★ 善悪 ★

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善悪の解釈講座正確な善悪の解釈善悪学善悪考察真理の善悪論

・善悪とは何か?その答えを探求。

善は、楽、幸福と結び付く。
悪は、苦、不幸と結び付く。
即ち善悪を理解することは、苦楽、幸不幸を理解するということにもなる。
善悪を理解すれば、幸福をつかむこともできるかもしれない。
ここを読めば、あなたもその理解を深められる。
即ち幸福をつかむこともできるかもしれない。
読むこと覚えることの価値はそこにある。
善悪は人間にとって主要な課題。
管理人の胸の内にあった概念を全て文字とし、形式化。

                   ┏肉体
                   ┃ ┣感覚
                   ┃ ┣言動━影響━文明
         ┏物質       ┃ ┣生
   ┏因果   ┣次元  破壊・再生 ┃ ┣死  ┏記憶(経験)━認知  ?
   ┣運命   ┣時間   ┃   ┣意識━知╋意思(自我・選択)━善悪(価値観)
   ┣真理・謎 ┣種・数━需要・供給 ┃ ┗自己 ┗感情━苦楽(喜悲・幸辛・安怖)
   ┃     ┃         ┃
? 神━━自然(この世)━━━━人間 ?



★ ①善悪実空と有善悪 ★

善悪に特定の決まりはない。
どんな形でも確立させられる。
即ち解釈によって何もかも善になりえれば、何もかも悪になりえるもの。
どんなことも善になりえれば、悪にもなりえる。(詳しいことは③に記載)
善は誰かにとっての悪であれば、悪は誰かにとっての善であるケースも多い。
突き詰めたらほとんどのことがそうかもしれない。
即ち善悪とはよくわからず、曖昧で存在しないようなもの。
即ちそもそも実質絶対の善悪があると思って、それを決めていることは間違い。
人を戒める材料となってしまう、良くない間違い。
人を戒めたら、自分も戒められる。
善悪はあくまで、人間の自由意思による価値観。
この善悪はないようなものと見る考えを「善悪実空」と呼ぶ。

そんなで善悪は実質ないが、人は必ずこれは善、これは悪と、好みにより選別して善悪を決めている。
好みで善悪を確立させている。
確立させたら、その人がその後どう矛盾を感じることになろうとも何だろうとも一応は「有るもの」となる。
組織における善悪も同じ。
もともとは所詮、人が好みで確立させたもの。
こういった個人、組織の中で確立された有の善悪を「有善悪」と呼ぶ。
人それぞれ好みが違うために、有善悪の内容はそれぞれ異なっている。

好みで決めたことである有善悪は、好みのルールとも言える。
決めたルールを守ることがルール上の善行、ルールに反することがルール上の悪行。
好みで決めているので何でもあり。ルールの内容に決まりはない。



★ ②有善悪の分類 ★

各個人が考えとして持つ有善悪を「個人善悪」、各組織に定められた有善悪を「組織善悪」と呼ぶ。
全ての人が、固有の個人善悪を持っており、人の数だけ存在する。
全ての組織に、固有の組織善悪があり、組織の数だけ存在する。
両善悪の特徴↓

- 個人善悪 -- 組織善悪 -
人は組織善悪を植え付けられて育つため、
基本その影響を受ける。
影響定めるのは個々の人間であるため、
基本個人善悪の影響を受ける。
いつでもどこでも誰でも自由自在に改編できる。改編基本、組織の最高権力者のみ改編できる。
人をこの善悪に基づいて動かすことは難しい。
馬鹿にされて伝わりにくい。
権力組織内の人をこの善悪に基づいて動かせる。
即ちそこを支配できる。真に受け尊重されやすい。

一括りに組織といってもその種類は様々で、規模の幅が大きい。
主な組織は、仲間、家、親族、学校、職場、社会など。
各組織の組織善悪は、それぞれ仲間善悪、家善悪というように、組織名+善悪の形でも呼ぶ。
主なものを規模の順に並べると↓

小←規模→大  小←権威→大
 至個人善悪 < 仲間善悪 < 家善悪 < 親族善悪 < 学校善悪 < 職場善悪 < 社会善悪 
楽←確立→難  楽←改編→難

最も大きな組織善悪の単位は、今のところ社会善悪。
最も小さな善悪の単位はというと、自分という個人しか支配下に置けない個人善悪になる。
規模が小さいほど簡単に改編し、所属者の動向も簡単に操れる。
大きいほど簡単にはいかないが、権威大。所属者は嫌でも言うことを聞きやすい。

有善悪は個人・組織の両善悪を含めた善悪の内容であり、
全ての個人・組織の中にそれぞれ特定の有善悪が包括されていると言える。
個人・組織の中にそれぞれ有善悪が割り当てられている。
有善悪は「善悪の一論」である。
などとも表現できる。

組織の中では、その組織におけるルール(有善悪)を守ることが善なのかというと、そうも言い切れない。
有善悪を重んじる(ルールを守る)のが正しい、善と見ることができる一方、
実質のところ善悪はない(善悪実空である)ため、それを善と見なければ悪とも何とも見ないと考えるのもあり。
2通りの認識がある。
前者の考えを「有善悪の尊重」、後者の考えを「善悪実空の尊重」と呼ぶ。

善悪実空の尊重は空なので曖昧、有善悪の尊重は有である有善悪を尊重しているので明確なもの…と思いきや、それも曖昧なものである。
普通、「社会の中の親族の中の家族の中の個人」のように、人は複数の組織に属している。
そのそれぞれの組織の組織善悪も若干異なっているわけだ。
即ち今属する組織全ての組織善悪(ルール)を守るとなると、ルール間に相反することがあったりで矛盾が生じることがある。
その場合、どうすればルールを守ったことになるのか定義はなく、個人の判断に委ねるほかない。
即ち曖昧になる。
普通、善悪実空とどちらを尊重するか迷ってしまうケースもあるために、その意味でも曖昧になる。
有善悪も有でありながらそれだけでも曖昧であるという考えを「有善悪無」と呼ぶ。

例えどんなルールでも善と捉えることもできれば、悪と捉えることもできる。
即ち破るべきルールはありえない。
有善悪を尊重するなら、有善悪におけるルールを全て守るべき。
守らないのなら、善悪実空を悪く捉えずにそれを尊重していることになるので、そのことを自覚する。



★ ③善悪相違 ★

現状、②で述べた通り特徴としてどの規模の有善悪もそれぞれ影響を受け合うために、有善悪は基本皆、似通った内容にはなっている。

しかしながら①で述べた通り実質善悪に決まりはないため、当然ある程度相違も見られる。
基本全ての有善悪は別の有善悪に対し、異なる内容を含む。
場合によっては大きく異なる。相反する。
異なる要因は、「目的」、「視点」、「好み」、「状況」、「間違い」、「思い込み」の6つによる。
人により少なからず必ず異なるそれら全体を、自らの確立させる善悪に自由意思(即ち好み)で反映させる。
だから異なる。
有善悪は完全に被ることがない。
「人・組織の数だけ存在している」ということになる。

有善悪どうしが異なることを「善悪相違」や「善悪の相違」と呼ぶ。

- 善悪相違 例 -
目的の違いによる相違 Bを力士にしたいと思っているA、騎手になりたいと思っているBがいたとする。
Aは「ひたすら食べること」がBにとって良いことだと思っている。
しかしB本人にしたらそれは悪いこと。
このように、同じことでも善悪が相反することは良くある。
視点の違いによる相違 Aを子供だと思っているB、Aを大人だと思っているCがいたとする。
BはAの作品を見て大絶賛、Cは同じAの作品を見て大バッシング。
大人どうしでも、プロとして見るか素人として見るかで善悪は異なる。
大人、子供、プロ、アマ…どの視点で見るかで「全く同じもの」でもその評価の善し悪しはまるで違ってくる。
視点の違いだけで天と地ほどの格差をつけられるもの。
好みによる相違 力士を目指すA、Aの親で相撲に興味も何もないBがいたとする。
Aは当然、力士としての体をつくり相撲をすることを善とみる。
Bは肥満になる上怪我のリスクがあり、命を削るだけとしか思えない相撲をしない方が良い(善)とみている。
好みによる相違。
好きなことの良い面はよくわかる。悪い面がわかりにくい。
嫌いなことの悪い面はよくわかる。良い面はわかりにくい。
状況による相違 一般車を運転する時A、救急車を運転する時Bがあったとする。
Aの時は交通ルールを守ることが善。
一方、Bの時は守らないことが善。
交通ルールを守らないよりも、守る方が命を失う危険性が高い時もある。
「全く同じこと」でも、状況に応じて善悪が変わる。
間違いによる相違 ①Bは力士になりたいものと思っているA、自分は騎手になりたいと思っているBがいたとする。
Aに「ひたすら食べさせること」がBは善行だと思っている。
しかし実質それは悪行。
B本人にしてみたら当然悪行、ということなる。
誤りの善行も、その人にしてみたら善行。
②言葉がわかるA、Aは言葉がわからないと思っているBがいたとする。
Aに言葉を教えることがBにとって善行であり、推し進める。
B本人にしてみたら、無駄なおせっかいでしかない。
即ちAの行為は悪行。

善悪相違があることからしても、善悪実空を実感できる。
何もかも善にも悪にもなりえる。善悪は空。



★ ④管理人の個人善悪 ★

筆者(管理人)の個人善悪を記載。
誰の個人善悪も、経験により意識することなく自然と確立されている。
経験の中には組織善悪の圧力による影響が入る。
筆者も例外とは言えない。



- 善=幸福=楽・悪=不幸=苦 -

善と幸福と楽、悪と不幸と苦はそれぞれ等しいもの。
幸福(楽)に勝るものはない。不幸(苦)より酷いものはない。
幸福を芽生えさせることが善行であり、不幸を芽生えさせることが悪行である。
できる限り多くの人に幸福感(善)を与えられるように尽くす。これが最善の行い。
その逆が、最悪。
不幸な感覚は与えれば与えるほど、悪。
単純で理解しやすい話だが、皆明確にはわかっていない。



- 幸福を与えることの中核=豊かな人類文明を育てること -

全ての人に幸福感を与えられる唯一の方法がある。
それが、これ。「豊かな人類文明を育てる」。
即ちこれをすることが(最も多くの人に幸福感を与えられるという意味で)最善とも言い換えられる。

どうしても難しい場合、育てるまでせず豊かさを維持することに協力するだけで良い。
豊かさ(幸福)を与えながら維持するので、ある程度多く幸福を与える行いになる。

筆者はこれを「各々の人間に託された使命」とみる。
その使命に基づいた行動をすることが、価値のあること。価値の創出でもある。
使命、即ちそういう意味でもこれは格別の善行。
即ちこれを幸福を与えることの代表格(中核)として意識しておくと良い。

命の持続時間には限りがある。その限りある時間の中でできる限りこれをする。できる限り。
それこそが最善の善行。

使命に基づいた行動をあまりしない人は評価に値しない。
即ちある意味、悪。
人類文明を愚かにしたり、破壊したりすることは完全に悪。↓にも該当することになる。



- 不幸を与えることの中核=他者に危害を与えること -

「不幸を与えること」の代表格(中核)がこれ。「他者に危害を与えること」。
それさえしなければ、何をしていようと何だろうとまあ自由。
何せ誰も不幸にはならない。誰の幸福も奪わない。

人に幸福を与えなかったとしても、不幸を与えなければそこまで問題ない。
使命を受けて生まれ、食べる行為をして生きる以上、それではどちらかというと悪い部類にはなる。
しかし今の時代、誰もわからないようなこと。
生まれてきたその人が、生きて善悪を広めず何もなく世を去っていっても、ほかの人には何もない。
生まれていないのと同じというだけ。
生まれてこなかったものを非難するのもおかしいでしょう。

危害を与えることが唯一の許しがたい悪。
それさえなければ、基本人間として問題なし。

他者への危害の有無に注意。
(誰もわかっていないが)筆者は気づいた時から、それを悪とみて他者への危害はないようにし続けてきたため、
「自動的に危害のない行動がされる」ようになっており、ほとんど注意する間でもない。

人付き合いに馴れ、それに自信を持っている人は、人を不幸にしても平気でいることがある。
人付き合いの実績からして、自分の言動により人がどうなろうと自分の方が正しいと自信を持って信じているからだ。
馴れによって生まれる穴。



あくまで個人の善悪概念。善悪ルール。
全く別の善悪概念を(例え何だろうとも)あからさまに否定するようなことはない。
それはありえない。
何せ善悪実空。



★ ⑤善悪の構成 ★

ある程度理解してしまえば、これを見ることにより一目で全体を認知できる。

         ┏有善悪の尊重━━有善悪無
     ┏━━━┣善悪実空の尊重
     ┃   ┃
     ┃   ┃ ┏社会善悪┓
     ┃   ┃ ┣職場善悪┫組   大↑    難↑
     ┃   ┃ ┣学校善悪╋織 規模・権威 確立・改変
     ┃   ┃ ┣親族善悪┫善   小↓    楽↓
     ┃   ┃ ┣家善悪━┫悪
     ┃   ┃ ┣仲間善悪┛
善悪━善悪実空━有善悪┻個人善悪          幸福を与えることの中核
         ┃   ┃    善=幸福=楽 ┏=豊かな人類文明を育てること
         ┃   ┣管理人━・悪=不幸=苦┫
         ┃   …           ┗不幸を与えることの中核
         ┃    ┏目的による相違    =他者に危害を与えること
         ┃    ┣視点による相違
         ┗善悪相違╋好みによる相違
              ┣状況による相違
              ┣間違いによる相違
              ┗思い込みによる相違

※注意:ここで登場した用語は、全て管理人のオリジナルであり、今のところ他所では(確実に)通用しません。


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