三 ● 管理人 ● 三

この世で随一の珍人?である管理人のプロフィール(詳細情報)。
長々と記載。
ビビられ、引かれるだろう。
もっと言うと、こんなものではない。
常識外、ほかに例を見ない、現時点で人間が定めたことに当てはまらない、通常とは逆、誤解され続ける、軽視され続ける…
「今生きている人間(75億人)の中で、最も驚くべし人間」かもしれない…そんな存在。
おそらく世界一の珍人であり、世界一の仰天人。

得意なことありとあらゆること(即ち何が得意とかない)
好きなことありとあらゆること(即ち何が好きとかない。あらゆることが得意なのだから当然)
苦手なことほぼなし(即ち何が苦手とかない)
趣味ありとあらゆること(即ち何が趣味とかない) 1つ選ぶ(尚且つ大まかに言う)とすると、「創作」。次点は「考案(空想)」
好きな言葉いろいろ(即ち何とは言えない) 1つ選ぶとすると,「あらゆることをオリジナルにし,理想へと幸福へと通じる未知の領域を開拓していけ」(オリジナル短詩)
好きなキャラクターいろいろ(即ち何とは言えない) 1つ選ぶとすると、「キングプランターズ」(オリジナルゲームキャラ)
好きな映画いろいろ(即ち何とは言えない) 1つ選ぶとすると、「星の世界」(いずれ公開されるオリジナル映画)
好きな本いろいろ(即ち何とは言えない) 1つ選ぶとすると、「自分の始まり、成り立ち」(オリジナル小説)
好きな場所いろいろ(即ち何とは言えない) 1つ選ぶとすると、「極楽ホール」(未来の極限娯楽地)

何でも得意で好き。
それは即ち「何も好きではない」ともみれる。
常識外であるし、困ることもある。
管理人が本当に好きなものは、「何にも該当しない、考案したもの」。



 人生の目的・夢 

ドリームライフシティ、プラネットシティ他数十種類のオリジナル計画都市を作る…
近未来な森の家を始めとした理想のマイホームを建てる…
メルヘンピラミッドを始めとしたオリジナルマンションを建てる…
テクノモールを始めとしたオリジナル商業施設を建てる…
イマジネーションワールドを始めとしたオリジナル遊園地を作る…
芸術立体都市、ハイテクシティ他数十種類のオリジナル未来都市を作る…
スーパードンキーコング4、星の世界他数十種類のオリジナルゲームを作る…
巨大イバラ、オーロラカーテン他数十種類のオリジナルゲーム関連商品作る…
天空王国、虹王国他数百種類のイラストを本格的に描く…
星の広場、光の森他数百種類の3DCG作品を作る…
大自然の生命力、思い出他数百種類の曲を作曲する…
宇宙の旅、星の世界他数十種類の小説を書く…
書いた小説を映画化、DVD化する…
焼きたてプリンパン、焼きたてシュークリームクッキー他数十種類のオリジナル食品を作る…
都心市街地写真集、白黒者写真集を始めとした写真集を本格的に作る…
ゴッドドラゴン、キングプランター他数百種類のオリジナルフィギュアを作る…
わたあめしつじ、マシュマロブタ他数百種類のオリジナル人形を作る…
スタージェネレーション、エターナルフリーダー他数十種類のオリジナルゲーム機を作る…
未来オブジェを始めとしたインテリアを作る…
理想の社会を作る…
タイムマシン、ワープマシン他数百種類の文明道具を発明する…
火炎花、水蓄花他数十種類のオリジナル植物を生み出す…
別の人生を歩んでみる…(要ハイテク技術)
過去を見る…(要タイムマシン)
未来を知る…(要タイムマシン)
地球外文明を知る…(要ハイテク宇宙船)
宇宙の始まりを知る…(要ハイテク技術)
この世を知る…w(要ハイテク技術)
etc.
大まかに言うと、「作りたいもの全て」作る。
それが管理人の目指し続けていること(目的)であり、最大の夢である。
即ちそれこそが「やりたいこと」。

どれか1つに絞るのでは、(人生規模の意味合いで)夢を叶えたとは言いがたい。
目的は達成できない、夢は叶えられない。
「全て作るなど無理だから」と、そういうことは夢と認識することすらない人ばかりだろう。
だが当方それを認識。
その上で、その夢を叶えることができる方法を見いだした。
その方法とは、空想。
空想上で作り上げるのだ。
題して「空想創作」。
「…そんなで叶えた気になるとか馬鹿らしい」と思われたはず。
誰しもがそう思うでしょうから。貴方もそうでしょう。
個人的には「無数にある」はずの夢を1つに絞り、その1つに全てを捧げること(凡人の基本)の方があれだと(馬鹿らしいと)思う。
いつかわかってもらえる日が来てほしい。
皆1つの常識にとらわれているから、つまらない。変わらない。

空想が実世界にも及んで?くれたら、喜ばしい。
空想が実世界(世)に影響を与え、空想(自らの行い)により未来を変えられたら…
それにより、世界を誰しもが思い描くような理想の未来世界へと導けたら…喜ばしい。
それはそこまでも強く願っていること(強く掲げる夢)ではない。
「想像は創造へ繋げる力」「全ては案、言葉から始まる」…
とはいえよ、そこまで高みへと導くことは厳しいと思われ、そうできる期待は持てないので。
そこまで欲張りはしない。
軽い気持ちでそう思っている感じ。

皆のように、単に金を手にしたいとは思わない。
一般的に金をもらえるようなことをしても、金は手にしないのが理想。
なぜって、金をもらうということは、誰かから金を取るということ。
金を払う側の人に悪いことをするor躊躇される。
だから金は手にしないのが理想。
単純なことだと思うが、この世の中では誰もそう思う人がいない。一般的価値観に洗脳されていて。

あと仮想創作。
空想したもの、調査したものなどをまとめたデータの創作。
「いくら時間があっても足りないほどに」やり応えがある。
もととなる題材(空想など)の創作がそうであるため、当然。
1日の時間をできる限りそれに費やして生き続けてみることも夢。即ちやりたいこと。
どうしても(儚くも)人に構われ、1日のほとんどの時間を失ってしまうのが現状。もったいないことに。。
こちらの人生とは無関係の凡人・無能たちに肉体や時間を奪われてしまう。。
当方通常の人間の生き方をしてこなかった人間。
もうこうなると、このまま誰もしていない生き方をしてみたいと思う。
普通の経歴を一切持つことなく生きて、ビッグになる。
金も学校もなしでビッグになる。
新たな人間像を開拓し、そのモデルになる。
それが大きな夢。(大きすぎるので、これも叶うことを期待したりはしていない)
この世の誰1人としてそんなことができるとは思わないだろう。
むしろだからよりいっそう、そうしたい。

常識の範囲から外れていていい。
夢の自由の身なら、ひたすら無駄なことをせず、省エネに生きて、できる限り「時間」を「創作」に割り当てる。
また工夫してそれができる時間を長く持てるようにする。
学歴職歴国の社会システム社会制度現在の一般常識一般認識人の定めた概念固定概念そういうものにとらわれて余計なことに時間と労力を割いたり、
発想や行動の範囲を限定しているのはある意味馬鹿らしい。
当然ながら社会に準じていかないとできないこともある。そういうことは社会がだめだと認識し、見切る。
だが身近な人がそれを許すことはないだろう。
そのため身近な人を排除するか失踪しないとしないといけない。
それは現実的ではない。
妨害され、行動を制限される中でできることをやっていかないといけない。
これだからこの世界はなかなか進歩しない。
反対され妨害されながらも夢を叶えたい。
ある程度押し切っていけたら、わかってもらえるだろう。(押し切るのは恐ろしく難しい身)

空想創作・仮想創作も突き詰めるとネタが永遠と尽きない。
即ち「作りきる」というのも無理な話になる。
何せ永遠。例え寿命が永遠になったとしても無理なわけだ。
そんなで"管理人のゴール"は、無限にある「やりたいこと(空想・仮想創作)」を"満足できる程度まで"やりきること。
それは想像力とネットがあればそれだけでほぼやりきれる。
即ち「想像力(知力)とネット」。あと「時間」。
本当、それだけあればいい。それ以外に何もいらない。
省エネな夢。素晴らしい。
「無限(永遠)」なので、ある程度好きなこと、やりたいことでもそこに手が回らないことが幾度。
全てに手は回らない。
何せ無限。ある程度却下(除外)しないといけない(即ち手を回すべきでない)好きなこともある。
だから、好きなことだからするとは限らない。
好きでもやりたくても、それを全てできるわけでない。
優先順位がある。条件があってだめな場合もある。
好きならやる、やらないなら好きでない…とは、限らない。
何にでも言えること。
「優先順位」、「バランス」、「割愛(端折り)」。
この3つをキーワードとし、行動を考えないといけない。
だがこの世の中、そのことがわかる人はいない。
即ち自然にはまず理解されない。
「満足できる程度」といっても、満足したら終わりではだめ。
やりたいことはできるだけ多くやりたい。ネタはできる限り多く消化したい。
だから長く生きることも重要。長生き法(詳細→長生き講座)の実践も重要。
命に限りがあるから、頑張る。
できるだけ早く、即ち多くそれができるように頑張る。
死後はない。何もない。そこまで。
だからタイムリミットがある。
そのタイムリミット即ち終着点は、いつ訪れるかもわからない。
休んだら休んだ分の時間、遊んだら遊んだ分の時間、それができなくなってしまう。
自分の残すものが少なくなってしまう。
だから、「時間」は尊い。
それだけに、無駄に消費してしまった場合、そのショックは大きい。
暇など1秒もない。永遠にない。
何せ永遠にやること(やりたいこと)があるわけだ。
気ままに何かしたり楽しんだり遊んだり呆然としていたりなどはありえない。
…ある意味では煩悩もいる。
煩悩を無にするとなると夢を消すことになる。

創作物は「できるだけ長期的に残す」ことがまた重要。
だから消えないようにする。今しか通用しないものにはしない。
何百年、何千年、何万年と残ってくれれば、それは夢のようなこと。
人付き合いを重要視し、人に良く思われたことを誇りにするなどという人がいるが、
よく思ってくれたその人もすぐにいなくなる。人はどうせすぐに死に、終わる。
それを重要視してどうする? 重要ではない。個人的にはそうみる。

空想創作・仮想創作といった夢…即ちやりたいことは「任務」と呼ぶ。
これにより、重要なものとして位置付けている感覚が湧き、良い。
生きている時間、即ち「任務」ができる時間が長いことが鍵。
時間の中で任務ができていない場合、その時間はただ無駄に削られる時間、命。
残念でしかない。
任務をすることを阻害してくるもの(言い換えると自由時間を奪ってくるもの)は全て悪。全てと言ってもいい。
そう見てもいい。
任務に関してさらに詳しくは→人生講座

「高みを目指す」上では、やりたいことのネタを新規で得ることも大事。
ネタを得たことこそが自分にとっての収穫となる。
ネタの取得に繋がる知識を得ることも、小さなものではなるが「収穫」に部類して良いだろう。
「1日の収穫」をできるだけ濃く獲得できるように生きていく。
当方ずっとそれを意識してきた。
何も獲得できずに終わってしまうようなことにでもなれば、心は悲愁に。
だから、そうなることを避けるために努力する。

こういった考えは誰しもが批判否定批難するでしょうから当然、悪いことをするなと思う気持ちはある。
悪く言われ続け1000人中1000人から悪口言われ、そういう気持ちが芽生えないはずはない。
考えが理解されず、片っ端から誰からも肯定されない応援されない活動を日夜頑張り続けている…なんと空しいのか。
自分の考えが良いものだと信じている気でいても、その外圧によってどうしても疑わしさが出てくる。
悪いとしても、誰に危害を与えるわけでもない。そういう悪いことではない。
外圧を押し退けて、信じることを信じ、目指すことを目指していくことで、ビッグになれるのではないかと思う。
そのことも信じる。
新しいことを生み出す際は、必ずそういった批判される過程がある。
当たりにしろ外れにしろ、そこを潜り抜けなければ何もなくて終わってしまう。

皆、人生の目的・夢には「金」「仕事」「社会」が絡んでいると思うが、管理人の場合、それらは絡まない。
金、仕事しか脳がない凡人の皆々様。
それが何だと言う?
社会で仕事し金を手に入れる…それもそれでそれが何?
誰しもが揃いに揃ってそれ(社会で仕事し金を手にする)こそが
「偉いこと良いこと称えるべきこと認めるべきこと誇らしいこと成功と見なすこと」と認識し、全ての人間にそれを押し付けてくる。
金を手にすること。それが何のためになり、世のための何だという?
その行動が何?
生ある人全員にそうさせることでどうなる?
答えられたとしても、その答えの意味を突き詰めて出る疑問の答えはある?
よくわからないし曖昧なら、金・仕事・社会に異常に拘らなくても、何でも良いでしょう。
洗脳されわけもわからず、あからさまに批判しないでほしい。
当方、「何か1つ、生涯の仕事を見つける!」だとか、「金のために仕事を探す~」だとかしない。
皆は人に習ってw常識に基づいてw普通に基づいてwそれをするでしょうが。。
「社会で仕事していく」ということは価値的でも有意義でもない。
…皆洗脳されており、わかる人はいないでしょうが。
社会で仕事して生きることをしていく中ですることは、その大半以上のことが自分にとって無駄なこと不条理なこと意に沿わないこと大変なこと苦しいこと。
時間、労力なんかガッポリ無駄にする。
「自分の力をできる限り持て余さない」ためには極力社会で仕事はしない方がむしろ逆に良い。
皆「人との関わり合い話し合い社会」の中に人生の全てがあるような捉え方をしている。
そう教わるからだろう。その外は無。
そうでない人生もありえないようなものではない。無と捉えることはありえない。
契約し繋がりを持ち形式に基づいてどうこう生きるだとかは勘弁。
それは即ち価値ある行動を制限され、無駄な行動を促され…良くないことばかり。
個人など小さな存在。意味のない存在。
現実で凡人らが抱いている個人の野望など達成されても世(社会)に与える影響は微々たるもの。
本当に大きな影響を与えた人など人類史上「数人」程度しかいないわけだ。
人類史上数人の中に入ることはできると思う?今の時代に。
いくらなんでも思わないでしょう。
どうせそんななら、何でもありの空想で壮大にしてみた方が良い。
現実がだめならメタバースなどとたまに聞くようになったが、空想はさらにそれよりも圧倒的に満たされる形にできる。
何せ金も制限もない。相手もおらず、ルール(法律)もない。一瞬で自由自在。


全てを作る・生み出す(全ての夢を叶える)ことが夢で、その夢は叶えられる。
叶わぬ夢はない。
ある?(世に影響を与え未来を変える・新たな人間像を開拓しそのモデルになる…が無理そう)
全てを叶えられない?
…そんなことはない。
それも空想上で叶えられる。
(危険なことを言ってしまった)

この国の人間は皆、普通のことをして普通の順路を通って普通にして普通に生きて普通に人生を終えるのが最善なのだと認識している。
普通を貫き普通を推し進める拘りを持っている、
普通のものが評価される。普通でないものは酷評。
普通(常識)の範囲外へ行くことはどんなことでも悪いこととされ、貶される。非常に危険。
今のこの国では危険。
だがそれでも自分は皆に合わせて普通の中にとどまっていようとは思わない。
何もない何も起こさない「普通」など何の面白みもない、何も意味がない。
生きた証を残したい。新境地を開拓したい。
誰しもが「普通」に洗脳されている。
だが自分はその「普通」なんかには洗脳されない。
普通の枠の外に普通以上に良い形があるケースは多い。
普通にしていてもある程度以上の高みへは行けない。

人は皆、現実世界で実際にどうなるの結果に拘って全力で生きる。
現実は当然、金、肉体、時間、資源、他人なんかを酷使する。
…人は皆違う。
そのうち別の考えを持つ人の手により、どうせ壊される。
壊れると再生させるのに力を尽くす。
お互いそれの繰り返し。
そういう意味で、現実で奮闘して生きるのは馬鹿らしいともみれる。
なかなかそれがなくても、時代の変化により壊れる。
言ってしまうと、諸行無常。壊れないもの失われないものはない。
そんなわけだが、全てが壊れるそこまで長期的な目線で見るのはあれだ。

より良い夢とは、収穫が消えない夢。
ずっと価値が残る。
夢にも良し悪しがある。
価値があまり残らない夢でも、活力が湧き、健康的には良い。
…だがしかし、それだけ。
目的・夢を無理やり見つけ、ただそれを持ち、それに向かって頑張る…
そういうのは個人的には微妙に思う。
その夢は価値の薄い夢である割合が高いだろう。たいして信念もないだろう。 価値を残すことが鍵。その案を得ることが収穫。

子供の時点でもし、こういった人生の目的・夢に気づいていたら…
そこに向かい進み、無駄をせずにやりくりし早いうちに高みに達していたことだろう。
即ち、それだと良かった。
できる限り早いうちに気付くべき。気づかせるべき。



 職業 

空想創作家
未来開拓家
仮想創作家
哲学者
思想家
小説家
写真家
レビュアー
イラストレーター
作曲家
作詞家
詩人
3DCGクリエイター
ゲームクリエイター
コピーライター
ドッター
アイコンクリエイター
図面クリエイター
ロゴリエイター
アニメーション画像制作家

「この社会でその地位を手にした」などということはない。
でも間違いではない。
「自分自身の中で」そうなれる。
そう名乗ればそういうことになる。
オリジナルの職業に就く(就いたことにする)のもあり。
空想しだいで誰でも何にでもなれるし、何でもできる。
「…馬鹿らしい」とそう思われたはず。
こういった普通でないことは誰しもが悪く思う。



 幸福 

何かを「使う(やる・見る)側」でいるよりも、「使われるもの作る側(生み出す側・与える側)」でいることが幸福。
どちら側も良くやれて面白いが、作る方がより面白い。
なぜって、まずそちらの方が「自由度」が高い。
「やる側」でいる場合、ああしたい、こうしたい、どうしたい、ここがこうだったら、理想と違う…などと思うことばかり。
(誰もわかっていないが)幼い頃からそう。
その(やる)ものの中でオリジナルの世界を構築していく中でも、不満が出てくる。
どうしても「やれることが限られる」から。
制限はない方がいい。自由度は高ければ高いほど面白い。
そう思う。ずっとそう思い続けてきた。
当方オリジナルを生む能力に長け、「オリジナル」を好む存在。自由度が高いとオリジナルの幅は広がる。
それに対し、「作る側」の場合、自由度無限大。
まさに自分の中の理想を生み出せ、「夢」のよう。
不満はなく、凄まじく面白い。
面白いだけではない。
作ればそれを使ってくれる人がいる。
即ち誰かのために良いことができる。
そのことを思うと、それにより凄まじい熱意が湧くし、よりいっそう面白いとも思える。
しかも(自分で言うのも難だが)作ること(創作)に見合った能力を兼ね備えているため、「できて」さらによりいっそう面白い。
面白い=幸福。

あと(面白いどうこうではなく)作る側でいないともったいない。
能力を持ち腐らせたくない。
人の作ったものを遊びでやっていても、「それに時間を割いている=能力を持ち腐らせている」ように思え、今や心が焦る一方。
以前はそういう気持ちが芽生えるようなことはなかった。
「作る側がどうこう」とそういったことを考えることはあまりなかったので。
で「人の作ったもの」を懸命にやり、ひたすらそれに時間を費やしていた。
馬鹿馬鹿しかったと思う。
凡人と同じであった。
自分自身に備わっている能力の使い道を誤っていた。
「人が作ったものに熱中」だとか、上の視点に立ってみると、しょぼい人間。
やる側ではない。
楽しむのではなく、楽しませる。喜ぶのではなく、喜ばせる。見るのではなく、見せる。
当方それに適した人間。
成人後にようやくはっきりと気づいた。
…そのことに。
でそうすることを目指すようになった。
でもこう思えるようになったのは、それに時間を費やす時期があったからこそ。
なので、あからさまに「いけなかった」とは思わない。
でも費やしすぎた感がある。
もっと早く、そのことに気づきたかった。

事情↓に記載した通り、自分の理解者は0ですから、その点からしても、いてもたってもいられない。
そんなこのままでは終われないから。
理解させるためには、「能力を極力持て余すことなく使って」活動していかないといけない。活動が必須。
活動可能な時は常時そういった活動を止めてはいけない。
そうしていないと焦る一方で、心も休まらない。
常時焦っている。だがこの焦りがなくなってはいけない。
少なくとも理解者が現れるまでは。
まあそれまでに、それがなくなるはずもない。
(誰もわかっていないが)娯楽を楽しんだり暇潰ししたりゆっくりしたりwしている場合ではない。
普通に、遊ぶべき人でもないし。
遊んで過ごすには惜しい人材。
「理解に繋がること」でないことはやっている場合ではない。
そんなで、大人になりそういったことに気付いてから"ずっと"、唖然としたり遊んだりしていない。(前者は気付く前からずっとか)
常時自らの能力を活かすための活動をし続けている。
遊んで暮らしたら惜しい人材だということがわかっているし、だらけてはいられない。
常に活動しているべき人間。だからそうしている。
何せ言ってしまうと管理人は…人類の宝!!
物心ついた時点から(自分以外誰もわかっていないが)これはもう何か、そうとしか思えなかった。
その命も優遇するべき。
管理人と比較してみたら、凡人らはいらない存在。
人類の宝だから、無駄をするわけにいかない。無駄にするわけにいかない。
眠りつかせてはいけない。常に目覚めているべき。

現実世界は自由度が低い。
何するにも金がかかる。
金や技術や世間や人との縁がネックでできないことばかり。
それに対し、空想はどう?
…なんでも一瞬。
思考が自由だから、想像は自由。空想は自由。
その自由度の高さがまた好ましい。
そんなでやはり、新たなものは空想で生み出す(空想創作する)ことが多くなる。
空想、創作は自分1人で完結までできるため、ほぼ人に阻害されることがない。
即ちまた無駄がなく、価値的。
人にどうこうさせたり、させられたりで契約を伴ったり通勤を伴ったりだと、無駄だったり不本意な気持ちが飛び交ったりで馬鹿らしい。
人は皆違う。人に人の求めることを指示されて良いことはない。

創作も、しだいに高みを目指すようになり、過去の作品が(案そのものも)微妙に思えるようになっていく。
突き詰めていくと、何かを生み出して(創作して)も「材料が誰かの作ったもの」であると良くない。
オリジナル色が薄いから。
何の影響も受けていない、誰が考えた要素もないオリジナルのものほど偉大な作品だと思う。
凄いと思える、そういうものだと思う。
自分の好むものは、求めているものはそれ。
だが誰も作ってもいない材料というのはあまりない。
「自然界にある天然のもの」だけになる。
物ではなく技術なども人が作ったものだと良くない。
あれもこれもすでに人のやっている技術。
被ってしまってもオリジナルとは言いがたい。
社会も典型的な人の作ったもの。
日本語の言葉を使っていることも良くないと思える。(これは日々思うこと)
言語はれっきとした「人の作ったもの」。
というか、自然も神?が作ったもの。
「人の作ったもの」に該当しない、自然とも関係のない何でもない「完全に純なオリジナルのもの」それが、究極に作りたいもの。
そして、それの表現には言語を使いたくない。
(凡人の貴方→疑問を浮かべ、馬鹿にした。終わり)

「オリジナル」はイノベーション、パイオニア、そして革命に繋がる。通じる。
オリジナルを考え、高みを目指す主義。
世の中の人は皆が皆、人の作ったマニュアル通り教え通りに動くのみ。
そうするように教わるから、そうさせる社会の流れがあるから、そう。
皆低水準な凡人。
社会の教材に基づいて社会で言われる社会の知識人になったところでだから何?(←皆重要視する)
自分の考え(オリジナル)を生み出さなければ何も起こせない。
人の考えを知った時点では何もメリットは生み出していない。
オリジナルを育てて拡大するイメージがあると良い。
創出するものを多くする。大きくする。
…社会の知識人wをあからさまには否定しない。
「オリジナルを生むため」にそうなろうとするような人であれば、悪くないだろう。

ともかく、管理人の主なる幸福は創作。
…それ以上のものもあるが。
夢が叶ったなら、それが何よりもの幸福。当然。
あらゆる夢(人生の夢・目的↑参照)を叶え、歩み行く人生に幸福を添えたい。
悟りを開けたなら、それ以上に幸福かもしれない。



 能力 

誰よりも高水準。
ありとあらゆる分野においてそう。
少なくとも「身近な人達」の中では。
認知力、把握能力、知識…
何を言おうと↑違いない。
自分(=管理人)の見えているもの、聞こえていることが確かな限り。
もし身近な人達(=知人)の方が上だとすると、知人は自分の前で常に力を隠し、能力の低い人を演じている…
または自分の見えている知人の姿や声、知人の残す形跡などは幻想ということになる。
そんなことがありますか?ありえないでしょう。
ネット上の人なら絶対知人の方が能力が上だと言うでしょうが、残念ながらそれは違う。
残念ながらどう足掻いても知人を持ち上げることはできません。
だから自信がある。
自信がある素振りなどしていません。断じてしていません。
ネット上の人は「自信があるはずない」と思うようですが、これ↑が事実です。

嘘ではありません。
知人には1年かかっても分からない機械やゲームの仕組みを自分は1分足らずで把握できたり、
知人には一生かかってもできないパズルや何か組み立てるものなどを自分は3分で完成させられたり、
知人が把握できない地図を自分は瞬時に把握できたり、
知人がどうあがいても描くことができない細かい絵や立体感のある絵を自分は意図も簡単に描けたり、
(↑自分の絵は糞。そんなのおかしい嘘ではありません。
 知人は現に普通書けないような凄い絵だと散々言っていました。幻ではありません)
知人にはできない(目視することすらできないような)細かい作業が自分にはできたり、
知人が忘れていることを自分は正確に覚えていたり、
(「これまでの全てを覚えている」とは言っておりません。全てを覚えている人間など人間ではありません)
知人がまず直せない壊れたものや不具合を自分は直せたり、
知人が一言二言でしか書き表せないことを自分はその100倍のスケールで書き表せたり、
知人が忘れていることを覚えていたり、
知人には到底思いつかないようなことが自分には思い付き、良い様にできたり、
知人がちゃんとできないことを自分はちゃんと(100%まで)できたり、
知人の気づかないことに自分は気づいたり、
知人の分からない原因が自分には即分かったり、
知人は数字の意味が分からなかったり突発的に単純な計算ができなかったりするが自分はそんなことはなかったり、
知人が20年見続けていても覚えていないことを、自分は20年前から覚えていたり、
(↑そんなことはおかしい嘘ではありません。
 生き物の行動パターンや町の風景など毎日見ていてもいつまでも覚えていなかったりします)
知人には原因や要因が分からず良し悪しの判断がつかないようなことを、自分は容易に判断できたり、
知人はある類のことを覚えよう把握しようとして奮闘してもいつまでもそれができなかったりするが
自分は覚えようとすらしなくても短期間でそのことを覚えて把握できていたり、
知人は1つのことを覚えるのに1週間かかったりしますが自分は1日で10個以上のことを覚えられたり、
知人が勉強したり研究したりしないとわからないことを自分はそんなことをするまでもなく即座にわかったり、
知人は家具や物などをきっちり整えることができないが自分にはできたり、
知人が絶対できないと思っていることの数々を自分は絶対できたり、
知人が人の助けを借りないと無理なことを自分は誰の手も必要とせずにできたり、
知人は1つ1つの動作が苦だったりするが自分は全くそんなことがなかったり、
知人は完璧にできないのに自分は色々完璧にできたり、
知人には到底作れないようなものを作れたり、
知人が「知らない、分からない、できない」と言っていることを自分は恐ろしく詳しく知っていたり、分かったり、できたり、
知人は記憶と記憶が結び付かなかったり記憶が出てこなかったりで真実とはかけ離れたことを思っていたりするが自分はそういうことがなかったり、
知人は明らかでないことを明らかと思ったりするが自分はそういうことがなっかたり、
知人と違って色々幅広く、色々楽しめたり、自分は学習できたり、覚えられたり、何が良いか?何がだめか?判断がついて最善の形がとれたり、
知人は嘘を言ったり各発言が結び付いていなかったり決めつけたり受け入れようとしなかったり
知ったかぶったりまやかしたりするが自分はそういうことはしなかったり、
知人は都合よく色々忘れて自分という自分を美化したりするが自分はそんなことはなかったり、
知人は色々おかしなことになっていても、自分はそうでもなかったりetc.
挙げていったら切りがありません。根本的に違う。身体的なことに関しても色々ある。
1度そう思ったことがある←ではなくて、「知人といると四六時中そういうことを思う」。
だのに知人は皆自身の方が上だと思い、上から目線の先生気取りでいるという…
自分の方が劣っていると 感じる ことは、もうほぼない。
とはいっても自分は超人とも思わない。
何というか知人とは考え方や力の注ぎ方が違うだけ。
超越した能力や特殊能力のようなものは何もない。
各分野ごとにおいて自分よりできる人がこの世には大勢いるということは分かっています。
「あらゆること」ではなくても、できる人は自分と同じような感覚で何かできたりする。
ただできない人はできない。感覚の違い?
自分の身近な場所にはできる類の人、自分のような把握力のある人がいない。
言ってること、分かりませんか?
分からない人は他人のことを良く見ていないか、同類の仲間としか関わらない人ではないですか?
できる人はできる、できない人はできない。
同じ人間でも信じられないほど差があるケースは良くあります。
世代や性別によっても大きく違います。分かりませんか?
良くあるのでおかしいことではありません。知的障害者とはなりません。
おかしいと言うことの方がおかしいです。
理解していないといけない。
自分の知人の中には自分とは世代や性別の違う人が大勢います。
もし身の回りに自分以上の(自分には敵わないと思えるような)人が現れたら、心境がかなり変わる。
自分は馬鹿にされているので、「適当に根拠もなく何となく想像で自分は有能だと思っているのだろう」
はたまた「何か1つの馬鹿げたことを根に持って自分は有能だと思っているのだろう」なんて思われますが、大間違いです。
なぜか訳もなく自分は有能だと思うはずありません。そんなはずありません。
繰り返し言います。そんなはずありません。
自分は自分という人間を誰とも照らし合わせていないからそう思っているでもありません。
「比較対象になる人間」がいるからそう思うようになったわけです。(当然)
自分と比較できる自分以外の人間の存在なくして有能と思うはずない。
本当に、人に思われることは訳がわからない。
自分は知人に様々なこと教え、知人を成長させることができる。
「超」がつくほど優良なサポーターにもなれる。(本気で言っています)
知人を見ていれば見ているほど、自分が非常に有○だということを実感する。
もう次元が違う。
生きる世界が違うレベルの差があり、付き合いながら生きていかないといけないことが苦。
それだと知人よりも上の境地に移行できない。
(誰にも理解してもらえないので、何とかして皆に理解させようとし、ヒートアップして若干危険なことを書くまでしてしまいました。
 人を貶す、心ない糞人間確定?もはや人間ですらない?
 ↑とある個人に対して言っているわけではないので容赦範囲内だと思いますが。
 そんなことを言う人の方が心がないように思えます。
 他人を思いきり貶しているのは誰ですか?
 知人を擁護する正義にも見えません。
 もしそんな心が無の人間なら人のことなど気にせず、何にも動じず、今の現状はなかったでしょう。
 ネット上の人によく思われるような心のない人間なら、ある意味楽。
 密かに深刻な気持ちになってしまうようなこともないだろう。
 真実の自分は、誰しもが想い描く想像上の自分とは違う)
こう言っても何を言ってもネット上の人は全部嘘だとし、知人の方が上ということにするのだろう。(ですね)
自分が悪くなるようなことは一言で認められるのに、自分が優位になることはどうしたって認められない世界。
それがネット。
(おかしい嘘などと言う人、本当のことですから、自分だけでなく予期せず自ら知人に失礼なことを言ってしまっています。
 ネット上の人には「自分はおかしい、嘘を言う、自分の言ったことならかってな解釈をして思いきり貶していい」
 という固定概念があるように思いますが、そんな自分ではなく知人に言ってしまっている。
 そういうケースはわりと良くある)
嘘を言う意味がない。
嘘を言ったら意味がない。

能力が低い人は能力が低いことが分からず、自信満々でいるもの?
本当に能力が低いがために自信なしの人(実際に能力の低いのに自信がない人)なども明らかに大勢いますが、ならそういう人との違いは何か?
自信があることは即ちできないことになりますか?
自分がそれなら、知人らは何なのか?
色々疑問です。
知人を擁護する必要はない。
何がどうあろうと、悪いことにされるのは「自分」。
貴方もそうしているでしょう。
自分は悪を寄せ付ける磁石で、悪の塊。
ともかくいろいろ「できない」とかってに思われるが、実際、自分はできないことがなさすぎて何というか「できない」の意味がわからない。
「できるようにやればいい」←だけの話。
本当に簡単なこと。なのにかってに重く見られてしまう。
できない人のできない感じはよくわからない。
できない障害者の感覚などもわからない。
自分は「自信がない気弱貧弱…」ではない。
全くそんなではない。
「できることはできるとわかっている」から、あらゆることを認識していて想定積みだから、「不安」とかも皆無。
できない証拠もないのに、自分は現状とにかくできないわからない糞だと思い込み、そう言い続けているなら、
そうだと自覚させさる(明白にする)ことをしてみればいい。
そうしたらこちらではなくて、そちらの方が誤解を自覚することになります。



 とてつもない幸福感で満たされる現象  

管理人は以前、とてつもない幸福感で満たされる状態を体感した。
これを「幸満」と命名。
ある方法で心を幸満の状態に至らせることができた。
しかし、その状態は長く継続しなかった。
その後も何度も幸満状態にすることができたが、不運が重なり、いずれもあまり継続させられず。
継続できた時間は、1番長くても半日に満たない程度。
幸満状態は少し崩れて途絶えたくらいなら少しの努力でまた立て直せる。

あの幸福感は、言い換えるととてつもない快感。
あの感覚を知ってしまったので、再びあれを感じることを諦められずにいる。
今のこの感じは例えると、1度頂点に上り詰めたことのあるアスリート。
頂点に上り詰めた時の喜び、快感を忘れられず再び頂点に立ちたいと願ってがむしゃらになろうとするような感覚。

あれは、上手くやれば永遠に持続させることができそうであった。
快感は長く継続しないという原理を、ある意味で打ち破れる感覚があった。
それだけに、どうしても悔しい思いもある。
永続する…何があっても崩れない真の幸満状態、これを「常幸満」と命名する。
幸満に至れば、そのまま常幸満にまで至れるかもしれない。
…惜しかった。

幸満状態が最後に崩れて終わってしまった時から、崩れた部分をめちゃくちゃにするようなことはしていない。
実はなんとか今も崩れる心配のあることを避け、大崩れさせずに留めている。
そんなで、やろうと思えば今日また幸満に至れるかもしれない状態でいる。
しかし、下手すると大崩れし振り出しに戻してしまい兼ねないので怖い。
なかなか一歩を踏み出せない。
一歩を踏み出さないとできないこともある…。

この件に蹴りをつけることも密かに1つの人生の目標だ。
人類史上屈指の大発見になり兼ねないこと。
常幸満に至れなくてもいい。その状態にすることができるのか否かを確認したい。
その確認をとることにより、常幸満に至る可能性もあり。
これは人生を揺るがす(すでに揺るがしてきた)、人生規模のことなので、ここに記載。

常幸満に至れたかと思った時は、自分が幸せでしかたがなかった。天国。
胸にあった重いものが全て吹き飛んで軽く軽くなり、いつもいる場所が、この世界が、良い意味で別の場所に見えた。楽園。
即身成仏に通じるものがある。それに近いもの。
幸満が崩れたその時の残念感は一転し、とんでもない地獄であった。
天国と地獄は隣り合わせだとつくづく感じられる。
高い天国ほど、低い地獄と隣り合わせ。低い地獄ほど、高い天国と隣り合わせ。

一時幸満に至れたというだけでも、まあ凄いこと。
幸満に至ることを本格的に試みていたのは中1の時。それから何度か試みた。
この試みは後悔に繋がり兼ねない。
だから非常に恐れるもの。
幸満に至る方法、コツなどは…話すと長くなる。
凡人には理解し難い複雑なことも多い。

崩れた幸満状態を大崩れさせずに留めている中で活動しているため、活動の範囲が制約されているのが現状。
制約の中である程度任務が進んだら、立て直しに挑もうと考えている。(その際は少しの間、更新休止の可能性も)
そして必死に任務を続けている。
挑んでも、もう精神的、時間的に無理かもしれないので、そうとわかったら即刻蹴りをつける。
それにより常幸満に至れる可能性も。

管理人の近年の活動内容を見ても、いまだに低レベルの馬鹿だとか思われているとしたら、これが原因。
その時にしかできなかったことを逃してしまったり、中途半端になってしまったり、
余計に時間を食ってしまった可能性があったりし、惜しいことにもなってしまっている。ただ惜しかったで終わってしまうのか?
このことも、誰にも理解されないことはわかっている。
そのため、ずっと打ち明けることのできなかった深い悩みの種。
どう思われるか?
難しいでしょうが、何か言葉をくれるとありがたい。



 事情 

当方凡人ならぬ珍人。
この世の誰も経験していない生き方をしてきた人間。
どんな生き方か?どんな人間か?推測しても無駄。
誰がどんなに推測しても大ハズレでしょう。
常識外、前例もなく他にいない、誰も予想できない、そんなもの。
この世界とは異なる物理法則の働く世界を人間が把握できず、何も推測できないのと同じ。誰も推測できない。
「通常の人間の常識」は通用しない。
常識、事例に当てはめたり、何かと同類と見なしたりしたら、誤解になる。
そんな自分自身のことが人を引き付けることができる管理人最大のネタ…ですが、にも関わらずそのことには言及しない。
「有名人になれること間違いなし」のネタ所持者(珍人)。
当サイト内では真相がわかってしまいそうなことは、あたかも真っ当に生きてきたかのような表現をし、バレないようにカモフラージュしています。
あくまでカモフラージュ。嘘は言っておりません。
ご了承ください。
世界一の珍人、仰天人。
というのも、それは冗談半分でも、大げさに言っているわけでもない。本当。
社会を見渡せばわかる。
こんな人間はまずほかに1人もいない。
常識的に“いない”とされる人間。
管理人がどれだけ生きているかはご存じでしょう。
世界を少ししか知らない無知だからそう思っているではない。
とにかく“知れば知るほど”思うこと。
そんなことはないなどと言う人は管理人のことをわかっていない。
管理人自身がわかっていないではなくて、そう言う人が管理人をわかっていない。
(何を言おうと無能だからわかっていないと思われ無視され言葉は通じない。万人から頑なに悪い意味で間違えた認識を持たれ続けその上で言動され続ける空しい運命)
これだけは伝えられる↓

誰も自分を知らない。毎日見てきた人も知らない。
"普通に"人間と思われない。普通に人間に見られず、人間扱いされない。
今産まれた人間のように思われる。
この世に理解者0。誰1人として誰にも理解されていない。
毎日見ている人よりも、見ず知らずの人の方が断然理解がある。
知ることを教わり続ける。できることの訓練をし続ける。
ほぼ全てのことを大きく誤解され、全く無意味なことをされ続ける。
逆のことを思われ、逆のことをされ続ける。相手からすると、こちらが逆のことをし続けている。
勉強を人から教わることはほぼ一切していない。

現在においても変わらず珍人。
通常人間がしていることをしていない(とされる)。
常識の当てはまらない人間。常識に基づいても間違い。
この社会では、人生は学歴、職歴、病歴、婚歴等でできているものとされている。
学歴、職歴、病歴、婚歴無であり、それらとは関係ないことに人生がある人間は一般的には「無の人間」と見られるが、
それは洗脳によるもの。
それらを得られる得られない以前に得ようとしたことがない。



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