことでしょうが… うちから見たら自分、“麦わら帽子=独自な感じ?”だから…。 独自になってしまうから…それが何か…。 親も納得いっていないことをわかっていたと思う。 またなんとかなるという感じだった…。 予め何か説明したり、なだめたりするようなことを言っていた記憶も。 そんなで納得いかないながら… 麦わら帽子を使用する日が来てしまった。。 まず…家を出た時はまだ身に付けていなかった…。 車内でももちろん…。 その、促されていながらも…。 バス停まで来た…。 バスを待っている間も確か何か恥じらわしくもあり、ほぼ被っていなかった…。 バスが到着した…。 … バスの中の皆も同じ麦わら帽子を被っていた…。 それを見て…本当に“今日から麦わら帽子”ということがハッキリとわかって… この時、かなり安心した。 それで、、普通に被ったままでいれたのだ。確かそう。 母も、“これまで”といった感じだったろうが、その母などに押されてしぶしぶ被ったという感じではなく… その寸前に、自ら“被れた”といった感じであった…。 この方が気持ち的に良いので、良かったのでしょう…。 実はこの日からいきなり(衣替え)だったので、“まだ自分だけでは…”といった気持ちもわりと強かった…。 それで心配…といった感じもあった。(心の奥に) 当初の園服の件と同じで“自分だけ”となっては逆に浮くので、結局は被らないといけなかったわけだし…。 以来、長時間被っていてもそれなりに平気になった。 園服、ベレー帽はもう多少の親しみがあったが、これ(麦わら帽)はあれだった…。 それらに多少とも親しみが湧いていたことに気づかされる一幕であった…。 ともかくは、以前からの知り合いに目撃さえされなければ良し…。 それからも多少あれとも、あれながら被っているうちに慣れていって、 被るのが当たり前になってき、あまり何も思わなくなっていった…と…。 “麦わら帽子”という帽子の存在を、またそれがどんなものか?を知った… だが“麦わら帽子通園”の決まりが嫌らしかった…とりあえずそんな思い出。 “なぜそんな決まり…?”てな感じだった。 私服ではいけないことなんかに対してもそんな感じだった。 こっちは何か“自由のない本格的な幼稚園”といった感じだった。イメージ的に。 園舎もモダンなところが本気臭漂う感じだし…。 以前の幼稚園が昔ながらな園舎な上、自由度が高めだったからか…? 比較してしまう…と。 衣替えは… 通常なら、6月…。 ということはこの時は6月始め? いや…そんな最初の頃であった気がしない。 もうベレー帽にもだいぶ慣れていたと思ったし… 5月に来て、そんな早々と衣替えなんてこと、なかった気がする…。 衣替えは7月からだったのか…? まあいいとして… 夏です。夏が来ました…と。 (麦わら帽子って有名な帽子?)                    体育は観戦だけで… 参加しないことが多い感じだった… 自分は基本的には参加なしで、“先生に誘われたら参加”的な特殊な感じ…。 だが、プールには必ず参加していた。 着替えはあれだったながら、プールが一応いけていたのは疑問。と思う方はいる? 裸体は醜い感じして嫌な感じではあったが…一応いけていた感じ。 プールは旧幼稚園の時からあったが、ああいった着替えはなかったものだし…。? 最初にシャワーのようなものはなかった。 なので去年の○○○○の件のリベンジはできなかった…。 で…
ここのプール…
最初、プール内に足を踏み入れた時は…
拍子抜けした…。
旧幼稚園のようなプールを連想していたため…
幼稚園のプールは皆あんなだと思ったため…。
…嫌らしかったんです。
またなぜ嫌らしかったかというと…
それは…
“深かった”から。
旧幼稚園の時の感覚で望んでいた?ので…
“こんなプールもあるのか…”といった、意外性があった…。
これほどの深さがあると、多少の恐怖があり、何か気安く入っていられない感じだった…。
それほどの深さ…。
嫌らしかった最大の要因は、その恐怖。…ではない。
まず、真っ先に思ったんです…。
これでは、あの…特技が、できない。と……
去年、旧幼稚園のプールで、散々誉められて噂にされていたあの特技…。
わかりますね?
“ワニさん歩き”
それが、できない。
下まで手がつかないから。
何だか、“自分の腕が落ちたからできない”みたいで嫌な感じだった…。
そんなで、ここのプールは嫌らしかった… “旧幼稚園のプールとは違う”という時点で嫌らしかった…そんな思い出。 (嫌らしかったプール)                   
あと先生も一緒に入ってきていたのだが…
最初入った時は先生に呼ばれ、プール内では先生と過ごしていた…。
真ん中にいると怖いので、静かな角にいって…
そこで一方的に先生が話しかけてきていた…。
一方的に先生が話しかけて…というと、新聞配達で園に残った時のことを思い出す…全く違う系統の場面であるが。
いつもとは違う露出度の高い格好をしている先生だが、内面はいつもながらであった。
いつもと違う…と思いきや違わず、安心感を感じた。
それでだが、そんな中…
プールの位置は園舎側グランド上?でしたが…
上のうちのクラスのあたりに誰かおり…そこから…
カメラを構えられた。
それがまた嫌らしかった…。
なぜって、裸体だったから。
ずっと残るのでは尚更、あれでしょう?
いかなる時も見られる可能性がある感じになるし。
で撮影はされた。
航空写真の時同様、上からだったが…
いつの間にか…
ではなくwちゃんと撮影されたのがわかった…。
…
撮影時、先生が共に…
ピースサインを促してきた…。
…ピースサインといえば、カズシkとの合い言葉?を思い出す…。
その後グッドサインはまだできなかったが…
ピースサインは平気めだったわけ。
その合い言葉の件の時、やったことがあったと言いましたね…。
でピースサインはやったことがあるのでやれたわけだが、あくまでやらせられたというだけ。
やっことがあったにはあったが…その、撮影時にやったのは初めてのことであった…。
かなりの新鮮味があった…>ピースサイン
兄もそういう時にやったことはなく、兄との間で、“やらない決まり”のようなものができていた…。それでそう…。 裸体での撮影が嫌らしかった…そんな最初のプールの思い出。 撮影されてしまった。 その時の写真は…かなり経ってからではあったと思ったが、もらってしまった。 自らああいったそれはないので… 言われてそのあれだということは、すぐにわかったことだろう。>親 ちなみにここの園に常設のプールではなく、仮設のプールだった。(旧幼稚園のプールは常設) (最初のプール)                    ある体育の時の話…。 園舎側グランドでこの時は、グランド一周の徒競走をやっていた…。 いや、違った。 競争ではない。 よく見たら… 1人1人、走っていた…。 1人が1周りグルっと走って帰ってきたら… それから次の人が走るような感じだった…。 それを繰り返しやっているだけ。 自分はいつもながら観戦体勢で、クラスの集団から、少し離れたところにいた…。 “何か盛り上がってる”と思ったらハヤタkが走る場面だったり…! ハヤい人が走る場面ほど盛り上がる感じだった… … そんなでしたが… そのうち自分が… 先生に… 走るよう促された…。 先生は自分が速いことを知っていた…。 なぜだったのか…? 走りを見せたことはまだなかった気がしたが…。 聞いていたのかもしれない。親に。 旧幼稚園の時は“速い”というのも噂の1つだった。 皆が注目しているなかで走るのは、かなり恥じらわしく… 走るのは嫌だった…。 増してここの“知らない皆”的な皆の注目するなかで走るのはあれ…。 でも走るのは本当は嫌いではないし… そんな本気で走らなければ…たいして注目も浴びないか… 本気で走ってしまったら例の件で、自分でも怖い…本気で走らなければ…て思って… 位置に着き、走った。 … 大歓声が湧き上がっていた…w 完全に、いままでとは桁違い。桁違いなほどの大盛り上がり。。 「速いっ…!!」 だとか言いまくられている、、 意識して加減して、わりと本気で走ってるように見せかけ、実は気を抜いて楽に、少々ゆっくりめに走っていたのだが……w こう軽やかに走ることで、本気で走っているように見せかけていた…。 途中、少しカッコつけてみようと… 跳ぶような要領でちょっと大股で1歩走った…。 グランドの地面に、少しくぼんでいるように見える?ようなところがあって、そこを跨ぐようなイメージだった…。 その時! 「跳んだっ!!!」 と言われた…。 先生の声?だったか…。 …非常に、嫌らしく思った…。 “跳んだのではなくて、くぼみを跨いだだけ…飛び跳ねてはいない…。何勘違いしてるのだ…”と、言いたかった…。 本当のことを言うと、確かに“跳ぼうとして跳んだ”のだが……。 あえて跳んで、カッコいい姿を見せつけようとしたわけだが… 謎のバレリーナの足上げ滑りの技みたいな感覚で取り入れた感じだったが… 観戦者にはこう、何気なく見てくれて、何気なく全体的にカッコいい印象を後々残してほしかった…。 そう見てくれるのが、理想だった…。 それが、いきなり“跳んだ!”とか口に出しては。。 それに関してもまた嫌らしかった…。… 1周走り終えてからも騒がしかった…。 “誰よりも”凄まじく桁違いに盛り上がっていたわけだが… 大盛り上がりだった要因は…それは“速かったから”…というのが1番大きいだろう。 それに、“自分の走りを見れるのがレアだったから…” “クラスメイト達も自分に対する特別意識が強かったから…” といった要因も、合間ってのことだったのだろう…。 “軽やかな走りだったから…”というのもあったか…? これは… “失敗した”…と思った…。 速く走りすぎた…。これでも… 注目を浴びてしまったわけだ…。 しかも人間離れして速いかもしれないことを、少し感じられてしまったかもしれない…。 もう少し、少し、やわらかに… “気を抜いてる”と、思われない程度で、ゆっくり走る。べきであった…。 後々、そう後悔した…。 自分としては、これは密かに失敗であり、目立ってしまったと…。 でもこれがまさか“失敗”だなんて、“自分”以外、周りの誰も知るよしもない…。 それから… “クラスの皆”が揃いに揃って喜び、盛り上がっている感じだった…。 盛り上がっていて歓声が止まぬなか… さらにそれから皆が、口を揃え… その… アンコールを申し立てられた…。 それまでをも… ここはどういうところなのか…? また嫌らしかった…。 もう1周なんて走るはずもない…。 1度あの速さで走ってしまったので… あれよりか遅く走ることはもうできない…。 最小限の速さがあれ…。 あのスピードよりか速く走ることはできても、遅く走るわけにはいかない…。 怪しまれるし、さっきの走りと“比較”され、大きく期待を裏切る形となってしまう…。 いくらなんでもだ。 人間離れして速いことをもう、少し足りとも知られてはならないし…。 そういうことで、当然ながら、“もう1度”は走らず。。 その気など“なし”なのに、こっちの思っていることを、何も理解していない。。アンコールを促してくる皆が、嫌らしかった…。… 皆アンコールに答えなくて残念がっていた…。 何もわかっていないのはそっちの方…と、いい気味な感じだった…。 かかと歩きレースを拒否した時と同じ感じ。 あの時も、理解していない皆を残念がらせ、多少いい気味な感じしていた…。 この時は、“1度走りを見れただけでも満足”と皆は思うべきだったのでないか…? あとこの時は… クラスの皆が“自分に親近感持ってるんだ…”ということがよくわかった時でもあった…。 皆揃ってああも盛り上がるなんて… 先生が盛り上がっていたから釣られて…というのもあっただろうか…? でもそれだけでああまでは… あとはその、特別感とか、レア度とか、速さとか…。 速く走りすぎてしまい、注目されて嫌だった… 理想通りに見てくれなくて嫌らしかった… 人間らしからないことを知られるその時へと一歩前進?させてしまった…そんな嫌な思い出。 でもクラスの皆が“自分に親近感持ってるんだ…”ということがよくわかったという良い面も一応ある、そんな思い出。 それから、“自分が速い”ことを、先生にネタ化された…。 あれは結構気を抜いて走っていたわけなのだが。。 先生は親からは“速い”ことをおそらく聞いていたと思われるわけだが… それまでは、それに関してはあまり触れることはなかった…。 しかし、これ以来ネタ化されてよく触れられるようになった…。 これが意味するのは… 「話に聞いていても、見て確認していないと、認められない。(ネタとして大々的に他人に話せない)」 こういうことだ。 しかし体育ネタばかりだ… 思ってみると、体育の時のことばかり覚えていることに気がついた…。 特に体育の時間に思い入れあったなどというわけでも何でもないのだが…… “体育”は毎日あった?どうだったか? 旧幼稚園では、“1日置き”だったが… というか、何がいい気味…。(当時の自分) 今思ってみると…これは嫌な思い出ではない。その逆。完全に“良い思い出”だ。 人間離れなんかしていなかったので問題なかったし、皆を喜ばせられたわけだ…。 こういう出来事、あって良かった。 (自分の走りに大歓声)                    プールは、その後も何度も入った。 あるプールの時…
“ここではワニさん歩きできない…”と、また嫌な感じしていた…。
そんな中だった…
廊下の方から…
何やら“オバーサン”がやってきた…。
…
そのオバーサンは何かやけに自分に親近感を持っていた…。何か、声をかけたりしてきた。
こっちも“知ってる人?”て思い、見つめていた。
同様にプール内にいたフネクラtにも、話しかけていた…。
話によるとそのオバーサンは…
“元、旧幼稚園にいた先生”…とのこと。、、、
こっちに移ってきたようだ…。
それで自分を知っていた…と…。
いままで会わなかったが…いつからこっちにいたのか…?今日から?
…
そういえば見覚えがある…ような気がした…。
あくまで“ような”。
ナナムラt、ムーシャt、スズキt、ナスビt、ワーイt以外の先生はそもそも覚える必要もなかったので、わざわざはっきり覚えてはいなかった…。
あっちに高年齢の先生なら何人かいたが…
“その誰か…”ということか。
向こうはこっちの顔、覚えていても、こっちはもともとそんなで、その程度…と…。
で…
その先生(オバーサン)が…
フネクラtに…「ワニさん歩きが得意だったのですよ…」とか何とか言っていた…。そうそう…。
フネクラtは、感心しているような反応をしていたが…
そういう素振りを見せていただけ…的な感じだった…。
やはり“足の速さ”の件みたく、実際見ないと…まともに認めてはくれない模様…
それから旧幼稚園から来たその先生が…
自分に向かってこう言った。
こう言ったんです。
「ワニさん歩きやってみて?」
……
言われてしまった…。
ここのプールでは無理だっていうのに。。。
でもその先生はそれをわかっていなかった…。
“できなくなってしまった”とか、“忘れてしまった”とかは絶対に思われたくない…。
でもやらなかったらそう思われてしまいそう…。
声を出すのが恥ずかしかったので、“ここじゃできない”とも言えない。。
ならばと…
「やろうとする素振りくらい見せてみよう。
それでここはあそこのプールとは違って深いからできないということに気づいてもらえるか!?」て思った。
それで…
少し前屈みになり、手を下に伸ばしてみた…
、、、、、
ちょっと大胆にやりすぎた!
足の踏ん張りが効かなくなり、ストっと、頭から水の中に突っ込んでしまった…。
これは、タダゴトではない。
普通に水に潜ることなどできなかったし、1度浴室のシャワーで耳に水が入ってから、
ずっとそこに水が入るのを恐れ続けていた。そんなわけですから。
1番最悪の事態の最悪像が空想の中なんかでなく、本当に起こった感じだった。
試みる寸前、何となく大胆にやりすぎてこうなるかとも思っていた。
それなのに…。
また何か“未来を見た”感じだった…。…
それから、何とか水の中から抜け出せたものの、やはり文句なしで耳内に水が入った。凄まじく嫌な感覚。
それで耳があまり聞こえなくなり、涙していたら、もちろん気にかけられ、先生とプールから退出し、1階の外廊下で休んだ。
まだほとぼりが冷めぬ中、そばにはまだあの旧幼稚園の時の先生がいて… その先生は、そこでこう言った。 「アタシがワニさん歩きしてなんて言ったからー…」 …それが原因だということはわかっていた…。 そこどうなのか知りたかったので、この発言を聞けてよかった…。 それから、その先生はこのようなことも言った。 「ここは深いんだねー…」 …それが原因で失敗した(というか無理だった)ということも伝わっていた…。 これらの発言は非常に印象深い…。 ここまで体を張ってやったというのに… “なんで突然溺れたか”に気づかなかったとしたら… どれだけショックだったか…? “ワニさん歩きを試みた”ということはわかっても、“深い”ということには気づかず、 “去年より腕が落ちたからできなかった”とか思われていたとしたら増してショックだった。 だから「深いんだね…」の発言も貴重であったと…。 しかし旧幼稚園から来た先生は、何気なく陽気なノリでそういうことを言っていた感じであり… おそらく、深刻に責任感を感じてはいなかった。 まあ“ここではワニさん歩きができない”ということ、それと“失敗した要因”を理解してくれただけで十分だった…。 しかし、普通に“見た感じ”で、“下まで手が届かない”ということがわからなかったものか…… で、その後… 2階の職員室に移動させられた。 職員室はもり3の隣のクラスと、音楽室との間だったと思った。 いつもいる2階でも、L字のうちのクラスの面する方とは違う面?の方へはきっぱりほぼ足を踏み入れなかったので、 ここに来たのはわりと新鮮な感じだった…。 でなぜ職員室に連れられたかって… 職員室連行…というと、旧幼稚園での経験からして、いかにも何か悪いことをしたみたいですよね…? しかしこの時、悪いことはしていない……。 なぜ連れていかれたかって… その、、保健室がなかったんです。 職員室は、職員室と保健室の両方の役割を担う部屋?であった…。 職員室=保健室。 そういえば、旧幼稚園にも保健室はなかった。 幼稚園には保健室はないもの? そういえば「保健室」という名称の部屋の存在は、小学校で知ったんだった…。 プールで溺れて耳を負傷?したので、保健室へ行く感覚で職員室へ行ったと。 職員室にはムーシャtのような風貌の、太った中年の男の先生がいた……。 あくまで“ムーシャtではない”先生なので、それほどの恐怖は感じなかった…。 職員室は、何か“その先生の支配下にある”ような雰囲気だった…。 で職員室でイスに座って休んだ… のだが…?何やら向かい側に… もう1人、体調不要で職員室に来ていた女子生徒がいた…。 ?…?…?… その生徒は… ぶるぶると震えていて… 敷物をたくさん羽織らせられていた…。 凄く気になり、ついその生徒を見つめていたら… そこにいたその先生らが、自分に向かってこういったようなことを言った。 「風邪ひいちゃったの」 … 何か非常に… 非常に… うらやましい感じ、した…。 あんなに気遣かってもらっていて… 自分がここに来た訳なんて、憎たらしいようなもの…。 あの時のナッcと完全に被っていた。 昼寝の時間に本当に眠ってしまい敷物をかけられていたナッチャンと… 風邪で震えて敷物をかけられているこの女子…。 なぜ自分は。。 入れ替わって大事にされたい…。 もう耳などの調子は回復していた…。 自分は保健室…というか職員室を後にした… あの女子より後から来たが…先に出ていったと…。 でもあの女子はどう見ても今日のところはもう復帰できそうにはなかった…。 それからどうなったかは何も知らない…。 あの震え……((())) 今思うと、とても気がかりだ…。 しかも思ってみるとこの時は真夏。。 あれからどうしたのか…? 2度と知れない。 自分を安心させるために風邪と言ったが、実は違ったり…なんてことはないか。? 去年は大いに誉められていたワニさん歩きで… 今年は一転して非常に痛い想いをした… プールで、思い描いたことがその通り現実と化す展開がまたあった…そんな記憶。 &… 風邪をひきたかった… あの女子になりたかった…そんな記憶。これも思い出。 結構な衝撃ネタでした…。 その後フネクラtは、自分のワニさん歩きの件に触れたことは1度もなかった…。 “特技”だというのに…。そう聞いたでしょう…? 先生が見つけたがっていた自分の特技……。 せっかく覚えてくれたかと思ったら… 聞き流していた…残念。 やはり実際に見ないとちゃんと認識してくれない…。ネタとして扱ってくれない…。 ここのプールではできないが、本当は簡単にできるんだって… 旧幼稚園のプールなら簡単なんだって…w その後その件が無視された要因としては…別に“ワニさん歩きを試みてこんなことになったから…”というのもあったかもしれない…。 思い出させてしまうからだめと…。 あの時点ではそこまで聞き流していなかった…? ネタ扱いしてくれていてもよかった。 その後その旧幼稚園から来た先生と接することはほぼなかった…。 フネクラt一筋でしたから…。何か残念。 しかしなぜあそこの園からこんなところに移動してきたのか…? あそことこことではだいぶ遠いし…。 自分がこっちに移ったことを知っていて… 知っている生徒が1人でもいるから、面白半分でここを選んだとか… ありえるだろうか? その1人が拷問受けて、転園に追いやられた自分だし…。 拷問とか知っていたのか…? それで自分を探したりでもしていた?いきなり“やけに”な親近感だったし…。 旧幼稚園に自分の転園先の情報、広まっていた? と色々想像が膨らむ…。。 あくまで想像。真相は分からない…。 ちなみに「保健室」のほか、「職員室」も… 当時はそんな部屋の名称を知らなかった…。 職員室は長らく「先生のいる部屋」とか何とか言っていた…。 今思うと明らかにあそこは職員室。 旧幼稚園のあそこも、「職員室」と言う。それを今は知っている。 それでそう言える。 (ワニさん歩きで痛いハメに&風邪に憧れた)                    体育が終わったあとは… 決まって皆教室へ帰っていって、グランドが静まり返るころまで1人残っていた。 で、静まり返ったころに、先生と教室へ帰っていた。 またそれで習慣付いて、そうなった。 帰る時は、玄関の下駄箱前から園舎に入り、そこから教室へ行かないといけなかった。 そこを経由していくのが原則。 だが自分の帰る時は“もう誰もいないし、見てない”と、 自分だけ特別に、先生と密かに外階段(デッキ上)の方を通って、教室へ帰ることもあるようになった…。 「近道!」とか言って…。 (第二グランドと園舎を結ぶデッキがあった。そこを通れば道路を横断せずに園舎の2階へ行けた。 2階の外廊下がそのまま道路を越えて第二グランドまで続いていた感じ。) うちのクラスへはこちらから行った方が圧倒的に近かった…。 上履きで外に出ていた?ので、玄関を周る必要もない…。 皆いなくなるまでグランドにいたから…だからこそできていたことだった…。 少し悪い感じがしていたが…やはりこちらから行く方が楽でよかった…。 「特別」というのは、嫌だったが… 体育後、特別に近道して教室に帰らせてもらえるようになった…。 特別は嫌だが、楽で良いという反面もあり、その面の方が大きく、どちらかというと良かった…そんな記憶。これも思い出。 なぜ大周りさせていたのか…? てそれは何となくわかっておりました。 窓から家に入れても、普通窓からは入らず、玄関に周って玄関から家に入るでしょう? そうすべき。それと同じ…。 説明すると複雑な感じがするが、そんなことは何気にわかっているもの…と。 というか“うちのクラスの場合”は、その外階段を通るとすぐでしたが… ほかのクラスの場合はたいてい、玄関を通った方が近かった。 というか思ってみると、そこを通った方が近いのうちのクラスだけ…。 もり3組だけそこ通って玄関を通らないのでは、 何か特別な組みたいになってしまい、不平等な感じもするので…そういう面でもだめだった…。 思ってみると、そうだ。 (体育の帰りも、特別)                    このころ… 家に帰ってくると… うちに何か、見慣れないおもちゃがあることが度々あった…。 まず最初にそうして巡り会ったものは… 確か“ドミノや積み木などになるおもちゃ”だった…。 無数に牌があってそれぞれに国旗が描かれていた。 自分が園にいて、家にいない間に親が買っていた模様。 車であそこまで往復で、旧幼稚園のころよりか時間に余裕がなかったはずだが… それでも関係なく、こういうことがあった。 親も家に帰るまで、何も触れない感じだった。秘密にしている感じだったんだか何だか…? うちには目新しい感じだったが、国旗に興味があったのですぐに気に入り、兄が帰ってくるまでの間にそれで夢中で遊んでいた。 そうこの時、自分の方が帰宅が先で、兄はまだいなかった。 兄に秘密で、1番乗りで遊んでる…。この感覚、たまらなかった…。 逆のケースがほとんどだったので、“自分の方が先”“自分が見つけた何か”となると何かたまらなかった。。 ところでこのおもちゃ… なぜ買ったのか?突然に。 何だったか? もしかしたら…兄の誕生日プレゼント。だった… かもしれない。 でもこれは、兄のプレゼントというか、自分向けのプレゼント…。 国旗は、兄よりか自分の方が圧倒的に詳しくて熱意があったし…。 ドミノもまずハマったのは自分だ…。自分。 いかにも自分向け…。 だが… 基本、兄と共に遊ぶ感じだったので… 自分対象でも問題なかった。 相手が楽しければ自分も楽しくなるものだし。 兄の誕生日プレゼント…というのも“ありえなくは”ないが、本当にそうだったのかどうかは不明。 “自分”がまさに好きそうだったからこれを選んだのだろう。それは確かかと思う。 珍しく自分が秘密な感じを味わえた…と。これも思い出。 このシリーズも何回かに分けてお届けする。 (兄に先越されず、1番乗り!国旗のドミノ)                    再びプールネタ。
ある日、またプールに入った。
また炎天下だった…。
何か非常に暑い時だった…
そんな中、再びアクシデントに見舞われた。
プールに入っている最中だか出た後だか、入る前だかは忘れた…。
“出た後”はない。皆はその後もずっと入っていたので…。
以前のようなプールに水没…とは違う。
野苺狩りの時のアクシデントと微妙に共通点が…。
暑いからだった?(関係ないか)
大胆な反応をされた。
それでまた自分だけプールから退出した。
やっぱり自分の場合、永久に止まらないかも…と不安だったもの…。いまだそう。 先生はやけに気遣ってくれていた。 その後、職員室…へは行かなかった。 そのまますぐに1階の外廊下で休憩させられた。 さらに仰向けで寝かされた。これが有効とのことで… 裸体のまま廊下の地べたで仰向け…。 せっかく気遣われても、何か醜い姿のようで嫌な感じで、これはパッとしない要因でのあれだった…。 … と…先生はいつのまにか親に連絡をしていて… 迎えを要求していた。 どうやら早退…? “これは”、テンション上がった…。 ○○は嫌だが、早退はね… しかしそれで仰向けって…今では逆流?しそうだし、気持ち悪くてできない…。 この3年後の時点ですでにできなかった…。 あと床の上に枕なしで仰向けになっていたと思ったが… これも今だと頭に血が上りそうで長時間は無理…。 今思うと、それで仰向けとか…床の上に直で寝るとか… そんなことが平気でできていたことに軽く衝撃。 かってに思い出してかってに衝撃と…。 でもいつの間にかできなくなっていた…というわけではない。 いずれもそれから3年後くらいまでの間に、良からぬことを耳にして、以来できなくなった。 きっかけがあった。ないはずもない。 で…その場にうちの母がやってきた。 話には聞いていたとは思うが… 親とはいえど… 裸体のままで廊下で寝ている姿なんかを見られてしまって… やけに空しい感じした…。 裸体であることに加え、これですから…自分の今の姿はかなり“醜い姿”な感じしていた…。 目のやり場に困るような感じ… それはお互いだったか、自分だけだったか…?? たぶん後者。 それはそうと… 何か、やけに迎えが早かったような気がする…。 そんな長時間寝ていたわけではなかったし…。 ここはこんな遠くなわけだが…… 家にいたのではなかったのか…? …祖母の家にいた…という可能性あり。 そこからここまでなら近い。 しかし、当時はケータイがなかったわけだ… 祖母の家にかけるか…w? 当時、家以外にいた場合は連絡不能だったのでは…? 謎です。しかたない。 …母は自分が園にいる間、家には帰らず、ずっと祖母の家(実家)で過ごしていることが多くて… 祖母の家の電話番号を第二連絡先として指定していたとか… そんなことは考えられる? …考えられるかもしれない。冗談抜きで本当に。。 突き詰めていたらその可能性が浮上。 何ともいえない心境。。 ともかく、迎えが早かった。 なかなか着替えさせてくれなかったのは、汚れる危険性があったからだろうか…? というか… というか、そもそも、そのそれで、「早退」って… 今思うと…疑問。 なぜ早退しなければならなかったのか…? それって、止まったらそれでおしまいで、体調なんかとの関連はほぼなし。 ?? 普通、早退させるものなのか…?どうなのか? 先生は自分を特別意識していたから… というのも、あったのか?どうなのか? オーバーな…。 “日頃から特別意識していた”というのは間違いないわけだが。 あと直射日光が暑かったから出た…みたいな感じでしたが… そういう要因で出ることというのはあるのか…? 改めて思うと、そこも若干引っかかった。(調べてみたところ「ない」とは言えない模様) あと「仰向けで寝る」という先生の対処方に関してですが… 当時としては、あの「ナメちゃいな」よりかはマシだった。 一応“無理”はなかったので。 あの「ナめちゃいな」の野苺狩りの時の件wとは…「○」が話のポイント。という点が共通している…。それだけ。 せっかく先生にかなり気遣われたが、何か可愛げない要因な気がして、裸体だったし、微妙に感じて残念だった… その反面、早退は嬉しかった…そんな思い出。 プール・アクシデント!その2。 これで終わり…のような感じでまとめてしまいましたが、実はまだまだ続く。。↓ (鼻○で早退)                    そして、早退したわけ… こういうのは普通の帰りよりさらに気分良い。そういうもの…。 母は車で直接来ていた…。 なぜだったか…?車で直接迎えに来ることがこの時のみならず、たまにあった…。 その時もまた… 車を止める場所に悩んでいた。 でも結局は、付近の道ばたの端に止めていた。そこで定着。 付近…といっても、そこまでがまた、結構な距離あって… 結構、歩いていた。 なので結構、歩くのが面倒であった。 多少距離はあったが、でも大通りに出たりはせず、園のある場所と同じ一帯の住宅地内?であったと思った。 で、この時も車の場所まで歩いて、車に乗った。 まだ早いから?と… やはり直では帰らず… いつもとは少し違うところを通って… 少し行ったところの途中の裏道沿いにあったスーパーマーケットの付近に車を止めた。 そこで途中下車?をした…。 そこのスーパーマーケットで買い物をして帰るつもりのよう…。 そしてスーパーマーケットに入った。 店内を周っていると…ふと母が 「値段が違うんだよ」 とか何とか言っていた…。 何のこと?と思った… で… 店頭に大量に売られているチーズをよく見たら… 各品ごとに、値段の書かれたシールが貼られていて… その値段をよく見ると、全く同じ商品のはずなのに、それぞれの値段が1つ1つ、異なっていた…。 こういうものだったか…?いや、母の反応からしても、ここは特別みたいだ…。 「安いものから売れていく」 のだとか… そうも言っていた…。 となると、もうこの時間なので、安いものはだいぶ売れてしまっているだろう…。なんて思っていた。 店内は空いていたが…“誰もいない”というわけではない…。 母は適当に安いものを選んでカゴに入れていた…。 値段が違うのなら、もう少しよく見てから選べばいいのに…と、思ったが、あくまで心で思っただけで、何も口にできなかった。 ともかく面白い売り方だと思った…。 しかし…“同じ商品でも値段が違う”なんて…そんなことがある?(あったわけだが) ほかの商品も同様に個別に値段が異なっていたのか?よく見ていなかった…。 …そんな何か特殊なスーパーでの買い物も終え、スーパーを後にした…。 … スーパーの向かい側には… 公園があった。
そのあと、その公園に立ち寄った…。
入口から見て右の方に…トンネルが無数に通っていて、凹凹している大きなドーム状の遊具があった。
その遊具が普通にインパクト大だったので、見た感じ何となく気に入って…
その遊具の上に上がり、そこに座った。母も来た。
そこで…
先ほど、スーパーで買ったチーズを…出した。
あの値段の違っていたチーズだったか…?
ほかに買った別のチーズだった気がしなくもない。
ともかくそのチーズは…
以前食べたことがあって、これは数ある“食べ物”の中でも、かなり美味しい部類だ。と思ったやつだった…。
円形になっていて、ケーキのように8等分くらいにされているやつ。
1かけらは三角形。
1つ1つ…包装を剥いて共に食べていった…。
この時間だからというのもあり、周辺にほかの子供達はおらず、悠々としていられて気持ちよかった。
いつも園にいるはずの時間に、自分だけこんなところにいるわけだ…この感覚…それがまた、たまらない。本当にその、気持ちよかった…。
それにこの遊具の上の居心地がよかった…。
少し丸みを帯びている感じなところなんかが良い感じ…。
もうあのことは忘れていた…。なぜ早退したのだろう…
…
有数の美味しさを誇るチーズも食べ終え…
公園を後にした……
… そういう意味で気持ちよかった… ある意味楽しかった… そんな公園での一時の思い出。 2人で過ごしたあの遊具の上での一時は…印象的であった…。 あの公園はどこだったのか…? また行ってみたい… と、その後何年経っても、ふと思い、何かこみ上げてくるものを感じることがあった…。何度もあった…。 あそこはどこだったのか…? いまだにあれ以来、1度もあの付近らしき付近?へは行っていない…。 いまや幻のような公園に。。幻のはずはないが…。 果たしてまだあの公園は存在しているのか…? どこだったのか…? たいして車で走行してなかった気がするので、わりと幼稚園の近辺だったかもしれない…。 あの値段の気になるスーパーも… 果たしてまだ存在しているのだろうか…? 人目につきにくい感じの場所にあったスーパーなので、さほど長持ちしていなさそうな気がするが…? スーパーよりか、公園の方が現存している可能性は高いです。考えてみると。 両方現存していてほしい…。 当時と変わりなければ変わりないほど、嬉しいもの…。 なくなったものはもう見れない。そこにはもう行けない。もう会えない。 「無くなる」は、「亡くなる」に同じ…。 現存して(生きて)いれば嬉しいし、消滅して(死んで)いたら切ない。 そういう感じ…。 (公園での気持ち良い一時)                    ある体育の時… この時は皆鉄棒をやらされていた…。 鉄棒は園舎側園庭の端の方にあった…。 前章で言ったが、“鉄棒こそが本当にだめ”でしたから… 自分はできないのでこれこそ見学… と思うでしょうが、手をつけさせられた。 でとりあえず前回りをやりかけて… 棒の上に乗って… そこから回転する勇気がもちろんなく、そのままで止まっていたら… 隣にいた先生に… 感激されたw 感激して、こんなこと言われた。 「洗濯物うまいじゃん!」 、、洗濯物?? …どうやら、これだけでこういう鉄棒の技であった模様。。 それは知らなかった。。 前回りする時、鉄棒に上がるでしょう。そこから回転せず、ずっとそのままの体勢で制止しているのが、その「洗濯物」という技のよう。 それを知らず知らずやっていたと……。 何か疑い深かったが、本当にこういう技があるみたいだ…。 何か嫌らしかった…。 先生は“やろうとしてやった”のだと思ったかもしれなくて…。 こんな技を知ってるとか、思われたくなかった…。 旧幼稚園の生徒達は誰もこんな技、知っていなかったし…。 こんな技を知ってるのはこっちの生徒…。 自分は元はこっちの生徒なんかではない…。 ウザったいこっちの生徒なんかではないので、知っていたく?なかった…。 それで“知っていたと思われた”かもしれなかったから、これには嫌らしかったと…。 知っていたと思われていて、そう言われたのか?どうかは確かには分からなったが…。 そこ、どうなのか聞く勇気はなかった…。 まあ誉められていたわけなので、また多少嫌らしくあったものの…そこまでは悪い気はしなかった…。 鉄棒で誉められるとか… まさかその、信じられなかった…。 でもだいぶ納得いかなかった。 こんなにも簡単なのが“技”であり、こんなので“誉められる”とか…。 自分を特別扱いしているからのこと。みたいな感じしていた…。 やけにハイテンションで感激されている感じだったし…。 自分的には、こんなので誉められるのはおかしい。誉められるべきではない。と、そう思った。 そうでしょう…。 そんなオーバーな反応をされたらおかしい… と、それで自分がそう思ってしまう。なんてこと、先生は予想だにしていなかったことでしょう…。 特別な自分だったから、こんなでも“本当に感激する”とか思った? 先生は自分の特技を見つけようとしていて、それで自信をつけてもらおうとしていた感じだったので… それでこの発見に感激…という感じでもあった…? “特別”というのが絡んでそうなったのではないかと思えてしまうところがまた少し何か納得がいかなかった要因…。 わりと、色々なことに色々な要因が。 その後、ほかの皆にも洗濯物をやるよう指示していた気がした…。 それで…“何人か”の友達が挑戦していたと思った。 でも先生はいかにも“自分が1番うまい”と、歓喜していたような感じだった…。 作戦的なものだったのか…? 誰がやっても、それほど上手い下手の差が出るようなものではない…。 まんまと先生の思い描いた通りに持っていかれた感じか…。 かかと歩きレースの時と同じ目論見…? 鉄棒はそんないくつもないので、あの時のような、そんな皆でやる騒動(大事)にはなっていなかった。 ならなくてよかった。 というか、こんなので、いい気になんてなっていなかったから。 残念ながらこれで自信がついたりなんかしない…。 そんなあまい園児ではなかった。 先生に“そうじゃない、無駄だ”ということは伝わらなかった…。 言わなければ伝わらない…。過去のことも何でも。 鉄棒でまさか誉められた… でもそういった色々な理由でパッとしなかった… でも誉められたには誉められたわけだ…微妙…そんな思い出。 (まさか感激された洗濯物)                    廊下を歩いていると、廊下で生徒とすれ違うことがあった。 それはそうだ…w
あるプールの日…
プールが終わって教室に戻る途中… 1階の廊下を歩いている時だったか…? 裸体のままで歩いていたのだが…(教室で着替えるので、教室までは裸) この日の帰りも前から生徒が歩いてきた…。見知らぬ生徒だ…。 すれ違う時…! その見知らぬ生徒に… ○○○イを触られた! 詳しく言うと、さりげなく○首をこう、指先で“ちょこ”っと…。 何なのか…? と、思って…その彼をのことをよく見てみた。 彼は何か、どことなく無邪気な感じで、微かな笑みを浮かべていた…。 そのまま通り過ぎていった…。 嫌がらせ…というのではなくて、自分にちょっかいを出した感じだった…。 あの表情を見れば一目瞭然だった…。 今思うと“表情というのはそういうもの”と、表情の凄みを感じる…。
その後、別の日のプールの帰り…
再び廊下で…彼とすれ違った…。 …すれ違う時… 再び、ちょこっと○ッ○○を触られた…! “あの時のやつだ…!”と、強く思った…。 そんな彼はどことなく…出○金のようで奇妙な顔立ちをしていた…。
彼は…ウチューミ君。と呼ばれていた…。
宇宙見君…!?
そ、それが、、名前…!?
奇妙な彼に相応しい、奇妙な名前であった…。
おかしすぎる。“工事君”のほか、そんな名前もまたありなのか…!? そういう名前だから、ああいう顔なわけだ…。? どこで聞いたんだか忘れたが、どこかでそう呼ばれてたと…。 その名前も、容姿も、ここの園に相応しい、典型的な嫌らしさだった…。 ウチューミ・エージ君。と言った…。
宇宙…エイリアン??
本当にそんなふうに見えた。。 ともかく、イメージは宇宙人。
そして…再びプールの帰り…
廊下を歩いていると… またまた前からウチューミkがやってきた…。 …もう覚悟の上だった…。 このときは覚悟を持っていた…。 すれ違う時… 思った通り、期待通り… オ○○○を触ってきた…。 その時はいつも、“あの表情”だった…。 プールの時、3,4回は確実に触られた…。 “見知らぬ人”だとあまり意識しないが…実はわりと同じ人とすれ違ってる…?? しかし、裸体でいる時に遭遇すると毎度やられていたわけだが… どうして自分…? それはやはり… 自分の裸姿が醜いからだろう。 “当時は”そう思っていた…。 醜いからちょっとそれを馬鹿にした感じで、触ってやりたかった感じかと…。 何度も言ってきたが、“裸体では醜い”的な意識がありましたから…。 そもそも自分は裸体を見られるのがあれだったが… 特に“○○○イ”を見られるのが嫌だった…。 そこが最も醜く見えるポイント?のように思えたから…。 オ○○○がそのポイント?だから彼は○○パ○を…といった感じ…。 見事に弱点をつかれていた感じ…。 …でも今思うと別に身体に目立った特長があったわけでも何でもなかったのに… そんな理由でそうされるはずもない…w 彼は自分が転入生で、特別のような扱いだということをわかっていたのか…? それで彼は“そういう人が気になって、接してみたい。”て思って止まないタイプの生徒だったのか…? あっちからしても、こっちは見知らぬ生徒なわけだから… 普通なら見知らぬ生徒にこんなことは早々しないと思う…。 だから特殊だということはわかっていたのかも。 わかっていなかったのだとしたら… 彼から見て、自分は何かよほどの並外れたオーラがあったのか…? ともかく、彼は自分のことが気になって、“親しくなりたい”といった気持ちを感じていたのでしょう…。 そういう気持ちが芽生えていたのでしょう。 何がどうあれ、影にそういう気持ちがあったのでしょう。 “そういう気持ちがあってのこと”だったのでしょう…。 それは伝わっていた。 言葉を交わしたことはないままであったものの、伝わるものは伝わるもの…。 ならば逆にあっちは… 自分の反応に対して、どう感じていたのだろうか…? 1度やって平気だったから、彼的に安心して何度もやれた…というのもあるか。 でもその最初の1度をやってきた時点で、何か気になるところがあったはず。 それが特別をわかっていたか?オーラか…?と。 彼と同じクラスだったら…どうだったのか…? ともかく… やはり人並み外れて裸姿が醜いのかもしれなくて、嫌だった…。 余計に人並み外れてる意識(人間でないかも的意識)が増してしまった…。 ウチューミkがいやらしく、嫌らしかった… 宇宙人のようで尚更嫌らしかった… でも憎めなかった…と。そんな思い出。 (おそらく「今」見たら普通の顔。こんなふうに思っておりました。すみません) しかし最初は、一体何なのか?と思ったもの…。 のちに…ウチューミkは… ウチューミkではなくて、ウ○○ミkだったのではないか…?と、思った…。 それの方がありえそう。 当時は結構本気めに“ウチューミk”という名前なのかと思っていた…。 … 本当にウ○○ミkであっていたのか…? “○海”だったら“○○ミ”と読むような…? 思ってみるとプールネタ、多いが… プールの日ってその、頻繁にあったのか…。 旧幼稚園のプールも数え切れないほど入った感じがする…。 夏限定なはずなのだが…。 (○○パ○を触ってくるウチューミ君)                    ずいぶん長いこと休んでいる…。 また休み癖がついた。また転園か…? … なんて思っていたら、その、夏休みとやらに入っていた…。 この年の夏は、何かかなり印象的であった…。 何かたまたま…兜虫、鈴虫、青虫~蝶と、色々な生き物を飼っていた気がした。(よく平気だった) それら全部がこの年だったかは定かでないが、この年くらいだったと思った。 それだけでない… この夏に飼った生き物で1番印象的だったのは兜虫でも鈴虫でも青虫~蝶でもない。
某猫だった。 最初はなぜか旧幼稚園のアメンボを連想してしまって嫌らしかったが、そう思えなくなった。 白が遭難していた時、でもあった…。 兜虫、鈴虫、青虫~蝶なんかは、一夏の間しか生きてないが、その、猫は別格。今だいるから。(今=執筆時) ともかくそういうのは“家での話”になるので、詳しい話はここでは“なし”。 生き物系統以外だと“暑い”のが印象的であった。 夏の印象=暑さ。でもあったりする。 ともかく、暑い方が印象づくので、良い。 暑いほどに夏らしい。 暑い上、印象的なことがあり、非常に印象的であったと…。 中学校までの間で、1番印象に残っている(覚えている)のは黒が来たこの時の夏休みかもしれない…。 夏に飼ったのはそれらですが、この年は、さらにほかの生き物も飼っていた。 思ってみると、ペットに恵まれた年?だったことに気がついた…。今になって…。 兵隊のような格好をしていたり、麦わら帽子とか、ベレー帽なんかを被らされていたこの頃というだけでも独特で印象的な感じ。 …そういうことで、夏休みはせっかくだが飛ばします。 ここでこう、触れているので、飛ばしたことにならない? とりあえず短くまとめた感じで触れてみたと…。 ともかく、、夏休み期間も、また語るとあきれるほど長くなるほどに色々あったと…。 それを把握した上で、次へ…。 暑くて“出会い”があって、印象的…そんな夏休みであった… … (いつのまにか夏休み) あとこのころから、“TVゲーム熱”がより本格化してきていた…。 ゲームは旧幼稚園のころからやっていたが、そのころよりか、さらにどうしようもないほどに熱意が高まっていっていた…。 もともとマリオコレクションなんかに夢中だったが、マリオワールドに惹かれて、 今度はマリオワールドが1日中頭から離れないほどに夢中化した。 そのほかにもかなり色々なゲームを見ていた。 ゲームのことが1日ほぼ頭から離れない状態が始まっていた。ご理解を。 兄の新しい友達達がゲーム好きであった影響も大きい…。 そして決定的にそっちの世界に持っていかれたきっかけのゲームが、、。それがあれ。                    休み時間に皆よく「木」の絵を描いていることがあった…。 「木」の描き方は… まず1本の棒を描いて… 棒から枝を描いていく?感じで… てっぺんが寸断されていて、四角くなっているようなのだった…。 電柱のような見栄え…。 ある日、先生が「みんなの木の描き方はおかしい」だとか言って… 「てっぺんはそうなってない」だとか言って… 実際に、木を見に行くこととなった…。 もともと木を見に行くつもりだったからそんなことを言ったのか…? それとも本当に木を描くのが下手だからそれであえてそうしたのか…? ともかく、自分は木をそんなふうには描かないのに、“みんな”と、自分を含めて一括りにされて…嫌らしかった…。 そんなふうに思ったのは自分だけだったかほかにもいたか…? いたとしたら、自分と同レベルの人がいたということだが…。 で… クラス全員で「木」を観察しに出かけた…。 園内でも木は見れたが… 園内を出て確か歩いて… “結構遠く”まで行った…。
少し行くと緑豊かだった…。
道路の両側が森のようになっている場所に来た…。
さらに道路を進んでいくと、道路左側にやけに迫力のある場所が…!
切り立った崖…。
斜面の木々が伐採され、地肌がむき出しになっている…
何か地滑りでも起こしたかのような凄い風貌…。
怖いが何か圧倒され、ここが気に入った…。
ここ凄い…と、皆に伝えよう…と、する間もなく、皆も自分と同じようにそこに見とれていた…。
それで先生の許諾により、道路から森の方へ入り、そっちの崖のそばへ言ってみることになった…。
その一帯は木々は伐採されていたが…
周囲は森…木の観察には最適な場所でもあった…。
皆崖の手前でたむろしていた…。?
何か、登れる?
1人登り出すと皆登り出した…。
先生も「登れる?!」と驚いていた…。
よく見るとそこの崖に登ることができる細い緩やかな坂道?が作られていた…。
意図的に作られたものと思われる通路だった…。
右の方から通路へ行けた…。
!これはテンション上がった…。
先生もその気になり、“みんなで登ろう!”的な感じになった…。
だいたい皆登っていく感じの流れとなった…。
自分も、先生の一言に押され、崖を登っていった…。
嬉しい感じだった…。
この上はどうなっているのか…?
この上には…何が…??
…
そこでしかし!“下りて”との…止めがかかった…?!
何だったか………??
先頭の人が上の方で“ヘビ”を見つけた…
いや…
“毒キノコ”が見つかった…
いや…
思い出した。
まだ登っていなかった先生が…下から何か言ったんです。
「入っちゃだめ」
とか…。
“立ち入り禁止”であった…ようなんです…。確かそうだった。
なぜそれに気づいたのであったか…?看板でもあったんだったか?
それはさておき、自分ももう多少登ってしまっていたわけ…
そんな立ち入り禁止なところに。。まずい。
自分はあせってすかさず通路の道なりを無視して、急斜面な崖を駆け下りた…。
と、自分だけではなく、それを聞いた皆も、慌てていて、一斉に下りていっていた…。
あまり速いと思われたくなかったので、途中から少し気を抜いて駆け下りていった。
後ろから…
サイキkが来た。サイキkリード…!
“さすが!サイキkでしょう!?”なんて思いながら、多少気を抜いて自分も下りていった…。
自分が崖の下(地上?)まで下りきると…
下で待機していた先生に、、
“感激”され、こういうことを言われた!
「1番速かったじゃん!」
先生はかなり、興奮して、感激して、自分のことを誉め称えていた…。
その後も立て続けに「1番乗り!」「1番先!」とかやたらと言いまくっていた…。
せっかく“気い抜いて”駆け下りたのに…
自分はモヤモヤし、先生に向かってこう言った。
「…サイキkの方が速かったよ!」
しかし、先生はさり気なく聞き流し、“1番1番”と連呼している…。
もう1度言った。
「サイキkの方が速かったよ!」
…
「サイキkの方が速かったよ!」
何度言っても先生は聞く耳持たず、
「1番速かった!」「速い!」
と、言っているままであった…。
確かにサイキkの方が少し、先だったのだが…。
先生には自分しか見えていなかったようだ…。
真っ先に下りだしたのは自分だから、1番先に地上に到着したのも自分に見えたか…?
先生には自分の言葉が聞こえなかったのか…?
いや、何度も言ったのでそんなはずはないでしょう…。
なぜ信じなかったのか…?
自分に注目していたのでほかに目がいかず、確信的に1番に見えていたのか…?
それでいて、幼児の言うことなど信用できない。といった感じだったか…?
いや、信用はしていたが…
先生の願望が出ていた…
と、考えることもできる。
先生は自分が1番だということにしたかったことでしょう。
あの特技を探していた感じから察すると普通に…。
何にしても嫌らしかった…。先生は嫌らしい…。
でも…サイキkの方が速かったといっても…
サイキkの方が速かったには速かったのだが…
あえてサイキkに順位を譲った感じだったわけ…。
本当なら自分の方が速かったわけ…。
なわけ。
自分が1番。と言ってもさほど差し支えない…。
結局は…。
でもこっちはあえて1番にならないようにしたわけだ…
“1番ではない”と思ってくれなかったということは…
失敗だった…。そういうわけ…。
また失敗。
あとサイキkを目立たせたかった…というのもあった。
ハヤタkより運動神経上だ…ということをクラスに広めたかった…。
サイキkに好意があったので、願望が……。
ハヤタkより上かもしれないということは事実。
そういう面でも失敗と…。
何気に崖下り争いが繰り広げられていた…。そんなでは、、
ともかくもう少し、、遅く下りて、誰がどう見てもサイキkが1番速かったように見えるようにすればよかった…
気を抜いたながら、またもそれでも速すぎてしまって…
人間らしからない速さであることがバレる日へとまた一歩近づいてしまった…
もう少し、わざとっぽくない具合で加減していればよかった…もう少し…
1番は嫌だった…やはり3番(3位)が理想…。
サイキkを目立たせたかった… だが、逆に自分のせいでサイキkは脚光を浴びれなくなってしまった… 自分が嫌らしかった… 先生が嫌らしかった… 信じなかったのかあえてだったのか知らないが、ともかく先生も嫌らしかった… そういう思い出。 (人間らしからない速さではなかったと思うので、そんなことがバレる日が訪れるようなことはまず、ない) “崖登り”までは興奮だったのだが。。 しかし、崖登りが中断された(立ち入り禁止だった)のは残念だった…。 せっかくあの迫力の崖に登れたわけだったのだが…。果たして、あの先はどうなっていたのか…?? あそこはどこだったのか…? 幼稚園の近く。ということはわかっているわけだが。 あそこも何か工事現場っぽい感じだったので、すでに変貌していてわからなくなっている可能性が高い…。 切ない…。 でもあのままの形であそこが現存している!と信じたい…。 あの上はどうなっているか…?あそこはどこか…?どれほどの迫力だったか…?あの場所は、今…??? その後も、先生はそれを“自分は速い”というのの新たなネタとしていた…。 それも並みな程度な範囲内でほどほどに…だったら良しなのだが。。 そういえば自分がしゃべるネタ、本章ではこれが初めてであったことに気がついたw (崖下り争い。サイキkの方が速かったよ!) 続きをお楽しみに…
前へ
ふじ第二幼稚園 舟倉先生 鎌ヶ谷
                 

■ テクノステーショントップ > 過去の記憶 > 自分の始まり、成り立ち > 自分が存在・自分のデフォルト > 恐怖と自由 > 嫌らしさ、そして中途半端さ ■ 1つ戻る